読書の日記 --- READING DIARY
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 地底旅行/ジュール・ベルヌ

鉱物学の世界的権威リデンブロック教授が朗読に成功したアイスランドの錬金術師の書き残した16世紀の古文書。それには、アイスランドの死火山の噴火口から地球の中心部にまで達する道が通じている、というのだ!教授は勇躍、甥のアクセルを同道して地底世界への冒険旅行に出発した。地球創成期からの謎を秘めた人跡未踏の内部世界を、驚異的な想像力で描き出した不滅の名作。

地底なのに、海もあるし恐竜もいる!そんな挿絵につられて読み始めた。『海底二万里』とともにディズニーシーにもアトラクションがあるくらい有名な古典の名作だが、ちっとも古めかしい感じがしない。このあたりはよく知っている話なのに、ちゃんと読んでいないという部類の本。改めてちゃんと読むと、すごい本だ。

SF好きの私は、こういった巧みな話を読むと全部本気にしてしまう癖があるので困るのだが、どこまでが本当で、どこまでが想像の世界なのやら、その境目もわからないほど。これが書かれたのは1865年。昔の人のほうが、想像力は豊かだったに違いない。もしかしたらこんな世界が本当にあるかもしれないと思ってしまうくらいに素晴らしい想像力だ。

唯一古いと思わせるものは、恐竜の絵である。現在の恐竜の絵は、尻尾が体に平行になるように描かれており(体のバランスをとるため)、体も前のめりで、流線型に近くなっているのだが、「ジュラシック・パーク」以前の恐竜の絵は、ゾウのような体型で脚も寸胴ガニ股で、尻尾は下に下がって体重を支えるような形になっている。こうして日々科学は進歩しているが、それもこれも昔の人の想像力が素晴らしかったためだ。その第一人者がベルヌだと言っても過言ではないだろう。

リデンブロック教授の、研究のためには何事にも動じない、自信に満ちた態度や、アクセルの皮肉屋で心配性な性格、ガイドのアイスランド人のハンスの沈着冷静さ、と登場人物の性格もそれぞれに特徴があって面白い。

最後に、地上にはどうやって戻ったか?甥でこの本の語り手(旅行日記の形になっている)であるアクセルがもっとも恐れていた事態が起こって、おかげで無事に地上に戻れたという顛末。これもまた予想外の驚きだ。まさかそんな!という事態ではあるが、実に楽しい空想である。


2002年05月30日(木)
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 ロマンシング・ムーン/デビー・マッコーマー

<MOON COLLECTION>
ロマンスものだが、マヤ文明の秘宝をめぐって殺人がおきたり、主人公が疑われて逃げなければならない羽目に陥ったり、結構冒険活劇風で、単純に面白かった。

主人公ロレイン・ダンシーは、母の突然の事故死で死んだと聞かされていた父親が生きていることを知る。結婚前にどうしても父に会ってみたいと、婚約者ゲイリーを残し、父のいるメキシコへ単身旅立つのだが、慣れない土地で親切にしてくれたアメリカ人男性は、実はマヤの秘宝を盗み出した、とんでもない犯罪者だった。そのためにメキシコ警察に疑われたロレインは、わけもわからず父親の手引きで、父の友人であるジャック・ケラーの船に乗せられ、メキシコから逃亡する。お互いに気に食わない存在であった二人だが(お決まりのパターン!)・・・。

結論を言えば、もちろんハッピー・エンドなのだが、相手を愛するあまり、相手の生活を壊したくないと死んだことにするジャックと、本当の愛を知ったばかりなのに、愛する人を失ったと悲しみに沈むロレイン。その二人の葛藤が読者をやきもきさせ、最後の結末をありふれたものでなく、心からよかったなと思えるものにしている。

あえて陳腐だなと思う部分は、ロレインとジャックがあまりにもパターンどおりに反目しあうところ。ここですでに、二人は結ばれると宣言しているようなものだ。


2002年05月29日(水)
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 不思議な少年/マーク・トウェイン

