読書の日記 --- READING DIARY
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 ゴシップガール/セシリー・V・Z

ここはマンハッタンのアッパー・イースト・サイド――いわゆる「セレブな人たち」が住むところ。(ま、世の中そういう人もかならずいるわけよ)
なかでもセリーナは、女子なら誰でも彼女のようになりたいと思い、男子なら誰でも彼女にしたいと思うトクベツな女の子。そんなS(セリーナ)がNYに帰ってきた。それぞれの思惑とウワサ話が渦巻くただ中に・・・。
――カバーより

語り手はgossipgirl.netというウェブサイトと開いている女の子で、HNはゴシップガール。噂のセリーナを中心に、ああでもない、こうでもないとゴシップを載せている。物語の途中で、時々そのサイトの内容が出てくる。第3者の投稿もあったりして、ゴシップの情報源を垣間見せるこの部分は、実はストーリー展開に大きな役割を果たしている。つまりゴシップを中心に話が展開していくというわけ。その中心が、ニューヨークのセレブの女の子たちの世界だから、一般の女の子とはちょっとわけが違う。でも、考えてることはみんな一緒。悩みも一緒。

もう単純に面白い。一気にノンストップで読んだ。どこが面白いかって、やっぱり人の噂話って魅力あるんでしょうね。シリーズ化されるらしいので、はまるかも。「初版限定ヴァージョン」の装丁も、本の裁断面がショッキングピンクに塗られたPBスタイルで、女の子っぽくかわいい。かといってけして幼くない。おしゃれ。



2003年03月31日(月)
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 Tell Me Your Dreams/Sidney Sheldon

When you want a novel you simply cannot put down, go to Sheldon.―New York Daily News

たしかに。。。何も考えずに一気に読みたいときはシェルダンに行けと。この本は、医学用語や法廷用語が頻発するが、それ以外は単語も易しいし、あっと言う間に読める。

同じコンピュータ関連会社に勤める3人の女性が、恐るべき連続殺人事件に巻き込まれて行く話。次々に起こる猟奇的殺人事件の裏には、恐るべき秘密が!
鍵は「同じ会社に勤める3人の女性」という部分。この3人は事件に密接に結びついている、というより当事者なのだが、それぞれの事件に表面的な関連はない。そこがどうもおかしい。。。と思っていたら、なんと、すごい展開になった。

後半は法廷場面が延々続くが、一気にいけた。犯人がわかってみれば、なるほどそういうことだったのかと思うが、最後まで興味を失わず、面白く読めた。とはいえ、犯人が有罪から一転して無罪になる場面や、殺人を犯すシーンなど、細かい部分で首をひねらざるを得ない設定もあったが、エンターテインメントだから、あまり追求しないでおこうかという感じ。

これは今読むつもりではなかったのに、最近翻訳が出たらしいので、パラパラとめくっていたら、ネットやチャットの記述があって、ストーカーも出現。おや!なにやら身近かも?と思って、つい引き込まれた。シェルダンだから、読者を引きずり込むのはお手のものだが、彼の他の作品と比べても、なかなか面白かった部類。

でも、チャットの描写は実際とはちょっと違うんじゃないかなあ?シェルダンは、よく小道具に新しいものを取り入れるが、彼も年を取ってきているので、そういったことのリアルな描写はだんだん無理になってきているのかも。。。この作品でも、結局ネットの世界などはストーリーにはあまり関係なかった。

シェルダンの作品はたしかに文芸作品とは全然違って、単語もやさしいし、文学的表現などもない。ただひたすら読者の好奇心を煽って、先へ先へと進ませる。シェルダンはくだらないと言う人もいるが、最初から中身の良し悪しなど関係ないのだから、純文学と比べるほうがおかしい。面白い本にもいろいろあって、これはエンターテインメントとして単純に面白いということで、これはこれでいいと思う。



2003年03月24日(月)
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 マンハッタン・コールガールの日記(B+)/トレイシー・クワン

ナンシー、愛にあふれたマンハッタンの娼婦(コールガール)。10代でこの職に就き、いまや売れっ子として毎日が充実中。コールガールなんてバカにされがちだけど、ナンシーはプライドを持ってこの(天性の)仕事に自分を捧げてる。でも最近、親友のストーカー客に怪しげな信仰問題、そして私生活の恋人との婚約(娼婦の仕事なんてもちろん秘密!)に、頭がこんがらがってきた・・・。
たくさんの男の羨望をとるか、ひとりの男の愛情をとるか!?
ナンシー、究極の選択に迫られて、人生最大の山場を迎える――。
気は強いけど情に厚い、キュートなコールガールの苦悩と涙(そして笑い)の日記。――カバーより

