【復活!】ダイエットなDIARY
DiaryINDEX|past|will
♪けいこ ぶーそくを まくは まーたない
とにッス。
つうことで、The Coreの試写会へ行ってきた。
最近は、いつも封切り前に○○で○○して家で映画を観ていたので、映画館はちょー久しぶりである。
さすがに大画面で大音響で迫力はありました。
内容は、ミクロの決死圏(インナースペース?)とアルマゲドンと足して割ったような話である。
いわゆるご都合主義のハリウッド映画であるが、マッチョな男たちや売れセンのスターたちがが出てこなかった点は評価できる。
登場するのもがんばるのも科学者たちなのである。
それとラブシーンがまったくなかったのも評価できる点であり、子供づれでも安心して観られます。
英語も簡単なので、そして気取った科学者の英語は使い分けられているので、それはそれで面白い。
詳しくは、オフィシャルサイトがあるらしいので、ご覧下さい。
まあ、暇つぶしにはいいかもしれんなあ、つうぐらいの映画。
最初のほうのスペースシャトルの不時着シーンは面白かったッス。
今日はいくつか書類仕事を済まし、めだかの水換えをした。
疲れたッス。
♪こいの かーらくり ゆーめしばい
浄水器を買ってきた。
三菱○ーヨンのものである。
以前、千葉県にいたときには水がまずくてまずくてミネラルウォーターを飲んでいて、水道には東○の浄水器をつけて煮炊きに使っていた。
実家に帰ってからは水はまずくはなくなったが、飲用にはミネラルウォーターの癖がついてしまい、ずっと買っている。
これは留学中にしみついた習慣で、かれこれ7年ぐらいになる。
だからといって健康になったわけではないが。
日本の水道水は特にトリハロメタンという発癌物質が多いというが、専門ではないのでよく分からない。
塩素のニオイはやはりきつい。
イギリスでは塩素よりも、石灰分が多いので、すぐにゲリーだった。
つうことで、今日、職場の上司と昼食へ行ったついでに寄ったホームセンターで購入してきた。
2900円ぐらいだから、他者製品に比べてダントツに安い。
帰宅後、早速つけたが、買い置きのミネラルウォーターがあるので、まだ飲んでいない。
試写会のチケットなどはあたるが、第1858回関東中は100円しか当たらなかったのでショックで酒を飲んでいる(笑)。
メールがとどき、自分が所属していない学会から報告依頼が来た。
11月、京都である。
日程が空いていたのでOKした。
猪木VSアリ戦以来、他流試合は大好きである。
モハメド・アリといえば、60年代アメリカで勢力を伸ばしたブラック・モスリムは有名である。
アリはもともとカシアス・クレイという名前であったが、ベトナム戦争の徴兵を拒否したことでチャンピオン資格を剥奪されたのだ。
「黒人であるオレが黄色人種を殺しに行く理由はない」というのが彼の声明だった。
そこでアメリカ社会に見切りをつけ、イスラム教へ改宗。
イスラム名のモハメド・アリへ改名したのである。
彼のメッセージは後世へ伝えるだけの価値がある。
有事立法などが何の抵抗もなく通過してしまったが、徴兵などということになれば、拒否する決意は常に持っておこうゼ。
♪あーうとそーしんぐ ぽっぽー
翻訳は終わった。
訳注までつけた。
二、三納得のいかないところもあるにはあったが、あとはゲラの段階で直せばいいや。
いくつか面白い言い回しがあったので紹介しよう。
「つつきの序列(pecking order)の人間版」という表現である。
オレの使っている辞書にはなかったので調べた。
こういうのは翻訳をするときに困ってしまう。
調べてみると、これは動物生態学に由来していた。
ニワトリは相手の頭をつつくことによって自分の優位を示すそうだ。
飼育されている何羽ものニワトリを観察していると、一番強いニワトリは他のすべての頭をつつく事ができる。
二番目のニワトリは、一番上位のニワトリ以外のすべての頭をつつく事ができ、以下、順位によってつつける数はだんだん減っていく。
これの人間版ということであるから、人間の社会も同じような力の序列がある、という表現であった。
それから、「変な頭の日(Bad Hair Day)」というのもあった。
これはアメリカの学校などで実際に行われている行事というかイベントであるらしい。
その「バッド・ヘア・デイ」には、生徒はみな、思い思いの変なヘアー・スタイルにして登校するという。
髪の毛を緑色に染め、変な形、ダサーイ形にまとめてくる。
そして誰が一番変な頭をしているかを競い合うのである。
そういう日があるらしい。
訳としては、自分の個性を競い合うとかいうような表現にしてみたが、文脈から判断して、おそらく間違いではないだろうと思う。
Googleなどでイメージ検索をかけると、様々なBad Hairを見る事ができる(笑)。
こんな日が、日本の学校にもあっていいのではないかと思う。
あるいは、会社とか役所とかもやってみると少しはよい社会になるかもしれない。
社会全体でやってしまえばいい。
その日はみんな変な髪型にするのである。
NHKのアナウンサーなど、いかがだろうか?
