西方見聞録...マルコ

 

 

ぢすかす報告 - 2010年03月26日(金)





 さてTSUTAYAがやってる宅配ビデオサービスDISCUSに加入して無料サービスが終了する1ヶ月目を迎えました。この1ヶ月に見た私の映画記録ざんす。

1)マンデラの看守
(白人視点、動かず。マンデラの描写が浅薄、もしくは表面的過ぎ。不満)

2)君のためなら千回でも
(日記にて既述、よかった、すごく。)

3)天安門・恋人たち
(ソレばっかりしてたらあかんで〜)

4)ブラッドダイヤモンド
(瞬間最大風速の映像をつないだ映画。サラエボの花だったら収容所の強姦シーンだけ、大量虐殺シーンだけつないでTHIS IS ユーゴとか言ってるかんじ。紛争ダイヤの問題はある。しかしこういう映像しか売れないという映画市場と、その市場を見越したアフリカの描かれ方に失望する。とくにアフリカ系主人公に対する個性的な欲求や選択の余地がまったく与えられていない描写にげんなり。アフリカ差別助長映画。)

5)ミルク
(少数派に寛容な社会実現のためには苦闘の歴史があって、いつでもひょいとゆれ戻しちゃうんだろうな、と思いながら見た。よかった。ある場面で泣いた。)

6)女工哀歌(エレジー)
(オーキットはジャスミンたちの中ではすごい素敵でかっこいいのに、彼氏の前では突然おどおどしちゃう。かっこよさって相対的なものなんだな。でもソレではすまない、ものすごい搾取の物語でもある。
ユニクロ工場の内部も是非見てみたい。フェアに製造された認証マークみたいの作ってフェアトレードジーンズとか、作れないだろうか。多少お値段張ってもそういうジーンズを買いたい。フェアトレード中国製品ってどうだろう?労働者の国だった時代は遠い>中国。本作は3部作の2部作目で、最終作インド編を是非みたい)

7)ブリジットジョーンズの日記
(家門の恥、とされる行為が19世紀と現代ではこんな風に違うのね、とおもしろかった。19世紀は妹の駆け落ち結婚が恥だったけど。現代では老齢の母が不倫して、その上不倫相手のテレフォンショッピング番組でアシスタントをするという派手なことをしないと恥にはならない、と言うあたりが寛容である>イギリス現代。ヒュー・グラントがおっさんになってた。モーリス見て、フォーウェディング見て本作だったので突然老けててびっくりした。が、わたしも、きっとそれくらい老けたのだろう。)

で、無料お試し期間が終わったし、少し忙しくなりそうなので、1月4枚1000円弱のコースに変更しました。


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旅の途中2−途中下車 - 2010年03月24日(水)



 さて、昨秋に所属していた大学院を修了してしまい、研究室がなくなっちゃったので、研究室の本棚にあった行く当てのない本の山を自宅の物置に入れた。 

 勉強部屋を一緒につかってるおKさんは日々じわじわと増えていく母の本に少し圧迫感を感じているのか、自分も広告を丸めて積み上げて、「家」を作って、圧迫感には圧迫感で対抗して、大変圧迫的な私たちの勉強部屋になってしまった。

 この圧迫的な私とおKちゃんの暮らしを何とかすべく、たくさんの応募書類を書いてあっちこっちの大学に送った。結構高嶺の花な大学にも、足元のかわいらしい花のような大学にも応募した。

 連戦連敗した。

 不採用通知なんてもう不感症よ、と強がってみても、やはりへこんだ。

 このまま私はどこにもいけないでおKちゃんと圧迫合戦を繰り返すのか、でもまあ、ここもいい場所だから、ここにいようか、と思い始めていたころ、日程的にも今年度最後の記念受験っぽく応募した大学から採用通知をもらった。

