読書の日記 --- READING DIARY
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 賢い血/フラナリー・オコナー

内容(「BOOK」データベースより)
軍隊から戻ると、がらんとした家には箪笥しかなかった。ヘイズは汽車に乗り、知らない街へ行き、説教師の帽子を被ったまま売春宿に入った。やがて彼は中古自動車の上に立ち、『キリストのいない教会』を説きはじめる―。たじろがずに人間を凝視し、39歳で逝くまで研ぎすまされた作品を書き続けた、アメリカ南部の作家オコナーの傑作長篇。真摯でグロテスクな、生と死のコメディ。


日本人にはキリスト教的な概念を理解できない部分があると思う。そういう意味でも難しい小説だと思った。これは作品全体がキリスト教について言及しているので、それにとらわれずに、というのも難しい。宗教を信じるとか信じないとかはともかく、哲学として考えれば、また違った見方もできるのだろうが、そこまで考える意欲も湧かなかった。

主人公ヘイゼル・モーツが、「神」ではなく「イエス・キリスト」にこだわっているのも、何か意味があったのだろうが、ついに理解できなかった。「キリストのいない教会」と言い張っているのに、キリストの受難に値するような行為を自らに課しているあたり、なぜ?という疑問ばかり。

個人的には、宗教的な部分というより、時々現れるグロテスクな部分が目に付いて、比較対象にはならないとは思うが、そういう部分で、アーヴィングなども思い起こした。アーヴィングのほうが、私にははるかに分かりやすいが。

とあるところに書いてあった感想には、「キチガイ小説の傑作」とあり、実は私も最初からそう感じていたのだが、そんなことを言っていいものかどうか・・・と思っていた。その感想を見たとき、よくぞ言ってくれました!という感じで、そう思っていたのは私だけではなかったと、ほっとした。

普通、巻末の解説などを読めば、作者が何を言っているのか、だいたいは理解できるが、この小説に関しては、解説自体もよく分からない。小説も解説も、文字は網膜に映っているのに、脳に焼き付いてこないという感じ。

ともあれ「BOOK CLUB」でやらなければ、けして読めなかった小説ではないかと思うと、無理しても読んだのは、ひとつの知識として無駄ではなかったと思いたい。

周囲の評判から判断すると、オコナーは短篇のほうがいいようだ。オコナー好きの人によれば、これは素晴らしい作品であるとのことなのだが。。。それと、この作品の翻訳は間違いも多く、あまり良くないということで、できれば原文で読んだほうがいいという話。たしかに、日本語としてスムーズに入ってこないというところがある。上下巻で出た短篇集も、翻訳については評判が良くない。これも原文のほうが絶対にいいということだ。

だが、言語の問題以前に、話そのものに入り込めない状況で、「BOOK CLUB」で課題としていなければ、さっさと投げ出していたかも。そんな状態なので、これを原書で読もうという意欲もわかない。


2004年06月30日(水)
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 The Dark Elf Trilogy : Homeland (#1)/R. A. Salvatore

The Dark Elf Trilogy: Homeland, Exile, Sojourn (Forgotten Realms)
/R. A. Salvatore (著)
ペーパーバック: 808 p ; 出版社: Wizards of the Coast ; ISBN: 0786915889 ; Collectors 版 "Homeland", "Exile", "Sojourn" 巻 (2000/02/01)

※この本は3巻合本だが、個別の第1巻は下記↓

Homeland: Forgotten Realms (Forgotten Realms Novel: Dark Elf Trilogy)/R.A. Salvatore (著)
マスマーケット: 352 p ; 出版社: Wizards of the Coast ; ISBN: 0880389052 ; Reissue 版 (1990/09/01)
内容(「MARC」データベースより)
悪の地下都市に生まれた心優しき少年ドリッズトの活躍を描く冒険活劇ファンタジー。第1巻では、肉親や仲間の残忍な真の姿を知った彼の苦悩、命をつけ狙われる学院生活、実父との死をかけた対決などを描く。



