西方見聞録...マルコ

 

 

我家的創世神話 - 2011年11月27日(日)

 皆さま「神話」と聞くと何を想像しますか?
 うちでは適当な与太話のことを「それは神話やな」と、こう「嘘やろう〜」みたいな感じで使います。まあ、天孫降臨とか、きっと大陸から支配者層がわたってきたのをファンタジックに語ったのね、みたいな感じですか?

 さて、当日記にも書きましたが、昨夕はあめでおさんがPTAの飲み会に出席して、夕方6時から午前0時まで楽しく6時間トークをPTAのお母様やら先生方とかましてきたのでございます。

 そこでなんだかみんなでご夫婦の馴れ初めを語る場があったそうなんですわ。粛々と「うちはお見合いです」などと語られる中「もっと面白い話が聞きたい!」と思ったあめでおさんは、自分の妻〈つまりマルコ)との馴れ初めを聞かれて、あのいつもどおりの深い静かな声で

「コレは1つの神話としてお聞き願いたいのですが、我が家の創世神話は中学生の私に大学生のおかあちゃんが家庭教師にやってきて、我が家が誕生したということになっております」 

 と、大法螺をぶっこいたのでございます。(いっときますが、私はあめでおさんとは修士課程のときの同級生で、年の差はございません)

 すると、飲み会の場は一瞬しんとしたものの、「あ、でも15歳のときの18歳なら不自然じゃないか」と皆さんが気を取り直したので、あめでおさんは「13歳のときの18歳ということでお願いします」とさらに嘘を重ね、会場は「あめでおさんっていくつ43?ってことはあの奥さん48?」という不穏な空気が流れたそうです。そこで「でもまあご安心ください、神話ですから」と、あめでおさん的には「うそだよ」と告白したつもりだったらしいのですが、その神話=嘘という用法はあまり世間に普及しておりません。
 帰るとき、男性のおっさん先生から「コレからあめでおさんのことを師匠とお呼びします」と言われて「あれ?この人本気にしとる」と思ったらしいのですが面白いからそのままにしといたそうです。

 、、、、皆さん、マルコはあめでおさんと同じ年であり、家庭教師先の少年を篭絡したなどという過去はございません。信じてくれ!


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ある晩秋 - 2011年11月26日(土)

 何の変哲もない秋の週末。1号さんは期末テスト前でお家であめでおさんとてんぱって居られるので、家に居場所のないおKちゃんと私はおKちゃんの友達と奈良で「お絵かき教室」に参加したあと、近所の龍田公園でやってる「紅葉祭り」に参りました。




 紅葉はまだ爆発前ですね。今年はちょっと遅いです。



 
 そんで降るような柿の木の下を通り、法隆寺をお参りして、オレンジの庭さんの敷地内にある駄菓子屋で駄菓子買って、隣の児童公園でワシワシ食べて、おKさんとご友人のものすごい迫力ある二人漕ぎブランコを見たあと、ご友人と別れて家に帰りました。

 あめでおさんは煮込みハンバーグカレーという結構手間のかかる料理を作っており、それらを配膳して、どうぞ召し上がれ、と言ったあと、本人はPTA役員の飲み会に参加すべく、近所のファミリー居酒屋に出かけていかれました。

 なんかオフ会を前にしっかり居残り家族に夕食を用意する主婦のようでしたが、自分だけ楽しんできてゴメンね、というギルティ感を料理のおいしさに昇華させたなかなか堂々の夕食でした。

 ちなみにあめでおさんは職場の飲み会もほとんで出られない飲み会嫌いで有名な方ですが、本日のPTA役員忘年会は「物凄い血の絆で結ばれた仲間達との集いなのでどうしても出たい」、とずいぶん早い時期から申請があったので、マルコ鷹揚に許可。本日はマルコのほうでも某畑関西忘年会があり、そちらに参加したい野望もありましたが、1年間PTA役員をがんばってきたあめでおさんにごほうびの意味合いもかねて、オフ会〈ってか忘年会)出席の権利を譲ってあげたのでした。なんかたまの妻の息抜きを上から目線で許してやる理解のある夫を演じる気分ですが、まあ社交活動ってのは夫も妻も普通に参加して当然ですから、無理のない範囲で互いに社交活動の参加を支援したりされたりしていきたいものでございます。