ブリジット・ジョーンズの娼婦版って感じ?作者の半自伝的な日記らしいが、カバーに載っていた写真(思いっきり東洋系)を見て、これが高級娼婦なの?とまずは疑う。主人公の名前がナンシー・チャンだから、東洋系であることはわかっていたけど、でもねー。ニューヨークで高級娼婦をやっているようにはどうやっても見えない。

でも、とりあえず面白かった。
娼婦って楽しそうな職業だななんて、間違ったイメージを持ちそうな感じさえしてしまうのだけど、一番の問題は、娼婦であることを隠してつきあっている婚約者。仕事を取るのか、愛する人を取るのか?という問題に直面したら、私なら迷わず愛する人と答えるところだが、ナンシーの場合は違う。10歳の時から娼婦になるのを夢見て、家出までした早熟な女の子だし、そもそもその仕事が好きなのだ。だから、婚約者にも仕事は邪魔されたくないらしい。

社会問題なども含めながら、あれやこれやのエピソード(仕事場面はかなりきわどい)をどうなっちゃうのかな・・・と思いながら読んでいると、最後はちゃっかり・・・。やっぱりナンシーにとっては天性の仕事なんだろう。倫理という問題から言えば、とんでもないこととも思うが、この人はこういうふうにしか生きられないんだろうなと思う。

それにしても、途中でセラピーを受ける場面が何度も出てくるのだが、アメリカ人て、どうしてこうもセラピー好きなのかな?というか、この物語にセラピーの場面は必要?

ナンシーの愛読書が何冊も出てくるが、それもまた興味深い。なぜなら、これは作者の半自伝的な小説だから、物語の中で架空に読んでいるというだけでなく、実際に娼婦であった作者が読んでいたものだと思われるからだ。



2003年03月18日(火)
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 アホでマヌケなアメリカ白人/マイケル・ムーア

戦争大好きブッシュとその仲間たちの呆れた素顔。バカタレどもの楽園へようこそ。―オビより

大統領選挙の不正は、今や周知の事実だが、大統領の椅子に座るべきでない人が座ってしまったアメリカの没落ぶり。「世界一危険なバカ」ブッシュと、その傀儡たちのあきれた、そして恐ろしい行動の数々。他人事と思えば笑えるが、ことアメリカに関しては、どの国も他人事では済まない。読んでいるうちに、怒りと寒気を覚える。

笑える本と思って買ってみたのだが、実際は笑えない。ブッシュが、クリントンが、こんなにひどいことをしていたのかと思ったら、腹が立つ(私はアメリカ人ではないにもかかわらず!)と同時に、人間てなんてバカなんだろうと悲しくなる。語り口はポップでユーモアもあるが、ここに書かれている数字を駆使した数々の事実は、戦慄ものだ。

アメリカだけに限らず、どこの国の政治家も自分の国のことでさえ考えていないのだろう。自分ひとりさえ良ければ・・・という利己的な考えが、あまりにも露骨に見える。そんな人たちが地球のことなど考えられるわけがない。例え核戦争が始まっても、「自分だけは助かる」なんて思っているんだろうな。人類は救われない。

何もブッシュを好んでバカにして笑っているわけじゃない。自分の国のトップが笑い物になって、楽しい人がいるだろうか?抱腹絶倒というのは嘘だ。本当にこんなバカやバカどもが世界の運命を握っているのだから、とてもじゃないが、笑えない。

ある日、アル中のブッシュが(狂牛病かもしれない)、「押してはいけない」という言葉も理解できず、ついほんのはずみで、核のボタンを押してみようかな・・・程度のことで、世界が破滅する日がくるかもしれない。そんな大統領を選んでしまった(実際には無理やり不正に大統領の椅子に座ったのだが)アメリカ人は、ムーアの言うように「バカでマヌケ」なのかもしれないが、今からでも遅くないから、本当の愛国心を見せて欲しいね。


2003年03月14日(金)
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 白衣の騎士団(上・下)/サー・アーサー・コナン・ドイル

<上巻>

時はエドワード三世(英仏百年戦争の開始者、1300年代)の頃。
ビューリー大修道院で20歳まで過ごしたアレインは、ここに預けた父エドリックの遺言により、世間に出ることになった。1年後、修道院に戻ってもよし、戻らなくてもよし、好きな道を選べというのだ。

まずは兄ミンステッドのソークマンを訪ねて行ったアレインは、途中で、男に襲われている美しい少女を助けるが、なんと襲っていたのは兄その人であったため、兄によって殺されかける。これでは兄のもとに身を寄せることもかなわぬと、旅の間に出会った、これまたビューリー大修道院を追いだされたホードル・ジョンと騎士サムキン・エイルワードと合流し、不承不承ながらも「白衣の騎士団」に入る。

