読書の日記 --- READING DIARY
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 チェンジリング・チャイルド/ジュリー・ハーン

出版社/著者からの内容紹介
暗くて怖いロンドンの地下室……でも、ぼくは行く。あいつらを救うのはぼくなんだ!肌は透けるように白く、歯は一本もない。身長60センチ足らずの妖精の取り替え子アストラ。全身毛に覆われたゴリラ女エンジェル、手足の関節が自由自在に曲がる軟体男ツイスト。身の丈2メートル半の大男、目に「わが神」という文字の浮かぶ少年……。怪物たちは怖く、そしてやさしかった……。ダレン・シャンをしのぐダークファンタジー。

内容(「MARC」データベースより)
12歳の少年トムは見せ物小屋で虐げられる心優しき怪人たちを救うため、現代と過去を往来して奮闘する。ちょっと不気味でスリリングな冒険ファンタジー。


“ちょっと不気味でスリリングな冒険ファンタジー”というコピーにひかれ、ブラッドベリみたいな感じかな?と思って期待して読んでみたが、「ダークエルフ・トリロジー」のあとということもあり、全然面白くなかった。ファンタジーで、これ!と思うものは、そう立て続けにあるものではないなと。

「妖精の取り替え子」というのがコピーにもあったし、それがどんなものなのかということに、とても興味を持ったのだけど、アストラがそうであるということはわかったが、どこでどうやって取り替えられたのかとか、取り替えられた人間の子はどうなったのかとか、そんなことは全然書いていない。タイトルだって、「チェンジリング・チャイルド」なわけだから、そのあたりをもっと詳しく書いてほしいと思う。それが全然期待はずれで、消化不良を起こしそうな、不満足な1冊だった。

舞台はフリークショーなので、それだけでも不気味と言えば不気味なんだが、トムの実生活は、母親がガンで、おばあちゃんと上手くいっていないという家庭環境だ。それが、どういうわけか、過去のロンドンへとタイムスリップしていくのだが、その実生活の状況の必然性(母親がガンだとかいうこと)が感じられなくて、ちぐはぐな感じ。時間の無駄だった。

2004年07月30日(金)
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 Dark Elf Trilogy : Sojourn (#3)/R.A. Salvatore

『The Dark Elf Trilogy: Homeland, Exile, Sojourn (Forgotten Realms)』
/R. A. Salvatore (著)
ペーパーバック: 808 p ; 出版社: Wizards of the Coast ; ISBN: 0786915889 ; Collectors 版 "Homeland", "Exile", "Sojourn" 巻 (2000/02/01)

※これは三作合本版。単独のものは以下。

『Sojourn (Forgotten Realms Novel: Dark Elf Trilogy)』
/R.A. Salvatore (著)
マスマーケット: 309 p ; 出版社: Wizards of the Coast ; ISBN: 1560760478 ; (1991/05/01)
内容(「MARC」データベースより)
邪悪な故郷をひとり脱走した心優しき少年ドリッズトと、危険な地下の荒野で出会った、各々が哀しみを背負った旅の仲間たちの友情と戦いの日々を描く、剣と魔法のファンタジー、完結編。こうして、ぼくの物語は終わる…。



1、2巻はたしかに、ゲーム的な感覚で、スピード感もあったのだが、3巻になってちょっと雰囲気が変わった。そもそも読み始めた時から、その世界観が『指輪物語』に似ているというか、真似てるのかなという感じがしていたのだが、3巻になるとちょっと変化して、『ホビットの冒険』の雰囲気も混じってくる。

物語そのものは「指輪」とは全然違うが、やはり地球上の異世界を描くと、どうしても「指輪」の「中つ国」のようになってしまうのだろうか。この物語の舞台となっている「フォーゴトン・レルム」とは、まさに「中つ国」のようなところなのだ。

しかも主人公は、ダークエルフとはいえ、エルフである。魔法も使える。そこにオークやドワーフ、ドラゴンやウァーグ(大狼)などの怪物が出てくるのだから、似てきても仕方がない。出てこないのは、ホビットぐらいかという感じ。名前なども非常によく似ているものがある。例えば、ドワーフが作った美しい金属を「ミスリル」といったりするのも、『指輪物語』と一緒だ。

さらに、3巻には人間が登場し、辺境の地を守って歩くレンジャー(野伏)まで出てくる。レンジャーと言えば、「指輪」ではアラゴルンに代表される、丈高き、高潔で寡黙なヒーロー達である。「ダークエルフ物語」でも、主人公のドリッズトが人間のレンジャーと心を通わせ、その人を師として人生を学んでいくので、いつの間にかレンジャーのようになっている。