 その日は朝から面接受けにその大学に行って、昼から子ども会の遠足の引率があったので、とんぼ返りしてスーツのまま子ども会の遠足に参加してボーリング場でフィーバーしてたら、面接官だった先生からお電話もらったんだった。ボーリングのピンの倒れる音にかき消されそうになる上品な先生の「採用」と言うお言葉に、ガッツポーズをしたけれど、それはタイミング的にR君の見事なストライクを寿いで突き上げたこぶしのように思われたであろう。

 そういうわけで4月からマルコ実に7年半ぶりにフルタイム勤務決定。フルタイム筋肉ってどういう感じだったか忘れてしまった。筋トレせねば。
駄菓子菓子、任期つきの特任ポジションなので、任期の終わりには今より激しく就職活動を展開せねばならない。次は大学だけじゃなくてNGOとかも受けてみようと思う。私と家族のフルタイム筋肉鍛えて。




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卒業式の朝−感謝したいヒト列伝− - 2010年03月18日(木)

 さて、朝っぱらから虐待に関する日記なんて書いてた18日の朝、って言うか、17日の深夜のマルコだったが、その夜が明けて新しい1日を迎えるとその日は長女1号さんの小学校卒業式だった。

 そう、もう一発ゆすぶったくらいでは簡単に死なないくらいに1号さんはちゃんと大きくなれた(言っておくけどマルコは現実に1号さんに暴力振るったことはないよ。おKちゃんには頭はたいたりしたことあるけど。1号さんって激泣き新生児期を脱したら、喘息もちだったり引越ししたりとかいろいろ困難はあったけど基本的に繊細ないい子なのでそんなにシバく必要性はない。必要性のあるのは新生児期、超いい子だったおKさんのほうですな。人生塞翁が馬、禍福あざなえる縄の如し)。

 まあ、中学生ってのは聞くところによるとすごい大変らしいのだが(おKさんが中2になったときとか想像するだにぶるっちゃいます)、でもなんていうのかな、かなり「子ども期前半」は終わって、本人的には親なんてもう別個の存在で、自分が1番、友達2番3,4がなくて5に家族って感じで生活まわしてくんだろうな、と想像する。

 そんでまあ、親子の共依存関係が世間的に許されてた「子ども期前半」が1号さんに関してはどうも終了したらしい。(おKちゃんはまだ5年間、ちゅーしたりべたべたしたりしていいのだ。ちゅー)

 で、このめでたき、共依存関係の終了の今朝、お互い無事にその狂おしくも愛しく、そしてやばい時期を切り抜けられたことを寿ぎたい。オリンピック選手じゃないけどここまでわたしたちを支えてくれた周囲の皆様に感謝したい。

 誰に感謝をしたいかな。あめでおさんやエルザさんは第1義的に共に関わってた人なので、感謝って言うと何かおこがましいってか、水臭い。お互いお疲れ様でしたね、ってかんじ。ちょっと輪の外にいるけどすごいこの共依存期の危機を乗り越えるのを助けてくれた人というと、、

 まずはAちゃんかな。Aちゃんは保育園から現在まで一緒の1号さんの友人なんだけど、保育園で初めてAちゃんが対等の友として1号さんを受け入れてくれて、1号さんはこの地に着地できた。小学校に入って、あんまりノリが合わなくなってきて、今ではほとんどクチをきかないみたいだけど、でもあの幼かった君がオセロで負けて激泣きしながらも1号の友でいてくれたことに心から感謝してる。君が卒業証書授与された瞬間、たぶんちょっこり思い出の走馬灯がくるんと回って泣くと思う。君も大変な6年間だったと母上からきいた。しかし、義侠心の強い君のよさをおばちゃんは知ってる。知ってて黙ってここで感謝している。ありがとう。

