じゅんばんじゅんばん - 2003年04月29日(火) みどりの日でございます。 今日は前から予定していた明日香村への巨石を訪ねる&いちご狩りに家族で行ってまいりました。近鉄を乗り継ぎ飛鳥駅に参り、駅前のレンタル自転車を2台借りて子供用のベンチをつけてもらって出発でございます。 空はどこまでも青く、明日香の緑は燃えるように青くなんともビューティフルデイでございました。 まずは吉備姫古墳の中にある猿石を見学。これは「千と千尋の神隠し」で登場する不気味な石像のモデルです。 ふ〜ん。 って感じで簡単に見終わって行こうとする私と1号に向かってあめでおが 「見てみい、ちOちんがついてる」 というので1号と私は文字通りガバッと振りかえり再び猿石を熱視。 ついています。滑稽です。5歳(1号)も35歳(マルコ)もこんなに男性性器に興味があるのか、ちょっと意外でしたが、1歳児おKは興味が無かったようです。 その後亀石、鬼の雪隠・俎板なんかを見て石舞台古墳を取り巻くように整備された公園で持って来たおにぎりで昼食。石舞台古墳は中にも入れて結構楽しめます。 以前高校の修学旅行の班行動でこの辺は来ました。さらに大学1年の夏休み、某あやんこさんという友人と明日香をチャリで参りました。高校のときはすごい寒い12月であやんこ旅行のときは酷暑の8月でした。明日香にくるなら、あんまりそういう気候条件の厳しいときを避けるのがよろしいと今回の明日香周遊で実感しました。 そして高松塚古墳とその周囲の公園を通り抜け苺農園に行きました。苺のビニールハウスで30分3人で2400円の料金を払って苺食べ放題。明日香は飛鳥ルビーという関西ではかなりブランドの苺生産地です。おいしいです。いくらでも食べられます。パック詰めにしたら1パック1000円くらいしそうな形のいい立派な苺を集中的に食べました。料金を払っていない1歳児おKがものすごい勢いで苺食いに参戦しました。白いmikihouseのシャツが返り血を浴びたように苺果汁で真赤になりました。ハウスを出るとき料金未納の1歳児のこの姿を農園の方にお見せするのが忍びなかったです。 さてこんなに楽しい週末でしたが、わたしはなんだか他の家族連れに目が行って仕方がありませんでした。特に小さな男の子とその妹っぽい女の子を連れた家族連れに目が行きました。 実は前の晩実家で実母が具合が悪くなって入院しました。予断を許さない状況でしたが遠い奈良で晴れた休日をじっとしているのもつらいので、えいっと遊びに出ました。兄と父が病院に行っている中、わたしは家族と行楽してました。 そういえば私も子どものときあの実家の家族のメンバーでよく行楽してました。実家メンバーでは最もちびだった私も今では母親としていっぱしに自分の家族を牛耳っているわけです。わたしの子ども時代をがっちりわしづかみだったあの母は今は病院かと思うと砂のように流れていく月日に切なくなりました。 明日香の緑の中で自分たちも含めてしあわせムードで行楽している無数の家族連れを眺めながら、若かった母や今現在母親をやってる自分や誰の上にも平等に容赦なく流れていく時間についてつらつら考えたりしていました。 苺狩りの写真、忘れたころにアップ予定。 ... 家を見に行く - 2003年04月27日(日) 今週末久しぶりに平常心な週末でしたので(ここのところすっと週末に発熱したり、嘔吐したりして自宅軟禁週末でした)法隆寺に行ったり、近くの住宅展示場や住宅内覧会に行ったりと楽しい週末を過ごしました。 土曜日は住宅展示場では2軒ほどモデルハウスを見学。娘1号@5歳はプレゼント攻めにあい、マイメロディだのキティちゃんだのの風船を3つもいただき風船長者になりました。その後風船をあめでおが1個、1号が2個それぞれの背中のリュックに結び付けた状態で法隆寺に行って参拝しました。正直申し上げてファニーな二人組でした。他の参拝客にはかなり迷惑な2人組とも申せましょう。 次の日曜日は近くの公立幼稚園で町議会議員の投票を済ませた後、上宮遺跡公園でおむすびを食べ、そのあと駅のほうの売り出し中の中古住宅の内覧会に行きました。こっちの中古住宅は昭和42年築の物件で(私と同じ年ですわ)1階に26畳の居間、2階に35畳の居間があってその他上下階とも2部屋ずつ6畳間がついているという、まあなかなか面白い設定の家で土地込みで1700万円で売られていました。