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反抗期考 - 2011年11月25日(金)

 最近私の周囲では、中学生あたりからの反抗期子ども育児の壮絶さを語るのがちょぴっとはやっている。なんかみんなスゴイ大変という話はコレでもか!ってかんじで集まるのであるが、そういう場で「イヤうちの上娘は中2ですが、反抗もせずニコニコと機嫌よく過ごしています」なんてまちがってもいえない雰囲気である。

 1号さんの友人の間でもわが反抗の武勇伝語りが流行ってるそうで「きょうはお母さんに物投げつけて泣かしたった」「休日は部屋から絶対一歩も出ない」なんていう自慢話の中で、「最近、天井裏でイタチが騒ぐから、怖くて夜は両親と小学生の妹が寝ている寝室に舞い戻ってみんなで手をつないで寝ている」とはやっぱり口が裂けてもいえないらしい。

 でも反抗期スルーの子ってのはうちの娘に限らず、時々いる。

 話の種にしてもあんまり面白くないし、なんか自立が進んでないとか怒られそうなので、みんな割りと黙っているけど。

 で、周囲の話を総合してどんな場合子どもは反抗期スルーになるか考えてみた。

 1)エネルギッシュな子は反抗しやすく、その反対の子は割りと落ち着いている(Dちゃん案)←Dちゃんちの息子さんとか、うちの上娘が平穏な反抗期を過ごしているのはコレですな。下娘@マグマたぎたぎの人はこの法則を採用すると5年後くらいに家庭は修羅場を迎える予定。

 2)勉強にエネルギー傾けちゃってる子は反抗期しない(Rちゃん案)
←うん、本人もエネルギーを親とのバトルに裂いてらんないだろうし、親も子どもが激しく勉強してればそんなに文句ないだろうからコンフリクトの要因がかなり減るでしょうな

 3)親がアンタの人生は親のもんでなくてアンタのものと割り切ると比較的子どもはラク(ワテクシ案)←コレは我が家が兄貴が激しく反抗して啓蒙された親が私には割りと理解のある親であったことから推察しましたが、私の場合2)と4)もあわせ技であったかも。

 4)兄や姉の激しい反抗の姿を見てその消耗戦を実体験すると弟妹は学習して、その茨の道を避ける。(ワテクシ案)←まあ、コレも私の実感なんです、すみません。

 5)親以外に教師とかその他の抑圧的な存在をターゲットに抑圧の克服行動ができると、親に対しては闘争の必要性がなくなる(Nちゃん案)。←殴られ屋みたいな教師とか塾とかあったらぜひ利用したいです。

 どうっすかね?反抗期。出来れば楽して通りたい、反抗期のお子様の育児道ですな。もちろんあなた(こども)のために、そして私〈親)のためにね。
 


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屋根裏物語 - 2011年11月20日(日)

 さて、最近我が家ではツイッター上でこのようにつぶやきましたように、何ものか、動物達が屋根裏で争う音が夜な夜な聞こえてまいるようになりました。私はこの辺りによくいるイタチさんだろうと思っているのですがアライグマ説、トトロ説、さらにはおKさんの希望的観測により「ミニブタ説」なんてのも飛び交う始末で、1人で子ども部屋で寝てた中学生1号さんが階下の和室の雑魚寝部屋に出戻ってくるまでになりました。

 これは何とかせねばなるまいとあめでおさんがこの日雄雄しく屋根裏へ突入し、ネズミ捕りテープを屋根裏各所に仕掛けました。敵方に内通して、屋根裏にいる何者かを生け捕りにして飼いたいおKさんの「私が屋根裏に行って、まず友達になるから」という主張を押しのけての突入でした。(でもこの日はテープを仕掛けただけでこれといって具体的な収穫はありませんでした)

 で、母なるマルコも最近家庭内プレゼンスが落ちていると言うこともあり、なんかしなくちゃと思って、深夜の屋根裏の物音に子らがおびえなくてもいいようにと、図書館で
この本(誰も知らない小さな国、佐藤さとる著)と


この本(冒険者たち、斉藤惇夫著)



を借りてきて、子ども達に本気音読(久しぶり!)して見ました。
しかし、薮内正幸画伯の340−341のこのページの挿絵なんか見ちゃうと、屋根裏がさらに怖くなっちゃった我が家のメンバーなのでした。




