西方見聞録...マルコ

 

 

その名にちなんで - 2012年11月21日(水)

 えーっと今年見た映画を記録しておくために。


 異文化コミュニケーションというお題の講義の中で2つの文化(ホスト文化と母文化)の影響を受けながら育つ移民の2世の自己概念の形成の話をしました。二つの文化の間をゆれながら、自らの独自のポジションを築いていく中で、母文化に強く傾倒する伝統保持型、ホスト社会の影響を強く受ける同化型、2つの文化から疎外されてしまう移行型、さらに二つの文化を己のものにしてその二つの文化を自在にスイッチしながら2つの文化を媒介できる統合型(=バイカルチュラル)という多様な適応形態がある、なんて話をしました。


 1人の人の中でも成長の過程の中で様々な2文化の間の適応を試み、揺れながら自分の位置を獲得していくわけで、図にするとこんな感じ↓





 そんで話ばかりでは伝わらないので、揺れ動くアイデンティティの形成の過程を活写したラヒリの名作を映画化したその名にちなんでをクラスで鑑賞しました。


 私もこれまで原作は読んだことがあったのですが、映画は初めてでした。父母がアメリカに持ち込んだインド文化と現代アメリカの間で自分の居場所はどこか探すゴーゴリ―の物語です。

 前半の父母の物語は、とくに母の苦闘と、愛と居場所を得るまでは胸を打ちますが、やっぱり後半の成人したゴーゴリ―の2文化の間での位置取りの物語が私には興味深かったです。

 婚約者のアメリカ女性、マクシーンやその家族と強い親近感を持ち、同化型の適応をなそうとする時代、父の死をきっかけにインドコミュニティの一員として生きようとする伝統保持型の適応を目指す時代、そして『コミュニティ的に理想的なインド妻との結婚』に破たんし、「いま最も自由を感じている」と語った全く自分なりの位置取りを目指していこうとするラスト。この揺れながら変遷していく「自分の位置」、とその模索が大変重要な営みであることが強く伝わる作品だったと思います。

 


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インフルエンザ後、奈良で - 2012年11月10日(土)

 はい大変久しぶりに家族日記。
 FBやツイッターに散発的に写真載せたりすることが多くなってるけどまとめて写真載せるときはやっぱりエンピツさんが便利ですな。

 さて本日はインフルエンザの予防接種で主治医のところ、つまり奈良に行きました。そんでインフルエンザの予防接種と、1号さんの冬に備えてアレルギーの薬を補給した後、なららのラーメン屋さんで昼ごはんを食べ、




 奈良公園を散歩しました。ちょうど、北円堂が開扉してたので、世親・無著像を拝観します。




そして奈良公園を漫遊して、鹿を見たり、Iphoneの写真アプリで特殊写真を撮ったりして遊びました。紅葉がきれかったです。












 途中、いつもと違う道を通ったら、三作石詰め伝説の「十三鐘」の前を通ったのでお参りしていきます。三作石詰め伝説については、くわしくはこちら→http://ameblo.jp/d-yumekobo/entry-10637581440.html


 三作の死を悼んで母親のおみよさんが植えたというもみじと、来世は亀に生まれて長生きせよという亀の像が写ってますな。




 そんで「十三鐘」を出たところには鹿愛護会への募金を募る自動販売機。よくできた街の仕掛けです。
 でもおKさんが「鹿を殺して三作を死刑にするなら、今動物愛護センターに犬や猫の処分をお願いする人がいっぱいいて罪に問われないのは変な話やな」とつぶやいていましたが、動物の命が重過ぎるのも軽すぎるのも、確かに変な話でございます。


 それで最後に三条通のDRINK DRANKでお茶して帰りました。



 
 秋の奈良は今町中でスタンプラリーしていて、協力店舗のお店で買い物をするとスタンプをもらえて3個スタンプがたまるとくじ引きができるのでした。
 主治医と薬局とDRINK DRANKでスタンプもらえたのでめでたく、くじ引きできました。奈良の絵葉書が当たりました。



 近鉄奈良駅のせんとくん。彼は服を着ると、あのオーラが消えますな。

 まあそんなわけで、あと何回あるかわからない、家族のお出かけでした。昔は一生こんな風にお出かけしてるんだと思ってたけど、すでに中3の1号さんはかなりお願いしないと一緒に歩いてくれなくなっちゃいました。時は過ぎ行くからこそ、紅葉は美しいのです。


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兄かぞくのくに - 2012年11月03日(土)


兄かぞくのくに読了。
 ディアピョンヤン、愛しきソナ、かぞくのくにの3つの映画を世に送り出したヤンヨンヒさんの自伝。

 済州島にルーツを持ち、大阪で形作られた1つの家族から北朝鮮へ「帰国した」3人の少年の前にまったく異なる人生が待っていたことに驚く。この3人の人生の多様性は映画からはわからなかった。そのほかの9万人の人の前にはどんな<多様な>人生が待っていたのだろうか。

 表現することが抑圧されない、せめて人が自由に行き来できる二国関係が形成されることを片方の当事者として祈りながら、世界をまたにかけ表現する娘と北にいる息子の双方を案じる母−オモニ−の胸のうちを思う。母−オモニーの心が安らかな未来を作っていけますようにと祈らずにはいられない。

 


関連日記http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=4157&pg=20120816


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