しかしすぐに住めるのではなく、1000万円規模のリフォームが必要とのことでした。前の持ち主は何を考えてこんな設定にしたのか謎が多いのですが営業さんによると「持ち主さんは弁護士でちょっと感覚が不思議なんです」というなかなか職業差別的なことを言っておられました。 家を買おうと具体的に思っているわけではなく、テーマパーク的なヨロコビを求めて遊びに行ったわけですが、人生何が起こるかわかりません。家を衝動買いしちゃったべらち一家の例もあります。でも35畳の居間は勘弁です。掃除が大変すぎます。35畳の居間付の家を衝動買いすることも無く、またもや法隆寺の夢殿へ行き、開扉中の救世観音を見て、参道でソフトクリームを買い食いして無事に帰宅しました。 夕食後に住宅展示場でお土産にもらったホットケーキミックスでホットケーキを焼いて食べました。おいしかったのでまた家を見に行きたくなりました。 ... それぞれの第1歩 - 2003年04月24日(木) おKさん。本日満1歳になりました。 めでたいことです。もちろん夕食後はケーキ鍋(過去記事3月12日参照)でした。おKも生クリームに挑戦しました。その甘さ脳天直撃!って感じで目を閉じて味わう様は戦後初めてチョコレートを食べてこんなにおいしいものがあるのか!と衝撃を受けた戦後のお子さんのようでした。 さて本日は私も心斎橋の某専門学校で初講義をさせていただきました。 久しぶりですが専門学校では関東にいたときもNGO職員を務めながら非常勤講師をしていたので、まあ余裕です。生徒がみんな関西弁なのをのぞけば専門学校の空気は前の学校とさして変わりませんな。 ところで講義というサービスの送り手をやっていると大学のほうで教授先生が営んでいる講義の裏側が読めます。「お、進みすぎてあんまり先生自身予習していない部分に踏み込んでしまったな。」とか「少しは学生の参加を引き出す努力をしたらどうだね?」とか「ここで質問して欲しいんだろうな」とか。 総じて大学の先生はサービスが悪いです。専門学校の講師はもっとお客さん(学生)のニーズの充足に敏感です。敏感じゃないと生き残れないからね、学校も講師も。 夫@大学の先生に「もっと専門学校を見習えば?」というと、「大学は真理の探究の場なので、客にばっかりおもねっていてはいかん」と重々しく応えられました。 ふふん。独立行政法人化のそのあと、第3者評価制度が導入されて、いつまでそういうことが言ってられるかな?客にサービスしながら、臍でお湯を沸かしてその上さらに真理の1つでも解き明かしてみてはいかがか? ... 村上春樹に告ぐ - 2003年04月23日(水) 村上春樹。理由はわからんがその文体がすき。 このたび村上春樹が好むと思われる場所を発見した。それは子卯辺大学(仮名)人社系図書館閉架書庫の中。まさしく本の迷路。 何故かくも使いにくい構造なのかわからないが、地上6階建ての古い洋館が3つの(旧館・新館・新新館)くっついている。 まずコンピューターで探したい本を検索し、その本の認識番号を手に入れる。そしてどのエリアにどの認識番号の本があるか大まかに記された地図を片手に、本を探す。階段は急で、いずこも本であふれている。節電のために基本的に電気が消されている中、必要な部分の電気をつけながら本を探す。 ありゃあ、昔ショーンコネりーがでてた中世の修道院を舞台にした映画の古い書庫のようだ。 村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」的であった。彼は子卯辺出身なのに早稲田大に行って不運であった。一度見においで。ってここで書いても私の声はかの人物には届かないんだけど。 ... 暴走する母の悲しみを、君は知っているか? - 2003年04月21日(月) 夕暮れ時の駅のプラットフォームであるいは交差点で髪振り乱して走っている青年期後半の男女を見たことはあるか? ソレはきっと保育園のお迎えに遅れそうな母か父だ。 非常に珍しいかもしれないが、キャンパスを笑いさんざめくように歩く学生諸君を突き飛ばしそうな勢いで駆け抜けていく、学生にしては老けているが、教員というには威厳のたりない青年期後半の男女を見たことはあるか? ソレは学生諸君には想像しにくいかもしれないが、保育園のお迎えに遅れそうな母か父だ。 