【復活!】ダイエットなDIARY
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2002年11月30日(土) 所見

いや。FFXIはやってない。






Rマニアってどこ行っちゃったんだろう?

まだスワンに乗っているのか?








そういや、このダイエット日記を復活したのには、CGIがめんどうという以外にも理由があった。

それは健康診断の結果が出たからでアール。


この診断はオレの住んでいる町が無料でやってくれるものだ。

そもそも40歳以上の町民は誰でも受けられる成人病を主なものとした健康診断なのだが、それ以下の年齢でもなんかOKだった。
レントゲンも血液検査も心電図もやってくれる。

自営業の人とか向けなのかな。



そもそもダイエット日記をつけはじめるきっかけとなったのも、健康診断だったが、肝機能をはかる目安であるGOTやGPT、ガンマGTPなどの項目は今回はセーフだった。

ま。セーフといっても、GPTなどはぎりぎり正常という数値なので安心はできんが。


やばいのは、コレステロールと中性脂肪の値である。


異常値は赤字になっていて、この二項目が赤字だ。

総合所見では「高脂血症:かかりつけの先生又は最寄の病院に受診してください」と記されている。


体重は、標準体重より3キロちょっとオーバーしている。

なにせ、四月から忙しくなって、ほとんど運動らしい運動をしなくなって、はやくも今年は終わってしまいそうなイキオイである。



やばいんで、そろそろ運動を再開しようと思っているのだ。

ダイエット日記に恥じない日記を目指そう、なんて思っちゃったりして。




そういいつつ、今日は書類仕事とLinux導入で一日が終わってしまった。

くそう。




2002年11月26日(火) 人骨

ぬおお。


寒い。寒すぎるっす。




日曜の夜に沖縄から帰ってきた。
最終日の沖縄では、巨大な門中墓の内部に入るという貴重な体験をした。


前に書いたように一族数千人が利用する亀甲型の巨大な墓である。

敷地面積だけで1800坪もある、墓というよりも、一種の巨大遺跡公園といった感じだ。


内部には洗骨した(数年経った)骨をいれるところがある。
一つ一つの骨壷というよりも甕(かめ)のようなものから取り出し、それをそこに入れる。

死者はすでに個性を失った「先祖の霊」になってしまっているのだ。

その場所を池という。

池というよりも、巨大な骨のプールのようになっている。


現在は火葬骨であるが、以前は風葬であったため、完全な形のしゃれこうべなどがたくさんの骨に半ば埋もれた形になって、うつろな眼窩をひらいている。




もう、一生分(いやそれ以上か?)の人骨を見ました(涙)



墓の中は完全に死者の世界であり、墓から出ると、あの世からこの世へ戻った感じだった。




沖縄から帰ってくると、山のような仕事が待っており、今日は授業もやった。

原稿もやらなくてはならない。


この世の、日常に戻ったカンジである。





向こうでは一度もTVを観なかったので、TVを見る習慣がなくなってしまった。

その分、時間が有効に使える。



仕事は山積みであるが、気力は充実している。

体調も、抗生物質を一週間ほど飲み続けたせいか、平常に戻った。


やはり、忙しくても、ブレイクや休暇は必要なのだと思った。



日常から非日常へ。
あの世から、この世へ。
死から生へ。


よみがえる、とは「黄泉かえる」と書くそうだが、意味深いものである。



オレが帰ってくるのと入れ違いに、家人が妹のところへ泊まりで行っているので、しばらくはまだ一人暮らし。

正確に言うと、猫と二人暮しだ。


さびしいのか、猫はよくなつく。



『ユング自伝 II』を読み始めた。



2002年11月23日(土) 不毛

沖縄は、大体気温22度ぐらいである。

今日は晴れたのでなおさら暖かかった。

日差しも強くて、サングラスが必要なぐらいだ。









やっぱ、「ソーキそば」は傑作である。


ソーキそばとは沖縄独特の庶民的料理の一種だ。

ソーキというのは豚のあばら骨の肉で、いわゆるスペアリブと同じ部位だ。

そばの麺自体は、丸麺が一般的で、うどんとラーメンの中間ぐらいの面だ。

豚のダシとかつおだし、それに塩で味付けをしているシンプルな丼ものの麺である。


これがうまい。

沖縄滞在中、毎日、昼はソーキそばを食っている。


店にもよるが、だいたい、500円から700円の間である。






今日は朝から調査に行った。

唯一の上陸戦が行われた沖縄には300を超える慰霊碑がある。

その調査に行ったのだが、興味深かったのは、現地の人の声を聞けたことであった。



糸満市のある地域に行ったのだが、ここは三村がほとんど全滅している。

兵士に限らず、民間人も含めて、村民が大量に死んでいる。



今は、そしておそらく当時も、サトウキビ畑が延々と続くのどかな風景のところである。


そこは、千躰をこえる人間の死骸が累々として転がっている有様だったという。


そうした遺骨を集めて、納骨堂と慰霊碑がたっているのだ。



当時の生き残りの方々に聞いた話はほんとうにすさまじかった。


沖縄戦のことを鉄の暴風が荒れ狂った時というが、こんな畑しかないところで、殺戮しあったのだ。
人間というのは一体なんだろう?