この3人が向かったのは、サー・ナイジェル・ローリングの城。ここでアレインはサー・ナイジェルの従騎士となり、その娘レディ・モードの家庭教師の役も務める。このレディ・モードこそ、兄から助けた、あの美しい少女だったのである。

かくして、サー・ナイジェルが「白衣の騎士団」の隊長となり、総勢120人の騎士団は、エドワード三世のいるフランスへと赴くのだが、途中の港町で海賊退治を頼まれ、行きがけに戦いをしながらフランスへと渡り、無事エドワード黒太子に謁見することとなる。

スコットの「アイバンホー」以来、最高の歴史小説であるとされながらも、日本ではあまり知られていないドイルの歴史小説。ドイル自身、最も力を入れて書いたのは歴史小説であったという。母親の影響で、騎士道精神を教えられ、紋章学などもたたきこまれたドイルだけに、騎士についての描写はかなり細かい。

ここまでの話では、アレインが主人公なんだろうと思うが、まだ定かではない。主人公というのは特になく、それぞれの騎士についての記述が続くのかもしれない。

最初のほうで、アレインたちが出会い、サー・ナイジェルのところに行くまでの顛末は、特に冒険らしいものもないので、いささか退屈。話の運びとしては、「アイヴァンホー」のほうがテンポがあってわくわくする。

このあとは、まだまだうぶな修道士といった感じのアレインが、今後どのように成長するのか、また続編『ナイジェル卿の冒険』があるように、サー・ナイジェルがどのような活躍をするのか、そのあたりが楽しみではある。


<下巻>

下巻も一気に読了した。
でも、これは面白かったためではない。やたらとどうでもいい騎士の名前や紋章が出てきて、退屈だったので、じっくり味わわずにとにかく読み終えたかったから。T.H.ホワイトもそうだが、作家が自分の趣味に走って書くと、あまり良い結果にはならない。

ところが、この作品は欧米では非常に評価されており、つまりは日本人が戦国武将の話をやたら詳しく語りたがったりするようなもので、欧米、特にイギリスでは、受けるものなのだろう。

ドイルの話の運び方も個人的には気に入らない。例えば、「アレインが決闘をする顛末」とか「サー・ナイジェルが謎の騎士と再会する顛末」といった具合に、1章ずつで話が終わる。全体としてのストーリーはあるのだが、「顛末」で終わってしまうために、次の章への好奇心が薄れる。

上巻で、主人公はアレインだと思うと書いたが、特定の主人公はおらず、「白衣の騎士団」が主人公で、その騎士団に起こったエピソードを繋げているといった感じ。もちろんアレインやサー・ナイジェルは主要な登場人物で、上巻であげたホードル・ジョンやエイルワードも活躍する。

さまざまなエピソードを経て、最後にはエドワード三世自らがアレインを騎士とし、アレインは愛するサー・ナイジェルの娘レディ・モードとめでたく結婚する。そして、ほかの主要登場人物も皆、幸せに暮らしましたとさ、というわけ。



2003年03月12日(水)
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 アメリカ深南部/青山南(文)・橋本功司(写真)

なんという闇の美しさ。
目につくのは広大無辺の綿花畑である。
圧倒的に不気味な緑の湿地帯である。
夜の熱気に満ちた異形の街である。
―オビより

思い出してみると、カーソン・マッカラーズという深南部の女の作家が書いた「悲しい酒場の唄」という短篇で、ぼくは、アメリカ小説の不気味さに、はじめて感激したのだ。そして深南部の作家たちをさらに読むにつれ、このあたりには独自の時間が流れている、と確信するようになった。深南部は、じつは、アメリカではないのかもしれない、とさえいまは考える。―青山南

半分以上が写真であるから、写真集といってもいいような本。
先日読んだ『南の話』が青山南の本とすれば、こちらはそのアメリカ南部旅行に同行したカメラマンの写真集で、それに南さんが文章をつけたという感じ。おそらく同じネタだ。

アメリカ深南部とは、ルイジアナ、ミシシッピ、アラバマ、ジョージアといった南部の心臓部である。私も個人的にアメリカ南部に漠然と憧れを持っていたし、今までに読んだ南部の物語はすべて面白かったりして非常に興味があったから、南さんのアメリカ南部に関する著作は、ぞくぞくしながら読む。もっとも南部に興味がなかったり、南部出身の作家の作品など知らないという人には、この本もまた面白くはないかもしれない。