 あと月並みですが6年生の担任の先生はすごく感謝している。1号の小学校はスーパー伝説の教師が何人かいて1,2年生のときの担任も「スゴ腕」だったけど、この6年担任もスゴかった。5年の終わりから6年の初めにかけて1号さんは友人関係で少し、母的にはかなり大変だったんだけど、担任の先生がその「大変だった」1号さんのもとにスーパーマンのように駆けつけて、ものすごく細かくいろいろフォローしながらいろんな仕事を1号サンに任せてくれて、校外のボランティア活動にもいっぱいアクセスさせてくれて1号さんは危機を脱し、そして成長した。1号さんが書いてる作文帳を夜中にチラ見したら「授業で私を指名しながら、先生がアイコンタクトでがんばれって語りかけてるくれているのがわかる。先生がくれた声にならないたくさんの『がんばれ』を宝物に小学校を卒業したい」と書いてあって、ちょっと泣けた。ありがとうございました。

 あとものすごく意外なところで、夭折してしまった従弟くんにもありがとう。とにかく前も書いたけど新生児期、大変な泣き赤子だった1号さんに私はもうホントに半分おかしくなってた。赤ちゃんは皆こんなにひどく泣くわけでなく、赤ちゃんによっては生まれてすぐでも数時間も連続して寝てくれて、ゆったり新生児期なんてのも世の中にはあるのだ。陣痛が始まる前にさっくり帝王切開で生まれたおKさんがいい例だ。これは親が2度目の育児で熟練したって言うのもあるかもしれないけど、子どもによってほんとに新生児期は違うらしい(だって稲田堤時代の近所の人も『上の子のときはいつも赤ちゃん泣いててすごく心配だったんだけど下の子の時は、ホントに赤ちゃん生まれたの?って感じに静かね』っていってたもん)。
 で、泣き赤子の1号さんがなんでそんなに泣き赤子か私はなんとなく分かってた。1号さんは怒って私を責めているのだ。3日間も陣痛間隔10分で、もう破水もしちゃって、でも生まれなくて、助産院から救急車で救急病院に搬送された。おなかの中で胎便がでちゃって、全身緑の胎便まみれで窒息しそうになりながら生まれてきた1号さんはそんな苦しみを与えた私を怒って責めているのだ。もうごめんなさいごめんなさいと思っているのに、でも鬼のような顔で泣く1号さんに私はホントに追い詰められてた。お乳をやるしか泣き止んでくれないので、乳の先が割れて血が出て、くわえられるたびに激痛が走っても、馬鹿みたいにお乳をくわえさせてやるしかなかった。しかも1号さんが生後4ヶ月になったら、私は東南アジア方面に2週間の出張に出ることになってて、こんなに乳をやるしか能がないのに、断乳を決行しなければならないのだ。
 
 もうホントにピンチだった。

 そんなとき、大人になってからはあんまり交流がなかった従弟君が突然手紙をくれた。そんで手紙と一緒に助産士雑誌の記事のコピーをくれたんだがそこには「難産で生まれた子はバーストラウマを癒すためによく泣く。でも泣くことでトラウマを癒しているので無理に泣きやめさせずに心いくまで泣かせてやると、ゆっくりと落ち着いてくる。抱っこして泣かせてあげるとよい。」と書いてあった。

 ホントにね、その記事を読んだときの目からコンタクトレンズ、それもワンデーアキュビューが一箱ごっそり落ちる位の勢いで、いろいろ合点が行った。1号さんは私を責めて泣いてるんじゃなかった。自分を癒すために泣いてるんだ。そう思うとそれまで私を鞭打っているように感じていた1号さんの泣き声も泣き顔も、まあ相変わらず、すごいって言えばすごいんだけど、とにかく受け入れられるようになった。そして東南アジアへの出張はインドネシアの暴動の影響で2週間から5日間に短縮されて、断乳もしなくてよくなった。あのとき、従弟くんが手紙をくれなかったら、1号さんと私の関係は今よりいろいろとこじれたものになってたと思う。ほんとにありがとう。心からありがとう。

 そういうわけでいろんな人に助けられて、なんとか1号さんの子ども期前半が終わろうとしています。



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さっきまでそこにあった危機 - 2010年03月17日(水)

