熱闘!土筆ハンターたちの午後 - 2005年03月27日(日) みなさ〜ん、「斑鳩・土筆にょきにょきの法則」を発見しました〜! それは、それは「土筆ハンターにやられてないところには土筆が生えてる」ってことです。 さて、この日は斑鳩ジモティのAちゃんにご同行いただいて、わがファミリーメンバーと合計5名で土筆狩りに参りました。前夜、Aちゃんをお預かりする段取りをAちゃんままと打ち合わせをしているときすでに Aまま「あんなあ、今土筆はOX農園の裏のあたりがいいって話やけど,子連れで土筆狩りは危ないで〜。きいつけてや〜」 と警告をいただき、はて?子連れで土筆がりが危ないとは、こはいかに? と、頭の中で疑問符が飛びかいましたが、現場に行って納得でございました。 晴れた日曜の午後、法輪寺の付近のOX農園から法隆寺の裏手の溜池の上のほうを5人で放浪した結果、私たちが眼にしたのはでかいスーパーのビニール袋に土筆を満載させた斑鳩ジモティの土筆ハンターたちの群れでした。 そうなのです。これまで私たちが土筆を探していた町中の田んぼや畑のあぜなんて朝の農作業がえりのおっちゃんおばちゃんらに採りつくされた後の狩場だったのです。 今の時期、土筆を大量ゲットしようと思えばかなり町から外れた場所か急峻な斜面を駆け下りながら土筆を探さねばならなかったのです。そして私たちは目撃しました。ものすごい急峻な斜面をマシラのようにすべりおりながらすばやく土筆をGETしていく老女(80歳以上)の姿を。 アプローチの良い場所はすでに他の土筆ハンターが狩り尽くしているのです。それでは山の中にいたずらに入れば良いかと言うと日当たりが悪くなると土筆は生えてません。やっぱ狙うは足場の悪いベテランハンターたちの盲点となるような場所なんですが新参者でさらに2歳児連れの私たちにはあんまり良いポイントは探せませんでした。 それでも数10分のうちに数人のジモティ土筆ハンターが通りすぎた後の田んぼの畔で狩り残しの土筆を数本うれしそうに狩り,持参したスーパーのビニール袋に入れました。当然ビニール袋はスカスカです。他の土筆ハンターの満載のビニール袋と比べるとお恥ずかしい限りなんですが、まあ、しかたありません。 帰宅してとってきた土筆の袴を取ってあらって、油いためをしているとAちゃんのままがAちゃんを迎えに来てくれました。Aちゃんままの実家は町内にあり、Aちゃんままのさらに母上(Aちゃんの母方祖母)がやっぱり今日は土筆狩りに行ってきたということでビニール袋に満載の土筆をおすそわけしてくれました。 斑鳩ジモティの底力の前に、ひれ伏すしかないマルコでありました。 ... 花粉群れ飛ぶ山辺の道 - 2005年03月26日(土) 春ですね〜。花粉飛んでますが今シーズンの記念すべき行楽第一段に桜井市の「山辺古道」に行ってまいりました。 行楽の定義ですが『法隆寺と奈良公園以外に公共交通機関を使ってでかけること』を我が家では行楽といいます。 JR奈良駅から桜井線に乗って「三輪」を目指します。奈良駅から京都方面に向かう「みやこ路快速」は山手線もまっつぁおな混みっぷりでした。春だね〜。 ところが桜井線も結構な混み方でした。しかし80%の乗客は天理で降りました。天理教の皆様のお参りルートなのね。で、天理以降はとってものんきに単線の桜井線に乗って大神神社(みわじんじゃ)のある三輪駅にておりました。 実はですね。2年半前、関東から引っ越してきて最初の週末だったかに、奈良の空間把握を目指して家族で王寺から奈良まで桜井線でぐるっと奈良盆地を一周したことがあるんですわ。(桜井線は奈良の山手線というかとにかく奈良盆地を囲む山々の山すそをぐるっと一周している路線なんですわ。)斑鳩は奈良盆地の北西に位置し三輪は南東に位置しているのです。 しかしこのときはなぜか1号さんに喘息の薬を飲ませるのを忘れたので、12時過ぎにタイマーで計ったみたいに発作を起こしてしまい、大神神社の参道の途中から急遽引き返したということがございました。そんなわけで(写真とかとらなかったので)HP日記には掲載しなかったという過去がございます。 そんで現存する最古のお寺が法隆寺、最古のお宮が大神神社になるんですわ。 背後にそびえる三輪山がご神体。原始アニミズムの例として必ず文化人類学の教科書に出てくるのです〜。 お、なんかお祭りやってます。いきなり神様関連のものが目の前を担がれていきます。 神主さんが記録用に写真とか撮ってます。 そんでなんか集団でお餅を搗いて、参列者に配ってました。なんか土着の神様って感じでいいですよね。青年団の皆様がかなり頑張っていました。 そんで大神神社の裏手から大和3山を望みながらおにぎりを食べました。大和3山は法隆寺西円堂からも見えますが、桜井の方がちかいっすね。 そんでいよいよ山辺の道へ。