ここまで来ると、ドリッズトはアラゴルンのイメージと重なり、非常に魅力的なキャラとなってくる。実はこの先、「アイス・ウインド・デイル」という物語があり、書かれたのはそちらのほうが先なのだが、物語的には「ダークエルフ」の続きとなる。

そこまで読みたい気持ちも出てきたけれど、とりあえず、ここで終了しておこう。せっかく集めたマキャモンが待っているし、読みかけの本もいくつもある。それに、<サマー・リーディング>用の本も、本棚から誘っている。でも、いつかまた、孤高の戦士ドリッズトに会いたいという気持ちは大いにある。

2004年07月29日(木)
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 A Handful of Dust/Evelyn Waugh

※4月から7月までのNHKラジオ「原書で読む世界の名作」(講師:横浜市立大学名誉教授・日本大学教授/小野寺 健)で使用したテキストだが、実際に使ったのは abridged 版。リンクは Unabridged 版。

※8月から11月までは、James Joyce 『Dubliners』


週に1回30分の講座なので、前のことはどんどん忘れていくという情けない状況なのだが、イーヴリン・ウォーは、前にも『Brideshead Revisited』を同じ講座で読んでいて、英文も解釈も難しいと感じていた作家である。

今回も同様で、ウォーの風刺は、英文を読んだだけでは理解できなくて、講師の説明がなければ、まるで気が付かず、何の引っ掛かりもかんじずに読み飛ばしてしまうといったことがしばしば。

ウォー自身は上層中産階級に属しているのだが、貴族的な文化に憧れており、そうした社会を描いている小説が多いようだ。しかし、自分自身は貴族でなかったことを非常に残念がっていながら、貴族社会への風刺は、かなり辛らつである。

この小説では、そうした貴族社会の退屈さや、浮気や離婚といったことが、何の感情も伴わずに、事務的に処理されてしまう有様などが描かれていて、それはそれで一種の驚きをもって読んだが、そういった描写の中に、貴族とはいえ、実に下世話な生活の様子もまた描かれている。それがあからさまに描かれているのではなく、独特の言い回し、よくよく読み込まなければ分からないような書き方をしているので、それこそ、解説を聞かなければ、そういうことだったのかと気が付かずに通り過ぎてしまう。

登場人物もそれぞれに特徴があり、一人一人の描写もまた上手いと思う。そして、彼らのそれぞれの行く末というのも、なかなか興味深いのだ。特に、この小説の舞台となった貴族の当主であった、ラスト氏の最後は、恐ろしく不幸なのだが、反面、笑えてしまうものでもある。

ブラジルに旅行に行ったまま行方不明とされ、死んだと思われて、墓まで建てられるのだが、実はブラジルの奥地である人物に捕まり、イギリスに帰してもらえなくなっているというのが真相。しかし、その人物は、探しに来た人間に、ラスト氏は死んだと伝えてしまう。

ラスト氏が囚われている理由は、「ディケンズを読んでほしいから」という、ただそれだけのことなのだ。そこに何か狂気のようなものを感じて、ぞっとする最後となっている。


2004年07月28日(水)
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 スケアクロウ―死闘!南極基地を防衛せよ〈Vol.1〉/マシュー・ライリー

出版社/著者からの内容紹介
アメリカの管轄下にある、ウィルクス南極基地から謎のSOSが発信された。海中洞窟でダイバーたちが「何か」に襲われたという。そしてダイバーたちは「宇宙船のようなもの」を見たという。シェーン・スコーフィールド中尉率いる米海兵隊第十六偵察部隊は信号を受信し、至急救援に向かった。基地にたどり着いた海兵隊を、フランス軍最強の戦闘部隊、海兵隊第一パラシュート部隊が奇襲する。フランス軍も信号を傍受し、基地を無力化した上で「宇宙船のようなもの」を独り占めすることを狙っていたのだ!氷に囲まれた南極基地で凄絶な戦いが始まる――。

精緻な描写、圧倒的迫力の戦闘シーン。裏切り、陰謀、幾重にも張り巡らされた伏線。一度読み出したら眠れない超エンターテイメント。オーストラリアで爆発的ヒットを記録し、アメリカ、イギリス、南アフリカ、ドイツ、オランダ、チェコ、ブルガリア、中国でも大ヒットしたジェットコースター・ノベルが、コミックと合体して日本に上陸!