この作品は、トウェインの晩年の作で未完だったもの。出版されたのは死後だが、トウェインはこの作品に大変力を入れており、3種類の原稿があった。そのうちの1つを訳したもので、これに関しては様々な批評がある。というのも、11章のうち、トウェインが実際に書いたのは10章までで、11章は出版に際して編集者によって付け加えられたものだからだ。

<内容>
16世紀のオーストリアの小村に、ある日忽然と美少年が現れた。名をサタンといった。村の3人の少年は、彼の巧みな語り口にのせられて不思議な世界へ入り込む・・・。アメリカの楽天主義を代表する作家だといわれる作者が、人間不信とペシミズムに陥りながらも、それをのりこえようと苦闘した晩年の傑作。(表紙より)

物語も不思議で面白いが、サタン(実は天使で、悪魔のサタンは伯父にあたる)が語る人間の愚かさに共鳴する。トウェインの反戦思想が色濃く出ていて、しかも的を射ている。そして、人間の運命はあらかじめ決まっているのだが、サタンはそれを操ることができるため、少年たちに頼まれて運命を変えてやる。だが、果たしてそれが良かったのか悪かったのか・・・。これもまた運命に翻弄される人間の愚かさだ。

最後はいわゆる夢オチである。「あの世なんて、そんなものはないよ・・・だって、人生そのものが単なる幻じゃないかね。夢だよ、ただの」というわけだ。そしてこの部分が後から付け足された部分なのだ。この夢オチはけして嫌ではなかったが、果たしてトウェインが生きていたら、結末を夢で終わらせただろうか?それは大きな疑問だ。

編者たちによる改変のもう一つの目立つ点は、「物語を渋滞させるバーレスク(お道化)の部分を排除した」ことであるらしい。これについては、個人的には大変賛成だ。お道化はうまくいけばユーモアとして楽しめるが、そうでない場合はうんざりだからだ。トウェインのお道化がどの程度だったかはわからないが、お道化が過ぎれば、あっても読み飛ばしたことだろう。

しかし人間の愚かさを再認識するため、この物語はぜひたくさんの人に読んでほしいと思う。幸せと不幸は表裏一体で、たった1時間の幸福を得るために、何十年も不幸に甘んじるということもある。また死ぬことはけして不幸ではない。苦しみながら生き永らえるよりは、早い寿命を迎えて死んだほうが、幸せな場合もあるのだ。

「ここに描かれた人間の姿は、たしかにみじめで、ほとんど絶望的ともいえる暗澹たるものであるとしても、それを包む縹渺(ひょうびょう)たる空想と、次々と打ち出される奇想とは、不思議とこの作品の暗さを救っている」─訳者・中野好夫

「晩年のマーク・トウェインがペシミズムに陥ったのは事実であろう。しかし彼はそれを乗り越えることにも全力を注いでいた」─解説・亀井俊介

そして次の文章に、思わずブッシュや小泉や、世界中の身勝手な戦争指導者を思い浮かべ、もっともだと深く頷いた次第。

「戦争を煽るやつなんてのに、正しい人間、立派な人間なんてのは、いまだかつて一人としていなかった。ぼくは百万年後だって見通せるが、この原則の外れるなんてことはまずあるまいね」─サタン(不思議な少年44号)


2002年05月28日(火)
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 THE WANDERER/Sharon Creech

1)13歳のソフィーは、ロマンチックで論理的で頑固者。ある日3人のおじさんと2人のいとこと一緒に、ヨットで旅に出る計画に加わる。

2)半分ほど読み終える。
ソフィーとコーディー(いとこの男の子)との日記風に描かれているのだが、ファミリードラマという感じなのか、べつに嫌ではないが、ちょっと退屈。しかしどうやらソフィーには謎があるらしいことがほのめかされているので、その謎が解けるのを頼りに読んでいる。英語はやさしいが、米口語・俗語が頻繁に出てくるので、たびたびとまどう。

3)読了。
海に出て嵐に会ったり、狭い船内で喧嘩をしたり、様々な体験を通して、大人も子どもも成長していくという、ちょっといい話系の物語だった。もちろんクジラやイルカに出会って感動するという、海ならではのお決まりのエピソードも盛り込んである。

