西方見聞録...マルコ

 

 

ひとたらし - 2006年06月21日(水)

 今日はマルコ共同研究者の先生方との会合が午後5時半からで、あめでおさんもめつらしく遅くなる日と重なっており、今年度何度目かのピンチ。(ってこの前のピンチ6月3日は数週間前にここにピンチって書いたら、エルザさんが救援に東京から駆けつけてくれました〜その節はどうも)今回は東京カードもお友達カードも使いきった状況だったので21世紀職業財団さんご紹介の保育サポーターさんにご出馬をお願いしました。

 保育サポーターさん3代目です。

 1代目のMさんはご自身の就職によりサポーター引退。2代目Nさんはちょっと遠いいのとゲンちゃり乗りなのでお迎え業務は頼みにくい。そこで新しく保育サポーター講習を終えられた方は町内にいないか21世紀職業財団のほうに聞いてみました。

 、、、いました!町内に!17年度講習を受けた方が!

 そこで早速電話したところ「すいません家庭の都合で引退しました」って。、、、早いですね。でも「保育サポーターで作ってるNPOに入ってたんですがそこに声をかけてみてはいかがですか?」とグットな提案を頂き、そのNPO「ぐらんま」にお電話をします。すると!「お電話ありがとうございます!」と完全なるサービスモードの声が!

 保育サポーターさんに電話して体力がいるのは、なんか親戚のおばちゃんにお願いするみたいなこうビジネスライクじゃない感じの部分なんですが、そこはすごくビジネスライクでなんか気が楽でした。そんでグループからその日出動可能なOさんが来てくれる事になりました。

 そんでいろいろ事前打ち合わせとか週末しといて、本日ついに保育園/学童保育終了の6時半から9時半まで面倒見てもらって、ごはん食べさせてもらって、シャワー浴びさせてもらいました。

 9時半にマルコが帰宅するとおKさん@4歳児は大興奮状態。清算を済ませ、帰り支度をしているOさんに抱きつき「おばちゃん明日もまたきたってや」と甘く関西弁で囁きます。

 う〜むうまい。>おKさん。彼女が泣き赤子で人見知りな1号さんがサポーターさんを上目遣いでにらみつづけていた時代、サポーター定着率もいまいちでしたが、今回なんか長続きの予感。 おKさんきみはなんかばあさんを手玉に取るタイプの子どもに成長したのですね。でも誘拐されやすい子どもとも言えるかも。


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キャリア転換をめぐる物語 - 2006年06月18日(日)

 、、、なんかたいそうなお題ですが、チャングムの話です。
さて土曜日はチャングムデー。夜7時半からアニメ「少女チャングムの夢」を見た後、子らの就寝後、午後11時10分より実写の「大長今(邦題:宮廷女官チャングムの誓い)」が放映されます。うちでは両方、録画します。そんで子らのリクエストにより1週間繰り返し繰り返し再生し、1週間後新しいチャングムをその上に重ね録画します。

 天晴れな嵌りようで、「おなら、お〜ならあじゅおな〜」という朝鮮古語による主題歌を8歳児1号サンはもちろん4歳児のおKサンまで完璧に歌います。

 そんで母としてはやっぱ実写版チャングムのほうに夢中なわけですが、年末、東京の実家で最終三話だけ見て「おもしろい!」とか言ってて、たいへん長年のファンの皆様には失礼なことでした。あの最終部分にいたるまでこんなに大変な話だったとは知りませんでした。ちょんほさまのあの場面もこうやって長い歴史を知った上で見たらぜんぜん違う意味付けをしたことでしょうよ。ええ。

 チャングムは最初宮廷の料理担当の女官だったんですが途中で師匠と一緒に謀反の疑いをかけられて、料理担当女官のトップの最高尚宮(ちぇごさんぐん)になるという母の遺言でもある夢を絶たれ、奴婢として島流しにあいます。そんで島流し先で「医女(女性専用の医師)になれば宮廷に戻れる」と知って宮廷に戻りたい、戻って自分と師匠とさらに母親を陥れた人たちに復讐したいという一心で医術を習得し、先週やっと宮廷の医女試験に受かって半年間の修練生としての生活を始めるところまで話が進みました。

 そんでチャングムは自分の能力へのうぬぼれから修練所の教官の医師に「おまえは医師になる品性がない!」と怒られちゃうのが前回の主な筋でした。で結局、同僚の修練医女(シンビ)の愚直なまでに患者に寄り添う姿勢から「自分にかけていたのは患者への謙虚さだ」とチャングムは気づくわけです。この料理人から医師へのキャリア転換とその転換に悩むチャングムの姿に、結構マルコは痛かったです。

 チャングムは「うぬぼれ」やすいキャラクター設定でそこがうまい話作りだという意見もMIXIのチャングム・コミュでいっぱい見受けられますが、問題はそこではないと思うのですよ。キャリア転換を迫られたチャングムにとって医術は最初から志した道でもなければ、患者を救いたいという強烈な熱意もないわけです。彼女にとって医術も患者も宮廷に戻るためのキャリアアップの手段としてしか捕らえられないでいるわけです。ここで医の心とは何ぞや彼女自身がとらえなおすのが、今回第33話「うぬぼれ」の主題だったんではないでしょうか。

 私自身キャリア転換はなんだかいろいろあったわけですが研究ってのは私の社会復帰の手段であったり、研究主題をラオスの女子教育から国内のニューカマー児童への教育支援に変更したのも、なんか手段としてそれを選択したような部分もあるわけです。チャングムが医の心を問い直されたようにマルコも今の研究への真摯さを問い直さねばならんなと思ったりもしました。

