unsteady diary
riko



 カタツムリ

BBSのリンクを外してから、私の日記がますます素のまんまになった、と言われた。
怖いものなし、というか。
なんとなくは自覚してたけど、まわりからも分かるくらいだったのか…。
人の眼を意識しないことが楽な部分と、逆に淋しくてぐるぐるしちゃう部分とが半分半分ってとこ。
慰められても、諌められても、いまの自分はあまり聞く耳をもてないんだろうな、と思うから。
だからBBSを外し、こうして好き勝手書いてるわけだけど。

逃げてるだけ、かもね。

そういえば、メール、何ヶ月も書いてない人もいるなあ。
届いてるのかわからないメールもあって、でも確かめることもできてないや。
このまま消滅ってのはすっきりしないから、ちゃんとすべてしてからだ。
サイトのこの先のこととか、考えるのも。

こんなことばかり言ってたら、
「カタツムリになってる」と言われた。
殻を背負ってるのが見える…らしい。
いまさら、だってばっ。



寒いなあ。
フリースを2枚重ね着しても、まだ寒いぞ。
ストーブに残ってる灯油はあとすこし。
熱をはかったら、微熱程度だったけど、でも今日はかなり元気。
熱には慣れてるので、わりと強いのだ。
腹痛というか腰痛もほぼおさまって、激しく動かなければ大丈夫。
心配してくれた方もあったようで、ありがとう&ごめんね。
こんなとき、メールはよく効く薬です。
あちこち返事出せないままなんだけど。

こうして元気なのは、りょうかさんと長話したせいもあるかな。
お土産を届けてもらったまま、強制引き止めをしたんだ。
明日もある身なのに、無駄話に付き合ってもらった。(すまん)
あっちはたぶん、私のウツをもらってったことでしょう。

近くにあの人がいなくなったらどうしよう、とふと思った。
いや、いなくなることは、ほぼ決まってるんだけど。
誰に話しても嫌われるくらい自分のイヤな部分を、他に話せる人がいないや。
りょうかさんにだって、今日も話してそうとう嫌がられたけどさ。(苦笑)
この場合は、あんまり気にしないでもいいの。
ある意味、たいがいのことでは嫌われ尽してるから。

私は、ふだんは人に嫌われるようなこと言えてない、たぶん。
だから嫌われない、ただそれだけなんだ。
なので、私のいやな部分が徐々に見えてくると、破綻するんだな。
私自身も、付き合う勇気がなくなるみたい。
怖くてしかたがなくなって。
ひとりでいるほうが楽だと思い始めたら、ほんとに殻こもりのサイン。
だけど、カタツムリにならないで、諦めないでもうちょっと頑張るっきゃない。
でももう少しあと。
はあ、先延ばししてどうするんだか。


人間関係と言えば。
就活で知り合った、メールでウィルスをくれた人だけど、やっぱり第一印象のとおり、すごく誠実だった。
ウィルスを知らせたあとのメールもとても気持ちのこもったもので、
心配してたようなことはなく、知らせてよかったって思えた。

就活のためのメールだから、基本的には情報交換であるべきなんだけど、私の側は、ほとんど情報がなくて役に立たない。
役に立てなくてごめんね、という私の言葉に、メールしてるだけでも安心するし、和むからという理由で、メールのやりとりは続けようということになった。

他にもメアドを聞いて、とりあえずお疲れ様、というメールをした子はいるけど、
反応はたいがい鈍いから、こんなふうに人間的な反応をされると、嬉しくなる。
どちらが落ちたとしても、たぶん大丈夫かな、って思えてきた。
だって、むこうにはなんのメリットもないのに、応援してくれるんだもん、本気で。
荒みがちな気持ちが、すこしだけ癒される。

就活については、相談できる身近な現役の相手がいない状態なので、
続けられたらいいなと思う。

2001年03月31日(土)



 小豆…効かない体質なのかなあ。

逃れられざる腹痛で、今日は休んで、まるまって寝てました。(楽な姿勢なの)
寝返り打ちはじめるとそうとうに苦しいんだっていう
『エイリアン通り』(成田美名子)のシャールくんの台詞なんか思い出して。
別に病気じゃないんだけど、ひとりで寝てるの淋しいなあ、なんて思ったり。

病気じゃない、逃れられざる腹痛って書いてたら。
理由はほぼわかってしまうわけで。
別に隠しちゃいないんだけど。

以前漠然と感じたことがあるんです。
こういうこと、ずばりと異性でも同性でも言えちゃう人と、
そうでない人といるなあ、って。

私はわりと後者ですね。
なんとなく、言ってはいけないことのような気がして。
いまはだいぶ抵抗は薄れましたが、高校生くらいまでは、ほんとに誰にも言えなくて。
具合悪すぎてばれたときは、めちゃくちゃ恥かしくて、なぜかすごくみじめで、自分が汚い気がして、真っ赤になった覚えがあるなあ。
だからたいがい、具合が悪い時も、ひとりでうなってました。

抵抗がなく自分のことを受け入れてて、さらりとなんでも言える女性ってカッコイイなあと思うんですが。
まだまだ、私はいろんなことに抵抗があるみたい。
こうして、ことあるごとに、いろんな抵抗とか、偏見とかに気づかされます。
別に誰にでも、なんでもかんでも言えばいいってもんじゃないけどね。(笑)

明日はすこしは、軽くなりますように。


2001年03月30日(金)



 薬害エイズ

28日、薬害エイズ訴訟の安部被告が無罪になった。

…………………信じられない。


この問題は、求刑の内容でさえ、個人的には軽いような気がしていた。
実際手を下したわけでないということ、法律の難しさは、想像するけれど。
それでも、世論と、専門家の意見とが、なぜここまで乖離してしまうんだろう。

まだ考えがよくまとまらない。
知ってることが少ないということもあるし、正直、ニュースから情報を得る程度で、他人に罪を問えるのかっていう部分はある。
それでも、納得のいかない結果であることだけは、確かだ。


「疑わしきは罰せず」が法律の論理。
「疑わしきは使用するな」というのが、薬害に関して医療側のとるべき論理ということなのだけど。(←りょうかさんの日記を参考に)

この溝、ほんの少しでも埋めることはできなかったんだろうか。

大手を振って、なにひとつ責任がないと言う安部被告を、
その体に加えられた暴力として、薬害エイズを考えている人たちが、
どんなふうに受け止めるだろう。

私のなかでは、その姿は、慰安婦問題と重なった。

彼女らが裁判で戦ったのは、喪われた自分を取り戻すためだ。
慰謝料が欲しいからだと、まるで守銭奴のように言われたこともあったようだが、
けっしてそうではないと私は思う。
自分の体に加えられた暴力を、暴力としてまわりが認めて、はじめてその人は過去と向き合うことが出来るから、だから戦うのだ。

ちょっと説明すると。
従軍慰安婦問題は、戦後、女性側の「恥」として隠すべきものと扱われてきた。
だが、戦後50年ごろを境に、恥として忘れるしかなかった過去を、あらためて加害者側の「罪」として問い直し、自分を取り戻そうとする動きが、女性側から出てきたのだ。
それがいわゆる慰安婦問題と言われるもの。
最近になってようやく、「慰安婦(なぐさめる→能動的)」という響きさえも躊躇われるほど、それはレイプという暴力なんだと、認識されるようになってきたわけだ。
いまだに一部の日本兵は、「懐かしい思い出だ」と語るらしいけど。
認識の溝の深さに、ため息をつくしかない。

これと同じ図式が薬害エイズ問題にも見られる気がする。
名前を公表することさえできなかった時代を経て、やっと彼らは被害者なんだという認識ができてきたけれど。
それでもまだ、加害者が不在のまま。
犯罪が犯罪と認められることなく、このまま隠蔽される第一歩が、今日の判決であるような気がしてくる。

なにも、悪者探しをしようというわけではない。
それで命が帰ってくるものでもない。
ただ、犯罪が隠蔽される社会構造が変換することなくこのまま続くなら、
また同じように加害者のない薬害が、繰り返されるかもしれないということだけは絶対に忘れてはいけないと思う。


2001年03月29日(木)



 一生懸命が伝わらない…

深夜に父と喧嘩。
もうなんだか、理由がちいさいことなのに、本気で神経ザラザラしてしまう自分が、バカだと思うわ。
いちいち、なんであんなに腹が立つんだろう。
自分のことだけ棚上げして、世界で自分だけが正論を述べてて、私とは母すべて間違ってるというような態度が、なんであんなに癇に障るんだろう。
相手にしなきゃいいのに。
何を言われても、私がわるうございました、って言っておけば平和なのに。
負けん気が強いというのを、通り越してる。>自分
つ、疲れた。

これでまた、留守電設置は遠のいた。工事費節約のため、土日にやってもらおうと思ってたんだけど、頭下げる気になれん。
ホントにもうっ。
電気屋さんに頼むと1万ぐらいかかるらしいけど、
ほんとはかなり急を要する事態で、こんな喧嘩してるくらいなら、
お金犠牲にしてでも、工事のほう頼んじゃおうかなあ。
そのほうがいいような気がしてきた…。



今日はどうしようもなくやる気のない面接官にあたった。
準備していったことを、なにひとつ聞いてはくれず、ひたすら「質問かなんかある?」とだけ繰り返し、それにたいして、彼自身がしゃべって終わった。
アレで、選考だそうで。
なにを見るんだか。
2:1で、もうひとりの学生は男子だったんだけど、彼の話はまだ聞こうとしてるんだけど、(でもあまり反応よくない)私が話し始めた途端、他のテーブルが気になって仕方がないようで、目をそらしっぱなし。
話の内容が悪いから、ということならわかる。
でも、話し出したらすぐ、だからね。

腹が立つというよりも、無力感。
なにもさせてくれない状況。
もういいです。
これで受かろうと落ちようと、釈然としないままだけど。
やる気のない間に合わせの面接官に当たった自分の運の悪さを呪うだけ。

学生はそれなりに本気でやってる。
必死。
話を聞いてもらおうと、準備して臨むわけで。
それなのに、ああいう運不運とか、男女差別とか、そういうことで阻まれ、スタートラインからして立つことの出来ない状況があると思うと、ただただ力が抜けてしまう。


帰宅途中、スーパーでカシスリキュール、サングリアの白ワイン(あるんだね、白も)の瓶と、割るためのオレンジジュースを買って帰った。
ちと重たかったけど、そんな気分だったから。
ひとりでちびちびやって。
そうしたらすこし眠くなれたので、1時間ほどうとうとした。
コンタクトつけたままだったから、目がごろごろ。
わりと口当たりが甘くてのみやすかったので、ワイン(14%未満)を気がついたらちいさなグラス2杯以上は飲んでいた。
アルコールの弱い自分からすると、明らかに呑みすぎ。

アルコールに溺れるほどのエネルギーもない小心者の私なので。
キッチンドランカーになるような感じはしないけれども。
昨日の夜、どうにも眠れなくて、料理ワインが数センチ残ってたのを空けたら、母が今朝、それに気づいて驚いてた。
不味くて、しかもぜんぜん酔えなかったけど。
危ないと止められないように、ほどほどにしないとなあ。

それに、甘いアルコールは太るからね。
食欲にいろんなしわよせが行ってしまって、リクルートスーツが着られなくなりかけてるので、早くどうにかしなければ。(切実)
本人が気にならないなら別にいいんだけど、私の場合、ストレスを制御できない情けなさに、とにかくいやな気分になるんだから。


2001年03月28日(水)



 癇癪

昨日、面接へ行く前のこと。
(ガキかっおまえ)というような癇癪を起こしてしまいました。
バカです、ほんとに。
こんなとこで報告したら、人格疑われると思うくらい。
書かないでおこうかな、と迷ったんですが、
いまは就職活動日記になってるなら、それだけ隠すのはやだったから。

化粧もぜんぶしたあとで、母との些細な口論のうちに、
それが理由じゃないのだけど、なんか涙がボロボロ出てきて、
止まらなくなりました。
ファンデーションもマスカラも、はげまくり、それはもう酷いありさま。(苦笑)
電車のなかまで止まらなくて、花粉症を装って、ティッシュとハンカチで精一杯顔を隠して、どうにかしのぎました。
ひっくひっくしながら、スーツ姿で電車乗ってる学生なんて、
いやですねー、出会ったら。
でもよくキャンセルせずにあのまま向かったと思う。

はあ。
ちょっとだけ無理…してたのかなあ、なんて。
いや、活動は全然足りないくらいなんですが。
気分的なことで、です。

行きたくなかったんだろうし、笑顔ではきはき、という部分も、別人に成りすまさなければならなかったし。
その業界も…ほんとうは行きたくないと思っていた。
明日も、そうだといえば、そう。
いや、行きたい業界なんてもうないも等しいんだから、それはしょうがないんだけど。
それでもやっぱり、ひっかかってはいた。
無理矢理つくった志望動機や、私がそこで働きたいと心底思っているかのように、熱意を込めて話すことに対して。
多くの人がやってることだけど、私は本来はやりたくなかったことだから。

