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■ 新版・指輪物語(9)王の帰還(下)/J.R.R.トールキン
ゴンドールに鷲の王が来たところで、話は指輪保持者フロドとサムのほうに移る。オークに捕らえられたフロドを救うべく、サムが孤軍奮闘。命からがらなんとか逃げ出し、再び滅びの山オロドルインに向かうが、フロドの指輪の重荷は日ごとに増して行く。水も食料もほとんどなく、力も尽き果てようかとしたその時、ようやく滅びの山の火口に着く。ここで指輪を火口に投げ入れれば、彼等の使命は果たされ、暗黒の力は滅びるのだ。
だが、またもそこに現れたゴクリ。ゴクリもまた疲れ果て、哀れな状態であるにも関わらず、ただ指輪の魔力に惹かれて二人の後を追ってきたのだ。だが、フロドもまた魔力に取りつかれてしまっていた。最後の力をふり絞って格闘するフロドとゴクリ。このとき、かの目が指輪に気がつき、おのれの敗北をさとり、暗黒の思念が揺らぎ始めた。オロドルインに急行するナズグル。しかしガンダルフの言った「ゴクリでさえも役に立つことがある」という言葉が、ここで現実のものとなる。
かくて指輪保持者の使命は果たされた。それは、おりしもモルドールで戦いの火蓋が切って落とされようとするところであった。しかしオロドルインの噴火で帰りの道は断たれてしまった。進退極まって、倒れ込む二人。まさにこのとき、ガンダルフとともに、再び風早彦グワイヒアがやってきた。暗黒の思念がぐらついたことに気が着いたガンダルフが、指輪保持者が目的を達したことを察し、すばやく二人のもとにグワイヒアを送ったのだ。
助けだされた二人を待っていたのは、王となったアラゴルンであった。彼は「癒しの手」で二人を手当てし、回復を待っていた。ゴンドールの王の戴冠式を行うために。
かくて戻るべくして戻ったゴンドールの王は、時の熟すのを待ち、夏至の日に、エルフの宵の明星アルウェン姫と結婚し、主だった人たちは、それぞれの道に戻って行った。セオデン王の遺骸は、セオデンの代わりにローハンの王となったエオメルの手によってローハンに戻され、そこでエオウィンとファラミアの婚約がなされた。
だが一方で、人間と結婚したことで、愛する父や兄たちと別れねばならないアルウェンの苦悩も忘れることはできない。エルロンドたちエルフ族は、中つ国を出、海へと出帆することになっているからだ。
[旅の帰途] アラゴルンと別れ、ガラドリエルとも別れ、ガンダルフとホビットの一行は、裂け谷に到着し、エルロンドのところにしばらく滞在する。そこで懐かしいビルボに会い、しばらく楽しい夏を過ごすが、秋になり、いよいよホビット庄に帰る時がきたのを知る。ブリー村まで一緒に行くというガンダルフを伴って、故郷に帰る道すがら、フロドのけして癒えることのない傷が痛む。
ここまで来ると、中つ国の第3紀の終わりによって、エルフたちがこの地を去るであろうことが徐々に明らかになってくる。明記はされていないが、彼等は海を渡って、遠くに行ってしまうのだろうということがほのめかされている。この行く先は、アーサー王物語でのアヴァロンと同じ目的の地である。 そしていよいよブリー村に到着。出発してからすでに1年以上が経っていた。
[サルマン] ブリー村(旧版では粥村)に到着したフロドたちを待ちうけていたのは、無法者により荒れ果てた村の姿。フロドの親戚であるロソが親方となって、何もかもが規則で縛られていた。しかし、その裏には、フロドたちをあざ笑うかのように、落ちぶれたサルマンと蛇の舌がいたのだった。
けれども今や歴戦の勇士となったメリーとピピン、それにサムも黙ってはおらず、ホビット庄の歴史において2度目の戦いとなる合戦を繰り広げ、無法者を退治し、サルマンも追い払う。が、サルマンは蛇の舌に、蛇の舌はホビット庄のものに射殺され、ここにすべてが終わる。
[灰色港] こうしてホビット庄は再建され、サムはローズと結婚して袋小路でフロドと一緒に暮らし、再び平和な日々が戻ってきたが、フロドの傷はけして癒えず、時折発作に襲われるのだった。
そしてしばらくたった秋のある日、フロドは旅に出ることを告げる。一緒に出かけたサムは、海へと出帆するエルロンドやガラドリエルなどのエルフ達、ガンダルフ、そしてビルボとフロドを灰色港から見送る。エルロンドの指には「青い石のヴィルヤ」、ガラドリエルには「白い石のネンヤ」、ガンダルフの指には「赤い石のナルヤ」がはめられていた。こうして中つ国の第三期は、指輪とその所持者と共に終焉を迎えたのである。
[サム・ギャムジー] この最後の巻では、サム・ギャムジーの存在が大きい。サムがいなかったら、フロドは到底目的を達することができなかっただろう。サムの献身的な主人への愛情(映画では主従関係がはっきりしないが)は、感動的だ。物語の最後は、サムが家に帰ったところで終わる。いかにも幸せで平和な絵だ。こういったことからも、この「指輪物語」の主人公はフロドだが、この巻においては、サムが主人公と言っても差し支えないだろうと思う。
[アラゴルンとアルウェン] また本では、アラゴルンとアルウェンの関係は婚姻の時まで明かされていないのだが、映画では1作目からすでに明かされており、これが二人の関係を安っぽくしてしまっている。最後の最後まで待ちつづけ、耐えてきた二人の関係、永遠の命を捨ててまで、アラゴルンと一緒になろうというアルウェンの決心は、けして生やさしいものではないのだ。
[トールキンのことわりがき] 最後に、トールキンはこう言っている。「この物語には隠された意味とか「メッセージ」とかが含まれているのではないかという意見に対しては、作者の意図としては何もないと申し上げよう」。読者はただ楽しめばいいのだ。
「すべての読者の中でもっとも批判的な読者ともいえるわたし自身は、すでに大なり小なり多くの欠点を見いだしている。しかし幸運にも、この本を批判する立場にもなければ、書き直す義務もないので、ただ一点を除いては黙してこれを看過することにする。その一点とは、他の人にもいわれてきたことだが、この本が短かすぎるということである」
2003年01月31日(金)
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