けれども、『南の話』と違い、今度は写真があるから、ほかのアメリカの地域とは何か違った雰囲気を感じるはずだ。南部の小説によく出てくる不気味なスパニッシュ・モスとはどんなものか?フライド・グリーン・トマトとはどんな食べ物なのか?そういった疑問が、写真ですべて解決する。

個人的には、一応疑問は解決するが、文学的な情報の詰まった『南の話』のほうが面白かった。写真も、このカメラマンのセンスはどうなんだろう?って感じ。もう少し南部の奥深さを撮ってほしかったなあと思う。もちろんプロなんだから技術はあるのだろうし、いい写真もあるのだけれど、なにか物足りない感じがする。

大量に撮ったであろう写真の中で、なぜわざわざこれを選ぶのかな?というものがあって、写真集として見たら、きっと買わないだろう。他の写真はどうでも、たった1枚でいいから、引き込まれて目が離せなくなるような写真が欲しい。南部には、それにこたえてくれるような素材が絶対にあるはず。

「なんという闇の美しさ」というコピーはすごくいいと思う。だから、写真でもそういった闇の美しさを表現して欲しかった。重くまとわりつくような闇。湿度のために柔らかくなる光。そういった感覚的なものをとらえている写真が1枚でもあれば・・・と残念でならない。



2003年03月10日(月)
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 モンテ=クリスト伯/アレクサンドル・デュマ

◆恋・陰謀・宝探しそして復讐!全世界の読者に熱狂的に愛読されてきた一大復讐物語。

リチャード・ハリス(ハリポタのダンブルドア役)がファリア司祭役で出演しているというので、読んでみようという気になった。岩波文庫だと全7冊だが、講談社のスーパー文庫というのを買ったら、完訳で全1冊。B5版で4センチ弱の厚さ。小さな文字で3段組のすごい本だったが、何でも分冊にしてしまう日本で、全1冊という潔さが良い!

物語は主人公エドモン・ダンテスが航海から帰って来たところから始まる。状況描写などはほとんどなく、いきなり陰謀の影が見え始める。

というわけで、余計な部分がなく、すぐに物語に引きずり込まれるといった感じで、なるほど当時の大衆に熱狂的に支持された所以はこんなところにあるのだろうかと思った。詩的で文学的な描写など大衆は求めておらず、とにかく面白い話を望んでいただろうから。それは昔も今も同じだと思うが。


[投獄&ファリア神父との出会い]

船主からかわいがられ、次期船長になるだろうといった希望と、愛するメルセデスとの婚約といった幸せの絶頂にあった1等航海士の主人公エドモン・ダンテスは、航海中に亡くなった船長の頼みで、ナポレオンのいるエルバ島に寄ったことから、彼の幸せを妬むものの陰謀により、無実の罪で捕らえられ、政治犯の監獄の島シャトー・ディフへと送られる。

ここにはナポレオンの百日天下といった激動の社会情勢も影響しており、陰謀を企んだ者のみならず、取り調べをした検察官などの思惑もからんで、裁判もなく、自分が何の罪で投獄されたのかもわからないまま、ダンテスは闇へと葬られてしまったのだ。

失意のうちに死のうとまでしたダンテスに生きる望みを与えたのが、狂人と言われている同じ囚人のファリア神父だった。

一気にファリア神父との出会いまで読んだが、評判に違わず、これは面白い!
純粋で正直な若者ダンテスを陥れた者たちも憎らしいが、彼等が利己的で憎らしければ憎らしいほど、ダンテスへの同情が深まる。また愛する人との婚約披露のパーティーの最中に逮捕されるというむごさ!まったくもって悲劇のヒーローである。

そして、獄中にあってなおも「今勉強中じゃ」というファリア神父のすごさ!どうやってペンを作ったのか?穴を掘る道具はどうしたのか?それを知るだけでもわくわくしてくる。このファリアによって、絶望していたダンテスの心に、大きな灯がともったのがわかる。


[ちょうど7分の1]

岩波文庫版を見てきた。岩波では7分冊。ファリア神父がダンテスに宝の地図を見せるところまで読んだので、ちょうど1冊目が終わったところだから、7分の1といったところ。

翻訳を比べてみると、断然講談社の泉田武ニの訳のほうがいい。特にファリア神父のせりふは絶対泉田訳のほうが雰囲気がある。学問や知識が深い様子などもこちらのほうが良く出ている。


[モンテ・クリスト島の宝]

ダンテスに生きる望みを与えたファリア神父には持病があって(何の病気かはわからないが、ものすごい発作が起きる)、今度発作が起きたら終わりだと神父自身が死期を予言する。そのために、持てる知識の全てと、モンテ・クリスト島に埋まっている宝のありかを、ダンテスに伝える。

