あの頃あの時 ぼくたちの心からの祈りは 消えてしまったのだろうか
どこか 別の誰かのところに 羽ばたいていったのだろうか
それとも あれは祈りではなかったか
いままた 同じ祈りの顔した 祈りではないものを ぼくたちは 飛ばそうとしてやしないか
午後の日差しが アダンの並木の影を映して
いま どこかから飛んできた 祈りの小鳥が 右肩にとまっていたのよ
さようなら さようなら
どうかだれかを しあわせにしておくれ
2017年01月30日(月) |
みないようにしてたもの |
ねずみが山ほど固まっていたので シャワーでお湯をかけてみる。
7割は逃げて 穴に入っていった。 穴の場所もわかった。
残りの3割は死骸だった。
掃除が嫌だな と思いながら ねずみの穴をガムテープで塞ぐ。
相方が ぼんやりしてて ガムテープを違うところにはるので
そんなところにはっても ふさがらないってばー! とすこしだけ 強い口調で 言っていた。
相方は 車の免許を 持っていないのに
雪がうっすらと降る中で 駐車場に停めた車を 少し移動しようとする。
駐車場の前の道路が 坂道になっていて 危ないなあ〜と 観ていたら
車がぐんと滑って 坂道を走って 二回でんぐり返って また滑って 遠くの斜め向かいのお家の 白いバンにぶつかって くしゃくしゃになった。
相方は てへへ、、、 という顔で 車からおりてくる。
斜め前のお家に謝りに 行かなくちゃ。
昔 そこの家の 立派な絵画に 落書きをして 迷惑かけたこともあったので
それも含めて 謝らなくちゃ。
気が重いが まあ できることを 精一杯やろうと思う。
*
徳之島の さびれたビジネスホテルで 寒い寒いと思いながらみた 夢のはなし。
海から おおきなおひさまがのぼる。
まぶしいはずなのに 目をそらさずに よくみえる。
その光は なんでも知っているようで。
でも 耳をすまさないと 何も聴こえない。
あの子の耳そうじの姿が とても気持ちがよさそうだったのを 思い出して
わたしも 竹の耳かきで 耳をかく。
耳あかは すこしだけ。
もっと 取れたらいいのにな。
であうもの であう人 であう景色
わたしの世界の すべての存在と おはなしをしよう。
からだ全部を耳にして お話をしよう。
*
この世界の片隅に
という映画を観た。
ことばにならぬ とても大切な映画だった。
大きな川の流れ。
夕方の グレーと ピンク色の空が映る。
ぼくは 橋の上に立って
なにかを 叫ぼうとする
でも なにを 叫びたいのか
言葉がでてこない。
叫びたいのに 叫べない。
ふと 右隣に立っている その人の手を握る。
ひとりではないと 思うのと いなくなったら どうしようと 思うのと
2つの気持ちで また空を見る。
大きく息を吸って わたしは 叫ぶ。
今夜は降るような星。
いろんなこと いったりきたり すこしずつ。
これで あってる。
もう はじまってる。
船通勤の日。
仕事帰りに くじらをみた。
くじらは潮をぷわーっと吹いて バッシャーン バッシャーン と しっぽをみせた。
夕暮れにむかうおひさまが 世界をてらしてて
祝福みたいだ
って おもった。
旧暦新年まで あと3日。
よい年になりそう。
わかりやすいと 人に伝わりやすいのだが
わかりやすい世界から 取りこぼされたもの 無視されたものを あえて大切にしたい
そんな衝動が つよい。
影になってしまうものに マイクを近づけて インタビューしたい。
そんなわたしにとっては 学校での仕事は 孤独な滝登りのよう。
でも だからこそ わたしの存在意義があるのかもしれないと 感じることもある。
ほどよく挑戦することは どうやら 脳を若く保つにはいいらしいので ほどよく挑戦していく所存。
*
幼馴染から 新しくよちよち作った音源の 感想が届く。
心がこもった言葉たち それをつたえてくれる 大切な感触に 涙がでる。
相棒が彼女のことを 生きることを 大切にしている人だね と言ったのが 印象的だった。