ぼろぼろ泣いたら、少しだけすっきりしました。
悪くない母に、当たってしまったけど。
泣きながら、「行きたくないのに頑張って行こうって思い込もうとしてるのに…」という言葉が出てきてしまって。
それが図らずも本音かなあって。

わかってたけど。
しょうがないから、目を瞑った。
こうしてどこかでそのしわ寄せがきても、
やっぱり目を瞑るしか、今は他に思いつきません。

だいたい多くの人が、そうして就職するんですから。
しょうがない、と割り切れなくても、割り切る努力をするしかない。


ボロボロ泣いてた私ですが、腫れた顔で、それでもその後の面接を一応こなしました。
もたつきまくって、よくなかったけど、でもとりあえず、笑顔で通しました。
仮面が上手く被れるようになったということか、切り替えが早くなったということか。
フクザツ。
第一志望だと言わなくてもよく、それだけはほっとしました。
やっぱりそれは嘘だもん。

現実味があるほど緊張して、逃げたくなる、という部分もあるような気がします。
行きたくなかったというのも本音だけど、一方で勤務条件はよかったから。
そういう意味でも、欲かいて緊張するのと、でも前向きに頑張れない気持ちと、釣合いが取れなくなったのかもしれません。




2001年03月27日(火)



 とりあえず、と呟いて明日も行く


早朝のサッカーフランス戦、観ました。
うーん、相手が強すぎるのか?
個人的には楢崎が…。
5点も取られて、悔しそうだったなあ、と。
でも最後のファインセーブは、執念でしたね。
血を流しても最後までボール追いかけてた姿を思い出してしまった。
今日の試合の気分、ひきずらないといいんだけど。

地震…様子がわからなくて、なんとなく不安なままです。
うーん、メールアドレスより他、なにも知らない人でも、
気持ち的には大事だったりすると、
なにもわからない状況では気になってしまいます。
単にネットができない状況なのかもしれないのだけど。


25日の夜に、中学時代の友人から電話があって。
ウィルスを送りつけてしまった相手なのだけど、
その結果報告をしてくれました。
とりあえず、ウィルスは退治できたことを確認できて一安心。


明日の面接は、就職活動の状況を聞かれるらしく、それが憂鬱。
その業界は、その会社だけたまたまセミナーが面白そうで見に行っただけで、
他社は受けてないんだった。
電話をくれた彼女は、同業他社(しかもかなり入りたい気分大らしい…)の面接に同じく明日行くそうで。
いやん、フレッシュなやる気を感じたわ。
こう気持ちの高まりの違いを、しみじみ感じてみたりして。
働きたいんだって、そこで。
すごいわ、そんな気持ちになるなんて。
さほどならないのに、受けてる自分が宇宙人なのか。

ダメだわ、これじゃ。


もう、ある意味どこでも一緒のような気がしてくる。
自分の好きなものに関わらないのだから、「仕事」は「仕事」。
だって、自分の淡い、形にもならん憧れと心中する覚悟なんてない。
そんな価値のある、見込みのある夢でもない。
エントリーシートひとつに悩むくらいなら向いてないんだから、やめちゃえばいいとも思う。


最近、アイデア勝負の奇抜なエントリーシート(総合職)が増えるなかで、“面白くない人間は面白くない仕事をしろ”と突きつけられているように思えてくる。
求められている素質と、エントリーシートの内容は、かなりの率でかみ合う。
例えば、銀行の一般職のESなんて、とんでもなくオーソドックスだ。
一般職にはいまだにESを求めないところさえある。
つまりは、面白くない仕事をさせるから、そこらへんの優秀さは初めから要求しないと意思表示しているわけで。
私は「ありがたいこと」と言うべきかしら。
面白みのない人間としては。(苦笑)


とりあえず、明日のことを考えなくては。
これがいわゆる、現実感のある就職活動というもの。
気の向かない自分には目を瞑って、とりあえず笑顔でね。
第一志望だと、言わなくちゃ落とされるから。
…言えるかしらん。


2001年03月26日(月)



 ウィルス

広島を中心に、また地震があったそうですね。
それも、かなり大きいもののようで。
まだ余震が起きているそうで。
だ、断水?
早くライフラインが復活しますように。
東京で元気な私が軽々しく言えることじゃないけども。
死傷者も出ているようで、広島周辺在住の方、大丈夫でしょうか。



さっきまで、1chで、宇多田ヒカルが尾崎豊の「I LOVE YOU」をカバーしてました。
ハスキーヴォイスに合っていて、イイ感じ。
彼女のオリジナルの曲は、おしゃれすぎて、あっさりしすぎて、
そんなに好きなわけじゃないけど。
歌い方と声が、いいなあとは思う。

そして、肌がつやつやしてて、表情豊かで、はあ…可愛い。
なんとなく、人間くさい感じがいいですなあ。(オヤジちっくな)
綺麗なお人形さんのような人間も、美形だなあとは思いますが、それならいっそ、マネキンでいいじゃない、と思ってしまう私なので。
いきいきしてて、表情がくるくる変わって、自信過剰なくらいぎらぎらしてて、
そういう、自分にはない人間っぽさ、生きてる実感にあふれてるオーラみたいなものを発している人は、素直にいいなあと見とれることにしています。

反対に、ギラギラと負のオーラを放っていたり、また、嘘みたいに儚げな人も、それはそれで綺麗ですけど。


尾崎豊、懐かしいな〜。
尾崎豊の「卒業」なんか、当時すごく好きだった。
といっても、ええと、亡くなってから知ったようなものか。
小学生くらいだったかな。

スキャンダルまみれの人だったけれど、そんなこと関係なく、
知りたくもなく、ただ歌っている歌だけが、すべてだと思う。
卒業は、歌詞がね、いいんだ。
暴れこそしなかったが、学校とか、オトナとか、そういうものにたいして、
支配されているようなもどかしさが、ずっとあったから。
でも、最近聴いて、思ったのは。
卒業しても、今度はなにに歯向かえばいいんだろう、という途方にくれてる部分に、より惹きつけられた。
先生とか、学校とか、そういうふうに悪者がいるなら、憎めるけれど。
自分自身が敵だから、それがわかってしまったら、途方にくれるしかないのよね。

なんにせよ、すごく懐かしい歌を聴いたものです。


さて、昨日、私のPCがコンピューターウィルスに感染した模様です。
就職活動中に会った男の子から、丁寧なメールをもらったのだけど、
彼、自分が感染していることを、知らなかったようです。
で、メールを介して感染するもので、私のところへも変な添付ファイルが来たのでした。
その子が資料とか添付して送るね、と言ってくれていたので、
メアドが彼のものだったから、つい開こうとしてしまったんですね。
馬鹿です、はい。
で、感染した、というわけです。

その後、中学の友人に知らずにメールしたら、添付ファイルがついてると連絡をもらい、あわてて調べました。
しっかりくっきり、感染してました。

W32/MTXです。

これは日付によって、添付ファイルの名称が違うんです。
わたし宛に来たのは、21日づけのメールだったので、FREE…という名前のもの。
ちゃんと検索して調べればよかったっ。
ついつい、知人だし、ファイル送るって言ってたし、と甘く考えて。
はあ…後悔してもしょうがないですが。
ちょびっと苦い社会勉強です。

とりあえず、ほっとしたのは、メールをめったに書かない私なので、
感染してから書いたメールが、その1通だけだと思われること。
そして、さすが私の友人さん、というか(笑)
用心深いしっかりモノの彼女が、開かずに、先に連絡をくれたこと。

よかった、被害を広げずにすんで。
自分がダメになるならともかく、人に広まるのは、へこむだけじゃすみません。
ふう。

半信半疑だったのだけど、
このウィルス、生きてて、うちのPCのなかで監視してるかのようなのです。
アンチウィルス系のHPを開くと、強制終了の嵐。
それはもう、ほんとに拒まれてるみたい。
すごいものね、ウィルスって。

とりあえず、ウィルスが感知できないところの駆除ツールをダウンロードして、
実行し、ことなきを得ました。
たぶん。
…自信ないけど。
なにせ、PC音痴だからなあ。

検索能力が問われるなあってつくづく思ったわ。
始めたばかりの私なら、ほんとになにもできなくてパニックおこしたと思うもの。
とりあえず、ファイル名を検索すれば、有名なウィルスなら、ひっかかるので、おすすめします。
自分がファイルを開かなければ感染することはないかもしれないけれど、
相手に教えてあげなければ、被害はどこかで拡大するばかりなのだから。
なので、おかしいなと思ったら、
ファイルを開かないのはもちろんですが、その後、ぜひ調べてください。
駆除方法も含めて。
で、相手に教えてあげてください。

私もメールを送りました。
ちょっと書きづらかったけれど、たぶんちゃんと処置してくれると思って。
うん、大丈夫なはず。
ほとんど知らない相手とはいえ、すごく誠実な人だと、私は思ったから。
でも、それだけに、相手がショックを受けないといいけど。

連絡が来るのがすこしだけ怖い気もするのでした。

ああ、一時は、データがふっとぶかと思った。
PCにメモなどかなりの情報を保存しっぱなしなので。
もしなくなったなら、就職活動が根本から成り立たなくなります。

実際、エキサイトメールのなかでも、最近いろいろ怪事件が起こるのです。
ああ、ほんとうに、対処方法がないものかなあ。
受信できなかったメールたちよ、戻ってこないものかしら。
しみじみ、そのなかに、出したESの選考結果なんぞがあったとしたら。
ぞっとします。
ほんとうに、考えないようにしてるけど、でも考えてしまうわ。
落ちたら連絡は来ないものだから、
受かっていても連絡を逃がしたら、落ちたのと同じことになるわけで。
はあ。
…憂鬱だ。

2001年03月25日(日)



 拘束完全マニュアル


ここのところ就職活動日記になってる。
面白くないとは思うけど、たぶんしばらくこのまんまだと思う。
しかも今日はかなりへこんでて、すごく読みづらい日記になると思う。
「のんびり・いいひと」してられなくなってきたような気がする。
ぎすぎすして、なんとなく人を信じられない。

いまは完全に買い手市場だから、企業は強者なんだから、しょうがない。
そう自分に言い聞かせても、納得できないことはある。


内定後の各企業の拘束の厳しさなんて、とりあえずは考えないで動いてきた。
そんなの受かってから考えるものだと思ってたんだけども。
まだほとんど選考にのってる企業はないから。
それでも、持ち駒に最終的に手をかまれる可能性があるときたら、
受けつづけても意味がないじゃないか。
時間が限られている。
しかも私はあまりたくさん掛け持ちできないタイプ。
もっと早めにいろんな意味で考えとくべきだったのね。


実は、“ブラックリスト”というのがある。
就職しちゃいけない企業というのが。
各大学のなかでも、ひそかに作られているらしい。
つまりは離職率の異様に高い企業のこと。
そして、そのひとつに燦然と輝くものを、
いま、私は一生懸命受けてるらしい。

自分が一番悪いのだ。
メーリングリストとか、掲示板とかは、
情報に振り回されるからと、わざと参加しないできたから。
だから、悪い噂を耳にするのが遅れてしまったみたい。

でも。
なんでそんなに酷い企業がまかり通るの?
離職率…ヒミツにしてるようなものじゃないか。
質問できる場所なんてなかったじゃないか。

それに、なんでそこに、将来有望そうな学生が、来てるんだ?
今日だってどうみてもレベルは低くないぞ。厳しい選抜になると思ったのに。
(と母に愚痴ったら、それくらい就活状況が厳しいってことでしょと返された。
まったくだ、甘いこと言ってたら冬になる。そして浪人の春が来る。それを皆自覚しているからなのね。)


内定後、誓約書を書かされるところがあるのは知っているが、
ここは、2年間は絶対に辞めないことを約束させられると言う。
で、1年目でほとんどの人がやめざるをえない状況なので、
24万円の違約金を払わされ、当然退職金も出ない。
女の子でも営業ができるのが魅力なのだが、
「子宮がおかしくなる毎日」だという。
ノルマがあって、達成すれば旅行が待っているが、
達成するまで毎日電話がかかってきて、脅されるらしい。

しかも、ノルマっていうのは、いかに生徒さんにより高い授業料を払わせて、
次の段階に進ませるか、ということなんだよ。
ひとりにつき、10万。それが110万まで達成しないとダメらしい。

どこが教育業だ?
生徒のことなんか本気で考えられるわけないじゃないか。
金の卵?
けっきょく、押し売りと詐欺みたいなものじゃないか。

つまりは、それを敢行するには、人間やめろっていうんだろうか。

OB、OG訪問をした人が直接教えてくれた。
でもって自分でも調べてみたら、めちゃくちゃ有名な話ではあるらしい。
ただうちの大学からはそこに就職する人は皆無なので、私はOBに直接確かめる術はないんだけど。
…馬鹿なのは私自身だ。
説明会で騙された私が悪い。
ちくしょー。

