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■ 天使も踏むを恐れるところ/E.M.フォースター
1)フォースターを読むのは初めてなので、訳者(中野康司氏)あとがきより作品の特徴を抜き出してみる。
「どんより曇った空の下で、教養豊かにお上品な生活を送る、イギリス中流階級の人間たちがいる。そして、ぎらぎら輝く太陽の下で、道路にツバなど吐きながら、生きる喜びを満喫するイタリア人の男たちがいる。それぞれがそれぞれの価値観を持って毎日を生きている。お互いに干渉しないほうがお互いが幸せかもしれない。しかしそこを敢えて、この両者がぶつかりあったらどうなるだろう。 ふたつのまったく違った価値観をぶつけあわせて、そこに生ずる悲劇を、イギリス小説伝来の風刺と皮肉のスパイスをきかせて料理するというのが、E.M.フォースターの小説の基本パターンだが、当然のことながらその基本パターンは、処女長編小説である本書において、最も単純明快なかたちで見てとれる」
内容はオースティンの小説のようなものだが、100年くらい時代が違う1900年代初頭の話。女性がいくらか自由になり、乗り物も馬から鉄道や船になり、話の進み具合も早い。もちろん男性と女性とでは、恋愛や結婚に対する見方も違うだろうから、今後の展開が楽しみだ。
2)読み終えてみると、オースティンとは全く趣が違うもので、あとがきにあるように、主題は「ふたつのまったく違った価値観をぶつけあわせて、そこに生ずる悲劇」ということをはっきり感じるものだった。<昔のイギリス社会>ということだけが共通で、オースティンのほうはそれを批判するようなことはなく、その中での生活を生き生きと書いているのに比べ、フォースターのほうは明らかに批判している。
しかし「風刺と皮肉」というスパイスはあまり感じなかった。穏やかな批判といった感じだ。それぞれの登場人物の描写が今ひとつ弱いような気がするし、個人的にはどの人物にも魅力を感じなかったので、テーマとしては面白いと思ったが、オースティンのような感激はなかった。
作者が26歳の時の作品なので、まだ人物観察の目が若いということもあるだろうが、女性の描き方にちょっとひっかかるものがあった。それに比べて男性の描き方は愛情深く、のちに『モーリス』という同性愛の作品を書いている作家だけに、そういうことなのだろうかと勝手に納得してしまった。
2002年04月29日(月)
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