これは単行本と書いてあるけれど、雑誌のような作り。紙質も雑誌のようなザラ紙で、内容紹介に「コミックと合体」とあるように、実際イラストは漫画。つまり、挿絵部分が漫画ってこと。3分冊で、この後2冊、続きが出る。

この作りはとても面白いと思ったが、いかんせん、絵が良くない。これって外国の話で、当然主人公も外人。ポップなアメリカン・コミックのような絵ならいいが、どう見ても日本人にしか見えない絵なのだ。吹き出しも日本語だ(翻訳版だから当たり前かもしれないが)。なんで、こんな絵をつけちゃうかなあ?がっくり。。。

ヒーローが一重まぶたの日本人っぽい顔じゃ、様にならない(サングラスをかけているので、一重まぶたかどうかは不明だが、顔型からして一重まぶたであろうと想像する。絶対にアングロサクソン系の顔じゃない)。肉体的にも貧弱だし。(--;

そもそも原書の 『Scarecrow』 には漫画などついておらず、もちろん分冊にもなっていない。日本版で勝手にこんな作りにしたのだろう。だから、お手本となるヒーローの絵がないわけだ。だからといって、いかにも漫画にしなくても。。。いや、漫画でもいいから、アメリカン・コミック風の絵にして欲しかったなあ。作者が見たら、どうなの、これ?

と、あれこれ文句を言いながらも、「一度読み出したら眠れない超エンターテインメント」とあるから、ほんとにそれだけ中身が面白いなら、しょうがないから、まあ良しとしよう。


で、たしかにテンポも良く、読者の好奇心を引き付ける書き方なので、なかなか面白いのだけれど、やっぱり漫画が・・・。左の画像は、主人公のシェーン・スコーフィールドなのだが、どう見たって、日本人か中国人か韓国人にしか見えない。これはアメリカ人の顔じゃないだろう。もしかして、中国系とか韓国系アメリカ人だったりするのかもしれないが、読んでいてイメージが合わない。

それと、これ。「百舌一号」、「百舌二号」って、君らは日本の自衛隊か?って感じ。ちなみに、スコーフィールドが所属しているのは、アメリカ合衆国海兵隊だ。そのほか、一緒に行動している隊員は、皆コードネームを持っているのだが、それも全部日本語に訳してあるので、どうも雰囲気が出ない。ちなみにスコーフィールドのコードネームが「スケアクロウ」だから、タイトルが『スケアクロウ』なのだが、本の中では 「案山子」

「こちら、案山子!こちら案山子!応答願います!」なんて・・・。

1巻目は、そもそもの事の起こりと、あとはほとんど戦闘シーンなのだが、それはそれで、スピード感があって面白かった。ヒーローである主人公の「案山子」(スコーフィールドだよ!)の素顔も途中で出てくるが、人間的にどんな人物なのか、まだよくわからない。

それと、「宇宙船のようなもの」とは何なのか?これもまだベールに包まれたままだ。ダイバーたちを襲ったものの正体もまだわかっていない。だから、次の巻も気になる。というわけで、出版社の作戦にまんまとはまってしまい、次の巻が出るのを心待ちにしているといった具合。


2004年07月26日(月)
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 1984年/ジョージ・オーウェル


カバーより
1984年、世界は三つの超大国に分割されていた。その一つ、オセアニア国では<偉大な兄弟>に指導される政府が全体主義体制を確立し、思想や言語からセックスにいたるすべての人間性を完全な管理下に置いていた。この非人間的な体制に反発した真理省のウィンストンは、思想警察の厳重な監視をかいくぐり、禁止されていた日記を密かにつけはじめるが・・・。社会における個人の自由と人間性の尊厳の問題を鋭くえぐる問題作。


ジョージ・オーウェルは大好きな作家なのだが、政治的、思想的なテーマになると、私自身に興味がないせいか、今ひとつ入り込めない。事実、オーウェルからは、思想的なことは何の影響も受けていない。

この小説について、政治的、思想的な面から感想を書くのは、すでに多くの人が述べていることであって、そういったことに無知な私が、そういう面で意見を述べたところで、何の意味もないだろう。

