読書の日記 --- READING DIARY
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 Miss Hickory/Carolyn Sherwin Bailey

頭がヒッコリーの実で、手足がリンゴの枝でできているというミス・ヒッコリーは、持ち主の一家が、冬の間ボストンで暮らすため、家を出て行くことを知り、大変困る。とうもろこしの芯でできた家は、厳しい冬には耐えられそうにないし、その家さえ、外出中にシマリスの一家に占領されてしまったのだ。途方にくれているミス・ヒッコリーを助けたのはカラスで、嫌がるミス・ヒッコリーを、リンゴの木の上にある鳥の巣へと連れて行く。鳥の巣は、住んでみれば、なかなか良い住まいだった。

だが、ミス・ヒッコリーをずっと狙っている者がいた。リスである。冬に向かって木の実をせっせと集めているリスは、ミス・ヒッコリーの頭がどうにも気になって、鳥の巣の新しい家まで押しかけてきたりするので、油断がならない。

ミス・ヒッコリーが周囲の動物たちと付き合っていくうち、厳しい冬は過ぎ、暖かな雪解けの季節となる。ところが、ある日鳥の巣に戻ってみると、中にはコマドリの親子がおり、ここは自分たちの巣だと言う。途方にくれたミス・ヒッコリーは、リスの穴が空いているかも・・・と覗いてみるのだが・・・。

この話は子供向けなので、楽しいハッピーエンドかと思っていたら、なんと!とうとうリスに頭を食べられてしまうという残酷な最後。人形なので、それで死にはしないのだが、頭を食べられてしまったあと、何かに導かれるようにリンゴの木に登っていくミス・ヒッコリーは、服もなにも脱ぎ捨てて、頭があったところをリンゴの木に差し込むのだ。

春になり、持ち主の一家が帰ってきた頃、リンゴの木には、いつになく花が咲き乱れ、ひときわ花を多くつけている枝は、よく見ると人の形をしている。そう、それがミス・ヒッコリーだったというわけだ。輪廻転生?どこか仏教思想をも感じてしまうような、ちょっと悲しい物語だった。


2004年05月31日(月)
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 サンタフェの裏切り/スチュアート・ウッズ

カバーより
ウォルフは独立映画プロデューサー。友人の監督といい感じのコンビを組み、ブロンドの妻は元女優。ある朝、ニューメキシコの朝日がアドービ煉瓦を染める頃、ウォルフは知った、自宅の客用寝室で、妻と監督とそして彼自身が、散弾銃で惨殺されたことを。生きている自分は今グランド・キャニオン。そして前夜の記憶がまるでない・・・。

※画像は原書 『Santa Fe Rules』


スチュアート・ウッズのミステリは、予想通りさらっと読み終えた。でも、これは翻訳が良くなかった。私はよく、会話部分がしっくりこないということを言ったりするが、会話部分がうんぬんとかという以前の問題で、日本語がおかしい。それに、レタスを「冷凍庫」に入れるか?アメリカではレタスは「冷凍庫」で保存するのだという事実があるとしたら、ぜひ教えて欲しい。

グランドキャニオンあたりの描写が良かったし、内容は面白かったが、二人姉妹だと思っていたのに、まるで三つ子のようによく似た三人姉妹だったというオチが、そりゃ都合が良すぎるだろうという感じだった。

それに主人公のウォルフは、今回の事件だけでなく、前の妻が自動車事故で死んだときにも、記憶を失くしている。今回の記憶喪失は説明されているが、前回のは全く説明がない。双方に共通項がないのだったら、前回の記憶喪失は、無駄な記述だったと思える。

ウッズは、個人的にはプレイボーイ探偵の<ストーン・バリントン>シリーズがいいかな。。。ちなみに、スチュアート・ウッズもサンタフェに住んでいるらしい。彼の本に出てくる主人公は、だいたいお金持ちが多いのだが、ウッズ自身も、お金持ち〜という感じ。

2004年05月30日(日)
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 この手のなかの真実/ウォーリー・ラム

カバーより
一卵性双生児の兄弟トーマスとドミニクは、私生児として生まれた。トーマスは、19歳のときに精神分裂症を発病し、病院の入退院を繰り返している。1990年の秋、湾岸戦争を阻止すべく神に捧げものをするという名目で、自らの手を切り落とす。

その後1年の出来事を描いていくこの作品では、ドミニクの不幸が語られる。継父からの虐待、母親の死。最愛の女性と結婚するが、赤ん坊は突然死し、それが原因でふたりは別れてしまう。次々と訪れる不幸にドミニクは、教師らしい冷静さで対処していくが、教壇に立っていたある日、許容量を越え、突然嗚咽して崩れ落ち、狂人として警察に連行され、教師を辞職する。不幸に押しつぶされそうになりながらも人生を立て直そうと必死に努力する普通の人々の魂の物語。

本作は、全米の人気番組「オプラ・ウィンフリーショー」で紹介され、たちまちベストセラーリスト全米ナンバーワンにランクイン!全米200万人が感動し、15ヵ国で翻訳出版された、世界的、記録的なベストセラー作品。


主人公は双子の兄弟の弟ドミニクで、彼の周囲には不幸が蔓延しているような話なのだが、読み進めると、意外にも思ったほど暗くない。

さまざまな不幸の中で、最も主人公のドミニクを苦しめているのは、双子の兄との関係が、一生涯つきまとうことだろう。兄を世話するのは、ドミニクしかおらず、それがどれほど彼に重くのしかかっていることか。

でも、こんなことを書いていいのかどうかと思うが、兄の分裂ぶりは奇想天外で、話としては面白いのだ。正直、笑える。しかし、ドミニクの立場になったら、笑い事ではすまない。兄の言動に笑いながらも、笑っちゃいけないかと反省したりして。とても重たいテーマで書かれているのだが、ウォーリー・ラムが、そもそも暗い人ではないのだろうか、重くて暗い印象はあまりまい。

主人公のドミニクが、のちに妻となるデッサに会ったときに、彼女がリチャード・ブローティガンの『西瓜糖の日々』を読んでいたという部分があった。

「難解なんだけど、やめられないの。幻想的な感じ・・・どんどん引き込まれちゃう」

と言うデッサに、ドミニクは、ブローティガンの写真を見ながらこう言う。

「LSDでラリったマーク・トウェインって感じだな」

ぷ!まったくその通りだなと思って、笑ってしまった。誰かに似てるんだけど、外人だからみんな似てるように見えるんだろうなんて思っていたんだけど、そうか、マーク・トウェインがLSDをやれば、こういう風になっちゃうかもね。