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トロント便りー休日なのでエスニックタウンを歩いてみた - 2011年11月06日(日)


 はい、短いトロント滞在も後半戦です。本日は日曜日なので私どもが調査に訪れるようなポイントは軒並みお休みなので、わたしどももお休みを頂、1日町をぷらぷら歩いてみることにしました。

 トロントには中華街、ポルトガルタウン、キャベッジタウン(アイルランドタウン)、など区画ごとに移民街が出来ていて、そこにそれぞれの文化色の強いお店や宗教施設があるので、そこを中心に見て歩くことにしました。地球の歩き方にも、各エスニックタウンの見所が載っているのですよ。

 

 そんでストリートカー(市電)に乗って中華街を目指す途中、オンタリオ美術館が見えたので、いきなり途中下車して突入しました。25カナダドル(2000円)の入場料はちょっと高いと思いますが、メンバーになれば只。ワタクシがもしトロント移民する未来があれば、ぜひメンバーになりたいと思いました。
 中ではシャガールの特別展をやってました。20世紀はじめのロシアの芸術界で活躍した同時代の作家(シャガール、カンデンスキー、ナタリー・ゴンチャローワなど)の作品が多数展示され、第1次世界大戦とその後のロシア画壇の話が多く語られていました。トロントはウクライナ移民が多い町なので、こういう取り上げ方なのかな。日本でシャガール展をやったら、シャガールの人生を追うようにロシア時代もパリ時代もがんがん作品数を集めると思うのですが、オンタリオ美術館はロシア時代を区切って、作品数は多くないけど当時の彼に影響を与えたであろう、他の作家作品や時代背景の説明が多かったです。
 そのあと、カナダアートとアフリカアートの部屋に行きました。アフリカアートは日本の国立民族博物館のアフリカの部屋の勝ちですな。



 

 さて、そんでお昼は中華街で飲茶いただきました。
 最初おじさんが一人でお店を回していてお客さんもそんなにいなかったんですが、昼時になって、どんどんお客が増えてきたのにおじさんがオーダーとってひたすら一つ一つ料理を作るんですよ。お茶のおかわり、とか言う半端な要求にはちょっと待ってな、といって取り合ってくれない。そのうち店がいっぱいになって、オーダーも取ってもらえない客が出始めたころ、おばちゃんがコート脱ぎながら登場して「待たせて悪かったね、あんたたちはオーダーとってもらえたかい?」(中国語なので想像)店の客に声をかけながら奥に入っていき、白衣に着替えて獅子奮迅にオーダーを取り、お茶のおかわりをポットごと各テーブルに配り、ずっと待ってた客には「悪いことしたねーすぐに持ってくるからね」(想像)と慰撫し、店の秩序はあっという間に回復されました。
 しかしここのお店の経営者、夫婦共に英語がまったくできないようでした。中華街の中で繁盛する店を持ってしまったら、英語を勉強する暇も必要もなくなるのかなー。この近くだったらあそこで大人用ESLサービスが無料で受けられますよ、と前に教育委員会で教えてもらった情報をあげたくなってしまうのです。あなた方には必要なくても子どもの教育の場面ではもちろん中国語での働きかけが重要ですが英語もできたほうがいいですよ、って余計なお世話ですが。
 



 さて中華街の近くにあるケンジントンマーケットというノミの市に行きました。なんか、、チベットスタイルとか、アジア系のものや南米風のものや無国籍風のよくわからん商品がいっぱいありました。お洋服とか雑貨とかのお店が多かったです。写真はちょっと誤解されているジャパニーズスタイル。




 ケンジントンマーケット内の八百屋さん。このりんごは買っていって朝ごはんにしたんですが、むちゃくちゃおいしかったです。




 トマトもえばってるかんじでおいしかったです。このほか洋ナシも(この八百屋でなくて近所の八百屋でですが)朝ごはんにしてみました。皮付きの果物をピノキオは食べないとごねましたが、皮付きでがぶがぶ食べました。



 そして、日本では現在、放射の移行係数が高いと言うことで、食べるのが難しくなってるキノコ。おいしかったです。これはこの店ではかわずに、レストラン等に行ったときなど、なんかキノコが入ってる料理は積極的に注文してしまいましたよ。
 