『日本最古の道』です。何でしょう?日本最古の道って。お上がつくった、つまり官製の道として最古だそうです。国道1号って感じでしょうか? 道端の野の花。 み、みかん発祥の地、、、。そ、そうですか。 梅の向こうに景行天皇陵。結局この日は3キロほど山の辺古道を歩きました。杉の木もたくさん有りました。マルコ、マスクにめがねでとても不審者ルックでした。 ... 春のわかれ - 2005年03月25日(金) 春は別れの季節である。「おかあさんといっしょ」の体操のおにいさん佐藤弘道さんもご勇退だし。(ところでどうでもいいが「おかあさんといっしょ」というタイトル名変更運動に取り組む小猿が一匹うちにいるんですが、あれはブランド名のようなものだから変更は難しいかな〜?小猿は「おとうさんといっしょ」もしくは「ほごしゃといっしょ」にしたいんだってさ。なるほど〜。) さて、前日日記で登場した美容院だが私はそこの美容師さんがとっても気に入っていた。 私はもともと美容師さんの好き嫌いが激しく、関東で暮らしていた時は基本的には実家近くの美容院でSさん(女性)という美容師さんに途中何度か浮気したものの18歳から35歳まで基本的に面倒を見てもらってた。 関西に来てからは大学最寄駅の六甲道のすぐ近くのこのこじんまりとした私と同世代の男性2人で経営している美容院をずっと愛用していた。 まえのSさんと現在の担当美容師さんはともに技術がしっかりしているだけでなくて「おしゃれだけどハートが実直」ってところがポイントだったのだ。 「とにかく髪形に時間をかけたくないので朝目を覚まして30秒のブラッシングで形になる髪形を作ってくれ。」 とか 「美容院にじっくり来る時間が取りにくいので出来るだけ長持ちできる髪型にしてくれ。出来れば3ヶ月に一遍の来院で済めば理想的。」 など、おしゃれ星人な美容師さんにはむかつくような(そして技術を要求する割にあんまりコストパフォーマンスのよろしくない)要求を出す客だった。でもとにかく2人はそんな私の要求を的確に理解してくれてできるかぎり実現してくれようとしていた。 今回は12月の終わりにパーマをかけて以来だったので実に3ヶ月ぶり。美容師さんも「いや〜がんばりはりましたなあ、記録に挑戦って感じですな」と感慨深げ。 それで、表題の春のわかれなのだが、この現担当の美容師さんが5月いっぱいでお店を辞めて故郷の淡路島に帰っちゃうそうなんである。 く〜。マルコ無念。移住してすぐに飛び込んだ店でとっても上手でおしゃれ嫌いの心がわかるおしゃれな美容師さんに出会えた幸運に心から感謝だ。このお店にすぐに着地出来たお陰でどれだけ心穏やかに関西ライフを始める事が出来たことだろうか。美容師さんとマルコはわりと良くいろんな話をした。マルコにとって美容師さんはおしゃれ系関西インフォメーションを提供してくれる最初の関西人だったのだ。六甲道の美味しいお店もこの人から随分教えてもらった。(でも時間の関係でまだどこも試してないけど)また会話において「いまの(発言)はボケたところなので、ここで突っ込んでもらえんと関西人は立つ瀬を失います。」等と非常にわかりやすく関西初級ぼけつっこみ会話術を伝授してくれた。 この日も<隣の女>がハイソに盛り上がる中、「斑鳩の耕運機の多様性」と「淡路島の軽トラはキャタピタがついている。」「農民車というエンジン剥き出しの動力車に小さい荷台を引かせたものが淡路島では普通に走っている。」「ミゼット(三輪トラック)も子どもの頃に良く見た。」など渋い話題で2人でそれなりに盛り上がっていたのだ。 しかし仕上げの段階になって「今日も上手く行ったからまた長持ちできますよ。」とおっしゃるので「次回来院は『目指せ夏休み』ですね。」というと「そうですね。上手く行ったらそうなります。でもその頃には僕このお店にいないんですよ。」 といわれてマルコ大ショックだったのである。 ああ、おばあちゃんになるまで髪の毛の面倒見てもらうつもりだったのに。ホント残念。淡路島に帰ってもご活躍を法隆寺よりお祈りしております。>美容師さん。 ... 隣の女 - 2005年03月24日(木) 六甲道の美容院に行った。この頃白髪が激しいので白髪染めとパーマと両方お願いすると結構時間がかかる。暇なので店の備え付けの女性雑誌だけでは飽き足らず持って来た本まで読んでしまう。 お店はこじんまりしてとってもアットホームな雰囲気なのでいつもお客さんは私ともう一人くらい。2人の美容師さんがそれぞれのお客さんとお話しながら作業を進める。 今日の隣のお客さんは神戸のハイソマダムという雰囲気をふりまいている私と同年代の女性でかなり美容師さんと盛り上がってしゃべっていた。彼女は専ら自分の話をして、美容師さんがそれに相槌を打つという基本姿勢だったのだが、なんというか幕間の寸劇を見聞しているみたいだ。 