“ア○バ宗教”って、一部では言われている。
トラ○で家庭教師をしたときに、あのスタッフの宗教がかった仕事振りにも唖然としたけれども、まさしくそんな感じかなあ。
ア○バは、説明会で社長が衛星放送で話すんだけど、そのまわりを固める女子社員の社長崇拝ぶりが、とんでもなくひっかかってはいたんだ。
ただ、人事の女性が感じがよかったし、待遇についてもかなりあけすけにしゃべってくれたので、まあ大丈夫かなと思ってしまった。
だが、高い給料以外は、全部、大嘘だという。

そりゃそうか。
全部で1300名しかいないのに、新卒を800名もとるんだし、
(つまりほとんどが毎年やめるということ…悪名高き中央○版とよく似ている)
学歴不問にもほどがあるくらいなんだし、
それで疑わないほうが、どうかしてたんだろう。
自分の常識のなさを呪うしかない。

面接の練習になった。
それでいい、そう思えばいい。
いい社会勉強だ…たぶん。

でも、そこで決まれば、とりあえず教育産業だし、
あとは自分の行きたいところに専念できると思い込んでた。
その勝手な期待が、やぶれて。
へこんでる…それだけだ。

最初に選考からすでに2ヶ月。
あと上手くいってしまったら、まだ1ヶ月半はかかるらしい。遅すぎ!
でもって、それで内定が出たら、猛烈に拘束されて、他の活動ができなくなる。
どうすりゃいいんだろう。

母はやめちゃえば、と言った。
そりゃ、光通○とか、○栄やNOV○と同じくブラックリストにのるくらいだから、
どうせ就職したって続けられなければ意味がないわけだけれど。

まあ、今日(23日)が落ちてれば、それで悩まずにすむのだが。
いま考えないと、動かないと、エントリーすることさえできなくなる。
なんでこんなに早いんだろう。
もうあちこちでエントリーが締め切られる。
やっと少しずつ自己分析なんかが出来てきた頃にはもう遅いんだ。
のろまな。
ああもう、時間を巻き戻せるなら…。

後ろを向きそうになる。
せっかく前を向き始めてたのに。
一般職への違和感。
それから少しは希望をもっていた(勝手に持っちゃっただけだけど…自分のせいだけど)教育産業などのサービス業への不信。

持ち駒が少ない。
ただでさえそうなのに、これ以上減ってはたまらない。
出版は持ち駒に入れられないのだから、
他をもっともっとやらないと。

そうやって、どんどんやりたいことへのゆとりがなくなってゆく。
でも、10000名近い志望者が来て、一桁しかとらない企業なんて、
本気で受かると思ってやれる人は、よほど心の強い人だと思う。
私はそんなこと…できない。
…と最初から思っていたら、落ちるよな、アタリマエに。
だから、大量退職で大量採用の悪徳企業でも、
こっちから切ってやると強く言えないでいる。
ほんとに悪循環だ。


人を蹴落としたり、人を食い物にしてまでのさばりたいとは思わない。
そんなプライドも誇りもない、非人間的な仕事なんて。
なら、生保と教育業と消費者金融はやめろということか。
(どれも離職率が驚くほど高い業界)
けっきょく、人間は、「お客様」は、
金の卵…なわけだ。

とすれば。
私が面接で話してること…相手のことをまず第一に考えて、相手を満足させることが喜び…というようなことは、すべて実体のないものになってしまうじゃないか。
つまりは営業ロボットになれっていうのか。
そうでもしなきゃ、今の時代生きていけないってこと?


自暴自棄な日記だ。
読み返したら削除したくなるんだろう。
でも必要だ。
ここを乗り越えないと、たぶん開き直れない。
どうすればいいのか、考えなければ。


就職活動についての或る人の日記を読んだ。
やりたいことのために動かないなら…という内容。
やりたいこと、それが一番大切だと、自分が一番わかっているのに。
それでも、それだけを考えているわけにはいかない自分の弱さを思うと、
心臓が痛かった。
正論なのだ。すべてが。
だからこそ、痛いけど考えなくちゃとは思った。
…誓って言うが、その人のせいじゃないからね?

でも、やりたいこと…こんな状況で見えるわけがない気がする。
私がどんな理想を述べたところで、たったひとりだ。
疲れ果てるだけのような気がする。







(追加日記)

遅いとどうなるか…まただ。
空回りばかり。

締め切られた。
うーん、このあいだ志望動機が途中で消えて、エントリーできないままだったのがまずかったか。
忙しかったというのは、これっぽっちも言い訳にはならない。
条件は同じだ、それで皆がやっていることを、自分が処理できていないだけ。
しみじみ、わりと興味のあるところばかり、自分から逃がしてる気がする。

残り物には…福がない。
少なくとも、就職活動には。

2001年03月24日(土)



 『17歳』

ブックファーストの児童書の品揃えはすごい。
5階の3分の1ほどが、児童書。
しかも、座って読めるテーブルと椅子のコーナーがある。
す、すごいぞ。(嬉)

検索で、井上路望さんの『17歳』の売り場を探したら、
児童書のところにあった。
これ、ポプラ社では一般書の扱いで出したはずの本なのになあ。
理解されてないのか、ポプラという名前だけで、
すぐにそこに分類されてしまったのか。

文庫になってるものが欲しかったのに、まだ単行本しかなくて、
とりあえず立ち読みだけざっとした。
お母さまの『母親失格』とあわせて、ベストセラーになっているこの作品。
路望さんの学校でのいじめ、障害のあるお兄さんへのいじめから、家族3人(母と兄と自分と)が次第にバラバラになるなかで、少しずつ絆を取り戻してゆく話。
ありがちな書き方しかできないけど。(笑)

とにかく、文体が素直なことに驚いた。
文章を書くのが好き、ということで、お母さんから本でも書いてみたらと薦められたらしい。
それがほんとうに本になってしまう、そして多くの人に読まれるとは思わなかったのかもしれないけれど、とにかく振り返ってのびのび書いてる。
辛さも皮肉っぽさも、いろんな気持ちを、わりと淡々と、でも素直に。

私は、自分の日記の文章がかなり下手だと思う。(汗)
素直に書くとね、そうなるみたい。
口語体というか、自然な言葉だと、とてもたどたどしくなる。
でもそれが、私らしさ、素の自分を、掘り起こす作業でもある。
あまりに意識しすぎて、書けなくなってしまった時期を思えば、
とにかくキーボードを叩くという作業が、そのまま解放されてる気分で、
悪くない。

だからなのかなあ。
内容も共感できる部分があったけど、路望さんのこの文章の素直さ、飾らなさが、いいなあと思った。
上手く書こうとしなくても、
それが逆に相手に気持ちを伝えやすくする文章になるのかもしれない。
そんなふうに思ったんだった。


2001年03月23日(金)



 最強の杏仁豆腐♪


今日は、はじめての一般職向けの説明会。
はっきり言って。
…合わない…かもしれない。(はっきりじゃないやん?)

女の子があんなに群がってる場所。
すべて女の子、なのだ。
ヒルトンの大広間ごと、女女女女…。
軽やかな、華やかな、雰囲気と会話。
さざめき、化粧の匂い。噂話。黄色い声。笑顔のバーゲンセール。
に、苦手だ…。
女子トイレみたいじゃない?
もう萎縮してしまった。
最近わりと萎縮せずにのびのび接することができるようになってたから、
また逆戻りしてる自分が、もどかしかった。

男性と女性が混じってるほうが、ビジネスライクに話をすることができるような気がする。
なんで女の子だけだと、こう、話が散漫にだらだらと内輪に展開してゆくんだろう。
閉鎖的だ。
それとも、この一般職対象の雰囲気に特有なものなのか?
これまで参加したどこでも、こういう雰囲気ってなかったような。

とにかくなにかが違うような気がした。

相手に制限されて、女ができる仕事の範囲を定められてしまうなかで、
実質上総合職で女をとらないから、だから一般職しか道がない…
そういう選択なら解るんだ。
大学の先輩方も、ほぼそういう流れになったらしいから。
でも、はじめから一般職を?
なぜあんなに明るく屈託なく?

よくわからない。
いまさらだけど、なぜ「一般職」というくくりがあるのだ?
仕事内容の違いだけではなく、もっと根本にあるなにか、職業観というか、雇用する側の位置付けというか、そんな前提みたいなものが、捻じ曲がっている気がする。
だから一般職をはじめから希望するということは、
この捻じ曲がりに、賛同するということになってしまう気がするんだよね。


たとえば。
今日行った企業は、外資系生保のひとつで、
一般職の新卒採用をはじめたのはここ2年ってとこらしい。
そのせいか、一般職は、「契約社員」なのだ。
この響き。
総合職と同じく、ちゃんと就職するのに、それなのに。

それから。
女性社員に優しい会社と言いながら、育児休業制度もないのだ。
また、一般職には住宅手当がないという。
転勤がない、というのが一般職だとは解ってたけど。
それは裏を返せば、自宅から通うことを前提にしているということなのね。

私の家は、とにかく田舎だ。
よって、家から通える範囲には限度がある。
新宿くらいまででも遠いのに、もっと奥地に本社があるということで、どうみてもそれは自宅通勤不可能だということを示している。

この会社に限らず、都内に住んでない女子学生の一般職は、採用に不利だと囁かれている。
支給する交通費が高くなるから、企業としても遠慮するのは当然。
私は、全国転勤型でなく、都内勤務になっても、下宿せざるをえないだろうと思う。だが、それさえも一般職ではかなり難しいということを知ったわけだ。


まったく心が渇くような話ばかりしてる。>自分


そのあとは、午後に渋谷まで書類を取りにいった。
それから、遅い昼ご飯を食べようと、上海ヌードルへ。
ぐるぐるセンター街のなかで道に迷った、方向音痴なわたし。(笑)
どうにかたどり着いて、ランチに間に合ったので、点心の定食を頼んだ。
海老の春巻きが、あまりに美味しくて感激した。
塩をつけて食べるんだけど、ああ海老がぷりっぷり。
水餃子の海老も美味しかったし。
最後の杏仁豆腐も、久しぶりに食べたら、思わず笑顔に。
ひとりでカウンターのすみっこに追いやられて食べてたんだけど、
にまにましてるのは、さぞや変な光景だったことだろう。(笑)
でも、美味しかったんだもんね。

ただ、チンジャオロースーが、油の海で。
あとからすんごく胃にキた。
ご飯といい、おかずといい、ボリュームがかなりあったから。
でもひさしぶりに、ご飯を食べたなあって思える外食が
そのわりには格安(1000円…中身を考えれば安い!)で食べられてほくほくだった。

うちの母が、ずっと美味しい杏仁豆腐を食べたいって言っていて。
今度は一緒に来たいなあってごく自然に思った。
海老の春巻きを食べながら、母、絶対好きだなあって思ってた。
なんだかんだ言っても、べたべたな親子関係なのは変わってない。
切り捨てられないんだ、お互いに。
お互いに、甘い。
一人暮らしできたら、どうなるんだろう。


(追加日記)

就職用のメールボックスが容量オーバーで、
6日くらいずっと受信できてなかったみたい。
私はノーテンキに、メールがないのかと思ってたけど、
一日に10から20通くらい届くペースなのだから、
6日でどれだけ消えてしまったのか。
大切なメールがたくさんあった可能性がある。
でも、確かめる術さえないから、
私はなにか連絡を逃がしていても、なにも抵抗できないってこと。
…つくづく自分のアホさに嫌気。

気になるなあ、消えたメールのなかみ。
どこから来たのかさえも、確かめられないなんて。

2001年03月22日(木)



 電話にまつわるエトセトラ


突然だが、うちには留守電というものがない。
当然、FAXもない。
11年間、電話を買い換えてないから。
ほんの1年ちょっと前までは、携帯さえ持ってない身だったのだけど、
基本的に電話が苦手なので、それはそれでよかった。

だが、ときは就職活動期。
そう、電話連絡がほとんどで、しかもうちの母はあまり家にはいない。
そして私も携帯をバイブにしてると、ほとんど気づかない。
もしくは、出られない時も多い。
電車に乗ってたりすると、困る困る。

実はこのあいだは、電車のなかで、けっきょく電話に出てしまった。
明らかに採用関係の電話だとわかってたから、
出なかったらどうなるか、怖くて。
でも、後悔した。
あれは…出るべきじゃなかった。
自分が電車のなかで電話してる人を迷惑だと思うくせに、
本人がそれをやったわけだから。
短い電話ならともかく、相手次第では長くもなるだろうし。
それに、後ろめたくて冷静になんか話してられない。
けっきょく、その電話は途中で切って、後日あらためてかけなおすと約束。
だが、最初はすごく機嫌の良かった相手も、電波が悪くて電話番号を聞き取れなかったりしてるせいで、最後は不機嫌に。
せっかく、けっこう私を気に入ってかけてくれたらしいのに。
…へこんだ。

だが、出られただけよかったくらいで、留守番がなければ、携帯が電波の届かないところにあったときなんか、連絡があったことさえ、わたしは知りようがないのだ。合格してても何度かかけてダメなら、容赦なく切り捨てるらしいから。
はじめるまで、通過して電話がかかってくるという想像をしていなかったから、
まったく気づかなかった馬鹿な私なのだけど、これはそうとうにまずい状況みたい。