しかし、なんでこんなに分厚いのかというと、主人公ドミニクの話だけではなく、ドミニクのお祖父さんの自伝まで、丸ごと書かれているからなのだ。

話はなかなか面白かった(という言い方も変なのかもしれない)が、途中からお祖父さんの自伝が出てきて、これってあり?という感じだった。たしかにお祖父さんの自伝を読むことで、最後にはドミニクの生い立ちが分かるという構成になっているのだが、にしても長い。

自分自身を再認識するという小説はよくあるが、欧米ではポピュラーなカウンセリングの部分が多いのには、ちょっとうんざりだったかも。こんな夢を見たが、それにどういう意味があるかなどというのは、作者が心理学者として本気で分析しているなら読む価値もあると思うが、適当に書いているんじゃないのか?と思ってしまうと、途端にどうでもよくなってしまうからだ。

最後には、中で最も普通でないはずの分裂病の兄(ドミニクは双子の弟)トーマスが、一番まともに見えてきた。それぞれがそれぞれの悩みを抱えていて、それに各自が立ち向かう様子は、辛くもあり滑稽でもあるのだが、奇妙な言動をしているトーマスが、結局は正しかったというような結末は、人間はみな病んでいて、純粋で正しい行いをしているものが、この世の中では狂っているかのように思われるのだろうかとも思えた。

内容説明には、「普通の人々の魂の記録」とあるが、彼らが普通の人々とはとても思えない。父はどこの誰ともわからないし、母はガンに侵されて死亡、継父は暴力を振るうし、兄弟は精神分裂病、それに子どもの死、離婚、同棲相手の不倫などなど、普通の人々には、こんなことはそうそうあるものでもないだろう。このうちのいくつかの経験があっても、これが全部人生の中に入り込んできたら、「普通」ではないんじゃないか?

追い討ちをかけるように、最終的に自分の父親はインディアンだと知ったドミニク。しかも、兄のトーマスはそれを知っていて、知らなかったのは自分だけ。自分はずっとイタリア系だと思っていたのに、実はインディアンの血が混じっていたというのも、かなりの衝撃だろうと思った。インディアンがいいとか悪いとかとういうことではない。人種のるつぼ、アメリカだからこそのエピソードなのだろう。私には、ドミニクの立場になって想像することすらできない。

2004年05月29日(土)
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 ファーストウーマン/ジェニファー・クルージー

内容(「BOOK」データベースより)
長年のキャリアと結婚生活をいっぺんに(それも自分より若い女に!)奪われたら―ネルの場合、まさに悪夢だった。そんな彼女の再起を賭けた新天地は“秘密厳守・法律遵守・秘書とファックするな”をルールに掲げるマッケンナ探偵社。時代錯誤のワンマン男ゲイブと憎めない女たらしライリーの秘書になったものの横領に脅迫、事件の匂いがプンプン。おまけにネルの周囲で死体が次々発見され…かわいいだけが女じゃない!全米大ヒットの最強ロマンティックミステリ。

※画像は原書『Fast Women』


これも予想を良いほうに裏切った本だった。カバーのコピーを読むと、ドタバタな感じがして、結構分厚いし、もしかして途中で嫌になるかもしれないと思っていたのだが、意外に「大人の本」という感じ。

たしかに主人公のネルは、気が強くて自分を曲げない性格で、たびたび探偵事務所の上司と衝突するのだけれど、なんといっても彼女は42歳でバツイチの子持ち。単なるドタバタでは終わっていなかった。というか、ドタバタな感じがしたのは、カバーのコピーが良くないせいだろう。

彼女の少々行き過ぎた行動を救っているのが、マッケンナ探偵社のボスであるゲイブと、そのパートナーのライリー。この二人の渋さが、全体の雰囲気を大人っぽくしていると思う。

内容はミステリで、死体がぞろぞろ出てきたりするのだが、ほとんどロマンスに重きがおかれている。それも、大人のロマンス。犯人は誰?というのを追いかけながら、ネルのロマンスの行方はどうなる?といった興味もプラスされるので、一度で二度おいしいといった感じの読み物。

ただ、あちらもこちらも身内といった状況なので(離婚していたとしても)、人間関係がややこしい。例えば、ネルの親友二人は元夫の兄嫁だったりとか。仕事上でもいろいろ身内が関係していて、これは誰の親戚だったっけ?という感じで、始終登場人物を確認しないといけなかった。

この中で、「ちゃんとごはんを食べさせてくれる男」という表現があるのだが、男女平等とかなんとかは関係なく、「ごはんを食べさせてくれる」という基本的な行為は、生きていく上で、ちゃんと「守ってくれる」、責任感のある男ということじゃないだろうかと思った。

私はか弱いので(?)、やっぱり「ちゃんとごはんを食べさせてくれる男」のほうがいい。お腹は空いてないか?と心配してくれる男のほうがいい。太ったっていいから食べなきゃダメだと言ってくれる男のほうがいい。(^^;

「男はタフでなければ生きて行けない。優しくなければ生きていく資格がない」というフィリップ・マーロウの言葉を、そのまま投げつけてやりたいような男が多い中で、ここに出てくるゲイブとライリーは、非常に魅力的。

2004年05月28日(金)
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 レベッカのお買いもの日記(2)NYでハッスル篇/ソフィー・キンセラ

内容(「BOOK」データベースより)
いまやTVで売れっ子の金融コメンテーターとなったレベッカ。かつての「お買いもの」でつくった請求書の山もキレイに払い終わって、若手実業家ルークとも熱愛中―となにもかも順風満帆!のはずだったけど…。そんな時、NYに進出するルークに誘われて下見に同行、浮かれてお買いものしまくるレベッカだったが、どこから漏れたのか、悲惨な借金地獄を『デイリー・ワールド』紙に暴露されてしまう。仕事はすべてパアになり、ルークとの仲も最悪に。ついに職なし、お金なし、恋人なしに逆戻り…さあ、どうするレベッカ!?ロンドン発NY経由のベストセラー小説、絶好調の第二弾。