虐待のニュースが流れるたびに思う。

あそこで放映されて「信じられない」と罵声を浴びてる彼女は私だったかもしれないと。

特に今日流れた2ヶ月のおんなの子の虐待死のニュースはかなり近場にあった危機だ。

1号さんが生後2ヶ月まで、私はかなり「徹夜合宿状態」でほんに、もうろうとしてた(このあかんぼの寝てくれない、泣き止まない度、ってあかんぼによるらしい。私は難産度に比例するような気がするんだけど、どうかな?)。ホントに寝てくれない、泣いてばかりのあかんぼで、気が休まるまもなく、熟睡も出来ず、2ヶ月を過ごした。泣かれると、とりあえず乳首をくわえさせたが、1時間ごとに授乳するため乳首の先が割れて血が出て、手は腱鞘炎で上に上がらず、こんなにぼろぼろになってがんばってるのに火の付いた様に泣く1号さんにものすごく攻められてるような気分だった。

衝動的に1発ゆすぶりたくなったかもしれない。ゆすぶったら1発で逝く子だっているかもしれない。

あめでおさんも今回のニュースはかなり怖かった、と言っていた。あめでおさんはおKさん(2歳児)の入院中、1日私が非常勤講師先に出講するため、入院中の泣き止まぬおKさんと過ごした。あんまり泣き止まないので顎でおKさんの頭をぐりぐりやってみると「いたい〜!」と100倍泣き叫ばれて「泣きたいのはわしじゃ、わしだって、乳さえあれば。」乳の出ぬ身を呪った日のことを思い出した、と言ってた。私は多分数え切れないくらい「近い日」があるのであめでおさんのように「その日」を析出して語れない。

私の場合は、あめでおさんがかなり「やばさ」を分担してくれたのと、第1子のときはまだ若くてぴちぴちだった(当社比)エルザさんが電車で1時間半の距離にいてくれてかなりサポートしてくれたのと、あと1号さん生後45日目で職場復帰できたので、危機を回避できたけど、ホントに子ども産んだばかりって厳しい。そんな徹夜合宿があるなんて、誰も教えてくれなかったし、多分知ってたら、誰も産まない。

でもとにかく徹夜合宿は2ヶ月限定で、子どもは夜寝る時間は2時間、3時間と徐々に長くなるので、その危機の2ヶ月、とにかく家族や託児サービス使って、なんとか乗り越えて。

保健師派遣サービスも今回のお母さんはつかってたみたいだけど、保健師さんは来るだけじゃなくて、赤ちゃん3時間お預かりサービスと是非セットできてほしい。

あと最近虐待のニュースが増えたのはいろいろ要因はあるけど子どもの人権が確立してきて、ちゃんと虐待として司法が処理するようになったってのは大きいと思う。虐待死として処理されずに「ああそういうことってあるよね」と暗黙の了解の中で事故や病気として処理されてきた「そのとき」ってのは昔はもっといっぱいあったと思う。

とにかく、新生児やその母への支援の必要性が周知されてきたのは良かった。毎週3時間でいいから、誰か無理やりお母さんと新生児を引き離して、と思う。


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とてもむつかしいのです - 2010年03月15日(月)

2月の終わりに1号さんの最後の授業参観があった。授業参観後、終わりの会でのこと。放課後の懇談会が始まるまでの間母たちは廊下で雑談していた。私は保育園保護者会の今年度役員さんと後任人事の難しさについてしみじみ語り合ってるところ、担任の先生がやってきて「今社会で『国際協力』について授業をしているので、青年海外協力隊の話を2分してくれ」と、オファーをいただき、20秒後に子ども達の前に立った。

20秒で考えた2年の経験を2分ではなした。

私は家族計画(リプロダクティブヘルス&ライツ)の普及と言う小学生にはちいと言葉を選ばないといけない仕事をしてたので20秒は少しむつかしかった。小学生にとってはNGワードのセックスとか2分のスピーチ中、使ってしまった。ごみん、先生、フォローよろしく。

う〜ん、ヘンな偏見を持たせず、でも夢ばかりでもない協力現場の話を20秒の構想で2分ではなすってのは結構むつかしい。次回があったら、せめて構想に3分、語りに3分ほしいところ。そこんとこよろぴく。
ちなみに、あめでおさんによると「NGワード使ったから次はない。」とのことでした。ざんねん。




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OK!イルカたべないから - 2010年03月09日(火)

牛を食べるのもやめたらどうかな?


