西方見聞録...マルコ

 

 

あめでお流事故の感想 - 2005年04月28日(木)

 家で事故の話になる。27日の日記で触れたTさんやMさんの感想や尼崎で疲れきったアナウンスがとっても痛かったと私があめでおさんに言うと、あめでおさんは
「昨年1年で交通事故の死者は7700人。人災だし、阪神大震災の死者より多いよ。その周りにやっぱり痛くてたまらない人がいるのに、みんな全然気にしてない。被害が分散してるから?身近で起こったりニュースになって映像で目に見えないと、痛くならないのは不思議。」
とめずらしく多弁に語る。

 そうだね。私たちは安全というガラスの板を積み重ねた上で暮らしてるんだね。忘れてたよ。

 便利さ・経済性と引き換えに少しずつガラスの板を削るなんてことは無いようにしたい。やっぱり来年の車検で車は廃車にしよかなと考えてみる。でも安全のために新快速じゃなくて各停のみ利用するってのは出来ないしな。



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サンドバックの哀しみ - 2005年04月27日(水)

 神戸の方で用事があってJR神戸線で大阪から西に向かう。このあたりは私の通学定期のカバー内だ。神戸線は尼崎から西へと進路を取るのだがこの尼崎から宝塚との間を結んでいる別の路線で甚大な事故が起こった。25日の事だ。2日後の27日の時点で宝塚線は運転を取りやめており、神戸線も何本か間引き運転を行っていた。

 尼崎をとおりかかる時、車内は何となく静かになり、分かれていく宝塚線の路線の行方の方にみんな目を向ける。一緒のボックスシートに座ったこのエリアを担当しているらしい営業マン2人組が打ち合わせをふと止めて「OOさんあの列車に乗ってたんだって」「自力で這い出したらしいな」と語った後、そのOOさんが語ったという車内の様子がひとしきり話される。

 目的地に着いて事務作業をする。コーヒーブレイクの時にその周辺に住んでいるスタッフの人ばかりだったので自然と事故の話になった。事故現場のすぐ近くに暮らすTさんは2年前に東京から引っ越してきたひと。「あんまりヘリコプターや救急車がすごくて『震災の時ってこんな感じだったのかな』と思った」という。それを聞いて震災を二十歳で経験した現在三十歳のMさんが「今回のは人災だから、やりきれないし、諦めきれない感じがする。」という。

 帰り道、尼崎で電車が止まった。東淀川で人身事故がってしばらく止まるらしい。大阪までもうすぐなのにと車内がいらつく。と、そこへアナウンスが入り「5番線から各駅停車が出るのでお急ぎの方はそちらへ」という。私が乗っていた新快速は8番線にとまっていたので大勢の人が電車を降りて5番線に移動するために階段を上ろうとする。そのときホームのアナウンスで『大阪までは新快速を動かすので、新快速が先に出る』という。動き始めた人々は軽い舌打ちとともに再び新快速の車内に引き返す。ホーム車中ともに誘導の不手際をわびながら正しい情報を伝えようとするアナウンスが何度も流れる。

 とても疲れて動揺している声だった。

 まだ一昨日のパニックから立ち直れていない感じがありありと伝わるアナウンスだった。

 痛くてたまらない。死んでしまった人も残されて悲しみを抱えて生きる人も、人災として責められる立場にたったJRの現場で働く人も。いったいどこでボタンが掛け違ってこんなところまできてしまったのか。

 夕暮れの尼崎で立ちすくむ。


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ノリと学生 - 2005年04月22日(金)



私大と専門学校の講師をしている。やってて感じる学生諸君の最も大きなちがいは「ノリ」である。

ロールプレイゲームなどの参加型の授業をやってみると顕著なのだが、専門学校の学生はかなり貪欲に参加してくる。せっかく普段の授業じゃない面白い場面はノらなきゃそんそん、みたいなハングリーさがある。