母が意を決して、父がどんなに反対しても、お金は母のピアノのレッスン代で稼いだぶんから出すから買おうと言ってくれた。
だがっ!
いったん母がお金を使えば、父はそれから先のすべての電化製品などを
「だったら自分らで買え」と言い出すに決まってるのだ。
だからいままで、どんなにレンジが壊れて肉まんがかちこちになろうとも、我慢してきたわけで。

父の頑固は、金額の問題じゃないらしい。
とにかく、使えるものを捨てたり、買い換えたりするのが、わがまま、浪費だと言い捨てる。直せそうな可能性があれば、極端な話、新しいのを買うのより少ししか安く上がらないときでも、直す。たいがいのものは、自分で直す人だし。
ポリシーはご立派だと思うわ。
だけど、実際それを振りかざされる身になると、たまらないこともある。

この電話をかれこれ11年使って、まだ不満?>父よ
もうそろそろ留守電くらいあってもいいと思うんだけど。
というか、マジメに困ってるの。

ほんとうは一刻も早くつけたいんだけど。
11年も前の機種で、しかもドアホンも一体型の変なやつなので、
買い換えるのも、けっこう時間がかかるらしい。
どれから解決できるかなあ。


もうひとつ、憂鬱なのは。
電話…機械の問題じゃなく、私自身が苦手だということ。
心臓に悪い。
電話をかけるのも勇気が要るが、受けるのはもっと。
電話のベルが鳴ると、身が縮まる。
責められてる気がする。
なにか悪いことしたんじゃないかと反射的に思う癖がついてるような。
負け犬根性とか、臆病者とか言われることもあるけど、
しょうがないのだ、こればっかりは。

あの機械があることで、自由を圧迫されてる気がして、かなりイヤだ。
家の電話はまだ母が出ることもあるからともかく、携帯は……。
だから私は、携帯にわざとメールをつけてない。
これで少しは、ただの雑談のために、びくびくしなくてすむからね。
そういう努力のない分、私は知り合いが少ないんだろうけど。
そんな努力は、嫌いだからしない。
そんなふうにこれまでは言い張ってこれたけど、就活は…。

誰だか番号の判らない着信履歴だけがあると、
気になって気になってしょうがない。
ちょっとした蛇の生殺し状態だよ、もう。



21日part2


出版社でも、文芸関係が強いところはかなり保守的みたい。

“本籍”が必要?
(詳しい番地までは書かなくていいのだから、いわゆる門地差別ではないはずだけど…理由がわからないぞ)
“家族状況”ですと?
確かにいまだにそういうことを訊いてくる企業があるとは聞いたことあったけど。
きっぱりはっきり、こういうのが自分の性格には合わなさそう。

別に家族を書こうが困ることはないんだけど。
むしろ、表向きだけはリッパなご夫婦ですから、
ええ、書くのに苦労はしやしないが。(ヤケ)

そういう実際問題じゃなくてさ。
これでなにを見たいの?と思ってしまうわけ。


好きな出版社像は、理想主義のようだけど、規模が小さくても出してる本があたたかいところ。
たとえば、サイトがとてもよくできてたり、読者の声が反映されてたり。
でも、そういう良書を出してるところは小規模の出版社が多く、財政がよほど厳しいのか、10以上めぐったけど、今年はどこも採用を見合わせるそうだ。
淋しすぎる。

“採用未定”だった、児童書出版の老舗(すごくいい絵本がたくさん)は、やっと情報をのせたので、狂喜して見てみたら、散々焦らした挙句に採用なし、だという。
けっきょく、薄給でも働けたらいいなと素直に思う、私がファンしてる会社が、ほとんどリストから消えてしまったじゃないか〜。(涙)

2001年03月21日(水)



 旧友

昨日の帰りにも、中学時代の友人Iにまた会って、いろいろ話をした。
ふたりとも大好きだった『ここはグリーンウッド』の文庫版が新刊で出ている話をしてたら、彼女にお奨めの漫画を、と切望された。
できるだけ健全な奴を探して(爆)
彼女は「やじきた学園道中記」あたりをお持ち帰りされた。
秋田書店のマニアックでクサイ路線も好きなわたしは、
他にも『崑崙の珠』あたりを勧めておいた。
だったら貸せ、といわれたが、ダンボール梱包されて、どこに入ってるのやら。(汗)
私だって読み返したいよー。

Iは、私が中学の時、しょっちゅう体が弱くて学校を休むたびに、
プリントだのを届けにきてくれていた。
体育祭のために、ダンスを玄関で教えてもらったこともあった。
雨が降り出して、風邪ひいたら困るから、と折り畳み傘に入れてもらったこともあった。
なんと彼女はそのあと、半分びしょぬれになったのをお母さまに見つかり、
メガネが飛ぶほど打たれたそうで。
それ以来、私からそう言うときは断れるようにしたけれど。

「玄関に行くと真っ赤な顔した私がガウンを着てふらふらとあらわれたねえ。」
なんて回想話をするから、なんかしみじみしてしまった。
「今はだいぶ元気なの?」ってすごく真剣に聞かれて、そこそこ、と答えた。

ほんとに、コノヒトは中身が変わってない。
損するくらいマジメな性格、世話焼きで、でもすごく厳しい(怖い…)ところ。
嘘がないから、信頼できる人、だ。
彼女がいなかったら、私は中学を無事に卒業できたかどうか怪しいくらい。
他の子は、テスト範囲になるプリントなんて、わざわざもってきてはくれなかった。時間も無駄になるしね。
だが彼女は、そういう足を引っ張ったりするような卑怯さが微塵もなかった。

当時、彼女と私は、私が本や漫画を貸し、そのかわりに彼女がいろいろ欠席のフォローをしてくれるというつながり方…だった。
と、思っていた。
少なくとも私は、本がなければ、付き合ってはもらえないんだろうと最初の頃は思っていた。申し訳なくて、お返しができなくなったらどうしようと思ってた。
でも、かなりあとで、そういう疑問をぶつけたとき、一笑に付されて。
ギブアンドテイクってことじゃなくてもいいんだって。
私自身もちゃんと嫌いじゃなく付き合ってくれてると知って、不思議な感じだった。

就職活動がんばろうね、って手を振って彼女は夜道を帰っていった。



そうそう昨日、発売日が延期されっぱなしだった『ファントム・ペイン』を手に入れた。
余裕のないときに読むとじっくり読めないから、もう少し我慢してようかと思ったんだけど、表紙を見た瞬間、帯を見た瞬間、手にとってカウンターにダッシュ。
ふう。
私の理性なんてこんなもんだ。(笑)

以下、ネタバレ。
読んでない人と、まったくわからない人は、ここで引き返してね。




……OK?


カイと凱のカウンセリングがねえ、なんか急ぎすぎて。
わざと飛ばしてくれたのかもしれないけど、
立ち直った彼が、カイではない気がしてしまって。
私のなかで、カイが遠くなりました。
たぶん、イシスを恥じる壊れそうなカイのほうが、私にとって身近だったからだろうな。
でも、カイにとってそれは幸せじゃない。
だから、わがままなのだけど。
イシスという傷をまたひとつ抱え込んだカイに慣れるのには時間がかかると思う。

クリスタル・クラウンだったり、カタルシス・スペルのころのふたりの緊張感が、私は好きみたい。それを通り越して、もう終わりを見据えているからこそのカイと三四郎のやりとりは、なんだか切なくて、かえって辛い。
モラトリアムでいたい自分の裏返しかしらん。

次、クライマックスに入るというけど。一年後…でしょうかね。
このシリーズ、終わる気がしないんだなあ。

それにしても、脇役が今回も魅力的なこと。
サンドラとロードがいちゃいちゃしてるのなんて、久々に見たわ。(笑)




追加日記


たったいま、ひそかに働けたら楽しいだろうなあと思ってる、児童書を扱う出版社へ最初のエントリーを完了。
ちなみに、今日中が〆切。(死)
ギリギリまで愚痴っていた。読書感想文になるわけにはいかないから。
字数制限なしの、良識に任されてしまった志望動機は、とても書きづらかった。でも、やっぱり本音のこもってる文章は自分で書いてて気持ちがいい。
自画自賛だけども。
日記で思ったことを書き散らしてるので、
あとから振り返ってネタが見つけやすいみたい。
日記の効果ってすごいもんだ。

書類書きするなかでは、久しぶりに自分らしい文章が書けた。
それがちょっと嬉しかった。

2001年03月20日(火)



 「私´」

すごく長い日記を書いていたら、消えた。
久しぶりに長文が消えた。
しょうがない。

「しょうがない」と言える今の自分は、
たぶんあまりオーラを出していないとふと思う。
もっと前は、イタイ部分を削り削りして書いてたから、
それはもう、強烈にエネルギーを費やした挙句長文が消えたら、
呆然とするしかなかった。

落ち着いているのか、開き直りつつあるのか、よくわからないけれど、
確かに若干なにかが違うのかもしれないなあと思う。


今朝がた、ほんの少し眠ったらうなされて、
そのあと眠れなくなったので、秘密兵器のアルコールを摂取すべく、残ってた安物の白ワインと林檎ジュースを混ぜて呑んでみた。
口当たりが良くて、ワインは苦手な私でもOK。
ほんの少し酔うことができて、冷え切った体は温まり。
もう一度ベッドに戻る。
うとうとと2時間ほど過ごす。

それから、集団面接へ。
世の中じゃ、危ない危ないと言われている流通大手。
なんでそういうところばかり…。(涙)
本命でないから気が楽なのか、わりと落ち着いている。
私は集団面接しか受けたことがないけれど、
たぶん、個人面接よりはるかに、自分が出せるような気がする。
それは、私が他人の話を聞くのが好きだから、きいてるうちに
表情とか気持ちがほぐれて、リラックスするからだと思う。
今日もそう。
吃音のきつい男の子がいて、一生懸命しゃべるんだけど、
緊張のせいか、ほとんど聞き取れないの。
ケナゲでケナゲで、思わずじっと見つめてしまい、うんうん頷きながら
頑張れ頑張れエールを送ってしまった。
そうしてるうちに自分も元気になるから不思議なことだ。

集団面接というのは、実は個人面接よりもはるかに難しいといわれてもいる。
それは、まわりと比べられるから、協調性とか、優劣とか、はっきりしてしまうということらしい。
とすると、私は協調性はあるということなのか。
でも、協調性=没個性ってことでもあるのよね…。(苦笑)

他のコも、どうみてもエントリーシートを用意して覚えてきましたというような読み上げタイプだったり、声がすごくか細かったりで。
6人中紅一点だった私が、実はいちばん喧しかった。(笑)
圧迫面接でないから、のびのび笑顔でいれらたのがよかったんだろうな。
今日はほんとうに1時間が早く終わった。
結果も今日のうちにわかるという異例の速さで、
そんなところにも、企業の姿勢が見えるなあと思ってみたり。

これで落ちたらどんな面接すりゃいいのかわからなかったから、
とりあえず認められたなら、あのくらい乱暴な言葉遣いでもいいってことなのか。

実際、苦虫を潰したような顔をしていた面接官。
それは私が、その企業の欠点を指摘したから。
でも私は、その欠点を自覚して、再生しようとしてるからこそ、それが最大の強みになるだろうと言った。
実際そう思ってる。
慢心してるトップ企業より、落ち目が面白いってのは、たぶんそういう部分。(笑)
ただ、そういう率直さが受けるのは、若手社員相手だけなんだろうけど。
先は人事のお偉方だ。
おじさま相手に、率直に暴れるのは、どうなんだろう。
大人しくすべき?
でも無理。私は私らしく暴れてくるしかないのだ。


ただ。
たとえば今日みたいな。
積極的で、はきはきしていて、言葉遣いはよくないが、身振り手振りありでウルサくおしゃべりしているような妙な女は、果たして、ほんとうに「私」なんだろうか。
誰も知らない私?
意外性って言われるたまに出る「私」?
それとも、無意識に欺いてるの?
いやな演技?

