unsteady diary
riko



 劇団ピープル・パープル「オレンジ」

キャラメルボックスのお芝居「少年ラジオ」を観に行った時にもらったチラシに心惹かれて、友人Rと当日券に並んだ。
神戸の劇団だそうで、全く予備知識のないまま観始めた舞台だったけれども。


一言、「観に行って本当に良かった!!」


タイトル「オレンジ」とはレスキュー隊員のこと。
阪神淡路大震災の時の彼らの体験を元に、お芝居は進んでいく。
そのとき、何が起こっていたのか。
現場で彼らは何を感じ、それから10年どんな想いで“オレンジ”を着続けてきたのか。


舞台で使われていた制服や道具は、神戸市消防局が実際に使っていたものを貸し出してくれたそうだ。


号泣させられた、おそらく舞台の要であろう場面があったのだけれど、
実際にある消防士が体験した出来事がそのまま再現されているのだという。



以下、よみうりテレビ「ニューススクランブル」特集(2005.1.11)より引用。


「地震発生と同時に、118あった神戸市消防局の専用回線はすべてふさがった。崩れ落ちた建物。燃え広がる炎。いたるところで、消防の助けが必要とされていた。

消防士になってまだ三か月の新人だった西川さんは、先輩とともに街に飛び出した。


≪神戸西消防署・西川健治士長≫
「ほんまあん時、検索棒という一本の棒を持って、先輩とここまで走ってきた。」

脳裏に焼きついてはなれない匂い、声、音。
西川さんには10年間、近寄ることすらできなかった場所がある。


「1階がつぶれて屋根が地面にあるような感じで、そこで声がしたんで、『大丈夫?』っていったら『大丈夫や。』って。『助けるわ。』って言ったらちょうどこの先やと思うんですけれど、火がついたんですけどね」

助け出す道具も、火を消す水もない。
西川さんが直面したあの日の出来事もそのまま舞台に描かれた。

ホースを見つけて戻ってきたとき、家は炎に包まれていた。


「悔しいでもないし、悲しいでもないし、怒りでもないし、俺の選択はまちがっとったんちゃうかなって、あのまま助けられればおばちゃんをだせたんちゃうかなって、いまでもずっと覚えていますね。この10年間、忘れたことないですわ。悔しくて悔しくてね。」



舞台を見てぼろ泣きをして、言葉をなくして帰宅してからこの記事を見つけて、実際のニュース映像での西川さんの涙をにじませた言葉に、また泣いた。


穏やかな日常の陰には、命をかけて誰かを救うことを日常の仕事としている人たちがいること。
そうした消防士さんたちへの感謝と、明日どうなるかわからない中で一日一日を大切に前を向いて過ごしてほしいという熱いメッセージが伝わってくる、本当に本当に素晴らしい舞台だった。


2007年01月13日(土)



 ノロ?

仕事納めの翌日から、ひたすら嘔吐に苦しんだ年末年始。
水を含んでも吐くので、吐くものもないのにまた吐くという悪循環。
昨年に引き続き母の実家には顔を出さず、寝たきりの正月を過ごしています。
熱は出ないし下痢もないのでノロウィルスではないようだけど、名前がどうであろうとも症状と苦しさには変わりはないわけで。
仕事が終わっていたことだけが幸いかな。

とりあえず、年末の嬉しかったこと。

8月に事故にあって療養されていた役者さんの声を久しぶりに聴けたこと。
恐ろしい事故の様子を聞くだけで身震いすると同時に、少し声にハリがなかったけれども変わらないお声が聴けたということが、もうただ嬉しくて何度も何度も聞き返しました。
放り出してしまった仕事のことばかりを考えて、このまま死んでいた方が迷惑がなかったんじゃないか、楽だったんじゃないかと考えたという、重たい言葉。
確かに、生きることは責任が重くて、大変で、取り返しがつかないこともあって。
喪ったものは大きいだろうけれども、戻ってきて欲しいと望む多くのファンがいて、帰ってくる場所を用意して待っている人たちがいる。
生きていてくれて、戻ってきてくれて、ありがとう。
そんな気持ちでいっぱいになりました。


生まれてくるわが子へ、与えられることは「痛がる」ことだけだと。
以前も取り上げた詩の一節にありました。
生きているから痛みがある。
痛くて、辛くて、それでも這いずり回り、生き抜くことで。
それ以上に得がたい価値を、得られるならば。


とりあえずもう1年、前へ進めないまでも、後退しないように生きてみようかなと。
ふらふらなノーミソとからっぽな胃が考える、たわごとだったりするかもしれませんが。

2007年01月02日(火)
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