読書の日記 --- READING DIARY
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 天使も踏むを恐れるところ/E.M.フォースター

1)フォースターを読むのは初めてなので、訳者(中野康司氏)あとがきより作品の特徴を抜き出してみる。

「どんより曇った空の下で、教養豊かにお上品な生活を送る、イギリス中流階級の人間たちがいる。そして、ぎらぎら輝く太陽の下で、道路にツバなど吐きながら、生きる喜びを満喫するイタリア人の男たちがいる。それぞれがそれぞれの価値観を持って毎日を生きている。お互いに干渉しないほうがお互いが幸せかもしれない。しかしそこを敢えて、この両者がぶつかりあったらどうなるだろう。
ふたつのまったく違った価値観をぶつけあわせて、そこに生ずる悲劇を、イギリス小説伝来の風刺と皮肉のスパイスをきかせて料理するというのが、E.M.フォースターの小説の基本パターンだが、当然のことながらその基本パターンは、処女長編小説である本書において、最も単純明快なかたちで見てとれる」

内容はオースティンの小説のようなものだが、100年くらい時代が違う1900年代初頭の話。女性がいくらか自由になり、乗り物も馬から鉄道や船になり、話の進み具合も早い。もちろん男性と女性とでは、恋愛や結婚に対する見方も違うだろうから、今後の展開が楽しみだ。

2)読み終えてみると、オースティンとは全く趣が違うもので、あとがきにあるように、主題は「ふたつのまったく違った価値観をぶつけあわせて、そこに生ずる悲劇」ということをはっきり感じるものだった。<昔のイギリス社会>ということだけが共通で、オースティンのほうはそれを批判するようなことはなく、その中での生活を生き生きと書いているのに比べ、フォースターのほうは明らかに批判している。

しかし「風刺と皮肉」というスパイスはあまり感じなかった。穏やかな批判といった感じだ。それぞれの登場人物の描写が今ひとつ弱いような気がするし、個人的にはどの人物にも魅力を感じなかったので、テーマとしては面白いと思ったが、オースティンのような感激はなかった。

作者が26歳の時の作品なので、まだ人物観察の目が若いということもあるだろうが、女性の描き方にちょっとひっかかるものがあった。それに比べて男性の描き方は愛情深く、のちに『モーリス』という同性愛の作品を書いている作家だけに、そういうことなのだろうかと勝手に納得してしまった。


2002年04月29日(月)
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 オー・ヘンリー傑作選/オー・ヘンリー(著)、大津栄一郎(訳)

オー・ヘンリーの名前は短編の名手としてよく聞いているし、一部の作品は何度も目にしているが、短編集として通して読むのは初めて。声のすてきな(顔は知らない)大津栄一郎先生の訳ということで、図書館で借りてきた。入っている作品は下記のとおり。

・賢者の贈りもの (The Gift of Magi)
・警官と讃美歌 (The Cop and the Anthem)
・マモンの神とキューピッド (Mammon and the Archer)
・献立表の春 (Springtime a la Carte)
・緑のドア (The Green Door)
・御者台から (From the Cabby's Seat)
・忙しい株式仲買人のロマンス (The Romance of a Busy Broker)
・二十年後 (After Twenty Years)
・改心 (A Retrieved Reformation)
・古パン (Witches' Loaves)
・眠りとの戦い (At Arms with Morpheus)
・ハーグレイヴズの一人二役 (The Duplicity of Hargraves)
・水車のある教会 (The Church with an Overshot Wheel)
・赤い酋長の身代金 (The Ransom of Red Chief)
・千ドル (One Thousand Dollars)
・桃源境の短期滞在客 (Transients in Arcadia)
・ラッパのひびき (The Clarion Call)
・マディソン・スクウェア千一夜物語 (A Madison Square Arabian Night)
・最後の一葉 (The Last Leaf)
・伯爵と結婚式の客 (The Count and the Wedding Guest)

本名ウィリアム・シドニー・ポーター(William Sidney Porter)、1862年ノース・キャロライナ州グリーンズバロで医者の子として生まれたが、家庭の事情で高等教育を受ける機会はなかった。1886年頃から作品を書き始め、1910年6月5日、ひとりニューヨークの病院で47歳で他界するまでに、13冊の短編集、272の作品を残した。