なにか、躁状態のような気がして、変な気分。
興奮状態で、すべてが終わったあと、どっと疲れるの。
自分の感情とか表情とか言葉とか抑揚とか、コントロールしてるのは、
私じゃないような。
ここにいるやけに社交的な私は、誰なんだろう、と内側で「私」が見ている感覚だ。


帰りに、「お疲れ様でした〜」と仲間だった男の子2人に声をかけ、
駅まで一緒に帰る。
しかもそのひとりをナンパし、メールアドレスを聞いたりしてたら、
相手が大学の就職課で資料をもらったというので、
なんとコピーにまで付き合ってもらえた。
いろいろ礼儀正しい口調でしゃべってくれる。
まあ、親切な人もあるものだ。
しかも。
私がえらくしっかりしていると映ったらしく、妙に尊敬されてるのは気のせいじゃない気がする。
おかしい。
なにかがずれてる。
私はどこかでエイリアンにのっとられたのか。
でなければ、私がめちゃくちゃ苦手な男子になんぞ声をかけられるものか。


ひとつ、可能性があるとすれば。
面接という特異な状況へ自分を前に、
ふだんの劣等感でいっぱいの私のまま立ち向かうわけには行かないので、
積極的な部分だけを表に出して、あとは仕舞いこんだ「私´」が、
精一杯空回りしてるようなイメージなんだろうか。

だが、このまま上手くまわりつづけるはずがないと思うのだ。
そのうち、変な風に滑りそうな気がするのだ。
燃料切れが怖い。
ものすごく怖い。
いまのうちから全力出してたら、息切れする。
もっとあとで、出てきてよ。>「私´」

というか、「私´」が認められたところで、受けの悪そうな本家の「私」のほうはそれでいいのか?
やってゆけるのか?
そこが一番の問題。
やっぱり、化け猫(おしとやかになるやつではなく逆にうるさくなる)かぶってるんだろーか。

わからん。


2001年03月19日(月)



 早朝に


「あなたと日テレ」という日曜日の朝5時ごろにやっている短い番組がある。
といっても、今朝はじめて見たんだけど。
っていうか、案の定、眠りが浅くてねえ。(苦笑)
何度かに分けて眠らないといけないかしらん。
まあいいや、5時代にちょっと早い朝食を食べたら、
けっこういい番組を見られたから。

これは、視聴者とテレビ局を結ぶ主旨で、視聴者からの苦情・意見に対し、制作サイドが答えてゆく形式。
山王丸アナのコメントが適切で、控えめだけども意見はきちんと言うという姿勢が好印象だった。
この人、昼のザ・ワイドとさすがにうまく使い分けてるなあ。
ただ、呼ばれた横浜女子駅伝のプロデューサーが、ちょっとひっかかった。
去年の苦情を今年どうやって解決したかを話したのだけど、その態度がいかにも、苦情をちゃんと直したんだからそれでいいでしょ、という感じだったので。
苦情を言うというのはね、それだけエネルギーを費やしてでも、報道を改善しようという、貴重な人間のすることなのよ?
実際、私はしたことないもの。(笑)
だから、或る意味、彼らはかけがえのない先生なのだ。
現場にいると、見えないことがたくさんある。
だからこそ、意見を聞かせてもらえることは、すごく幸せだと、その上で勿論、役に立つ意見と、そうでないほんとに腹の立つ苦情とを、自分で分けてゆけばいいわけで。
このプロデューサーは、その点でちょっと態度が悪い気がしたのよね。
説明は適切で、いたって有能そうだったけれど。


山王丸アナのいいコメントだなと思ったのは、
女子駅伝の実況が女子アナだったために、声が甲高くて疲れたので、来年から男性アナに変えて欲しいという、30歳の女性の苦情に対してのものだった。
まず、「女性アナの声が全て甲高いというふうに思っていらっしゃるのは、残念です」と穏やかに返した。
その上で、それぞれのアナウンサーがよりよい報道のために、個性を出したり、より聞き易い実況にしようと努力をしているのだが、それを伝えることができなかったのなら、私たちはもっと努力してゆかなければならないと思いました、と。
「伝わらなかったのが残念です」と突き放したわけではないのよ?
そこがポイント。
だってそれは、全ての人に伝え解ってもらうことが、実現できないとしても、使命だから。
自分たちはもっと努力しなくちゃいけない、と言うわけです。
そのうえで、女性アナへの偏見を、彼女は、おかしいとはっきり言った。

私個人の意見としては。
確かに女子アナのなかには、聞きにくい声があるけれど。
例えば井田由美さんのように、そうではない人もいる。
また常に努力している人もいるだろう。

その苦情を出した人が、若い女性だったことが、少し切ない…かな。

その実況をした人が気に入らなかったとしても、
全ての女子アナを否定することは、同じ女性として、あまりに心が狭いと思う。
私は、いいアナウンサーとそうでない人とがいるだけだと思っている。
もちろん、声の特質に、性別の差はあきらかにあるだろう。
報道のなかでも、危険な仕事や、性別のせいでしにくい仕事もあるとは思う。
ただ実況に関しては、男性アナにも不満がある。
腹の立つ恐ろしく無神経なコメントをするタイプの男性アナに比べたら、声は高くて聞き取りにくいとしても決め細やかなコメントをする女性アナのほうが、ずっといいのではないだろうか。

あの山王丸アナのコメントを、苦情を出した女性が見ていることを願う。
もしそうなら、どんなふうに受け止めるのだろう。
できることなら、彼女の意図が、きちんと伝わるといいのだけど。


2001年03月18日(日)



 春なのに…

普段は口紅なんかしない私だけど、就職メイクではナチュラルメイクって訳にもいかないので、朝塗ったらペットボトルでお茶を飲んだって落ちないという、噂の口紅を買った。
だが。
肌は丈夫な私だけど、唇だけは荒れやすく。
落ちにくいということは、それだけ皮膚の細胞に張り付く糊みたいなもので、
それはもう、塗った瞬間からひりひり、びりびり。
ボンドを皮膚に塗ったら、突っ張ったような感じだ。
しかも。
確かに色素は落ちないのだが、
私の場合、皮膚ごと剥がれ落ちるのだ。(苦笑)


メイク道具は、嫌いじゃない。
努力して少しでもマシになるなら、とメイクを始めて以来、
ただ純粋に、お絵かきする気分で、好きになった。
自分じゃ限界もあるが、
キャンパスが綺麗だと、俄然張り切って、友人の顔をいじったりもする。
でも人のための化粧は嫌いだ。
人のためのおしゃれも。

自分のために、自分のしたいことをする。
もちろん、周りの人を不快にさせないことも大切だけど。

皆同じ服、同じ髪型でいなくちゃならない中学に、ほとほと嫌気が差して。
制服の無い高校を選んだ。
制服があったほうが、おしゃれがヘタでお金も無い自分をゴマかせたのかもしれないけれど、その高校は皆がそれぞれに個性的で、とにかく楽しそうだったから。
そういう過ごし方を選んだんだった。


すっかり春なのに。
春色の洋服を来て、出かけることはない。
買ったきり一度も着てない白いジャケット、淡い緑のスカート。
お気に入りのベージュの靴も、最近はずっと仕舞ったまま。
その代わり、ずっと黒い靴と、似合わなくて嫌気の指す、灰色のスーツを着ている。
社会人ファッションなんて、憂鬱をそのまま色にしたみたい。

オレンジの口紅じゃダメだと、誰が決めるの?
なぜストレートじゃなきゃいけないのよ?

そういえば、以前友人がこんなことを言ってた。
ストレートの髪のほうが異性受け(オヤジも異性だ)するのは、
なにも手を加えていない、生まれたままで美人だと確信できるからだそうだ。
つまり、手を加えることは許されないってこと。
素材が悪いと、終わりなわけね〜?
なーんか、死刑宣告みたいなんですけど。

というような心理を反映してか、オヤジ受けするルックスは、
ストレートのほんのり明るい程度の髪に、
レッドかピンク系の口紅、それからブラウン系の軽いアイシャドウ。
マスカラはばれないように、もとの睫毛が長いかのように見せる。
指先はベージュかピンクのマニキュア。
世の中ではこのように決まっているらしい。

私は、ピンクよりはオレンジのほうが似合うと思う。
黒より紺より、モスグリーンが似合うと思う。
そして。
ストレートよりは軽いウェーブの髪のほうが、
なんとなく自分らしいとも思う。

でも…。

まわりは皆、急に髪を染めた。
メイクががらりと変わり、別人のようだった。
私は茶髪は好きじゃないので、とれかけのパーマだけが問題だったのだけど。
なにをいきがってるの、と言われた。
就職が決まったらこっちのもの、また戻せばいいじゃない、と。

それは別に、外見だけの問題じゃなくて。
性格とか言葉とか、そういう全てを就職用に「切り替え」ることについて、ちょっとひっかかるだけ。

だってさ。
以前の自分を、否定するみたいじゃない?
誇りを持って、金髪でもなんでも、してきたんじゃないの?
恥じることの無い自分がいるなら、
それを簡単に捨ててしまえることじたいが、不思議だったりする。

って、全部自分への言葉、だね。
きっとそう。
切り替えようともがいてる、かっこ悪い自分への。


それでも、ちょっぴり反抗してみた。
落ちない某口紅の色は、パールの効いた明るいオレンジベージュを選んだ。
レッドかピンクが鉄則と言われてるのにね。
青みピンクがCMでは使われていて、「面接で使うかも…」と相談したら、一番人気のそれを薦められたのだけど。
私は私らしい色を選んだ。
(ちょっと派手かもしれない…それは突っ込まないで。(笑))

いいんだ、このくらいは歯向かってみよう。


2001年03月17日(土)



 ユギさんの


昨日は頭痛でへたばりすぎて、あるセミナーをキャンセルしてしまった。
つまりは自分に負けた。
悪友さんは毎日のように入ってる予定をちゃんとこなしているのにと思うと、
しみじみ情けない。
そこは英語に力を入れている教育関係なので、英語嫌いの私には無理だよなあ、と
誤魔化してみても、根性なしなことには、変わりない。
うーん、まあしょうがないか。
へろへろなまま行っても、いいことなんかひとつもないから。

というわけで、今日はどうにか別のセミナーに行って。
気がついたらけっこう久しぶりのセミナーだった気がして、
改めて反省。
のんびりするにも、程があるので。
書類書きと、実際の行動と、ちゃんと両立させなくちゃならない。

今日行ったところは、出身が同じ人が多く来ていて、びっくりした。
隣の女の子が、同じ学部だったことを知り、すごい偶然。
ちょっと雰囲気の変わっている(悪い意味ではない)子で、
うちの大学には珍しいなあと思った。
なにせ、リクルートスーツらしからぬ、格子柄のスーツを着ていて、
インパクト大だった。(会場ではひとりだけ)
面接ではないから、そういう格好をしてきただけかもしれないけれども。
書類を手渡ししてくれる時に、すごく乱暴に書類を渡してくれるので、
天邪鬼な私は、大きめな声で「ありがとう」と言ったのだけど、
すごく変な顔をされ、ぷいっと顔を背けられてしまった。
何もしとらんのに、そこまで嫌われたかいっ。(苦笑)
ライバルにはならないから、安心してくれてもいいんだけどな。

そのせいってわけじゃないけど、興味半分で見学に行ったセミナーで、
まわりの様子を見て、つくづく受けるのは無理だなあって思った。
財務や不動産管理や法務、マーケティングにコンサルティング。
そういうのは、完全に専門職みたいなものだから。
つくづく、見えない力ではねのけられている気がしてくる。
被害妄想じゃないと思うんだなー。
れっきとした現実。
はじめから、「文系事務を求めていますが文学部は要りません」と
某マヨネーズ会社のように、書いてくれればいいのに。
混乱するじゃない?



場所が新宿だったので、
「そうだ、茶語に行こう!」と意気込むも、
思いっきり迷い、西口から南口に抜けられず、
けっきょく出たところがいつも使う東口だったので、
以前行ったパスタガーデンでお昼を食べてから、
マイシティの山下書店に寄ってみる。
すごい偶然。
何年も前に出ていて、いまはどこを探しても見つからなかった
山田ユギ(当時は漢字だな)さんのコミックを見つける。
『キビしいのである。』
奥付を見たら、なんと第2版。(初版は1997年12月)
約3年ぶりじゃないか。
ユギさん、他社じゃ随分売れっ子になってるのになー。
マガジン・マガジン…そんなにお金がないんだろうか。
内容は、今より若干荒削りな感じがするけれど、
あのモノローグのよさ、筋張った神経質そうな手とかはそのままで、
久々に萌えた。
このヒトの作品は、嫌いになれる人間がひとりもいない。
たとえ、反目しあってても、それでもどちらも愛しい。
だからはらはらするし、哀しいし、でもすごく響く。
うーん、いいなァ。


なんか無性に甘いものが書きたくなって、
今夜もいつもどおり眠れるまで時間がかかりそうだったので、
偶然FMで流れた歌の歌詞に、いちゃいちゃしてるふたりが浮かんで、
勢いのまま、書きなぐった。
あああああ、誤字脱字チェックがっ。(汗)

だが、なんだか自分のために書いてしまった気がする。

「誰に否定されても、どんな欠点や罪があっても、
 アナタはアナタじゃないですか。」

そんなふうに言われたがってる自分が、顔を出してるような気がするのだ。
だから。
悟浄がまるで別人のように乙女化してるのは、
たぶん願望なんだろうね。
ごめん、利用しちゃって。>八戒&悟浄


脱線するけど、否定といえば。
エントリーシートの一部に、
利益なんか関係なく好きなものを…という文章を書いてしまって。
あとで気づいて落ち込んだ。
アウトだ、たぶん。
ふえーっ、一生懸命書いたのに。
(誰でも一生懸命書く、そんなアタリマエのことを…汗)
否定されるよ、とことんつっこまれるよ。
怖い。
だって相手はビジネスなのだ。