 そんでチャングムが真に医師として患者に寄り添うようになっていく過程は、謀反の罪で島流し〜だの師匠は島流しになる途中自分の背中で息絶えた〜だのな過酷な試練によって損なわれたチャングムの魂のリハビリの過程でもあるのかな〜と思いました。チョンホ様はチャングムが復讐に凝り固まってようが、医術はキャリアの手段と断言しようが、「ちょっとあいつ(ちゃんぐむ)にそれは違うって一言言ってやれよ」とウンベク医師に言われようが愚直にチャングムのかなり間違って突っ走ってる姿を受け入れて「そうだね〜、そうだよね〜」と肯定しつづけるのはなんかカウンセラーの人みたいですな。

、、、、今回はチャングムを見ていない人にはさっぱりわからない話になりました。しつれ〜


参考サイト ttp://www.terebi.jp/solcov_b
チャングムストーリーガイド ここの第33話が先週の話。みんないっしょにチャングムを見て、そしてともにはまろう!



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人口減少のそのあと - 2006年06月13日(火)


 人口転換という言葉がある。

 子どもをたくさん生んでたくさん死んでしまう「多産多死」の状況から少しの子どもをできるだけ死なさずに育てる「少産少死」の状況に転換させることである。

 多死から少死への転換は医療の発達や交通運輸の発達によって成し遂げられる。さらに「子どもが死なない状況」は社会が受け入れやすいので比較的疑問も持たず早い段階で達成される。

 それに比べて多産から少産への転換は少し時間がかかる。少産化は工業化社会の到来とともに達成されるという。なのでそのタイムラグの間に「多産少死」の時代が現れ、そこで人口爆発が起こる。

 工業社会に移行する前の伝統的社会において、教育も労働も福祉も家庭を単位に行われていた。教育は基本的には家庭教育で農業技術などの生業に必要な知識が伝達され、家族は労働単位であり、老いた老人の面倒はやはりその家族メンバーで行っていた。こうした家族を教育・労働・福祉の単位とする社会では子どもを持つことはコストよりもベネフィットの大きい戦略だ。教育はただみたいな家庭教育だし、子どもは働き手だし、もっと後になれば福祉の担い手でもあったのだ。

 しかし工業化社会においては近代教育が必要とされ、有償で高度教育を受けたものがより有利な社会的な位置につけ、労働も家庭を単位とはしない。さらに福祉は個々の家庭で担うものではなく社会を基盤に年金・健康保険が設定されている。そうすると子どもを持つということは高い教育費を払うけど、労働力や将来の福祉には(直接)役に立たない。つまり子どもを持つという戦略は家族単位で考えれば、ベネフィットよりもコストの大きい選択になる。

 この結果多産から少産への転換が行われ社会は少子化を選択するようになる。

 さて、日本のTFRは1.25だそうで「これはやばい!」という議論が巷にあふれている。でもやばいのはきっと日本だけではないだろう。緩やかか急激かの差はあるけどTFRが2を切ってる先進工業諸国はみんな人口減少が予測されるのである。参考サイトこれとかこれ

 人口減少を如何に受け止めるか、という議論があまりに少ないように思う。工業化社会において少産少死戦略ってのは自明のことなので、ここで出生率を如何に引き上げるかという話ばかりをしていないで人口減少のシナリオをどう描くかもう少し議論してもいいような気がする。

 このちっこい国に1億2000万人の人口は多すぎるので地球環境へのインパクトを考えても人口はもっと少なくなったがいいんじゃない?という意見であれば、早急に経済規模を小さくする場合の各産業ごとの撤退のシナリオを描くべきだ。公務員は人口が半減すれば半分の数でよくなる。その半減を新規採用を控えるなんて若者の未来を奪うような形で成し遂げるのではなく、今いる公務員の半数に解雇を通告できるか、まず考えてほしい。私は難しいと思う。

 また各産業が人口規模つまり市場が縮小していくのを座視しているだろうか?やはり生き残りをかけて自由競争に勝利するためにもがくのではないか?たとえば大学産業は少子化で学生を減るとなったとき黙ってその状況を座視したか?否である。中国・韓国はもちろんインドネシアやタイ・インドにまで学生募集のネットワークを張り巡らせて外国人留学生を必死でかき集めている。

 よっぽど強力な縮小のシナリオが描けないかぎり、少子化日本の生き残り策として国境のボーダーを緩め広げていくことになるのではないかと思う。少子化のその先の世界として多民族社会の到来はもう自明のことなのではないだろうか。

 カナダはすでに移民にポイント制で評価し、より優れた人材を移民として自国に呼ぼうとしている。イギリスもポイント制を採用し、移民に対して閉鎖的だといわれたドイツもポイント制を導入し、すでに先進国の多くが優秀な人材確保のための競争に走り出している。

 他国が育てた人材を横から収奪することに疑問も感じる。数合わせでいいのかという批判も理解する。では経済規模を縮小する撤退のシナリオ描き、さらに巨大な国の借金を経済規模を縮小させながら解決できるのかと問いたい。現段階で撤退のシナリオを描けていないのであればそれはサイドドアとバックドアを開けて暗黙裡に移民を呼んでいるのと同じだ。呼んでおいて「受け入れ態勢ができていません」ではすまないのではないか?

 私たちが今急いでするべきは、外国籍の人々が平等に社会に参入できるシステムつくりなのではないか。ここを第1だったり第2だったり第3のふるさととし、多様な人々がともに社会を作っていけるような環境づくりなのではないだろうか。

 女はとにかく子どもを産んで日本民族国家を維持しようって言われるよりは、国民国家の枠組みを緩めて、多様な出身国の人と多様な生き方を選びながら、みんなでわいわいやってく方がなんかわくわくする未来のように思える。



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