「オー・ヘンリーの作品の特徴は、独特のユーモアとウィットとペーソスにある。そしてそれを効果的に伝えている巧妙なプロット、とくに巧妙に工夫された出だしと意外な結末にある。それはまさにオー・ヘンリー流の作品と言えばだれにでもすぐ分かるような独特な型を作り上げている。・・・一言しておきたいことは、そのほとんどすべての作品が彼自身の経験、見聞に基づいているらしいことである。ただの作り話ではなく、彼自身の生活を代償にして生まれたのである。彼の作品が読者の心を打つゆえんはそこにある」――訳者あとがき

というわけで、「ユーモアとウィットとペーソスと意外な結末」というオー・ヘンリーらしさを、すべてに感じる短編集だった。彼自身が順調な人生を送ったわけではないので、弱者の気持ちも非常によく捉えていて、暖かさと優しさを感じる作品ばかりだ。

しかし、「ローリング・ストーン」誌をオー・ヘンリーが作ったとは知らなかった。でも1年後には廃刊になったというから、あの「ローリング・ストーン」誌とは全然違うものなのだろうか?



2002年04月26日(金)
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 買い物中毒のひそかな夢と欲望/ソフィー・キンセラ

「あーぁ、また買いすぎちゃった!
来月(さ来月)のカードの請求書を見るのが怖い!
だめよ、だめよ、今月はもう節約しなくちゃ、と思いながら、すてきな服、すてきな靴、すてきなバッグを目にすると、どうしても買わずにいられなくなっちゃう!
もしかして、わたしっておかしいんじゃない?」

すてきな服や靴を本に置きかえると、そのまま私のことになる。うげげ!お金もないし、どこかから転がり込んでくるあてもないし、なのに「どうしても必要なもの」あるいは「あとで必ず役に立つもの」、「今買わなければあとでは読めないもの」と勝手に言い訳して、毎月性懲りもなく、紀伊国屋やAmazonにつぎ込んでいる私。もしかして、おかしいの?

主人公レベッカ・ブルームウッドは25歳、金融関係の雑誌社に勤めるジャーナリスト。“いかにして自分のお金を管理するか”を読者に教えるのが彼女の仕事。ところがこのレベッカ、経済観念はゼロ。すてきなものを見ると、すぐに「買いたい」病が始まる。どれもこれも彼女にとっては“ぜったいに必要”なもの、だから“買わなくちゃ”となる。わかっちゃいるけど、やめられない。

銀行の口座はいつも赤字状態、あちこちのカード会社からはひっきりなしに督促状が送られてくる。どうにもこうにも立場がなくなってしまったレベッカだけど、最後には仕事にも恵まれ、王子様までゲットしてしまう。ずいぶん都合が良すぎるのでは?と思うけれど、終始貫かれている彼女の明るさと、世間から「ダメな人間」扱いされた辛さに免じて、このハッピー・エンドは許してあげたい。我ながら身につまされる部分もあるだけに、なんとか上手く切りぬけて欲しいという気持ちで読んでいた。

全体的には『ブリジット・ジョーンズの日記』を思わせる話、文体。話の中に出てくる本は自己啓発本に『高慢と偏見』だし、吸っているタバコは「シルクカット」、朝はカプチーノにチョコレートマフィン、王子様となる男性とは最初のうち険悪、でも女友達には恵まれている・・・と状況設定はほぼ一緒だ。ただ日記形式ではないだけで、『買い物中毒のブリジット・ジョーンズ』でも『ブリジット・ジョーンズのひそかな夢と欲望』でも十分通用しそうだ。

BJも、このレベッカも、なぜかかわいくてコミカル。レベッカに至っては実のところ自己破産寸前だというのに。彼女達は皆根っから善良なのだ。およそ犯罪とは無縁で、例えよだれの出そうな申し出があっても、いざとなれば自らの正義感によって、自分が窮地に立つほうを選ぶ人間なのだ。だから絶対に憎めないし、応援してあげようという気持ちになる。人の不幸は蜜の味であるから、レベッカの失態も人ごとだと思って大いに笑えるのだが、最後にハッピーエンドになって、素直によかったなと思えるのだ。



2002年04月23日(火)
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 Peter Rabbit and Eleven Other Favorite Tales/Beatrix Potter

Easy-to-Read Typeなので、字が大きくて目に優しいので、ベッドタイム・ストーリーとして、夜寝る時に読んでいた。豪華本やボックスセットなども大量に出ているが、これはDoverの1ドル本。だからといって、省略などがあるわけではない。Doverが作ると、ここまでコンパクトになるのか!と感嘆。

