西方見聞録...マルコ

 

 

私の知らない地下の出来事 - 2012年01月24日(火)

 この日なぜかはいえませんが(いや単なるPTA講習会です)、私は亀の瀬の地すべり対策資料室にいきました。

 亀の瀬とは奈良と大阪の県境にある峡谷で、そこは大規模地すべりの頻発地です。大きな記録に残ってるだけでも昭和6~7年と42年に地滑りが起こり、昭和6,7年のときは大和川がせき止められ、奈良側に土砂ダムが出来、農地が崩壊し、国鉄の線路&トンネルがお釈迦になりました。そんでその地滑りが起こらないようにここでは大規模な工事が昭和35年から続けられていて、まあ終わらない工事が延々と続いていました。そんでなんでこんなに工事が終わらないのか地元の人々に説明責任を果たすため、ここでは資料室を無料公開して、工事内容を説明して、いろんな現場を見せてくれちゃうのでした(要予約)。
 
 で、まず、ちょっとした講習を受けたあと、




 ちょっとすごい、アニメを見ました。
 そのアニメとは、亀の瀬の近くに住んでる兄妹が亀(実は宇宙人)を助け、そんで竜宮城(@宇宙)に連れて行ってもらうことになります。途中上空から亀の瀬の工事現場を見て「なにをしてるの?」と亀に聞くと、亀の瀬の地すべり(昭和6年~7年、42年)の話と、主な対策(①地すべり面の上の土を除く、②地すべり面に溜まる地下水を抜く、③直径6メートル長さ100メートルの巨大くいを何十本も打ち込む)を教えてもらいます。そんでその後、竜宮城で楽しく時を過ごし亀の瀬に帰ってこようとすると宇宙嵐に巻き込まれ、兄のほうが時空のはてに飛ばされ昭和6年の地すべり現場に行きます。そこで彼は亀から聞いた地すべり対策を人々に話し地すべり対策に尽力する生涯を送ります。
 現代に戻った妹は「お兄ちゃんにはもう会えないのかしら」と亀の瀬の川原で行っつぶやいていると、80歳とか90歳になった兄が現れ久しぶりに再会します。そして竜宮城でもらった玉手箱を開けると老人の兄は元の少年に戻ってめでたしめでたしというアニメです。80年だか90年だかの兄の地すべり対策の生涯はどうなったのか?孫でもいるんちゃうか?とまあ突っ込みどころは満載ですが、子どもでも亀の瀬の危険性とどんな工事をしているかまあわかるようなつくりのアニメになっていました。



 そんで地下の資料室でどうしてこの工事が必要なのか。どういうものが工事に使われているのか、昭和6,7年の地すべり被害はどんなものだったのかいろいろ説明してくれます。






 そして外に出て、対策工事の、②地すべり面に溜まる地下水を抜く、のための排水トンネルに行き、



 地下深く張り巡らされた排水トンネルに入らせてくれちゃうのでした!
 これ結構おくまで見せてくれてすごくおもしろかったです。



 現在は不可能ですが地下深く埋まってる国鉄のトンネルあともそのうち見学用に公開する予定もあるとか。

 大規模工事自体は23年3月完了し、今後は大阪府や柏原に払い下げられるそうです。今後ここがどのような活用をされていくのか、まだ議論中だそうですが、地すべりと治水の歴史を人々に語る施設になったらすごく面白いなと思ってみました。

 国家予算の使われ方講座としても、非常に興味深いかも。

関連HP→http://www.kkr.mlit.go.jp/yamato/outline/landslide/index.html


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冬の日 - 2012年01月14日(土)

 おKちゃんとおKちゃんの友達がなんだか家の庭でごそごそして、、







 ↓こ~んなダンボールハウス、、いやいや秘密基地を作りました。









 とっても寒かったので、お米買ったときおまけでついてきた小豆を煮てぜんざい作って食べました。






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火を見て喜ぶのはだれか - 2012年01月07日(土)

 さて、前回の日記でヘイトスピーチの最近の盛り上がりの背景としての<絆>を求める社会の不安について書きましたが、ちょっとだけフォーカスをはずして日韓関係の今日的意義についてちょっとだけ考えてみようかな、とおもいました。

 年明けの講義で地域統合論のお題でアジアの経済共同体つくりの歴史的展開について講義したので(いや分野違いなんですけど、多文化な状況が生み出される前提としての人の国際移動がどうして起こるのか、今後どういう動きが予想されるのか話したのですな)ちょっとそこから思ったことを。

 東アジアで自由貿易圏(そこから経済共同体とか共通通貨圏とか様々なプランが展開しうるわけですが)を作るというのは自民党時代から延々と行われてきた作業でこれについては自由化できる国と出来る分野でこんなかんじで話し合いが続いて、人・モノ・サービスの往来の自由化が続々と行われています。