さらっと一気に読んでしまった。レベッカちゃん、今回も、ちょっと馬鹿じゃないの?ってくらいに派手に買いまくってる。「とらぬ狸の皮算用」ってやつで、あの仕事が入ったら、ああなって、こうなって・・・だから、あれもこれも買わなきゃと、自分の都合のいいように買い物を正当化してしまうノーテンキなレベッカちゃんは、他人事とは思えない性格なんだけど、それにしても、もういい加減にしたら?と言いたくもなる。

後半の窮地は、自業自得とも言えるんだけど、自力で立ち直り、結末は予想通り。でも、このどうしようもない買い物中毒の女に、どうしてあんな素敵なお金持ちの青年実業家の彼がいるのかと、まったくうらやましい限り。にも関わらず、今回もレベッカちゃんは、借金しまくり!だめだこりゃ!って感じ。

ていうか、彼に買ってもらえばいいのに(お金持ちなんだから)と思うのは、筋違い?何事も前向きな姿勢がかわいいと言えば、かわいいんだけど、なんだか行く末を心配しちゃうよね。個人的には、1作目のほうが面白かったかな。

2004年05月23日(日)
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 ミステリー・ウォーク (上・下)/ロバート・R・マキャモン

ミステリー・ウォーク〈上〉/ロバート・R. マキャモン (著), Robert R. McCammon (原著), 山田 和子 (翻訳)
内容(「BOOK」データベースより)
ビリー・クリークモアが母から受け継いだのは、死者の魂を鎮める能力だった。だが、人々は彼に冷たく、疑いに満ちた目を向ける。そんなある日、伝道者ファルコナーが、治癒の奇蹟を起こす息子ウェインを連れて町にやって来る。だが、ビリーが伝道集会で見たものは…?『少年時代』『遙か南へ』を経て、久々の長編『魔女は夜ささやく』に至るマキャモン文学の源流、待望の復活。

ミステリー・ウォーク〈下〉/ロバート・R. マキャモン (著), Robert R. McCammon (原著), 山田 和子 (翻訳)
内容(「BOOK」データベースより)
伝道者ファルコナーの迫害により、故なき制裁で重傷を負った父。ただ耐え忍ぶ母。二人を残しビリーは旅立つ。だが、邪悪なる影はいたるところに潜む。さらに、教団を継いだウェインはビリーを悪魔の化身と信じ、彼の命を狙う。だが、二人は知らぬまま、互いに運命の糸を手繰り寄せていた…。善と悪の対決を少年の成長に託して描く幻の傑作ダーク・ファンタジイ、感動の終幕へ。



やっとマキャモンが読める!と喜び、とりあえず手元にある本の出版順にと思い、『ミステリー・ウォーク』から読み始めたが、すぐに引き込まれて、本を閉じるのが辛い。それに、この文庫版は復刊されたのだろうか、2003年の出版になっているのだが、あとがきには青山先生の解説が載っている。それを読んだら、まるで授業を受けているような感覚に陥った。

アメリカ南部についての言及や、はっきりと何年とは書いていないけれども、文中に出てくる音楽や出来事で、時代が明確に記されているなどというのは、何度か聞いたことがあるなと、懐かしく思い出した。

『ミステリー・ウォーク』は、これまでに読んだマキャモン作品よりも、より南部色が濃く、いかにも南部の話といった出来事がたくさん出てくる。早稲田で開催される「アメリカ南部映画祭」に合わせて読むには、ちょうどいいかも。

この作品は、死者の霊と向かい合ったり、「シェイプ・チェンジャー」と呼ばれる邪悪な存在と対決したりと、結構不気味な世界で、怖がりの私としては、正直言って怖かったのだけれど、マキャモン作品の常で、主人公の精神的な強さ、善なる魂に救われた。得体の知れない「邪悪な存在」が現れるというのは、前に読んだ『スワン・ソング』を思い起こさせた。

『スワン・ソング』と大きく違うところは、光と闇の世界を、双子の兄弟で分け合ってあるところ。主人公ビリーは死の世界に通じ、兄のウェインは生の世界を操ることができる。だが、ウェインはその使い方を間違っていた。兄弟であるとも知らずに対決に向かう二人だが、ビリーのほうが先にそれを知り、最後に和解し、ウェインが自らを犠牲にして、ビリーを助けるところは感動。

マキャモンは、いつも善と悪を描いているが、どれだけ残虐で悲惨な場面が描かれていようとも、必ず善が報われているのが救い。本当に彼はいい人なのだと、読むたびに毎回思う。自分がこの社会の中で、悪意の塊と戦わなければならないようなとき、マキャモンの作品は、心の拠り所となる。この社会には、悪意の塊や邪悪なものがたくさんある。そういうものに負けないためにも、マキャモンの本が読みたい。マキャモンにもっと本を書いてもらいたい。

マキャモン作品の翻訳はみな良いので、できれば翻訳で読みたいのだが、絶版や在庫切れが多くて、これまでになんとか集めた本以外は、原書で読まなくてはならないというのが残念。

2004年05月22日(土)
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 レベッカ (上・下)/ダフネ・デュ・モーリア

レベッカ (上巻) 新潮文庫/デュ・モーリア (著), 大久保 康雄
カバーより
モンテ・カルロで知り合った英国紳士に望まれ、マンダレイの邸に後妻にはいった“わたし”を待ち受けていたものは、美貌と才智に包まれた先妻レベッカの不気味な妖気が立ちこめ、彼女によって張りめぐらされた因習と伝統に縛られた生活だった・・・。不安と恐怖に怯えながらもひたすらに愛を捧げようとする、若く純粋な女性の微細微妙な心理を追及したミステリー・ロマン。

レベッカ (下巻) 新潮文庫/デュ・モーリア (著), 大久保 康雄
カバーより
仮装舞踏会の翌朝、海中に沈められていたレベッカのヨットから、埋葬されたはずの彼女の死体が発見された。はじめて夫から聞かされる彼女の死にまつわる恐るべき真実。事件は、レベッカを死の直前に診察した医師の証言から急速に展開し、やがて魔性の貴婦人のベールが剥がされる・・・。息詰る物語の展開の中に、ロマンの香りを織り込んだすぐれたサスペンス・ドラマである。