そしてソフィーの謎とは・・・?
航海の目的地であるイギリスに住んでいるおじいさん(叔父さんたちにはお父さん)が鍵となって、その謎が解ける。かなり重大な謎だったのに、その割にはあまりショックもなく、みんな仲良くハッピーエンドになるのが不思議。あんな謎があったら、私ならぐれてしまうかも。

ソフィーとコーディーの日記は、同じ事柄を書いていても視点が全く違うので面白いが、ちょっといい話系というのは、やっぱり退屈。13歳くらいの少年少女(ジュブナイル)の物語というのは、純粋か危ないかどちらかだが、これは純粋なほうだろう。13歳の子に鋭い人間観察をしろというのが無理かもしれないが、やはり物足りない。子どもならではの偏見のない素直な洞察力というのもあるだろう。もう少しそれぞれの気持ちに入り込んでほしい気がした。


2002年05月27日(月)
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 永遠の王(上)/T.H.ホワイト

1)サトクリフオリジナルのシリーズに続き、2作目のアーサー王物語。こちらはアーサー(ウォート)をはじめ、ガウェインなどの円卓の騎士の子ども時代も描かれている。

もともと児童向けなのだろうが、翻訳のせいなのか、いささかマンガチックでドタバタしているのにとまどう。私の中でアーサー王物語は、「高潔で勇気のある立派な騎士のカッコイイ話」というイメージなので、なかなかこのマンガチックなアーサー王になじむのは至難の業。ホワイトはかなり変わり者らしいので、それを考慮に入れたとしても、今のところはサトクリフに軍配が上がる。

登場人物にもそれぞれホワイト独特の味付けがしてあるので、基本のアーサー王物語を知っていないと、ホワイトの世界に流されてしまうかも。できればごくノーマルなアーサー王物語を読んでから、この本を読んだほうがいいように思う。それくらい強烈。

2)第一部の「石にささった剣」を読み終える。なるほど、アーサー王物語をベースに、作家ホワイトの興味ある事柄を存分に盛り込んだ話ということか。途中で、子どもの頃に持っていたディズニーの絵本『王さまの剣』を徐々に思い出して、これが原作だったのかと納得。思い出した箇所は、ウォートとマーリンが魚になるところ。
いよいよ第二部では、私の好きな騎士ガウェインが登場。もっとも子ども時代の話なので、ここではあまり期待はしていないが、ガウェインの真面目で忠実な性格はどのように育まれたのか、ホワイト流の解釈を楽しみたい。

3)やっと読了!
ここでこの本をどうこう言うのはまだ早すぎると思うが(下巻もまた600ページ近くあるので)、よく言えば盛りだくさん、悪く言えば散漫な印象。つまりアーサー王のここが知りたい!と思った時には非常に不便な本。あちこちに場面が移動するのは別に気にはならないが、その都度ホワイトの趣味の世界に引きずり込まれるようで、こういったことの好きな人なら面白いと思うが、簡潔に物事を知りたい向きにはどうだろう?

例えばサー・グラモアとサー・パロミディスが、ペリノア王が追いかけているクエスティング・ビーストの仮装をするというくだりで、ノンセンスな会話が11ページも続いたりして、なるほどこれじゃ本が分厚くなるわけだと納得する次第。

そんな話の中に、徐々にパーシヴァルやランスロットという名前も見えてくる。この先の話への準備というわけか。最後にアーサー王の出生の秘密も明かされ、そしてまた姉モルゴースとアーサーの関係など、徐々に物語の核心に近づきつつあるといった感じ。

そして時間を逆に生きるというマーリン、なぜそんな設定にしたのかと思っていたら、現代のことを過去に盛り込むために、マーリンは現代から過去へと生きているというような描き方になったようだ。占いや魔法を使って予言をするのではなく、実際に生きて見てきたことをアーサーに話すというわけだ。このあたりを真面目に考えていると、頭がいたくなるので、ふーんと流しておいたほうがよさそう。

また、マーリンの魔法で様々な生き物に変身したウォート少年だが、その意図は、全て人生における哲学を教えるためであり、またマーリンの語る言葉には、ホワイトの「戦争反対」という考えが十二分に盛り込まれている。これを若きアーサー王に滔々と語るところは、ホワイト自らが語っているのと同様だろう。


2002年05月26日(日)
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 King Max/Dick King-Smith

『Mixed-Up Max』の続編。
ハリネズミのマックスは、ある日科学者に捕らえられ、何やら頭に研究用の装置を取り付けられる。家に帰ってみると、その装置が王冠に見えたらしく、みんなが王様だと言って、大騒ぎ!