一方大学生諸君は「子どもじゃないんだから、くだらないことやってないで知識の一つでも伝授してください」と受身で座っている。

マルコは学生諸君だけでなく、これまで結構いろんな人々を相手に参加型の学びをプロデュースしてきた。生協のお母さんたちとかけっこう良いノリだったと記憶している。しかし一番激しいノリを見せたのは、、、「学校教職員」である。NGO職員時代、小学校から高校・大学の先生も含めての国際理解教育関連の参加型アクティビティ研修の講師をしたことがある。彼らは涙ぐましいまでにノってくれた。きっといつもノってくれない生徒を前に苦労してたので講師を気遣ってくれたんだろうな〜。いまさらですがあの時、異常なノリを見せてくれた山形から研修に来てた高校の先生、ありがとうございました。

でもこうやって考えると専門学校の学生諸君のあのノリの良さってすごいな、わかいのに、、、。



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よんさま紫の上計画 - 2005年04月20日(水)

 こんな時になんであるが韓流ドラマ「ほてりあ〜」に1号と2人ではまっている。先週の火曜日1号さんお熱で学校を休んだのだが、その際昼間のTVでやってた「ほてりあ〜」におけるよん様の貴公子ぶりに7歳児がメロメロになってしまったのである。おそるべし、よんさま。(横で私がきゃ〜とか叫んでたので影響を受けたという説もある)

 さて1号は
「よんさまのドラマ、ビデオにとって〜」
という。(いつもその時間は母は勤務時間、1号は学童時間。)
ところがTVのリモコンがどっかいってしまって録画が出来ない。そんで隣町のTSUTAYAいってビデオ借りてきちゃって二人で夕食後に熱狂してます>ほてりあ〜。

 一応テレビの進行に合わせてみている。昨日はよんさまがドアをぶっ壊して宋マネージャーに強引にキスするシーンで2人でだきあって「よんさまったらきゃ〜」と叫んだが今日はホテルのっとりに乗り出してなんか悪人になってて「よんさま悪いよ〜」とブラウン管に向かって意見をする1号@7歳児なのであった。

 今日はよんさまが悪いひと(その上なんか公私の区別が出来てないって言うかセルフコントロールが出来てない感じがダメ)でいまいち盛り上がらなかったのだが昨日の野性的な恋するよんさま(の役柄)にすっかり1号はおはまりになられ

「も〜私よんさまと結婚する絶対する!」

とお叫びになられる始末。

 ふと1号7歳児の母に似ぬその美しい面差しを見る。1号!おまえならできる!どうか母のためにもあの美しい花を取ってきておくれ。そしてあの方に「おかあさん(オモニ)」と呼んで頂けるならマルコ本望じゃ。行け!1号。母は応援しますぞ。よんさまは自己研鑽を怠らぬ女人がお好みとか。まずは宿題の音読じゃ!



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中国のことを考えながら作った参考リンク集 - 2005年04月19日(火)

日本の教科書検定、中国の反日デモとなんだかあちらもこちらもナショナリズムが高揚するのが流行っている昨今、皆様いかがお過しでしょうか。流行に乗らずいかに冷静にとどまるかが現代人の理性でございます。

いろいろかんがえているのですがすっぱり文章化できていないので、今日はこの問題に関する参考サイト、つか、ぽんと膝うちサイトを幾つか集めておきたいと思います。ええ、自分のメモ用です。

もし将来このことに関してマルコが何らかの意見表明をするとしたら、現在のところ考えているキーワードは「和解のための歴史認識、構築主義もしくは解釈主義の可能性」と「国民国家の幻想」ってなところでしょうな。

でもあんまりネットに情熱を注ぐと家庭不和が起こるので授業準備の為に調べた事なんかを書こうかな。そうするとほら、遊んでるって言う感じより仕事してるって感じで良心も痛みません。