必ず生きて宝を手に入れ、世の中の役に立てるよう望みを託すファリア。一方、半信半疑ながら、ファリアの教えを受け入れるダンテス。ファリアの思いとは裏腹に、ダンテスはもし宝を入手したら、自分を陥れた者たちに復讐をしようと誓う。

そうするうちに、ファリアに恐れていた発作が起き、遂に最期の時が来た。悲しみに沈むダンテスに思いもしなかったチャンスが訪れ、生きるか死ぬかの脱獄に成功する。

やがて、夢にまで見たモンテ・クリスト島に赴くダンテス。莫大な宝はたしかにあった。

ここのくだりはファリア神父とリチャード・ハリスが重なって、神父の死が胸に迫る。その後の脱獄・宝探しは、ハラハラ、ドキドキで、本当に面白い。この部分の自然の描写も美しく、物語の山場のひとつと言えるだろう。


[復讐の始まり]

莫大な富を得たダンテスは、これまで世話になった人に恩返しをする。しかし父親はすでに亡く、再び復讐の念を強くする。そして、爵位を手に入れたダンテスは、モンテ・クリスト伯と名乗って、いよいよ復讐に乗り出す。

どんな復讐劇が始まるのか楽しみというのは変な言い方かもしれないが、デュマの筆は一向に衰えを見せず、面白さはずっと持続している。3段組の字の小ささも、大判の本の重さも、全然気にならない。面白くて仕方がない。


[謎の伯爵]

モンテ・クリスト伯となったダンテスは、15年近い投獄の末、顔つきが全く変わっていたため、誰にも正体を見破られることなく、彼を陥れた者たちの前に姿を現す。

莫大な富と深い知識によって、不可能を可能にしていくモンテ・クリスト伯。時には船乗りシンドバッドであり、時にはブゾニ司祭であり、時にはヨーロッパ各地に拠点をもつ謎の大富豪として人々に知られるようになる。だが、その正体は誰にも知られることなく、着々と復讐の計画が進められて行く。

ダンテスをボナパルト派であるとして密告したフェルナン(ダンテスの婚約者メルセデスのいとこ。のちに男爵となり、メルセデスにダンテスは死んだと思わせ結婚する)。ダンテスが乗っていたファラオン号の乗組員で、フェルナンに密告をそそのかしたダングラール(のちに銀行家となりこれもまた男爵の地位を得る)。そして、父親がボナパルト派であるため、自分の地位が危うくなることを恐れて、ダンテスを裁判もせずに闇に葬った検察官ヴィルフォール。

これらの敵(かたき)は、殺すだけでは足りないというモンテ・クリスト伯。いったいどのように復讐を遂げるのだろう。敵のまわりにいる人々をも巻き込みながら、外側からじわじわと復讐の手を伸ばす彼は、しかしながら寛大で気前がよく、物腰や態度も立派で、世にも素晴らしい貴族であると賞賛の的となっていくのである。

ここまでで、岩波の3巻が終わって4巻目に入ったくらいだろう。誰も伯爵の正体を見破れないのに、婚約者だったメルセデスだけは、どうやら見破ったようなのだ。それぞれの敵との対面もドキドキするが、メルセデスとの対面は、自分のことのように胸が高鳴った。


[じわじわ進む復讐計画]

まだこれぞ復讐!といった状況ではないが、徐々にじわじわと復讐の計画は進んでいる。敵の息子や娘の恋愛や人間関係なども絡んで複雑な状況になってきたが、いまだに誰もモンテ=クリスト伯の正体を見破れない。誰もが彼を素晴らしい貴族と信頼しており、彼と知りあいになるのを望んでいるのだが、あの手この手で彼らを信用させていく。その緻密な計算がすごい。残りはあと2巻分くらいだが、読み終えてしまうのが惜しい。

各章はそれぞれ短いのだが、ここでやめようと思いながら、もう1章、もう1章と読んでしまう。これぞエンターテインメントだろう。つまらないミステリーなどより、ずっとミステリアスでわくわくする。


[待て、そして希望せよ!]