一般にファンタジーといえば勧善懲悪の話が多く、主人公は善の側で、悪を倒すために命を賭けて戦うといったイメージがあるが、これはちょっと違う。では主人公ドリッズトは悪者かというと、それもまた違う。つまり、悪の中に生まれた善という設定だ。

地上エルフとの戦いに敗れたドロウ(これもエルフの一種だが)は、地下に追いやられ、そこに都市メンゾベランザンを築き、独自の社会を作ってきた。蜘蛛の女神に仕えるドロウたちは、残忍で冷酷無比。親兄弟を殺すことも厭わない。そして強力な魔法を使うこともできる。

しかしここに生まれたドリッズトは、むしろ地上エルフに似た、先祖がえりとも言えるような、普通のドロウたちとは全く性格の違うドロウだった。第1巻には、その彼が戦士として育っていく様子、都市の中での様々な戦いなど、実の父との絆と別れが描かれている。

確かに、他のファンタジーとは違っている。ドリッズトと父親以外は、皆悪人である(メンゾベランザンではそれが当たり前なのだが)。なおかつ地下が舞台であるから、そもそも光などない。だから暗い。けれども、ドリッズトが苦悩しながら成長していき、それでも自分を見失わず、自分が成すべきことを悟ったとき、やっと救われた気がする。だからこの後が楽しみではある。ドリッズトという異端児が、メンゾベランザンを出てどこに行くのか、どんな生き方をしていくのか、非常に興味深い。

これはゲームなどでも人気があるようだが、私はゲームのことは全く知らないし、興味もないので、そちらのほうの言及はできないが、ドリッズトの人気は高く、出版の順序は逆になるが、この続編のシリーズもあるようだ。


2004年06月28日(月)
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 <Redwall> Redwall (#1), Mossflower (#2), Mattimeo (#3)/Brian Jacques

Redwall/Brian Jacques
内容(「BOOK」データベースより)
モスフラワーの森近く、赤い壁に守られたレッドウォール修道院では、ネズミたちが、いにしえから伝わる、勇者マーティンの肖像が描かれたタペストリーを心のよりどころとしながら、祈りと癒しの者として平和に暮らしていた。だが「バラが遅れて咲いた夏」と名づけられた年のことだった。血なまぐさいうわさにまみれた凶悪なドブネズミ"鞭のクルーニー"がレッドウォールを襲撃してきたのだ。平和を旨とする修道士ネズミたちと森の生きものたちは、悪にひれふすわけにはいかないと、敢然と立ち向かう。だが悪を倒すためには、かつて修道院を禍から救ったというマーティンの、伝説の剣がどうしても必要だった。マーティンに強くあこがれる若い修道士ネズミのマサイアスは、勇者の剣を求めてさまざまななぞをときあかしていくうちに…イギリスで出版されると同時に若い読者の心をしっかりとつかみ、現在では十カ国以上で出版されている珠玉の冒険ファンタジー。

Mossflower (Redwall #2)/Brian Jacques
内容(「BOOK」データベースより)
いにしえのモスフラワーの森はコター砦を根城とするヤマネコの"千目族"に支配されていた。極悪非道の女王ツアーミナ率いるコター砦軍と森の生きものたちが攻防をくり返す中、ネズミの勇者マーティンは、モスフラワーの正当な統治者、アナグマの闘士ボアを連れもどるという使命を帯びて、"炎龍の高嶺"への危険な旅に出た。"盗賊ネズミ"のガーンフ、モグラの"小えくぼ"、旅の途中で仲間になったトガリネズミの"丸太の船頭"らとともに、マーティンはようやく目的の地にたどりつく。だが、闘士ボアの運命は、モスフラワーとは別のところに定められていたのだった…果たしてマーティンたちは、コター砦の圧政をうち負かし、真の自由と平和を手にいれることができるのか、また、モスフラワーの動物たちの運命は…?前作『勇者の剣』の主人公マサイアスが手にした剣。その真の持ち主、伝説の英雄「勇者マーティン」の物語がいよいよ明らかに!レッドウォール修道院の来歴、謎解き、冒険、そして友情。英米でロングセラーを続けるファンタジー、ますます面白い、シリーズ第二弾。