いわく 「うちって子供達に乗馬やらせてるでしょ?主人はゴルフやるし、みんなテニスもするからこれで社交ダンスでも子どもに習わせれば、イギリスに移住してもやっていけるっていってるの。」とか 「今度タイのビーチに行こうと主人と話してるんだけど、シーフードはやめとこうっていってるの。絶対水死体食べてるから。」 なんっていうか繰り出されてくる話題がいちいち「友達になれそうにない」オーラにまとわれている。友達になれない人の話をこう間近で長時間聞く機会ってあまりないのでなんか貴重だな〜、とヘンな感慨を抱く。もし間近にはなすような友人が「イギリスに移住できるうんぬん」といえばケッと冷笑してあげるし、「タイのシーフードうんぬん」なんて言ったら、眉間に少ししわを寄せて「被災地に対して人としてそういう言い方ってどうかと思う、というか風評被害生んでどうする」という気持ちをちょっこり滲み出させることができる。でも彼女にとって私は話し相手ではないので私は反応できずにただただうつむいて話を「拝聴」するだけだ。 こういうのってなんかに似ているな。そうだ全然共感できないのに「怖いもの見たさ」で目が離せなくなっちゃった人のブログを読む気分だ。 インターネットを利用した日記やブログを読んでコメント欄や掲示板に書き込んでくれる「読者」って(おおむね)賛同者だけど、共感できない「読者」ってサイレントな傍観者になるんだよね。 さて件の「隣の女」の話は続く。 「今日は午後からボランティアで日本語を教えに行くの。まったく日本語の出来ない韓国の人に」 お、「隣の女」そんな一面が有ったのか、見直したぞ。 「生徒はね、神戸大の交換プログラムできている大学教授とか関空の航空会社で働いてる人とか、すっごいエリートなの〜」 、、、そんなにハイソにこだわらなくてもいいとおもうぞ。と、心でコメントを出しておく。 ... 前夜祭ー法隆寺お会式お逮夜 - 2005年03月21日(月) 晴れて気持ちのいい連休最終日。 午後から性懲りもなく土筆狩りに町内を放浪。今日は藤ノ木古墳近辺の緑地を狙ってたんですがいきなり土筆がにょこにょこ生えてる田んぼのあぜを発見しました。おんなじような畑でもにょこにょこな畑と全然生えてない畑があります。土筆にょこにょこの法則が今ひとつ解明できません。 あめでおさんはこれだけ町内くまなく歩いたので「土筆MAP」を作るという相変わらず趣味なんだか仕事なんだかいまいち不明な野望を抱いていました。 さて帰り道、法隆寺にちょっくらよると明日から始まる法隆寺のお会式のために露店が準備されておりました。聖徳太子の1400ウン回目の命日&法隆寺のお祭りですわ。 そんで前夜にあたる本日午後6時より、聖霊院にてお逮夜の儀式が営まれます。そんでいったんうちの近くのファミリーレストランにて夕食を取り、6時前に法隆寺に再び出向き、お逮夜の法要に参列する事にしました。 お、先導役の2人組(おひさしぶり!)が本坊前でスタンバってらしゃいます。 南都楽所(なんとがくそ)の皆さんもお逮夜法要にお出ましになられます。南都楽所に関しては楽人の一人「のぶゆきさん」が大変わかりやすくまとめてらっしゃいますので ttp://www.cam.hi-ho.ne.jp/nobuchi/home1.htm こちらの「雅楽講座」のページを御参照ください。のぶゆきさん、今日も出演してたのかな〜? またもやめずらしい法隆寺(聖霊院)ナイトショット。 聖霊院の内陣に須弥山をかたどる供物が置かれその西側に南都楽所の皆さんが鎮座。(供物についてはこちらや法隆寺公式サイトをご参照ください。) そして約30名ほどのコアな法隆寺ファンが畳敷きの聖霊院のお堂に正座します。 この中で6時の鐘とともに雅楽が奏でられる中、先導役の杖の音とともにお坊さんの行列がやってきます。僧の皆さんが東側から聖霊院に入ってこられて、定位置につきます。雅楽と僧の唄(ばい)が掛け合いのように、ときには合唱/合奏になったりしながら奏でられます。 明かりはろうそくだけなのでとっても幽玄な雰囲気です。古(いにしえ)から都が移ろうと支配者が変わろうとあんまり関係なくこうやって唄いつづけてきたんだろうな〜とおもいました。 法要後参列者は内陣に招かれお供物を間近に見、普段は非公開の聖徳太子像を見せてもらえます。また法要中撒かれた「散華」を拾うことが許されます。(でも最初の方の数人しか拾えないので私たちは拾えませんでした) おKさんと1号さん間違いなく最年少参加者でしたが1号さんは終わるまでの1時間のとんど身じろぎもしませんでした。おKさんも奇跡のように50分ほど静かにしていましたが、もぞもぞしだしたのですばやくあめでおさんが外に連れ出しました。雅楽を間近に聞くのはみんな初めてだったんですが思わずアルファ波が脳から漏れちゃいそうな心地よさでした。 