読書の日記 --- READING DIARY
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 蹴りたい田中/田中啓文

『蹴りたい田中』/田中 啓文 (著)
文庫: 365 p ; サイズ(cm): 15 x 11
出版社: 早川書房 ; ISBN: 4150307628 ; (2004/06/10)

内容(「BOOK」データベースより)
第二次大戦下で鬱屈する少年兵たちの、複雑な心象を描破した珠玉作「蹴りたい田中」で第130回茶川賞受賞後、突如消息を絶った伝説の作家・田中啓文。その稀有なる才能を偲んで、幼少時から出奔までの偉大なる生涯を辿る単行本未収録作8篇+αを精選、山田正紀、菅浩江、恩田陸などゆかりの作家・翻訳家・編集者らによる証言、茶川賞受賞時の貴重なインタビュウ「未到の明日に向かって」までを収録した遺稿集。

目次
未到の明日に向かって
地球最大の決戦―終末怪獣エビラビラ登場
トリフィドの日
トリフィド時代
やまだ道―耶麻霊サキの青春
赤い家
地獄八景獣人戯
怨臭の彼方に
蹴りたい田中
吐仏花ン惑星―永遠の森田健作


「くだらないから、そんな本読むなよ!」と言われながら、『蹴りたい田中』を読んだ。馬鹿馬鹿しいと腹が立つが、あんまり馬鹿馬鹿しいと、もう笑うしかない。要するに、茶川賞を受賞したというこの本は、ダジャレのオンパレードなのだ。

でもこれって、SFファン、またはある程度本好きでないと、わからないダジャレもあって、なかなか通な本なのだ。たしかに、馬鹿だなあ〜!とのけぞるくらいの馬鹿馬鹿しさなのだが、単なるオヤジギャグではない。

とんでもないオチなので、結末で脱力するものの、ダジャレに統一性をもたせるために(?)、結構真剣に考えているんだろうなと思えるふしもあり、あまり大声では言いいたくないが、ちょっと感心したりもする。

実際、田中さんという人に、この本をお薦めしたのだが、『蹴りたい田中』というタイトルのギャグさえ通じなかった。ぐえっ!!!

でも、私ひとりでこの馬鹿馬鹿しさを味わっているのも寂しいので、誰かに読んでもらい、その馬鹿馬鹿しさを分かち合いたいと思い、HAVANAの新井さんに無理やり貸した。

にしても、お下劣。エリクソンのファック話も、お下劣と言えばお下劣だけど、あちらはちゃんと「文学」として認められるのに、田中のほうは「くだらない」と言われてしまう。その違いはなんだろう?私には、『蹴りたい田中』も憎めないけどなあ・・・。(^^;

2005年11月30日(水)
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 アムニジアスコープ/スティーヴ・エリクソン

『アムニジアスコープ』/スティーヴ・エリクソン (著), Steve Erickson (原著), 柴田 元幸 (翻訳)
単行本: 262 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 集英社 ; ISBN: 4087734323 ; (2005/08)

出版社 / 著者からの内容紹介
アメリカ最高の幻視作家による〈愛〉の物語。
アメリカ現代文学を代表する作家エリクソンが、近未来、大震災が起きて廃墟と化した幻想的なLAを舞台に、これまで自分が関係してきた女性たちとの記憶を生々しく甦らせ、愛について考察する。



エリクソンの本を読んだ。この本は、「新刊」であって、「新作」ではない。96年くらいに出版されたものだから、もう10年近くたっている。

エリクソンの『黒い時計の旅』は大好きで、先日も復刊されたのを喜んだばかりだけれど、今回の本を読んで、「私はエリクソンが好き」を「私はエリクソンの『黒い時計の旅』が好き」に変更しなくてはならないかな、と思った。

内容紹介にある「幻視作家」って何よ?と思いつつ、何となくわかるつもりでいたけれど、ドラッグか何かやってない?という感じの話って、どうもダメだなあ。それが「幻視」ということなのかしらん?

サンフランシスコで、周りにいる人が皆ドラッグをやっているように見えた時、あるいは、かなり確信的に絶対やってるなと感じた時、非常に恐怖を覚えた。こういう人たちが、こういう小説を書くんだろうなあなんて思ったことを思い出し、エリクソンはロス在住だし、有り得ないことではないだろうなんて、勝手に想像した。だって、やっぱり書かれていることが普通じゃないもの。

「これまで自分が関係してきた女性たちとの記憶を生々しく甦らせ」というのも曲者だ。たしかに生々しいのだが、物は言いようだなと思う。柴田氏の翻訳だから、それなりの品位を保ってはいるけれど。

で、面白くないかというとそうでもなくて、じゃ、面白いのかというとそうも言い切れず・・・、そのあたりは、柴田氏も訳者あとがきで「冗長な部分もあるが、下手に書くことはあっても、力を抜いて書くことはない」などと書いている。一応褒め言葉だ。

話の内容は、これはもう好き嫌い、性に合うかどうかの問題だと思う。こういう(どういう?)小説は、どうもうまく把握できない。というか、書き手が男であることを、ものすごく意識させられる。男の頭の中って、みんなこんななのか?と、今更のように周囲に疑惑の目を向けたくなる。

2005年11月28日(月)
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 ファンタージエン 秘密の図書館/ラルフ・イーザウ

『ファンタージエン 秘密の図書館』/ラルフ・イーザウ (著), 酒寄 進一 (翻訳)
単行本: 512 p ; サイズ(cm): 23
出版社: ソフトバンククリエイティブ ; ISBN: 4797329831 ; (2005/09/29)