Mattimeo (Redwall #3)/Brian Jacques (著)
出版社/著者からの内容紹介
ある夏、ネズミの戦士マサイアスの息子マッティメオをはじめとする、レッドウォールの子どもたちがさらわれた! 敵はキツネ率いる奴隷狩りの一味。子どもをさらっては、地下の帝国の首領に引き渡しているのだ。はたして子どもたちは無事に救出されるのか!? 謎の古代文字の解読、不思議な地図…新たな魅力的な仲間も登場する、待望の第三弾!



この<レッドウォール伝説>は3作だけでなく、これからも続くのだが、ここまで読めば、もういいかなという感じ。3作とも基本は同じで、1作目はマサイアス、2作目は過去に戻ってマーティン、3作目はマサイアスの息子マッティメオというヒーローを中心に、善の側の動物と、悪の側の動物との戦いを描いたもの。というわけで、感想は3作まとめて。

物語の設定に、多くの疑問を感じ、主人公がネズミである必然性も感じられないのだが、悪い動物がどんなことを企み、それにどうやって立ち向かっていくのかというところで、それなりに楽しめる物語でもある。 毎回、謎解きなどもあって、子ども心には十分わくわくさせられるのではないか。

ただ、ここに登場するあまりに多くの動物があっさり死んでしまう(殺されるといったほうがいいかも)ので、このあたりはどうなんだろう?という気持ちもないではない。そういった部分に少々残虐さを感じる。

2004年06月24日(木)
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 The Runaway Jury/John Grisham

内容(「BOOK」データベースより)
夫が肺癌で死んだのは、長年の喫煙が原因だ―未亡人はタバコ会社を相手どって訴訟を起こした。結果いかんでは同様の訴訟が頻発する恐れもある。かくして、原告・被告双方の陪審コンサルタントによる各陪審員へのアプローチが開始された。そんななか、選任手続きを巧みにすり抜け、陪審団に入り込んだ一人の青年がいた…知られざる陪審制度の実態を暴く法廷サスペンスの白眉。

※DVD 『ニューオーリンズ・トライアル 陪審評決 プレミアム・エディション』


これは登場人物が多くて大変!邦題が『陪審評決』というように、陪審員がテーマの話なので、少なくとも陪審だけで12人。補欠も入れれば15人。そこに原告、被告、証人、両陣営の弁護士軍団、陪審コンサルタント、両陣営で使っている調査会社の人間、各陪審員の家族や恋人、友人などなど、これって誰だっけ?というのがどんどん出てくるので、思わぬ苦戦。ちょっと目をはなした隙に、どこの誰のことが書いてあるのかわからなくなるといった具合。グリシャムは、もともと特に好きな作家ではないが、映画「ニューオーリンズ・トライアル」の原作(ジーン・ハックマン出演)だし、南部映画祭にちなんで・・・という思いもあって、読み始めたのだけれど、なにしろ登場人物が多すぎる!

映画のタイトル「ニュー・オーリンズ・トライアル」からも、邦訳のタイトル「陪審評決」からも、本書の内容は全然わからないだろう。いい加減なタイトルをつけるものだ。しかし邦題からは、陪審員がテーマになっていることくらいはわかる。

日本には陪審制度というものがないから、あまりぴんとこないが、この小説を読むと、陪審員次第で判決がどうとでもなってしまう恐ろしさがわかる。だからこそ、陪審員を選出するにも細かい規則があるし、裁判中は陪審員が拘束されたり、はたまた陪審コンサルタントなどという商売も成り立つ。