おKさんも帰途「おもしかったね〜」と興奮しておられました。法隆寺年中行事を探るシリーズにまた新しい1章が加わりましたわ。 ... 鹿せんべい 土筆狩り - 2005年03月20日(日) 本日、奈良公園で鹿せんべい飛ばし大会が挙行された模様。 非常に心惹かれ日記ねた的にも美味しそうだったのだが、受付時間が朝の9時と微妙に早かったので今年はあきらめました。いつか参加したいです。 そんで今日は何をしたかというと、早春の恒例行事、土筆狩りにまいりました。 ... NOBODY TEACHES - 2005年03月17日(木) 今日の朝、電車で1号さんが保育園時代一緒の班だった男の子Tくんのお母さんと一緒になった。Tくんは転園してきたばかりの1号に常に優しく、ちょっと班全体が1号の引っ込み思案度に疲れていじめっぽいムードになったときも1人だけ1号のそばに寄り添ってくれていた。お礼にその年のバレンタインデーに50円のチョコを1号は購入し、やっぱり引っ込み思案で渡せなかったのでマルコが代わりに渡してやったりした。 T君のままは外国の人で日本語があまり自由にしゃべれない。そしてまったく読めない。Tくんのお父さんは日本人だったけど随分前に他界してしまったそう。 「小学校は毎日学校からお知らせが来て大変でしょう。」ときくと「先生が一応教えてくれるけど、わからないことが多い。」tのこと。 そしてTくんままは「1号ちゃんは保育園にはいたけどどうして小学校にはいないの?」ときくので「町に小学校は3つあって住んでるところによってみんな分かれていったんだよ。」と説明する。小学校が複数あるのも知らなかった様子。 さらに「保育園は良かったけどいまは、学校が終わると一人で家にいるから大変」というので「学童保育は?」と聞くと「知らない。それはなに?」という。「学校が終わったあとのDAY CAREだよ。保育園を出た子で必要な子は行ってるよ」と説明すると知らなかったそう。 なぜだ?なぜT君のままは学童を知らなかったんだろう? 保育園から学童の申し込み書類をもらったはずなのに。1号の年長組のときの担任先生も園長先生もそれはそれは行き届いた人々でそんなことをおざなりにするとは思えない。T君ままが説明されても、日本語が理解出来なかったのを申し込みの意思ナシと見られたのか? 神戸の方には多言語での生活情報提供のサービスやサポートグループが多数あるのだが奈良はそうしたサービスがまだ盛んではないのだろうか?またそうしたサービスポイントへのアクセス自体がT君ままにとっては越えるべき大きな山になっているのだろうか。 異国でアクセスできる情報が限られている中、生活するのって本当に大変なんだな、と実感する。隣人として何が出来るのか。まずは世間話からはじめようと思った。 ... 時限恋愛 - 2005年03月16日(水) 突然だが図書館で「デッドエンドの思い出」吉本ばなな著(文芸春秋)を借りて読んだ。ちょっと切ない感じのラブストーリーが数本収録されていた。あとがきによると「出産をひかえて、過去のつらかったことを全部清算しようとしたのではないか」とあって、「なにひとつ自分の身の上に起きたことなんか書いたことないのに、何故かこれまで書いたものの中で一番、私小説的な小説」ばかりだそうな。 この本の中で、恋をしたけど相手は異国に行くことが決まっていて「もうすぐ別れるだけの」「何をしていてもすごく楽しくて、すごく悲しい」若い男女の話が出てきた。そう言う設定ってあまりにも作り物めいていてあんまりしっくりこない話が多いのだが吉本ばななが描く淡々としたなんとなく若年寄っぽい若者像が演じるとこういう設定でも素直に読めた。 大江健三郎の「治療塔」に出てくる主人公リッチャンとその夫の朔ちゃんも出会ってわりとすぐ恋に落ちて結婚して子どもを産んだと思ったら、朔ちゃんはとっとと宇宙の果てに行ってしまってリッチャンは子どもを育てながら朔ちゃんの帰還を待つのだが結局(生身の人間としての)朔ちゃんは帰らない話だった。まあテーマが男女関係じゃないので大宇宙の中の人類の癒しの前では一組の男女の別れはけっこうあっけない描かれ方をしていた。 あらかじめ設定された別離を前提に恋愛するのは結構エネルギーの要ることだ。自己陶酔の甘い悲嘆の罠にはまらないように淡々と日々を送ったり、その間に論文書いたり通常業務をこなすのはまったく骨の折れることだ。 マルコとあめでおさんも恋愛したと思ったらすぐにマルコが二年間アフリカに赴任することが決まったので別離が時限タイマーでセットされたみたいな恋愛初期を送った。そしてその間に2人とも修士論文を書いたんだから今考えるとご苦労さんな話だ。(どうでも良いけど小説ではいつも置き去りにされるのは女なんですが、旅立つ方が絶対お得だと思います。) でもこのごろ思うのだが「別離」がセットされてない人間関係なんてない。