西方見聞録...マルコ

 

 

旅の途中 - 2008年10月31日(金)

 ときどき非常勤講師する以外は、家事も育児もその他の仕事もかなり手抜き気味にD論に明け暮れているように見えるマルコではあるが(その通りではあるが)9月の頭にちょこっとだけ時間があったので、ワンチャンスで某私大の准教授ポストにアプライをかけてみた。

 今年度はそういう色っぽいことは1ッコもしてなかったんであるが、来年4月もし博士課程修了できたら、研究室の本も引き上げなきゃいけないし、来年はおKさん小学生で机も買ってあげなきゃいけないし、来年4月の時点でどこかにこの本の山の置き場を作らねば、というのがアプライの偽らざるそしてかなり強力な動機だった。

 んで、この日まで約2ヶ月に及んで書類審査、日本語面接、英語面接とかなり最終ステージまでコマを進めたんですが、最後の英語面接でダメだったみたい。不採用通知を受け取り、思わず
「て〜がみなんかよ〜してよ〜♪何度も思い出しな〜くから♪電話だ〜けです〜ませて♪僕も一人だよとだましてよ♪」
と中島みゆきなんか家の郵便受けの前で唸ってしまって、お向かいの奥さんに不審の視線を向けらる。

 あ〜あの面接の日、インフルエンザ3日目のちょぴっと頭朦朧ぎみの日、1日指導教官に「ここはもうちょっと何とかならないか」とか怒られて、そんでその足で、夜、面接会場にいったんだけど、ほんとに英語が口から出てこなくって往生したのだ。

 帰りの電車で突然英語のフレーズが出てきて「あ〜こう答えてればよかったのによ〜」とおもうとちょっとだけ涙が出た。

 まあ、少なくても書類敗退はしないようになったので、早く博士号とって非常な人生とおさらばしたいけど、でも非常は非常で結構楽しくもあり、高学歴難民なんてレッテル貼られるとレッテル当事者っぽく発言も出来ていろいろと経験値は上がってそれもまたよい。でもおKさんの学習机と私の研究室から戻ってくる予定の本の山を考えるとやっぱ書斎がおよそにある生活ってのにもあこがれる。

 夜、1号さんに「おかあちゃん、前に言ってた常勤ポスト、駄目だったよ」と報告すると「あ〜よかった。おかあちゃん仕事にはまるとまた海外行ったり家に居なくなっちゃうから、わたしは落ちてくれるようにお祈りしてたよ」といわれて「へんなこと祈るなよ」とおもいつつ、ちょっと気が楽になった。気が楽になりついでに「じゃあ、来年4月のおKの勉強机の件だけど1号ちゃんのお部屋に置いてもらっていいかな?」とお伺いを立てると「それは絶対駄目、おかあちゃんの物置部屋を何とかしなさい」と非情な小学5年生なのだった。


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もう君のこと鬼って言わない - 2008年10月25日(土)

 なんつうか病気メモ

 さておKさん、1週間お熱した後、マルコ異様に肩こり激しいな〜とか思ってたんですが、しっかりおKさん熱がうつってたらしく、20日(月曜)に高熱が出たので病院行くと「インフルエンザですね〜まだ判定キットも特効薬も注文してないから、ないけど、漢方だしときますね〜」と大人用のお医者さんでいわれました。つうことはおKさんもインフルエンザだったの?でもこれ以上休めないので1日寝込んだだけで火曜には家の中で論文書けるようになって水曜からは激しく外で活動して木曜には徹夜して金曜には遠方非常勤講師に出かけました〜

 で、あめでおさん、火曜に高熱が出たのでマルコがいったお医者さんに行くと「昨日今シーズン初めての患者が出たから(マルコのことだ!)判定キットとタミフル用意したんですよ〜」とめでたくそれらのものを使いインフルエンザA型判定をいただき、タミフル処方されて帰ってきました。こういうのなんていうの?内助の功?なのにあめでおさん土曜現在まだ寝込み中です。でも大人だからほっといてるけど。

