2023年06月27日(火) |
年に一度の楽しいお仕事 |
変化することへの恐れが とけてきた。
たくさん話をした やりたいこと やりたかったことに 思い切って踏み出すことで たくさんの応援をもらえると そんな予感を受け取った。
愛知で 学生来の友人と過ごした4日間。
みんなおんなじ。 生きている。
わたしも彼らも 天からみたら ほとんど変わらない 人間たち。
2023年06月21日(水) |
2023年の夏至は雨 |
夏至の雨
分厚い雲の上には おひさまがゆっくりと弧を描いて 1年でいちばん長い時間をかけて 空がひかりを受けて気持ちよさそう。
分厚い雲の下では わたしは長靴を履いて珈琲を入れる。 水の溜まった土間で 長く続いた雷雨に疲れて。
どちらも同じこと。
とけて混ざりあって今日ができる。
ほんとうの言葉 ほんとうの気持ち 心地よいリズム 忖度のない関係
そんなものに 溺れたい。
溺れてしまって 深い深い水の底から 水面のキラキラを眺めるんだ。
気が遠くなる寸前が きっといちばんしあわせ。
まずは捨てよう。 いらないものを 捨てよう。
それを見せてくれた 夏至の雨。
夜は電気を使わず 蝋燭で過ごしている。
iPadもスクリーンタイムとやらを設定して よっぽどではない限り 夜8時から朝6時まで SNSなどのアプリをみれないようにしてある。
そうしたら自然と 早く眠るし早く起きる。
朝の時間がたっぷりあるので 機嫌が良い。
朝起きたら ノートに頭の中に浮かぶものを書き出していく。 すてたいもの ひらめき 思いつき すてたいもの やりたいこと すてたいもの。
最近意識を向けていることは すてたいものを探すこと。
たくさん捨てて身軽になるのだ。
あとは 自分を自分で大切にすること。 自分に対する口が悪く厳しいので やさしい母親のように 自分に接してあげること。
一瞬一瞬それをがんばること。
わたしは いつもがんばっていないと なにか成し遂げていたり 肩書きがあったり 知識や経験がないと 自分は存在価値がないと 考える癖がある。
よく考え直してみて。
そんなもんなくっても 何にも持ってなくても まるはだかでも あなたは生きてていいのだから。
肩の力を抜いて 頭を空っぽにして 自由気ままに心を身体を あそばせてみて。
そしたらなにが起こるのか それを実験してみるのが あなたが人生でやりたかったことでしょう!
いつのまにか やさしい母親は きびしい答えを口にしている。
その結果を体験して 記録すること。
往々にして一番難しいことが 本当にやりたいことなのよ。
そうでしょう!
ちゃまるー!
布団の上から呼ぶと 廊下からニャアと呟きながら 部屋に入ってきた。
ちゃまるはなんできたの?
ちゃまるは うつ伏せに寝転ぶわたしの 太ももから膝の裏をひと通りふみふみした後 足の裏の上に陣取る。
ねえちゃまる なんでわたしのところに来たの?