住居!
つうことで、翻訳の仕事をやっています。
今夜は徹夜です。
明日出稿しないと、「オチる」そうです。
しくしくしく。
といいながらも「内P」を」観ています(オイオイ)。
また試写会のチケットが当たりました。
今度はThe Coreという映画です。
ペアで一組だったハズですが、チケットは4人分届きました。
ご家族でお楽しみくださいと手紙がありました。
FM○京のサイトから応募したのですが、太っ腹です。
今日は講義があったのでもう眠いです。
なにかついでがあったら、あるじゃーのんへはなたばをあげてください。
寝違えはやっと治ってきた。
新聞のテレビ欄を見ていると、ローカル番組に割かれる紙面は非常に少ない。
しかも、ここは埼玉であるから、他県のローカルテレビ局の番組表はきわめておざなりである。 そのうえ、その番組表からではどんな番組であるのかさっぱり分からないことが多い。
某紙のテレビ欄から、一部抜粋してみよう。
これをみてみると、まず群馬テレビでは朝の6時5分から8時までの約2時間の間に放送される内容が、
健康、命、演歌
である。 2時間がこの三つに、正確にいうと、三つの単語に要約されてしまうのである。 「健康」の次が「命」と言い切ってしまうところは何やら恫喝的でさえある。 健康か、さもなくば命、である。 それにしても、朝から演歌なのだろうか?
ほぼ同じ時間帯にとちぎTVでは、
買物、自遊、嵐
であり、こちらは朝から「買物」である。 さらに「自遊」や「嵐」などは、これだけではなんのことやら分からない。 朝から「嵐」なのか?
続く8時から9時半の時間帯ではどうだろう。
【群馬テレビ】 緑風、NOW、仕事 【とちぎTV】 鬼ユリ校長、とちぎ
1時間半枠だから、30分ずつ、緑風、NOW、仕事で三等分しているのであろうか?気になるところである。
さらにとちぎTVの「鬼ユリ校長」っていうのはいったい何なんだ?「とちぎ」っていうのも、説明していそうでいて、その実、中身はすこしも分からない。
続く9時30から正午までの2時間半をみてみよう。
【群馬テレビ】 スポーツ祭、群馬 【とちぎTV】 ナウ、神、旅、買物
群馬の方も負けてはいない。「群馬」という強力な対抗番組があるのである(笑)。 がしかし、やはりとちぎのセンスにはかなわないのかもしれない。
ナウ、神、旅、買物
である。
きっとナウでヤングな人が観るのにちがいない。 しかも群馬テレビでは「NOW」と英語表記であったが、こちらはカタカナであり、視聴者のリテラシーへの配慮が感じられる。
そして唐突に「神」である。 すげー、どんな番組なんだろう・・・・ そう思わせるすごさである。すでに日常を超越してしまっている。 さらに続いて「旅」である。 もう日常などはるか彼方に見えなくなっている。 そして、最後にくるのが、「買物」である。
買物・・・なんという日常的な言葉であろうか。
一度現実世界から離脱し、神との邂逅を果たし、はるかな旅へでて、そしてまた日常生活へ帰還するのである。
つまりこれは、
永劫回帰の思想
なのではあるまいか。
ニーチェである、ツァラトゥストラである。 とちぎTVは日曜日の番組に彼の哲学を実現しているのであろうか?
しかし、買物では群馬TVも負けていない。 続く、正午から夕方6時までをみてみよう。
【群馬テレビ】 買物、競馬、酸素、競輪、競馬、ぐんま 【とちぎTV】 音、馬、映画、買物、競馬、買い物、チエ
買物に始まり、競馬、競輪、競馬と日曜ならではのギャンブル時間帯だ。 最後には「ぐんま」でピシッとしめている。競輪競馬の合間にある「酸素」というのがどうもよく分からないが、おそらくギャンブルなどで緊張が続いているから、合間に酸素を補給しようという視聴者への配慮なのかもしれない。 そして最後は「ぐんま」である。
だが、やはりあなどれないのが「とちぎTV」である。
「馬」と「競馬」はちがうのだろうか?そして「買物」と「買い物」はどうちがうのだろうか?