いつか皆緩やかに別れていく。生きていても別れるし、死んで別れていくのは避けられない。子どもだって自立していつか巣立っていく。別離が関係の初期に来るか、後期に来るのかの違いなんだろうな〜。でも当事者の痛い感じはきっと初期だろうが中期だろうが末期だろうが変わらないように思う。というかそれぞれのそれなりの痛みがあるのだろう。 ちなみに別れっぱなしになる覚悟がなくて別れてもまた再会して関係を再構築しようね、というのが一番しんどいように思う。なんか愛だけじゃなくて執念みたいなものが混入するので。私も帰国してあめでおさんと結婚するまでは「これは愛ではなく根性のような執念のようなものではないのか、もしかしたら呪いも少し入ってるかも」なんて考えたこともあった。多分全部なのだろう。 吉本ばななの話を読んで少し別離と再会をテーマにした本とか読んでみたくなった。例えば、弥二喜多IN DEEP(しりあがり寿著)とか?ちょっと違うか。 ... インスパイア―女の魅力 - 2005年03月09日(水) 突然ですが何度か掲示板で「女(男も)の性的魅力というのは文化の産物であって世界共通のスタンダードがあるわけではない。」という話題が出ました。(ブラジルの豊尻手術@ぴよたさん、なんて話も出ましたな) そんでそのとき「世界の民族のびっくり美の基準」について書かれた文化人類学の参考書があるから、その本が見つかったら日記にアップするよとか言っておりました。本日、当該本が(我が家の地獄部屋から)見つかったので謹んで「世界の民族のびっくり美の基準」をご紹介させていただきます。 出典は「新編 人間の一生<文化人類学の視点>」 綾部恒夫編 アカデミア出版会より 我妻洋著「性・愛・結婚」の章(P.180〜181)ですわ〜。 直立した半球状の乳房 マサイ族、マヌス族(ニューギニア) 長くぶら下がった乳房 アザンテ族(スーダン)、ガンダ族(ウガンダ) 大きな骨盤・大きな尻 クワキトル族(カナダ)、ウォゲオ島民、シリオノ族、チャクチ族(その他) *これは凄くたくさん民族名があったので少し割愛しました。 でかい尻好き、けっこう広い範囲で見られる現象ですな。 狭い骨盤・小さな尻 ヤクート族(シベリア北東部) *私はヤクート族に生まれなくて良かった。 肉付きの良いふくらはぎ イラ族、クワキトル族(カナダ)、ウォゲオ島民、トンガ島民、マオリ族 小さなくるぶし クワキトル族(カナダ)、トンガ島民、レンゲ族 大きな大陰唇 ヴェンダ族、ダホメ族、トラック島民、ポナペ島民、ホッテントット(ナマ族) *自分じゃ見えないところだね。コンプレックスにならなくていいかも。 大きな陰核 イースター諸島民 *見えないってば 肥満体をよしとす人々はアベラム族、ウオゲオ島民、ガンダ族、ハワイ諸島民など全世界にかなり広く分布している模様。中間体がいいという人々もいます。アパッチ族、サンポイル族など(いずれも米国の先住民)、痩せ型がいいというのはイラ族、パラオ諸島民、マサイ族などでした〜。 で乳房が性的対象にならない文化がクック諸島のマンガイア島民などでみられました。 ちなみにハワイの貴族は「大きくてまろやかな腹」が女性の最大の魅力で超肥満型女性を好むらしいです。 また好まれる男性像で「無毛」というシャンバンテ族(ブラジル)の例もありました。 今日の結論、「ダイエット(植毛)よりも移住」 追記:あと性行為も文化によってかなり多様性があってその一覧表も載ってるんですが(あくまでこの本は学術書なんすけど)ヘンな検索ワードでヒットした読者様が集まるといけないので止めておきます。 しかし「調査報告のある社会に関する限り、性行為において男性がイニシアチブを取り、前戯もあまりせずに自分のクライマックスだけを一方的に求め、女性の快感に配慮しない社会が女性も一緒に性を楽しむ社会よりずっと数多い」(P.191)だそうです。わたなべずんいち先生の「愛のO刑地」は諸国語に翻訳して売り出すとトラック諸島あたりでブレイクするかもしれません。 追記1 トラック諸島の女性は超積極的だそうです。失礼しました。>トラック諸島の皆様 追記2 ホッテントットは蔑称で今は普通使いません。コイ族もしくはコイコイ(土地の言葉で真の人という意味)が使われているようです。 ... 機密漏洩 - 2005年03月07日(月) 日曜日、法隆寺からの帰りにケーキ屋によってホールケーキを買った。1号さんがお病気でずっとできなかったひな祭りを今日やろうということになったのだ。ケーキ屋にひな祭りケーキはもう置いてなかったので普通のチョコレートケーキを買った。 お金を払う段になってマルコが払うかあめでおさんが払うかちょっともめた。