 東アジア地域の自由貿易圏つくりは<APT=アセアン10カ国と日中韓(これをアセアンプラス3、APTと呼びます)を軸とした動き>と、<アメリカがそこに如何に関与するかという動き>の2つの軸の間を揺れ続けてきました。まあ具体的にはこんな感じ 

*1990年のマハティールの呼びかけ(EAEG東アジア経済グループとかEAEC東アジア経済協議体)
*1995年末の橋龍のアセアン歴訪時の「アセアンプラス1の自由貿易圏の提唱」
*1997年のアジア通貨危機の折に実体化していったアセアンプラス3経済協力体制(通貨スワップ協定とか東アジアビジョングループの設定)
*東アジアサミットの定例化と域内における貿易の自由化実現を目指したタイムスケジュールつくり
*アメリカの意向を受けた日本のAPTT提案(アセアンプラス3プラス3、アセアン10カ国と日中韓にさらにオーストラリアとニュージーランドを加えた16カ国の枠組みつくり)
*鳩山政権の東アジア共同体(APTもしくはAPTTでの)提唱
*菅・野田政権による環太平洋枠での自由貿易圏TPP参加検討

 おそらく既に実体を持っているAPTを核にした自由貿易圏への参加を進めるにしろ、激しく揺り返して来たアメリカ関与枠=TPPに参加するにしろ、(白石隆さんは朝日新聞の今年1月5日のオピニオンで多分両方に参加することになるんじゃないかと予測していましたな)止まらないグローバリズムのインパクトからプラス面を引き出すためにはこれからの各国は物凄い交渉力が必要になってきます。

 日本がこういう自由貿易圏に関わる枠組みつくりのテーブルで有利な交渉をしようと思ったらーつまり俗に言えば自由貿易圏の中で「国益」を守ろうと思ったら、国の大きさや人口、抱えている問題(高齢化とか農村過疎化とか)が非常に似ている韓国と協調して声を合わせるのが大事になってくるんでないでしょうか?

 まあね、正月早々、「排外主義的言説の盛り上がりはCIAの陰謀だ!」とかは言わないけど、でも、日本の国益に反する行為として「排外主義的言説が存在している」ということは認識しておいたほうがいいと思います。

 昔から、排外主義者ってのはナショナリストとは異なるって議論はあったよね。


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燃える野火 - 2012年01月06日(金)

 さて、マツコデラックスのテレビ番組でのKPOPをめぐる排外主義的な発言(=「出てけ!嫌だったら出てけ!受け入れてやってんだよ」)がネット上で取り上げられています。まず私のツイッターのTL上はその排外主義的スタンスの物言いへの批判という形のコトバが流れました。何があったのか、と「マツコ」で検索をかけてみると「マツコ、よく言った!正論である」という排外主義的な発言への肯定言説がだだ流れしていました。

 で、当のテレビ番組はどういうスタンスのどういう番組か、と検索してみると1月17日の放送の番宣ということでまだ放送自体が行われていないようです。

 なんと言うか炎上マーケティングも極まれりという感じ。

 (炎上マーケットってコトバもすごいけど炎をつけたり笑って傍観している人は何らかの利益を得るのかもしれないが、そこに燃やされて、痛くて怖くて傷を残している人がいることを考えるとものすごく怖くて長期的にマイナスの大きい商法ですね。)

 この番組自体がまだ放映されていないので、そこへの論評は避けます。それにしてもこう対韓国とそこに繋がる人・文化へのヘイトに満ちたネット言説はなぜもこんなにもあふれているのでしょう。そこで新年早々「韓国へのヘイト」という問題の背景についてちょっと書き留めておこうと思います。

「日本を一つに」の<絆>構築のために選ばれた他者

 まあ国内が不安定になるとわかりやすい他者を排撃することで叩いてるもの同士の絆を確認しようとする。その絆生産のための排外主義的言説って言うのはあるでしょうね。イシハラ氏が震災直後の都知事選に勝利してすぐに口にした「パチンコ産業への攻撃」なんかもすごくわかりやすかったですが、冬休みの読書でうちのおKちゃんがよんでた「トパーズの日記―日系アメリカ人強制収容所の子どもたち」に出てきた第2次世界大戦中の日系人も、戦争遂行のアメリカ国内団結ために選ばれた他者だったのでしょうね。ドイツ系移民やイタリア系移民ではなくて日系移民が選ばれたのは可視化しやすくてわかりやすい他者だったからでしょうか。

 日本は震災以降の不安定感の中で確かに絆を必要としていました。でも他者を作り出して叩くことでしか機能しないのは「絆」でなくて「枠」ではないでしょうか。ほっておくとぼろぼろと崩れる粘土のような主体だから枠(幻想の他者)を構築して中身を形作ろうとする。