おそらく、細かいことなど意に介さないのであろう。もう、王者の風格さえある。 そして最後は「チエ」である。 これはお年寄りの「知恵」を紹介する番組なのか、それと「チエ」という名前の人なのか?「じゃりんこチエ」という場合も想定することができる。
さらに続いて6時台から10時頃までをみてみよう。
【群馬テレビ】 関節、漫画、マラソン、住居、音楽 【とちぎTV】 スパイ、うた、栃木、フェイス、カー
群馬テレビはいきなり、「関節」をとりにきた(笑)。 「漫画」という二文字も内容が分からないだけにすごいが、「住居」というのも番組とは思えないぐらいすごい。 とちぎTVはここで大きな方向転換を行っている。スパイ、フェイス、カーという外来語の多用である。しかも朝8時台には「とちぎ」だったものが、夜には「栃木」と、ぐっと大人向けである。 朝と夜とでは視聴者層がちがうことは大いに考えられることであり、それによって番組構成も変えているのである。さすがである。
最後に、午後10時台から深夜までをみてみよう。
【群馬テレビ】 米国、サッカー、馬、ゴルフ、買い物 【とちぎTV】 MS、風景、馬、買物、買物
群馬県と「米国」がどうつながっているのか分からないが、米どころ、という意味であるとは思えないので、きっと国際情勢に配慮したものなのであろう。そしてやはり強いのが「馬」であり、「買い物」である。「買物」と「買い物」は、ここでも使い分けられている。いったいちがいは何なのだ?
とちぎTVはついに「MS」である。カタカナ表記さえ放棄してしまった。MSとはいったい何か? そんな疑問と期待の渦を巻き起こしながら、続いているのが「風景」という一見して癒し系であることをうかがわせる番組だ。 ここでいったん疲れた体を休め、お風呂に入る人はこの時間帯に入ってもらおうとしているようである。 そして最後は「馬」「買物」「買物」という怒涛の三連荘でしめくくるのである。
まあ、こうやって地方の夜はふけてゆく、のである。
【追記】 各ローカル局も最近ではWEBサイトを持っているので、番組がどうしても気になる方はそちらをご覧下さい(笑)。
♪わ〜たしの〜〜 誕生日に22本の〜〜
卓球の愛ちゃんはとても不幸そうな顔をしている。
幼い頃に親の虐待にあった顔である。
子供にスポーツとかを強いてはいけない。
いくら本人に選ばせたとは言っても、生きるための唯一のよりどころである親から迫られた選択を前にしては、子供に自由意志などないのである。
卓球をやめることは親の愛を失うことだからだ。
親の押し付けと愛情は違う。
愛という名前は皮肉か?
勘違いしている親たちが、世界にはいったいどのくらいいるのだろう。
くたばれ残酷な親たちよ。
♪こどもたちが〜〜 そらにむかい〜〜りょうてをひ〜ろげ〜〜
こんにちは、ストレンジャーとにです。
ダニハーブつうのをホームセンターで買ってきた。
こちらでは980円であるが、780円で売っていた。
ふとんにも使えるっつうことなので、ふとんやソファやカーペット、カーテンにまでも散布した。
部屋はハッカのにおいでいっぱいである。
そのせいか寝苦しかったらしく、朝起きてみると背中に激痛が。
どうやら夕べ寝違えたようである。
これが痛い。
どのくらい痛いかつうと、背中から翼が生えてくるのではないかと思えるほど痛い。
ぢつはオレは天使だったのかも。
いや。石は投げないでくれ。
そういえば片翼だけの天使というのが昔あったが、あの頃は天使が流行っていたようである。
翼の折れたエンジェルとか。
先日、台風のような豪雨の中、仕事帰りに高速を運転していたが、そういう時はつい口ずさんでしまう。
♪ワイパーきかない夜のハリーケーン(うろ覚え)
高速では事故が二件ほどあり、ひとつは大型車が四、五台玉突きしていた多重事故で、かなり大きなものだった。
たぶん死人が出ただろう。
反対車線だったが、そこから数キロの渋滞になっていた。
雨の高速では確かに天使が舞い降りる。
死人を連れてゆくという意味での天使であるが。
オレです。
さて、石原シンタローは都知事選で300マン票以上獲得し、再選を果たしたが、落ちたとはいえ10万票以上獲得したあのドクター中松は相変わらずスゴイ。
発明王(自称)のドクター中松の最新の発明は「ウデンワ」である。
これは第四世代携帯電話(自称)である。
腕にはめるから「ウデンワ」。
このネーミング自体昭和初期かと思えるぐらいすごいが、記者会見をやっちゃうところがもう極上である(爆)。
さて、これがどのようなハツメーなのか見てみたい方は、こちらである。
はい、そこ!笑いすぎないようにっ!!