出版社 / 著者からの内容紹介
ファンタジーの金字塔「はてしない物語」(岩波書店刊)の世界(ルビ:ファンタージエン)が再び動き出す。ミヒャエル・エンデの秘蔵っ子であり「ネシャン・サーガ」シリーズでも有名なラルフ・イーザウが紡ぐ、「ファンタージエン」の古くて新しい物語。

著者からのコメント
これはちょっとした事件だと思う。ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』といえば、すでにファンタジーの古典といえる。その物語の世界観が、エンデの読者だった若い世代の作家に引き継がれ、エンデが発見した「ファンタージエン」という内なる世界が二十一世紀にふたたびよみがえったからだ。

『はてしない物語』へのオマージュともいえるこのシリーズは、すでにドイツのファンタジー作家、ミステリー作家、歴史小説家など六人の作家がかかわり、将来的には世界各地の作家に参加を呼びかける計画らしい。

このシリーズの勘所は「虚無」との戦いだ。二十五年ほど前、「虚無」にむしばまれた「ファンタージエン」を再生させるため少年バスチアンは内なる世界に旅立った。彼はそこから辛くも生還し、大事なものをこの世界に持ち帰った。しかし四半世紀がたった今、ぼくらは心の中にふたたび「虚無」を抱えるようになっていないだろうか。「虚無」の実体は人によってさまざまだろう。もしかしたら二十五年前よりもことは複雑になっているかもしれない。子ども時代に少年バスチアンとファンタージエンで遊んだ若い作家たちが、「ファンタージエン」の呼び声に応えて、二十一世紀の新たな「虚無」に立ち向かうため敢然と立ちあがったと、そういうイメージでこの「ファンタージエン」シリーズを受け止めてほしい。

日本語版第一作である本書『ファンタージエン-秘密の図書館』は、エンデによってファンタジー作家の道を歩みはじめた、『ネシャン・サーガ』などで知られるラルフ・イーザウによって書かれた。主人公は臆病で引っ込み思案なカール・コンラート・コレアンダーという若者。

『はてしない物語』を読んだことのある人ならすぐにピンとくるだろう。そう、十一月の寒い朝、いじめられっ子のバスチアンが逃げこんだ古本屋、物語の中でバスチアンが『はてしない物語』と出会うことになるあの古本屋の主人だ。『秘密の図書館』は、バスチアンの前にファンタージエンを訪れたカールの冒険物語となる。ある年の十一月、カールは古本屋の求人広告を見て、店をたずねる。その古本屋は巨大な図書館に通じていた。名前は「ファンタージエン図書館」。そこでは刻一刻と貴重な書物が消えていた……。

すでにおわかりと思うが、本書は『はてしない物語』の前史という体裁をとっている。中心のテーマは本が消え虚無に侵されていく図書館をいかに救うかということにあるが、同時に『はてしない物語』という本が生まれたいきさつや、バスチアンによって「シカンダ」と名付けられた魔法の剣や、姿を見えなくする「ゲマルの帯」など重要なアイテムの由来などが、イーザウ流の遊び心満点の解釈で語られる。『はてしない物語』を読んでおくと二倍楽しめる物語であり、本書を読んでから『はてしない物語』を読むと、これまた二倍楽しめるという仕掛けになっている。(あとがきから抜粋)



ラルフ・イーザウの『ファンタージエン 秘密の図書館』を読み終える。「ハリポタ4」の映画を観たせいか、どうしても比較してしまい、これは面白くないなあと思ってしまった。とはいえ、映画を観る前から読んでいたのに、全く興味がわかなかったのだから、けして「ハリポタ」のせいではない。

いろんなファンタジーがあるなかで、個人の好みもあるだろうが、私としては、あまり好みのタイプではない。ラルフ・イーザウは、「ミヒャエル・エンデの秘蔵っ子」ということで期待していたのだが、実際は、エンデには遠く及ばないだろう。

まず、ユーモアがない。ここで笑わせるつもりだな、というのはわかるのだが、全然面白くないので笑えないし、それが繰り返されると、どんどん白けていくのだ。エンデの『はてしない物語』の前の物語という着想はいいと思うが、それが逆に荷が重すぎたのでは?という印象だ。会話も退屈だし、全然面白くなかった。期待はずれ。

2005年11月27日(日)
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 塵よりよみがえり/レイ・ブラッドベリ

『塵よりよみがえり』/レイ・ブラッドベリ (著), Ray Bradbury (原著), 中村 融 (翻訳)
単行本: 237 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 河出書房新社 ; ISBN: 4309203655 ; (2002/10)

内容(「MARC」データベースより)
魔力をもつ一族とひとりの人間の子がひそやかに住む屋敷。そこへ、世界各地に散らばる一族の集う日が今やってくる…名作「集会」にはじまる「一族シリーズ」を集大成した長編。奇妙で美しくて涙する、とても大切な物語。


2005年11月26日(土)
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 ドラゴンランス 魂の戦争 第一部 墜ちた太陽の竜(下)/マーガレット・ワイス&トレイシー・ヒックマン

『ドラゴンランス 魂の戦争(第1部)墜ちた太陽の竜(下)』/マーガレット・ワイス (著), トレイシー・ヒックマン (著), Margaret Weis (原著), Tracy Hickman (原著), 安田 均 (翻訳)
単行本: 271 p ; サイズ(cm): 21 x 15
出版社: アスキー ; ISBN: 4757724675 ; 第1部 巻 (2005/09)