あちこちで絵が使われたり、ワンセンテンスずつ見かけたりしているので、なじみの深いピーター・ラビットだが、物語として通して読んだのは初めて。ウサギをはじめ、猫、犬、リス、ハリネズミ、蛙などなど、女地主だったポターの農場にいる動物たちをモチーフにしたファンタジーだが、絵から想像して単にかわいい話かと思ったら、大間違いだった。

実際のポターは、かなり厳しい地主だったという話を聞いたことがあるののだが、それを証明しているかのように、時には残酷で、時には容赦ない厳しさがある。どこか突き放した部分もあって、ぎょっとしたりもする。
民話などにはみな残酷な部分があったりするが、そういったものともまた違った、ポターならではの厳しい描き方を感じる。


2002年04月21日(日)
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 一杯のおいしい紅茶/ジョージ・オーウェル

オーウェルのエッセイ集で、庶民的な立場から見た文化論、身辺雑記といった感じのもの。1900年代前半のことなので、だいぶ感覚的にはずれているが、政治的風刺の強いオーウェルのイメージとは、かなり違う一面が見られる。シニカルだがユーモアのある作家と思っていたのだが、このエッセイ集は、彼の実に真面目で保守的な性格を浮き彫りにしている。


「オーウェル自身の言葉を借りれば生まれた時代の偶然のせいで政治的関心を持たざるを得なかった半面で、彼は教条主義的な考えとは別の、一人の人間としての気持ちを忘れずに、自然を楽しめる心の意味について説き、動物を、生活の周辺の小物を、伝統的な食べ物を、ビールを愛し、昔を懐かしんだ」
──訳者あとがきより


あとがきにもある「生まれた時代の偶然のせいで」というところに、私も思いが及んだ。彼はたまたま戦争の中で生きてきたのであり(そういう人は世界中に大勢いるが)、戦争とは庶民の生活をけして幸福にはしないということを感じた。庶民を犠牲にしてする戦争とは、誰のためのものなのか?オーウェルの時代に戦争がなかったら、当然もっと違う作品が生まれていたことだろう。戦争の時代に生まれたために彼の作品は暗さがあるが、もし戦争がなかったなら・・・。

それにしてもイギリス人というのはなぜ、こうも紅茶の入れ方・飲み方にこだわるのだろう?オーウェルの主張にも、こうするべし!というのが10項目くらいある。日本人もお茶(葉っぱは一緒だ)をよく飲むが、ここまでこだわっている人がどれだけいるだろう?紅茶をティーバッグでしか入れない私など、口が裂けても紅茶好きとは言えないのだろう。しかし「紅茶はブレックファースト・カップ(マグカップ)で飲むべし!」というのには、大いに賛成だ。高価な平たいカップ&ソーサーで飲むよりも、マグで飲むほうがたしかに美味しい。


2002年04月20日(土)
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 新版・指輪物語(7)二つの塔(下)/J.R.R.トールキン

1)第二部の後編。
仲間と別れたフロドとサムが、ひたすらモルドールに向けて進んでいく。途中、元の指輪の持ち主ゴクリと出会い、その道案内で一向はモルドールの入り口に達する。
前編に比べると、こちらは暗黒の影に近づいていく分暗い雰囲気が漂う。指輪所持者の苦悩もにじみ出ている。

2)フロドとサムがボロミアの弟ファラミアと出会い、しばしの休息ののち、再度モルドールを目指す。そこで太古からの怪物シェロブ(蜘蛛の化け物。指輪には直接関与していない)に遭遇し、フロドが倒れる。一人で目的を遂行しなくてはならないと決心したサムが、目的地に向かって出かけようとするが、フロドは死んだわけではないことを知る。しかしフロドは敵の手中に落ちてしまった。

この巻は非常に暗い。全ての希望が打ち砕かれるような雰囲気だ。冥王に近づくにつれて、指輪は耐え難いほど重たくなるし、どこまで行っても道は果てしなく続くかのようだ。それに疑心暗鬼の中でやり取りされるゴクリとの取引は、果たしてどんな結末になるのかと思っていると、やっぱり罠であったというわけだ。この後の三部で、ついに目的がはたされるのかどうかが明らかにされるのだが、なぜゴクリが重要であったのかもわかる。
読むたびに思うのだが、この巻がいちばん暗い。唯一救われるのは、ファラミアの高潔さといったところだろうか。