こんな風に わたしは つながりに支えられ 助けられてる。
奄美の冬らしい ビュンビュン風の吹く日。
今日明日は 準備に時間のかかる すこし慣れない仕事が入っていて きゅうきゅうしている。
今日の分は なんとか終えて 帰宅したら 明日の準備。
相棒と 毎週家族会議を開くことにした。
家族会議シートを作って わくわくするやりたいことや 今週の目標や 実は言いたかったこと などなど 記入して 会議に臨むのである。
きのう 第1回の会議をしたが とても楽しい。
やりたいこと わくわくすることが ふくらんでゆく。
カラフルな風船を たくさん手に持っている気持ち。
風船はいつか割れることになっていて ぱぁんとわれた途端 その中に詰まっていた わくわくが 現実にカタチになるのだ。
この奄美の冬の嵐の中で 風船たちは ぷかぷかぽんぽん 踊っているよう。
帰りの船の中でも いろいろ考える。
入港が朝の5時前なものだから 眠りがおかしくなり 夢とうつつの狭間で いろいろ考える。
わたしは 仕事で 人の話を聴いているが
プライベートとなると とんと話を聴かなくなるなあと 反省し
まずは 一番身近な 相方の話を 聴いてみようと 思いたつ。
喧嘩なんかすると 相方のことを 冷たく感じたり 分析されて 上から馬鹿にされていると 思えたり そんな風に感じるのは
わたしが 相手のことをわかっていないからだと 思った。
彼は彼なりに 事情があるはずだ。
そんなことを思い立って 港に着いたら 日の出を待って
電話をかけて あなたのことを知りたい と 伝える。
誤解しているかもしれないから もっとしりたいから教えて欲しい と 伝える。
そうしたら 彼は 知りたいと言われて うれしい と 丁寧な深い声で 言った。
それをきいたら なんだか うれしくなって 胸にぐっときた。
なにか まだ目に見えなかった うっすらと すれ違っていたものが ほぐれてゆくような。
やさしい小人が 通り過ぎて 最後に残っていた 氷が 溶けてゆくような。
いま 仕事を終えて 3日ぶりの帰宅。
晩ご飯は 鍋を作ってくれているらしい。
ものごとも わたしも みんな 変化し続ける。
おもしろいな。
2017年01月18日(水) |
みんな違う性質のイキモノたち |
鹿児島出張。
朝船が鹿児島につき 仕事は午後からだったので
あいた時間で 映画館に行って「君の名は」をみる。
奄美では なかなか見たい映画がみれないので 映画館にいる というだけで テンションが上がる。
近かったら しょっ中観に来るのに!
映画を観て ラーメン食べて 仕事して
その間 いろいろなことを考える。
自分のこと。
わたしは 何かを うまく行かせたいわけではなく 経験をしたいんだと思った。
わたしは 赤ちゃんが 世界を感じていくように
この世界の仕組みを じぶんの体験を通して 感じたいのだと思った。
それが わたしにとっては 何よりの 生きている意味。
だから こんなことをしたら 失敗しちゃうよ 大変なことになるよと 言われても わからないんだ。
その結果が たとえ失敗であれ それを体験したいんだ。
実際 痛い目にもよく合うが 痛いことも そのもう一段奥深くに 体験できた喜びがある。
そんな 生き物なのだと 自分のことを思った。
さて いまから 奄美へ。
日常から離れると 自分のことを 離れて考える機会になる。
やっぱり 旅はいいね。
出航。
ぽかんとしている。 やたらと寒い。
寒いといっても 10度はあるのだろう。
相手は自分の映し鏡ー という言葉をきく。
人とうまくいかないとき 人に腹を立てているとき
自分も相手にとって 同じように映っているのかもしれない。
さみしい孤児が ふたりして ぴよぴよと 嘴を空に向けて 何もない空を 食べている 飢えている
そんな映像が浮かんだ。
昨夜 久しぶりの友と 初めてのSkypeで話した。
顔を見ることができて うれしかった。