超ナショナリストのイシハラはイシハラで首相にふさわしい人ナンバーワンらしいが、いずれにしても日本には人材がいねーのか?!つう話だよな。
どうせ日本はテクノエリート気取りの官僚たちが動かすんだから、ニカウさんとかでもいいんじゃねーの?
いや。ニカウさんをバカにするワケではない。きっと日本の首相なんで迷惑だよね。すまん、ニカウさん。
あーあ。マジでフィンランドとかに移住したいや。
生きてます。
GWも終わってしまい、最近また忙しくなってしまった。
今日は懸案であった免許の更新へ行って来た。
最寄の警察署ででき、即日発行である。
有効期間も5年間になった。
最近、チケットづいている。
明日封切の「めぐりあう時間たち」とかいう映画の試写会チケットが当たった。
いつ応募したのかよく覚えていなかった。
あまり興味もなく、忙しくもあるので親にあげた。
昨夜行って来たらしい。
提供が日清だったらしく、いろいろ食用油やサプリメントなどがおまけについてきたらしく、母親もホクホクである。
江戸東京博物館では「宮本武蔵展」をやっているが、この招待券も手に入った。
父親がNHKの「MUSASHI」を毎週観ているのでこれもあげた。
勢いづいて、マトリックス・リローデッドやch-リーズ・エンジェル・フルスロットなどにも応募してみた。
Windows2000へのアップグレード作業中に、エアロバイクを一時間以上もこいでしまった。
すでにももが痛くなっている。
・・・翻訳はやっとやり始めた。
ちーーーーーす。
家にいるときは携帯は持ち歩かないからめったに出る事がない。
大学時代の友人から立て続けに着信履歴があった。
折り返しかけてみたが、話中でなかなかつながらない。
もしや共通の知り合いに不幸でもあったかと不安がよぎる。
やっとつながると、なんと友人が結婚するとのこと。
おう。めでたい話なのでよかった。
その友人は大阪の某銀行に勤める銀行マンで、現在はリスク管理をやっているらしい。
説明を聞いたがいまいち分からない業務内容だった(笑)。
さてお相手はこれも大学時代のクラスメイトである。
卒業して十数年、在学中に彼のほうの想いは仲間内では有名であったが、最終的にゴールインしたというのはなかなか面白い話だ。
彼女は現在名古屋で、これも銀行員である。
ずっと会っていなかったが、昨年暮れに会い、その後ここまで話が進んだとのことである。
銀行マンは激務なので、家にはほとんど寝に帰るぐらいだというが、激務だからこそ結婚したほうがよい。
こころから祝福をしたい。
さて、今日は髪を切った。
その後、完全にコタツをしまい、ちいさな安物のソファを引き出してきた。
部屋の中も大掃除である。
掃除をすると、どこかに行っていた免許更新のはがきが発見される。
このはがきは更新に必要なので助かる。
今回から有効期間が5年になるそうだ。
優良ドライバーである。
夜、エアロバイクを40分ほど。
懸垂、腹筋など。
顔になんだか赤いボツボツができた。
ニキビのでき始めっぽい。
アミノ酸のせいか?
