西方見聞録...マルコ

 

 

リバティ大阪に行ってマウンマウンさんの話を聞いてきた - 2012年05月18日(金)

 はい、この日は非常勤先の高校が中間テストで午前中ぽっかり予定が明いてしまったので、いま話題の大阪人権博物館<リバティ大阪>に行ってきました。




 今ちょうど、沖縄返還40周年ということで沖縄復帰企画展が行われていました。沖縄での復帰前から現在にかけての動きが身分証明書や新聞記事などのいろいろな<現物>とともに紹介されていました。またその時代の大阪の沖縄出身の人々のコミュニティの活動も紹介されていて、大阪ならではの展示になっていました。

 常設展は「ゾーン1いのち、輝き」ではDV,いじめ、性的少数者、女性問題をテーマに展示が構成されていました。またシングルマザーの就労問題、レインボーパレード等に関しては解説シートがあって展示よりも多い情報が提供されています。また展示ごとに教科書ではこの問題はどのように記述されているか示されていて、教科書の数行で表された言葉の奥にある当時者の声がわかるようになっていました。



 「ゾーン2共に生きる社会を作る」では在日コリアン、ウチナーンチュ、アイヌ、新渡日の子ども、ハンセン病回復者、被差別部落などに関する過去と人権を守るためのとりくみが紹介されていました。高齢者のコーナーでは高齢者の不便を実感する実物展示もありました。
 
 私がこれはすごい、と思ったのは映像資料で、各コーナーのところにある映像も希少価値のものが多く、特に戦後の在日コリアンソサイエティの映像記録を収集していた辛基秀さんの映像によって戦後のコリアンの民族教育を紹介していたフィルムはとても興味深かったです。史料的価値も高いと思いました。

 また証言の部屋の映像で私はビルマ難民のマウンマウンさんのインタビューを聞きました。
ビルマを出なければならなくなったデモの話の臨場感、タイ国境のリス族の村からブローカーを通じて韓国に出国し、そして「アジアで一番自由な国」と信じた日本への逃避行。入管で暗転する日本への期待、そして入管の抱える問題の告発。大変わかりやすく心に響く言葉が多かったです。日本を信じ、裏切られながらも、ここを第2の故郷としようとするマウンさんの「日本の自由は日本人だけ。悪いことを日本の国民はがんばって変わって欲しい」という言葉は本当に心に届きました。
 時間の関係で他の証言は聞けなかったのですがDVDにして売ってくれないかしら、と思いました。

 さて入場者は平日の昼間でしたが5名連れのおそらく研究者の集団がいたほか、50名ほどの企業研修の参観者、わたしのような個人参観者も数名とかなりにぎわっていました。

 解説ボランティアさん等によると小中学校の遠足、利用や近隣大学のゼミでの利用、レポート執筆のための利用などかなり需要はあるとのことでした。設定された入館者目標もクリアしているようですがしかし8月から府市の補助金は途絶えるということだそうです。ニュース記事もあります。1市長の好みに合わないという理由でここは閉館され、新しい教科書をつくる会の顧問などを迎えて、橋下市長好みの博物館が作られることが検討されているそうです。

 民主主義とはなんだ、こんなことが許されちゃうのか、と呆然としますが、しかし呆然としている場合ではないようなので、まずはここは、マウンさんの「がんばって」の声に励まされながら、大阪市にパブコメ書こうと思います。












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劇的!再会ウィーク、マルコ門前にて待つ - 2012年05月14日(月)

 はい、修学旅行の春ですね。全国の中学生高校生の皆さまが西へ東へ南へ北へと移動中でございます。

 そんでわが町の名所法隆寺にも、わさわさと全国の中学生が集結中です。

 で、この日記で登場している、稲田堤保育園の友も今年中3でみんな奈良京都にいらっしゃいます。

 まずは5月9日に保育園友のWちゃんママから「12時すぎに法隆寺門前いくよ〜」という連絡が入ります。1号さんはもちろん学校行ってる時間ですが、私マルコはその日はなんと奇跡的に午前中の仕事がお休みで12時15分のJRに乗れば間に合う日でした。そんで出勤時法隆寺門前前を通っていくと、、すごい修学旅行生の数です!しかし「えんじのネクタイ」という制服の特徴を聞いていたので、おそらくこの集団だろう、という修学旅行生グループを発見!近づいてていきます。どんどん子どもたちが目の前を通り過ぎていくけど、目標のWちゃんやS2ちゃんやNちゃんが発見できません。そこで引率の先生に

「すみません、川崎からの中学校さんですか?」

と怪しい問いかけをした瞬間「1号ちゃんのママ!」と叫ぶような呼びかけをされて振り向くとWちゃんとS2ちゃんがいて3人で手を取り合って感動の再会をしました。短い再会を喜び、駅へダッシュ!なんとか乗る予定の電車に乗ることが出来ました。Nちゃんはもう最初のほうのグループにいて会えませんでした。