結局この話は、裁判の行方が重要なのではなく、その陪審制度を逆手にとった犯罪の話なのだ。最初、陪審員のひとりであるニコラスが主人公かと思って読み進めていくのだが、途中から、ニコラスはひとつの駒にすぎないことがわかってくる。

裁判シーンは長い。タバコの害に関する学術的な研究だとか、医師や科学者の証言などなど、ちょっとうんざりという部分も。けれども裁判ものは、とにかくどちらが勝つのだろうという単純な好奇心があるから、そこはそれなりにやり過ごし、結果に向かって読み進められる。

本書の読みどころは、陪審員を選ぶ過程と、裁判の進み具合によって変わる周囲の動きだろう。タバコ会社が負ければ、社会は大きく動く。そこに目をつけた真の主人公の頭脳プレーといったところが、この話の核になるのだろう。

2004年06月21日(月)
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 No.1レディーズ探偵社、本日開業―ミス・ラモツエの事件簿〈1〉/アレグザンダー・マコール・スミス

出版社/著者からの内容紹介
世界17カ国で大ベストセラー! サバンナのミス・マープル、ついに日本上陸!
プレシャス・ラモツエボツワナでただひとりの女探偵。34歳、かなり太め、バツイチ。ひとよんで「サバンナのミス・マープル」。
実家を切り盛りしていたラモツエだが、父の死後、遺産の牛を売り、首都ハボローネで探偵社を開いた。のどかなこの地で探偵業は成り立つのかと思いきや、意外や意外、依頼は浮気の調査から失踪人探しまでひっきりなし。鰐と蛇と格闘しなければならないことだってあるが、それでもアフリカの大地をこよなく愛するラモツエは、きょうも手がかりを求めてサバンナを疾走する。持ち前の洞察力と行動力でよろず解決となるか……。世界中が夢中になった名探偵、ついに日本初登場!


これはてっきりミステリ(ディテクティブもの)かと思っていたら、ちょっと違った。たしかにミス・ラモツエは、ボツワナで探偵社を開くのだが、ボツワナならではの事件の合間に、彼女の生い立ちや、父親のこと、周囲のことなどなどが書かれており、単に事件解決だけの話ではない。強いて言えば、ベイリー・ホワイトの『ママは決心したよ!』的な雰囲気の小説かもしれない。

行方不明の夫が、実は鰐に食べられてしまっていた事件だとか、さすがはアフリカ!と思わせる話ばかりなのだが、アフリカでの男女の格差というか、女はこうあるべきという思い込みが、ちょっと私には異様に感じられた。女は子どもをたくさん産んで、家の仕事をして、男を楽にするために、しっかり働くというような社会なのだ。酒場に行くような女は、男を欲しがっているに決まっているとか、しっかり働けそうな体をしているだとか、なんだかとても偏見に満ちた世界だ。

作者が、そういった偏見を素直に認めているのか、はたまた皮肉っているのか、そこのところがよく分からないのだが、主人公のミス・ラモツエは、そういった偏見には、少々疑問を持っているように描かれていると思う。

ラモツエ自身も夫に暴力をふるわれ、離婚を経験しているのだが、探偵社を訪れる女性たちは、ほとんどが男(または夫)の問題で訪れる。女性に対する偏見もさることながら、女性が男性に及ぼす影響というのもまた、激しいものがあって、アフリカってこういうところなのか・・・と思った次第。文明がうんぬんというわけではないが、男も女も非常に動物的。だからこそミス・ラモツエも、さほど苦労せずに、事件を解決できる。ご近所の悩み解決といった感じ。

2004年06月15日(火)
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 コレクションズ/ジョナサン・フランゼン

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『The Corrections』はジョナサン・フランゼンの会心作。成人漫画顔負けのむんむんした活気の中、登場するのはアン・タイラー作品さながらの気まぐれでとっぴな家族。ただしこちらはかなり毒気が強い。フランゼンはクリスマス休暇に帰省した一同の愚かな人生航路を巧みに描き出す。自己欺瞞に満ちた大学教授、巨乳大好きの脚本家、退屈で野暮な年寄り、いつもイライラしているアーティスト気取りのソーホー住人…。そんな彼らが漕ぎ出したそれぞれの人生。そこに待ち受けていたのは狂気の沙汰としか思えないインターネット主導型社会、そしてソ連分裂後の東ヨーロッパだった。