では、文学としてはどうなのか?『ジョージ・オーウェル論』を書いたジョン・ウェイン(映画俳優ではない)によれば、「彼は小説も満足に書けない小説家であり、自分の職能を正しく学び取らない批評家であり、矛盾(ギャップ)だらけの史観を持つ社会学者であった。にもかかわらず、彼は重大なのである」と評されている。つまり、この小説の、文学としての評価はされていないということなのだが、私はこの小説を、政治的、思想的な面からのみ評価するのは、片手落ちだと考えるし、もっと文章やプロットについて語られてもいいのではないかと思う。

かといって、小難しいことは私には書けないので、感じたことをありのままに書くしかない。私が最も注目したのは、主人公のウィンストンが、禁止されている日記を書き始めたこと。それこそ文学的な行為であると思うからだ。しかし、期待していたウィンストンの日記が、全編を通じて出てくるかというと、全くそうではなくて、最初の書き出しのみで、あとはただ単に、そうした禁を犯していたという事実だけなのだ。

ジュリアという恋人の出現も、禁を犯したことのひとつになるが、日記といい、恋愛といい、この小説の中の世界では、今現在、当たり前のように思える行為が全て禁止され、市民の生活は当局によって四六時中監視されている。そういった中で、人間はどんな精神状態になるのか、突き詰めると、人間は自分のことしか考えていないということがあからさまになってくる。

非常に興味深いのは、「言葉の破壊」という概念。社会が改革されるのだから、言語もその思想にあった言葉にするべきだというのは、面白い。

「・・・“good”(良い)みたいな言葉があるなら、“bad”(悪い)みたいな言葉の必要がどこにあろう。“ungood”(良くない)でじゅうぶん間に合う─いや、その方がまだましだ、まさしく正反対の意味を持つわけだからね。(中略)もし“グッド”の強い意味を持った言葉が欲しければ、“excellent”(優秀な)とか、“splendid”(見事な)といったような曖昧で役に立たない一連の単語を持っていても仕方がない。“plusgood”(プラスグッド)という一語で間に合う。もっと強い意味を持たせたければ、“doubleplusgood”(ダブルプラスグッド)といえばよい」

といった具合だ。この語法の説明は、なかなか的確である。「言葉の破壊」とは、現代の若者の言葉遣いのようにも思えるが、それとはまた別で、これにはきちんとした論理性がある。こういう語法にすれば、単語をたくさん覚えなくても済むと思うのは、ぐうたらな私だけか?

最後のパラグラフには、

「彼は巨大な顔をじいっと見上げた。四十年かかって、あの黒い口髭に隠された微笑の意味がやっと分かったのだ。ああ、何というみじめで、不必要な誤解であったことか!(中略)何もかもこれで良かったのだ、苦闘は終わりを告げたのである。彼はやっと自分に対して勝利を納めたのだった。彼は“偉大な兄弟”を愛していた」

とあるのだが、私にはこの意味が、全然理解できていないと思う。これはオーウェル独特の風刺なのだろうと考えるが、人間は個人の思想や精神などを犠牲にして、何か巨大な力に屈してしまうものだという警告だとも思える。

2004年07月23日(金)
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 The Dark Elf Trilogy : Exile (#2)/R. A. Salvatore

The Dark Elf Trilogy: Homeland, Exile, Sojourn (Forgotten Realms)
/R. A. Salvatore (著)
ペーパーバック: 808 p ; 出版社: Wizards of the Coast ; ISBN: 0786915889 ; Collectors 版 "Homeland", "Exile", "Sojourn" 巻 (2000/02/01)

※この本は三作合本版。単独のものは以下。

Exile (Forgotten Realms, Dark Elf Trilogy, Book 2)/R. A. Salvatore (著)
マスマーケット: 306 p ; 出版社: Wizards of the Coast ; ISBN: 0880389206 ; 2 巻 (1990/12/01)
月刊マックパワー(第161号)
「ダークエルフ物語 I 故郷、メンゾベランザン」に続く第二巻。本書は世界中で遊ばれているロール・プレイング・ゲーム「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の世界観をもとにしている。同ゲームのファンはもとより、冒険ファンタジー小説が好きな方にはお勧めです。(2003年6月号)



ロール・プレイング・ゲーム「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の世界観をもとにしている・・・などと解説されてしまうと、なんとも居心地の悪い思いになってしまうのだが、1巻目の感想にも書いたが、私はゲームのことは全く知らない。

1巻目で故郷メンゾベランザンを捨てたドリッズトは、都市を離れたアンダーダークの世界で、孤独に生きていた。友は黒豹のグウェンワイヴァーだけ。そのグウェンワイヴァーも、魔法で作り出された別の世界の存在なので、年中一緒にいられるわけではない。ひたすら孤独に耐えるドリッズト。