梅田の在来線から環状線乗り換えのコンコースで疾走して、人にぶつかって怒られて、なぜか痛みに顔を歪ませている女をみたことはあるか? ソレは保育園のお迎えがマジにやばくなって、走った勢いで朝からたまってた母乳でがちがちの胸が痛くて、その上、人とぶつかってほとんど悶絶寸前なほど痛いのに怒られてしまった私だ。 やっと定刻に迎えにいける電車に飛び乗ってほっとひといくついてるのに「この電車は後からくる快速の遅れのため5分ほど停車する予定です」というアナウンスを聞いて「んなにいいー!!」とつぶやいている女を見たことはあるか? ソレは必死の努力で保育園延長保育終了の定刻に迎えにいけるようにしたのにあえなく、お迎えを遅刻せねばならなかった昨日の私だ!!! 保育園と関連のない人生を送ってきた諸君。夕暮れ時血相を変えている青春晩期そろそろ初老の男女を見かけたら、是非いたわってくれたまえ。私はどんな重要な会議も、自分が講師の講演会も少々遅刻しても屁でもないタイプだ。しかし保育園お迎えに遅れるのだけは切ない。もっと余裕をもてよ、といわれる向きもあろうが、そんな余裕は、ナイ。とにかくならし保育時期に新生活をスタートさせた人間にそんな余裕はナイのだ。ぢゅーゆーあんだすたん? ... 食欲が君を導く - 2003年04月16日(水) 春です。0歳児@おK、ならし保育の春です。 当地の保育園は1ヶ月かけてならし保育をします。 川崎じゃあ1週間で完結していたならし保育、ここでは4倍の手間をかけます。今は12時ころに、お迎えをみなさんしてらっさいます。そんな時間にお迎えに現れるのはじじばばが主流ですな。 私は1ヶ月も学校をブッちぎるわけにはいかないので「来週月曜には6時半迎えをします!」と鬼母宣言。場所が変わると人は鬼になったり菩薩になったりします。親類縁者が500キロ東方に住んでるんで仕方ない。鬼と呼んでください。 ならし保育でしっかり鼻かぜをいただいてきたおKは律儀に家族全員に風邪を移し、1号は久しぶりに喘息発作で寝込みました。マルコもあめでおも鼻水ずるずるです。おKは鼻をずるずるさせつつ最強に元気です。週末寝込んだ家族の頭をぺしぺししながらはいはいしています。誰のためにみんな寝込んでると思うのじゃ>おK、と文句の1つもいいたいです。今日も保育園でおやつ食べ放題で大満足です。 最初の週はあめでおが仕事を休んで入園式だのならし保育だのを担当しましたが、次の週以降はマルコが基本的に社会生活を犠牲にしてならし保育担当をしています。でも全く犠牲になるわけにも行かないので、15日は朝7時に神戸に行って昼の12時半におKを迎えに保育園に行ったり(神戸滞在時間1時間半)、16日は12時におKを迎えに行って、16時にあめでおと駅前で待ち合わせして、そのまま後事を託して私は18時から始まるゼミに出るために神戸に高飛びし、23時に帰宅したりとなかなか忙しいです。ちなみに15日はポリオ接種(午後13時半)や16日は1歳児検診(午前9時)なんてのもやってますんで結構フル稼働です。 16日は保健所で検診を終えて10時に保育園に行ったのですが、10時は朝のおやつの時間。行ってすぐおやつ。別れ際は泣いて母を恋しがるというならし保育中の乳児の掟を破り、おKいきなりにこにこおやつにGO!隣の席の1歳児の少年が私に母の面影を重ねて泣いているというのに。 食欲が君を導く。 丈夫でにこにこさんな君のおかげで父も母も本当に助かっています。 ー心から感謝。 ... 黒い霧、晴れる。 - 2003年04月11日(金) 本日は1号の保育園の同級生ママのおうちに呼ばれ。おKのならし保育の間の9:00から11:00までお菓子持ってT家へ参上しました。ああ、私も当地に根付いて来たねえ(感涙)。Tママは長く国際企業でキャリア張ってた人で、物凄い回転が速くて話がピシピシとツボにはまり、私は床に転がって笑ってしまいました。いわいる関西話術の「オチのある話芸」ですな。 今日の収穫は一言で言って「苛められてたのは私だけじゃなかったんだ〜」というコトです。 実はこの3月までお勤めになられてた保育園の園長センセイ。