すっかりその気のマックスは次第に傲慢になっていき、そのことで父親に叱られるのだが、そんなことはどこ吹く風。王様にはお妃が必要だと、お妃探しが始まり、真っ白なハリネズミ(実は白子)に恋をする。ところが彼女はマックスの王冠が気にいらないし、傲慢な態度も気にいらないので、てんで洟にもかけてくれないのだ。
ある日親切な人間が、これは動物虐待だと言って、マックスの王冠を外してしまう。王冠が外れた途端、マックスは正気に返り、真っ白な彼女とも仲良くなれるというお話。

例によってキング=スミスの話はほのぼのとしたハッピーエンドで、めでたしめでたしなのだが、これを読むまで、ハリネズミがカタツムリや私の天敵である「名前を言ってはいけない英語でも日本語でも4文字の例のもの」を食べているなんて、全然知らなかった。しかもこの本には「例のもの」の挿絵まである!だけど何も絵にしなくたって!しかも文中には、「太った○○○○を口いっぱいにほおばって・・・」なんていうようなことがっ!うげげ!マウスフルだ!ああ、考えただけでおぞましい!

子どもの話には、ハリー・ポッターにしろ何にしろ、結構この「例のもの」が出てくる。子どもって、「例のもの」が好きなんだろうか?おかげで私は、手袋をしてマスクをして読まなければならない。(嘘)しかし、指でそっとつまんでめくっていたのは事実。(--;

これは私がたまたま「例のもの」が嫌いなだけで、本の内容の良し悪しには関係ありません。


2002年05月24日(金)
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 The Half-A-Moon Inn/Paul Fleischman

<MOON COLLECTION>
1980 Children's Reviewers' Choices (BL)
Notable Books of the Year 1980 (NYT)
1980 Golden Kite Award Honor Book for Fiction (SCBW)
Children's Books of 1980 (Library of Congress)
1980 Silver Medal for Literature (Commonwealth Club of California)
1)いろんな賞をとっている作品なのだけど、なにしろイラスト(Kathy Jacobi)が怖〜い。ホラーものなんだろうか?といぶかりながら、少しずつ読んでいる。

主人公アーロンは生まれつき口が聞けない。ある日お母さんが町に織物を売りに行く時、初めてひとりで留守番をする。翌日の昼には帰ってくるはずのお母さんだったが、大雪で帰ってくる様子がない。家を離れてはいけないと言われていたアーロンだが、心配のあまり探しに出かける。。。

2)雪の中をさまよった挙句、ついた先は「Half-A-Moon Inn」という宿屋。そこで暖炉に火をつけてあげたアーロンは、不気味な女主人に気にいられ、軟禁状態になってしまう。暖炉に火をつけることばかりでなく、様々な仕事もやらされ、服も靴もスープの中に入れられてしまい、逃げようにも逃げられないアーロン。実は「暖炉に火をつけること」は、心の真っ直ぐな、嘘偽りのない心の持ち主でないとできないことだったのだ。

そしてその女主人は、寝ている間に人の夢を覗くことができる。アーロンも真似をして、ある凶悪な悪党の夢を覗いたことから、事態は急展開。最後にはお母さんが助けに現れ、女主人と悪党は暖炉に火を起こせなかったため、吹雪の中で凍え死んでしまう。

物語はハラハラ、ドキドキして、結構面白いのだが、なにしろイラストが怖くて、楽しむことができなかった。怖すぎます、あのイラスト!あれではマイナスじゃないのかなあと思いつつ、ハラハラ、ドキドキさせるためには、あれくらい怖いイラストのほうがいいのかも・・・とも思ったりした。でも店頭で手に取ったら、絶対買わないだろう。