アンダーダークで生き残るには、冷酷にならざるを得ないのだが、そうなっては故郷を捨てた意味がないと思ったドリッズトは、思い切ってノームの都市へと潜入する。誰でもいいから、話のできる相手が欲しかったのだ。

そこで心の友を見つけたドリッズトだが、母親のマリスがドリッズトの命を狙うため、殺された父親のザクネイフィンをゾンビとして生き返らせて送り込んだことを知る。父親と戦わねばならない苦悩と悲しみ。

だが、そうした試練にも打ち勝ち、ドリッズトはさらに成長する。その時40歳。アンダーダークのドロウ(ドリッズトたちダークエルフの種族)は、何世紀も生きる。だからまだまだ若いドリッズトなのだが、地底世界の精神的な闇がつくづく嫌になり、とうとう地上へと足を向ける。

この物語は、精神的な闇の部分が描かれていることが多く、ほとんど暗い話なのだが、子供向けファンタジーという以上の、よく考えられた物語である。悪者ぞろいのアンダーダークの住人たちではあるが、彼らとて、生きていくためには、闇の掟に従わなければならないわけだから、一概に悪いとばかりは言えないのだ。

けれども、そこにどうしても馴染めないドリッズトの孤独と苦悩は、読みながらひしひしと伝わってくる。地上に出たドリッズトはどうなるのか?それは次の巻のお楽しみである。何かをいえば戦って殺し合うというような、暴力的で暗い話なので、ものすごく面白いというわけではないのだが、読者を捕らえて放さない力を備えた物語だと思う。

1巻目からずっと疑問に思っていることがあるのだが、ドリッズトの母親のマリスほか、ドロウたちに崇め奉られている、邪悪な「蜘蛛の女王」とは、一体何者なのだろう?その存在が気になって仕方がない。


2004年07月20日(火)
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 The Pilot's Wife/Anita Shreve

内容(「MARC」データベースより)
深夜に届いた、夫の突然の死の知らせ。衝撃に耐え、溢れる感情を抑える間もなく、さらに信じがたい事実が浮上する…。結婚の深層に光を当てるスリリングな物語。


これはミステリとして読むと失望するという。それもそのはずで、アニタ・シュリーヴはロマンス系の作家だ。そもそも、ミステリ小説であるとして紹介した出版社に比があるというものだ。

なんとなくの思い込みで、この「パイロット」とは、空軍か海軍のジェット戦闘機のパイロットだとばかり思っていたのだが、読んでみたら、旅客機のパイロットであることが判明。すっかり「トップガン」みたいなイメージを作り上げてしまっていたのだが、冒頭から肩透かしをくらった感じ。でも、夜中に突然、パイロットの夫が死んだことを知らされるという設定は、やはりドキドキする。

で、最後にもまた肩透かしをくらう。肩透かしとは別に悪い意味ではないのだが、そういう結末になるのか!という感じ。ミステリではないのだと思いつつ、じゃあロマンスなのかというと、そういうわけでもなく、予想外の展開にはびっくり。

夫が突然の事故で亡くなってから、幸せだった家庭に、次々と暴露されていく秘密。その謎を辿っていくと・・・。ええっ!という展開。最後は結局ロマンス的結末になるのだが、それはそれでいいでしょう。心理的な面もよく描かれているし、夫に別の家庭があって、子どもが二人もいたなんてことは、当然予想される展開だが、そういう予想を大きく外れた意外な展開というのも面白い。

この主人公のような立場になったら、私だったらどうするだろうか?と考えると、非常に恐ろしい。夫が死んだということよりも、夫に他の女性がいて、子どもまでいたということのほうがショックだと思う。女遊びのひとつやふたつ・・・とは思うものの、実際に形として残されている不倫の現実というのは、耐えられないだろうと思う。そのあたりの主人公の心の動揺(そんなに生易しいものではないだろうが)が、よく描けていると思う。

たしかに、これをミステリ小説だと言うと、ミステリファンには面白くないだろうが、そもそも作者はミステリとして書いているわけではないから、そのあたりに期待してはいけないだろう。あくまでもロマンスである。ジャンルでいえば、ジェントル・フィクションかも。

2004年07月15日(木)
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 魔女は夜ささやく(上・下)/ロバート・R・マキャモン

『魔女は夜ささやく』〈上〉/ロバート・R・マキャモン (著), 二宮 磬 (翻訳)
単行本: 422 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 文藝春秋 ; ISBN: 4163221204 ; 上 巻 (2003/08/28)
内容(「MARC」データベースより)
17世紀末、アメリカ南部。町を襲う魔女を捕らえたとの報に、魔女裁判を行うべくやってきた判事とその書記マシュー。裁判の日が刻々と近づくが、若きマシューは疑念を捨てきれない。獄中の美女は本当に魔女なのか?