 で、ここんところ機嫌よく保育園に行ってたおKさん、金曜突然調子悪そうだったんですが、熱はなかったので無理に保育園つれてったら、お昼ころ返品されてしまいました。私は遠方仕事中だったのでインフルエンザ療養中のあめでおさんが引き取りに行ってくれました〜。お医者さんによるとのどの奥に赤いぶつぶつが出来て「ヨーレンキンかアデノウイルス」とのご託宣。そうですか。

もうおKさんのこと、鬼の霍乱っの鬼とか呼ばないよ。普通のまだまだ病気もらいやすい6歳児だよ。

で、土曜日はおKさん実は4月から習い始めたピアノの発表会でおKさんはあの通りのガッツある少女なので(お菓子にかけるガッツが一番顕著だけど、好きなことはとことん好きな人なんです)ここまで鬼気迫る勢いでピアノの練習に励んでたんですが(でもピアノかってあげてないからミッキーマウスのキーボード→こういうやつttp://blog.canpan.info/omotyanobyouin/archive/343を健気にぴっぴこぴっぴこかき鳴らして練習してました。現代の子どもとは思えないけどエルザさんなんて「紙に書いた鍵盤で練習してた」って言ってたからまあそれに比べれば音が出るだけいいかと。あ、でもエルザさんの話は現代の話じゃないか)とにかく、本日の発表会は直前ですが病欠にさせてもらったのでした。
 ガッツ少女、悔し涙!
 無理して出演させるって言う手もあったかもしれないけど、ここで無理させて月曜以降また長期病欠とかされたら父も母もホント仕事やばいので、ゆるして。ごめんね。

 さてこんなに病原菌吹き荒れる我が家ですが、1号11歳児、さすがの貫禄でひとつも病気せずに木曜と金曜は涼しく林間学校に行って無事に帰ってきました。林間学校前日もばたばたして1号さんをかまってあげなかったんですが1人で持ち物準備して1人で静かに出かけていきました。他のメンバーのどたばたぶりに比べて涼しいな〜1号さん。


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リズム - 2008年10月17日(金)

 2ヶ月に1回美容院に行って、3ヶ月に1回研究会があって、ってかんじでいろいろな行事が定期的にある。で、その当日、美容院の帰りや研究会の終わりに次回の日程を決める。

 で、3ヵ月後はもう1月ですよ。真っ白い2009年度手帳に書き込む1月の予定。

 どうしているのか3ヵ月後、泣いているのか笑っているのか。

 あしたは、どっちだ〜♪


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母は自慢する - 2008年10月11日(土)

 さて実生活ではおKさんカクラン状態から脱したがちょっと過去日記。
 まだおKさん病中だったこの日、私どもは医者いって、処方箋もらって町の薬局に行った。私の前に妙齢の素敵なおば様(60代)がお一人待っておられた。まもなくおば様が呼ばれて薬の説明を受ける。んで説明が一通り終わったあと、おばさまはおもむろに薬剤師のお姉さん(50代)におっしゃる。

「あんな、わたし明日テレビに出るの」

薬剤師さんはあんまり興味なさそうに
「へええ、そうなんですか」でもお義理で「なんでまた?」ときく。

「子どもが波瀾万丈っていう番組に出て母親にも取材がきたの」

「お子さん、有名な方なんですか?」

「有名かな〜?はるな愛っていうんよ。しってる?」

おおおお!はるな愛!それなら民放視聴禁止(でもあめでおさんのいない夜は見放題)の我が家の娘達も大ファンだ!

薬剤師さん(2名いずれも50代?)事務のお姉さん(多分30代)も一気に興奮して
「え!はるな愛?息子さん、、いえ娘さんが?はるな愛って斑鳩の子だったんですか?」
と部屋の温度が3度ほど上昇する。

「違うの大阪の平野にいたんだけど、私だけ引っ越してきたの」

もうみんな大興奮で話を聞いてる。熱が上がってて苦しい息の下のおKさんまで「あのおばちゃんはるな愛のママなの?」と微妙に興奮している。

で一くさりはるな愛の話をしたあと、おばさんは帰っていった。で、その次薬がもらえる番になってカウンターに呼ばれる。

「ごめんなさいね。苦しい子がいるのに私たち興奮しちゃって」と謝られるので
「いえ、わたしもすごい興奮しちゃいました。すごいですよね。はるな愛のおかあさんがご町内にいたなんて」
と感激気味に興奮を分け合う。