内田樹研究室
ぴよたさん教えてもらって以来愛読中。内田研究室内でもこのイシューと関連しかつマルコが感銘を受けたのは
反日デモを伝える声
強い政治的意見」と「弱い政治的意見
中国の狼少年
メディア・リテラシーについて
Taubさんに聞いた「儒教圏」構想

の各エントリーです。

FeliceさんのMAGMELLで語られるこの問題に関するFeliceさんのスタンスに私はとても共感しています。
とくに4月17日の日記とさらに18日に紹介されているぽちさんの日記なども後々読み返してみたいなと思います。

江川紹子ジャーナル
こちらもFeliceさんの日記を通じて知りました。この中の「負の体験」をどうするかも興味深かったです。



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こんな週末 - 2005年04月17日(日)

 なんだか1号さんのLaQ(パズルタイプブロック)熱が高まっており、うちにある既存のLaQブロックでは全然足りない!というので、朝食後、うちの近くの本屋でLaQブロックを260ピースを買い足しにいく。

 しばらくLaQで創作活動に励む。私は下記の法輪寺三重の塔を作成する。




 その後自転車で散歩に出かけ、法隆寺幼稚園近くの児童公園で遊んでいると、外国人を案内中のおじさんが声をかけてきて『子どもがかわいいから写真を撮らせてください。』と頼まれる。
 外国の人はドイツの婦人で児童問題関係の研究者らしく、法隆寺幼稚園の写真も熱心に撮影していた。案内のおじさん(研究者臭ぷんぷん)が「この方に写真をとってもらうとドイツで長く記録に残りますよ」とありがたいんだかありがたくないんだかよくわからないご託宣を下さる。

 じゃあ私も先手を打ってこうして記録して公開してやれ、とWEB日記の事の顛末を書き記している。

 張り合ってどうする>じぶん。


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デモの思い出 - 2005年04月16日(土)

 中国でのデモのニュースが連日マスコミを賑わしている。
 中国にいる邦人の人々はいろいろと不便だったり不安だったり時には実害を受けたりしているのだろう。まずはお見舞い申し上げたい。

 そんな中、魔都の女ステイシーさまがさるとるさまの掲示板に

>今回のことで、逆に日本での対中感情が悪化するのではないかと
>心配しております。日本在住の中国人のみなさんも難しい立場に
>おられることでしょう。

とお書きになってて感銘を受ける。そうマスコミが好むエッジな映像にエッジな反応をしてエッジとエッジで切り結んではいけないと心から思う。渦中のステイシー様のこの冷静さを見習いたい。

 マルコはケニア在勤時代『毎日がデモ』な日々を経験した。マルコがいた時代ケニアは史上初の複数政党による総選挙が行われ、部族対立を微妙に巻き込みながら毎日『与党への反対デモ』『与党の支持デモ』『野党の支持デモ』『野党への反対デモ』等無数のデモがが窓の外を通り過ぎた。

 今回のように日本が直接の標的な厳しい状況ではなかった。

 どこか他人事で、デモをやってる人も時ならぬ政治的な意見表明の場が身近にやってきた感じで踊って唄って手に持った木の枝を振り鳴らしてなんだか楽しそうだった。

 それでもデモ中の作法というのはあり、援助関係者の私たちは間接的でも現与党を支援しているので、デモ中は絶対町に出ないで建物の中にいるのは常識だったし、デモが乱闘に変わるほどヒートアップする選挙直前はまきこまれないように仕事を休んで家に蟄居し、内乱になった場合の逃走経路も何度も確認させられ、毎晩JICAからの無事確認の点呼電話が入った。
 
 実際日本政府派遣の私たち以外の邦人はその期間、国外退避した人々も多かった。

 30年の1党独裁後のこの民衆の意見表明の機会となった選挙とそれを巡る日々の危険ながらも高揚した日々。そしてデモが行われる場所以外は意外と平静で人々もいつもより朗らかだった。

 中国の成り行きを心配しながら昔の事をつらつら思い出してみた。


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新学期! - 2005年04月15日(金)