「も〜私、春休みで給料無くって赤貧なんだからね。」とか「さっきおKの医療費にわしから一万円もぎ取っていったやんか」とか「あ、そのお釣りが5000円があるわ。」とか「それではらっといてよ、も〜」とかまあそういう醜い争いをした。1号さんとおKさんはよだれをたらしそうになってケーキが並ぶショーウインドウを食いつくように魅入っていた。 そしてお金を払うと、愛くるしいケーキ屋の店員さんが控えめに「あの〜山田あめでお先生ですよね?」とおっしゃる。 、、、、あめでおさんの担任クラスの学生であった。 本日わが一家は外であんまり恥ずかしい事をしてはいけない、ということを学んだ。 「でもさビデオ屋さんで『女子大生緊縛なんちゃら』とか言うビデオを借りたところを見られたわけじゃないからええやん。」と主人らしく飼い猿=あめでおを慰めてやるマルコ。 その日の夜1号さんはたまっていた宿題の中から「あのね帳」という日記と作文を足して二で割ったような課題に取り組む。でもずーっと寝こんでいたので書くことのない1号さんは今日のひな祭りのケーキを食べたことなどを書いていたようだった。でも『読んじゃダメ』というので1号さんが寝入った後、読んで見るとそこには我が家のトップシークレットであるケーキ鍋の様子がばっちり記述されていた。 チョコレートケーキでやるケーキ鍋、いつにも増して濃かった。 ... 予定通りの休日の午後 - 2005年03月06日(日) さて日曜日の昼下がり、マルコは県立M病院の救急外来の廊下にいた。私たちのほかに6組ほどの患者さんがおられた。インフルエンザ時々ロタって感じでみんな一筋縄では行かなさそうなお病気でこの場に集まられたご様子。 そしてそれぞれの患者とその付き添い人たちは決して同じソファーには座らない。それぞれ半径三メートルくらいの同心円の中心に座り、他の患者と適度な距離を保ち「感染(うつ)さないでね」オーラを発しながらガンを付け合っている。 ひときわ高い音が響き救急車が横付けされ、ストレッチャ―に寝かされているらしい患者(多分赤ちゃん、でも布団の陰で見えない)とその母親と三人の救急隊員が血相を変えて廊下に走りこんでくる。しかし病院側はストレッチャ―をそのまま廊下に待機させる。忙しく行き交う看護士さんたちはストレッチャ―も見えないかのようにその前を行きすぎる。 救急隊員のお兄さんが一人の看護士さんを呼びとめ「あの,小児科なんですが」とドスの聞いた声で言う。 看護士「ええわかってます。」 救急隊員「よろしくお願いしますよ」 看護士「そのままお待ちください」 となかなか乾いているけどそれなりにそれぞれの存在を賭けた会話が交わされる。 そんなとき 「山田Kちゃ〜ん診察室におはいりください。」 とよばれる。ひえ〜救急車の患者よりも前かい。 さてなんでマルコが日曜の午後そんなところにいたのか。 こんなに良く晴れてうららかな日曜、昨日夜には1号さんのお熱も下がり,今日は久しぶりに法隆寺にでも散歩に行こうかとはなしていた楽しい日曜。ベランダで洗濯物を干していたマルコのところにおKさんがサンダル持って現われマルコの足元に絡み付いて戯れ始めた。マルコが洗濯物を干し終わり中に入るので「おKはいろう。」というと「いやんいやん」というようにベランダに寝転がろうとするおKさん。「だめだよベランダで寝たらばっちいよ。」とおKさんの腕を引っ張り、立たせようとした。そのとき何かが起こったらしい。 家に入っておKさんが「いたいの〜いたいの〜おててがいたいの〜」とファミリーメンバーに訴える。別に腫れているわけではないがこころもち腕がダランとしている。 こ、これは,脱臼(もしくは肘内症)か〜? とりあえず日曜でもやってる整形外科を案内してもらおうと119に電話をする。そうすると以前のKさんが入院したことのある県立M病院が本日の休日診当番だという。そこでM病院に電話をすると「今ものすごく救急が込んでいて電話もつながらないからかけ直してくれ」と総合受付で言われる。 そうこうしているうちにあめでおさんが焼いていたごまパンが焼きあがり皆でお昼ご飯を食べることにする。おKさんはとりあえず痛くなくなったようですでに1号さんと何かして遊んでいる。 痛くないのかな?脱臼じゃなかったのかな?と不審に思う。何を隠そうこのマルコは幼少時、腕を脱臼させてばっかりいた。三回はやった。しかしその都度痛かったような気がするのだ。このおKさんの余裕っぷりはなんか違うような気がする。 どうしようか、混んでておそらくインフルエンザ渦まくM病院の休日救急に行くべきか?それともあしたを待って近所の整骨院にいくべきか? ご飯を食べ始めるとおKさん元気に食べるがしかし痛いほうの右手を使わず左手で食べており、右手は相変わらずダランとしている。 そこで稲田堤時代の1号さんの親友Sちゃんのママに突然だが電話することにする。