 感動の再会に興奮して1号に自慢すると、1号大変なうらやましがりようで、Nちゃんとメールで連絡を取り合い、別中学に進学したS1ちゃんとPくんが今度の土曜(12日)に奈良に来ることを掴みます。S1ちゃんは法隆寺門前は12時ということで10時から14時まで部活の1号はまたもや会えません。そこで法隆寺以降の予定をマルコ母親ネットワークでお伺いを立てると、15時興福寺、16時東大寺という予定だそうです。1号さんは16時東大寺の門前にてS1ちゃんを待つことにするそうです。

 その日はマルコはおKさんと奈良公園近くでお昼過ぎまでお絵かき教室なので、15時まで奈良公園で遊んで、15時になったら興福寺に行き、S1ちゃんとP君の特徴ある青緑色の制服を探します。




 いた〜!目立ちすぎるだろう、その制服!
 で集合写真を撮るべく並んでいる集団の背後から近づくと、ひときわ背の高いP君発見!
「Pちゃ〜ん」と声をかけると
ふりむいて「だれだっけ」というので「1号ママだよ〜」というと「しってるよ」というように笑います。(P君はシルバーウィークの旅行のときは会わなかったけど、小学校高学年のころ、家族でこちらに来たとき、法隆寺であったんだよね)。そんで携帯の写真で写真撮らせてもらうとピースサイン作ってくれました。いやいやキミが0歳児クラスでやっと立つようになったばかりのころ、保育園でよくお迎えのお母さんを見上げて「だれ?」と問いかけるようにつぶらな瞳を向けてくれたっけな〜と追憶していると「だれ?」という問いかけるような視線を感じて振り向くと引率の先生と目が合います。「S保育園のときの友だちの母です。奈良に引っ越して来てこちらにすんでいます」と怪しくないように自己紹介。

 そして階段の途中でS1ちゃんも発見して、「あとで1号が東大寺にいくって」と伝言して別れます。

 1号のほうも無事S1ちゃんと再会できたようです。

 さてそういえば世田谷在住のマルコの甥っ子にして1号さんのイトコのYくんもそろそろ修学旅行だって言ってたな〜と思い、兄にメールで聞くと14日月曜9時半に法隆寺とのこと、う〜んその日は私は9時15分には家を出てちょっと遠目の近鉄最寄り駅に自転車で行く予定の日。時間的にぎりぎりですが、だめもとでまたもや法隆寺門前を通って出勤することにします。
 
 甥っ子は私服ということで、、、と門前をきょろきょろしてると、いました!私服中学生の集団、それはそれで目立ちます。

 そんでその集団の先頭近くの先生に「世田谷の中学ではありませんか?」とお伺いを立てると「そうです」というので「こちらにすんでいるYのおばでございます。」というと「あ、そうですかそうですか。Yは後続の組ですからもうちょっとあとに来ます」と教えてくれました。そんでしばし待つといた〜!これはさすがに毎年正月に会ってるので、すぐ分かりました。手を振ると「まじかよ」って顔をします。怪しくないように引率の先生にも「こちらに住んでいるYの叔母です」というと「そうですか!おい!Y、ちゃんとご挨拶しろ!」とこう準保護者待遇をうけ、Y君はここまででもっとも迷惑そうにコンニチワと頭を下げました。

 でも、兄からのお知らせによるとY君は割りとうれしそうに「いろんな先生に叔母さんに会えたか?って聞かれちゃったよ。」と報告したそうです。

 ちょっと不審で迷惑だったかもしれないけど、おばちゃんは君たちに会えてすごくすご〜くうれしかったよ。
こういうのなんていうの?あ、これだ

「ふるさとの訛りなつかし、停車場の人ごみの中にそを聴きに行く」

だ。




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GW総括 分担制行楽の勧め - 2012年05月06日(日)

 はい、ゴールデンウィーク終わっちゃいましたねえええ。

 今年のGW、私は大型原稿の最終段階を迎えていたので(というか非常勤びっちり過ぎてここを逃すともう原稿開く時間がなかったので)ものすご〜く仕事したかったのですが、しかし子ども旬の時代のおKさんと遊びたいし遊ばせたい!
 何でこう子育て旬の時代と仕事の忙しい時期って重なるのか謎ですが、若くてぴちぴちのアラフォー(もうすぐアラフィフへの分水嶺)なので仕方ない、しかしご近所やクラスの友だちママと子ども業務を分担することで、下記のように結構充実して過ごせました。

4月28日 おKさんおクラスの友だちお母さんが朝からお絵かき教室に連れて行って、夕方まで預かってくれる(私は原稿書き。このお絵かき教室は月2回で日ごろからこの友だちお母さんとかわりばんこ分担で連れて行って、その日は夕方まで預かってます。)。