イルカ殺すのが残酷なら、牛だって殺したら残酷だし、きっと牛もイルカも賢さはそんなに変わらないし。1年間で殺生される個体数でいったら絶対牛の方がい多いし。牛かわいそ〜

牛の飼料用穀物が人間用の穀物に転作されれば、地球の食糧問題なんて一挙解決だから!すご〜い!是非、緊急に牛を食べるのは辞めよう!

牛を食べる習慣を辞めるんなら、マグロもおまけで食べなくてもいいかも!

どだ?


関連ニュース
ザ・コープ、アカデミー賞受賞

ちょっと追記
昔、若い筑紫哲也がアメリカいって反捕「鯨&イルカ」な人々とディスカッションする映像を観たことがある。多分わたしは高校生だった。
そのとき、筑紫が「あなた方が家畜を守るために狼を殺すように、魚を食べるイルカを日本の漁民は殺す。」と言ったら「家畜は財産だけど、海の魚は自然のものだ」とアメリカのヒトが反論しているのをみて、へ〜と思ったのをおぼえている。

 人間がコントロールして「生産」してる命=家畜と「自然のもの」をすごく区別して考えてる彼らの文化に素直に異文化を感じた。
「生産」している命は財産で奪ってもOKってのは人間以外の生命を管理するのを是とする価値観のもとでの話だと思う。

 昔、霞ヶ浦の漁師さんの漁具の変遷調査したとき、お盆のころ「川施餓鬼」といって、漁で奪った命に対して感謝と慰霊をささげる行事に参加させてもらったことがある。お坊さんと一緒に漁船で湖にでてお経を上げてお酒を湖に流し、湖の命にこれまでの感謝と慰霊とそしてこれからの豊漁を願うのだ。

 掲示板の方でダイヤさんが
>どの生き物なら食べてOKで、どの生き物なら食べられないというのは本当に一言では語れない問題
とコメントしてくれたけど、多分その基準ってのが文化によっていろいろ違うんだと思う。
 インドの人は神の使いの牛をわしわし食べちゃう異教徒のことを不快に思ってるかな〜でも牛食うなっていわなくてえらいな。自文化を絶対視して他者に押し付けるってことをしてないから。

 まあ、なんにせよ。文化の多様性はハンバーガー侵略の前で失われていくのが時代の流れなのかと、欧米価値観を高らかに謳いあげるアカデミー賞に思ったことでした。







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その道を行け - 2010年03月07日(日)

 先週のクローズアップ現代に高遠菜穂子さんが出ていた。6年前の人質事件から日本でのバッシングの後、イラクでの活動を復活させることで再生を果たそうとする彼女の今が画面に映った。

 高遠さんはあの人質事件で日本でもイラクでも有名になった。その彼女が支援活動をあきらめずに取り組むと言うことは、日本でもニュースバリューがあるし、イラクでも大きく報道されたようだ。

 このことは日本とイラクの「多様なレベルでの交流回路の存在の可視化」と言う大きな利益を両国とそこに暮らす人々にもたらしていると思う。

 ブッシュ政権に追随し、自衛隊を送っただけではなく、日本には草の根レベルでイラクの人々に寄り添おうとした人々がいたのだということは、壊れてしまったイラクと日本の関係を再構築するときにどれだけプラスに働くだろうか。