ゾロアスター教から、イキオイあまって『死海文書の謎』(柏書房)を読んでいる。
翻訳ものである。
これがものすごく面白い。
学術書とは思えない面白さ。
正確には学術ジャーナリズムなのだろうが、こうしたアカデミックなジャーナリズムが日本では発達していない。
立花隆ぐらいで、お寒い限りである。
ともかく、この本はお勧めである。
若干、訳の堅さというか、直訳しすぎだろうつうところがあったが、内容の面白さで読み進める事ができる。
訳といえば、翻訳の仕事にまだ手をつけていない。
おいおい、まだなのかよ?!と、思って心配されている人もいるかもしれないが、オレが一番心配している(おいおい)。
来週には出さねばならないので、明日からやります。
つうか、やばい。
ぬは。
今日は車のサイドウインドウにフィルムを貼った。
これも以前買っておいたものであるが、時間がなくて貼っていなかったものである。
これがチョーめんどくさい。
二枚ほどムダにし、なんとか貼り終えたら夕方になっていた(笑)。
今日は雨だったのでエアロバイクを室内で30分こいだ。
身体がなまっているので結構きつい。
その後ゴムチューブの運動を少々。
まあ、徐々に運動量を上げていこう。
アミノ酸とビタミンCのサプリメントを飲んでいる。
オリヒロ株式会社というところのもので、よくいくスーパーで安売りをしていた。
はてさてこれがどのくらい効果があるものか。
♪あん あああ やんなっちゃった あん あ〜ああ おどろいた
グレートサスケの覆面が問題になっているが、そもそも立候補の時点で手を打っておくべき問題だったハズである。
いい大人たちが何をやっているんだか。
香港ではSARSの死亡率が20%を超えた。
初期の対応の判断を下す立場にある人の責任は重い。
ところで、感染症は、人類の定住の結果なのだという。
狩猟採集の段階では、獲物の需要と供給のバランスで、ヒトは小さなグループとして点在するしかなく、一定数以上のヒトの集団を形成できなかったことから、感染症ウイルスが蔓延することもなかったという。
そもそも地球のにおける人類の人口が増えすぎなのだそうだ。
今日は奥歯のブリッジが入った。
その後レントゲンを撮られる。
再来週は前歯に着手する予定である。
これは大体1時間半ぐらいかかる処置になるとのことだ。
こえー。
副音声でTVを見ていると北朝鮮の拉致問題のことを(キッドナップ(誘拐)という場合もあるが)アブダクションというのが分かる。
これはあのUFOに連れ去られる事件と同じ呼び方である。
つうか、もともとアブダクションが誘拐という意味なのだが、この言葉を知ったのが子供の頃のUFO特番であったので、UFOのイメージが固定されているのである。
明日はそろそろコタツをしまおうかと思っている。
講義でイランの民族宗教ともいえるゾロアスター教について触れようと思っている。
そこで、「新世紀エヴァンゲリオン」を観てみた。
エヴァンゲリオンというのは福音という意味であり、ギリシャ語である。 現在でもキリスト教の諸宗派には多くのエヴァンジェリカル・チャーチ(福音派教会)がある。
古代イランでは宗教的な知識は口誦によって伝えられ、書き記されなかったので、ギリシャ語の文化を持つ者が記した文字資料によっているからである。
つうことでこのアニメ、以前、話題になっていたことは知っていたのであったが、ぢつは一度も観た事がなかった。
興味がなかったからである。
この日記の読者の方の中には誤解されている人もいるかもしれないが、オレはオタク系ではない。
では何系かといえば、アカデミック・タコツボ系である(笑)。
マニアックにやたら深く掘り下げた知識がある部分もあるが、かといってそれにのめりこむこともない。
それはともかく、この「エヴァ(と略すらしい)」を全話観て見た。
これがちょっと面倒くさい。
全26話なのであるが、最後の25、26話はTV放映版とは別に劇場版がある。
だから実質28話である。
その他に「シト新生」とかいう、TV放映分をまとめた、いかにも角川商法といった劇場版もある。
二日かけて、これらをすべて観た。
感想であるが、なんか、子供がウジウジしているアニメである。
この状態は基本的には最終話まで続く。
しかもTV放映分の25、26話はもうアニメであることを放棄してしまっている。
こうした多元的現実と内面の葛藤を、フラッシュ・バックの多用と台詞で表現する手法は演劇の世界のものである。
オレ自身、そういった脚本を書いたり演出したりという経験があるのでよく分かる。
