unsteady diary
riko



 四の五の…

ぐったりと、喋る元気もないほどに疲れているはずなのに。
眠れない。
眠れない。

頭の中じゅう、彼女の凄い形相とか、目で呪い殺されそうな強い視線とか、数々吐き棄てた言葉とかで埋め尽くされる。
消しても消しても消えない記憶。
堪えられない怒りと、蘇る声、言葉。

夜から明け方にかけて蕁麻疹が出て、余計に眠れず、それでもどうしても行かなければならない朝は来て。
言うことを聞かない身体を宥めて、朝の支度に取り掛かる。
泥のように重い。

彼女は、出社するはずだった日に、来なかった。

それが答えだ、と思った。

これ以上振り回されたら私が先にまいってしまう。
今日は来るのか、明日は来るのか。
そうやって同じ電車に乗っているかもしれない存在を感じて、毎日追い詰められるのか。

こうして書けるうちはまだいい。
たぶんまだ耐えられる。
ふと全て投げ出したくなっても、ちゃんと口にして、それから「冗談だよ」と笑っていられる。


2007年06月28日(木)



 ぽきんと折れてしまいたい

衝突、という言葉で括るにはあまりに生易しい一方的な「退職宣言」から、
数週間会社に来ず、上司との面談では、欠片も自分が悪いとは思わないで「嫌がらせをされている」「いわれのない差別を受けている」「上下関係が酷くて、下っ端だから馬鹿にされている」「自分が会社を辞めなければいけないのは不当だと思うから、他の支社へ異動させろ」などという、それこそ”いわれのない”言いがかりをつけられていたのだけれども。
さて。
こんな酷い嫌がらせを受けてこんな場所では働けないと吐き捨てたその口から、あのひとは「戻る」と言ったらしい。


笑うしかないね。
こっちがもうおかしくなりそう。


先日体調が悪いっていう日記を書いた傍から、悪友から「とっとと病院に行け」というメールが来たのだけど、とりあえずしばらく耐えて落ち着いたので、そのまま彼女が辞めるなら目が回る忙しさではあるけれども、それなりに収束するのだろうと思っていた。
そんな矢先の復帰宣言。


そういえば、数ヶ月生理が止まっているのだが。
気づいたところで、極度のストレスが原因だろうって察するところで、どうしようもない。
これ以上どう耐えろと言うのだろう。

それでも、耐えろというのだ。
あのひとが辞めるといった言葉を覆したことについて、会社は何も出来ないのだというから、こちらが会社を辞めたくなければ、どこまでもどこまでも限界を探りながら耐え難い状況を耐えるしかないのだ。
「四の五の言わず、与えられた戦力でやるしかない」そう諭されて、それはもう120%正論なのだけれども、息も絶え絶えな心にとどめを刺された気分だった。私と後輩さんの必死の訴えを「四の五の」だというその感覚に、絶望した。



風船みたいに膨らんで、ぷちんと弾けてしまえたらいい。
限界までたわんで、ぽきんと折れてしまいたい。
いっそおかしくなって、何も考えずに済めばいい。
氷みたいにつめたくなって、鉛のように鈍くなればいい。
吐き気がしそうな嫌悪を、あっさりと忘れてしまえたらいい。
ただの喧嘩だとへらへらと笑う分らず屋の男どもにも腹が立たないくらいに、
ただ自分が苦しくないよう、
凪いでいたいのに。

2007年06月26日(火)



 怒りに震える


会社で怒りに足が震え、あふれる感情をこらえきれず机を叩き、嗚咽した。

あまりに理不尽。

どこまでも虚しいほどの怒り。

人として、許せない次元まで達した腐った人間を。



果たして、彼女が去るのが先か、私がぶっ倒れるのが先か。

後輩さんが先か。

さてどうだろう。

面の皮の厚さは到底かなわない。

でも負けてたまるものか。

1ミリたりとも彼女が正しいなんて思わないから。

どうあったってそんな人に、自分を、それから自分の好きな人を、大切にしている場所を、尽くすべき人たちを、荒らされるわけにはいかない。

こんな職場は耐えられないといいながら、何も仕事をしないで休んでいても、給料がもらえる間はしがみつくのね。

さあ、ボーナスを持っていきたいなら勝手にどうぞ。

自分の都合だけで、平然とそこにいればいい。

椅子を温めていればいい。

その傍らで、血反吐はいたって、私は働く。

お金のためだけじゃなく。

誠意とか、責任とか、そういうもののために。


2007年06月15日(金)



 丸の内で会いましょう

世間では休日と言われる日まで仕事していたりすると、何がなにやら判らなくなってくる。
やらされているのではなく、能動的に楽しまないと。
と言われるけれども、ちっとも楽しめない私が悪いのか。

そんなわけで土曜日も朝から都内で研修という名の仕事だった。
丸の内が近かったので、陽もとっぷりと暮れた頃、ようやく開放されて新丸ビルをふらついてみる。
人、また人。何をするにも列をなさねばならない。
ここは大人のディズニーランドかと思うほど。

喉が乾いたので、ゴディバでショコリキサーを注文。
お値段630円也。
思ったより濃くはなく、クラッシュされたチョコが時々喉に触れて、なんとも爽快。たっぷりとのっていた生クリームもスタバに比べるとやわらかいミルクの味がして美味しかった。
記念に携帯で写真に収めてみたり。
すっかりおのぼりさんな気分で、ひとり悦に入る。


