西方見聞録...マルコ

 

 

あなたの人生 - 2006年05月28日(日)

 1号さんの級友YちゃんとMちゃんが遊びにきた。

 2人ともわりと強い目キャラである。 
 
 3人の小学生とおKさんとマルコ&あめでおさんで公園でドッジボールとケイドロをマジでやって、そのあと法隆寺の境内で「グリコ」と「だるまさんがころんだ」をした。だるまさんがころんだの最中からYちゃんとMちゃんは「動いた」「動かない」でもめ始め、みるみる2人の間の緊張感が高まる。1号さんは高まる緊張感の中、まるで空気のように存在感を消す。

 さらに帰り道「グリコ」しながら帰りたいMちゃんとグリコには飽きたYちゃんがグリコをしながら帰るかどうするかでもめる。1号さんはより強者であるYちゃんにそっと同意し、身の安全を図る。

 あめでおさんは乙女たちの写真をとってて、その緊張に気付かず「じゃあグリコしながら帰るか」と場の空気を読まずに発言。Yちゃんは引きつり、グリコに参加せず、法隆寺境内を途中まで帰る。不参加のYちゃんに気付き、ようやく自分のミスタッチを認識したあめでおさんは「じゃあグリコはここまでで無料休憩所でお茶飲んでこう」と場の空気を変える。

 無料休憩所から南大門まで1号さんはYちゃんとさりげなく歩き、禍根を残さぬようにしているのがわかる。

 乙女政治学、非常に難しい。

 1号さんに見る「弱者の処世術」の洗練され方と対照的だったマルコの幼少期に思いをはせる。場の空気も読まず、相手の強弱も省みずがんがんチャレンジしていろいろ痛い目に会ってたよなあ。

 その夜あめでおさんに「徹底的に長いものに巻かれる1号さんの生存戦略は凄かったですね。マルコはああいう子どもではなかったです。」というと、あめでおさんは「自分はまさしくああいう子どもでした。」とあめでおさんなりに感慨深かった模様。

 乙女が3人集まるとそこには濃縮還元された「社会」が出現するのである。

 


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行ったことのないところに行きたい - 2006年05月27日(土)

 本日は娘1号さんの喘息検診日。
 いつもどおり診察を終え、薬をもらい、ランチバイキングして奈良公園に向かいます。

 このごろファミリーメンバー(おKさんも含む)それぞれに忙しく、月に1度の奈良、喘息医詣でがほとんど唯一家族でまったりお出かけチャンスなのに、なんだかあんまりにもマンネリです。

 マンネリをこよなく愛する男、あめでおさんは何の疑問も感じてないようでしたがマルコ奈良公園にていつもの飛火野に向かう途上のあめでおさんに「今日は行ったことのない奈良公園に行きたい。」とリクエストを出します。マルコ、変化を好む女、そのわりには結構人任せ。

 しばらくだまって東の空を見上げたあめでおさんは「よろしい。それでは行ったことのないところに参りましょう。」と頷き、飛火野に到達すると、飛火野を東方向にどこまでも参ります。


 芝生エリアから森林エリアに入り、



 再び芝生エリアに入ります。しかしもうここは鹿にしか出会わないエリアの模様。人間にはとんとお目にかかりません。



 さらに道が途切れた後、川沿いを進んでいきました。もう4歳児おKさんは歩けないような道なので抱っこです。
 うお〜たしかにこれはきたことのない奈良公園。しかし私たちは人間のいる世界に再び戻れるのか?と不安な思いが頭をよぎると、、、「ささやきの径」という結構メジャーな奈良公園内の遊歩道にでました。

 まあそう簡単には人間、県庁所在地で、遭難できるもんじゃないですな。


 他人さまのページですが参考までにささやきの径の画像なんて貼っちゃったりして。

 




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ちょっとはしりぎみ - 2006年05月20日(土)

 金曜はマルコの帰宅が8時を過ぎるので、あめでおさんが2児のお迎え&晩御飯&ねかしつけ担当者である。

 しかしあめでおさんは昨日から出張に行ってしまった。

 そんで2児のお迎えをどうしよう、もうどうしようもないのでシッターさんの手配だ!と進めてたら、1号から話を聞いた1号の友人Yちゃんのままから電話があって「うちで1号ちゃんもKちゃんも預かってご飯食べさせてついでにお風呂も入れときましょう」と天の助けの声が。

 ありがとうございます、ありがとうございます。なむなむ。

 べつに夜8時近くまで仕事をしてるわけじゃなくって夕方5時に仕事は終わるんだけどそこから延々123キロの道を越えて帰ってくると8時になっちゃうのであった。ところでYちゃんままは学校の先生(専任)をしてるのだが、1号さんによると、うちより凄いきれいに片付いてて、ご飯も凄く美味しかったんだってさ。ふ〜ん。