こういう形で言いたいことというか表現したいことをやってしまうと、もうお話などどうでもよくなってしまうのである。
これではあんまりだ、と思った人が多かったのか(どうかは知らないが)、劇場版が作られ、一応話は完結したっぽい。
物語には旧約聖書・新約聖書、そしてそれらに影響を与えたゾロアスター教の世界観が出てくる。
ロボットが戦う相手の敵は「使徒」という。
三つの人格型コンピュータは「マギ」というが、これはキリストが生まれる予兆として不思議な流れ星を追ってきた「東方の三博士」の話からとられている(「マタイによる福音書」)。
「マギ(Magi)」というのはゾロアスターの司祭を指すギリシア語で、キリスト教が国教化された後は、異教として退けられた。
魔術をマジックというが、その語源となっているそうだ。
その他、「生命の樹」だの、「死海文書」だのも使われる。
登場人物は基本的にみんな死んでしまうし、すべての生命自体が溶けて混ざり合ってしまう。
自分と他人とを分ける心の境界がなければ、自分も他人も無く、他がなければさびしいこともなくなる、というようなカンジである。
まあ、それでもいいのであるが、そこへ到るストーリー上の必然性と映像的な説得力に欠けてしまっている。
何のために長々と28話まで観てきたのか分からなくなってしまった。
まあ、哲学や宗教に到る道はどこからでもいいので、そういう意味ではこの作品にも一定の役割というかニーズがあったのかもしれない。
ただ、あまりにも世界観の使用が折衷的というか混ざりすぎているので、これにはゾロアスター教徒もびっくりであろう。
善悪二元論や神とか終末観とかは、おそらくは永井豪や石川賢からアニメの世界に持ち込まれたものであろう。
しかし、こういった作品ができるのも、やはり日本人だからだろうと思う。
生活の基盤にユダヤ=キリスト教やゾロアスター教をもっていないからだと思える。
もしもこうした文化圏の人々であったなら、それはあまりにも衝撃的であるので、気楽にアニメ化することはできない。
本気で最終戦争が起こり、死者は墓場から復活し、キリストも復活して千年間統治するということを信じている人々にとっては、日曜毎に教会へ行き、さらに自分の罪を告白し懺悔する人々にとっては、それはあまりにも冒涜的なのだろうと思う。
それから目に付いたのは、(せいぜい80年代どまりの)ちょっと古い心理学用語の多用である。
これはおそらく、日本的な会社制度にその問題の根があるのかとも思う。
父親は会社人間で遅くまで残業。 母親もパートに出る。
そうしないと生活できないほどに、日本社会は実は貧しいのである。
子供は取り残されるか、保育園、幼稚園、学校、塾などで多くの時間を過ごすようになる。
これは近代化の問題であり、農業国であることをやめた産業体制の問題である。
家族や家庭の希薄さは、そうした状況を作り出す社会制度上の問題でもあって、これは哲学や心理学では解決できない問題である。
つまり、この作品が扱っている「テーマ」は、宗教や哲学よりも、むしろ社会や制度上の問題の占めるウエイトが大きいのではないかと思う。
なんか病んでいるなあ、つうのが率直な感想であるが、この作品が作られた当時はやはり1999年を目の前にしていたころでもあり、オウム事件の衝撃も覚めやらぬ頃であったろうから、社会的なリアリティもあったのかもしれない。
これを書いている現在は2003年であるので(麻原裁判の判決は来年になるという)、こういう批評はちょっと酷かもしれない。
まあ、しかし、アニメーションの技術自体は、デジタル処理されたリニューアル版でもあったので、非常に高く、映像も綺麗であり、動きもよい。
タツノコプロは「ガッチャマン」や「破裏拳ポリマー」や、さらに掘り下げれば「マッハGOGOGO」などを作ってきたところであるが、名誉挽回といったところか。
子供の頃に、少年マガジン誌上の「デビルマン」で受けた衝撃のようなものを、これを観ていた子供たちも受けたのかどうか、ちょっと疑問である。
今日は網戸の張替えをした。
昨年、一階部分はしたのだが、そこで力尽きてやっていなかったのである。
張り替え用の網自体は昨年購入してあった。
作業自体は昨年と同じなので難しいことはないが、少々コツがいり、結構疲れた。
相変わらず家庭的である(笑)。
大量に注文しておいた書籍が徐々に届き始める。
入荷順に発送してくれるように頼んであるので、ほぼ毎日ペリカン便の人が来る状態である。
こいつは何なんだと思われているのに違いなひ(笑)。
タバコは、やめて13年経つと肺がんのリスクが吸わない人と同程度になるのだそうだ。
やめようかのう・・・。
ホントか?