『魔女は夜ささやく』〈下〉/ロバート・R・マキャモン (著), 二宮 磬 (翻訳)
単行本: 391 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 文藝春秋 ; ISBN: 4163221301 ; 下 巻 (2003/08/28)
内容(「MARC」データベースより)
「魔女」の処刑まであと数日。彼女の無実を信じ、愛しはじめた青年マシューをよそに、病状を悪化させた判事は、瀕死の床に伏せる。すべての背後にいるのは誰か。その目的は何か。そして悪魔は実在するのか?



これは今までのマキャモン作品とだいぶ違うかな、というのが冒頭の感想。マキャモンの作品として、これを最初に読んだ人には、「マキャモンはいいよ」と言っても通じないだろうなという感じ。

かといって、けしてこれが良くないというわけではなく(個人的には十分面白いと思っている)、これまでのマキャモン作品を踏まえた上で、この作品が成り立っていると考えれば、自然な流れと思えるのだが、最初にこれを読んでしまうと、ちょっと引くかな?とも思う。

2段組でかなりびっしり詰まっている装丁だし、登場人物も多くて、一気にいかないと、なかなか進んでいかず、まだ上巻半ばなのだが、マキャモン特有の「善の側の人間」と「邪悪なもの」の存在は、はっきりと見える。それが今回は、魔女裁判という社会的な状況を仲介として、どんな戦いを繰り広げていくのか、非常に興味深い。

邪悪なものは、以前にも増して邪悪になっているが、善の側の人間は、以前の作品と変わらず、そこでほっと一息つける存在として描かれている。この存在が、マキャモン作品を単なるホラーとして片付けられない重要な要素なのだと私はとらえている。

舞台はアメリカの開拓時代。魔女裁判などが行われていた時代で、疫病の流行などもあり、これまで描かれていた現代の舞台とは大きく異なっているため、ちょっと異質にも感じられるが、個人的には、マキャモンがこの時代に目をつけるであろうことは、なんとなく予想していたことでもあるので、特に違和感があるわけでもない。

魔女裁判の時代の話としては、前にセリア・リーズの『Wirch Child』を読んだので、そのあたりの陰惨で理不尽な状況は、すでに免疫としてある。また、ホーソーンの『緋文字』もその類。これらを読んでいるのと読んでいないのとでは、マキャモンの作品に対しても、感じ方が違ったかもしれない。

いずれにしてもこの時代の魔女がらみの話は、だいたい暗い話が多いが、ここでもマキャモンは、真の邪悪さは、「邪悪なもの」として描かれている「そのもの」ではなく、普通の人間の中に潜んでいることを暴き出していると感じる。善人面をして、内に悪意を秘めている人間の、なんとおぞましいことか!

下巻になってからは、一気に進んだ。マキャモン作品には、あまり謎解きは出てこないのだが(犯人は「邪悪なもの」だったりするし)、これは実体を持った人間が犯人であるということで、では誰が?という好奇心につられて、一気に読み終えた。

描写がかなり露骨だったりして、最初は「これがマキャモン?」というような感じもしたが、最後には、やはり人間の善なる部分をしっかり書いてくれている。主人公のマシューと、彼を孤児院から引き取って、立派な人間になるよう教育してきた判事の、父と子のような愛情には、ちょっとホロリ。

それと、最初はとまどった「かなり露骨な描写」も、意図があってそうしたのだということがわかってくる。そうした言うのも憚られる悪魔の所業でさえ、人間の心の奥底では、それを見たり聞いたりしたいという欲望が渦巻いているのだ。だからこそ、悪魔の所業を露骨に口にするインチキ説教師に引かれていく人間も出てくるというわけだ。

「まあーっ!そんな悪魔の技などとんでもない!私はけしてそんなことはしないし、考えもしないけれど・・・(でも興味津々!)」といったところだろうか。中世に魔女として処刑された人たちも、周囲の人間のそうした隠された欲望の餌食になったのでは。。。