2002年05月20日(月)
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 Beneath A Midnight Moon/Madeline Baker

<MOON COLLECTION>
1)コレクションしている、タイトルに「MOON」とついた本のひとつ。ロマンスもの。表紙からしていかにも!
主人公Kyleneは夜毎すてきな男性の夢を見る。その男性が実際に目の前に現れた。彼の名はHardane。彼もまた夢でKyleneに会っていた・・・。

2)このHardaneはArgornという国の王子なのだが、どうして突然Kyleneの目の前に現れたのやら・・・。なんと!彼はWolffan=狼人間(?)と人間との合いの子で、変身術が使えるらしい。魔女の予言によって、敵国であるKyleneの国の王様の7番目の娘と結婚して双子の世継ぎをもうけ、さらにそれによって両国の和平が成立すると言われていたため、変身してKyleneを地下牢から救い出したのだった。しかし、Kyleneは王の7番目の娘Seleneとは別人で、修道女会に拾われた、どこの出とも知れぬ孤児だった。

事態が明らかになったものの、Hardaneの心はKyleneに釘付け。でも予言は守らねばならない。どうしたらよいものかと悩むHardane。そんなHardaneに恋しながらも、修道女会の誓いによって純潔を守らねばならないKylene。ああ、つらいわ!という話なのだが、狼人間との合いの子って一体どんななの?

3)読了。他の本の合間にちょっとずつ読んでいたせいか、すごく時間がかかってしまった。しかし、いわゆるロマンスものとは違って、かなりファンタジーっぽく、ファンタジーものと言っても、全く違和感がない。

最後は結局めでたしになり、幸せに国を治めていくという結末だが、後半はあれやこれやとめまぐるしく話が展開するため、結構面白かった。なにしろ設定が設定だけに、何でもありという感じで、笑える箇所も豊富。

それにしてもHardane、弱すぎ!見かけ倒し!
Hardaneにしても誰にしても、すぐに敵につかまってしまい、傷を負っては誰かに助けてもらい、助けに来た人がまた瀕死の重症を負って、再び誰かが助けに来るという繰り返し。一国の王なら、大軍勢を率いて助けにいけばいいものを、王自らが救助に赴くとは、ごくごくちっぽけな国なんだろうか?また狙われているのがわかっていて、見張りもつけずにおくとは、何とお気楽な!このへんが、やっぱりロマンス作家ならではというところか?

Hardaneが自分を助けるために殺された父親の敵を討つというところで、Kyleneが「私はどうなるの?生まれてくる子どもはどうなるの?」と怒ってしまうところもあるのだが、日本ならば内心はともかく、敵を討つのは当然と思うところなのに、正直に気持ちを出してしまうところは、やはりアメリカっぽい。


2002年05月19日(日)
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 Creepy Susie : And 13 Other Tragic for Troubled Children/Angus Oblong

エドワード・ゴーリーみたいなブラックな話だけど、ゴーリーよりももっと残酷!いわゆる放送禁止用語もたくさんあって、日本では翻訳できないのでは?という感じ。だからと言って、ハリポタに差別用語があるとして騒いだ大阪のいちゃもん家族(「ちびくろサンボ」もこの家族がいちゃもんをつけた)が槍玉にあげたりはしないだろう。そもそもまだ有名にもなっていない本だから存在も知らないだろうし、いちゃもんつけても相手にされないだろう。彼らは売れてる本にいちゃもんをつけて、話題になりたいだけなのだから。でもこの世界、個人的にはとっても好き!くくくっ!

たとえば気が狂った母親がいて、その娘が自分も母親のようになるんじゃないかと悩んでいる・・・そして、その通りになってしまう!