どうも。僕です。
今日は天気がよかったので洗車をした。
普段はスタンドで機械にかけてしまうので自分でやることはあまりない。
時間があればこそ、である。
実はこのために、先日ホームセンターで洗車グッズを買っておいたのであった。
しかし、最近の洗剤とかワックスとかはとても進歩している。
らくらくである。
タイヤ用の泡が出る「ノータッチ」とかすごいね。
まるで新品のようである。
しかも不況のせいか安売りしていて、みんな280円とかで買えちゃう。
ホームセンターではクレジットカードが使えるようになっているので、カードで支払う。
いつも、1000円以上の買い物の場合は、使えるならカードで支払いをするように心がけている。
ポイントが溜まる、ということもあるが、どこでいくら使ったかの記録が残るからである。
これらはネットでチェックできる。
大きなスーパーや書店などもほとんどがカードで支払いが可能だ。
高速道路の料金も同様である。
あとはコンビニがクオカードとかをやめてクレジット決済が可能になれば、オレ的にはほとんどキャッシュは必要なくなる。
ちまたでは電磁波がどうのという白装束の集団が問題になっている。
千乃正法とかいう団体であるが、オカルトというかドンデモ系では有名な人を教祖とする集団である。
最近、いろいろと人間のだまされやすさに関する本を読んでいるが、その中で面白いものをひとつ紹介しよう。
誕生日問題というのがある。
それは一定の人の集団の中において同じ誕生日を持つ組み合わせの発生率に関するものである。
確率や組み合わせの問題として有名なもので、最近は教科書にも載っているらしい。
ここに23人の人の集まりがあったとしよう。
このなかで、(何年生まれということと閏年を度外視して)同じ誕生日の人が少なくとも一組いる確率はどのくらいだと思うだろうか?
これが、なんと50%なのである。
つまり5割で、これはコインを投げて裏と表が出る確率と同じ、半々である。
40人で89%で、41人いると90%を超えてしまう。
だから大体クラスに一組は同じ誕生日を持った組み合わせがいる確率はほぼ9割に達するのである。
最初このことを知ったとき、かなり驚いた。
これがもしも男女の組み合わせであったら、運命の赤い糸とかを感じちゃうのであるが、9割ということを知ってしまうと大して不思議なことではなく、よくあることである。
仮にaとbの二人しかいなかった場合は、二人が同じ誕生日である確率は365分の1である。
組み合わせとして考えると、ab,あるいはbaしかない(これは重複しているから実際には1だ)。
a,b,cの3人の組み合わせはab,ac,ba,bc,ca,cb。
a,b,c,dの場合は、ab,ac,ad,ba,bc,bd,ca,cb,cd,da,db,dc,とどんどん大きくなっていく。
理論的には一年は365日しかないので、365の可能性しかないから、366人いれば、必ず誰かと重複しているはずである。
こうした限られた可能性は、組み合わせの数が多くなればなるほど食いつぶされていくのである。
そして23人になったとき、その可能性は50%になり、41人で90%に達するのである。
こうしてみるとちっともアンビリーバボーではないが、もしも実際に自分と同じ誕生日の人がクラスにいたらアンビリーバボーと思ってしまうに違いない。
どうして実際の確率計算と人間の直感とのギャップがあるのかということを考えてみた。
おそらく、誤りの原因は、この計算があくまでも誕生日の同じ人がいる確率であり、自分と同じ誕生日の人がいる確率ではない、ことである。
しかし、どうしても誕生日というと、あまりにも自分に固有の日だという思い込みがあるため、他人同士の組み合わせにまで考えが及ばないのである。
もちろん、自分と同じ誕生日の人がいる確率はもっとずっと低い。
120人まで計算したサイトがこちらにあるので、計算式と解説についてはご参照下さい。
もっとも、こうした確率論的事実を知ったところで、人間はだまされにくくなるようなことはないであろう。
人間は、常になにかに意味を求めてしまうからである。
分析心理学のユングは、シンクロニシティという概念で「意味のある偶然の一致」というテーマを取り上げたが、人間は常にそうした事象に意味を求めてしまう。
人間は自らの作り出した意味世界(あるいは言語世界)の中で生きているからである。
たとえば、英語のトワイライトが「薄明」という意味であり、これは状態を指す言葉で、ある意味科学的である。
科学的には明け方と夕闇は同じ現象であるが、やっぱり「夜明け」と「夕方」では人間にとっての意味は大きく違うのである。
昨日書いた時計のムーヴメントであるが、今日説明書を読んだが、やっぱり合わせ方が分からない。
同じこととはいえ、やっぱり気になっちゃうのである。
|