ランバート一家のメンバー5人は全員、人生に行き詰まりを感じていた。家長のアルフレッドは痴呆症。大手製薬会社が以前の彼の発明をもとに革命的治療法を開発したものの、彼の病気は治らない。妻のエニッドは「断固拒否」が得意技のがんこ主婦。当然子どもたちも独自路線を歩んでいる。まず遊び人の次男チップ。学生をたぶらかしておいしい大学教授の職を棒にふり、新しく始めた脚本家としてのキャリアにも暗雲が漂っている。次にチップの妹デニース。ロマンチックに言えば、いつも苦境に立たされている悩める都会派シェフといったところか。最後に長男ゲーリー。こちらは息詰まる結婚生活で気が変になりそうな銀行員だ。フランゼンは彼らの困難で悲しい人生をたたみかけるように描写するが、途中シニカルなユーモアで読者を笑わせることも忘れない。


最近ゲーリーは地球の構造プレートと同じくらい気がかりなことがあった。ミッドウェスト地域から涼しい沿岸地域に移住する人の数がどうも多すぎる…。いっそ人口移動を禁止すればいいのに。そうすればミッドウェスト生まれの人たちも大手を振って故郷に戻るだろう。お得意の練り粉たっぷりの食べ物だって思う存分食べられるし、堂々と流行遅れの服を着てボードゲームに興じることもできる。なにしろ「無知」の貯えを維持しようという国家戦略のためなのだから。おいしさに「無知」な人々、彼らがいなくなったらぼくみたいな洗練された特権階級の人間がいい気分になれないじゃないか。


フランゼンはあくまでおもしろい。その笑いの狙いはぴたりとハマっている。本書は彼の存在感を強烈にアピールした傑作だ。

内容(「MARC」データベースより)
老境に入った夫婦は家族の絆の修正(コレクションズ)をクリスマスに託したが…。家族が陥った危難をシニカルに描き出し、現代人にまつわる悲喜劇を紡ぎ出す。全米図書賞に輝いたベストセラー小説の邦訳。



読み始めてすぐに、難しい!と思ったが、読み進めていくと、書かれている内容は、べつに難しいものではなく、普通の家族の危機といったことなのだが、それを小難しく大仰な言葉で、覆っているといった感じ。例えば以下のような。

「ゲイリーは極端に真面目な性格だ。暗室に入るとき、彼は自分の第3神経因子(これはセロトニンで、きわめて重要な要素だ)の週間上昇率、いや月間上昇率も、プラスの数値を示していると評価した。第2因子と第7因子の量も期待を上回っているし、第1因子は夜寝る前に飲んだアルマニャックに起因する早朝の減退から立ち直っている。足取りには弾みがあり、平均以上の身長と晩夏の日灼けの心地よい自覚があり、妻のキャロラインへの不満は適度に抑制されている。肉体の疲労はパラノイアのおもな徴候(キャロラインと上の二人の息子が自分を馬鹿にしているのではないかという執拗な疑惑)を誘いがちだし、人生の虚しさと短さの間隔も定期的にぶりかえすけれども、精神の経済は全体として力強さを見せている。絶対に鬱病などではないのだ」

で、こういう大げさな言葉の使い方も面白いとは思ったが、結局は、こうした言葉を取り去った奥のほうにある、事実だけを読み取ればいいのだと思った。セロトニンがどうこうなんてことは、どうでもいいことなんだろう。フランゼンの小説は、こういった言葉に騙されてはいけないのだと思う。そう思って、気を楽にして読むと、結構面白い。

