クリスマスの顛末2012 - 2011年12月24日(土) はいはい今年も<サンタ>をキーワードに親と子がだましだまされるクリスマス、皆様いかがお過ごしでございましょうか。 今年は1号さん@既にだまされない人生に突入、はコテ(髪の毛を加工するドライヤーの変形したもの)を所望され、そんでまだまだサンタ旬の時代を生きているおKさんからは「おKちゃんにだけ見える妖精」というこれまでの彼女の人生で最高難易度の要望がサンタであるところの親にもたらされたのでございます。 ツイッタやミクシのほうでさんざん板友の皆さまにご助言戴きました。 1)箱だけ贈ってそこに妖精が居ると強弁を続ける。 2)妖精を作る錬金術用具を贈る。 3)「妖精をプレゼントするのは、妖精身売買に当たるからダメ」あるいは「基本的妖精権侵害にあたる」と語る。 4)「ナマモノはだめ、寺の結界があって宗教的土壌として妖精が生き延びられない」と語る 5)小人のかいかたの本。 6)妖精の人形、ティンかーベル人形 7)「フラワー・フェアリーズのお話」というしかけ絵本 そしてあめでおからは 8)クリオネ買ってペットボトルにいれて冷蔵庫で飼う なんて案も出ました。さあそんな案はもういいからドレが実現可能なの!ってことであめでおさんと二人で22日、梅田の東急ハンズやらヨドバシのおもちゃ売り場を彷徨った挙句「初めてのシルバニアファミリー」が2600円で売られていたので、コレにしました。 シルバニアファミリーはコレまで高価なので我が家は手を出していなかったんですが、家具と人形一体と家がついて3000円以下の価格設定だったので買いました。で比較的安いとはいえシルバニア、家具とか調理セットとかがかなり細かいつくりになってます。 んで、妖精ならぬシルバニアファミリーをうけとったおKさんが遊び始めると「これならアリエッティがお道具を借りに来るんじゃない?それを狙えって事かな?」と耳元でささやきます。 「アリエッティはうちには居ないんじゃない?」 とさすがにころっとはだまされませんでしたが、まあいちおう1)案にそったプレゼントであるというサンタの意図を伝えておきました。 もしかしたらサンタの苦悩はコレが最後になるかもしれません。でもまあ秘密が露見し、サンタ最後の日を迎えるまではぜひ、だましだまされしたいのでございます。今年も親のファンタジーに付き合ってくれてありがとよ>こどもたち。 追記)4)を加筆しました。 ... 国境を越える音楽とケーキ鍋新展開 - 2011年12月23日(金) この日は町内在住の友人ご一家と、DVDベンダビヒリ-もう一つのキンシャサの奇跡-を鑑賞しつつ、郷土史を語る会を催しました。 ベンダビヒリ、の鑑賞会は見聴きなれぬ言葉や音楽に飽きちゃったおkさんと同学年のエムちゃんをなだめながらの鑑賞でしたが、弾むようなリンガラミュージックが全編を流れ、カオスだけど活力のあるキンシャサの街の風景にかなり熱くなってみました(わたし的にはロジェの故郷へのたびの汽車の風景が一番ツボでした。あの沿線のアフリカルーラルな雰囲気が20年前の赴任地メルーに一番オーバーラップしたので。) ベンダビヒリ(リンガラ語で外側を剥ぎ取れ=内面を見よ)の音楽は底抜けに明るいリンガラミュージックの旋律を基調にしながら、そのコンゴのストリートを生きる彼らが歌う現実が国境も文化の壁も越えてズガンと伝わってくる「伝える力」(私のテーマ的にはこれを<媒介力>、と呼びだい)を持つ歌詞に魂を持っていかれました。 ううう屈強のコンゴ魂とともに私もDVD買っちゃいそうですよ。 その後、郷土史を熱く語る会で、あめでおさんはいつものようにかぶりつきでそちら方面の専門のお客人の話をに聞き入り、最後にお客人が持ってきてくれたホールケーキを「ケーキ鍋」にして食べました。 ファミリーメンバー以外の人も混ぜてケーキ鍋するのははじめてで我が家のケーキ鍋の歴史が新局面を迎えたと申し上げてよろしいでしょう。