出版社 / 著者からの内容紹介
巨竜ベリルと大緑竜カイアン、ついに来襲! 愛のため我が身をなげうつ人々。魔法が消えた驚くべき理由。謎の暗黒騎士ミーナに対峙した、若きエルフ王の運命は? イギリス・ファンタジーの王様が『指輪物語』『ナルニア国』『ハリー・ポッター』で、オーストラリア・ファンタジーの王様が『デルトラ・クエスト』なら、アメリカン・ファンタジーの王様は、この『ドラゴンランス』世界5千万部シリーズです! 本書はその最終シリーズの第一部完結篇! シリーズ最大の大河ドラマが今ひとつの幕をとじ、新たなる展開を予感させます! ドラゴン、エルフ、騎士、魔法使い、亡霊など多彩な種族や怪物が総登場。葉っぱ一枚ゆるがせにしない、リアルで壮大な"剣と魔法"の世界がここに!!

2005年11月25日(金)
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 きらきら/シンシア・カドハタ

『きらきら』/シンシア・カドハタ (著), 代田亜香子 (翻訳), Cynthia Kadohata
単行本: 207 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 白水社 ; ISBN: 4560047952 ; (2004/10/25)

出版社からのコメント
本書はアメリカ南部ジョージア州に住むある日系家族の強いきずなときびしい生活を描き、全米の感動を呼んだヤングアダルト小説である。著者自身も日系の3世で、デビュー以来、「ニューヨーク・タイムズ」などで新しい世代の日系作家として賞賛を浴びた。  

時代は1960年代の初め、主人公のケイティ・タケシマは、美しくて勇敢で頭のいい姉のリンを心から慕い、何をするにもリンについてまわっていた。両親はアイオワ州でアジア食品の店を営んでいたが、アジア人の少ない州では商売はむつかしく、カツヒサおじさんを頼ってジョージアへ移る。父さんは日本で習得したヒヨコの雌雄鑑定士になり、母さんは鶏肉工場で働くことになった。家族の目標はお金を貯めて自分たちの家を買うこと。そのために両親は寝る間もないほどに働き、2人の姉妹もおやつを食べずに貯金をした。

リンはある日、ケイティに「町の人たちは日本人である母さんを無視している」という。そして、もしケイティをそんなふうに見下す人がいたらわたしが絶対に許さない、とも。貧しいけれどそんな姉のおかげでケイティは幸せだった。だがある日突然、その姉に思いもよらない病魔がおそいかかる。


シンシア・カドハタの『きらきら』は、読まなくてはいけない他の本がたまってきたので、読まずに返そうかと一瞬思ったのだが、返す前に一気読みした。

ああ、これってロイス・アン・ヤマナカみたいだなぁと。日系人の話って、みなこんな感じなんだろうか?なんだか切ない。ハワイに住む日系人であるロイス・アン・ヤマナカの 『ワイルド・ミートとブリー・バーガー』 は大好きで、図書館で借りて読んだあと、探しまくって、やっとBOOK・OFFで手に入れたのだが、あれも切なかった。

ただ、『ワイルド・ミートとブリー・バーガー』の翻訳はともかくとして、今回のシンシア・カドハタの本は、代田亜香子氏の翻訳が、例の金原節っぽくて、やっぱり気にいらなかった(借りる時に気づいていたが、性懲りもなく借りてしまった)。これは原書で読んだほうが絶対に感動するのではないかと思う。この文章ではなんだか白けてしまって、ぐっとこない。テンポもいいし、感動する要素もいっぱいあるのに、もったいない。

日系人が書く小説では、日本語で「ご飯」だとか「酒」や「餅」だとかでなく、「GOHAN」や「SAKE」や「MOCHI」と書かれているのが、ある意味とても新鮮で、また奇妙な感じを受けるのが面白かったりする。音は同じなのに、見た目で印象が全然変わる。だから原書で読んだほうが、そうした面白さも味わえていい。

けれども、日系人の小説に共通して言えるのは、やはり暗いということ。日本から離れざるを得なかった彼らの辛い歴史を、どうしても避けて通れないのだろうなと。それに、人種差別という問題もあるし。日系人に限らず、移民はみなそうなのかもしれないが、どの小説も、とても切ない。

2005年11月22日(火)
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 妖精のキャラバン/ビアトリクス・ポター

『妖精のキャラバン』/ビアトリクス・ポター (著), Beatrix Potter (原著), 久野 暁子 (翻訳)
単行本: 264 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 福音館書店 ; ISBN: 483402525X ; (2000/06)

出版社 / 著者からの内容紹介
あのピーターラビット・シリーズの作者ビアトリクス・ポターが書いた唯一の長編作品がついに日本語に翻訳されて登場です。てんじくねずみのタッペニーは、悪友たちに毛生え薬の実験台にされてしまい、毛がどんどん伸び続けて止まらなくなってしまいます。そこで、ついに町から逃げ出す決心をします。さすらいの旅の途中で、タッペニーは、動物たちの奇妙な巡回サーカスの一座に出会います。その仲間に入れてもらったタッペニーは、一座のみんなと一緒に旅を続けます。旅の途中でのさまざまなエピソードが語られ、次第にこのサーカス一座の秘密が明らかにされていきます。そして、いろんな事件がおきて……。イギリスの田園を舞台に動物たちが繰り広げる愉快で不思議なお話が、ポター独特のユーモラスな口調で語られています。