ちゃまるは わたしの足のうら上にまるくなったまま 眠りはじめた。 重い。
なんだろうね、このヒトは。
きみが来てから 胸がぷわーっと開くようになった。 早朝に一度は起きるようになった。 「大好き」って言葉を これまでの倍以上言うようになった。 家や布団が汚れることを それほど気にしなくなった。
ちゃまるはなんできたんだろうね。
ちゃまるのねむりにひきずられて わたしももう眠りそうだ。
また こんど おしえて ね。
おや す み。
仕事帰りに気がつけば あたまがまあるくふくらんで なにやらおかしなことになっている
頭と首がうまくつながっていないせいか 吸う息も吐く息ももれてしまって すかすか苦しい
分厚い雲からは万遍なく雨が降っていて 船のエンジン音と共に身体が振動する 身体が振動すると少し遅れて 頭がふらふらと揺れる
いい加減身体が邪魔だ。
身体がないとどんなに楽かと思うのだが この地球のこの世界に留まるためには この身体がわたしに与えられた乗り物のようだ。
身体はこれまでの思い込みによって 自分の世界を作り出しその中で生きる仕組みになっている。 その世界で捨てなければいけないもの 乗り越えなければいけないものがある。 ここはそのために巧妙に作られた世界。
やろうと思えばなんでもできる
というのは まだ身体がなかったころの記憶だろうか。
船はブーンと一回高く唸り対岸へと動き出す。
わたしはなにを乗り越えたいのか。 なにを捨てたいのか。 この傲慢さ。 うつろいやすさ。 必要とされたいという衝動。 無価値な自分への腹立ち。 自分の選ばなかった道への執着。 できないことへの嫉妬。
とてつもなく無力だ。 自分の本体が一体なにをしたいのか なにをどうすることが身軽になることなのか。 煙にまかれたようにみえない。
子どもたちの進路の話をした。 わたしは それが苦しい結果になったとしても 自分の道を自分で決めることが 大切なのではないかと言った。
教頭先生は 自分が歩んでしまった道を よかったと思って生きることが しあわせなんじゃないかと言った。 それが親や先生が決めた道であっても。
でもどちらにしろ 苦しい結果になるなら 自分で選べた方がいいのかな。
自分の歩んできた道が どんなであっても それでよかったと感じるというのは 力がないとできないことですよ。
船が港について まあるいあたまのまま 雨の中に出てゆく。
傘が壊れて水がもる。
今度の休日に 自分の歩んできた道に 感謝を捧げるお祭りをしてみようか。
ふしぎだな 時々この場所に戻って来たくなる。
わかりやすく 外側に合わせて言葉を綴ることが多くなったので 自分のためだけの言葉を綴りたくなる。
わたしは 正社員になったことがない。 だいたいいつも 病院だとか大学だとか 教育委員会だとか 大きな組織の非常勤ばかりである。
あるいは お酒のあるお店のバイト。
ところが。 わたしは気がついた。
ここ数年 わたしは人生で初めての 常勤の仕事についていたのだ。
それは「島暮らし」という仕事。
これまで わたしの人生の中心だった音楽が 島暮らしという仕事に 押しのけられ
音楽は島暮らしという仕事の中の プロジェクトの一つになった。
この仕事では いろいろな企画を 自分で立ち上げることができる。
音楽活動や マコモ田などの活動 この春からはじめた 珈琲屋台も プロジェクトのひとつである。
もちろん 学校の仕事も プロジェクトのひとつ。
今はそこで お金を得ている。
この仕事の目的は 自然と調和して生きるための エッセンスを 後世に繋いでいくこと。
それは お祭りをのこすとか 大自然を守るとか そういうカタチを残すことと 間違われやすい。
でも違うのだ。
自然の中で人間が生きる際の ひとの感覚や姿勢や 心のあり方や コミュニケーションや そんなあたりのことだ。
まずは中に入って わたしが学ばなければいけない。 それがすごくおもしろい。
こう 書きながらも でもこれも違う 自分で描いたストーリーのような気がしてくる。
そう。
この人生に 何か意味づけをしたくて もがいているわたしがいる。
今のところぴったりくる意味づけが 「島暮らし」という仕事なのだ。
だってあんなに大好きだった海外旅行にも、 行きたい気持ちよりも 今ある暮らしを優先させてしまうわたしがいる。
仕事があるから今は旅行無理だなー っていってる人と同じだ。
音楽に関しては キッパリやめたいと思うこともある。
わたしはバンドに終止符を打ちたかった。 すっきりと自分のために終わる儀式をしたかった。 いまさら無理か?
40代のうちに 自分の中の音楽に 終止符を打つライブをしたい。
ちゃんと 終わりにできますように。
そんなことが 浮かんでくる。
この祈りは どんなふうに形になるのだろう。
梅雨空の下 伊須の山に 両てのひらを差しだして。 祈りの小鳥たちは 飛び立って行った。
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