たとえば馬鹿なベッツィー、吸血鬼にかまれて自分も吸血鬼に。でも馬鹿なので、どうやって血を飲むのかわかってない。ある日地面に横たわったまま朝が来た。お日様があたって、ベッツィーは灰と化した。それでもお母さんは何とも思わなかった。

たとえば定期健康診断に行った子ども、書類を間違われて、片足切断!おしまい。

もう、どれもこれも救われない話です。そんな話が13個!
かわいそう?子どもは天使だって?罪もない子どもをいじめるなって?子どもはこれよりもっと残酷です!


2002年05月18日(土)
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 世にも不幸なおとぎ話(BOOK PLUS)/ステラ・ダフィ

【STORY】
昔々、遠くて近い国に美しい王女クシュラが生まれました。美しさと知性をそなえたクシュラでしたが、ただひとつ欠点がありました・・・妖精の失敗で、思いやりの心が抜け落ちてしまったのです。成長したクシュラは、"けがらわしい"永遠の愛に溺れる恋人たちを別れさせるため、ロンドンへやってきます。自由自在に姿を変えられるクシュラの前に次々と恋人たちが犠牲になっていきますが、やがて娘の暴走を阻止すべく、王様とお后が美しい心を持つ王子を差し向けたことから、クシュラのハートにある変化が・・・エッチで残酷、けれど憎めない王女様の"夢も希望もない"物語。

本の内容説明には上記のように書いてあったが、この王女は憎めないどころか、とんでもなく憎たらしい。人の幸福が我慢できず、カップルと見ると憎悪を燃やす、ひねくれた心の持ち主。読んでいるほうも人の不幸は蜜の味で、少しは面白いとは思うのだが、こうも最後までひねくれていては、やりきれない。途中王女にもハートが生えてきて、改心するのかと思いきや、毎朝ナイフで切り取ってしまうという残酷さ。王女の標的にされたカップルたちは、別に何も悪い事をしているわけでもないのに、不幸のどん底に突き落とされるのだ。お涙頂戴の不幸な話とは全然違って、わがまま王女の残酷ないたずらで不幸に陥れられるわけだから、可哀想だと思う以前に、腹が立つ物語。

実は作者も相当ひねくれていそうな感じで、実際にカップルが外でいちゃいちゃするのが我慢ならないらしく、手を繋いだり、キスしたりするなんてことは反社会的行為だという人物。本人はレズビアンで、だからストレートな人たちを妬んでいるというわけではないだろうが、イギリスのブレア首相のおしどりぶりを槍玉にあげて、攻撃したりしている。

ところでこの本の翻訳者は宇佐川晶子氏。レモニー・スニケットの<不幸な出来事シリーズ>を訳して、最高のユーモアに溢れたスニケットの作品を、台無しにしている人だ。その日本語のタイトルが<世にも不幸なできごと>という。馬鹿の一つ覚えじゃあるまいし、違うシリーズのタイトルを、性懲りもなくほかの作品のタイトルにするなんて、文学的センスどころか、人としてのセンスも疑う。

タイトルからして不愉快な本なのに、さらに内容も不愉快で、二重に印象の悪い本となった。


2002年05月13日(月)
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 Where Angels Fear to Tread/E.M.Forster

1)フォースター『天使も踏むを恐れるところ』の原書。先日翻訳のほうを読んだばかりなので、覚えているうちに原書の方も読んでおこうというもくろみ。古典ではあるけれども、英語は読みやすい。

2)翻訳で読んだばかりなので、最初のうちは分からない単語なども完璧に調べて読んだが、あとは流し読み。
翻訳の感想では「穏やかな批判」と書いたが、原文で読むと、意外にもあからさまな表現や厳しい批判も見られ、驚く。特にイタリア人の描写は、悪口とも取れるような容赦ない描き方で、スパゲティを「つるつるすべるミミズ」と表現しているのは、日頃そう思いつつも、気持ちが悪いのでなるべく考えないようにしている私の脳裏に、くっきりと刻み込まれてしまった。タラコスパゲティなど、ちょっとピンク色に見えるものは要注意だ。(^^;

内容はスパゲティなどとは関係なく、イギリス人とイタリア人という極端に違ったイメージの人種を対比させて、社会を批判しているということなのだが、どう見ても、イギリス人を優位に描いているのは否定できない。