でもそれは、私の偽らざる価値観…なんだろうなあ。
否定されても、修正できるとはとても思えない。
失敗というよりも、根本からビジネス向きではないことを、
ただ暴露してしまっただけなんだろう。

2001年03月16日(金)



 眠りについて

眠りが浅すぎて、頭痛がとれない。
3時間もしないうちに、母が階下でたてた食器の物音(5時よ、5時)に
起きてしまう。
肝心の本人は、その後気持ちよさそーに寝てる。(むかっ)
起こされたあたしは眠れないでいるのに。

頭の処理能力が低いのか、ちょっとの情報でも回線がパンクする。
いっぺんに2つも書類の長いやつを書いたら、
頭がピコピコいまも電子音が聞こえそうなふうに、動いてる気がする。
ダ、ダメだ。
眠いはずなのに、(進みが悪いのでいつも〆切直前は修羅場)
眠れないのは、ある意味、辛い。

他人の家で眠れないだけじゃなく、
自宅でもやっぱり眠りが浅い。
寝入るのにも余裕で3時間くらいかかるときもある。
そのぶん、すっきりできる睡眠時間は、ほんとはすごく長く必要で。
でも実際はそんなに眠れなくなってしまったから
常に眠いような気がしてしまう。
単にやる気が無いんだ、たるんでるんだと言われてしまいがちだけど。
高校時代なんて、眠れるときは7時間以上は寝てたからなー。

あ〜あ、3分で寝入れてしまう特技があればなあ。
友人にはこのタイプが多いので、うらやましくなる。
眠るのってある意味快楽だもの。
できれば気持ちよく眠りたいし、目覚めたい。
起きてもかえって頭痛いなんて、ちょっと損した気分だ。

2001年03月15日(木)



 My Way

昔のFMを録音していたMDを手当たり次第かけていたら、
1999年末の21世紀に伝えたい100曲をカウントダウンする企画で、フランク・シナトラのMy Wayが入ってた。
久しぶりに聴いた。
独特なうたい方は賛否両論あるだろうが、歌詞がしみじみしててけっこう好きな曲だ。

フランク・シナトラがまだ元気だった頃に、3大テナーの競演と称された豪華なコンサートがアメリカであって。
彼も招かれてて、VIP席にいたの。
そのシナトラの前で、3人がこの曲を歌った。
今でも思い出す。
ホセ・カレーラス(3人のなかでは一番好きなテノール歌手)が
とりわけ情感たっぷりに歌い上げていた。
この人は、名声をほしいままにしていた時代に白血病を患い、そこからもう一度這い上がったという強い人で、だからこそこの曲への思いは深かったんだろう。
カレーラスの声は、全盛期ほどではないし、
奇跡のテノールと称されるパヴァロッティと比べれば、技術的には劣ってしまうのだろうけど、感性という点で言えば、彼のうたい方はとにかくずば抜けていた。
表情もなんと豊かだったこと。

老いたシナトラは、しわくちゃの額に手を上げて、じっと感慨深げに聴き入っていた。
人生の最後を自分が歌った名曲が、自分に対して尊敬をこめて捧げられる、ふしぎな感じだったんだろうね。
しまいには涙ぐんでいたっけ。

シナトラが亡くなってけっこう経つけど、いまだにあのときの歌が忘れられない。
シナトラのMy Wayじゃなくて、
私にとっては、3人の歌として、よみがえる。


余談だけど、My Wayはシド・ヴィシャスのカバーヴァージョンもあるんだよねー。
イントロだけシナトラの真似を大仰にやってみせて、
そこから崩しまくり。
宇宙の彼方までイっちゃってて、けっこう好き。
名曲ってイジられやすいよなあ、としみじみ同情するアレンジになっている。


2001年03月14日(水)



 優先すべきなのは…?

どこかの“普通”の家庭のように、
家族3人で外食をした。
たまーに父の気まぐれで、そんなときがある。
今日はお鮨に釣られて…。(苦笑)
だって最近ナマモノに飢えてたんだもん。

違和感はぬぐえないけど、
まあ父の機嫌が悪くない時は、
私が父に対してぶっきらぼうに接しても、
とりあえず怒らないので、まあいいや。

最近、あえて父としゃべるのをいつも以上に避けてたのは、
就職活動の話をしたくなかったからだった。
それで、「なんだ、俺には話したくないって言うのか、勝手にしろ」
というノリになってたんだけど。
今日はそういうわけにもいかず。
また、車のなかで、母としゃべってたのを父も聞きかじってるわけで。
せざるを得なかった。

ひとつ、一次で(一番最初の面接だった…)落とされた会社の話が出て。
その名前から連想するある店舗は、彼の頭にもあったようだけど、
まさか、同じそのお店を経営する会社とは思ってなかったようで。
案の定、「まさか○○じゃないだろーな?」
と言われた。
別に侮蔑っていうわけじゃないけども、
ただひたすら、そんな無名(では無い…、けっして。ただまあベンチャーかな)
なところに行きたいのか、と。
まさかなあ、という口調だった。
だって入社するころにつぶれてたらどうするんだ、だって。
そりゃ、もっともだけどさ。

父よ、あなたの挙げたような、誰もが知ってる会社なんて、日本にどれだけあると思ってるのよ、まったくの夢物語なのっ。
とっくに尻尾巻いて逃げたのっ!!
お願いだから蒸し返さないで。


父があまりに私以上に夢みたいなことを本気で言ってるから。
それを否定して、現実を説明してるうちに、
自分でも切なくなってしまった。
信じてない、無理だと思ってるつもり、
それでも、改めて無理だと説明するたびに、
よけいにみじめになってしまった。


行きたくない方向へばかり自分を落としてゆく私に対して、
父は、院へ行かないのか、と聞いた。
別にストレートで大学を出なくても、まあいいらしい。
私大へ行ったために、学費のことでよく嫌味を言われてきたので、
思いもかけない提案だった。


でも、学問には向いてない自分もまた、自覚済みだ。
それに文系の(ましてや文学部関係の)院卒はメーカーなどは毛嫌いする。
文系で院へ行く人は、よほどの道楽お嬢様か、いざとなったらなんでもするくらいの覚悟で、その学問をやりたいのか、学問にとってその人がよほど必要とされるくらいに優秀か、それくらいだ。
(これも偏見…でも実際ある程度は当たってるはず)
そして私はそのどれにも当てはまらない。


りょうかさんに、もう投げやりな気分のどん底で、ついつい、毎日切手を貼るくらいの仕事をして暮らすっきゃないのかなあと言ったら、
(職業に貴賎なし、とはわかってる、この発言じたいが偏見に満ちてる…)
「てきとーなのを見つけてケッコンすれば」
とため息混じりにいわれた。
それはもう、つける薬ないなっていう口調でね。

その一瞬だけは、目が覚めた気がしたの。
ダメだ、それじゃあ、って。
でもまだまだ見えない。


いくら院だの他の道だのがあと1年か2年は許されるとしても。
いずれは絶対に生活をとらなくちゃならない。
これから母と祖父母に山と突きつけられるだろう、お見合い写真に、
ノーって言えるためには。
母と同じ轍を踏まないためには。
お金を稼ぐっきゃないのだ。
たぶん、なにを棄てても。
当然の最優先事項…にすべきなんだろう。



2001年03月13日(火)



 お伽話

ほんとうに幸せな物語は、読むほうまで、切ないくらいの幸せで包んでくれる。
自分が、まだ、幸せな物語を愛せること。
そういうやわらかな部分が、あることに驚き、ほんのり嬉しくなる。

いわゆる少女漫画が好きだった。
性善説が根底にあった当時の私は、ヒューマンドラマのような熱いのが
好きだった。
でもいつのまには、あまり読めなくなって。
嘘とご都合主義で塗り固められた物語と
現実との間の溝に気づいてしまってから、
少しずつ捻じ曲がった物語へ、入っていった。

ほんとうにエンターテイメントな作品は、年齢なんか関係ない。
心を揺るがすほど、痛かったり、衝撃的だったりする作品は、
いまでも好き。
たとえばそれは樹なつみの「OZ」だったり、いろいろね。

ただ、もう少し幼くて、だけど、やわらかくてあたたかいものは、
ひねくれた心には受け付けなくなっているような気がした。
たとえば、王子様とお姫様が幸せになりました、みたいな。

でも、そういうものも必要なときがあるのね。
いかにも少女漫画然としているかもしれないけれど、
幸せにしてくれる。
読み終わるまでの束の間。
短い夢を見た。

くすくすって思わず口元がゆるむ、
そんなふうな笑み方が好き。
終わらない幸せなんて現実にはないとわかってはいても、
ありえないことさえも、ありえてしまう気がする。
現実離れしたことだって、ほんとうに実現してしまう気がする。

最後のページ。
本を閉じれば、もうおしまい。
不可能を可能にする物語とは違って。
現実はなにも変わらず、問題が山積み。

逃げてるのかもしれない。
ガキかもしれない。
それでも。
痛い話ばかりじゃ、生きてゆけない。
幸せな話を、ぬくぬくする話がほしい。
もう子供でなくなった今も、やっぱりそう。
お伽話は、必要なの。

2001年03月12日(月)



 天使と月と


突然だけど。

「天使のカレンダー Days of Angels」
  寺門孝之:絵 三枝克之:文
  リトル・モア(←出版社?)
  \1,500(税別)

っていう本があるの。
渋谷のブックファーストに山積みされてたから、ご存知の方も多そう。
で、以前に立ち読みして、可愛いなーって思ってたわけなのだけど。
(でもちょっと私には内容がピュアすぎて…(苦笑))

そうしたら。
今日、「王様のブランチ」で紹介されてて、読みたいと思った本の作者が、なんとこの「天使のカレンダー」の文を担当してる三枝さんだったのだ。
はっきり言って、名前までは覚えちゃいなかった。
でも、ネットで検索してみたら、なんとこの本が出てきたの。
好きだなあ、こういう偶然って。
もうないと思ってたドロップの缶の底に、実はお気に入りの味のやつが
ひとつだけ、くっついてたみたいな。
「蛍の墓」じゃあるまいし、古いなァ、この例えも。(笑)

『月のオデッセイ』という本はね、
月がね、遺跡とか世界中を旅する内容らしい。
写真がすごく綺麗。
テレビ画面からちょっと垣間見ただけでも、
写真のなかの月はとても大きくて、神秘的で、
手を伸ばせば触れられそうなくらいだった。
写真のあいだには、三枝さんの文章が入ってるんだって。
世界各地の月にまつわるお話が載ってるんだそう。

きっと本屋さんは、いちはやくコーナーをつくるんじゃないかなあ。
私ならつくる。
癒し系ブームはまだまだ根強いから。
探してみようっと。


ところで。
ビジュアルの本で他に最近インパクトが強かったのは、
毎日新聞社刊の『暗殺の瞬間』という写真集。
かなりエグイけども、そのぶんだけ、自分は生きてちゃんと動いてるんだなあって思うはず。
残酷なものを見たいと人間が思うのは、
基本的に、それで自分のなかにも同じように真っ赤な血が流れてるんだなあって
知りたい、確かめたい欲求から、かもしれないなあと思う。

だから。
隠すより見せればいいのさ。
バトル・ロワイヤルをR指定なんかする前に。
残酷映像だろうが、暴力シーンだろうが、性交だろうが。
カラダの中がどうなってるか、内臓がどんなふうに詰まってるのか、
興味がない人はそれでいいし、(無理に見せるのだって暴力だ)
見たい人には、ごく自然にアクセスできるようにすればいいのに。


でも、たまにいるおじさん。
朝のラッシュ時に、電車のなかで女性のヌードがばーんと載ってるスポーツ新聞をこっち側にロコツに向けるのは、ちょっとやめてほしいんだけどなー。

2001年03月11日(日)



 11日閉館


明日、閉館だそうですね。
渋谷の隠れた名所、五島プラネタリウム。
一年前でしょうか。
財政難で閉館する予定だと聞いて、それから一度は行こうと思いながら、
一度も行くことなく、とうとう明日が来ます。

あのレトロさが好きでした。
ほとんどのプラネタリウムが、録音したテープを流し、
空の浮かぶ星座もテンプレートみたいにすでに形になっているような
そんな時代に。
あそこは、狭い空間のなか、おじさんやおばさんが、のんびりとしゃべりながら、
光のペンで、空を指差すんです。
のんびり、寝転がりながら、あまり立派じゃない空を見るんです。
ほんの少し、現実を忘れて、旅立てる時間が訪れる。

今はもう、渋谷のど真ん中、あんな空は見えない。
でも、あそこで私が見たのは。
ホンモノじゃないかもしれないけれど、
確かにそれは、ひとつの、空、だった。

建物を現実と同じく増やすとね、星空が見えなくなるから、
だからあえて今も、昭和初期の渋谷の街なんです、と話してくれた、
あのときの男性のナレーター。
すぐ後ろで、ぼそぼそとマイクでしゃべっていましたね。
あの、アナログさが、
そのまま、昔のあたたかさ、のような気がしました。

