仕事がらみで 感じたり 考えたりする いろいろなことを 整理するために
先生とお会いする日。
いろいろな 話をして
わたしの夢の話から 最後にいきついたのが とても心にひびく イメージだった。
見上げる滝の上に 青い空と太陽があって とても神聖で
それを 一緒にみあげている 老若男女の 村の仲間たちがいて
わたしは とっても安心して 居心地がよくって 何にも考えてなくて
おおきな自然の かみさまみたいなものの下で 仲間たちと一緒に ただ 楽しんで 支えあって いきている 感じだった。
その イメージが浮かんだときに
みんな つながって いるんだなあって おもって
すごく 安心した。
あと もっとシンプルに 生きていきたいと思った。
ほんとうに 好きなものだけ 必要なものだけ 身の回りにおいて
身軽になって 心から いきたいところに行って 会いたい人にあって よけいなこと 考えない 生活を したいと思った。
そんな時間を 味わったもんだから
きょうはいちにち ふわふわとした感じで 過ごす。
帰り道に ひさしぶりに畑によって 堆肥をまいた。
野菜たち すこしずつだけど おおきくなっている。
きょうは 菜の花の おおきいやつと
混み合っているところの 小蕪を収穫した。
春の雑草と小松菜たち
ひどい二日酔いで オエオエいいながら ビニール袋を片手に お腹を曲げ気味にして出勤。
わたしは オエオエだったけど
朝の光は なんだかとても 美しくって
空をみあげると 長いイキモノの雲が 空いっぱいに 広がっていて
二日酔いの 震える手で しっぽの写メをとった。
ちょうど近くを歩いていた おばあちゃんが
「きれいな雲ねえ」
と話しかけてきて
「龍みたい」
とわたしがいって
一瞬 ふたりで空を みあげて
二日酔いの私と おばあちゃんと なんの共通点もない ふたりの 気持ちが つうじあって
一瞬 時間がとまったようで
ふしぎな 感じだった。
こんな オエオエの日に限って いつもの倍くらい忙しい。
急な仕事が突然入ったり イレギュラーな問題がおこったりする。
きょうも いろいろな人にあって いろいろな話をきいた。
みんな おなかの真ん中に ひかる玉をもっていて
時には玉が よごれていたり くもっていたりしていて ひかりがみえなくなる こともあるけれど
でも まぎれもなく ひかっていて。
そのひかりが ちらり ちらりと みえる瞬間が
きょうは たくさんあって うれしかった。
***
昨夜は 南風楽天での集まりで おなかがよじれるくらい 大笑いした。
あんなに大笑いしたのは ひさしぶりだった。
帰宅して スケジュール帳を ひらいてみると
何ページにもわたって 昨夜のメモがあった。
左 ハタ・ゲロニカ・サトミ(通称ゲリー)のサイン。 下痢という漢字をくずしてある。
右 下呂八喜子さんの名前 と 名曲「吐き峠」
わたしは 釣り舟でゲロゲロはきまくったり お店の前で吐いたり 工事中の三角コーンのふもとで吐いたり 吐くことが多いので
ゲロニカというミドルネームが いいのではないか…という 話になったのだ。
とにかく そんなような話をして 話がつぎつぎと 意味不明な方向にふくらんで やたらめったらおかしかった。
ゲリーお店の壁にサインまで!
サンキャッチャーたちを 納品してきた。
ひとつひとつ おもいいれがあるので 離れがたかったけれど
昔牛小屋だったという 小さな平屋の雑貨屋さんの 水色の空間のなかで
居心地よさそうにしている サンキャッチャーたちをみて なんだかほっとした。
納品…という言葉を つかったりすると
がんばらなくっちゃ というような 気合いが でてきそうになるけれど
いやいや がんばらない。
ただただ 気持ちが動いた時に
その気持ちの おもむくままに 自由に 楽しくつくってこその
わたしの サンキャッチャーなのだ。
*
雑貨屋さんは JR高槻の駅から歩いて5分のところにある 隠れ家みたいなお店「ちくちく」さんです。
http://tiku3.exblog.jp/
いろんな作家さんの いろんな作品がおいてあって おもしろいです。
わたしは taviSaという名前で だしています。
照れくさいけど 「タビ」する「さとみ」だからです。
人生 まいにちが旅。
ふらりとのぞいて taviSaのサンキャッチャーたちと お話してもらえたら うれしい。
サンキャッチャーたちも みんな よろこぶと おもいます。
よろこんでるくせに よろこばない顔をしている ひねくれたやつも いるかもしれませんが
そんなやつほど 心では よろこんでいるのです。
サンキャッチャー ひとつひとつには おもいつきことばが ついています。
そのことばから うたも作ろうと思ったけど
うたをつくって 売るとなると 大がかりになってしまうので ことばだけつけています。
でも うたも つくってほしい人がいたら つくろうとおもいます。
サンキャッチャーがあると 太陽の光が おうちにはいってきて 部屋が虹色のもようになるので なんだか 楽しくなってくるのです。
サンキャッチャーたちから どんなすてきな出会いに つながっていくのか わくわくしています。
*
さて