 え〜っと一号さんはとっくに新学期始まってます。給食も始まったので昨年あんなにピーピー騒いだ春のお弁当づくり期間も終了しました。(あめでおさんとマルコは緊縮経済政策のために未だにおべんともって出かけていますが。)今年は弁当もドンと来やがれでした。人はこれを経験による成長とか慣れとかいいます。

 注目の担任人事ですが、一年生の時の、教え方が非常に上手で超面白い凄腕女教師が引き続き担任になってくださり、親子でVサインでした。

 さてマルコも新学期です。博士課程の方は勝負の3年目になっちゃいました。でも論文提出はもうちょっと後かな?講師業の方は私大のスタートが本日で、専門学校の方は来週ですわ。今年度は週に四コマ担当します。

 本日、はじめての大学に新参講師として参りました。その町で降り立つの自体初めてでした。なんか校舎の立派さとかは専門学校よりずっと良くてお金かけてんな〜って感じでした。授業料自体は似たようなもんだと思いますが、文部科学省の私学助成金の有無がこの差を生んだのかな〜?でも学生さんのレベルはどうでしょうね〜校舎の差ほどではなかったかも。修士課程の学生さんが聴講に来てくださっていて、その方は歴然と賢かったです。

 また専任教授の中に何故かマルコの院生をしている研究室の下級生(修士課程のかた)がいらっしゃるのを発見。下級生が上司とはこはいかに?(上下関係ってあんまり気にする必要はないけどさ)ゼミで厳しいコメントをしたら解雇されたりして。まあ教育産業の生産者だったり消費者だったりそれなりに忙しい春なのでした。


 ところでぴよたさんが紹介してたブログをここでも紹介。
http://blog.tatsuru.com/archives/000921.php
「内田樹の研究室」の「中国の狼少年」
 今日の私の琴線に触れたのはココ。
>一年生相手の大教室講義は新米教師にはきびしい負担である。

はい、ほんとに。



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鹿の背中に桜吹雪 - 2005年04月09日(土)

 桜が咲きました。法隆寺には巨木はございません。木が倒れた時に世界遺産の建物群を壊してはいけないので木は一定の高さになっちゃうと切られちゃうのでした。でも咲く時は咲きますの桜の洪水。




 これはですね。法隆寺長老の高田良信師が朝桜を見にそぞろ歩いてらっしゃったので後姿を激写。早朝高田良信さんはよく各お堂に祈りを捧げながら境内を歩いてらっしゃるのでした。



 さて,朝法隆寺の桜を堪能した後,一路JRで奈良へ。本日は月に1度の1号さんの喘息の定期検診の日でございました。そんで診察後は奈良公園へ参りました。

 奈良公園ではおkさんは基本的に歩いていただくんですが「だっこ〜だっこ〜」と泣き騒ぎ,世間の同情を買おうとアピールするんでございますわよ。そうするとそういうおKさんのアッピールを真に受けて「あらあらかわいそうに。あのくらいはだっこしてあげなきゃね〜」とか通りすがりのおばさんが軽く突っ込みを頂いたりするのですわ。

 あめでおさんは世間のそういう圧力を屁とも思わないので、公園とか子どもが多少泣いても迷惑でない場所ではおkさんが泣こうが叫ぼうが絶対抱っこしてやりません。しかし世間の風圧にむちゃくちゃ弱いマルコはおKさんの泣き声にほだされ、さらに通りすがりの皆さんの視線に負け、思わず抱っこしちゃうのでした。おKさんもそういうマルコの弱さを先刻ご承知で、徹底的にマルコに「抱っこ攻撃」を仕掛けてきます。

 抱っこ攻撃を避けるため、マルコは一計を案じました。マルコは家族の中で唯一鹿が怖くありません。おKさんを含め、他の人は鹿がすごく怖いのです。そこでおKさんがマルコに抱っこを求めると、マルコはすばやくおkさんを抱き上げ写真のように、おKさんを鹿の背中に乗せちゃうのです!