とうとう読了。
すべての敵に復讐をし終えたモンテ=クリスト伯。当初は敵本人のみならず、子孫まで根絶やしにしようとしていたのだが、それぞれの娘や息子がけして親のようではなく、友としての愛情が芽生えるにつれ、伯爵の決心はぐらつき、苦しみ、悩み、情けをかけずにはいられなかった。

だが、敵そのものには容赦なく復讐を遂げた。その代償は伯爵にも大きな苦しみを負わせるところとなり、最後には富をなげうっても、恩人モレルの息子マクシミリアンに幸せになって欲しいと願うのだった。最後にマクシミリアンに残した手紙には、次のようにあった。

「・・・・・心から愛する子らよ、生きるのだ。そして、幸せになるのだ。そして神が人間に対して、未知の未来の秘密をおあかし下さる日までは、人間の英知はすべてつぎのニ語に集約されていることを忘れてはならない、

待て、そして希望せよ!
   
汝が友
      エドモン・ダンテス
        モンテ=クリスト伯爵」

人間のすることには、良くも悪くも必ず報いがあるということを、いやと言うほど見せつける物語だった。物語の当時の社会では、仇を討つということは正当なことであったので、無実の罪に陥れられ、その間に父を見殺しにされ、婚約者を奪われたエドモン・ダンテスが、復讐をするのは当然のことであった。が、14年の長い年月の恨みは、簡単な仇討ちではすまなかった。

どんな復讐が行われるのか、同じ苦しみとはどのような苦しみなのか、好奇心を持って読み進めるうち、上に書いたように、良いことも悪いことも必ずその見返りはあるということに気づく。神はそれをけして見逃していないということをダンテスは言っているのだ。そしていかに絶望しても、生きて、「待て、希望せよ!」と。さすれば、必ず報われる日が来ると言っているのだろうと思う。

ちなみに本書は全1冊で、岩波文庫では7巻だが、フランス語の原書が最初に出たときは、全18巻だったそうだ。個人的なことを言えば、もし岩波文庫で読んでいたら、こんなに早く読めなかったかもしれない。全1冊だったがために、勢いがついて、先へ先へと進めたような気がする。こういった形の本をどんどん出してほしいものだ。面白い話なら、字が小さかろうが、どれほど分厚かろうが、全然問題ではない。

2003年03月09日(日)
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 望楼館追想/エドワード・ケアリー

つねに白い手袋を身につけ、他人が愛したものを盗み、コレクションしている《ぼく》が住むのは、古い邸宅を改造したマンション《望楼館》だ。
人語を解さぬ《犬女》、外界をおそれテレビを見つづける老女、全身から汗と涙を流しつづける元教師、厳格きわまる《門番(ポーター)》・・・・・彼ら奇矯な住人たちの隠された過去とは?彼らの奇行の「理由」が明かされるとき、凍りついていた時間は流れ出し、閉じていた魂が息を吹き返す・・・。
美しくも異形のイメージで綴られた、痛みと苦悩、癒しと再生の物語。―カバーより

これだけは断言できるが、あなたがたいていの名作話題作を読んでいる読書家、もしくは読書の達人で、めったな作品では驚きもしないし感動もしないというのであれば、まずこの作品を読むべきである。これまでにない陶酔感、物語を読む喜びに浸れるとともに、物語の毒(じわじわと効いてきて、その解毒剤はいまのところない)に犯されることは間違いない。「永遠にこの物語が続いてほしい、終わらないでほしい」という感覚、体中がぞくぞくする感覚はもちろんのこと、自分もまた物語の一部になってしまったような感覚を抱くはずである。―訳者あとがきより

原作の「Observatory Mansions」はそのまま訳せば天文館となるが、あえて望楼館とした。天文館という文字には写し取れない多くの意味をこめたつもりである。・・・・・いささか古めかしい名前かもしれないが、本書を読み終わったころには、「望楼館」以外にふさわしい名前はないと感じられるはずである。―訳者あとがきより

あとがきを読むと、この本を読んだ多くの人が、非常に素晴らしいと言っているのだが、私の感覚には今のところマッチしない。幻想文学としてとらえると、江戸川乱歩のようなものかな?とも思うのだが、乱歩のようなわくわく感はない。各章が短く散文的だが、ちゃんとストーリーとしては繋がっているので、それぞれの章をすごく面白いとは感じていないのだが、先に進ませる力はある。けれど、全体的に不気味で気持ちが悪い。個人的にはあまり好まない雰囲気だ。

どこかにアーヴィングのような・・・とあったが、それは全く違うと言っておこう。異形のものというモチーフはアーヴィングにも通じるが、アーヴィングのほうがはるかに物語性が高い。

作者のエドワード・ケアリーには気の毒だが、併読で、デュマの『モンテ=クリスト伯』を読んでいたせいもあって、どうしても面白いとは思えない物語だった。

ストーリーはある。でも、登場人物すべてが、いわゆる普通ではなく、その普通でない人たちの記憶や行動を追っていくことが、ごくごく平凡な人間である私には、非常に辛いというか、不愉快だったりする。

