蹴文修記

2006年01月28日(土) 12人の優しい日本人【ネタバレ注意】

ワウワウ録画してまだ観てないひと、
もしくは観劇を楽しみにしているひと、
ご注意ください。

三谷幸喜の「12人の優しい日本人」をテレビで観た。
なんだかいろんな意味で素晴らしいキャスティングで、
どうなることかと思ったら、そういうことか・・・。

陪審員制度、何年か後に導入されるらしいけれど、
日本人に合った制度だとは思わない。
いままで薄々は感じていたけれど、この劇を観て
改めてそう強く思った。

これはアメリカの裁判制度を元に取り入れるんだよね。
一般市民の意見・判断を法廷に乗せて、より裁判を
開放的なものにしようと。そのほうが民主的だと。

アメリカのモノの考え方。有罪か無罪か、正か負か、
勝ちか負けか、白か黒か。。。
西部劇で正義の味方とされる人物は悪役を射ち殺す。
必ずキスシーンで終わるハリウッド映画。
小田原評定とか金さんなんて許されないからね(笑)
見て見ないフリなんてないから・・・。

スポーツだってそうだ。
はっきりとわかりやすいものが受ける。
野球だってアメフト、バスケットだって、すごく
きっちりしてるよね。曖昧さがない。

そんな考えを日本に持ってきていいのかな?
うまく行くのかな?
情状酌量って言葉は、すごくあいまいだけど日本の
いい文化でもあったりする。時代劇で、悪役も改心
すれば斬られない。島流しにはされるけどもね(笑)

そして、アメリカって個性を重んじていると
思われがちだけど、決してそうじゃない。
国益のためには個性がすべて抑圧される。

個性がないと言われる日本は、戦争に負けてから
劇的な変化が訪れ、いまや個性が氾濫してるよね。

実際の陪審員制度、どう運用されるかなんて知らない
けれど、この劇中で繰り広げられた顛末は、起こり
得ないことではない。

それぞれがそれぞれの個性を持ち、様々な境遇に生き、
多種多様な価値観に沿って生活している。
その皆が評決を下せれば、それはそれで素晴らしいこと。
12人は最後に、ひとつの評決にたどり着く。
でもそれが正しいなんて、誰が言えるんだろう。
違う12人が集まれば、また違う結果になるだろうし。
そんな制度で、人の一生を左右していいんだろうか?

・・・なんて考えると、裁判制度自体が危うくなるか・・・

堂々巡りだな。

もっと、日本人が司法に興味を持たなきゃいけないのは確か。
判決にしか興味がないからね。当事者以外は。
裁判制度を難しいもの、普通の人にはわからないものに
してしまったのは失敗だったと思う。
最近、弁護士がテレビに出るようになって、少しは親近感が
湧くようにはなってきたけれど、そしたら検察の立場は?と。
告発する側と弁護する側が戦うのが裁判だからねぇ。

書いてるうちに、わけわかんなくなってきた・・・
それほど難しい問題なんだろうな。。。
陪審員、やってみたいような、そうでないような。


 < 過去  INDEX  未来 >


しゅう [HOMEPAGE]

My追加