ビアトリクス・ポターの 『妖精のキャラバン』 は、面白かった。これは、「ハリー・ポッター」や「指輪物語」、「ドラゴンランス」などとは、また全然違うタイプのファンタジーだが、「ピーター・ラビット」の世界を思い浮かべてもらうとわかりやすいだろう。

ネズミやヤマネや白イタチなんかが、「ヘアピンはお使いになるの?」とか、「あたくし、お帽子のふちかがりをしたりして夜が遅いものですから」なんていうセリフを言うのが、何ともおかしい。これは翻訳が合っているのだと思うけれど。

ポターのファンタジーは、「ピーター・ラビット」もそうだが、単にかわいらしい話というわけではない。良くも悪くも厳格なポターの考えと、イギリスの湖水地方の自然を守ろうとする姿勢が表現されたものだから、時にはあっと思うこともある。案外内容の深いファンタジーなのだ。

ちなみに、この本は長編として書かれてはいるが、実際はいくつもの話を繋げた作りになっている。あれやこれやの話を、登場人物(動物)たちがそれぞれの知っている物語として、ほかの登場人物(動物)に話して聞かせるのだ。だから、本体は動物のサーカスのキャラバンの話なのだが、いろいろな話が混じっていて、また楽しい。

2005年11月21日(月)
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 『崖の国物語〈6〉ヴォックスの逆襲/ポール・スチュワート

『崖の国物語〈6〉ヴォックスの逆襲』/ポール・スチュワート (著), クリス・リデル (著), Paul Stewart (原著), Chris Ridell (原著), 唐沢 則幸 (翻訳)
単行本: 533 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: ポプラ社 ; ISBN: 4591086933 ; 6 巻 (2005/07)

カバーより
図書館司書学会の若き司書勲士ルーク・バークウォーターは、偵察飛行の途中事故にあい、とらえられ奴隷にされてしまった。売られた先は最高位学者ヴォックス・ヴァーリクスの館。実権を奪われ酒びたりになったヴォックスのもとで、ルークは崖の国をめぐりさまざまな陰謀がうごめいていることを知る。夜の守護聖団、オオボズシスター、ゴブリン軍。どの勢力も図書館司書学会を憎み、ヴォックスをさげすんでいた。暗殺の危機をのがれたヴォックスが図書館司書学会に持ちかけた「取引」とは─!?運命の「大いなる嵐」が近づき、ますます目が離せない《崖の国物語》感動の第六部!


2005年11月20日(日)
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 いたずら魔女のノシーとマーム(1)秘密の呪文/ケイト・ソーンダズ

『いたずら魔女のノシーとマーム(1)秘密の呪文』/ケイト・ソーンダズ (著), トニー・ロス (原著), Kate Saunders (原著), Tony Ross (原著), 相良 倫子 (翻訳), 陶浪 亜希 (翻訳)
単行本: 173 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 小峰書店 ; ISBN: 4338214015 ; 1 巻 (2005/09)
出版社 / 著者からの内容紹介
魔女の女王を怒らせてしまった、二人の魔女ノシーとマーム。魔女島を100年間追放されることになり、ほうきに乗ってたどり着いたのは人間が住む街。そこで知り合った牧師と見習いのババーコーンにかわいがってもらうことになったのに、そこには魔女より怖い者が……。


2005年11月15日(火)
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 しずかに流れるみどりの川/ユベール・マンガレリ

『しずかに流れるみどりの川』/ユベール・マンガレリ (著), 田久保 麻理 (翻訳)
単行本: 146 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 白水社 ; ISBN: 4560027269 ; (2005/06/28)

出版社からのコメント
静謐な中に不思議な力強さを秘めた中編小説『おわりの雪』(2004年12月刊)は、海外小説としては近年稀にみる大勢の読者を獲得した。刊行以来「ぜひ同じ作者の本を同じ翻訳者で」という声も数多く寄せられるなか、邦訳第二弾として刊行される本書は、児童文学作家として知られていたマンガレリの最初の一般向け小説で、こちらも、主人公の回想でつづられた父と子の物語である。

見渡すかぎりどこまでも「ふしぎな草」が生いしげる、原っぱのまんなかの小さな町。電気も止められてしまうような貧しさの中で寄り添う少年プリモと父親は、裏庭に自生する〈つるばら〉をそだててひと稼ぎしようと夢みる。

親子は、形のふぞろいな百個のびんに植えられたばらを、毎日丁寧に世話をする。水は1日2回。朝、びんを家の外に出し、決まった場所に正確に並べていく。陽が沈んだら、またびんを家の中に入れる。そしてふたりいっしょにいつものお祈り。来る日も来る日も、すべてはひそやかに、そして神聖なまでの厳密さで繰り返されていく。

ばらの世話をする以外の時間、プリモは歩く。ひたすら歩く。歩きながら雨や風、太陽の陽射しに親しみ、まわりの自然と対話しながら科学する。また自由な空想をくりひろげてひとり楽しむ。たとえば、記憶の中のみどり色でしずかだった川を思い浮かべてみたりして……。

そんな父と子のささやかな日常は、ほろ苦いユーモアに彩られながら、一切の装飾を削ぎとった抑制の効いた文体や驚くほど多くを語る著者独特の沈黙の作法によって、切ないほど美しい輝きを放ちだす。


ユベール・マンガレリはフランスの作家だが、これは期待していたものの、ちょっと期待はずれであった。辛いことや、悲しいことは、「淡々と」書かれているのがいいのだが(好みもあるだろうけれど)、これは主人公の少年の不安で悲しい胸の内(ハッピーで楽しいこともあるのだが)が、がんがん伝わってきて、やりきれない。