 ここは「Sushi-level Fresh Fish」を売っているお店だそうです。、、そうですか。



これはケンジントンマーケットから少し歩いたところにある、ユダヤ系の住民のためのシナゴーグ。屋根の上にダビデの星が光ってます。 



 こちらはポルトガル・ビレッジにそびえていたカテドラル。工事中でしたがちょっと入ってみました。本日のミサは終了したあとでしたが、50代から70代の男性が15名ほどで賛美歌を練習中でした。お祭りの夜に町を歌いながら歩くと言うことでした。1人ソロを取る男性が朗々と歌ってくれましたが、それは美しいお声でした。神父様によると、昔はたくさんのポルトガル系移民がこのポルトガル・ビレッジにみんなで住んでたけど、とにかくトロント中心街(ダウンタウン)のこのあたりは地価が高いので、みんな郊外のほうに移って第2、第3ポルトガル・タウンを作ってるそうです。確かにポルトガル・ビレッジにはこの教会以外に「らしい」ランドマークはなかったかも。



 これはCNタワーという、高い塔です。トロントダウンタウンのどこからでも見えます。



 登って落日と夜景を見ました。夜景は日曜の夜ということでオフィス街は灯を落としていて、不夜城東京とはかなり違う雰囲気でした。あと町に緑が多くてあまりごみごみしていないのもわかりました。



 そんで夕食。
 トロントは人口の半分が移民1世で世界中から人々が集まってるのでレストランはむちゃくちゃ多彩でした。毎晩レバノン料理、イスラエル料理、タイ料理、イタリア料理、フランス料理と1000〜1500円くらいで大変おいしい世界の料理を食べさせていただきました。写真はフランス料理かな?中にゴートチーズが入ったチキンだったと思います。
 人口の多様性が増すとクリティカルシンキングが出来るようになる、文化学習が日常的になる、エクイティについての感性が鋭くなる、などの様々な利点が教育現場では語られていましたが、まあ一番わかりやすいメンバーの多様化の利点は食文化が豊かになるということだな〜と実感した夕餉でございました。


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トロント便りータクシードライバーかくかたりき - 2011年11月05日(土)

 ちょっと前からカナダのトロントに来てます。

 皆さんのおしゃべりになる英語がすごく早いです。

 印象に残った町の風景をご紹介。




 これはポストですな。大変カラフルで、何かポストと思えずに通り過ぎちゃいそうでした。




 ハロウィーンのかぼちゃが放置された家の庭先。スーパーとかにもハロウィングッズがありました。




 こちらはなんか町でデモってかキャンペーンしてた人々を激写。
 食品添加物は癌になるから着色料はやめようというキャンペーンでした。、、のどかなキャンペーンです。もう50年位前から欧米のキャンディの色はけば過ぎないかと、きっと世界から思われていたのではないでしょうか、、、。今ころ気付いたか、、。


 さて、いろいろと面白い目にあっていますが、一番すごいのは毎日利用するタクシーのおじさんたちの語りですな。

 最初に乗ったタクシーのおっちゃんは「日本からか?原子力発電所の事故の調子はどうだい?政府は本当のことは言わないと判断のしようがないだろう?」といきなり核心を衝かれました。

 次の日に乗ったタクシーのアフガニスタン難民ドライバーのおじさんは「自分の国以外では誰も家のようにはくつろげないさ、でも家族が難民申請したドイツよりはここのほうがずっと自由、そう自由だよ、うん。ファシストもうようよしてないし、警官も何も聞かない。うん。」と独白から自分の選択を肯定してましたな。

 次の日のインド移民のおじさんは「カナダ人は肉ばっかり食ってよくない。野菜食べなきゃいかん。しかしうちの子どもが、もうカナダナイズされて、肉ばかり食って」と、肉の事を語っていました。

 そんで今日乗ったタクシーのパキスタン人運転手は義理の弟が東京に住んでて阪神大震災のときは救援にも行ったとかですごい日本通で「何で原発事故やったってのに、原発の稼動を止めないんだ?え?企業が経済の失速を恐れてるって?経済なんて、生きててこそだろ?死んじまって何が経済発展だ。早く原発止めて代替エネルギーに切り替えな!」

と激しく熱弁振るわれました。

 みんな語るべきストーリーをもってるな〜

 明日のタクシー運転手は何を語ってくれるのでせうか。楽しみです。

 


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