読書途中に、ブックカフェで翻訳者の黒原敏行さんの話を聞いたのだが、やはり翻訳者の話を聞いたあとのほうが、なんだかよく理解できるような気がした。というか、最後のほうでは、あまりフランゼン節が出てこなくなって、大げさな修飾のない、ありのままの家族の姿が見えてきたというのもあるかも。

ともあれ、一時は途中で諦めようかとも思った本だったが、読み終えることができてよかった。父親が老いて、手足の自由がきかなくなり、頭も呆けてきて、家族に迷惑をかけるようになる。でもすっかり呆けているわけでもないので、自分で「けりをつけたい」と切望するところなどは、涙ものだ。

一見、頑固でわからずやの父親のように見えるが、彼なりの優しさやポリシーがわかったとき、一人の人間としての父親が浮かび上がってくる。それがなんとも悲しい。父親だから、男だから、というのがいいのかどうかはともあれ、「言わずにいる」ということは、それなりの覚悟がいることなのだと思う。

この本では、息子や娘、そして妻についてはその都度言及し、多くのページをさいているのだけれど、父親の本当の姿がわかるのは、最後の最後だ。どんなことをしてきたかということは書いてあっても、彼の心の奥底に触れるのは、本当に死ぬ間際のことなのだ。結局、父親とはそういうものなのかもしれない。家族の柱とは、良い悪いはともかくとして、何か一人で背負っていかなくてはならない重荷があるのだ。それをいちいち口には出さないだけなのだと、今更のように実感した。

コーマック・マッカーシーの『すべての美しい馬』の話がメインだったブック・カフェだったが、当然フランゼンの話も出ているので、参考までにその日の日記をリンクしておく。
<翻訳ブック・カフェ Part12─ゲスト:黒原敏行>

2004年06月14日(月)
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 となりのボーイフレンド (BOOK PLUS)/メグ・キャボット

カバーより
メルはNYのジャーナル誌のゴシップ欄記者。花の20代、なのにすてきな男ってなかなかいないご時世よね・・・。そんなある日、隣人のフリードランダー夫人が暴漢に襲われる事件が。昏睡状態で入院した夫人の変わりに、甥のマックスという有名な写真家が隣にやってくる。遊び人と名高い彼と、メルは早々に意気投合。なんとなく、恋の予感。でもマックスの悪い噂を心配するメル思いの仲間たちは大反対。みんなの不吉な予感が的中したのか、マックスがにせものという驚愕の事実が発覚!メルは怒りに燃えて、とんでもない暴挙をしでかすことに。NY中を混乱させての二人の恋の行方はどうなるの?そして夫人を襲った犯人は──。全編メールで紡がれる、現代版シンデレラ・ラブストーリー。


久々の「BOOK PLUS」だが、これは何と、中身が全部メール。メールが苦手な私は、これ全部メール形式で読むのか?と思ったら、げげっ!という感じ。でも、全部読むと決めた「BOOK PLUS」なのでしょうがない。

というわけでこの本は、横書きで左開き。作者は『プリンセス・ダイアリー』を書いたメグ・キャボットなので、まあ、面白いんだろうとは思っていたが、やはりそれなりに面白かった。逆に、メールだけでストーリーを追うことができ、それで小説が書けてしまうんだなと感心したりも。

これも、よくある「BJ系」の本と同様で、新聞社勤務の独身女性の恋愛話。友情に厚い女友だち、ゲイの友だち、ファッションとダイエットとセレブのゴシップ・・・などなど、他の「BJ系」の本と、ほとんど同じだ。ただ、それが全部メール形式で書かれているというのが珍しいのだろう。

今回の主人公メルには、あまり共感を抱かなかったが、メルの両親(メルはニューヨークにいるが、両親はイリノイ州だかに住んでいる)の的外れな心配というのが、私にも心当たりがあるだけに、笑える。