 高遠氏をバッシングするということは、そのイラクとの間の細い架け橋を破壊することにつながる国益に反する行為だと言う認識を私たちは持ったほうが良い。

 せっかく民主党政権になったのだから、ぜひイラク戦争を支持した旧政権の政策を再検証してほしい。

 ちなみに2004年4月から6月にかけて私は当日記で人質問題を下記のように語っていた。4月11日5月13日5月31日6月10日6月11日6月12日
 どうでもいいけど、あのころのわたしはD論のフィールドワーク開始(2004年7月)を前にすごく時間があって、多弁だったのね、、と読み返して思う。

 で、読み返してみて、あんまり、今と変わってないけど、2004年当時擁護論は声の大きさでバッシング論にかき消されてしまったのは確かだ。わたしもこんな世界の片隅でつぶやいてばっかりいないでここで紹介されているロビイング代行アクション、してみようかな?と思った。

 高遠さんの番組からはソーシャルキャピタル(社会関係資本)生成現場としてのボランティアワークとか、生きがい提供・人材育成機能を持つ支援現場とかいろんな読み解きが可能だったんだけど、最大公約数的に理解が得られそうなオールタナティブの国益論で一発日記をぶってみました。

 さ、仕事しよ。


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てくてく走る私−伴走者− - 2010年03月05日(金)

 さて2月の中旬からまた早朝ランを再開している。

 大体6時前から30分ほど走るのだけど、原稿締め切り直前の「甘い生活」を終えたばかりのころは3キロとかぬるく走って1週間で、1日5キロくらいまで距離を伸ばして、むふ、いい感じ、と思っていた。ランニング友の会の皆様がハーフマラソンに出たり、東京マラソンにでたり華々しく活躍している話を聞いていたので、コレは私も来年の斑鳩三塔マラソンでは10キロコースくらいいけるかも、と皮算用なんかしたりして。

 そしたら、なんとなんと7歳児おKさんが「Kちゃんも一緒に走る〜」と言い出したのである。

 おKさんはなんか早起きをしている母が気になって、自身も無駄に早起きして、朝6時半には母と共有の勉強部屋にやってくる。早起きして彼女が何しているかというと、お友だちにお手紙書いたり、新聞の折り込み広告で筒状のものを作ってそれを積み上げて「家作り」をしたり、あと姉用に買い与えた(そして姉はあんまり手をつけなかった)1年生用の問題集を片っ端から解いて我が家の家計における教育投資の費用対効果を5年越しでプラスに持ってくるなんてことをしていた。時々寝ぼけて夜の2時に勉強部屋に行って「おかあちゃんランニングから帰ってこないな〜」とずっと泣きながら待ってた事もある(ちなみに我が家は古い木造家屋でとっても寒い)。母はちゃんとおKさんの隣で寝てたのに、なんでだか「もう朝だからおかあちゃんは走っているはず」と思い込んでたらしい。よくわからない子ども(寝ぼけ)ワールド。

 その彼女がついにランニングも一緒にする、というのである。

 約束の日、彼女は6時に起きて昨年ソーラン節コンテストに出場したとき買い与えたジャージを着て、そんでもって母と一緒にこの辺を走った。一応足の屈伸とかアキレス腱伸ばしのストレッチだけ一緒にして2回吸って2回吐くという長距離の呼吸法を教えた。そんで朝の斑鳩を走り出す。

 、、しかし7歳児ランニング、ゆっくりだ!

 そこでマルコはロングストライドのようでいて前方向には行かず上方向にぴょんぴょん飛ぶような走り方をしてみる。あ、コレだと歩幅の小さいおKさんとも走れる。しかし1キロを過ぎたあたりでやっぱりおKさんはかなりゆっくりになったので、マルコは50メートルダッシュをして、またおKさんのところにダッシュで戻ってきてというのを繰り返す。これも、ゆっくり走る人と一緒に走るにはいい工夫かも。

 まあそんなわけで今週はおKさんを伴走者に少し距離も短くして、3.5キロほど走った。

 でもまあゆっくりランになることは否めない。このマルコのランニングの行きつく先は、ハーフマラソンとかフルマラソンとかの世界ではなくて、楽しい老人ウォーキングの世界かもな〜とか思いながら、今日もぬるく走っている。

 


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