薬剤師さんと感激を分け合いながら、なんかさ、いろんな人生のありようを人々が是認し、最大多数の道でなくても後ろ指さしたり陰口たたく時代じゃなくなったんだな、としみじみした。お母さんもうれしくってたまらない感じで、ちゃんと娘になった息子の活躍を自慢してていい感じだった。

まあ、はるな愛と一般のGIDの人の状況は違うのかもしれないけど、でもなんかうれしくって翌日のはるな愛の番組は録画しちゃって家族で見た。斑鳩の風景は写らなかったけど、結構楽しく見れた。今後は斑鳩縁者として応援するぞ、はるな愛。


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鬼が霍乱中 - 2008年10月09日(木)

 鬼って6歳児おKさんなんですけど、おKさんここまで今年度皆勤と言う幼児にあるまじき強靭な体力を見せ付けてたんですが、ここにきて大ブレーキ。土曜日姉ちゃんの運動会で興奮したのか、日曜以来高熱で臥せっとります。
 今日は年長児最後の秋の遠足でしたけどそれもお休み。

 しかし、今後年末に向けて、1週間のブレーキなんて絶対許されない日程が続くので家族のメンバーは今のうちに全員「機械の体」に取り替えといてとか思っちゃう非情の母でした。でも「機械の体」は面倒なので(手続きとか、銀河鉄道のパス入手とか)手っ取り早くあめでおさん、休講の嵐戦術でよろしくお願いします、と申し渡す非情の嫁。さすが常勤、非常勤がそれやったら来期の契約はないわ〜、とかいいながら。


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大型獣の饗宴 - 2008年10月04日(土)

 えーっと娘1号さん@小5の運動会の話です。

 保育園運動会で年長さんは主役を演じます。かなりいろんなことが出来て、ゴールテープもったり運動会の運営にも関与して大活躍ですが、小学校に入るといきなりカーストの最下位に落とされ「赤ちゃん扱い」に愕然としたものです。

 でも、泣かずに演技できるか、決められた動きが出来るか?がポイントな保育園運動会と知力体力根気とかいろんな要素を文字通りぶつけ合って戦う小学校運動会はなんかちがうのですわ。中学校の運動会とかってきっとさらに別次元なんだろうけど、もう親は行かないのかな?わが町は平日にやるそうです。

 で、小型獣が戯れるおKさんの保育園運動会とか大型獣が覇を競う1号さんの小学校高学年の運動会をここんところ週末ごとに参観してたわけです。
 思い返せば小学校1年で初めて小学校運動会に参加した時、プログラム1番が5年生の徒競走で、その肉体のご立派な発達度に「高学年ってすごいな〜、ここまで大きくするのは保護者の方はさぞやお大変だったことでしょう〜」と仮想走馬灯まわして勝手にうるうるしちゃってたんですが実際自分の子どもが小5になって見ると、うちの子は体重だけだと保育園でも通用しそうなのであんまり迫力はありませんでした。

 しかし軽いので走るのは早い。今回は代表リレーは補欠だったので、運動会冒頭の徒競走でだけ走りました。1〜3位が団子になって走ってて、その集団にいたんですが内側から強引に抜かそうとしたお友達と足が絡まって転倒。そんでビリまで順位下げてから立ち上がって走り出して2人抜かして4位でゴールしました。なんか肉弾戦プラス心理戦って感じで競馬見てるみたいにわくわくしました。

 最後に5年生と6年生でソーラン節を激しく踊るのですがなぜ海のない奈良でソーラン節?と思ってたら、斑鳩音頭というのが途中挿入されました。その中で組み体操が演じられて法隆寺の5重の塔と法起寺・法輪寺の3重の塔を表現する大小3つのピラミッドが作られそれ以外の子どもは龍田川の流れを表現する波の役でした。1号さんは波になってゆらゆら揺れてました。で最後もう一度ソーラン節で卒業生も保護者も乱入して激しく踊ってフィナーレでした。
 なかなかおもしろかったです。子どももそれなりに楽しいでしょうが、親としても旬の時期って感じで大事に楽しみたいものです。