冒頭の情景描写は、いつまでこれが続くのかしら?と心配になったほどだったが、途中、本題に入ったあたりからは、一気に読ませてくれた。

亡きレベッカのお世話をしていたデンヴァース夫人、怖いです。彼女の気持ちは理解できるのだが、なんて悪意に満ちた、残酷な人だろうと思った。人が傷つくことがわかっていて、というか、傷つけることを目的に、相手が傷つくことを知っていて、故意に辛らつなことを言うという感じ。

こういう人は実際にもよくいるし、そういうことを言われたという経験もあるが、知らずに傷つけてしまうのではなく、「故意に」というところに、人間の邪悪さを感じる。他人の幸せを妬み、悪意でしか見ることができない不幸な人間だ。その敵意に満ちた激情は、ほとんどヒステリックで、幽霊などより恐ろしい。

しかい、デンヴァース夫人の場合、あとで自分の気持ちを素直に告白しているだけましかもしれない。何も言わず、ただ憎悪だけを投げつけている状態は、なんともぞっとする。

主人公については、姿を現さないレベッカであると思うが、一見主人公に見える「わたし」の名前は何だったのだろう?読み落としたか、忘れたかと思い、再度ざっと見直したが、結局名前は出てきていなかったと思う。そんなところからも、主人公はレベッカなのだと思える。

すでにこの世の人間ではないのに、その存在だけが、生きている人たちの心にリアリティを伴っていつまでも残っている。レベッカの亡霊などは一切出てきていないのに、あたかも目の前に亡霊がいるかのような恐怖を感じさせる、デユ・モーリアの手腕は、見事だ。

余談だが、これには別の作家による続編がある。『ぼくはお城の王様だ』の著者であるスーザン・ヒルによるもので、『ぼくは・・・』のほうも、お薦め本に入れているくらいのすごい本で、人間の邪悪さというものにショックを受けたのだが、この人が書く続編なら、そのあたりも上手く書けているのではないかと。

<続編>
『Mrs. De Winter』/Susan Hill (著)
マスマーケット: 416 p ; 出版社: Harpercollins ; ISBN: 0380721457 ; Reprint 版 (1994/11/01)

From Publishers Weekly
This sequel to Daphne du Maurier's Rebecca depicts the further adventures of Maxim de Winter and his second wife.

この作品は、映画は観ているけれど・・・という人は多いだろう。私は残念ながら観ていないが、マンダレイの景色などは(実際のものではないにしても)、ちょっと参考に観てみたい気がする。

なんとなく、レベッカが世間で言われているような素晴らしい女性ではなかったのだろうという予測はしていたが、なかなかに曲者だった。さすがにあそこまでとは思っていなかったけれど。でも結末が、どうなるのだろうかとハラハラしたわりには、少し物足りなくて、ああ、火事になったのだろうなあと思ったものの、それでどうなったのか、これからまだ続きそうだといった感じを受けた。

そんなところからも、続編が生まれたのだろう。こういった古典の続編は結構あるようで、『風と共に去りぬ』や、『自負と偏見』(『高慢と偏見』)、それにジャンルは違うが、『吸血鬼ドラキュラ』の続編など、みな違う作家が書いている。

別人の書いた続編は読まないと決めていたが、「ドラキュラ」の続編は案外面白かったし、今回も、先に書いたように続きがありそうな終わり方だったので、結末の物足りなさを補うために、読んでもいいかと思っている(すでに購入済み)。読まないほうが良かったと思うかもしれないが。

ところで、「マダム・デ・ウィンター」という言い方、これは「マダム・ド・ウィンター」とは読まないのだろうか?などと、重箱の隅をつつくように、細かいところばかりを言っているが、これもずっと気になっていたこと。(^^;

2004年05月17日(月)
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 Good in Bed/Jennifer Weiner

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フィラデルフィア・エグザミナー紙の記者キャニー・シャピロは、恋人とは別れたものの、仕事にも暮らしにも満足しており、太めの体型にもさして不満はなかった。元恋人のブルースが2人のセックスライフを、そして太った女性を愛した経験を雑誌に発表するまでは…。

そんなブルースになおも未練を残すキャニーだが、彼の心はすっかり離れていた。失意と怒りの日々を送るキャニーは過去を振り返る。母親と子どもたちを捨てて出ていった父親。恋人と暮らすレズビアンの母親。そこから、キャニーの自分探しの旅が始まる。摂食障害センターの医師や、取材で親しくなった有名人や、友だちや家族との交流を通して、キャニーは新たな人生に向かって歩きだしていく。

ヒロインのキャニーは、本人の言葉を借りれば、マーサズヴィニャードの海のような深いグリーンの瞳を持つ、孤独で愛に飢えた28歳。アリー・マクビールとブリジット・ジョーンズを足したくらいの…体重がある。ひねったユーモアと柔らかな心であれやこれやの問題に立ち向かう姿には、誰もが共感を覚えるだろう。

題名や表紙から受ける印象に反して、本書は愛すべき女性キャニーの成長物語だ。キャニーの語り口はウィットに富んでおり、華やかな芸能界の様子や、ポップ・カルチャーもちりばめられたぜいたくなエンターテイメントに仕上がっている。(小泉真理子)

内容(「BOOK」データベースより)
主人公:キャニー・シャピロ。28歳。独身。「ブリジット・ジョーンズとアリー・マクビールを足したくらい月並み」と嘆くキャニーのもとに届いた、信じられないくらい最悪の知らせ。元彼のブルースが、「グッド・イン・ベッド―抱かれ上手な女になるために」と題された人気雑誌のコラムに、ふたりのセックスライフを、そして彼女の体型までも事細かに書いたなんて!それをきっかけに、月並みなはずのキャニーの人生は、めまぐるしく変わりはじめる。恋や仕事、ダイエット、将来への不安…女性はいつも、たくさんの悩みを抱えながら生きている。それを一点の曇りもない誠実さと、とびきりのユーモアで綴った、ジェニファー・ウェイナーのデビュー作。自分の居場所を探し求めるすべての女性へ―笑いと涙と勇気を与えてくれる、最高のプレゼント。