思い出す度に ヘドが出そうな 嫌な気持ちになることがあったのだけど
これまでの人生で 出会ってきたつながりに 支えられている。
自分の表現をしていこうと 力になった。
ありがたい。
今回の満月 非常に疲労。
人の心のどろどろの渦が 身体の周りをまわっていった。
ひとり 畑の草刈りをして 庭のガジュマルを 掃除してあげて
日没後の海に うたいにゆく。
あめあがりの曇り空 水墨画みたいな やさしい海だった。
夢みたいで 落ち着いた。
近くにいる人や 近くにいた人のことを思い どんなに近いと思っていても わからないし わたしもわたしのことが よくわからないと思った。
自分の無意識の海に 光をあてて行くことに 興味がある。
旅の日々。
今年初の アートセラピーワーク。
楽しむ力のある 中学生たちだった。
幸先のよい スタート。
今年は ひとつひとつ 大切に積み重ねて行こう。
変化し続けよう。
きょうからまた 少し寒くて ストーブをつけた。
あたたかい日がつづく。
朝起きて パジャマのままテラスで ゆったりとヨガができる あたたかさ。
庭の草刈りと 集落のサロン(体操したりお茶飲んだり)と その他 いろいろ雑務を片付ける。
春みたいな気候なので キャベツが食べたくなって 鳥とたっぷりキャベツの蒸し焼きをして 赤ワインを飲んだ。
明日から 基本的に 日の出と共に 起きることに決まった。
猫も相棒と 愛おしい暮らし。
身体をやわらかく しておきたい。
いつでも 歌って踊れるように。
相方の前厄払いに 町の神社へ。
初めて行く 加計呂麻島と大島海峡が 眺められる高台の神社。
こじんまりとして 好きな場所だった。
その後 近くのお寺でやっている フリマに顔を出し 島の友たちのカラフルな顔に会えて 嬉しくなる。
精進料理をいただいて ふわふわとみなの近況の香りをかいで 帰宅。
突然草刈りがしたくなり 草刈り機で タンカン畑をぐわーっと刈り
鍬で 庭のお化け雑草たちを ぐわーっと刈り
日が暮れる。
年明け ふたりして インフルになったり なんだりバタバタ オタオタしていたけれど やっと いろいろが 追いついてきた。
わたしは 兎に角 自分の世界を耕し 整えてゆこう。
そう。 きのう インスピレーションの習字で やってきた2017年の言葉は
渦雫
だった。
カオスの渦から 滴り落ちる キラキラしたしずくを 大切に集めゆく年に しよう。
2016は 終わりの年だった。
いろんなことが 終わりだった。
心が 整理できないことに 関しては
外から 強制終了の 力がかかった。
2017年は 新しくクリエイトしていくことだらけ
すべて 自分の創りたいように 創ってもいいのだと 言われている気がする。
30日に 大阪でソラネコのライブをして 大晦日に金沢に移動。
大阪では つながりある方々に 楽な気持ちで会えて 一緒に過ごせて しあわせだった。
相棒を 関西のつながりの方々に 紹介できたのも うれしかった。
金沢では おいめいにまみれて お腹いっぱい食べて たくさんあそんだ。
相棒が実家に来たのは2度目で 1度目のあの 笑えるくらいの緊張感が 今回は見られなくて すこしおもしろくなくもあり でもほっとした。
おいめいたちに 呼び捨てに される相棒に 笑えた。
幼馴染み 手づくりの 「とりみくじ」をひいたら
おっとりスマイルで ゆとりの1年!!
と書かれていた。
今年は ゆっとり大地に足をつけて 腹を据えるのだ。
両親は なんとなく まあるく まとまってきているように 感じられて
自分のこの先を みているようだった。
きっとわたしも すぐに老いてゆく。
イキモノの循環の中 変化しつづけるし、 いまは一瞬で過ぎてゆく。
幼馴染みが 駅まで送ってくれて
大きなつながりの話と 実はもうすべてを知っている
って話をした。
金沢はぬるい雨。
さて これから 島に帰るよ。
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