 この抱っこおkさん鹿の背中に乗せちゃうぞ作戦はたいへんうまくいきおKさんは2度と抱っこを要求せずに自力で歩くようになりましたとさ。めでたし。



 しかし混んでます>奈良公園。明らかに人の数の方が鹿の数より多いです。




大仏殿の桜〜。




しかし大仏殿の裏の東大寺講堂跡まで参れば人の数はすご〜く減ります。講堂跡の礎石の上には鹿の糞もありませんし、ピクニックにおすすめです。久しぶりにおにぎりとお弁当を持って来て、パクパク食べました。





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移る時代 - 2005年04月06日(水)


教科書の検定結果が出た。1995年申請の教科書を利用して世界史と現代社会を教えた経験のある私から見ると今回の第2次世界大戦をめぐる記述に関する教科書検定結果はものすごい勢いで変化する時代を如実に語るものだと感じる。わたしたちは第2次世界大戦の加害国に生まれた。その認識を欠落させて世界と協調できる子どもが育つのだろうか。とても不安だ。

ゆとりの教育を批判するとき、多くの人が「家庭でしっかり基礎学力をつけさせなければ」といっていたが、これだけ学校教育の歴史認識を教える部分が偏向しては、家庭教育でしっかり歴史認識を育まねばなるまいよ。

 ちなみにゆとりの教育によって教科教育を削ることで総合学習の時間を増やし「自分で考える力を養うプログラムを各教育現場で形成する」という理念があったはずだ。パウロ・フレイレが「被抑圧者の教育学」で語った『銀行預金型教育』から『課題解決型教育』への転換が目指されていたのだと理解していた。しかし今回の検定結果に見る早すぎる方向転換は、考える土台となるべき歴史認識を削り,自分で考える力を養うプログラムにあてられるはずだった総合学習が教科教育へと明渡されるというなんだか為政者にとってコントロールしやすい、都合の良い国民教育を目指しているんだなと感じてしまう。

  私の両親は昭和一桁世代なので(母は10年生まれだからかろうじて二桁か)実体験として戦争の話が聞けた。明治生まれの祖父母には『なんでちゃんと戦争をとめなかったの?日本が悪くなっていくとき、大人だったんでしょ?』なんて無邪気なことも言えた。

でも今の子どもは実体験を持つ世代や戦争を止められなかった世代の話を聞けず、『誰か』の又聞きでしか前の戦争に触れられない。『誰か』の主観でとっても揺らぐ戦争の体験にしか触れられない。

今責任世代にある私たちの目の前で歴史が変わっていこうとしている。なんと言う時代に大人としてめぐり合わせてしまったのだろうか。

それでも現在投票権のない子ども世代の人々や命を授かる前の孫世代の人々、または国政参加を拒まれているこの国に永住している外国籍・無国籍の人々に『なんでちゃんと日本が悪くなっていくのをとめなかったの?』と問われないようにしたい。
 
 、、、でも、どうやって?と立ちすくむ自分もいる。




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ハウル! - 2005年04月05日(火)

「ハウルの動く城」を観に行った。
いろいろとわかりにくかったり、戦争の終わらせ方が超安易で「戦争って切実さを醸し出す背景として利用されてたのか〜」とちょっこり落胆しちゃう場面もあった。まあアニメにおける舞台装置としての戦争の扱いについてはさまざまなレベルがありますな。なんで戦ってんのかよくわかんないのもあるしね。エヴァンゲリオンの「シト」ってなんだったのよ!とか。ガンダムは(一番最初のやつは)宇宙時代の到来とともにコロニー生まれの新世代と地球に生き続ける旧世代との対立が背景になって、まあ必然として戦争の背景が使われるのは理解出来るか?(でもなんでニュータイプのアムロが旧世代側で戦ってんのか、新旧きれいに割り切れないところに歴史の難しさなんてにじませてたのか?)