2002年04月19日(金)
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 サラ、いつわりの祈り(BOOK PLUS)/J.T.リロイ

1)以前に読んだ『サラ、神に背いた少年』の続編。
とはいえ、これは時間的にはずっと前に戻り、サラと名乗る少年の子どもの頃の話。

内容(「MARC」データベースより)
ジェレマイアは母からの精神的虐待、情夫達による性的虐待を受けながらも、ただひたすらに母の愛を求め続ける。そして、その愛の深さゆえに、自らの性を忌み、自虐的願望へと駆り立てられていく……。

2)読了
前作『サラ、神に背いた少年』も衝撃的だったが、こちらはもっと行っちゃってる感じ。サラはM男だったようだ。(^^;
サラというのは自分の母親の名前だが、ここでその名前を名乗るようになった経緯がわかる。といっても、たぶんそうなんだろうという読者の想像でしかないが。「ただひたすらに母の愛を求め続ける」というのは、ちょっと違うんじゃないだろうか?幼いときから、彼は自分の性癖に気づいており、一種異常な快楽を求めていたと思う。

小説として面白いと言えば面白いが、おぞましいと思うと非常におぞましい。自伝的小説ということなので、作者は書きながら違う世界に飛んで、自己満足してるんじゃないかという感じ。最後のほうでは、主人公も母親のサラもおかしくなる。最初からおかしいと言えばおかしいのだが、サラ(母親)が気が狂ってからの話は面白くなかった。これもまたドラッグのせい。ドラッグをやって入り込む、妙な世界の描写はうんざりだ。

前作を上回るという好意的な書評が出ているらしいが、こういうのが好きな人には好きなんだろうなとしか思えない。性的にストレートでない人の話としては、クリストファー・ライスのほうが何倍も好きだ。

それにしても、またしても金原瑞人の訳。今回は話が話だけに、翻訳がどうこうよりも中身のインパクトのほうが強かったが、この人のつけるタイトルは、いつも気にいらない。どうしていつも、ヤングアダルトのこの類の話はこの人なんだろう?もしかして・・・と余計な想像をしてしまった。



2002年04月16日(火)
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 完訳クラシック・赤毛のアン(3)アンの愛情/L.M.モンゴメリ

1)赤毛のアンシリーズ3巻目。
1巻目からの各キャッチコピーは以下のとおり。

◆1巻目『赤毛のアン』
想像力と感受性に満ちたアンの少女時代

◆2巻目『アンの青春』
明るさとユーモアを忘れない美しい女性への成長

◆3巻目『アンの愛情』
真実の愛情にめざめ自分の人生を歩み始める

というわけでこの3巻では、アンがアボンリーを出て、キングスポートのレッドモンド大学に行くという話。

1、2巻はだいぶ前に読んだので、1巻目はともかく、2巻目の内容をすっかり忘れている。映画も『赤毛のアン』では1巻目、『続・赤毛のアン』では3巻目がもとになっているので、2巻目の内容はつい忘れがち。
久々に読むと、アンて元気だなという印象なのだけど、3巻ではこれまでにない悩みが出てきそうだ。それがアンが大人になっていくという証拠でもある。


2)読了
この3巻で大学の4年間が全て描かれていた。エピソードも盛りだくさんで、話としては忙しい。しかもここだけで3人もアンにプロポーズするのだ。アンは成長してかなりきれいになって、周囲の男性の目を惹くお嬢さんになっているようなのだが、「赤毛のアン」が美人だったとは知らなかった。

しかしこの3巻はアンの子どもっぽさがまだ抜け切らず(まだロマンチックな理想を追い求めている部分がある)、そのためにギルバートといったん離れるという事態になる。「ギルバートとは友情」という考えは、アンがかたくなに守ってきたことなのだが、読んでいるほうはじれったくて仕方がない。しかしようやく自分の気持ちに気づいたアン。ここで読者はとりあえずほっと胸をなでおろし、今後どんなドラマチックな人生を歩いていくのか、また楽しみになるというわけだ。

完訳はかなり細かく丁寧に訳されているので、1冊1冊が、かなり読み応えがある。



2002年04月13日(土)
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 僕の恋、僕の傘/柴田元幸(編・訳)