これも「BJ系」かな?と思って、気楽に読めるだろうと思っていたら、案外重たいテーマがぎっしり書かれていて(文章的には「BJ」っぽいのだけれど)、かなり時間がかかりそうだったのだが、なんとなく眠れなくて、夜中に一気に読んだ。

内容は、上に書いてある通りだが、「とびきりのユーモアで綴った・・・」というのは、ちょっと違う気がする。ユーモアは、ほとんどない。文章が「BJ」っぽい独白だから、お気楽な感じを受けるが、この主人公の人生は、結構きつい。いや、ブリジット・ジョーンズだって、その他の本の主人公だって、みんな人生はしんどいものだと思って、一生懸命に生きているんだと思うけれど。

シチュエーションが違うだけで、それぞれ皆辛い思いをしているんだろうけど(ほんと、人生は辛いのよ!)、今回の『Good In Bed』は、ちょっと深刻。父親の愛情を得られなかったトラウマを抱え、大柄で太目であるがゆえに、誰も自分を愛してくれないと思い込んでいたりする。そもそも父親が責任感のない酷い男なのだが、元彼の仕打ちもまた酷い。

少なくとも、実の親くらいは、自分の娘にデブだのブスだの言ってはいけないだろう。整形外科医の父親は、自分の娘が自分の美意識にあてはまらないとして、汚いものでも見るような目で見ていたのだ。挙句の果てに、妻と子を捨てて、姿を消した。それでも彼女は、ずっと父親の愛情を求めていたというのが悲しい。どんなに酷い男でも、かけがえのないたった一人の父親には違いない。

個人的にはあまり共感を得られるキャラクターではなかったが、彼女の気持ちはわかる。彼女がそういうことを乗り越えて、精神的に自立していき、これから幸せになっていくんだという結末には、それなりに感動もした。とはいえ、この手の小説で、ブリジット・ジョーンズを超えるキャラクターは、まだ登場していないように思う。

それにしても、こういう小説の登場人物とかって、だいたい出版社だとか新聞社なんかに勤めていて、コラムなんかを書いていたりするんだけれど、コラムって、あんなに赤裸々に自分のプライベートなことを書いちゃうわけ?といつもびっくりする。

下にある内容説明にもあるように、今回もえ?とびっくりするような内容のコラムを書いている(元彼が)。こんなのあり?それってOKなの?って感じ。私がコラムというものを誤解しているんだろうか?とも思うが、世の中には、そんな赤裸々なコラムを、喜んで読む人がいるんだなと。

フィクションなんだから、そういうことはどうでもいいんだろうけど、この間読んだ『ガールズ・ポーカー・ナイト』のコラムもすごかった。上司との関係を全国紙に書いてしまうんだから、何を考えているんだろう?って感じ。

でも、毎度思うんだけど、こういう小説に出てくるような責任感のある優しい女友達って、ほんとにいるのか?と疑う。落ち込んでいたりすれば、必ず元気づけにつきあってくれるとか、何事かあれば、いろいろ助けてくれたりとか・・・。

だいたい結婚なんかしてしまえば、家庭のことが一番で、友達なんか二の次でしょう。自分の家庭が世界の中心みたいになってしまうんだから。結婚すると、もう明らかに付き合い方は変わってしまう。それぞれの家庭の都合ってものがあることはわかるけど、人間そのものが変わるわけじゃないのに、女同士はなぜそうなってしまうんだろう?こういう小説を読むと、そもそも友達だと思っていたのが間違いだったのか?とも思ってしまう。たぶん、きっとそうなんだろう。

そういう意味では、男の人っていいなと思う。結婚しても付き合いは変わらないし、長年会っていなくても、その間にある友情は変わっていない。最近お気に入りのコーマック・マッカーシーの小説には、そうした男の友情みたいなことも描かれていて、無駄口はきかないけれど、ちゃんと相手のことを思いやっているし、お互いに何かあれば助け合うという信頼感みたいなものがあるのが、とてもうらやましいと思った。

2004年05月14日(金)
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 平原の町/コーマック・マッカーシー

内容(「BOOK」データベースより)
1953年、十九歳のジョン・グレイディは、メキシコとの国境近くの小さな牧場で働いていた。馬の扱いにかけては天性の才能をもつ彼は、ビリーをはじめ年上のカウボーイたちにも一目置かれていた。そんなジョン・グレイディが、娼婦というにはまだ幼いマグダレーナと激しい恋に落ちる。ふたりは密かに結婚を誓い合い、ジョン・グレイディは愛馬を売る決心までする。その固い決意に説得をあきらめたビリーもマグダレーナの足抜けに力を貸すが、非情な運命はふたりを引き裂いた…。苛酷な世界に逆らい、烈しく直情のまま生きる若者の生きざまを、鮮烈に謳い上げる、アメリカ青春小説の記念碑。


<国境三部作>の三作目で、『すべての美しい馬』の主人公ジョン・グレイディ・コールのその後を描いている。しかし、結末は残酷で、こういう展開になってしまうのか!という感じで、ちょっと悲しい。

『すべての美しい馬』よりもカウボーイの描写は多いのだが、「孤高のカウボーイ」というイメージは、『すべての美しい馬』のほうが強かった。今回は恋愛問題がからんでくるので、「孤高の・・・」という雰囲気はちょっと合わない(ヴィゴっぽくないと言うべきか?)。主人公以外のすべての人間が、その恋愛に反対しているように、私も読みながら、やめたほうがいいのに・・・と思っていたので、結末がどうにも切ない。

文体は相変わらずで、これは誰の会話?と思うところもしばしばだったが、2冊目なので、そのあたりは慣れ。恋愛部分の描写は上手いとは言えないし、妙に難解な哲学っぽい文章もあると思ったが、時折はっとするような描写があって、これはすごい作家だと思った。

マッカーシーは、アメリカ東部に生まれながら、南部作家としてデビューしたというのも初めて知った。それからテキサスに移って、西部作家になったとのこと。

『サロン・ドット・コム』によれば、「ジェイムズ・フェニモア・クーパー(『モヒカン族の最後』の著者)こそ、その最良の面でも最悪の面でもマッカーシーの真の先達である」のだそうだ。なるほど。

同著によれば、マッカーシーの文句なしの傑作は『血の子午線』(『Blood Meridian』)で、この四半世紀にアメリカが生んだ最もすぐれた小説のひとつと言われている。ちなみに日本では未翻訳。これも読んでみたいが、マッカーシーを原書でというのは、どうだろう。。。

