番外編:ミャンマーサッカーでスタンド・バイ・ミー - 2001年07月10日(火) 先日、ミャンマー料理を食べに行ったワケです。 場所は眠らない街(う、ダセエ言い回し) 新宿・歌舞伎町・・ とりあえず、地図どおりに行ったら。。 ・・ピンサロとエロビデオ屋ビルじゃねーか! 野郎4人でタムロってたら、ヤバいってばさ。 「俺を見ないでくれ!そこのお姉さん!」と自意識過 剰気味になっちゃう俺。 で、このままエロ看板の前でボケっとしているのも なんなんで、とりあえず店に電話してみると・・ 「移転しました。」と、タドタドしい日本語で答えられ たそうな。幹事、半ばキレながらも移転先の住所 ゲット。 で散々ラブホ街とバッティングセンターの辺りを 野郎で固まってウロウロと15分探しまくる。 こんなトコお天道様が出ているうちに歩き回ってい るヤツは、どっかのヒットマンしかいないっつーの。 そしてようやく雑居ビルに店発見。 入店すると・・ 大音量のミャンマーカラオケ!! 画面を見る限り、どーも「男と女のラブゲーム」とか 「3年目の浮気」とか、そんな感じの曲(適当)。 出てくる女の人は、唇が厚くて目が丸い感じの、 いかにも東南アジア受けしそうな(どんなのだ?) 感じな人バッカリでした。そんな女性を回想する 寂しげな男は、7:3分けな、痩せ型ナイスガイ。 ミャンマーの美男・美女を垣間見た!!気がする。 味とか、店の雰囲気とかは、まーグルマンじゃない んで割愛しますが・・・。 なんと!ソコには我らが"Tiger Beer"の灰皿発見! (店にはタイガービールはなかったけど。) あれやコレヤデ、おばちゃんに自分がいかにタイ ガービールを愛しているかを言いまくり、さらになん やかんやで何とか灰皿ゲット!セコイぜ!俺! そして、その話の流れで 「タイガーカップていう、大きなサッカー大会ある んでしょ?おばちゃーん!」 と、さりげなくミャンマーサッカーの探りをいれて 見たところ、 「あー、(ミャンマーは)男のヒト、サッカー好きな ヒト多いね。でも女のヒト、みんな興味ないね。」 (ぷいっと厨房へ) あわわ・・いや、そんな冷酷に話を切るなんて・・ 俺、東南アジアではサッカーは人気だって聞いたのに・・ 俺、タイガーカップからタイガービールが好きになったのに・・ そんな冷え切った空気の中、カラオケから流れてくる 曲はベン.E.キングのスタンド・バイ・ミーでした。 ... フィールドの黒い霧 -インドネシア - 2001年07月06日(金) AFCの記事に、インドネシアリーグの記事が ずいぶん前から載っていたので翻訳開始。 インドネシアサッカーの概要がつかめそうな感じ。 いつもどおり、適当なので誤訳に文句はカンベン。 ちなみに、長いんで何回かに分けます。 ----- リガ・インドネシアの再生 bv John Higginson インドネシアでは、サッカーの試合がある週末になると、街は子供から年寄りを問わずサポーターのシャツの色で染まり、さながらプレミアリーグやセリエAの様な雰囲気となる。 多くの都市では、地元チームの試合は盛り上がりを見せ、リガ・インドネシアのトップチームの試合となると、2万以上の観衆を集める。 試合のない日ともなれば、地元の子供達はところかまわず、そして相手の年齢に関係なくサッカーをプレイするのである。 その熱心さは、大人も同様である。ゴールが入るたび、そしてゲームが白熱した展開になるにつれ、TVを見つめる人々は歓声をあげるといった光景はもはや年齢を問わない、インドネシアでは日常的な光景である。 インドネシア=”東洋のブラジル”と揶揄されても、それは過言ではない。 世界第4の人口を誇り、2億人以上の人が暮らす、ここインドネシアは、どんなに政治的、経済的な状況が悪化しようと、サッカーに対する情熱は、それらを乗り越えるほど熱いものである。 にもかかわず、インドネシアのサッカー界は、ここ近年良いニュースにめぐり合えていない。 プロリーグであるリガ・インドネシアは、八百長と暴動そして選手の薬物使用という、恥ずべき歴史を持っている。 東南アジア地域からみたインドネシアは、1998年のタイガーカップでのタイとの1戦が最も悪名高い。 準決勝で当たるホスト国、ベトナムを避けようと、インドネシアとタイが、共に敗退にしようとプレーした試合であったが、あるインドネシア選手の決定的な”オウンゴール”によって、インドネシアは数ヶ月間、国際大会出場の停止の処分をうけ、その選手はサッカー界から永久追放となった。 停止処分を終えたインドネシアではあったが、1998年のアジア大会の出場の辞退は、近隣諸国に”自粛”という印象を与えたが、実は国内的な事情があった。 国内的な事情とは、サッカーに関してのものではない。 それはスハルト政権の混乱に伴うアジアの経済危機であり、その結果97−98年のシーズンの4分の3がキャンセルされる事態をも引き起こしたのである。 しかしながらそれ以前に、民衆のリガ・インドネシアへの関心は冷えはじめていた。リガ・インドネシアは、1994年にアマチュアリーグとセミプロリーグを合併して出来たリーグである。アマチュアリーグは、Kompetisi Perserikatan (United Competition)と呼ばれ、インドネシアサッカー協会が設立された1930年から行われたリーグである。セミプロリーグは1979年に組織され、Kompetisi Galata (Premier Competition)という名のリーグであった。 1994−95、すなわちリガ・インドネシア開幕の年の観客数は、510万人だったが、95−96は410万人。そして97−98は330万人と、減少を続けていたのも事実である。 観客数の減少の原因は多くあると思われるが、少なくとも2つの明らかな原因がある。それは審判を買収する八百長、そして観客の暴動が頻繁に起こったことである。 これらの要因が、国内の好カードや強豪チームの試合を、ますます魅力的なものから遠ざける結果となったのである。 http://www.asian-football.com/scripts/runisa.dll?M2:gp:877551:39913+article+27129 >LIGA INDONESIA LIVES AGAINより1部抜粋&適当訳 ---- うーむ、ココまで読むと、最悪なリーグだ・・。 ヤクとワイロと暴動・・。そりゃ見たくないわな。 (ビー☆バップな男子ならサイコ−かもしれんが) まー、このあと再生策みたいのが書いてあるので、あんま 記事を鵜呑みにしないほうがいいです。ハイ。 あ、日本だったら、週間ナントカとかいうオッサン雑誌が -フィールドの黒い霧 「薬物、ワイロ・・現役選手が語る、ピッチの裏側!!」 とかバッチリあばきそうだな。 (多分、この記事の前のページは、 「あなたの下着見せてください」な感じの雑誌だと思うが。) それにしても、まーこの記事でワカッタことは、PSM 調べた時に、97−98のシーズン成績が良くワカラン かった理由と、リガ・インドネシアの歴史ってトコか。 クルニアワンもビマ・サクティも、こんなトコで頑張って いる・・今後、さらにちょっとヒイキ目。 あ、この記事の後半で、ビマ・サクティのインタビューも あるので、その辺はまたお楽しみに。 ...
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