ケーキ鍋は個人の食力が露見する場ですが、お客人@奥さんのほうは食力が弱かったです。鍋だと食い負けるタイプとお見受けしました。食力を鍛えてぜひまたケーキ鍋しましょう〜 そういうわけでこれが我が家の忘年会というか、年末のお楽しみ行事でした。また何か口実こじつけて集いたいものでございます。 ... 冬に最も危険なことはなんだ - 2011年12月22日(木) 部活の朝連に参加した1号さん@中2。活動後のミーティングでコーチが部員全員に聞く。 「冬にもっとも危険なことはなんだ?」 まず1年生が指名され「わかりません」と答える。 はて?と1号さんは『冬の危険、、、』と考えていたところ「1号!」といきなり指名される。 「凍死ですか?」 と素直にそのとき心に映った考えを表明してみた。 一瞬場が凍った後、コーチの先生は言った。 「今の発言は忘れよう。運動部として危険なことはなんだ?」 「、、、、怪我ですか、、」 まあ、、その流れだと、、、正解は「怪我」だったようです。 この話私はすごくウケたんですが、他の家族メンバーにしてみても、おKちゃんは「凍死」の意味がわからず、山岳部出身あめでおさんは「凍死で正解じゃ!」と譲らないのでした。 ... カーネーション途中経過‐あの頃私がついた嘘 - 2011年12月12日(月) さて、朝の連続テレビ小説のカーネーションが好評のようである(でも私は油断しないぞ、最終回で平手打ち食らわせてくれた<ちりとてちん>の例もあるし)。 とにかくNHKの朝の連ドラでは様々なヒロインが宇宙飛行士だったり、落語家だったり、将棋さし、だったりいろいろな職業に挑戦するんだが、若くて周縁部を華やかしてる分には面白いのだがラスト近くでなんでそうなるの!って感じで仕事を降りたり、あるいは母親を降りたり「いや〜もうちょっと子育てと仕事の両立ってみんな普通にしてるから」という突込みで心が張り裂けそうになる展開が多かった。 女の中高年期以降ってのはあんまり絵になるリアルなロールモデルってのが描きにくいんだな。成功するにしろ失敗するにしろ。 そんな中で自営業系の実在の女性をモデルにした作品群は絵になるリアルな中高年期、そして息をするように仕事と家庭を両立させるヒロイン像が描けていたと思う。おしん、あぐり、そして、いもたこなんきんとか。 カーネーションはそっち系の系譜の作品らしいし、これから始まるあの実在のヒロインの3人の娘達の人生をちょっと考えてみるだけでもなんかすごそうだし、今回は見てみようかな?最後に平手打ち食ったりしないんではないか?と期待が持てたので今日、やっと見てみた。(具体的には先週の夫の出征と同時に露見する浮気がすごかったという評判とあと預けるのが難しいほど大変な子どもの描き方がリアル、と大変な子どもを持つ働く母同盟から通報がありましたので) そんで今日は父親小林薫のやけど、おばあちゃん(ボケた?)、いまいち使えん母を叱り飛ばしながら、出産ぎりぎりまで仕事をするヒロインが産まれて来た子に「こんな日に産まれてきてくれてありがとう」という場面だった。 その場面を見ながら私にはちょっとフラッシュバックする記憶があった。私は二人目の子どもを生む前、NGO職員という産前休暇がまともに取れないような仕事をしてた。そんで法律的にどうよ?と思いながらも臨月まで仕事をしてたんである。 例えばラオスの小学校建築のために外務省から受けた補助金600万円分の収支報告書を作っていた。それはラオスキップ(ラオスの通貨はキップです)を円換算して10銭とか10円25銭相当の領収書をかき集めて600万円に持っていく作業だったのだが、もう全然終わらなくて家で夜中の3時頃まで領収書を計算していたら、夫、あめでおさんが起きてきて「あんさんに妊娠中の母体についてのお考えをお伺いしたい」とマジに詰問されたりしたのもあの頃だ。 そのほか自分が主担当をしてた業務を2つも3つも同時進行させ、引継ぎマニュアルを作成するなどしていたがとにかく、全然仕事が終わらない。それなのにどんどん出産予定日が近づいてくる毎日にき〜っとなってた。 