●『サロン・ドット・コム』より
(国境)三部作は文章の出来も一様ではない。ある箇所は出来の悪いヘミングウェイのようだし、別の箇所は出来の悪いヘミングウェイのスペイン語訳からの重訳のようである。プロットはまとまりを欠き、時には哲学めいた駄弁の浅瀬に乗り上げてしまう。にもかかわらず、3冊とも息を呑む見事な描写が繰り返し現れるし、人間と動物との間に生じる関係にも思わず感動させられる。

2004年05月10日(月)
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 崖の国物語(4)ゴウママネキの呪い/ポール・スチュワート

カバーより
若き空賊クウィントは、父の盟友:最高位学者リニウスのもとで、徒弟生活を送るはめになる。だが、リニウスの娘マリスは鼻持ちならないし、派閥抗争に明け暮れる学者の世界には虫唾が走る。頼みのリニウスは夜な夜なクウィントをたたき起こし、怪しげな任務を命じる。巻物がたわわと吊るされた大図書館、錆びついた低空降下機、不気味な息づかいにうごめく地底トンネル─。リニウスがひた隠しにする「大いなる仕事」とは?「石の巣」に出没する深紅色の光の正体とは?ときは前三作の主人公トウィッグの父母の青春時代。神聖都市の歴史と浮遊石内部の謎が明らかにされる、崖の国物語、待望の第四部。

<原書>
『The Curse of the Gloamglozer (Edge Chronicles, 4)』/Paul Stewart (著), Chris Riddell (イラスト)
ペーパーバック: 384 p ; 出版社: Corgi Childrens ; ISBN: 0552547336 ; (2002/09/02)
内容(「MARC」データベースより)
時は溯り、トウィッグの父・クウィントの青年時代。父の飛行船で空賊として活躍するクウィントは、ある日、父の盟友で神聖都市の最高位学者であるリニウスの助手として預けられるが…。人気の英国ファンタジー第4弾。



<崖の国物語固有名詞対訳表>

前3巻までとは全く違う時代の話。前3巻の主人公だったトウィッグの父親クウィント(幼名)と、母親のマリスの話だ。

これまで読んだ4巻の中で、個人的にはこれが一番好き。トウィッグも成長してヒーローになったが、クウィントはさらにヒーロー的要素を持ったカッコイイ男の子だ。のちに妻となるマリスと、子どもらしい喧嘩などもするのだが、どんな時にも、マリスを守ろうとするクウィントは、それだけで、正統派のヒーローである。のちに「雲のオオカミ」と名乗るに十分な、勇気と責任感、正義感を持った少年である。

話は、崖の国の神聖都市サンクタフラクスの謎に迫る。都市が空中に浮いているのはずっと不思議な感じがしていたが、それなりの説明はあった。けれども、その内部の秘密がここで明かされるのだ。

ここで初めて登場する、身を隠す大地学者もいい味を出している。『指輪物語』のガンダルフか、「アーサー王伝説」のマーリンかといったところか。賢者であり、なおかつ勇気と正義感を持った、優れた人物。残念ながら途中退場してしまうのだが、この学者の死にも、大事な伏線がある。

そして、1巻目にも登場した、人の恐怖を食べて生きる悪鬼とも言うべきゴウママネキ。ここでクウィントがゴウママネキをやっつけたがために、その息子であるトウィッグが呪われていたのだと知る。深森でぬくぬくと暮らしていられなかった理由、どうしても外に出て行かざるを得なかった理由がこれだったのだ。

他の巻も面白かったが、この4巻目が最もテンポもよく、スリルに満ちていて面白かったと言えるだろう。この巻だけを読んでも差し支えないが、やはり順を追って最初から読んできたほうが、作者の意図が見えてくる。ともあれ、オリジナリティに富んだ、よくできたファンタジーだ。このシリーズは面白い。今後も注目していたい。

<The Edge Chronicles>のサイト

2004年05月09日(日)
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 崖の国物語(3)神聖都市の夜明け/ポール・スチュワート

カバーより
飛空船エッジダンサー号で船出したトウィッグは、シュゴ鳥に導かれ、前人未到の虚空へと向かう。「大いなる嵐」の中心で、父・雲のオオカミから崖の国の命運にかかわる重大な任務を与えられたトウィッグだが、嵐の爆発で崖の地に墜落し、虚空での記憶を失ってしまう。行方不明の乗組員を捜し出し、記憶を取り戻さなければ!岩の塔だけが育つ岩の国、驚くべき事実を秘めた飛空船、異様でおぞましいオオモズ奴隷市場、そして深森のむこうに待ち受ける未知の土地─崖の国の宿命に命がけで立ち向かうトウィッグが、旅の果てに下す究極の決断とは・・・?奇想天外な異界・崖の国を舞台に繰り広げられるトウィッグの冒険、感動の完結篇!

<原書>
Midnight Over Sanctaphrax (Edge Chronicles)/Paul Stewart (著), Chris Riddell (イラスト)
ペーパーバック: 368 p ; サイズ(cm):
出版社: Corgi Childrens ; ISBN: 0552546755 ; (2002/04)
内容(「MARC」データベースより)
虚空の嵐の中で崖の国存亡に関わる重大な任務を与えられたトウィッグだが、地上に墜落した時にはその記憶は失われていた―。崖の国は救われるか? 崖の国を縦横無尽に巡って展開する人気の英国ファンタジー第3弾。



<崖の国物語固有名詞対訳表>

この巻で、トウィッグが主人公である話は完結する。内容は上記のとおりだが、ここで父親の雲のオオカミは、トウィッグに重大な任務を伝えたあと、死んでしまうのだ。悲しみに沈むまもなく、嵐の爆発で、船は木っ端微塵に。

救助されたトウィッグは、サンクタフラクスで虚空の記憶も忘れて過ごしていたが、乗組員を探しにあちらこちらに出かけ、遂に虚空での記憶を取り戻す。同時に、「大いなる嵐」がサンクタフラクスに向かって進んでいるため、浮遊都市の鎖を切らなければならないという重大な使命も思い出した。「大いなる嵐」は「母なる嵐」とも呼ばれ、それが崖の国の大河の源に届かなければ、水は枯れ、新たな生命も作られないというのだ。それがサンクタフラクスに衝突してしまうと、その大事な自然の生命の営みが途絶えてしまう。というわけで、トウィッグの命をかけた大冒険は、崖の国そのものの命が関わった、重大なものとなった。