Sちゃんママはクローズアップ現代で国谷さんに紹介されたことのある保健士さんで、現在は保健所を退職してなんと稲田堤住人なら誰でも知ってるあの!I助産院で働いておられるのである〜。 そんでついでに言っちゃうと稲田堤時代のマルコの心の恋人(片思い)でもある〜(あー言ってしまった、隠していたのに)。 「痛くないわけじゃなくて痛くないポジションを保持しているだけで、お母さんが見ておかしいんならそれは肘内症でしょう。整形外科か接骨院にいきましょ〜」という電話診断をいただく。 そうだよね。わかったうんうん。インフルエンザ渦巻くM病院休日救急に行くよ。ちょっとなつかしいSママの声を聞いて涙が出るほど感動したりしたのだが、まあそれは置いといて休日救急だ! でもでもやっぱインフルエンザは怖いのでこの辺で休日やってる接骨院はないかな〜。あ、そうだ斑鳩ジモティーにして1号さんの現親友のAちゃんママに電話をしてこの辺で日曜やってる接骨院はないかきいてみよう。 「あるで〜柔道の山下のケアしてたものすごいトレーナーがやってるすごいところがあるで〜、ちょっと電話してみるから待ってなや〜」といつもながらの男前のAちゃんママ。しかし「あかんわ〜先生あしたからなんかの海外遠征についていくんやて。今日はあかんって。でも肘内症だと首の後ろの血管が詰まったりしてようないから早く病院行きなって」とのおりかえし電話が入る。 マルコ持てるママ友の人脈フル稼働したが答えは一つ、M病院に行けってことか。それでまあM病院に再び電話したのち、チャリで法隆寺門前まで行きそこに常駐しているタクシーに飛び乗って、冒頭の場面のようにM病院の救急外来に行ったわけだ。 診察自体は三秒で終わった。ぽっきり入れてもらってハイ終了。おKさん泣きもしない。 お医者さんも「外れてたのかな〜?まあ一時的にはずれてたけど入ってたのかもね」ということで解放してくれる。廊下に出ると救急車で連れてこられた赤ちゃんのケアが看護士さんによって始まっていた。良かった良かった。しかしあの施術で「手術料5100円」てちょっと高い。 あめでおさんに電話し今から帰るというと1号さんを連れて法隆寺まで散歩に行くから門前で待ち合わせて一緒に帰ろうということになる。 結局予定通り法隆寺を散歩して昨日の日記で触れた「聖徳」の校正刷りを法隆寺本坊に提出して帰ることになった。確かに予定通りなんだが、なんだかテンションの高い「休日の午後」であった。 追記: ちなみにおKさんの手は日曜の夜もまだなんとなくダランとしていたので、月曜の朝に近所の整形外科に行った。お年寄りでの寄り合い所のようにものすごく混んでいたが、老先生はなかなか腕に覚えありなタイプで「ちゃんとはいってないな」といっておKさんの腕を入れなおしてくれた。おKさん今回も泣かなかった。脱臼って痛くなかいのかな〜。私の豊富な脱臼経験からは、痛かったように思うんだけどな〜 ... 炸裂する奥の細道 - 2005年03月05日(土) 法隆寺からなにやら意味深げな封書が届く。宛先は「あめでおさん」。 法隆寺友の会会員に配布される法隆寺の教学部が編集発行している雑誌「聖徳」。その「聖徳」にあめでおさんが正月開けに寄稿した「玉稿」が採用される事になりその校正刷りの初稿が届いたのであった。 、、、あめでおさん正月休みにそんなことしてたのか〜。 「聖徳」には毎回法隆寺の管長大野玄妙様や長老の高田良信様が毎回「玉稿」(こっちは本物の玉稿)を載せてらしゃっるほか、法隆寺友の会員が独自の「研究結果」というか思いのたけを5〜6本ほど炸裂させているなかなか濃い学術誌って言うか同人誌である。 あめでおさんの論文はあめでおさんが専門分野で活用する予定の最新の地図解析システムを使って斑鳩の地形と飛鳥の地形を分析したものである。正月にそのシステムの試運転をしている時、法隆寺を使って遊んでいて出来ちゃった論文だとか。でもどうしてどうして読みようによっては飛鳥時代の古代政治史に一石を投じる事になりそうなレアな論考であった。 校正は1時間で終わったので明日みんなで散歩がてら法隆寺の本坊に提出に行く予定。(いや返信用封筒はついてるんですが、近いからね) 3月末に「聖徳」が発行されたらあめでお論考、本HPに転載予定。乞うご期待。 ... 号泣する準備は全然出来ていなかった - 2005年03月03日(木) みなさん、子どものころクラスに一人くらい異常に感情を込めて国語の教科書を読む子どもはいませんでしたか? 私はまさにそういう子どもでした。 中学校の教科書に載ってた『海幸彦・山幸彦』の戯曲の朗読を指名され、異様に感情込めて読ませていただきました。国語の担当の先生が凄い喜んで改めて指名されその朗読の様子を録音され、全クラスに流されちゃったなんてこともありました。 