 6月の頭にはマルコの学会発表と1号さんの学童保育所総会(マルコは執行部で書記)とおKさんの保育参観のトリプルヘッダーも控えている。マルコは学会に行くので、あめでおさんに学童総会の書記席に座ってもらって、おKさんは1人で保育参観を雄雄しく戦う予定。1号さんに保育参観を保護者として参加してもらおうかと想ったけど「おかあさん、それはちょっと、、」と保育士さんにいさめられた。まあそうかもね。


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現在位置 - 2006年05月17日(水)

 担当している講義で恐れ多くも「国連」のことなんて取り上げたので(いやべつに恐れ多くないけどさ)、ついでに「国連職員にどうやったらなれるか」ちょっくり語った。

 国連職員になるにはどういう学歴(修士号もってるか博士号もってるか)どれだけの職務経験年数があるかそれで何歳なのか、ってことでかなり細かく職階のグレードが決められている。こんなページの「空席公告への応募について」のところに細かい表になって提示されてるけど。

そんでその表によると
P1(ぺーぺー)博士号か修士号もってりゃ職務経験0でも応募可 32歳以下
P2(主任級?) 博士号なら0年、修士号なら2年の職務経験    32歳以下
P3(課長級?) 博士号なら3年、修士号なら5〜8年の職務経験  32〜39歳
P4(部長級?) 博士号なら6年、修士号なら8〜12年の職務経験  37歳〜40歳
P5(局長級?) 博士号なら11年、修士号なら12〜17年の職務経験 41歳〜50歳

てなかんじ。
 学生諸君に32歳までに修士号とってP1、P2を目指してみたらどうだね。と煽りながらマルコも自分の言葉に、突然、煽られる。マルコは協力現場での実務経験が8年あるので現在P3グレードだ。でもさ来年40歳になったらもうP4になってしまう。今のキャリアの積み方ではP4は多分無理だ。アカデミズムの世界にいても大型の研究プロジェクトに参加して「現場」に関する研究を続ければそれでも道は開けるのか。ふいに自分が書いた板書を見つめて黙り込むマルコを学生がいぶかしげに見上げる。

 その夜、1号さんに聞いてみる。
「もしマルコが海外に働きに行きたいって言ったら、ついてくる?」
1号さんはしばし考え、「行き先が韓国なら行く。韓国語をしゃべれるようになりたいから」
 、、、大変な韓流娘を育成中である。

 1号さんとおKさんと暖かいお布団のなかでぬくぬくしながら、この暖かさから抜け出るほどの熱い志が自分の中に見つからないことに気付く。ゆっくりと青春が終わっていく。

 ま、いいさ次はおKさんが大学にでも入って、母親業を卒業したらシニア協力隊にでも参加しよう。

 ところで国連は女性職員を職員総数の半分の数にするってがんばってますが、まずはこの年齢枠をはずしてくれないでしょうかね。


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は、はなしかけたい - 2006年05月12日(金)

 今日朝、出勤途上の大和路快速で隣り合わせた女子大生がタイ語の勉強をしていた。わう〜タイ文字だ。話し掛けたい。と思うがあまりにも怪しいのでタイ語の教科書を横目でちらちらみながら我慢した。

 帰りの大和路快速で2人組のサラリーマンが「竹馬大って医学部ありましたっけ」「あるよ〜」「え?最近できたんですか?」「どうだろうな〜」「僕のころは人間科学しかなかったような」と会話していた。医学部(医学専門学群といいます)あるよ〜25年位前からあるよ〜。と教えてあげたいけど、やっぱり怪しいから我慢した。

 我慢するのってからだに悪い。


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飛鳥2006春 高松塚といちごとコスプレ - 2006年05月06日(土)

 ゴールデンウィーク遊び日記。いや、夜は一応仕事したりもしてるんですが(って誰に言い訳してるんだ)日中はなんか出かけてます。4日と5日は家の近くの公園でバトミントンをしたり、法隆寺周辺をうろうろしてたんですが、本日はちょいと遠出して飛鳥行きです。


 本日は里山遊び2006という催しが国営飛鳥歴史公園高松塚周辺地区(長!)で行われていたのでそれを一路目指しました。近鉄飛鳥駅を降りて徒歩5分で高松塚古墳周辺の公園区に着きます。そこで俳句つくりやら竹馬つくりやらいろんなテントが出ている中、一番人気の公園内の木の枝や木の実を使った木工クラフトつくりにチャレンジ。