内容的に救われない話だし、結末も救われない。暗いままで、いや、それまでよりもさらに暗くなって終わるというのは、何ともいいようのない気分だ。しかし、こういうのを「いい」と言わなければいけないんだろうなと、変に思わせてしまうところが、なんとも・・・。

期待はずれというのは、「淡々と」書かれているのだろうと思ったのに、そうではなかったということで、全体的に胸にひっかかる話ではある。良いとか悪いとかで決められる話でもないのだが、その最後は少年にとって、あまりに残酷じゃないのか?と思わずにいられない。うまく言えないのだが、こういう話には、なぜか面と向かえないところがある。



2005年11月14日(月)
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 ハリネズミくんと森のともだち/セルゲイ・G・コズロフ

『ハリネズミくんと森のともだち』/S.G.コズロフ, S.A.オストロフ, 田中 潔
単行本: 133 p ; サイズ(cm): 22
出版社: 岩波書店 ; ISBN: 4001155605 ; (2000/05)
内容(「MARC」データベースより)
長い冬が終わり、ロシアの森に、いっせいに花咲く春がやってきました! 白樺とモミの森に住むハリネズミくんと、小グマやウサギなどの仲間たちがくりひろげる、ゆかいで、ちょっとかわったお話22編。


『ハリネズミくんと森のともだち』は、予想外に良い本だった。面白いというより、「良書」であるといった感じ。

ロシアの森を舞台に、四季を通じての動物たちの姿が描かれているのだが、いかにもロシアっぽく、冬の厳しさや、待ちかねた春の到来などが、いきいきと書かれている。

おおかたのファンタジーは、作者が完璧にファンタジーの世界に入り込めずにいるものが多く、どうも中途半端であるという欲求不満を感じるのだが、これに関しては、作者は見事に想像の世界に入り込んでいると言えるだろうと思う。冬が長く厳しいロシアでは、嫌でも想像を逞しくしていないと、とても暮らしていけないのかも・・・。

もともと、動物が洋服を着ているような話が好きなので(特にハリネズミは贔屓)、それだけでもポイントは高くなるのだが、寓意のない話なら、なお良い。またこの作者の感性が、ちょうど自分に合っていた感じもして、とてもお気に入りの本となった。

かわいらしいばかりではない。最後に木の下敷きになったコグマくんが、瀕死の重傷を負い、死の影と、自然に生きるものの無常さを伝えているところなど、ある種の哲学ではないかとさえ思える。

最終的に「死んだ」とは書いていないので、果たしてコグマくんは死んだのだろうか?と、読んだ子どもたちは心配をするだろう。そうして、誰かがいなくなることの寂しさや辛さを学んでいくのだろうなと思った。

で、本当にコグマくんは死んだのだろうか?もし子どもに聞かれても、私も答えられないし、どんな答えをすればいいのか、わからない。マジに考え込んでしまった。

ちなみにコズロフは、下記の「はりねずみ本」で知られている作家である。

『きりのなかのはりねずみ』 世界傑作絵本シリーズ/ユーリー・ノルシュテイン (著), セルゲイ・コズロフ (著), Yury Norshteyn (原著), Francheska Yarbusova (原著), Sergey Kozlov (原著), こじま ひろこ (翻訳), フランチェスカ・ヤルブーソヴァ
Amazon.co.jp
夕暮れに、はりねずみはこぐまの家へでかけます。ふたりでお茶を飲みながら、星を数えるのです。こぐまの大好きなのいちごのハチミツ煮を持って歩いていく途中、霧に浮かぶ白い馬に心を奪われて、はりねずみは霧の中へと入っていきます。

短編アニメーションの傑作『きりのなかのはりねずみ』をもとに作られた絵本である。監督は、世界的に評価の高いロシアのアニメーション作家ノルシュテイン。児童文学作家セルゲイ・コズロフが物語をつくり、アニメーション美術監督のフランチェスカ・ヤルブーソヴァが絵を描いた本書は、静かで幻想的な1冊となった。第48回産経児童出版文化賞美術賞を受賞するなど評価も高く、韓国版も出版されている。

あたりの分からない中、手探りで進んでいく道は、ノルシュテインが言うようにまさに「人生」。子どもたちは、そのハラハラドキドキを楽しむだろうが、大人はその繊細な世界にしばし日常を忘れるだろう。あらゆる世代を魅了する美しい1冊。(小山由絵)


2005年11月13日(日)
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 オオカミチビ太のわるい子ノート/イアン・ホワイブラウ

『オオカミチビ太のわるい子ノート』/イアン・ホワイブラウ (著), トニー・ロス (著), Ian Whybrow (原著), Tony Ross (原著), 中川 千尋 (翻訳)
単行本: 157 p ; サイズ(cm): 21 x 15
出版社: 講談社 ; ISBN: 4062087960 ; (1997/09)
内容(「MARC」データベースより)
オオカミにとって、わるがしこいのがえらいのに、チビ太は素直でいい子。そこでチビ太は悪い子になるために、おそろし森のずるがしこ大学へ出かけていきました。ワルになりきれない、ほのぼのチビ太のゆかいなお話。


今回図書館で借りた中で一番気にいっているのは、『オオカミチビ太のわるい子ノート』(原書 『Little Wolf's Book of Badness』 )で、以前に書店で原書を見ており、面白いなあと思って気に入っていたものだ。それが翻訳されていて、「Little Wolf」が「チビ太」になっていた。