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バックドロップクルディスタン - 2008年10月02日(木)

行っちゃいましたよ〜
朝マックならぬ朝バックドロップって感じで専門学校の講義前の午前の時間使ってナナゲイにダッシュですわ。

専門学校は来週から私、担当授業を隔週にしてもらって朝もびっちり講義入れることにしたので(そんで隔週はお休みにしてD論書くのだ)今日がもし映画行くとしたら最後のチャンスだったのよ。で、行ってよかった。しみじみとよかった。
ぜひ皆様も機会があったら行ってみてください。

以下ネタばれ
バックドロップクルディスタン
2007日本 監督 野本大
公式HPはこちら









2005年日本はUNHCRがマンデート難民認定をしたクルド人家族の父と長男を祖国トルコに強制送還する。1国によるマンデート難民の強制送還はおそらく世界でも空前絶後のことだった。この映画はそのクルド人家族の難民認定前から家族の友達として映像を記録していた若干21歳の映画専門学校生が強制送還による家族離散から第3国における家族再統合までを「友達」の視点から追い続けた物語である。

父と長男の強制送還の実行が支援者が用意した記者会見場で伝えられ母は失神しそうになり、野本に信頼を寄せていた長女は叫ぶ「日本人!あなたたちはかわいそうな人々!」

日本人は何がかわいそうなのか。

正直に言ってそんなにすごい映画とは思っていなかった。二十歳そこそこの野本監督は別に天才でもなんでもないその辺のあんちゃんとして登場してきて難民問題もクルド人問題もぜんぜん明るくなくて、無知であることを恐れ気もなく露呈しながら、しかしわからない、納得できないだから知りたい、と、友達のクルド人難民の家族が祖国を脱出しなければならなかった事情へと肉薄していく。

野本がトルコへ飛ぶトルコ編が出色。トルコの大地を「わからないから知りたい」と言うスタンスで東へ東へと長距離バスで移動していく野本が出会っていくトルコの人とクルドの人。迷走しているのに私たちは野本に憑依したかのように難民家族の背景へとぐいぐい迫っていくことになる。

直接的な暴力がなくてもトルコと同化しなければ生きられないクルドの現実。エスニックアイデンティティを捨て異を唱えなければいきられてもそれを「つらさ」と感じる自由は人間にはある。わかりにくい構造的な暴力として「差別と同化圧力」が見えてくると同時に、なぜ家族が命をかけて第3国を目指したのかが徐々に徐々私たちのに目の前に提示されていく。


強制送還された後、長男が15ヶ月の兵役を終えひとりトルコで「逃亡者の息子」として暮らしている。映画では触れられないが難民として他国に逃れた青年が逃れた国で兵役を受けると言うのはどういういことなのだろうか。日本編ではかっこいい兄ちゃんだった長男は体つきも顔つきもまるで別人みたいになっていた。野本は彼に出会い、家族の故郷へと旅をする。「トルコ人に生まれたことは幸せ」と言うスローガンがいたるところに書かれた町で野本は長男に聞く「クルド人に生まれたことは幸せ?」
「しあわせだよ!俺はこんな目にあって世界中のみんなのつらい気持ちがすごいよくわかるようになった。豊かな国の幸せな家に生まれて人の痛みもわからないで生きていく人生なんかよりずっと幸せだ!」

日本の記者会見場で「日本人!あなたたちはかわいそうな人々!」と叫ぶ長女の声がシンクロして聞こえる。

この野本と年の変わらぬ長男と長女の叫びに、構造的な暴力ではなく直接的な暴力を振るった日本の強制送還とそのシステムの内部で無知であることで暴力に加担し続けている自分自身が激しくバックドロップされる。

野本が媒介者として私たちにつたえる等身大の彼らの痛みや哀しみ、そしてその後家族再統合を果たした彼らの喜び、そういうものを一切知ろうとせず私たちの社会は難民家族を暴力的に日本から締め出した。最後に1家の父がニュージーランドの学校でクルド事情を語る場面が出てくる。生きた世界事情に触れる大切な窓を私たちは閉ざしたのだと改めて感じた。このままで良い訳はない。







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