あの場所が、なくなるんですね。
全国にたくさん、プラネタリウムなんてあるのに。
代えられるものではない、そんな気がして。
なにか、淋しいのです。

財政難、だというのが、なおさらに哀しい。
そういうせちがらさを忘れさせてくれる場所であっただけに、
資本主義のなかで、淘汰されることが、ほんのり苦い。

でも、いちばん苦いのは、いつでも、いつまでも、在ると思っていた自分。
そうして足を運ばなくなった人が、けっきょくは財政難を招いたわけで。

いつまでも変わらずにそこに在るとは限らない、たくさんのもの。
喪う前に、しっかり握り締めておかなくては。


2001年03月10日(土)



 身近な光景

最近興味を持った出来事・印象深かった出来事を書け…だってさ。

(ぶつぶつ)

事件がいっぱい頭のなかに浮かんだ。
いくらザルみたいなノーミソをしてて、ニュースに疎くても、
やっぱり、こういうふうに聞かれると、
いっぱしにオトナぶって(年齢のことじゃなく)
社会問題なるもんを書かなくっちゃならないような気がしてしまう。

でも、気になったことなら、たぶんもっと些細なことのほうが、ほんとうは
わたしらしい。


3月1日。
会社資料が配布されているのを取りに池袋へ行って。
昼間だったのだけど、
眠っているひとりと一匹を見た。
よりそって、頭を互い違いにして、眠っていた。

駅からのびる地下道から直接ビルへ上がってゆける
その階段の、踊り場。
私はしばらくそこから動けなかった。


それから今日は。
新宿駅のアルタ前で、日本共産党の女性候補だかが
がなりたてていた。

昨日は北海道にいたんです、と話は始まり。

「むこうでは、ホームレスの人たちが、テントを張って、
マイナス10度とかでも生きようと必死に頑張っていました
眠っちゃいけないんです、歩いていないと死んでしまうから
そんな状況に、この日本を誰がしたんでしょう…」

…うんぬん。
わざとらしくもあり、うるさくもあり、
別にこのヒトにはなにも感動なんざしなかったけれども。
(そもそもわたしはあまり政治が好きではない)


夕食を食べて、外に出ると、雪が降りはじめていた。
芯のある雪だった。
千葉の奥地は、すでにけっこう積もっていて。
茨城のほうでは除雪作業が必要だったとかで、
帰り道のJRのダイヤは大幅に乱れ、本来なら30分のところを1時間以上も
電車のなかに閉じ込められた。
青痣ができるくらいに、誰かの肘が当たったり。
後ろのおじさんの痴漢行為にむかついたり。
まあ。
それでも。
非人間的すぎるあのラッシュと、殺人的と言われる都心への遠距離ぶりとを考えても。

私はとりあえず、あたたかい布団で、襲われる心配をすることもなく、
眠ることができる。

唐突に、家を売らずに済むに生きたいなどという考えが浮かぶ。
もしも。
お腹をすかせて家のなかでうずくまっているのと、
帰る家のないかわりにどうにか食べるものがある状況と、
どっちかを選ぶなら、
前者がいい…かな。
なんとなく、だけども。
眠れる場所が、ほしいから。
もっとも、お腹がすきすぎると、眠れないものではあるけれど。


3月1日は、わりと暖かかった。
スプリングコートを着ていたら、汗ばむくらいに。
だが、毛布もなく直にコンクリートの上に横たわっていた彼、
それと犬一匹は。
今夜は、どこで眠っているんだろう。


誰の上にも、朝が…来ますように。


2001年03月07日(水)



 最後のタコ分析メールかな。


まだたまに日記をちゃんと読んでくれてる人もいるようなのに、
しつこいネタでごめん。
もはや、ここは自分のメモ帳になってるんで。(笑)


その人とのつながり方の違いで、タコ分析の中身もずいぶん違ってくる。
彼女とは、わりと浅めの付き合いなので、
そのぶん、私の悪いところ(浅く付き合うとどんなふうに受け止められるか)がちゃんといっぱい見えているから、参考になる。
世の中の大部分のひととは、私は浅く付き合ってゆくわけなんだから、
いくら仲のよい好意的な友人には認められても、
こういう声のほうが、実は重視しなくちゃならない気もする。


■第一印象
実はこれが一番難しい質問かもしれない。
微妙に記憶が入り組んでいるからねぇ。
ただ、初期のrikoという感じで言わせてもらうならば
おとなしい人だな、と。
口数が少なかったからどんな人か推測できなかったし。
だから必然的に外見とかしぐさで中身を想像してた。
その結果どっちかって言えばひっぱられたり、受身が
多い人ではないかと思った次第です。
 

■話してるときの印象
唐突だけど最近変わってきたよね。
昔はほんとに聞き手になることが多かったし、自分のことを
話す時には自信なさげだったことが多かったと思う。
わかっているけどどうしよう、みたいな感じかな。
頭で考えてそれで一杯一杯になっていて、行動になかなか
移せないことがもどかしいのかなって思っていた。
だからこっちとしてもアドバイスするような感じになって
上下関係じゃないけれど妹みたいな感じを持っていたのは事実。
今は週に1回しか会っていなかったわけだし、以前ほど深い話を
しているわけでもないけれど前よりは言いたいことを自分の言葉で
いえるようになったような気がする。
それに最近話している時にはちゃんとがんばったり考えたり
しているんだなってわかる。
一生懸命しゃべるほうだし、やっぱりにじみ出る人格みたいなのは
伝わってくるから印象は悪くないよ。
ただ就職の面接を想定してちょっと付け加えさせてもらうとするなら
もっと声を出した方がいいと思うし、焦っていろいろ言おうとして逆に
混乱しちゃうところはもう少し落ち着いたほうがいいかもしれない。
あ〜、あと最近は少なくなってきたけどなんか弁解するような
口調が少なくないような気もするんで、それは面接で気をつけたほうが
いいと思うよ。ちょっと自信なさげに見えちゃうし。


■イメージ
周りと自分の働きかけ次第でどこまでも変わっていけるような
今はまだ硬い花のつぼみってとこかな。(笑)
なんか変な表現だけれど、でも高い能力とステキな人間性を
持っているとは思うから。
おとなしめに見えるのは仕方ないし、でもその印象はどうせ
変えられるものなんだから。


■長所、短所
長所:素直なところ、努力ができるところ。
短所:自分から色々とかかえこむところ、自分から行動することが少ないところ。
ただ、長所と短所は表裏一体なもんだからねぇ。
例えば自分から行動することが少ないって言われたとしても、他の人を
尊重しグループの協調というものに気を配れるとも言えるし。
短所を短所と思わせないようにうまく書いておくれ。(笑)


■合いそうな仕事
こつこつやったり、いろんな人と協力しながらやっていくことは
合っているような気がする。
むしろ合わなそうな仕事だけど、ノルマに追われたりする営業とか
自分の発案とか企画を重要視されるようなとこはつらいかも。
多分できなかったときにものすごいストレスを感じてしまうんじゃない??
それで余計に苦しいほうに流れていってしまうような気がするんだよね。


■一緒に仕事がしたいかどうか、その理由は?
やる仕事によると思う。
あたしは教育業界の就活しかしていないから、他の業界を想像することは
なかなかできないんだけど。
ただ教育業界で言うとしたら事務業務とか教材作成とか、生徒のケアとかを
一緒にしたいと思えるような相手ではあると思う。
一方で例えば教室の運営とか、よりよい教育方法を考えていく立場のときとかは
どうなるかわかんない。
一緒に協力する仕事ではうまくできそうだけど、がんがん自分から
働きかけていく場ではrikoが耐えられるのかどうかわかんないから。

おわり


最後の文章の、自分で発案してゆくこととか、率先して動くこととか。
きっときっと、できない…と思う。
でも、たいがいの企業の総合職は、もちろんそういう能力が要求される。
そしてまた、私自身、クリエイティブな仕事がしたいという気持ちも、なぜかある。

だが。
そのために不可欠な、自分から働きかけてゆく場で、はたして私が耐えられるのか。

この彼女からの問いかけは、いまの私自身が自分に問いかけてるもの。
答えはほんとうはすでに出ているような気もする。
無理だ、無理だ、という声がしていて。
いまのところ、まだ受け入れきれていない感覚。

体力がなくて、我は強いけど、でも地道にこつこつ与えられた仕事をやるしか能がなくて、それでもひとりで生きてゆこうとしたら…?


先日、電車のなかで中学時代の友人に数年ぶりに会った。
彼女は、自分には何かを創出したり、自分から働きかけたりすることができないタイプだから、こつこつ努力することでしか仕事はできないから、と自己分析をしていた。
だから当然一般職狙いよ、と言うのを聞いて、私は耳が痛かった。
結婚するから、一流企業なら一般職でOKよ、という別の友人の声には、
まったく揺らされなかったのに。
これは、効いた。
また迷いだしてしまった。

彼女はすごく努力家で、生真面目が服着て歩いてるような人だ。
努力するし、私より体力だってある。
平安時代とか、マンガとかが好きで、国文科に行ったのだけど、
それなら例えば出版とか考えないの?って聞いたら、
「私には無理に決まってるじゃない」…だってさ。

性格は全然違うけど、(っていうか、私よりはるかに積極的だし、気も強い)
向いてる仕事という意味では私と似ているだろう彼女が、
迷いもなく、そう言い放ったのだ。

人は人、私は私、とは言い切れなかった。
たいした考えもポリシーもなく、それなのに漠然と総合職だとかいまだに本に携わりたいな、とか言ってる自分が、いかに無謀か、思い知らされたようだった。
そうやって自分自身が、能力を信じきれないのに、
私のナニを信じてくれ、ってアピールできるだろう。
ちくしょーっ。


時間をかけていいんだよ、ちゃんと悩みなさい、という周囲の声が。
頭ではわかっていても、
体にはちっとも染み込んでこなくて、それが辛い。

2001年03月06日(火)



 迷い

もう今日になってしまった。
諦めるか、無理矢理にでも出すか。
出しても無駄だと思い知っているのに
それでも…?

一日一日、締め切られてゆく。
迷うことは…許されない。
実際、いくつものチャンスを見送ってしまった。
あとから悔いてもどうしようもない。

書けない。
からっぽでなにも書くことがない。
日記の更新が怒涛のようにあったのは、
思いっきり現実逃避してしまったせい。
ずるずると先延ばしにしてきた、そのつけが溜まりに溜まってる。
だって。
私のアンテナは、四方八方になんて張られてはいない。
そんなくそまじめな人間には、面白い文章なんて書けるわけない。
それなら開き直って自分の好きなようにお絵かきしちゃえばいいのに。
そうなはず…なんだけど。

こんなところまできて、まだ恥をかきたくない自分ってなんだろ。
玉砕するのと、諦めるのと。
いつかどこかでたしかにした、この話。
私は玉砕が苦手だ。


昨日の流通大手の説明会。
ぐさりとくる言葉を言われた。
「大学まで出て、鮮魚売り場で魚さばきたくないですか?」
…答えは、ひそかにYESだった。
苦く苦くかみしめた。
どうか御社で魚さばかせてくださいって頭下げたって、無理なくらいなのに。
なに考えてるんだか。

見苦しい。
はやく捨てろ、根拠のない見栄もちっぽけなプライドも。
仕事は仕事、選べるような身分だと思うな。
くーっ、でもじんわりと悔しい。
まだ…捨てたくない…らしい。
どんなにちっぽけでも、このプライドをなくしたら
どうなってしまうんだろ。

2001年03月05日(月)



 プリントアウトして


夢をみた。
言葉が消えてゆく夢。
これまでのすべてが、ぜんぶ消えてゆく夢。

バックアップとってないんだなあ、そういえば。

思い立って、大切なメールをいくつか読み返す。
それから、プリントアウトして、もう一度。

しばらく読み返せないままでいた、1通のメールがあって。
だけど、読み返してみたら、なにがそんなの辛かったんだろうと思う。
確かに辛らつな部分はあれど、すべて心に響く、たしかな言葉なのに。
だから…か。
そう、たぶんそのときには痛すぎるんだった。
でも今日はもうすこし冷静に読めた。

誰も言ってはくれないこと。
きついけれど、的確な指摘。
言われなくなったら…と想像する。
そのときはきっと、本当の意味で見棄てられたんだなあと思う。
その日はいつか来るだろうけど、
それが少しでも遅いといいな、と。
とにかく自分から先には諦めないようにしないと。


そのメールとは別の、随分昔のあるメールを読んでいて、
私がしばらくサイト冬眠状態にある理由のひとつを、
ふと悟らされた。

慰められたり、励まされたり、そういうふうに
自分がまだまわりの人にとって必要だと認めて欲しいという気持ちが
私のなかではとても強い。
子供が、妹や弟ができると、悪い子になって親の気をひくみたいに。
ただその欲求を表面上は押さえつけてはいるだけで、
本質はそういう子供なところが確かにある。
しかも、隠すのがまた下手なので、けっこうわかりやすい。(苦笑)