実は「チビ太」とは、今は亡き愛犬の名前なのだ。そんな思い入れもあって、思わず借りてしまったけれど、これ、あんまりかわいいので手元に置いておきたいと思うほど。今でも「チビ太」のお墓にお参りをしている母親にあげたら、きっと喜ぶに違いない。


2005年11月12日(土)
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 イーサン・フローム/イーディス・ウォートン

『イーサン・フローム』/イーディス・ウォートン (著), Edith Wharton (原著), 宮本 陽吉 (翻訳), 貝瀬 知花 (翻訳), 小沢 円 (翻訳)
単行本: 221 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 荒地出版社 ; ISBN: 4752100932 ; (1995/09)
内容(「MARC」データベースより)
「衝突事故」のせいで額に赤い傷を残し、鎖にひかれるように足を引きずって歩く農夫、イーサン・フローム。ニューイングランドを舞台に一人の男の生き方を描く。愛憎の果て生きることの意味を問う。

※画像は原書 『Ethan Frome』


『イーサン・フローム』を読み終えたのだが、なるほど、物語としては考えさせられる話だなあと思うものの、やっぱり日本語が・・・と思う。そういう意味では、非常に残念。

それにしても、やりきれない話だと思う。病気がちの年上の妻に、若く溌剌とした親戚の娘。そこで、何が起こるかは推測できるだろう。若い娘に心を奪われるイーサンの気持ちもわからないではないが、妻の嫉妬も痛いほどわかる。

これがお金持ちの話なら、お金で解決もできないわけではないだろうが、なにしろイーサン・フロームは、病気に祟られててでもいるかのように、両親から妻まで、ずぅーっと病人だらけの生活をしてきており、お金などたまるはずもない。逃げることもできないのだ。

最後に若い娘との心中を図るイーサンだが、それさえも運命に拒否され、死に切れず、死ぬまで3人で暮らす運命となるのだ。しかも、娘も寝たきりで動けなくなるし、イーサンも、一生足を引きずるようになる。これでもかというような運命のむごい仕打ちである。それでも生き続けなければならない人生とは、一体どんな意味があるのだろう?

こういう話って、読んでいるだけでも辛い。でも、こういう不幸で不幸でしょうがない、 <不幸なできごと> を地で行く、救われない人っているんだろうなあと。死んでしまうよりも、生きていることのほうが、数倍辛い人生だ。

2005年11月11日(金)
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 Emperor of the Air: Stories/Ethan Canin

『Emperor of the Air: Stories』/Ethan Canin (著)
ペーパーバック: 179 p ; 出版社: Mariner Books ; ISBN: 0618004149 ; 1st Marine 版 (1999/09)
内容(「BOOK」データベースより)
この本に収められた九つの短編小説は、そのほとんどが「青春小説」と呼びうるタイプの作品である。自分の中で何かが決定的に変化する瞬間が訪れるのを、息をひそめるようにしてじっと待つ16歳の夏―それがイーサン・ケイニンの小説の原型的時間だ。


2005年11月10日(木)
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 不運な女/リチャード・ブローティガン

『不運な女』/リチャード・ブローティガン (著), 藤本 和子 (翻訳)
単行本: 155 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 新潮社 ; ISBN: 4105127020 ; (2005/09/29)

出版社より
旅となれば、以前は女たちが、上手に荷物をつめてくれたものだった――。ハワイ、カリフォルニア、カナダ、アラスカ……『アメリカの鱒釣り』から20年後、死んだ女友だちの悲劇に寄り添いつつ、47歳の孤独な男が、過ぎゆく時間をみつめる旅をする。ブローティガンの自殺後、ひとり娘が遺品のなかから発見した最後の小説。


リチャード・ブローティガンの『不運な女』を読了。何だかよくわからなくて、途中でやめたいなあと思いつつ、我慢して読む。ブローティガンは素晴らしいと言われれば、はあ、そうなんですかと思うしかないのだが、やっぱりよくわからない。

たまたま今日の朝日新聞に、いしいしんじの『不運な女』評が載っていたので、引用してみる。

優れた小説の中でも、時間は伸び縮みし、断ち切られ、裏返しにされる。リチャード・ブローティガンの『不運な女』は日記の体裁ではじまり、しかし時間の反転や跳躍、どうどう巡り、突然の変調、断続を重ね、読者はきりもみのように、別の時間に巻き込まれていく。音楽には「あらすじ」がなく、また、「理解する」必要もない。イントロから最後まで耳を澄ませ、その全体を受け入れるだけだ。

というわけで、理解する必要はないとのことだから、理解できなくてもいいんだと思ったけれど、そうなると後は感性とか好みの問題になってくる。

もともとブローティガンは、私には危うい作家だった。 『西瓜糖の日々』 を読んだときには、それはそれで良かったとは思ったものの、あれも一歩間違えば、全然自分には合わない世界となっていただろう。綱渡りのような危うさで、かろうじて共通する感性を見つけ出していたのだと思う。

今回の文章は、これは全く感性の合わないもので、実は気持ちが悪いとさえ思ってしまった。日記形式ということだから、その日、その時に作家が思ったことを書いているのだろうが、ヴァージニア・ウルフの意識の流れみたいな、精神的な危なささえ感じた。実際にこの後、ブローティガンもピストル自殺をしてしまうのだが。