確かにほかの小説とはだいぶ違う趣の小説で、そこに小説家としての才能は見出せるとは思うが、はっきりいって「好みの世界ではない」としか言えない。逆に言うと、こういう小説を好む人(読者)を容易に想像できそうな気がする。

訳者が原題である「天文館」を「望楼館」とした意図を上に書いたが、読み終えてみて、それは余計なことではなかったかという気もした。なぜなら主人公の父親が作った天文台は今でもそこにあり、望遠鏡のレンズは、ある部分で重要な役割を果たしているからだ。

この訳者はまた、あとがきで誉めすぎである。私はあとがきを先に読むタイプだから、これによって過剰な期待を抱かされる。訳者は批評家ではないのだから、良きにつけ悪しきにつけ、読者に先入観を持たせてはいけないと思う。ほとんどが良いと書いてあるに決まっているのだが、それでも、冷静に淡々と書かれているあとがきのほうが、私は好きだ。



2003年03月08日(土)
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 ブッシュ妄言録/ブッシュ(FUGAFUGA Lab.編)

第43代アメリカ大統領、ジョージ・W・ブッシュの“大量破壊兵器級”仰天発言集!

ブッシュはやっぱり「世界一危険なバカ」だった。本は読み物としては笑えるけれど、あの同時テロが起こったときでさえ自分のことしか考えられない、こんな男がアメリカ合衆国の大統領だなんて、恐怖以外のなにものでもないよ。国語ができないってことは、何事に対しても理解力がないってことだものね。あー、怖っ!

アメリカ人も、こんなテキサスしか知らない無知な男を大統領にしちゃったなんて、かなり恥ずかしいだろうに。。。日本も同じようなものだけど。

<一例>

●「(ゴアと行った)最初のディベートでの発言で、撤回したい発言はありますか?」と聞かれ・・・

「自分が信念を持っていれば、どんな質問にも答えられるものだ。・・・君の質問には答えられない」

●ウェールズ出身の歌手、シャルロット・チャーチとの会話

ブッシュ:「それで、ウェールズは何州?」
シャルロット:「イングランドの横にある、独立した国ですよ」
ブッシュ:「あ、そうなんだ」

●人工中絶について意見を求められて・・・

「あくまでも理想を話すよ。私は現実を読んで・・・私は現実を理解している。
もし君が私に、大統領として現実を理解しているのかと聞くのであれば、そりゃ理解しているさ」

●弟ジェブについて語る・・・

ブッシュ:「彼は知事・・・・弟のジェブちゃんなんて呼ぶべきではないな、私の弟であるジェブは偉大なるテキサス州知事なんです」
司会者:「フロリダですよ」

●大統領選挙キャンペーン中の発言

「もしあなたが「やる」といっていたことをやらないのだとしたら、それはあなたが信用できる人間だと保証することだよ」

●読書の習慣を聞かれて・・・

「新聞を読んでいます」

●上院議員レセンプションで・・・

「サダム・フセインが武装解除しないのであれば、アメリカが武装解除するまでだ!」

●ブラジルの大統領、フェルナンド・カルドソに

「ブラジルにも黒人はいるの?」

●同時多発テロ後、就任1年目を振り返り・・・

「すべてひっくるめて、ローラと私にとっては素晴らしい一年だった」

●「最初の飛行機がビルに激突したと聞かされたとき、何を思いましたか」と聞かれ・・・

「それにしても興味深い1日だったね」

●同時多発テロ発生の際、何を思ったか質問されて・・・

「妻は安全か、それを心配しました。私の両親は安全か。私の娘達は・・・
しかし同時にこの事態にどう私が対応したら良いのか明確に考えていたことを理解してください」

●インディアナ州でのスピーチで

「大統領の責任として、今、我々アメリカが直面している現実を国民に伝えなくてはならないと思っています。その現実とは、「テロリストが隠れているのは洞窟だ」ということです」

もう〜、きりがない!


2003年03月07日(金)
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 The Winston Brothers/Lori Foster

マック、コール、ゼイン、チェイスのハンサムでゴージャスな4兄弟とその周囲に集まる女たち。彼女たちと兄弟のエピソードを描いたロマンス。物語は長男コールが経営するバー「Winston Tavern」にて、バレンタインに始まる。ちなみにゼインについては別の本になるので、この本では3兄弟の物語のみ。


[長男Coleの場合]
「Winston Tavern」は、長男コールが経営。他の3兄弟がそれを手伝っている。7ヶ月前から、ソフィーが店にやてくるようになり、以来お互いに惹かれ合っていたが、胸のうちを明かすまでには至っていなかった。