内容(「BOOK」データベースより)
雨が躰をつないでいた。SEX、同性愛、血、空想、墓―。人気翻訳家・柴田元幸が選んだ“生と性”8つの海外文学。少し哀しく滑稽なショートストーリー。
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柴田氏がよく出す、英米文学8編のアンソロジー。
以前に読んだ『夜の姉妹団』はとても面白かったが、こちらは期待したほどではない。もう好みの違いと言うしかなさそう。このラインナップはあまり好みじゃないかも。パトリック・マグラー(よくマグラアと書かれているが、柴田氏はマグラーと表記している)の作品は、自伝としてどこかで読んだ記憶がある。

「僕の恋、僕の傘」ジョン・マッギャハン
「悲しみ」レベッカ・ブラウン
「床屋の話」V.S.プリチェット
「愛の跡」フィリップ・マッキャン
「ブロードムアの少年時代」パトリック・マグラー
「緊急」デニス・ジョンソン
「この世の習い」ヴァレリー・マーティン
「ケイティの話 1950年10月」シェイマス・ディーン

読み終えてみると、どれがどれやら全くわからなくなっていた。どれも印象が薄い。ジョンソンの「緊急」の評判は高いが、特に傑作とも思わなかった。強いていえば、最後の「ケイティの話」が良かったかも。これは『Reading in the Dark』という連作で、前後に繋がりがあるらしいので、全部を通して読んでみたほうがいいかもしれない。ちょっと読んでみようかという気にはなった。ちなみに上のコピーに「雨が躰をつないでいた」とあるが、 これは表題作のマッギャハンの作品を表したもの。


2002年04月10日(水)
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 新版・指輪物語(6)二つの塔(上2)/J.R.R.トールキン

旅の仲間が分かれ、指輪保持者のフロドのほうではなく、オークに連れ去られたピピンとメリーのほうの話。というか、この巻はほとんどその追跡の話というべきか。

この巻での注目すべきところは、木の髭(エント)の活躍。中つ国で最も古い生き物で、年齢などは不明。木のような人間?人間のような木?ともあれ、そういう不思議な生き物が、旅の仲間を助けるという段。

旅の仲間とエントたちが、アイゼンガルドに乗り込み、サルマンに打ち勝つというくだりなのだが、ここで勝ったと思ってはいけない。本当の戦いは、これからだ。

アラゴルンが次第に王の威厳を現してきて、いよいよ王の帰還となる日も近い。


2002年04月08日(月)
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 サンキュー・ボーイズ(BOOK PLUS)/ビバリー・ドノフリオ

「15歳で母になった少女が、オーマイ・ガッド!な20年を駆け抜けて、作家になる夢をかなえる感動のトゥルー・ストーリー」

これに騙されてはいけません。ビバリーが母になったのは、17歳です。
それはともかく、このコピーよりは、こちらのほうが的を射ている。

「最大の敵であり最愛の相手である男たち・・・父親、恋人、夫、そして息子・・・に贈る愛の言葉」

つまり、とっても感動ものの話だったのだ。
最初のコピーを見て、また時代的な背景から、不良少女がセックスとドラッグにはまってぶっ飛んでいる、わけのわからない描写の羅列なのかと思って、全く期待していなかったのに、最後は感動して涙にくれてしまった。
文章もテンポがよく、面白い。懸念していたドラッグの話も、「ドラッグをやっていい気持ちになりました」で終わっているので、ほっとした。常々、ドラッグをやっている場面で、わけのわからない事を延々と書き連ねてあるのは最低だと思っているから。

何と言っても、主人公ビバリー(作者のこと)の明るさがいい。とんでもなく運が悪く、貧乏で不幸なのだと書いているのだが、それを吹き飛ばして、常に前向きに生きている。

妊娠、出産、貧乏、離婚、大学入学、大学院進学、子離れ、作家デビュー・・・みんな大変なことばかりなのに、いとも明るく簡単にやってのけている。もちろんその裏には、とんでもない努力をしているのであろうということは、わざわざ書いてなくても、想像がつく。

「どう思うかは、わたしの選択次第」とあるように、起こってしまったことを悔やむよりも、それをいかに幸せに変えていくか。運命の中で苦しみもがくよりも、それをいかに受け入れるか。ということなのだ。こんなビバリーに、私もどれほど元気づけられただろう。辛いことや苦しいことを、幸せに変えていかなくちゃいけないのだと思ったら、とても元気が出てきた。そこには、ダメなものはダメと切り捨てる勇気も必要なのだ。