非情に苛酷でした。私は「他所者だから嫌われてんだなあ」としばしばいじけておりました。仕事も持たないのに保育園に入所希望という段階から園長センセイはお怒りで「いつまで当地にお住まいなのか存じ上げませんが」というような発言をされたり、おKのならし保育を3月からはじめて欲しいとお願いしたところケンモホロロに突っ返されたり、面談の約束をしてもすっぽかされたり、そりゃあ切のうございました。まあそういうこともあったので「おのれ園長、今に見返してやる」と就職活動や進学準備に励めたので、まあようございました。 その園長センセイもこの3月に定年なさり、かわりに菩薩さんのように優しげな新園長センセイがいらっしゃいました。園長交代を知ったとき私はマジにこぶしを天に突き上げよっしゃああ!と叫んだものでございます。 さてこの旧園長センセイですが「今まで何人保育園を辞めさせたかわからん」というお方だったそうです。まあ一言で言えば公務員であらずば勤め人にあらず、という信念のもとパート勤務のお母さんや派遣で契約が切れて次まで間があいちゃったお母さんには毎日のように「肩たたき」をするんだそうです。 1号の入園に関してTママに 「求職中なのに良くあの園長が入園させましたねえ」 と質問されました。 答えは福祉事務所にまず許可をもらってから園長のほうに話を持っていくと嘘のようにコトがスムースにすすんだのでした。 なんか保育園に漂ってた黒いオーラが晴れていくような気分でした。他所者だから苛められてるんだと勝手にいじけていましたが、みんな苛められている仲間だったんだ、と思い至り、保育園であう人あう人に「よ、げんき?」と声をかけたい気分になりました。 ... アンマンからの手紙 - 2003年04月09日(水) さておkのならし保育で今週は大学にも満足にいけません。家でパソったり本読んだりしております。でも今日はゼミの初顔あわせが夕方6時からあったのであめでおに早引きしてもらい、午後4時に法隆寺駅で待ち合わせしておKと後事を託し、私はそのまま神戸にGO。 結構いろいろとハードルがありそうですわね。 ゼミでは購読図書の決定を行い、簡単に自己紹介し、机やパソの使用について話し合いかえってきました。10年ぶりにリーディングス(概説書)を読むわけですが、研究書ってのはもう少し親切に書くべきなんじゃないの??これじゃあ消費者=読者にそっぽ向かれるよ。とちょっと思います。でも丁稚どんは大きな口を利けないので黙って勉強します。 さてマルコはDWMLというメーリングリストを購読しておりますがそこでアンマンからイラクの国民の暮らし@開戦前夜を伝える手紙を拝見しました。書いているのはケン・ジョセフさん。「アガペハウス」という在米日本人支援の活動をご存知の方も多いのではないでしょうか。 自由に転載して良いそうですが、ただし、記名、かつ改変や一部だけの掲載は行わない、という条件が付いています。 ちょっと長いので別ページにリンクを張ります。 ここをご覧ください。 この戦争についてマルコはほとんど意見を表明しませんでした。私自身この戦争をどう把握していいものか悩んでいました。1号に「どうして戦争がおこるのか」と問われても明確には答えられませんでした。 あえて語るのであれば、私はなぜ湾岸戦争後、昨年末までイラク情勢について鈍感だったのかという後悔です。何故バスラのシーア派蜂起と10万人の虐殺について無知だったのか、という思いです。 アンマンからの手紙で「日本の責任」が語られていてはっとします。すれちがったままかみ合わない議論を重ねるイスラムの国とアメリカ。両者のどちらとも距離をおく文化的背景をもち、そして戦争の痛さを皮膚感覚で知っている日本はなぜもっと両者の仲介役をこなせなかったのか。政府が悪いというだけでなく、草の根の市民の立場でかみ合わないアメリカ側の主張とイスラムの主張をもっと積極的に翻訳すればよかった。湾岸戦争から今度の開戦まで時間は有ったのだから。また政府が悪いと思うのであれば、選挙でしっかり意思表示をしていこうと思います。 感情的に「誰が悪い」と他者を指弾するのは簡単ですが、その問題を自分の責任として捉える姿勢をアンマンからの手紙の最後で引用されている家永さんの言葉から学びました。 