この中でトウィッグは、どんなに困難でも、乗組員を探すのを絶対に諦めなかった。探し出された乗組員は、それに感動して、さらにトウィッグを慕うようになるのだが、ここでも悲劇は起こり、大事な乗組員の命が落とされたりもする。

そして遂にトウィグは、重大な使命は果たすのだが、このあと、サンクタフラクスはどうなるのだろうか?岩の国から生まれる浮遊石が、また新しいサンクタフラクスとなるだろうが、サンクタフラクスに残ってくれという要望を拒否し、また空に戻っていくトウィッグ。自分の居場所は空であると、強く心に思うのだ。心優しく、責任感の強い青年に成長したトウィッグが、読者にも非常に誇らしく思える。

2004年05月07日(金)
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 Time Stops for No Mouse (A HERMUX TANTAMOQ ADVENTURE)/Michael Hoeye

Amazon.co.jp
ネズミの時計屋、ハーマックス・タンタモクは、好きにならずにはいられないキャラクターだ。彼は世界中のチーズの絵がプリントされたフランネルのシャツを着てくつろぎ、テントウムシをカゴに入れて飼い、毎晩、世界中のあらゆるものに「心からありがとう」の日記を書く。

ヘルムクスは広い心の持ち主だ。そして、その心は今、怖いもの知らずの女流飛行士、リンカ・ペルフリンガーへの熱い思いでうずいている。リンカは先日、思いがけず彼の店にやってきて、腕時計を大至急修理してほしいと言ったのだった。ヘルムクスには知るよしもないが、この威勢のいい女冒険家と言葉を交わしたほんのひとときが、彼の人生を永遠に変えることになるのだ。

リンカから連絡がないまま1週間が過ぎると、ヘルムクスは心配するべきか腹を立てるべきかわからなくなる。そしてリンカにあててちょっとだけ不機嫌な手紙を書き、それからやけっぱちの手紙に書き直し、それから優しすぎず冷たすぎない手紙に書き直して、返事を待つ。だが、相変わらず音沙汰はない。不愉快な隣人(けばけばしい装いで、やけに気取った美容界の大立者トゥッカ・メルトスリン)と出くわしても、芸術家の友人ミルリンと明るく過ごしても、ヘルムクスにとりついた最近の不安は、片時も心を離れない。

黄色い目、薄い唇、毒のある言葉が印象的なドブネズミが彼の店にやってきたとき、ヘルムクスの最悪の不安は決定的になる。ドブネズミは不気味な笑みを浮かべて言う。「リンカ・ペルフリンガーの時計を受け取りにやってきました」。大事な人の時計を、預り証を持たない相手に単純に引き渡すわけにはいかなくて、ヘラムクスはドブネズミのあとをついていき、けっきょくリンカの家まで行ってしまう。すると、そこで見たものは…。リンカは誘拐されたのか? ヘルムクスが(何が彼をそこまでさせたのかはともかく)大胆にも彼女の家に侵入し、テウラボナリの国からの謎めいた手紙とひっくり返ったスパイシーな香りの植物の苗を見つけるあたりから、ストーリーは込み入ってくる。

その晩、ヘルムクスはペットのテントウムシに語りかける。「これから僕の新しい人生が始まる。探偵としての人生か、囚人としての人生がね。どちらになるかは時がたてばわかる。もしも、囚人としての人生となったなら、檻をどうやって飾りつけたらいいか、君にアドバイスを求めるよ」。間もなくヘルムクスは、こうした手がかりが、美容界の大立者トゥッカと関連があるとにらみはじめる。内服用ビン入り「永遠の若さの素」を調合しようとしているトゥッカは、ヘルムクスを自分の計画に巻き込もうとしていたのだ。

それから先は、心優しいヘルムクスが探偵の仕事を通して想像を絶する世界に足を踏み入れていき、次々に、スパイ、泥棒、殺し屋、裏切り、青春の泉、ヘビ、感動的な救出劇とかかわりながら、ネズミの毛もよだつ体験を重ねていく、と言うくらいにとどめておこう。しかし、そんな目に遭いながらもヘラムクスは、世界に対する感謝の気持ちを忘れない。「ありがとう、かどの食料品屋さん。ありがとう、サンドイッチにハニーフィズ。ありがとう、恐ろしいニュースに危機一髪の命拾い。ありがとう、ショッピングカートにショッピングバッグ。ありがとう、忠実なペットたち、ありがとう、勇気ある男性冒険家たち(と女性冒険家たち)」

読者はきっと、ヘルムクスのひたむきで好奇心あふれる性格と生きる情熱にひきつけられ、スリルとサスペンスに満ちた大冒険から目が離せなくなることだろう。(Karin Snelson, Amazon.com)

<翻訳>
ネズミの時計屋さんハーマックスの恋と冒険〈1〉“月の樹”の魔法/マイケル ホーイ (著), Michael Hoeye (原著), 雨沢 泰 (翻訳)
単行本: 345 p ; サイズ(cm): 182 x 128
出版社: ソニーマガジンズ ; ISBN: 4789720535 ; 1 巻 (2003/06)
内容(「MARC」データベースより)
ネズミの時計職人ハーマックス・タンタモクは、ある日壊れた懐中時計を持ちこんだ女飛行士リンカにすっかり心を奪われてしまう。しかし、リンカは行方不明に。さあ、どうするハーマックス?! 恋と時間の大冒険がはじまった!



