unsteady diary
riko



 あれから1年

この一年で、私は好きだった彼の名前を聞くのも辛くなった。
母が陰謀論に憑りつかれたようになった直接の原因が、彼だったから。
youtubeが普及して、これまでネット上で一部の人間だけが共有していた世界に、免疫のない高齢者が簡単にアクセスできるようになってしまった。
哀しみ、やりきれなさ、不信感、とにかく何か理由をつけたい、否定する材料が欲しい…そういう気持ちは解らなくはない。
けれども、youtubeがなければ全くたどり着かなかっただろう陰謀論の世界に、自分で調べたり読んだり考えたりすることが苦手な、いわば「情報弱者」がどんどん取り込まれていった。
情報社会の技術は恐ろしいもので、一つの動画を見たら、あるいはクリックしただけでも、気づけば同じような情報に囲まれて、窒息しそうになっている。
自分が信じたものだけで作られた世界、ある意味幸せな窒息だ。
アナログな時代なら、週刊誌やTVがどれだけ報道したところで、24時間繰り返されるわけもないが、今は自分が意思を持ってストップしなければ、いつまででもその中に溺れていられる。

私自身、陰謀論にはまった家族との付き合い方を調べたりもした。
これもまた、ネット上の一つの価値観に偏った世界ではあるけれども。
同様の例がたくさん出てきて、自分だけではないことにほんの少し安心した。

詐欺にあうとか、そういう実害があるわけではない。
無視していればいい話だ、と自分に言い聞かせた。
それでもあまりに頭のおかしい話に反論してしまいたくなるし、家族の変わりようが怖く、悲しく、誰にも相談できないから余計に苦しくなった。
本当は病院に引っ張って行きたかった。

久しぶりに会った友人に、少し相談してみた。
母を知る人で、ほかにこんなことを相談できる人はいなかった。
受け止めて、その上で深刻なことではないと宥めてくれた。
たった一人でも話せたことに、軽く流してもらえたことに、不思議と気持ちが軽くはなった。

母は今でもyoutubeを見ている。
私が怒るからこっそりと、でも確実に続いている。
報道が減るにつれて、口にする回数も減ったけれども、彼だけでなくハリウッドスターや政治家のニュース等で、今もたびたび陰謀論を持ち出してくる。
私は極力相手にしないように心掛け、自分を守れる距離を取るように努める。
いずれ時が解決するのか、このまま信じていることは変わらないのか、今は何もわからない。
もう1年経った、されどまだ1年だ。

古くかび臭い家の中で、
「普通」なら、誰よりも大切な存在である「家族」が崩壊している中で、
逃げ場所を求めたい、夢中になれることも見つけたい、そういう気持ちは誰よりも分かるから。
とりあえず、真夜中に何時間もピアノを弾かれても、文句を言わずにいようと思う。

2021年07月18日(日)



 “Me Too”

私には、ある記憶の空白がある。

たぶん小学校に上がったばかりの頃。
従妹と母の実家近くで遊んでいた私は、畑や林しかないような田舎で、見知らぬ男性に声をかけられた。よく覚えていないが、猫撫で声で何かを言われた。生理的嫌悪と直感で危険を感じて、年下の従妹を先に帰らせた。
従妹を守らなければいけないと、何故だか強く思ったことは覚えている。
その先は途中までしか覚えていない。
とにかく気持ちが悪くて、なんで年端のいかない子供にこんなことをして愉しいのか、とにかく混乱していた。
その後、どうやって実家に帰ったのか全く覚えていない。
ただ、けっして大人に言ってはいけない、恥ずべきことをされたのだという認識は、うっすら持っていた。
あのとき先に帰らせた従妹が何を思ったのか、一度も聞いたことはない。
覚えているのかも正直わからない。
ただ、幼稚園の頃から容姿や性格を否定され続け自己肯定感の低かった子供にとって、自分を投げ出すには充分な事件だった。
顔も覚えていないあの男は、私を決定的に価値のないモノにした。
それから、変質者に遭遇しても痴漢にあっても、すべて自分が悪いんだとどこかで思うようになり、こんな底辺にいる自分にしか手が出せない可哀そうな人達なんだと、歪んだ嫌悪と同情を抱くようになった。
真っ当に愛されることが想像できなかったし、自分も愛せないと思った。