ただ、『魔女は夜ささやく』というタイトルの割に、魔女役のレイチェルのキャラが弱かったかな?という気がする。魔女として活躍して欲しかったという意味ではないが(レイチェルは魔女ではないし、魔女裁判を描いてはいるが、魔女を描いているわけではないと思う)、もう少し、彼女の出番があってもよかったかも。でも、原題は『Speaks the Nightbird』なので、魔女という言葉は出てこない。その代わり、作中に「夜の鳥」という表現は何度も出てくるので、当然ながら、原題には忠実だ。「夜の鳥」は、重要なキーワードとなっている。

ところで、これは原書よりも翻訳のほうがページ数が少ないという稀な本で(普通は翻訳のほうがページ数は多くなる)、ほんとにそうなのか?と気になってしょうがなかった。すでに読んだという人には、その都度聞いてみるのだが、原書と翻訳を両方読んだ人はいないため、いまだに謎が解明されていない。なので、これはぜひとも自分で見比べてみなければと、原書も入手してある。

この本は、ハードカバーでは1冊だが、ペーパーバックでは2分冊になっている。こういうのもまた珍しいのだが、とりあえずざっと見たところ、原書の2巻目の最後と翻訳の下巻の最後は間違いなく同じ文章で、訳者あとがきにも、短縮されているとは書かれていないから、たぶん全訳なのだろう。

しかし、PBの1巻目と翻訳の上巻の最後は一緒ではない。まだ読んでいないので、翻訳ではどこで切れているのか不明だが、翻訳の上・下巻が原書の1、2巻と対応しているわけではないようだ。

2004年07月13日(火)
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 袋小路/キャサリン・コールター

内容(「BOOK」データベースより)
全米を恐怖に陥れた双子の連続殺人鬼“魔法使い”。FBI捜査官のサビッチは一人を射殺、一人を逮捕したものの、そこで見たある現象に悪寒を拭いきれずにいた。同じ頃、遠くカリフォルニアでは妹が重傷との報せが…自殺未遂を主張する周囲とは裏腹に、次々浮かびあがる疑惑。が、時を置かず双子の生き残りが逃走、ふたつの謎の狭間でサビッチは絶体絶命の危機を迎える―『迷路』のディロン・サビッチ&レーシー・シャーロックが夫婦となって活躍!シリーズ第二弾。


昨日読んだ、前作『迷路』で、このシリーズの主人公レーシー・シャーロックとディロン・サビッチは結婚するのだが、今回の話では、二人の間にすでにショーンという子どもも生まれている。原書のほうでは、この間に何冊かあるので、そのあたりの状況ももっと詳しく書かれているんだろうと思うが、いきなり子持ちになっていたのにはびっくり。

それに、シリーズの主人公は上の二人だが、今回はサビッチの妹が登場して、主役に負けない活躍をする。シャーロックとサビッチのロマンスはもう書けないから、ロマンスの部分もこの妹が担当。相手役の美術商サイモンも、FBI顔負けの大活躍。サビッチに負けない頼もしさを発揮する。

なおかつ今回の事件の犯人は、不可思議なイリュージョンを使う「魔法使い」であるという設定。いきなり「X-ファイル」か?と思わせるような話である。途中であまり関係のない事件を追ったりして、これは余計じゃないの?とは思うものの、何かと盛りだくさんな内容だ。個人的には、前作『迷路』のほうが、面白かったが。

でも、時々翻訳に首をかしげざるをえない部分がある。会話とかは、まあいいんだけれど、カタカナ表記がおかしかったりする。固有名詞などは、いろんな読み方があっても仕方がないが、例えば、「tripod」は「トリポッド」ではなくて、「トライポッド」だろう。実際の発音も「トライポッド」だが、正しい発音がどうこうということではなく、日本語でもトライアングルなどという言葉が定着しているのだから、「tri」は「トライ」と書くべきじゃないのかなあと。そういう箇所がいくつかあった。

2004年07月05日(月)
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 迷路/キャサリン・コールター

出版社/著者からの内容紹介
被害者はみな廃屋に組んだ迷路を歩かされ、舌を切り取られていた――七年前サンフランシスコを震撼させた猟奇連続殺人。かつてこの事件で姉を失ったレーシーは、FBI捜査官となったいまもひそかに犯人を追い続けていた。そんななかボストンで再び同様の事件が!レーシーは敏腕捜査官サビッチの協力を得て犯人を追いつめるが、封印した過去を解き放ち、自ら迷路の入り口に立とうとしているとは気づくはずもなかった……。全米ベストセラーの傑作ラブサスペンス!