ヨーロッパに旅行をすると、シベリアなどの上空を延々と飛行機で飛ぶ。


何も無い、不毛な大地である。


そしてその大地の上で、延々と殺戮が行われたのだ。


戦争は不毛である。

何も生まない。





夜は夜で、毎晩のように沖縄料理と泡盛とで、食い歩き飲み歩き、している。


だが、昼間の調査で、余裕で一万歩以上歩いているので、それほど不健康なカンジはしない。



明日は、午前中調査をして、夕方の便で本土へ帰る。




寒いのだろうなあ・・・・。


2002年11月22日(金) 調査

沖縄編三日目。



今日は午前中國際通りまで足を運びおみやげ物を物色する。


沖縄にはダイエーや三越などの本土資本も入ってきているが、三越は面白い。


何が面白いかというと、石敢當(いしがんとう)が入り口においてある。


2対の狛犬のようなシーサーは有名であるが、石敢當は、「石敢當」と記された一種の石碑や表札のような石造りのものである。


これは一種の魔除けで、三叉路に面した家に置かれている。

このように交差点は、魔の出るところと考えられていたらしい。

本土でも「逢う魔が辻(おうまがつじ)」といって、道が交差するところには魔除けやお地蔵さんが置かれている。

「辻(つじ)」という漢字自体が、十字路を表している。

アメリカ南部での初期のブルースにも、「Crossing Road」といって、「交差点で悪魔が出てきてブルースの弾き方を教えてくれた」というフレーズがあったりして、さまざまな文化で、交差点、あるいは少なくとも二つの道がであるところは象徴的に特異であったらしい。


那覇市の三越は三叉路にあたっており、最初はなかったが、ある段階でこの「石敢當」を設置したそうだ。

しかも、そのために入り口の改修工事まで行ったという。




ま、それはどうでもいい知識であるが、沖縄語訪問の際は、是非一度ご確認ください。






で、午後からは、失業中の後輩の案内で糸満市を訪ねた。


人のまったくいないビーチや、太平洋と東シナ海とが出会う喜屋武(きゃん)岬などで、まったりと過ごした。




途中で、後輩の車が立ち往生してしまった。

なんか、煙が出ている(笑)。


ボンネットを空けてみると、ファンベルトが無い(爆)。







どこかでファンベルトが切れてしまい、それゆえのオーバー・ヒートであった。


ファンベルトがタービンを回して発電するので、当然バッテリーも上がってしまう。



修理工場へ電話し、救援を待っている間、門仲墓などを見て回った。


門仲墓は、中国に見られるような一族数百人が入れるような巨大な亀墳墓であり、沖縄では一般的である。


本土のような家墓ではなく、一族のお骨が入っていて、巨大な一種のドーム型をなしている。


15メートル四方ぐらいある、巨大なものだ。





そうしたアクシデントを含めた小旅行を終えてホテルに帰るとメッセージがあった。




それは某大学の調査団が到着したとのことで、どこそこのホテルで会議をしている、という内容だ。



この調査団が今回のオレのスポンサーでもあるので、早速駆けつけ、その後、飲み会に行って、今に到る。



明日は朝からこの調査ご一行とともに、沖縄には無数にある慰霊碑の調査である。


この調査は三年間らしいので、あと2年間はちょくちょく沖縄に来ることになるだろう。



次回からは離島へ行こうと思う。







ユングを読み終えてしまったので、今夜からは村上春樹を読む。


2002年11月21日(木) 海辺

寒い本土の皆様、お元気でしょうか?
つうことで沖縄二日目。



今日の沖縄は、暑いというか、暖かい。
ずっと半袖で過ごした。







昨日は、夕方あのまま少しダウンして、友人の仕事が終わった夜から、食事に連れていってもらった。


行ったのはもとアメリカの将校クラブかなにかの建物を利用したステーキレストランである。
大きな木製の扉を入るとロビーがあり、広いレストラン。
別室はバーになっている。
レストランのテーブルにはアルコールランプがあり、他の照明もすべて間接照明である。
デート向き。

男二人で(きてもいいが)ちょっとさびしひ。
(ちなみに友人はすでに結婚して子供が二人いる)