バレンタインの写真コンテストに応募するようソフィーに薦めるコールだったが、ソフィーは双子の妹のシェリーを紹介するという。会ってみればシェリーはソフィーとは全く違う性格の、大胆な女性。危うくシェリーの魅力に負けそうになるコールだが、途中でシェリーとソフィーが同一人物であることを知る。

自分のキャラでは何もできないが、他の人になれば大胆なこともできるといった精神的な部分はわからないでもないが、この話の場合、余計にややこしくなるのは目に見えている。なぜ敢えてそんなことをするのかな?と思うし、それを良い方にしか受け取らないコールもまた、結局どっちでもいいんじゃない?と思えてしまう。名前を変えただけで、全然別人になれてしまうなんて、ソフィーだかシェリーだかは、多重人格の精神病じゃないの?それでも、それはソフィーが恥ずかしがりやなためと思えてしまうなんて、恋って盲目。(^^;

話としては単純で、考えることはひとつしかないのかって感じだけど、なんたってロマンスですからね。シンプルでいいんじゃない?


[次男チェイスの場合]
チェイスはコールの店の主に事務的なことをやっている。
チェイスは、アリスンという女性を好きでたまらないのだが、年中怒ってばかりいて、なんなの?という感じ。その上、何かあると、店の上にある事務所に来いって感じで、やな状況。飲み屋で事あるごとに事務所に来いだなんて、お客を何と思ってるの!と腹が立ってきた。

極めつけは、夜中の3時にアリスンの家に行き、窓が開いていたのでそこからそこから忍び込み、挙句の果てに浴室を覗き、たまたまアリスンが電話で話していたことに腹を立てて飛び込むという、普通じゃない行動をする。きゃー、怖いー!窓が開いていたり、物音がしたりしているから、他に誰か人がいるんじゃないかと心配するチェイスだが、あんたのほうがよっぽど怖いわ!

この二人も結局はハッピーエンドになるんでしょうが、あまりに変てこな状況設定なので、読みつづけるのもばかばかしくなってきてしまった。(--;

しかし、あー、びっくり!
なんとチェイスはアリスンの心が読めるという超能力者(?)だった。そしてアリスンの家にはローズとバークという幽霊がいて、それがアリスンに相手の考えていることを教えるという。なんですか、この状況?

結局チェイスのそれは、相手が好きだという特殊な状況のもとでのことで、他のひとには全く力を発揮しないようなのだけど、古めかしい家に幽霊と一緒に住んでいるアリスンも不気味じゃないの?

にしても、家に誰かがいる!という怖い状況なのに(幽霊以外に)、愛を語りあうなんて、どういう神経なんでしょうか?結局アリスンの元彼が忍び込んでいて、二人を殺そうとした時に、彼等は幽霊に助けられ、そこにウィンストン兄弟も駆けつけて、めでたし、めでたしというわけ。

でもチェイスって、一歩間違えばストーカーだし、そんな男に心が読まれてしまうのも気持ち悪い。ていうか嫌だ。アリスンもちょっと不気味よ。ちょうどいい組み合わせかもしれないが、なんという設定なんでしょう。


[四男マックの場合]
三男ゼインを抜かして、末っ子のマックの巻。ゼインは特殊らしく、別に単独で丸々一冊費やされている。

四男マックは21歳でまだ大学生。コール、チェイスが相次いで結婚し、うらやましいと思いながらも、自分はまだまだと思っていた矢先に、女性カメラマンのジェシカに出会う。義姉のソフィーに頼まれ、男性用のセクシーなパジャマ(どんなの?)のモデルをすることになったのだ。その写真を撮ったのがジェシカで、30歳、バツイチの子持ち。

マックのほうもジェシカに一目惚れだったのだが、ジェシカもマックの肉体を見てうろたえる。って、プロのカメラマンがいちいちそんなことに反応してどうするの?って感じだが、それからお決まりの「あなたには年上すぎるわ」などという葛藤や拒絶と戦って、無事にめでたしになる。

それにしても、バレンタインにコールが結婚、ハロウィーンにチェイスが結婚(このカップルはハロウィーンにふさわしいが)、そして今度はマック、と一年に三組も片付いてしまうなんて、すごい兄弟だ!このあと話がつづくわけじゃなし、この本の中だけのことと思っても、いやいや、とんでもない家族だという感じ。

途中でいやになったものの、結局それぞれの兄弟がどのような出会いをして、どんな結末になるのか(ハッピーエンドに決まっているのだが)、つい好奇心にかられて最後まで読んでしまった。だからと言って、三男ゼインの本まで読む気はない。



2003年03月03日(月)
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