 本当の絆とは特定のヒトとの間の呪いのような宿命的なものではなく、また同質的なものを固めておく枠でもなくて、異質な人々を含む多様な人との間で、必要に応じて、結んではほどけていく結び目ーノットワーキングーであったほうが、なんか風通しが良くて多くの人が参加できて使い勝手がよさそうに感じています。 

 他者を排撃することでヘンな枠を作って粘土を固めたような絆で私を束ねないで。私は誰とでも結べるノット(結び目)をあっちこっち、たくさんこしらえながら生きて行きたいと思います。


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忍者とコロッケと私 - 2012年01月04日(水)

 さて、正月休みもあとちょっと。5日からはあめでおさんの新学期が6日からは私の新学期が始まってしまうので、この日はあめでおさんの在所の伊賀上野に、おKさんとあめでおさんと私の3名で参上いたしました。(1号さんはお友だちとQ'sモールですよ)

 電車を乗り継いでまいります。途中月ヶ瀬とか笠置とか車窓観光も大変すばらしかったです。




 さて、到着した伊賀上野はちょっと知る人ぞ知る多文化シティになっていて、日系ブラジル人の方々のお店とか、面白げなNPOの看板なんかもありました。このまちでは三重大が調査してるんだろうな~。私がここで多文化関連の調査しようと思ったら、やっぱり仁義切らねばならんのだろうか?先住調査者に?




 そんでまず、お昼ご飯を食べるところを探します。正月4日だとあんまりやってません。お、ここはやってる、、ここはその昔新婚旅行の途上に伊賀上野に立ち寄ったときあめでおさんのご親戚が案内してくれたこだわりの洋食屋さん<ストーク>です。あじは絶品ですが、少し値段設定が高めなので子連れには不向きということで、今回は断念。今度あめでおさんと二人で来るとき、あるいは子どもが大きくなって美味がわかるお年頃になったら来ようと思います。

 で、私たちは焼肉屋さんの昌苑さんで冷麺とかホルモン定食とかを食べました。この昌苑さんは、伊賀牛使用ということで立派なお値段のメニューもありましたが、子連れに優しい価格のメニューもあって幅広い層が利用できると思いました。あと接客のお姐さんが大変よい方でした。こちらもお勧めです。



 で、伊賀上野は忍者の町。いたるところにこういう顔をはめ込める看板があり、町のあちこちで忍者装束を貸してくれて、忍者の姿でうろうろしている観光客も居ます。(うちは、、ちょっとそういうのが旬な季節が過ぎつつあるようで、今回は遠慮しました)




 そんで食後、伊賀焼きのお茶碗を購入したり、コロッケの西澤の絶品コロッケを夕食用に購入し、あと漬物の宮崎屋で伊賀名物「ひのな」を購入しました。

 まあ、あめでおさんのソウルフードの大量購入という感じでしょうかね。あめでお祖母(故人)の家とか、実家跡地とかあともしかしたら将来マルコが眠るかもしれないお墓とかがある伊賀上野、でも私自身の来訪は4度目?良い町ですが、私としてはまだちょっとアウェー感のある街ですな。
 




 そんでやっぱこの町に来たら、これははずせません!NINJA!関連施設。忍者資料館、忍者屋敷、そして!






 この忍者実演ショーですよ。 今回も外国からお客さんも来てて大盛り上がり、よくこんな電車乗り継ぎが難しい場所に来るな~みんな。
 忍者集団の阿修羅さんのHPをみるとなんと新人忍者が募集されています。資格は22歳以下で器械体操が出来ること!
 そういえばおKさんは実は地元の体操クラブに昨年5月半ばから参加していて、7月の時点でウルトラクラスという選抜チームに抜擢されているという体操の鬼なのでした。おKさん22歳以下で器械体操経験者という新人忍者資格クリアです。やってみっか?

 で、写真のくのいちさんは前回来たときはいらっしゃらなかった方ですが、東京女子体育大学卒の体操専攻だった未央さんだそうです。かいらしかったです。

 おKちゃんすっかりその気で帰宅後は忍者修行に励むのでした。


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今年最初のお出かけ - 2012年01月03日(火)

 今日はとても大事な友達の夫だったりお父さんだったりする人のお通夜でした。

 お友達のご家族は、お正月のおめでとうの声が雨のように降り注ぐなか、どんな風にこの数日をやり過ごしたのか。

 年賀状出しちゃって、それからすごい大変なとき、おKさんの担任の住所教えて、ってメール出しちゃって、とても申し訳なかった。

 お正月がめでたい、多数派になれないひとのことを心のどこかにとどめながら今年は生きて行こうと思う。

 うん、「平常心」でいこう、と思う。


 今年もよろしくおねがいします。




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