西方見聞録...マルコ

 

 

鳥羽2006 - 2006年07月31日(月)

 そんでですね。
 鳥羽旅行行って来ました〜。
 今年は某近鉄株主のHちゃん(関東在住)からご支援受けた株主優待近鉄乗り放題券があったので,まわりゃんせパスは買わずにまいりました(近鉄乗り放題券,関東人には宝の持ち腐れ)。そんなわけで今年は水族館にも行かずテーマは「海岸でまったり」と言うことで参りました。

 で、今年は「答志島」に渡りました。2004年に参りました菅島よりは漁業も観光業も盛況な雰囲気でした。島に渡るには市営定期船と民間の「王将若の花」号があります。私どもはちょっこり安い若の花号に乗りました。




 はい、で鳥羽の海。ここは答志島に新しく作られた海水浴場だそうで,なんかブイでしっかり遊泳区間が区切られていて野生の泳ぎ人,マルコは「プールみたいだ」と思いました。



 物を置くなと言われるとつい置きたくなるのは人のサガ。トンネルの中にはびっしりの『蛸壺』。



 その蛸壺でとられた蛸。現在干され中。夜のお料理ででてきました。蛸の一夜干。激ウマでございました。


 
 今回の旅行のヒドゥン・アジェンダは「睡眠」マルコはこの前後あんまり睡眠の取れない毎日を送っていたので,5時に早めに夕ご飯を出してもらった後、なんと7時には睡眠開始!宿屋の人もビックリでした。

 潮風が心地よく,冷房切って窓を開けてるとぐっすり眠れました〜。
 で,朝は6時から島の遊歩道を散歩して『富士見台』というところに参りました。空気の状態がいいと富士山も見えるとか。


 
 そんでまあ2日目ずっぷり泳いで,やけどのような日焼けをし、また早寝して早起きして、3日目は堤防で朝釣りをしてから,帰途につきました。
 帰途,鳥羽駅にて地元の小学生が海の魚のオブジェを飾っていたのに1号さんが感動しておとうちゃんに頼んでいっぱい写真撮ってもらったのでした。



 そう、地元の人の生活がすごくかんじられたたびでした。泊まった旅館の若女将の子どもは保育園と学童いってるそうです。
 また、朝な夕なに漁協から「海女委員の人は漁協に集まってください〜」とか「海女委員の協議の結果今日はOO時OO分より出漁します〜」とか海女委員の動向が逐一わかる島内アナウンスも楽しかったです。また来年までさようなら鳥羽の海。


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だした〜 - 2006年07月27日(木)

秋の学会の発表要旨を大会準備委員会に提出した。締め切りの20分前(12時に日付が変わる前)に出せた!と思ったら1日締め切りを間違えていて締め切り1日遅れの提出になってしまった!!

こ、これって許されるのかな?今から泣きながら謝罪メールを書く予定。


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石のなかの君 - 2006年07月26日(水)

 あまりネット上ではいわないようにしていたが、前期、マルコの非常勤先の大学<丙>の学生さんはすごいやる気がなかった。何人かの中国からの留学生は非常にやる気満々なのに日本人学生さんのやる気のなさったらなんだかすごいものがあった。

 偏差値の低い学校だったのでこれまでの学生ライフで学校=キライっていう固定観念が出来ちゃってんのかな〜とちょっとマルコもやさグレていた。それなりにおもしろい試みもしたつもりなのだがとにかく空振りばかりしていた。

 非常勤先<甲>の大学も昨年ノリが悪いな〜と思ったけど、ノリが悪くてもとにかくみんな聞いてくれているし、学問を楽しむ雰囲気はあった。非常勤先<乙>の専門学校はとにかくみんな学費の分は取り返すぞ!という覚悟で授業に臨んでる感じで鬼気迫る積極的な授業態度であった。

 でやる気のない皆さんが集う<丙>も学期末を迎え、テストとをし、課題レポートを回収した。

 レポートは「学期中講義で取り上げたトピックから一つ選んで貴方が本を執筆したとします。どのような目次構成になるか、各章の章題と内容を簡単に記しなさい」という課題である。

 適当にやろうと思えば適当に出来ちゃうし、気合入れようと思えばうんと気合の入る課題である。案の定適当レポートが量産される中、1人の学生レポートを手にしてマルコは凍った。

 気合だけではなく質量ともにこれまで受け取ったことがないような高水準のレポートだった。その学生は4年生で就職活動の関係で何度か公欠をとったため、顔は覚えていた。しかし授業態度が取り立ててよかったわけではない。いつもつまらなそうに話を聞いていたし、ときどき寝ていた。ほかのやる気のない諸君となんら変わらなかったように思う。

 彼の中にこんなにいろいろ伝えたい思いや学問への渇望が眠っていたのに、それを学期中は発掘できなかった。それがこのタイミングで堰を切ったようにレポートという形で外へと噴出したのはなぜだろう。