で、BBSには。
やさしい言葉とか、はっとする言葉が、書き込まれる。
でもさ、その都度嬉しがってると、
けっきょくは、自慰行為みたいなもので。
…そこで止まってしまうんだよね。
ただ、厳しい言葉だけで伸びてゆけるかというと、
そうではなくて、落ち込むだけだったりもするから、
そのバランスが難しい。
ときどきは、甘やかされたいってやっぱり思うしね。

だから、私はBBSにいま頼ってしまう自分が、たぶん怖いんだと思う。
メールとはまた違って、あまり考えずにレスしちゃうから、よけいにね。
自分自身が、甘えちゃって、困るという意味。

そんなわけで、今日、BBSのリンクを一時外した。
無責任な放置状態もよくないし。
でもサイトがある限り、絶対にBBSはなくさないって息巻いてた
開設当時の自分を思い出すとちょっと苦笑い。
コミュニケーションを放棄したつもりはないんだけど。(イイワケっぽい)
最近の自分は、コミュニケーションっていうより、
慰めてってひたすらすり寄ってしまいそうで、気持ち悪いからなあ。
自分で書いてても、やっぱりブキミで情けない…。

2001年03月04日(日)



 広告の好き嫌い

自分がなにを好きで、なにを好きじゃないのか。
ちいさなことでも、実はけっこう本質をあらわしてる気がするのが、
私にとっては、広告の好き嫌い。

この広告はなんかすごくムカっとくる、とか。
逆になごむなあとか。
巧すぎる…とうなるけど、でもなんかはめられてる気がするとか。
テレビをつけっぱなしにしてたり、
ラジオをなんとなく流していると、いろんなことを考える。
(怠惰な生活)

たとえば。
嫌いな広告は、ちょっと前のプレステの一連のTVCM。
すべて、とは言わないが、ブラックすぎ。
痛い気持ちになる。
それが目的なのだろうから私がとやかく言うことではないけど、
ただ好き嫌いという意味でなら、あまり見たくはない。
人を痛めつけて、ワラウ、ということが嫌いな自分を自覚させられる。
別に偽善者ぶってるつもりはないんだけど、
嫌いなんだからしかたがない。


巧すぎるけどはめられてる気がする広告。
もろ、最近のユニクロのTVCM。
お習字書くやつ、あるでしょ?
ジーンズ着て、筆もって、半紙ととのえて、
(この間ずっと沈黙→やけに注目させられる)
おもむろになにか書き始める
その瞬間に切り替わる。
あの…シリーズで共通してる画面、
「ユニクロのジーンズ2900円(で合ってたっけ?)」というやつに。
結果、お習字でなにを書いたのか、わからないまま。(笑)

最初見たときはすっかり思惑にはめられた。
ああもう、しっかり注目しちゃったじゃないか。
ファーストリテイリングは、ブランド戦略があまりに上手すぎるんだよねえ。
6年前にはすでに近所にユニクロがあって、
でもほとんど注目していなかった。
モノも悪かったし、デザインがやばかった。
そしてなにより、安さばかりが全面に出ていて、
ブランドイメージがまったくできてなかったんだろう。
でもいまは。
うちにあのフリースがいったい何枚あるんだ?
母がすっかりはめられて、冬のホームウェアとして定着しとるやん。
ああ、怖いこと。
リテールビジネスはお客様とのやりとりが大切っていうが、
やっぱりそれよりも、マスコミを通した広報活動の影響のほうが
大きいことは言うまでもない。
現場にいる“ひとり”の力ってなんだろう、と考えてしまうなあ。


好きな広告についてのサイトのひとつ。
誰もが知ってる(?)AC(公共広告機構)のHP。
ここの広告には好きな作品がいっぱいあって。

たとえば。ラジオCM。
これはラジオCMしか流れてなかったはずが、
のちにTVCMにもなったような。
違ったらごめん。
好評だったからかなあ。
私が好きなのは、画像のわざとらしさのない
音だけの表現のほうだけど。

♪BGMが流れつつ…

「ボランティアってたいへんなことだって
 ついつい構えてしまうことあるよね?
 でも車椅子の人のためにエレベーターのボタンを押したり、
 お年よりのかわりにバスの降車ボタンを押したり。
 ね?
 人差し指一本でできるボランティアもあります。」

♪AC〜公共広告機構です

という作品。
HPで実際に聞くことができる。
久しぶりに聞いたなあ。

もっとも、ありがちだよなあというのが最初の印象だった。
でもね、わざとらしさがあまりないんだ。
下條アトムさんのナレーションだからか、ごく自然。
だから、何度か聞いても、飽きない。
むしろ、つい手を止めて、耳を傾けてしまう。
それはきっと、文章が練れてるからかなあって思う。
指でも手でもダメなの。
“人差し指一本”という表現だから、心に響くんだと思う。
日本の言葉って、綺麗だよねえ。
―人を指す指。
(指しちゃいけないんだけどさ)
しみじみ。
「中指一本」じゃあ、あまり綺麗じゃないもんね。(笑)


ACの広告のなかで。
もう2年前になってしまうけれど、特に印象深いものがある。
単純になんとなく好きか嫌いか、という問題を越えて、
とても興味深い作品だった。

(以下は、サイトから引用させてもらいました。)


NA    臓器提供意思表示カード、持ってますか。

高山さん 倅が先にカード持ってたんですよ。
    そしたら、親が持たないわけには行かないですからね。
    いいことして死ねるって…。やっちゃおうって…。

NA    臓器移植、あなたはどう考えますか。

高山さん 私は、臓器を提供します。

NA    臓器提供意思表示カード。
     あなたの意思を携帯してください。

尾上さん お母さんは、ダメって言うんですよ。
    だから今のところは、「臓器を提供しません」に
    マルをつけてます。もっと理解したりして…。

NA    臓器移植、あなたはどう考えますか。

尾上さん 私は、臓器を提供しません。

NA    臓器提供意思表示カード。
     あなたの意思を携帯してください。

♪AC〜公共広告機構です。


私は、恥ずかしながら、このラジオCMで、はじめて意思表示カードを持つことで提供しない意思を表示できることを知った。
私がなによりこのCMに惹かれるのは、
「臓器を提供してください」というメッセージを全面に出していないこと。
つまり、臓器を提供しない側の声があること。

このCM…実ははじめはやらせかなあと思っていた。
この尾上さん、高山さんは、台本を読まされているのだと。
だが、実際は違っていて、この意思も言葉も、すべて本人の生の声だという。
登場してくれる人物選びにずいぶん苦労したと制作サイドのコメントがのっていたが、それだけに強いものに仕上がっていると思う。
私のなかでは、いまだに忘れられない広告のひとつだ。

ちなみに、公共広告機構のアドレスはここ。
過去の作品を聞いたり見たりできて、興味のある人間にとってはとても便利。

http://www.inter.co.jp/ac/



広告は、いちばん短い手紙のひとつだと思う。
誰が見るかわからないけど、
より多くの人により強くこのメッセージを届けたい。
そんな気持ちがこもっている。
でなければ、誰も目もくれない。

公共性の高いCMに限らず、その商品を買って欲しいという営利目的だって、
私は作品として完成度の高いものはあると思う。
広告を否定的にとらえる人も多いけど。
実際にそういう品のない広告は、
結果的には売上をダウンさせるだけだと思う。
ほんとうに商品に自信があって、
より多くの人に使う幸せを届けたいから買って欲しいと訴えるものは、
広告にも力がある。
そういうものじゃないかなあ。


余談だけど。
広告業界ってなぜあんなに人気があるんだろう。
(注:私は志望してない。)
広告業界志望のOBの就職活動の話をたまたま聞く機会があって、
いわゆるクリエイティブテストの話題では
ひえーっって怯えてしまった。(笑)
たとえば目の前で突然きゅうりのキャッチコピーをつくれ、とか。
なにかを生み出すってつくづく大変。
私なら、頭の中まっしろになるなあ。
そうして怖気づいてどんどん感性勝負の仕事から離れてゆく自分。
でも自覚することも大切なはずさ。
クリエイティブよりは、たぶんこつこつ地味に生きるほうが
合ってるんだと思うもん。
…好きじゃなくても、適性はたしかにそっち向き…のはず。


ああ、早く割り切らなければ間に合わない。
可能性の薄いものは片っ端から切ってゆかねば。
そう思うのになかなか切れないのは、ただの未練。
感傷。
そんなの似ても焼いても喰えん。
夢がないと厳しいといつかの日記に書いたけど、
でもそれじゃあ生きてはいかれない。
ほんとに、選ぶって、切るって、なんて難しいんだろ。


日記には感じていることをこうしてそこそこ素直に書けるのに、
エントリーシートだったり、ましてや面接だったりすると、
なぜ私のなかはからっぽになるんだろう。
感じていない、なーんにも考えていない、
ただの肉の塊になったような気がして、途方にくれる。
ひたすら掘り出してもなにもない、という気がする。

だから、私には書く場所が必要だ。
体裁を気にせず、ただ吐き出せる場所。
考えを練った上で書くんじゃなく、
書きながら自分が少しだけ見えてくるような、そういうプロセスを踏める場所が。
自分のなかだけで書けばいいんだろうけど、
私は誰かに伝えたい気持ちが強いらしくて、
やっぱりこういうカタチをとってしまう。

思いついたときに、思ったことを。
そうして、カタチにしておくことで、
たぶん、流れてしまういろんな自分を、とどめておこうとしてるのかもしれない。
感じて、考えて、そうして生きてるんだという実感がほしいんだろうな。


ところでなぜこんなにも途中から方向がずれる、日記よ。
まあ、広告のことだけのエッセイなら、日記じゃないしな。
実際いまはなにを考えてもそっちに結びついてしまう時期。
あえて触れないのはむしろ不自然だもん。

2001年03月03日(土)



 生き別れの兄弟?

こげぱんって知ってます?
ごく最近知った私なんですが。

>ああ、この前ね、rikoによく似たキャラを発見したの。
>「こげぱん」
>たぶんご存知だと思うのだけど。
>むっちゃ可愛いわよね……。
>……怒っちゃやあよ?

というメールを友人からもらいました。

ええ。たしかに似てますねー。
別の友達からも言われたことがあります。
あとは、別な「ぶるぶるたいむ」というキャラも似てるって言われるなあ。
こちらは、ひたすらふるえてる犬でございます。(笑)
どちらも、私自身、ポストカードを見かけたとき、
生き別れた双子の兄弟かと思いました。(笑)

「こげぱん」は「たれぱんだ」と同じ会社に属するキャラクターです。
でも、たれぱんだのふわふわっぷりとは対照的に
とってもいじけキャラです。


「こげてしまったためにやさぐれてしまったぱん。それが『こげぱん』。そのため「どうせすてるんでしょ」を決めぜりふとした、後ろむきな発言をしてしまう。おかしなキャラクターです。」

という説明がこげぱん学に書いてあります。(引用させていただきました)


ちなみに、ミルクを飲んで酔っ払うんです。
たまーに励ましたり前向きになったり頑張ったりもするんですが、
たとえば人気者の「いちごぱん」が羨ましくてひそかになれないかなーなんて思ってる、中途半端なやさぐれっぷりが、笑えるようで、笑えないです。
だって、身につまされるほどそっくりなんだもーん。


↓公式HPです。もしお暇でしたら、会いに行ってみて下さいね。
たまには子供にかえるのもいいかもしれないです。

http://www.san-x.co.jp/chara/pan/pan.html


実際、私自身それどころじゃないときに、こうして逃避行動をとっています。
逃亡中。
探さないでください…(苦笑)

2001年03月02日(金)



 雑記

久和ひとみさん急逝というニュースが入ってきて。
私は、最近テレ東に復活してくれて、けっこう嬉しかっただけに、
(そのくせ最近見てなくて降板を知らなかった)
驚いたし、わからないんだなあって思った。
先のことはほんとうにわからない。
できることは、後悔しない過去をつないでゆく、だけ。
どこで未来が途切れても、悔いのないだけのね。

また別のことなんだけど、
考えないようにしていても、
忍び込んでくる思考があって。
深いところでなにかがカタツムリのスピードで、
動いているような、いないような。
少なくとも、自分について考える
痛いきっかけになっている。
…と思うより、私の関わり方はないのだし。


ところで。
今日は政府系金融機関を訪れた。
見に行っただけ、なのだけど。
民間との違いは如実。
人が違う。
まったく違う。
そして、女性がほっとんどいなかった。
これまでの会社は実力主義・男女平等を強く打ち出している企業だっただけに、女性が半数以上を占めていたが、こちらは顕著に、男性ばかり。
質問の内容も、大学の専門の授業のようだ。
なにもかもが、まったく違う。
笑顔さえ…出ない。
自然と強張る。

自分の肌に感じるもの、
違和感とかを正直に受け止めたい。

乱文失礼。

P.S
BBS放置状態…ほんとごめんなさい。
しばらくこのまま、一方的な垂流しだけになってしまうと思います。
いい加減だったり、その場での揺れ動いて変わりまくる気持ちとかのまま
言葉を交わしてしまいたくないので。
わがままを許してください。


2001年03月01日(木)
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