で、とにかくハウルの城である。

巷でヒロイン、ソフィーが老婆になったり若くなったり変幻自在なのがわかりにくいという評もあるようだが、ハウルと向き合って「私なんてダメダメ」と恋に飛びこんでいくのを躊躇している場面のソフィーは老婆で、なりふり構わず「欲しいものは欲しい!」と開き直ると、娘の姿にチェンジしているように思われた。

ソフィーの変身にこめられたメッセージは、なりふり構わず「欲しいものは欲しい!」と開き直ったとき人は輝く、というものであろうか。このほしい対象は「恋」に限らずまあ「博士号」だったり、あとなんだろう?まあいろいろあっていいと思う。しかし、私なんてダメダメっと躊躇するファクターは世の中無数にあるの〜、ふううう。

あ〜でもやっぱ「恋」が一番わかりやすいかな「私なんてダメダメ」と「欲しいものは欲しい!」というギアチェンジが非常に移ろいやすいところが。

まあそう言うわけでハウルを観て「恋がしたくなっちゃったな〜」という感想を持ちました。でも「恋」だったらなんでも良いわけじゃなくて「初恋」がしたくなったというのが正確な気持ちなので、もう一生出来ないのでした。



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懐かしい人に会う。 - 2005年04月03日(日)



法隆寺は全国レベルの観光地なのでいろんな人と再会できる場所である。マルコは母校の高校修学旅行が必ず法隆寺に来るので、それを利用して恩師に会っちゃったりもするし、昨年の今頃は夢殿と西院伽藍の間の参道で青年海外協力隊平成4年度1次隊、ミクロネシア諸島派遣の日本語教師のNちゃんとばったり行き合った。

あめでおさんもそう言う再会にあこがれているのだがなかなか機会に恵まれない。昨日も「あめでお先生」と声をかけられたが、それはカナダからのお客さんを案内中の同僚教授で、あした学校でも会える人たちなので「つまらない」そうなんである。もっとこう劇的な人に再会したい〜、と夢見るあめでおさんなのであった。例えば広島の小学校の時の友達とかね。でも劇的過ぎると会っても相手が誰かわからないかも。

そういえば去る4月1日、川崎からYAYOIさんがジャニーズ活動のために来阪されており,神となみなみの配剤により国立国際美術館のおいしい喫茶店クイーンズアリスにて再会ランチをとることができた。

YAYOIさんは2003年にも斑鳩にて再会したので今回2度目のお久しぶり対面だった。ジャニーズ活動中(前夜のコンサートと当日の昼過ぎのコンサートの合間のランチだった)なのでYAYOIさんの心はジャニーズに向けて燃え盛っていた。いかなる時も彼女は落ち着いているのだが、落ち着きながらも燃えている感じがジャニーズ活動中のYAYOIさんの特徴である。YAYOIさんは今年に入ってから三度目の来阪だったことが判明。
「それだけ追っかけ出来てるってことは仕事も順調でしょうな〜」ときくと
「順調じゃなきゃ、こんなに遠征できないわ〜。」と涼しく答えられていた。

そんな静かに燃え盛るYAYOIさんが帰京してわりとすぐ、働く母親の巨大サイト『ムギ畑』(ちなみにYAYOIさんは『畑』の運営スタッフでもある)で、人よりもゆっくり成長していくわが子をしっかり,静かに穏やかに見つめる投書をしているのを読んだ。人よりゆっくり成長することを世間はしょうがいと呼ぶのだろうが、他者ではなく当事者と自分と家族を軸に泰然とあろうとするYAYOIさんの強さを見る思いだった。

母となろうが祖母となろうがおそらくマイペースに、静かに燃えながら、追っかけ人生を続けられるであろうYAYOIさんが体現されている『母としてだけではなく,勤労者としてだけでなく、追っかけとしてだけではない多面的な人生』という教えをしかと受け止めたいマルコであった。



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