そもそも詩とかがあまり好きではないので、詩的な小説はあまり好まないのだが、こうしたストーリーもなく、話の結末もないものというのは、どうも性に合わないようだ。いしいしんじの言うように、「受け入れるだけ」しかできないのだが、感性が違えば、それさえも苦痛なのだ。

2005年11月06日(日)
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 ママ、大変、うちにコヨーテがいるよ!/エルモア・レナード

『ママ、大変、うちにコヨーテがいるよ!』/エルモア・レナード (著), 高見 浩 (翻訳)
単行本: 206 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 角川書店 ; ISBN: 4047915025 ; (2005/07/30)
出版社 / 著者からの内容紹介
ハリウッドの丘に住む若きコヨーテ、アントワン。自由に森を駆けめぐる生活をこよなく愛しているが、飼い犬のバディと知り合ったのをきっかけに、二人の立場を入れ替えることに……レナード節健在の小気味よい童話。


さすがエルモア・レナードだ!なんて、他の作品を読んでもいないのに、なんだかそう思えてしまう傑作。ハリウッド渓谷に住むコヨーテのアントワンと、元映画スターであるジャーマン・シェパードのバディ、ビューティーコンテスト女王であるトイプードルのミス・ベティが繰り広げるおかしな話。

アントワンはどこか斜に構えたアウトローっぽいキャラで、バディは言うまでもなくヒーロータイプ。ミス・ベティはハリウッドに五万といるセクシー女優という感じ。この3匹のキャラをしっかり踏まえたうえで、コヨーテが飼い犬に、飼い犬が野生にという逆転劇が演じられる。コヨーテはやっぱりコヨーテだし、飼い犬はやっぱり飼い犬の立場のまんまなのがおかしい。

それにしても、子どもが家の中にいるコヨーテを見て、「ママ、大変、うちにコヨーテがいるよ!」と事もなげに言うところなんかは、なんともおかしい。しかし、人間たちはまんまと騙されて、コヨーテを犬と思い込むのだ。ていうか、コヨーテなんか間近で見たことがないから、「あ、コヨーテだ!」とわかるほうが難しいと思うけど。(^^;

これはエルモア・レナードが、孫やひ孫のために書いた児童向けの動物ファンタジーということだが、人間社会への皮肉もたっぷり描かれていて、一癖もふた癖もある、大人も十分に満足できる作品だ。とても楽しめた。むしろ大人のほうが、レナードの風刺を心から楽しめるのではないかと思う。アウトローのコヨーテに惚れちゃうかも!ちなみに図書館では、児童書のジャンルには置いていないようだし。

この本を読んだだけで、エルモア・レナードのほかの作品の人物像が見えてくるようでもある。結構私好みの登場人物がたくさんいるんじゃないかと。作家と作品は違うとはいえ、作者の性格が登場人物に反映されることも大いにあると思っているので、となると、このコヨーテなんかはかなりカッコいいので、エルモア・レナードは私好みの作家になるかもしれないなと期待。意識しているわけではないが、やっぱり私の場合、いいなと思うと南部生まれの作家なのだ。


2005年11月05日(土)
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 いたずら魔女のノシーとマーム〈2〉謎の猫、メンダックス/ケイト・ソーンダズ

『いたずら魔女のノシーとマーム〈2〉謎の猫、メンダックス』/ケイト・ソーンダズ (著), Kate Saunders (原著), Tony Ross (原著), 相良 倫子 (翻訳), 陶浪 亜希 (翻訳), トニー ロス
単行本: 191 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 小峰書店 ; ISBN: 4338214023 ; 2 巻 (2005/09)

出版社 / 著者からの内容紹介
人間と仲良くなったノシーとマーム。でも牧師さんが捨て猫を拾ってからというもの、変なことが起こってばかり。二人のせいにされ逮捕されそうになるが、捨て猫メンダックスが魔女の女王のスパイで、いたずらはメンダックスの企みだとわかり……。


これはシリーズの2巻目だが、1巻目で魔女島を追われたらしい二人の魔女が、人間と一緒に暮らしている所に、魔女島からのスパイ猫がやってくるという話。時期はクリスマス。1巻目は、やはりハロウィーンの話のようで、今の時期に読めないのはとても残念。

ノシーとマームがなぜ魔女島を追われたのかということは、やっぱり1巻目を読まないとわからないのだが、べつにこれだけ読んでも、話がまったくわからないというものではない。この話はこの話で独立もしている。

いたずら魔女のノシーとマームのキャラがいい。とんでもないいたずら者なのだが、正義感が強く、心優しい魔女なのだ。そのあたりがなんともさりげなく描かれていて、変におしつけがましくもなく、またユーモアもあって楽しい。魔女たちの面倒を見ている牧師さんたちも、とてもいい。ここまで善意の人がいると、心が温まる。


2005年11月04日(金)
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 遠い音/フランシス・イタニ

『遠い音』/フランシス・イタニ (著), 村松 潔 (翻訳)
単行本: 526 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 新潮社 ; ISBN: 410590048X ; (2005/08/30)

出版社 / 著者からの内容紹介
音のない世界が、こんなにも豊かだったとは……。静寂の大地カナダで、戦争の世紀を生き抜いた聾唖の女性の半生を、実話をもとに力強く描いた感動作。


忙しさもあってなかなか読めなかったので、図書館で延長しようかとも思っていたのだが(冒頭では読むのをやめようかとも思った)、昨日までに半分、今日一気に半分読み、無事返却することができた。