特に好奇心に満ちているわけでもなく、平穏な毎日を楽しんでいる一匹の時計職人のネズミのハーマックスは、彼の店にやってきた、女飛行士リンカ(ネズミ)に恋してしまったために、思いもかけない冒険をすることになる。

うまくまとまっている話だと思うと同時に、特に新鮮でもなく、これといって感慨もない。児童向けの本かと思ったが、これは作者が自分の妻に向けて送ったEメールからできあがった話だとか。ということは、児童向けということでもないのだろう。

ちょっと悲しいのは、愛するリンカのために大冒険をしたというのに、結末はハーマックスの思ったようにはいかなくて、なんともお気の毒という感じだ。モグラの仕掛けた殺人マシンが、時計仕掛けというのも、時計職人の物語らしい。

殺されそうになったにも関わらず、悪漢のモグラも本当はいいモグラだったんじゃないかなどと考えてしまうハーマックスは、根っからお人好しなネズミなんだろう。だから失恋しても、リンカの幸せを祈っていたりする。

他にちょっといい話的なエピソードも混じって、たしかにうまくまとまっているのだけれど、この続きをまた読みたいと思うほどではなかった。

ネズミの時計屋、モグラの悪漢などなど、動物が擬人化された話だけれど、ネズミとモグラといえば、どうしてもケネス・グレアムの『川べにそよ風』を思い出してしまう。あの作品と比べたら、どうしたって負けるだろう。

2004年05月06日(木)
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 The Edge Chronicles (2) Stormchaser/Paul Stewart

内容(「BOOK」データベースより)
浮遊する神聖都市サンクタフラクスの最高位学者と、地上町の商人連合の癒着により、サンクタフラクスと地上町はいまだかつてない危機を迎えていた。地上町の人々は浮遊都市をつなぎとめる鎖をつくるために奴隷のように働かされ、鎖づくりのために水はこのうえなく汚染されている。この危機を救えるのは、トウィッグの父、雲のオオカミをおいてない。嵐晶石を手に入れるために、大いなる嵐を追うのだ。飛空船、ストームチェイサー号の乗組員となってはや二年、少年トウィッグの新たなる冒険が始まる―。地上町、薄明の森、泥地、神聖都市…崖の国を縦横無尽に経巡ってダイナミックに展開する、『崖(がい)の国物語』第二部。

<翻訳>
崖の国物語〈2〉嵐を追う者たち/ポール スチュワート (著), Paul Stewart (原著), Chris Riddell (原著), 唐沢 則幸 (翻訳), クリス リデル
単行本: 550 p ; サイズ(cm): 182 x 128
出版社: ポプラ社 ; ISBN: 4591069842 ; 2 巻 (2001/10)
内容(「MARC」データベースより)
崩れた環境バランス、そこに巣食う利権構造…。町を救うには、嵐晶石を手に入れるしかない。飛空船ストームチェイサー号は、薄明の森へ旅立つ。崖の国を縦横無尽に巡って展開する人気の英国ファンタジー第2弾。



<崖の国物語固有名詞対訳表>

今回は、上の説明にもあるように、主人公トウィッグが空賊となり、浮遊都市サンクタフラクスを救うために、船長の父親と共に飛空船ストームチェイサー号で、薄明の森へ「嵐晶石」を取りに行くという話。

実はこの巻は、あとからわかることなのだが、シリーズ中、最も伏線を含んでいる話なのだ。相変わらず作者の作り出した奇妙な生き物や、現代科学をひっくり返すような物理的な不思議さを満載しているが、トウィッグの将来や、サンクタフラクスの行く末などを描くための下準備といった感じの内容だ。

サンクタフラクスは浮遊石でできている。これはまるで生きているかのようにどんどん成長し、その浮力も増す。そのために「嵐晶石」という、光を当てると軽くなり、暗いところではとてつもない重さになるという石でバランスをとっているのだ。

ところが、サンクタフラクスの最高位学者(神聖都市は学者の町)ヴィルニクス・ポムポルニウスが、自分の地位を不動のものにしようと、「嵐晶石」を持ち出し、「神聖砂」を作ることに利用してしまったため、サンクタフラクスはどんどん浮力が増していってしまい、何本もの鎖で地上町に係留しておかなくてはならない状態となってしまった。

浮力の増大はとどまることを知らず、鎖を作る工業のために、崖の国の河川は汚れ放題。それを浄化するために「神聖砂」が役立つことがわかり、そのためにヴィルニクスが最高位学者となったわけである。ここには商人連合との癒着などもあり、市民はむやみにそれを作ろうとしては、爆死するということを繰り返すのみ。これを憂慮した光と闇の両博士が、トウィッグの父である雲のオオカミに、「嵐晶石」を取ってくるよう命じたということである。

「嵐晶石」は、「大いなる嵐」が薄明の森に最大の稲妻を落としたときに生まれるもので、「大いなる嵐」を追いかけて、その中心部に入ることは、非常に困難。これまでにもたくさんの飛空騎士が試みてきたが、ほとんど成功していなかったのだ。

そして、いよいよ嵐の中に入ったとき、ストームチェイサー号はどうにもならなくなり、乗組員はすべて脱出するしかなくなった。ただひとり、雲のオオカミを残して。トウィッグは、心を引き裂かれそうになりながら、船を離れる。父親にやっと会えたと思ったのに、もう別れねばならないとは!なんと過酷な運命だろうか。

だが、生きて自分の跡を継ぐようにと父から言われた言葉を胸に、トウィッグは船を飛び出すのだ。ここで、トウィッグはひとつ成長する。自分は空賊の息子として、務めを果たさねばならないという責任感が生まれる。

しかし薄明の森に落下したトウィッグは、仲間を探しながら、「嵐晶石」ができるのを目にする。やっと仲間を探し出したトウィッグ。父なき今、船長はトウィッグであるということになり、彼は立派な船長になると決意する。しかし、帰路、ある者は薄明の森で気がふれ、ある者は泥地で足切りスクリードに殺されてしまう。

残ったトウィッグとストーン・パイロットは、難破船を修理して、なんとかサンクタフラクスに到着し、新たな船エッジダンサー号と乗組員を集める。その時シュゴ鳥が、父親の雲のオオカミが「虚空」で大変なことになっていると知らせに来る。取るものも取りあえず、トウィッグと新しい乗組員たちは「虚空」へと父を助けに向かう。

トウィッグが、冒険の末にだんだん成長していき、いよいよ自分の船を持って、最愛の人を助けに行くという結末だが、すごくカッコイイわけでもないし、運命のままに成長していくしかないようなトウィッグではあっても、正統派のヒーローの片鱗が見え始める。父を救うことはできるのか?「嵐晶石」は手に入るのか?

2004年05月04日(火)
Copyright(C) 2000-216 SCHAZZIE All rights reserved.
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