メルの相手は、大金持ちの家の息子で、ライバル新聞社に勤める、ナイスガイのジョン。そもそもいいやつなのに、とある嘘がバレて、二人の仲は壊れそうになるのだが、結局はハッピーエンド。田舎出の娘が掴んだシンデレラ物語といった感じ。

それにしても、この手の本の主人公って、なぜみんな新聞社とか雑誌社とか、マスコミに勤めているんだろう?それがいつも謎。

2004年06月12日(土)
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 A Dry Spell/Susie Moloney

内容(「BOOK」データベースより)
農業を主たる産業にしている小さな町グッドランズは、深刻な災厄に見舞われていた。もう四年も、まったく雨が降らないのだ。それが尋常の旱魃でないことは、すでに皆が悟っていた…。その若者は、ふらりとやってきた。彼を呼び寄せたのは、若き銀行支店長のカレン。彼女は瀕死の町を救おうと、この得体の知れない男の不思議な能力にすべてを託す。若者の名はトム、職業は雨降らし屋―さっそく雨を降らせにかかったトムは、すぐにこの町の異常さに気づいた。なにか理解できない力が町を覆い、天候を支配しているのだ。雨を寄せつけようとしないのは何ものか?彼は全力を挙げて見えない敵に挑んでゆく。その頃町では、家屋倒壊や放火など次々に不可解な事件が起こり、住民たちの視線は、よそものであるカレンとトムに向けられた…。意表を突くスリリングな展開、度肝を抜くスペクタクルな対決、そしてかつてない異様な興奮が襲うクライマックスへ!期待の新鋭が放つ、超話題作。


これはミステリかと思っていたのだけれど、実はホラー小説だった。「レインメーカー」(雨降らし屋)というのも超自然的な職業だが、その彼が戦う相手も100年も前にその土地で死んだ女の幽霊。それがそこに呪いをかけていて、4年も雨が降らなかったのだという話。

レインメーカーのトム・キートリーは、ダーク・トール・アンド・ハンサムなヒーローで、登場の仕方は地味だが、最後は素晴らしいヒーローとなる。そこに主人公カレンとの恋愛がからんでくるのは必須。でも、二人の恋愛は、完全なハッピーエンドとはいかなくて、結局ひとつところに落ち着けない「さすらいのメインメーカー」は、再び旅に出てしまうところが、大人といえば大人なんだろうか。ロマンスを除けば、マキャモンにも通じるような部分があるかもしれない。

愛しているなら、どうして一緒にいてくれないの?などとヒステリックに責める場面もないし、あまりに物分りが良すぎて、ちょっと拍子抜けの感じもなくはないが、でも、広いアメリカ大陸のあちらこちらで、トムを必要としている人たちは大勢いるわけだし、超自然的な力は束縛できないと、カレンにもわかっていたのだろう。

ホラー的な描写はさほど多くはないものの、死んだ女の怨念みたいなものは、しっかり描かれている。ただ、なぜそういう怨念が生まれたのかがはっきりしないのが不満といえば不満だった。結局、町を呪ってた女の亡霊って、もともとは誰なの?という、非常に初歩的な疑問が残るものの、全体としては面白かった。呪いのために、4年間も雨が降らなかった町に、やっと雨が降ってよかったね、というところか。

2004年06月11日(金)
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 遙か南へ/ロバート・R・マキャモン

出版社/著者からの内容紹介
白血病で余命わずかの殺人犯、顔に痣のある美少女、三本腕の賞金稼ぎ──アウトサイダーにされてしまった者達の癒しを求める冒険
内容(「BOOK」データベースより)
はずみで人を殺してしまったヴェトナム帰りのダンは、余命いくばくもない身ながら逃避行に出た。道連れは顔半分に痣のある美少女に、ダンを追う三本腕の賞金稼ぎとプレスリーのそっくりさん。アウトサイダーにされてしまった者たちは、癒しを求めてひたすら南へ向かう。温もりと恐怖が混ざり合う不思議なロード・ノヴェル。