 彼のレポートがどうすごかったかを説明するためにもう一歩踏み込んで背景を説明すると、マルコが今期その大学で担当しているのは[多文化共生論]というちょっとあたらしめの学科だ。文化人類学的な異文化理解を応用した話もするし、マルコにとってはあんまりなじみのなかった異文化コミュニケーション論的な話をすることもある。人の国際移動の激化の中で世界各地で出現している多文化社会がいかに運営されているか、いかな問題を抱えそれに対処しているかなんてことも語る。

 学期最後の授業で、他者に対する集団アイデンティティ認知から個別アイデンティティ認知への転換の重要性について語った。ガイジンという集団カテゴリーでしか他者を認識できないことがステレオタイプ化やひいては差別や偏見を生んでいく。とにかく個人として他者と出会えることから理解が始まる。ということを話していってもわからんのでこんなビデオをみせてこのビデオを制作した日系ブラジル人のルマちゃん在日韓国人のスナちゃんという名前のある個人と出会ってみて。と語って、これらのビデオを学生諸君に視聴させて学期を締めくくった。


 おそらく件の学生は『スナちゃん』と強烈に出会ったのだろう。彼はレポートで自分自身が日本名を名乗る在日韓国人であること、現在の在日社会における日本社会への同化の現状、在日であるために現在の制限されている権利。現在ある冷静な部類の在日社会への批判の検証。といった項目を挙げかなり実証的にしかし確かな筆力で溢れる思いを冷静にレポートとして仕上げてきた。

 読んで頭が下がった。

 「偏差値の低い大学の学生」という集団アイデンティティでしか相手を捉えていなかったのは私のほうだった。きっと他の超いい加減なレポートを出した学生もつながる回路さえあれば、溢れる情熱が学問という形で噴出したのかもしれない。出来の悪い学生を愚痴る前に、回路を開けなかった教師としての己の無力を恥じねばならないと思った。


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それは成人女性としていかがなものか - 2006年07月09日(日)

 髪を切った。だって暑いんだもん。

 でも美容院に行く時間はなかった。だから子どもらと一緒にあめでおさんに切ってもらった。シロウトさんに切ってもらうなんて協力隊員のようだ。でもあめでおさん、子どもらので切り慣れてるので大変お上手でした〜(負け惜しみ?)。

「OL風と熟女風とどちらがよろしいか?」
ときくので
「ではひとつOL風でお願いします」
と依頼したところ、きりあがった髪型は女子小学生風の1号さんととても似ていた。
多分この1パターンしか出来ないのではないかと思われる。


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日系人学習 - 2006年07月06日(木)

講義のネタに「多文化教育の実践例」を調べていてアメリカで行われている「日系人学習」という学習に行き当たった。

本日の日記内のこれから「」内の引用箇所はすべて森茂岳雄「アメリカの歴史教育における国民統合と多文化主義」 『多文化主義のアメリカー揺らぐナショナルアイデンティティー』(油井大三郎、遠藤泰生編 東京大学出版会1999年)からである。

アメリカで行われているエスニックスタディーズの多くは大学のカリキュラムとして位置づけられ、その後中等、初等教育のカリキュラムに取り入れられていったものが多い。またインディアンスタディーズやブラックスタディーズのように特定のエスニックグループを教育対象と想定しているものもある。しかし、アメリカの人口の0.3%にしか過ぎない日系人を取り上げたこの学習は、「すべてのアメリカ人のための問題」(p.176)と位置づけられているという。

日系人学習は第二次世界大戦下の<強制収容>と<戦後の謝罪と補償>の2つのパートに分けて行われる。
パート1では強制収容された日系人を「共感的に理解」することが学習目標としてあげられる。ここでは「強制収容を通知されたある家族の行動」をロールプレイしたり、当時の写真「FBIが日系人家族を家宅捜索しているもの、収容所に向かう線路の脇でりんごを手にして大きな荷袋に座り込む少女、収容所の有刺鉄線の向こうの荒野を見つめる少年」などの写真を見せ「この子供はどんな気持ちであるか、もし自分がこの子どもだったらあなたはどうするか?」等の話し合いがされ、「自由や人権の侵害」について侵害されたものの立場に共感的に理解できるように授業案が工夫されているという。また21世紀架空の国ザーゴニアンを仮想敵国と想定してアメリカ国内のザーゴニアン移民への対応をシュミレートするなどの発展的カリキュラムも提案されている。

パート2の戦後の謝罪と補償の学習では「アメリカが戦争中の不正義をただし謝罪と補償という民主的な対応をしたことを知り、」「(生徒に)どんなときでも、憲法・権利章典およびすべてのアメリカ人の市民的自由を擁護するための責任を共有していることを考えさせ、理解させる。」ことを目標としているのだという。

講義で日系人学習を取り上げながら、では今、私たちは国家間で緊張関係にある国からの移住者に対して彼らの「市民的自由を擁護するための責任」を共有できているだろうかとはたと考える。たとえば朝鮮半島にルーツを持つ人の言論の自由という市民的権利を擁護する責任を私たちは果たせているのだろうか。成城トランスカレッジでちょっと前紹介されていたこのブログのことなんかを考える。

テポドンが飛んだ朝、アメリカで行われている「日系人学習」から学ぶべきことは、私たちにもたくさんあると切実に思った。




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