※私が読んだのは、Dover Publisherのものですが、現在Amazonでは取り扱われていないようなので、別の版にリンクしてあります。

2002年05月12日(日)
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 エマ/ジェーン・オースティン

1)<主人公エマ・ウッドハウス>
南イングランド、ハイベリー村に気弱で病弱な父と暮らす、美貌で才気に富む女性。近隣指折りの家柄の富裕な家庭で、母が亡くなり姉が結婚したため、一家の女主人となっている。

2)翻訳が良くなくて苦戦。これまで読んだオースティン作品の翻訳はみな良かったのに、これはちょっとひどい。それでも単行本で買ってしまったので、このまま捨てるのも忍びなく、とりあえず読了はするつもり。

エマはこれまでのヒロインとはだいぶ違った女性で、自らは結婚したいとは全然思っていない女性。母亡き後、一家の女主人として父親や周囲から、何でも一番であり、やることなすこと全て正しいと思われている。エマはそういった居心地のいい生活から離れたくないらしい。今のところはちょっと傲慢とも思えるような主人公だ。階級や身分の差別はその時代には当然のことだったのだろうが、この作品が一番そういったことを感じる。

3)読了。解説からまとめてみると、この物語は次のようなことが言える。

「エマはどういう女性だったか」─彼女はありあまる想像力によって過ちばかり起こした。そういう錯誤のうちに、優れた紳士であるナイトリーにたしなめられ導かれながら、少しずつ自らを矯め直し成長させていった。
エマの上流好き、上流気取りはまったく弁護の余地もないが、人々はそれぞれの時代において、異なる意識を持っていたということを見ないわけにはいかない。問題は、優れた作品は、そういう時代の相違を超えて人間の心に訴える力を持つということだ。

女性が一個の人間として、世のひとりひとりの人間を(異性であれ同姓であれ)誤りなく見る目を養うこと、そしてそれらの人々と誤りなく交渉を持ち、相手を傷つけたり自分を不幸にしたりすることなく、家庭に社会に、かしこくて責任ある、人にあまり迷惑をかけたりしない女として生きるということを、エマは過失を通じて学んでいく。これはそういった「教養」の書であるだろう。

必ずしも好ましくはない人物を主人公としたこと、そしてこの想像過剰をからかっていることなどにおいて、オースティンは彼女自身が多く読まされた、18世紀的小説への反撃を行った。この小説は、もっとも手厳しく辛辣痛烈に人間性を分析し諷刺したものだ。しかし社会階級の差別という異質の世界の中から、人間の性情には永久に変わらぬものが含まれていると感じさせる何かが、絶えず我々にささやきかけてくる。

ここでもまた、夏目漱石は「ジェーン・オースティンは写実の泰斗なり」と絶賛しており、モームもまた「・・・すばらしく面白く読める─もっと偉大で名声も高い小説家のあるものよりも面白く読める」と、難しい議論は抜きにして、面白いからいいのだと断言している。彼らはオースティンの小説を繰り返し読んでも飽きないらしい。

私の感想も、このモームの言葉に尽きる。
オースティンは、とにかく面白いからいいのだ。


2002年05月09日(木)
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 ニルスのふしぎな旅(2)/セルマ=ラーゲルレーヴ

原題『ニルス・ホルゲルソンのふしぎなスウェーデン旅行』(Nils Holgerssons underbara resa genom Sverige)。日本で最初に翻訳が出たのは1918年、『飛行一寸法師』というタイトルで、第一部のみが出版された。全訳は、物語が書かれてから75年もたった1982年に出された、この偕成社文庫が初めて。

いたずらっ子で、動物をいじめるのが好きなニルスは、自分の家にいるトムテという妖精をいじめた罰として、小人にされてしまい、白ガチョウのモルテンの背中に乗って、ガンの群れと一緒にスウェーデン中を旅する。