これは、今まで読んだマキャモン作品の中で、最もアメリカ南部色が濃い作品ではないかと思う。南部の密度の濃い大気や、湿気、バイユーの匂いなどというものが、ありありと想像できるようだ。

主人公は、不思議な力があるわけでもないし、ヒーローというわけでもない。他の登場人物も、誰も超自然的な力を持っているわけでもない。少女が探している「ブライト・ガール」さえも。

しかし、それぞれが普通でないことは、すぐにわかる。登場人物が全部集まったら、ある意味でフリークショーになるかもしれない。

バイユー(沼地)での鰐の密輸など、そういった部分は、カール・ハイアセンの作品を思い出したりもしたが、結局マキャモンは、ここでも人間の善なる部分を描いている。

余命いくばくもないダンは、結局助からないだろうし、顔に痣のある少女も、きれいにはならないだろうが、邪悪な悪意ある世界から離れて、静かにこの世を去ることが、彼らには幸せということになるだろう。

2004年06月07日(月)
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 ハッピー・ハント!/サラ・ムリノスキー

内容(「MARC」データベースより)
「男にもてあそばれる人生なんて、まっぴらゴメン。」 ジャッキー・ノリス、花のトゥエンティ・サムシング(20ウン歳)、都合のいい女から卒業しました。おかしくて、せつなくて、小生意気な明るい快作。


この本には、副題に「ちりちりアタマのジャッキー・ノリス、恋の狩猟紀行」とある。この手の本にはいつも、なんで、なんで、こんなタイトルつけちゃうんだろう?と、憤りを感じる。

原題は 『Milkrun』 といって、全然違うもの。「Happy Hunt!」で検索したって、出てこない。たしかに主人公のジャッキーは天然パーマでちりちりアタマなんだけど、それが深刻な悩みになっているわけじゃないし、恋愛の障害になっているわけでもない。内容だって「紀行文」なんかじゃない。こんな副題は余計なお世話って感じだ。これって、翻訳者の責任?それとも、出版社のせい?

こういう、いわゆる「BJ系」の本て、内容はすごくいいのに、日本語のタイトルがへんてこなものに変えられていたりして、ものすごく損をしているようなことがある。そもそもこういう本が、文学的で、かつまた哲学的な内容だとはいい難いけれど、ことさら軽薄なタイトルにしなくたっていいんじゃないかと。いわゆるロマンス本とは違って、これはこれで、いろいろと哲学的なんだから。

たしかに、この主人公ジャッキーは、「ボーイフレンドが欲しい〜!」と叫んでいるし、毎夜のように、オシャレをしてバーに男を探しに行く。そういう女の子は、なにもジャッキーだけじゃなくて、都合よくふられてしまった女の子は、皆そうなってしまうってわけ。

でも、ふられたことで、しっかり学習もした女の子たちは、どんどん見る目を養っていく。多少の間違いはあったにしても、それで世をはかなんで・・・という後ろ向きの人生は送らない。そういうところが、この手の「BJ系」の小説のいいところ。ほんとは死ぬほど辛い思いをしているのに、それをバネにして、強く生きていく姿って、ウツクシイ。

この本が唯一ほかと違うところは(今まで読んだ「BJ系」の本の中で)、ゲイの友だちが出てこないところ。それって、舞台になっている場所柄というのもあるかもしれない。ロンドンだったり、カリフォルニアだったりすると、必ずゲイの友だちが出てくる。

でも、ここでもすごくいい女友達がいて(やな奴もいるけど)、ほんとにこんな女友達っているんだろうか?と、今回も疑問を感じてしまった。こういう女友達がいたらいいなという作家の希望が書かれているんじゃないだろうかと。

男ができるまでは、だいたいいい友達なんだけど、男ができるか、結婚するかしてしまうと、女は変わる。友だちかどうかという判断は、男ができてからするべきだと痛感する。それまでの関係は、男ができるまでの、うわべだけの付き合いだと思っても、過言ではないかもしれない。


2004年06月04日(金)
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