これが他人事ならば。
「あなたは何も悪くない、卑怯なのは変質者で、これは立派なPTSDなんだ」と言えるだろう。
でも自分自身にはそう言ってあげられない。

いつか吐き出したいと思っていた。
大学生の頃、一度書きかけたけれど、さすがに誰かに見られることが怖くてやめた。
もう誰も見ない今だから、そっと吐き出そうと思う。

子供を壊すのは簡単だ。
まっさらでやわらかくて、与えられたすべてを吸収して大きくなる。
毒を与えれば真っ黒になる。傷もそのまま飲み込んでしまう。
すべての子供が、大事にされる世の中なんて来ないことはわかっている。
でも、それを願うこともやめられない。

2021年07月17日(土)



 ひとりごと

最近、親の介護ついて考えることが増えた。
母の記憶力は年々低下していくし、正直どこまでが正常範囲なのか私には判断がつかない。
父は相変わらずで、口を利くのは喧嘩をふっかけられた時だけ。
定年退職後は家にいる時間が増えた父。
それでも私は平日は仕事でほぼ家にいないため現実から目を背けていたが、最近はコロナ禍で在宅ワークが増えたこともあり、父の部屋の扉の音、階段を上る音、咳払い、舌打ち、ありとあらゆる気配に怯え、苛立ち、気持ちが凹むようになった。
学生の間は、学歴という意味で自分が一生勝てない父に対してコンプレックスがあったし、完全扶養のため何も言えないという弱さがあった。
それでも社会人経験をある程度積むと、相手の狡さや脆さ、非常識さ、論理的破綻が理解できるようになってくる。そうやって論破できるようになった娘に対して、当然ながら冷静ではいられず、激高して暴力と権力を振りかざしてくるのは言うまでもない。
私一人なら、家を出ればある程度解決する話もあるのだろう。
新入社員時代からたいして増えない微々たる収入だが、いざとなれば数年は外に出られる程度の蓄えはある。
でもそうしたら、母は一人ぼっちだ。
毎日の口論で、父の誘導尋問にまんまと引っかかる母が、父と二人取り残される。だからと言って、世間体を何より重んじる見栄っ張りの母は、経済的に困窮したくはない彼女は、今更離婚もできないのだ。

そんな破綻した家族関係の中で気づけば幾星霜。
気づけば介護を意識するようになった。
ずっと、親より自分が先に死ぬような気がしていたのに、それはただの願望だったと気づかされるから。年を追うごとに不調はひどくなるが、一方でそう簡単に死ねはしないと分かってくる。
もともと結婚に欠片の夢もなく、ましてや大嫌いな遺伝子を持つ子供を産むなんて考えられなかったけれども、だからと言って独りで生きていけるわけでもなかった。
親を棄てられるわけではなかった。

介護で追い詰められた時は、たとえ大切な相手であっても疎みたくなる、傷つけたくなるほどしんどいと思う。
それがもし、憎しみしかない相手だったら?
施設入所にも条件があるし、費用も莫大にかかる。
何より日本は、家庭内で介護をするのが当たり前という文化がある。
そんな中で、憎みあう家族はどうやって介護問題を乗り越えるんだろう。

相手が他人なら。
それが仕事ならば。
嫌な相手でも割り切るしかないし、実際できると思う。

でも相手が肉親なら?
ずっとずっと、憎しみだけを抱えてきた相手なら?
触れたくもない、口もききたくない、そういう相手を介護しなければいけないとしたら?
一線を越えてしまう前に、何をすべきなんだろう。

とりあえず、先立つものは貯蓄しかないと思いながら、自分の生活でいっぱいいっぱいなのが哀しいところ。

2021年07月16日(金)
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