まずこれはマルコ作の「珍獣・オカピ」4本足の長さが揃わなかったので彼女の記念撮影はねっころがったポーズでしてもらいました。



次が1号さんのお作のてんとう虫。どんぐりを半分に割って、マジックで着色しました。



最後があめでおさん作。、、、なんでしょうか、コレ。家に持って帰る途中、台座が取れたので、現在は独楽として余生をおくっています。


木工作業に血道を上げる、マルコと2児。



テントにはお手本って言うか先人の作品群が展示されてました。こいのぼりが時節柄人気でしたな。



そんで持って来たおむすびとちょっこりから揚げとかトマトとかのお弁当を食べた後、また飛鳥の紙芝居(里山クラブ:公園管理・ガイドのボランティア団体:の年配女性が制作し演じてました。なかなか味がありました)を見たあと、一路いちご狩りの農園に向かいます。



途中、なにやら怪しい施設が、、、。何かの秘密基地かって雰囲気です。



コレはですね。なんと高松塚古墳を冷却している装置だったんですね。2003年に来た時はなかったように記憶しております。その後の高松塚壁画の劣化が問題になってこういう処置をしたんでしょうな。



んで、高松塚地区の公園と隣接しているいちごハウスに行き、いちご狩りを致します。おとな1200円、小学生1000円、3歳以上600円でした。里山遊びのイベントの木工つくりや昼食代は無料だったのですが、ここに来ていきなりかなりの出費です。いちご狩り、割り勘負けはすまい、と気合入れて臨みました。


気合入れたいちご狩りのあと、再び高松塚周辺地区の公園に戻って、高松塚壁画館を見学。この壁画に書かれた女子像と男子像の古代服を再現して、着せてくれるコーナーがさっきの「里山あそび2006」会場にあったね、という話になりました。んじゃあ着てみるべ。とさっきのイベント会場に戻ります。



そんで着て見ます。これを撮影しているあめでおさんも実は男子像の古代服着てます。私は神戸のほうの小学校が行った多文化イベントでチマチョゴリも着たことがありますが、ほんとうにチョゴリと飛鳥朝廷の古代服は感じが似てました。
飛鳥時代の大和政権の支配者とチョゴリの国の関係の濃さに誰もが自然に思いを致しました。




「わたしのことは『最高尚宮(チェゴサングン)』とお呼び。」と1号さんに命令するマルコ。(チャングム用語です。詳しくはこちらら)1号さんは「おもに〜」とチャングムのものまねで返してきました。古代服姿のあめでおさんに「あ、チョンホ様〜」とか呼びかけていたら、古代服を着せてくれた里山クラブのボランティアのおばさんが「今日、放送だよね。今チャングムがピンチで心配だよ。」とチャングム会話に参加してくれました。


最後おKさん。いったい君は何の役?

ま、そんなわけで、いちご狩りでお金を使った以外はほとんどお金を使わない楽しい行楽でした。


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若草山登山 - 2006年05月03日(水)

 さて!ゴールデンウィークだ!どっか行こう!ってことで奈良公園に行きました。おい、我が家はそこしか行くところはないのか?でも今日のテーマは若草山登山です。いつもの奈良公園周遊とは一味違うのです。たぶん。




 でもやっぱりなら公園に行くと自動的にいつもの万葉植物園(神苑)にフラフラ入って藤の開花状況などをチェック。早咲き種が丁度満開でした。




 そんで藤を見ながら持って来たお結びを食べた後、おとな150円、3歳以上80円の入山料を払っていよいよ若草山登山です。若草山は毎年1月に山焼きしているので基本的に禿山です。大変見晴らしが良いので、景色を楽しみながら、楽しくつるつると登山できました。4歳児おKさんも余裕の山行きでした。




 山頂には枕草子にも登場する鶯塚古墳が。




 古墳のところに行くと360度視界が開けてまったく絶景でした。




 山頂はちょっこり公園ぽくなっていてカキ氷なんて売ってました。
 くだりはちょっと急峻で怖い箇所もありました。何事も登り時より降り時が難しい模様。



 
 降りてきて大仏殿前を通りかかると、なにやらひとの行列と何となく派手な垂れ幕が。いったい、何事かと思って手がかりを求めると、、ありました。ゴールデンウィーク中の催し物は日程がポスターと一緒に貼られてました。




 何々、おお明日はゴダイゴ・コンサート。そのつぎは、野村萬斎の狂言か〜。んで?今日は??
 瀬戸内寂聴の法話でした。東大寺ってばずいぶんと全方位外交。

===ちょっと追記===

 このあと奈良3条通りの焼肉屋の「けむりや」と言うところで焼肉を食べた。いちおう結婚10周年祝いでなんか美味しいところに行こうということで。

 「けむりや」は2002年8月マルコとあめでおさんと2人で奈良に家さがしをしに来た時に来た思い出の店だ。当時生後4ヶ月だったおKさんと年中組だった1号さんをそれぞれの実家に託し、新しいホームタウンを決めるべく法隆寺と王寺の町をものすごい勢いで歩いて、そんで3条通りのフジタホテルに宿を取って、夕食をここに食べに来たんだ。


 やっぱ関西移住は我が家の大きなターニングポイントだったな。




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