第2部はスウェーデン各地の民話なども絡めて、風景や動物達の生態が描かれているのだが、人間に破壊されていく自然の様子も描かれている。こういった事からニルスは、「幸福というものは他のものを愛さなくてはやってこないのだ」ということに、気づいていく。
たくさんの動物や人々を助けながら旅を続けるニルスだが、そうしようと意識してするわけではなく自ら自然にそうしているのだ、と読んでいるほうも徐々に気づく。知らないうちに、いたずらっ子のニルスは良い子になっているのだ。例え自分の命が危険にさらされようとも、何事にも動じず、淡々と自分のできる仕事をこなしていくニルスは、いつの間にかヒーローになっているのだ。


2002年05月04日(土)
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 The Wind Singer/William Nicholson

1)読みたい時が読み時!装丁も中身も手にした感じもGOOD!な本だったので、他の本は放って早速読み始める。現在100ページほど読んだが、一体何の話だろう?割に読みやすくスイスイ読めるのだが、話のテーマが見えてこない。

主人公ケスの住む町(Aramanth)では、赤ん坊の時からテストが行われる。そのテストで人の価値も住む家も決まるのだ。学校で先生に反抗したケスが行った先は、「ウインドシンガー」と呼ばれる町の中央にある建造物。その昔は、このウインドシンガーが人々をなごませる気持ちの良い歌を歌っていたというのだが・・・。

このあとどんな展開になっていくのか、気をそらせない面白さはあるようだ。普通ならスラングを使うような「悪い言葉」に、造語を使っているのが面白い。ケスと双子のボーマンはどんな役割なのだろうか?今のところあまり活躍していないが、二人はテレパシーが通じるようだ。個人的には、ケスの妹である2歳のピンピンに注目したい。

2)ケスがAramanthのエンペラーに会い、なぜだかわからないが「お前がウインドシンガーの声を取り戻しに行くのだ!」と言われ、なるほど「声」を取り戻すために、あらゆる苦難を乗り越え、最後はめでたしで終わる冒険ものなのかと思ったが、エンペラーはボタンチョコ(マーブルみたいなもの?)ばかり食べているアホのようだし、その後に出あう生き物たちも、だんだんマンガチックになってきて、ちょっとだるい。

エンペラーが出てきた時点では、「不思議の国のアリス」みたいなノンセンスものなのかと思ったが、そこまで文学的でもないらしい。神話的、魔術的な話を想像していたが、全然違うようだ。マンガの吹き出しが思い浮かんでしまうような、そんな世界。 プルマンのライラシリーズのようだと聞いていたが、そういえばライラシリーズも、頭の隅のどこかで「チキチキマシーン大レース」を思い浮かべていたのだった。

3)3分の2ほど読んだが、もうやめたいなあ。。。
町の地下にある泥沼の世界に入り込み、様々な生き物に出会い(Old ChildrenとかMudpeopleとか)、その後泥の世界を抜け出して行った先で戦いが起こるのだが、命をかけて必死に戦うというよりもゲームみたいな感じで、やっぱりマンガチック。ここまで来ても、ウインドシンガーとは何なのか依然として不明。

そこに住む人々の名前(種族名でも個人名でも)は、Omchaka、Ombaraka、Chaka、Baraka、Rakaといったように、最後にkaがつくのだが、どさくさにまぎれてTanakaというのが出てきたところで、もうダメ!読む気をなくした。しかもそのTanakaさんは、たった1回きりの出演だ。小説には不要な人物は出すなという作法があるらしいので、あとで何か重要な役割でもあるのだろうか?
残りは、その「Tanakaさんを探せ!」みたいな感じで読むしかないだろう。

個人的にこういうマンガチックな感じのものが好きではないだけで、こういったものが楽しいと思える人なら十分面白いだろうが、主人公のケスたちが真面目に受け止めているのに、周りの人々(人だかなんだかわからないのもいるが)がふざけている感じがして、どうもいただけない。ユーモアとおふざけを勘違いしているのじゃないだろうか。裏表紙に書いてあった「Watch out, J.K.Rowling !」がなんだか虚しい。

ともあれ、感想はここまで。
一応読了はしたが、「だからウインドシンガーってなんなの?」って感じ。Amazonのデータには368ページとあったが、実際は500ページ近い。


2002年05月02日(木)
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