丸ビルに比べてどこでも買えるような画一的高級ブランド店は少なく、センスのよいセレクトショップが揃っている印象を受けた。
ただ見て歩くだけでも、目に楽しい趣味のよさ。
日頃めったに気に入るものがないアイテムでも、素敵だなと思ったものが幾つかあった。
たとえば日傘。思わず「これは日傘のお値段ですか?」と問いただしたくなる程に高価なので買えませんけど。もともと靴のお店だけれど、アクセサリーも日傘もとても素敵だった。

あとはカンペールの靴。最寄の高島屋にも店舗があるが、商品が少なくて全く興味の沸かなかったブランド。

先日首を痛めて、その1週間後には何度目かの腰を痛め、真面目に整形外科に通って電気をかけていたのだけれども、さすがにパンプスを履く気がしなくて、クラークスのバレーシューズっぽいスニーカーを履いて仕事してるのだ。(これでも接客もする営業事務社員…)

何も履いていないみたいな軽やかさに慣れてしまうと、久しぶりに履いたパンプスが痛くて辛くてしょうがない。そんな事情もあって、履きやすいというカンペールに釘付け。
でも、どうしてもカジュアルな靴って似合わないんだ。
好きなものと似合うものは違う。
本当にそうだ。
それに。パンプスなら許せる値段が、カンペールには許せないというか。やっぱり歩きやすい靴より、自分を苦しめるパンプスがよいのか?
そうなの?>自分。


好きなものと似合うもの、で思い出した。

そのあと、好きなアクセサリー作家さんが期間限定でお店を出しているというので、池袋まで足を伸ばした。
どうでもいいけど、都内ってびっくりするほど近く繋がってる。
丸の内と池袋がたったの15分程度なんだね。
うちから最寄駅までより近い。
フットワークも軽くなろうというもの。

で、見に行ったら、いかにもアート系のお兄さんが店番をしていて、ちらりちらりとこちらを伺ってくる。
そりゃあそうだろうな。
「装苑」とか見そうもない格好をしている私が、グロテスクなほど美しい蝶をモチーフにした、いかにもなアクセサリーに見入ってたりするんだから。

あ、お目当ては蝶じゃなく、レースとかアンティークパーツを上手く使ってデコラティブなアクセサリーを作る人の方だったのだけれど、昆虫モチーフも見るだけなら大好きな世界観。
蝶が群がる様子をシルバーで繊細に表現したリングだとか。
そこにはなかったけれど、ネットか雑誌だったかで、毛虫や蜂をモチーフにしたものを見たこともある。
トルクアータ、というアクセサリーブランド。
りょうかさんが好きそう?


そういえば、「装苑」は好きな雑誌の一つだ。
毎号買うわけじゃないけど、特集が面白そうだったら買うこともある。「マリーアントワネット」特集しかり、「ティアラ」特集しかり。「アールヌーボー」とか「アクセサリー」特集だったら間違いなく買う。
つけられなくても、着られなくても、アート作品として見ることが楽しい。

天然石や金属を叩いて伸ばしたり加工するのもいいけれど、紙や樹脂を使うのも好き。
しばらく前の装苑で、伸びる特殊な紙素材を使って服やコサージュを作る特集があって、それも面白かった。


そうやって見つけた幾つかのブランドは、今も大好きで。
季節のたびチェックしてしまうTomoko Furusawaの少女めいたアクセサリーとか。
レースやアンティークパーツを組み合わせたレトロでカッコいいCORNUとか。この間なくしてしまったネックレスのブランド、recipeとか。

「キリストの骸」っていう意味のコルプス・クリスティというブランドも、初めて装苑でアトリエを見て、好きになった。
スカルと十字架と花、そういうモチーフの組み合わせ方が、毒があってあどけなくて、祈りが込められている気がしてたまらない。
よく「異素材を組み合わせたものが好きだよね」と言われるのだけれど。
本来合わされるべきじゃない素材たちを強引に引き合わせるところに、惹かれる。
そういうひねくれた作り手が好きだ、と思う。


もちろん直球勝負で綺麗なものも好きですが。


子供の頃にきらきらした金平糖を見ていて飽きなかった、それと同じく、なんとなく持っているだけで嬉しいアイテムなんだと思う。

自分で作れたらもっと楽しいんだろうけれど。
真似することは出来ても、創造することはできない。
そういう自分をよく知っているから、あえて手を出そうとは思わない。
でもちょっとだけ、樹脂が気になる。
思いっきり自分好みのドライフラワーとかレースとか英字新聞とかに樹脂加工してみたい。
でも作ったとして、似合わないものをどこにつけていくんだか。



そういえば、地下鉄の中吊りポスターでちょっと素敵な詩を見かけた。
思わず携帯のメモに入力。
携帯で短いメールをするにも苦労する自分がそんなことをしてしまったくらい、不思議に胸に沁みた。


「ブックエンド」

抑揚のない毎日を路線沿いに歩けば
中野駅で襲われるまぶしさ
前が見えない

誰か――
倒れないように
ブックエンドを立ててほしい

もたれるかもしれない
踏み台にするかもしれない
何かをぶつけるかもしれない

そんなふうにしか
明日にわけ入れないけれど
日常と言う本の列に僕を
織り込んでくれないか

(大島 忠幸さん 22歳)

たぶん本の中で出会ったらそこまで惹かれなかっただろう
日常の中で ふと目をあげたらそこにあった
そういう言葉だったから しみこんでいった

あとで調べたら、東京メトロが「車内に癒しの空間を…」ということで詩を募集してポスターにしているらしい。
ふと目を上げたらそこに詩がある。
いいな、そういうのって。


2007年06月03日(日)
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