ちょうどそんなとき、実家の父が脳梗塞で倒れた。脳梗塞で倒れながら、退院してゴルフに行くと言って、父を心配して心臓がバクバクしてた母と喧嘩しちゃったりしたので、わたしは職場を抜け出して二人の様子を見舞いに行った。でも二人ともさくっと仲直りしていて「忙しいのに、そんで妊娠中なのに、わざわざ来させちゃって悪かったね、早く家に帰りなさい」というので、数分だけ病院に滞在してとっとと帰ることにした。病院を出たところで、あめでおさんに電話すると、 「あんさんも心配だろうし、ご両親に優しくしておあげ、今日は遅くなってもええで」と言われた。 そこで私はとっさに嘘をついた。 「じゃあお母さんの愚痴を聞いてあげたいので、一緒に食事していくから、長女1号をよろしくね」 そして私は踵を返し、家とも病院とも違う方向の職場に向かった。そして夜中まで残業して引継ぎマニュアルを完成させた。 あの文化祭の前日のようなワーカーホリックな日々から遠く離れてあの日々はなんだったのだろう、と時々思う。職場に、社会に居場所を失いそうでがくがくしながら、必要とされている実感がほしくて、そして忙しい自分が必要だと言ってもらえているようなのがうれしくて、とにかく祭りを演じていたのだ。確かに狂うほどに忙しかったけど、間違いなくあの時私はあちらこちらから必要とされる自分を確認して喜んでいた。 糸子ちゃんもなんだか物凄い大変そうだけど、きっと仕事も親姉妹も子どももみんなが自分を必要としてくれることによって自分の存在を確認して喜んでるんだろうな、と思いながら今日のカーネーションを見た。 子育てだの仕事だの家庭の不幸だの、重なったときと言うのは大変ではあるが、紛れもなく、陶酔の瞬間でもある、という場面にリアルさを感じつつ、また時々見ようと思った〉カーネーション。 追記、ちなみにこの祭りの陶酔ってのはいろんな方向から必要とされるってところがポイント。一方向からだけ必要とされると、なんだか盛り上がらないの。 追記2、でも現実的にキャリアの途絶を防ぐためにはその多様な「求め」を如何に分散させるかって課題だな〜。陶酔している場合でなくて。時期的分散、人的分散、あとどんな分散があるかな? ... 誰が踏み絵を用意しているのか - 2011年12月11日(日) いまどきの就職活動を象徴する黒いリクルートファッション1色の若者を撮影したこんな画像とかこんな画像とかがツイッタ上で流れてる。 で、画像のコメントとして、日本には天才は生まれないとか、革命は難しいとか、したり顔のコメントがついちゃうわけだけど。 ところで、誰が、この就活という場で「画一化」されたファッションを着るように若者達に推奨してるのかな〜と思ってミクシで意見を募ってみた。すると、どうもリクルート情報を学生や企業に向けて発している情報会社とそことやりとりのある大学の就職担当あたりが「黒のリクルートスーツ着用」というコードを発信してるんでない?という意見が集まった。 んで、実際、「就職活動」という営みの買い手に当たる、企業の採用担当者に聞いてみてくれたマイミクさんによると 「洋服は特にナニ色着てきてもいい、そこで評価しない」 ということでした。 新卒就活生の皆さん、ぜひ、紺でも灰色でもクリーム色でも、水色でも自分に似合う色の服を着て就活してみてはどうだろう?なんか就職活動の際、服装からして「自分を殺してあなた好みの黒子になります」って意思表示つうか過剰適応になってるのは、とにかく、ちょっとコワイ。 ちなみに私自身の経験で言うとこの日記にも書いたけど誰もそこは見てなかったようで、とりあえず持ってる服で今までの就職試験は潜り抜けてきたよ。 (ちなみにこの就職活動に関しては私は経験が希薄と言うか、いや濃厚なんだけど偏ってるので、新事実とか追加情報とかあったら掲示板のほうまで通報して頂戴→こちら) ...
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