でも演劇部や劇団に入りたいってほど自己表現を爆発させたいわけではなく、国語の教科の時間の枠の中で地道に自己表現を迸らせるのがマルコの身の丈にあったガス抜きっていうかエネルギーの表れだったわけです。 さてこのマルコ好みの「地道な自己表現」、子どもを産んだ後、結構発露の場に恵まれております。「子どもへの絵本の読み聞かせ」です。なんか仕事が上手く行ってなかったりストレスがたまると異常に感情を込めた絵本読みをして憂さを晴らすのです。子どもは喜びマルコはすっきり、周りはちょっと迷惑かもしれませんがなかなか一挙両得なレジャーです。 最近では昨年のおKさん入院時にものすごい真に迫ったバイキンマンとアンパンマンの対決を読んでやり同室の子ども達はもちろん、付き添いのおかあさんたちまで思わず聞き入っちゃったことがありました(いや単にあきれてただけかもしれませんが)。 さて1号さんの病、続いています。付き添いマルコ結構暇とエネルギーをもてあましています。そこで本日1号さんのリクエストに答えて「本気読み」させていただきました。1号さんご指名の本は 「火垂の墓」 ―冒頭の空襲の場面、母の死、西宮のおばさんとの軋轢、衰弱していく節子、なすすべもない清太 どんどんマルコはヒートアップしていきます。 ーそして節子の死の場面。 おKさんのような、ちょっと前までの1号さんのような年格好の節子の痩せた体に「お腹が空きすぎるってどんなだろう」「スマトラやイラクやアフガンでは今もこんなことが起こっているのかな」「最後の肉親が死ぬのを止められない清太はどんな気持ちだったろう」「まだ見ていないけど映画の『誰も知らない』は案外似た話かもしれない」とかもういろいろな考えが駆け巡り、いきなりマルコ絶句し、続きを読もうとして号泣。 傍らで黙って聞いていた1号さん、呆然。 あんまり感情を込めすぎるにはあの本は危険です。 ちなみに1号さんは学校行ったらおかあちゃんが「火垂るの墓」読んで声出して泣いた事、皆に言っちゃうんだって。ううん、いけず〜。 ... パン職人な日々 - 2005年03月02日(水) 1号さん、限りなくインフルエンザ臭い風邪を引いてお休み中です。月曜の夜に40度ほどの高熱を発しましたが後はずーっと微熱で家でお休みしています。26日の土曜日はマルコ・あめでおさんともに重要な職務があったのでてんぱって保育サポーターさんを導入しましたが、現在はマルコが家で1号さんの相手をしながら、4月からの非常勤講師の講義案づくりとD論調査のまとめやら文献読みをしています。まあ家でも出来る作業なんですが異常に能率が悪いです。 1号さんがいかにちんまりしたお子さんとはいえ、一人でテレビ見ててくれるには限界もあり、1時間のうち20分くらいは1号さんとお店屋さんごっこをしたり、お茶犬を使った学校ごっこをしています。お茶犬学校ごっこの合間に出来た教案で4月から講義を受ける予定の学生諸君、楽しみにしていたまえ。 1号さんの看病に保育サポーターさんをがんがん導入してもいいのですが、すでに7歳の1号さんは知らない人に看病されるのを極度にいやがるのでございます。まあもう7歳ですからそう簡単に寝こむこともないからいいのですが、これも一つのセーフティネットのほころびですな。もしもあしたも1号さんの微熱が取れなければあめでおさんが看病にご出馬になります。 さてセーフティネットのほころびで日々を過ごすこのころの私の日課にパン焼きがあります。うちは昼ご飯をファミリーメンバー全員が外で食べているので炊飯器では朝と夜のお米しか炊いていないのです。そんでこのお休み期間、毎昼、パンを焼いとります。昨日はどらりんさんお勧めの「生クリーム食パン」そして今日は「チョコバナナブレッド」いずれもレシピはこちらのサイトのものを利用させていただきました。ありがとうございました>まりまりさま。 う〜ん材料セットしてボタン一つでパンが出来ちゃうってのは結構画期的です>HB(ホームベーカリー)。 しかし材料調達においそれと外に出られない病児看病中の私。結構あるものですませています。今日のチョコバナナブレッドではチョコチップと蜂蜜が必要だったけどそんなしゃれたものがないのでチョコチップはコアラのマーチを分解して中のチョコレートを使わせていただきました。蜂蜜は風邪の1号さんのために『生姜湯』をつくろうとあめでおさんが購入してきた『生姜蜂蜜づけ』で代用しました。 出来あがりがどうなるのかどきどきしながら、2時間後の焼き上がりを待つマルコでございました。 追記:結構おいしかったです。所々不思議でした。多分『生姜蜂蜜づけ』の生姜の部分にあたると不思議なんではないかと愚考しています。 ...
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