冒頭であまり乗れなかったので、本当に中断しようかと思っていたのだけれど、これは無理しても読んでよかったなあと。いろいろと感想はあるが、お祖母さんが死んだところで、思わず涙した。結局お祖母さんの深く強い愛情は、最後に自己犠牲という形で完結したわけで、どんな状況でも、自己犠牲の精神には泣けてしまうという自分にまた気づいた次第。

耳の聞こえない世界についての感想や、戦争の悲惨さ、男女の愛について思うことはたくさんあるが、もっとも感動したのは、やはりお祖母さんの自己犠牲だ。この小説の中でのヒーロー(女性だが、あえてヒーローとする)は、このお祖母さんだろう。なんて強い人なんだろうと感嘆した。私にも「オショーネシー祖父さんの麻袋」(この意味は本を読めばわかる)が必要かも。

しょう紅熱で耳が聞こえなくなった主人公に、辛抱強く言葉を教えたのも、インフルエンザで生死をさまよう主人公を看病し、逆に自分の命を縮めてしまったのも、すべてお祖母さんの自己犠牲で成り立っている。お祖母さんがいなければ、主人公の人生はずいぶん違っていたことだろう。

主人公と夫との愛も美しいと思ったが、男女の愛は人それぞれだから、特に男女間の愛で感動することはめったにない。男女の別なく、深く強い愛情はあるものだし、人間としての愛は、男女間のときめきなど関係なく存在するものだろう。そういう愛情のほうが、個人的には心を動かされる。

2005年11月03日(木)
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 ハーメルンの笛吹きを追え!/ビル・リチャードソン

『ハーメルンの笛吹きを追え!』/ビル・リチャードソン (著), Bill Richardson (原著), 代田 亜香子 (翻訳)
単行本: 261 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 白水社 ; ISBN: 4560047804 ; (2004/04)

出版社/著者からの内容紹介
「ハーメルンの笛吹き」の話はとても有名。でもあの子供たちはいったいどこへ連れ去られたのか? 秘密の力を持つ少女が笛吹き男を追って子供たちを救出する素敵な冒険ファンタジー。


2005年11月02日(水)
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 すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER/森 博嗣

『すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER』/森 博嗣 (著)
文庫: 522 p ; サイズ(cm): 15 x 11
出版社: 講談社 ; ISBN: 4062639246 ; (1998/12)
内容(「BOOK」データベースより)
孤島のハイテク研究所で、少女時代から完全に隔離された生活を送る天才工学博士・真賀田四季。彼女の部屋からウエディング・ドレスをまとい両手両足を切断された死体が現れた。偶然、島を訪れていたN大助教授・犀川創平と女子学生・西之園萌絵が、この不可思議な密室殺人に挑む。新しい形の本格ミステリィ登場。



センタ、へビィスモーカ、ウイスキィ、クーラ、ヘリコプター、ミステリィ、エネルギィ、ストーリィ、レーシングカー、ハッカー、プログラマ、クラッカー、ウイルスチェッカ、フロッピィ、リアリティ、インタヴュー、スプリンクラ、マスター、フィルタ、コーヒーメーカ、スクリーンセーバ、グレィ、スピーカ、エレベータ・・・

これは、今読んでいる森博嗣の 『すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER』 というミステリに出てくるカタカナ表記だ(最後の音が伸びるもの、あるいは伸びる可能性があるもの)。これらが気になって仕方がない。

私としては、現代日本文学を読むのは非常に珍しいのだが(最近、いしいしんじにはまっていたけれど)、「理系ミステリ」とかナントカ言われている作品で、ちょっと面白そうかもと思ったので、図書館で借りてみた。借りた本は7年前に出版されたとはいえ、ボロボロになっていて、ずいぶん多くの人が読んだのだろうなと推測できるような代物だった。

しかし内容的には、この程度の「理系ミステリ」は海外にはいくらでもあるので、ちょっとがっかり。それより読んでいる途中で、一つ一つの言葉にひっかかってしまうのが困りもの。

上記のカタカナの他に、良いですね、良いね、良いかしら・・・などという「よい」と読むのか「いい」と読むべきなのかわからず、納得のいかないものもある。これらは、作者のこだわりなのだろうが、作者の癖を押し付けられているようで、どうも気持ちが悪い。

カタカナには何か一定の法則があるのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ(私が気づかないだけかもしれないが)。一応、最後がYで終わるものは、「ィ」に統一されているようだが、他はどんな統一性があるのか、よくわからない。

時々元の英文はどうなっているのだろう?と思ってしまい、おっとこれはもともと日本語だったなと苦笑せざるを得ない部分もある。現代文学では、翻訳のほうが、きれいな日本語になっている。

全体的に会話が多すぎるのと、詳細に書き込んでいるというのとは違う、余計な記述が多いのも気になる。例えば「彼女は甘いものがあまり好きではなかった」・・・だからどうなのか。

実際にその場で彼女は甘いものを食べている。甘いものが好きではないから、それが苦痛であったとか、拷問のようであったとか、結局あまり食べなかったとか、甘いものが好きではないゆえの結論みたいなものは書かれていない。だったら、こんな記述は不要じゃないのか?それとも、あとでそれが重要になってくるのだろうか?

というわけで、日本文学の場合は、裏に別の言葉がないだけに、いろいろとあらさがしをしてしまう。翻訳だったら、おかしいなと思っても、きっと原文はちゃんとしているんだろうと勝手に思って、ある程度までは大目に考えるのだが、日本文学はそうはいかない。

2005年11月01日(火)
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