ちょっと前にBOOK・OFFで2冊ほど買っておいた、キャサリン・コールター。もともとロマンス系の人だが、これはFBIもののミステリ。さほど期待もせずに読んだところ、これが案外面白くて、テンポもいいし、一気に読んでしまった。

いわゆるミステリ専門の男性作家のFBIものというと、最近は気持ちの悪い異常なサイコパスの話が多く、ちょっとうんざり気味だったのだが、コールターの作品もサイコを扱ってはいるものの、それほどどぎつくない。

さすがロマンス出身だけのことはあって、犯人探しのサスペンスにロマンスがプラスされている。それがいい感じにミックスされており、話を面白くしている。ミステリとしては詰めが甘い感じもするし、お気楽本の域は出ないけれど、これもまた何も考えず、ストレートに楽しめる本だ。

主人公のFBI女性捜査官レーシー・シャーロック(当然、シャーロック・ホームズを意識しており、それに関するジョークなどもたびたび出てくる)のキャラも、ユーモアがあって淡々としているところなど、なかなか好感が持てるし、上司のディロン・サビッチ(レーシーのロマンスの相手でもある)もグッド!

このサビッチも、優柔不断なところがなく、「おれが守ってやる!」というタイプで、有無を言わさず、どんどん引っ張っていってくれる頼もしい存在。「上官として命令する!」なんて言われたら、思わず「イエス・サー!」と言っちゃうよねえといった感じ。

2004年07月04日(日)
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 優しさのゆくえ/ダニエル・スティール

『優しさのゆくえ』/ダニエル・スティール (著), 中川 晴子
カバーより
サマンサは、ニューヨークの広告会社に勤めるキャリアウーマン。夫のジョンは、かつての大学のフットボールチームのヒーローで、いまはTVの人気ニュースキャスター。華やかなふたりは、地位もお金も、羨望も、手に入らないものはないように思えた。ただひとつ、サマンサに子どもができないことをのぞいては。そんなある日、突然サマンサは、夫に離婚をせまられた。愛人に子どもができたので、彼女と結婚したいというのだ。夫の突然の裏切りと破局。見も心も疲れ果てた彼女は、心の傷をいやすために一人カリフォルニアへと飛ぶ。

※画像は原書 『Palomino』


マッカーシーなどのカウボーイそのものを描いているものは、「カウボーイ本」と言えるが、こちらのメインはロマンスで、たまたま相手がカウボーイであるというだけのことだから、「カウボーイもの」と言っている。

ダニエル・スティールは今まで何冊か原書を読んでいるが、翻訳で読むのは初めてじゃないか?すごく読みやすいので、原書でもほとんど苦にならないが、この人の場合、あまりにノーマルすぎて、日本語で読むと照れくさくなってしまうのだ。

とはいえ、ダニエル・スティールはロマンスだけを書いているのではないから(ジャンルで言えばジェントル・フィクションになるのだろう)、思わぬところで感動したりすることもあるので、なかなか侮れない。今回の本も、原題は『Palomino』で、たてがみと尾が銀白色でその他はクリーム色の馬のことだ(映画「オーシャン・オブ・ファイヤー」を観たときに知った)。それがなぜ『優しさのゆくえ』になるか、読めばなるほどと納得する。

絢爛たる舞台設定、優美なブランドものの衣装、アンティークな家具などなど、スティールの小説はどれもそういった上流の雰囲気が漂っていて、基本的には主人公はだいたいセレブが多い(逆に言うと、そういうところが安っぽく感じてしまうのだが)。カウボーイの世界を書くなんて、珍しいことかも。もちろん、この本の主人公もセレブなのだが、そのことがカウボーイとの恋愛に支障をきたすことになる。このカウボーイ、男の中の男と書かれているが、個人的にはちょっと気にいらない。そうじゃないだろう、カウボーイって!みたいな・・・。(^^;

フラナリー・オコナーで頭を悩ませたあとなので、こういうストレートに話のわかるエンターテインメントは、気分転換には丁度いい。そういう意味では、シドニー・シェルダンなんかも私は好きだ。こちらが何も考えなくていいというのはとても楽だし、理屈なんかどうでもよくて、とにかく面白く、ひたすら読め進められるといいのがいい。

2004年07月03日(土)
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