大嫌いだった父親の本当の気持ちが分かったこと、いつもうるさい母親が、何十年もの間ビバリーのために毎日祈ってくれていたこと、何もしてやらなかった息子が、ビバリーをちゃんと母として認めていたこと、そんなことを成長したビバリーが知っていく場面で、思わず涙が出てしまった。皆が自分を心配し、愛してくれていたのだと気づいていく。若い時は気づかないこと、自分がその立場にならなければ分からないこと、そういうことを、ひとつずつ理解していくのだ。

タイトルの『サンキュー、ボーイズ』だが、原題は『Riding in Cars with Boys』である。それがどうして「サンキュー」になってしまうんだろう?と疑問に思っていたのだが、最後まで読めば、その疑問が解ける。

「よいことも、悪いこともみんな私の幸せの素」なのである。

2002年04月06日(土)
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 北欧のむかし話/山室静(編・訳)

スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、アイスランド、フェロー島から、それぞれ特徴のあるむかし話を編集している本。

ゲルマン族の神話はギリシア神話とならんで、ヨーロッパの二大神話とされている。この神話は、ほとんどすべて北欧に伝わるものなので、北欧神話と呼ばれている。それはギリシア神話とはまた違って、雄大で勇ましくも美しいものであるばかりでなく、ヨーロッパを理解しようと思えば、どうしてもそれの知識が必要である。トールキンの『指輪物語』も、源流を辿っていけば、この北欧神話に遡るのだ。

とはいえ本書は児童向けの本なので、神話としてではなく「お話」として、非常にやさしく、読みやすく書かれている。しかし、それぞれの国の個性が出ていて、なかなか面白いものだ。

◆スウェーデン
ゆたかな想像力で話をふくらませた美しいむかし話が多い。

◆ノルウェー
荒削りで、キリスト教とは違った昔の異教の香りがする。

◆デンマーク
北欧人の中では一番穏やかで、愛想がよく、世慣れている国民性のため、むかし話にも、ユーモアや教訓を交えながら、おっとりとした語り口を見せている。

◆アイスランド
アイスランドに移住した人たちが、誇り高い各地の豪族で、古来の文化をよく伝えていたうえに、バイキングとしてヨーロッパ各地を荒らしまわる一方で、それらの国のすすんだ文化を受け入れたことから、ここに新しい文化の芽がいきおいよく成長した。火山と氷河の島である特異の景観、大洋のただなかにある離れ島というその独特の位置のために、北欧のむかし話のなかでも、特殊な色合いがある。

◆フェロー島
ノルウェーとアイスランドの中間にある小さい群島でアイスランドが発見されるよりも前から北欧人が住みついていた。むかし話というよりも神話的な話。


2002年04月05日(金)
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 Lilac Awakening (REKINDLED)/Barbara Delinsky

これは『REKINDLED』という本(Two in One)に入っている2作目。短編というわけではなく、それなりの長さのあるもの。1作目の『Flip Side of Yesterday』同様、バリバリのロマンス。

夫を飛行機事故で亡くしたアンは、失意のうちに、気持ちを落ち着かせ、健康を回復するため、一人ヴァーモントへ向かう。するとそこに、見知らぬ男性が乱入してくる。ミッチというその男性は、それが当然だとばかりにふるまう。それもそのはずで、その別荘は、ミッチのものだったのだ。旅行社の手違いか、ミッチの予定が変わったのか、ともあれ二人はそこでしばらく一緒に暮らすことになる。

そのうちアンの休暇が終わり、二人は離れるが、アンの心はヴァーモントに引き寄せられる。やがて愛し合うようになる二人だが、意外な展開が待っていた。航空会社を相手取った訴訟の場に、相手側の社長として、ミッチが姿を見せたのだ。

こんな感じで話は行ったり来たり。最後はもちろんハッピーエンドなのだが、ミッチが航空会社の社長と知って、絶対に許せないといきまいていたアンなのに、彼もまた妻を交通事故で亡くしたと知った瞬間、なぜかすんなり許してしまうのだ。このあたり、都合よすぎじゃないかなあ?

タイトルの『Lilac Awakening』は、どこから来たのだろう?と思っていたら、ハッピーエンドのなった後アンが目覚めたら、庭にはライラックが咲いていたってこと。(^^;




2002年04月04日(木)
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