で、ステーキは半分も食べられない。

体調わる。

つうか、体調よくっても食べられなかったかも。

分量はアメリカ的。

メニューも英語が先に書いてある。


ともあれ、ビールなどを飲みながら昔話に花を咲かせる。




で、再びホテルに。

抗生物質とかなにやらを飲み、お風呂に入って、少し寝る。


1時ごろ汗をかいて目がさめる。

ちょっと部屋からネットをやり、その後、おとなしく本を読む。


ここ数年、少しづつ、体系立てて読んでいるユングだ。

『ユング自伝 I』(みすず書房)である。


分析心理学の創始者のひとりであるユングが、死後に出版することを条件に成立した作品だ。


旅先で、静かに心を見つめなおすような本を、それも深夜にするというのは、なんというか、しっとりしているカンジだ(どんなカンジだ?やってみれば分かる)。




明けて、今日。
朝のうち少し雨が降っていた。

朝食をおえて、出かけるころには雨も上がっていた。


公文書館で調査をする。

収穫あり。


特に、占領期の米軍資料のマイクロフィルムに興味深いものを発見した。

この文書館は使える。

建物自体も新しいし、職員も親切だ。





後輩から電話があり、午後3時ごろから合流した。

「ソーキそば」を食べる。

うまかった。



後輩は、なんと失業中であった。

職安からの帰りだそうな。

(ちなみに、この後輩も結婚していて子供が二人いる)


明日は、後輩とビーチでビールなどを飲みながらのんびりする予定だ。


村上春樹の『海辺のカフカ(上)』を持ってきたのだが、明日はビーチでこれを読み始めるかも。



ホテルに帰ってきたので、これからはビールなどを飲んで、ゆっくりユングを読み終える予定だ。





2002年11月20日(水) 沖縄

めんそ〜れ〜〜



つうことでまた沖縄にきている。

今年は三度目である。




それにしても浜松町からでているモノレールは最悪である。
何が最悪かっつーと、駅の構造が狂っている。

山手線からモノレールへの乗り換えを示す看板標識もわかりにくい。
あ〜〜憎い!


オレの前を歩いていたどっかのオヤジもいっしょに間違えてたゾ。

オレは途中で気づいてひき返したからいいが、あのオヤジはどこまで行ってしまったことやら。


さらにホームまでの階段が2段階になっている。
それは途中で踊り場になって反対方向に折り返して上がっていくのであるが、荷物が多い人もいるからそこはエスカレーターになっている。
最初は左側にあったエスカレーターが、踊り場で、右側に変わっている!!!!


あほかーーーーーーーっ!!!!!!



だから、荷物を持っている人やひっぱって転がしている人は、踊り場で反対側へ人並みを横断しなくてはならない。

ラッシュ時にはこれがどういうことになるか分かんねーのかっ?!!!


人間工学っちゅーか、人の流れ、動線をまったく無視した欠陥構造である。


おまけにバリアフリーでもない。(どっかにエレベーターでもあんのか?すくなくともまったく目立たなかったぞ!!)


ひどい。
これでも民間企業なのか?JRよ?!YO?!YO!!


思わずラップ風になってしまうほどハラが立っている。


つい先日乗った「大阪モノレール」はもっとちゃんとしてたゾ!!!

皆さん、羽田へのアクセスには品川まわりや、他の私鉄を使いましょう。








さて、無事にフライトが終わり、那覇空港へ着くと、これがまた、


暑いっっつ!!!

冬の恰好をしてんのはオレだけか?!


荷物が出てくるのを持っていると、空港内のBGMは、それでもジングルベルだった(笑)。



♪ジングルベール、ジングルベール、すっずっが・・・・


タクシーで通った市街ではみんな半袖きてるよ、オイ。

しかも、今日は曇りなのにこんなに暑いよ、オイ。

晴れたら、どんなことになるのか怖ぇえよ、オイ。


なんで、皮シャツなんか着てんだ、オレ?

いや。ここはラップではない。






で、今は、ホテルにつき港の見える部屋からネットに常時接続して、これを書いている。

販売機で買ったオリオンビールを飲みながらである。



昼飯はホテルのティーラウンジでサンドウィッチをつまんだ。

友人に電話したが、みんな仕事中らしい・・・・。

平日だもんな(ボソ)。




優雅そうだが、体調を抗生物質と解熱剤と抗炎症剤で押さえているところへ、今朝は早かったのでほとんど鉄也状態。
♪くれーなずーーむまちのーーー

ボクは死にまっしぇん!!!




文書もかなり壊れているので、少し横になろうと思ひまふ。




今日から始まる4泊5日の沖縄、初日はあえなくダウンしそうである。


2002年11月19日(火) 予告

復活の予告編デアル。


先週の金曜から大阪へ行っていた。
学会で発表があったからである。

が、体調は思いっきり悪く、風邪をひいていたらしい。

コウモンのまわりとか、内腿とか、リンパ系が痛いといういつものショージョーで、これは長期間寝込むパターンである。

発表は最後の日の日曜であったので、その日以外は基本的に千里阪急ホテルで寝ていた。



で、なんとか無事に日程を終えて、昨日医者へ行った。

「ウイルス性の風邪でしょう」ということだった。
大量の抗生物質、解熱剤、抗炎症剤を投与される。
この薬を持って、明日からは、またも沖縄である。
授業は休講にした。


更新してないからか日記のCGIが動かなくなっている。
ホテルからは常時接続でアクセスできるらしいからノート持ってく。
とりあえず、cgiをいぢるのは体調的に無理なので、enpituにダイエット日記を復活させようと思う。


そんなわけです。


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