湾岸戦争、アフガン空爆、そして今回の戦争と続く一連の戦火は人類は武力によってしか問題を解決できないと語っているようですが、私はそうした進み行きに反対です。人類の英知が戦いを食い止める。その理念のもと国連は結成されたのではなかったのでしょうか。日本国憲法の戦争放棄はその理念の実践ではなかったのでしょうか。これからの世界では国連は無力化し、9条は空文化し、人を殺す力のあるものだけが正義を語る権利をもつのでしょうか。 あんまり知られていませんがラオスでは今なお、不発弾の処理が続けられています。第2次インドシナ戦争でアメリカが小国ラオスに降り注いだ爆弾の量は第2次世界大戦の欧州戦線と太平洋戦線で使用した量の合計を上回ります。いまだに不発弾の犠牲になる者は多く、開発はあまりにもゆっくりです。遠い昔の戦争の影とラオスはいまだに戦っています。イラクもアフガンもこれから長く苦しい復興の時代がはじまるのでしょう。 戦争中やその直前、戦争について語るだけでなくその前後の長い期間、紛争地に注意を払い続けていくべきだと思います。情報を集め続けていくべきだと思います。 そして北朝鮮での懸念を戦火にいたる前に食い止めるために何が出来るのか考えていきたいです。「独裁政権下の抑圧された人々の支援」を武力の行使以外で行う方法とは、何でしょうか。亡命の支援でしょうか。情報の供給でしょうか。政府間市民間の対話でしょうか。知ってる人がいたら教えてください。 ... マニアなあめでお - 2003年04月08日(火) 4月です。ならし保育です。 朝、娘2人をそれぞれの自転車に乗せ、あめでおとマルコは保育園にGO。いつもはあめでおが1人で1号を保育園に連行していたのですが、これから朝は4人で出発することになりました。朝ご一緒するようになっていろいろとあめでおと1号の秘密が見えてまいりました。2人は朝家を出るとまず法隆寺に向かい、南大門から法隆寺の美しい姿に見ほれてから保育園に向かうのだそうです。 時間があったり必要があったりするとトイレに入ったりしているそうです。マニアです。 さて今日は11時にはおKをとりに行かねばなりません。時間がいかにも中途半端です。そこで私はフリータイムをなにに費やしたか。こんなことをしておりました。私も負けずにアホです。マニアです。 ... う、土筆〜 - 2003年04月06日(日) 先週、土筆狩りに行ったけどまだ土筆が十分にできっていなかったので今週末も土筆狩りリベンジ。 徒歩で自転車道をてくてくと土筆を求めて散歩しました。 結構生えてるけど土筆の形状がどんななんだかわかってないと、見つけられない。You can see only you know.ってかんじ。 収穫物はよるご飯で油いためにして食べました。 ... おKの船出 - 2003年04月04日(金) おKは1号が通う保育園の0歳児クラスに目出度く入園。 4月3日は入園式でした。なんと0歳児クラス、入園者2名。その2名を担当する保育士数も2名。すばらしい。人々よ。都会を捨てて斑鳩に移住せよ。この地では待機児0ワールドが展開しているぞ。 そんで4月4日はおKならし保育1日目。泣いたらしいよ〜。まあ1歳のこの時期、人見知りするのはまっとうな反応という奴だ。 1号も年長組に進級。担任はあめでおアコガレの男性保育士さんと他の保育園から移動してきたキャリアウーマン風の知的な感じの女性保育士さん。男性保育士は去年の風の谷のナウシカの劇の演出で町の人々の度肝を抜いたお方でギターを持たせればアキヒロお兄さんばりに歌えるし、体操させればヒロミチお兄さんも顔負けの運動能力を発揮する。 昨年の年中組担任も並でなく良かったが、今回もかなり充実の陣容だ。 これで行事のたんびに町のお偉いさんにマイクを渡さなければ最高にナイスな保育園なのにねええ。 3日と4日はあめでおが仕事を休んでおKにアテンド。マルコは3日は大学院の健康診断、4日は午前中大学院のガイダンス、午後は専門学校の講師会とまあサービスの受け手だったり、送り手だったりしながら予定をこなしておりました。 ああ、春だねえ。勉強しないとそろそろヤバイっす。 ...
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