4月29日 宇陀アニマルパークに近所のRちゃん(6年生)Mちゃん(5年生)とおKさんの3人を連れて行く!楽しかった!(写真参照)

4月30日 Rちゃんちが買い物に行くのにおKちゃんを連れて行ってくれる。(私午後は原稿書き)

5月3日 昼過ぎからRちゃんとMちゃんがKを連れて近所の公園に行って夕方まで帰ってこない。(私は午後原稿書き)

5月4日 朝からRちゃん一家がおKさんを連れて赤目の滝に行ってくれる。
(私は1日原稿書き)

5月5日 昼からクッキーをうちで焼くのでRちゃんとMちゃんを呼んでクッキー作り(私はクッキーつくりをちょっと楽しんだけど、あとは子供どうしで遊びたいので、割と原稿書き、この日送信)

5月6日 MちゃんとRちゃんと1日遊んで帰ってこない。(私は1日授業準備)

とまあ実質私が子どもと遊んだのは4月28日の宇陀アニマルパークと5月5日のクッキーつくりだけなんですが、なんか子どもコミュニティやRちゃん一家やお絵かき教室の仲間とうまく分担しておKさんのゴールデンウィークはそれなりに充実し、私もあめでおさんも煮詰まってた原稿や授業準備がそれなりにこなせました。

 記述にない1号さんは5月3、4日のバトミントンの大会のために完璧に家から姿を消し5日と6日は友だちの家に泊まりに行って、映画行ったりショッピング行ったりしてたので顔を見ませんでした。は〜一緒に子どもが遊んでくれる子育て旬の時期が終わってる〜>中学生。

 おKちゃんの子育て旬の時代も秒読みで終わりそうだからちゃんと遊んで、記録とっておこう!

 ということで4月28日の宇陀アニマルパークの写真が下記。乗馬も牛の乳搾りも全部無料!奈良きゃらパレードも非常に濃かったです。 














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ベルリン1919 - 2012年05月05日(土)

 あ〜読み終わりました。ベルリン3部作の最後にとっておいた第1作。

 いろいろと26年後までこの登場人物たちがどうなってるか知ってるので、なんか意味もなく涙がこみ上げてくる場面がたくさんありました。幼いヘレとマルタとハンスが仲良く(時にはあんまり仲良くなく、でも平和に)留守番している姿にはその後の3人の前に用意されていた運命の過酷さを思うと何度でもどこででも泣けました。また共産主義への期待(ロシア革命の2年後ですよ!1919って)と渇望に彼らは26年後どういう形で報いられるかとか。ハイナーはなぜ1933でも1945でも独身でさすらうのか、その伏線となる悲しい恋(になるかもしれなかった)の話とか。

 でも共産党と社会民主党の1933での確執の根の深さが非常にわかりました。そして1933、ひいては1945への悲劇はこんなに早く種がまかれていたのだと。

 共産系の勢力が勝ち取った1918年末の皇帝追放ののち、ブルジョア層を基盤にした社会民主勢力の政権への流れがつくられます。社会民主党系の政府と共産党系のスパルタクス団の間で起こった弾圧(社会民主党政府から共産党勢力への)と、武装蜂起(スパルタクス団から政府への)という流血を伴う時代の動きをゲープハルト家の長男少年ヘレの眼を通して描かれます。

 それにしても、共産党支持の大規模デモの割とすぐあと、社会民主党系のスローガン「平安と秩序」を叫ぶ人々の群れの間を歩く、まだ若いヘレの父ルディのつぶやいた言葉がまたもや戦慄でした。

「世の中には3種類の人間がいるんだ。ひとつはおもしろければそれでいいという連中だ。彼らは一緒に行進しいざとなれば人も殺す。だがこういう連中は少数だ。二つ目のグループはもう少し数が多い。何が起こっているか理解していない連中さ。殺人者の本性を見抜けず、喝采を送る人たちだ。だがこのグループも数はそんなに多くない。一番多いのが第3グループだ。いわゆるイエスマンだよ。何がおきてるのかちゃんとわかっているのに、わが身大事で口をつぐむ連中だ。この連中が一番厄介なんだ」

 そしてルディはこのあとのナチスの時代、口をつぐまず強制収容所に送られたヘレに代わりヘレの娘を育てることになるのだけれど、そのときまさに第3の道を選ばざるを得ない状況になるわけなのですが。

 で、とんでもない地方政治家が続々登場してとんでもない地方条例が次々提案されてる現代なわけですが、「シンパ」、「わかってない人」、そして「わかっていながらその状況を許してしまってる多数派」ってのは確かに存在するな〜と思います。わかってても、選べるオールタナティブってのは確かに限定されてるけど、でも幸い、まだわたしたちは収容所に送られたりはしないんだから、へんなことにはヘンって言おう。いろんなチャンネルで。


 


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