今夜は 南風楽天で 秋田のお酒ときりたんぽの夜だ。
うしししししし。
日曜日なので わくわくして 早起き。
午前中は サンキャッチャーの タグの材料を考える。
昨年の鳥取旅のときに買った いかの麹漬が あまりにおいしくて お取り寄せしたのだが
その中に 何を間違ったのか 寿司折の箱の 木目調の紙の蓋ばかりが たくさん入っていた。
その蓋を タグに つかうことにした。
やっぱり がらくたみたいに おもえるもんでも とっておくもんである。
お昼前に 家をでて
チェロ弾きの友だちの 演奏会に これまた別の 友だちふーふと 一緒にいく。
友だちふーふは とてもほわほわと やさしいふーふで
クラシックも心地よく すべてが やさしく ほんわりする時間だった。
演奏会の友の チェロ姿を 初めてみたけれど
チェロが とても よく似合っていた。
ワインでも片手に 聴きたい気分だった。
ほわほわふーふと 別れてから
神戸近辺を ぶらぶらして
サンキャッチャーのパーツを 仕入れる。
ずっと探していたものや いい色模様のものが 手に入って コーフンした。
そして 高槻に移動して 夜は22時まで ソラネコ練習。
帰ってから 急いで サンキャッチャーのタグを しあげる。
きょう 神戸を歩きながら ひらめいて
枝や貝殻や麻ひもや… 自然のものを つかうことにした。
いま できあがって 一息ついたところ。
ほわほわが きゅっとつまった 日曜日だった。
ひとりスタジオに入って 声をだして 景気をつけてから。
おもいきって 最近近所にできた 手作り雑貨のお店へ。
以前 手作りサンキャッチャーを おいてもらいたいなあ…という話を していたので
もっていって みてもらった。
6つもっていって カーテンレールにつるして 説明する。
これは 新月の夜につくった 月の女神の…
これは おいしい珈琲をのんだときに つくった…
これは 塩麹がおいしく発酵するように 祈りをこめて 麹のオッサンを想像して…
これは… …
サンキャッチャーって ほんと 太陽の光があたったら へやじゅうに虹色もようが できて
感激するんですよ…。
ぼそぼそと説明をして
沈黙があって
どきどきして
そしたら
黙っていた 店長さんが にっこりして
「いいじゃないですか おかせて いただきましょうか おもしろい…」
よかった。 おいてくれるって。
麹のオッサンの サンキャッチャーが みんなにうけていた。
売れなかったら 置いてもらうのは やめようと思うけど
つくるのがすきだから つくりつづけるための システムを つくっておきたいなあと おもっていたのだ。
まずは 試しに。
納品書とか タグとか 説明書とか いろいろ 準備しなくてはいけない。
心の中で わくわく車が まわりだした。
3月に バリに行く前に どうしても これまでのバリの旅で うけとったものを 言葉にしたくって
本のような形に しておきたくって
そのことも 気になっていて
いろいろ やりたいことが あふれて くるくる まわっている。
わたしは 自分のペースで 心をこめて つくるのが 好きだ。
自由に ただただ 自分の感覚だけを たよりに
つくっていく時間が 好きだ。
ああ まとまった 時間がほしいなあ…。
夜 野菜炒めに 塩麹をいれてみたら すごくうまかった。
麹のオッサン やっぱり やるねえ。
2012年02月24日(金) |
さわったらちぎれそうな月 |
朝の目覚めが さわやかだった。
雨の次の日の 陽射しが 春みたいで うきうきした。
仕事が 午後からだったので
朝のうちに 洗濯や クリーニング屋さんや 宅配野菜の片付けや 相棒の検便のお届けや いろいろこまごましたことを かたづける。
スタバで 紅茶をかって 普通電車にのって ゆったりすわって 通勤する。
きょうも いろいろな人に会って いろんな話をした。
おかしくて 笑ったり のどがぎゅっとつまったり やさしいきもちになったり 苦しいきもちになったり した。
いろんな気持ちに なっていることを もっともっと 意識しようとおもった。
わたしと相手は 別々で違う存在だけど
相手もわたしも カンペキで 大切だということを もっともっと ナマナマと 感じながら
会っていきたいと おもった。
なんだか へっとりとなって 帰り道
ジャックジョンソンの音楽と 細谷亮太先生の本が やさしかった。
実は ここ数年
どうも 感覚が疲れやすくて
音楽というものを じっくりと イヤホンで きけなかった。
最近になって また じっくりと 聴けるようになってきた。
音楽を 聴くことを おもって わくわくできる 自分に
やっと 戻ってこれたんだと おもって
うれしくなった。
さわったら ちぎれそうな ほそいほそい月が 空に
ふわふわと ういていた。
味噌を仕込んだ時に あまった麦麹でつくった 納豆麹が やたらとうまい。
しょうゆと酒と 納豆と昆布とにんじんと白ゴマと 麦麹。
やたらと うまい。
きょうは 相棒がいなかったので
ひとりで 納豆麹と 人参のサラダを つまみに
赤ワインを飲む。
ひとりで 飲むのは さみしいので
玄関の酋長にも 小さなグラスにいれて のんでいただく。
ああ うまい。
納豆麹は 日に日にまろやかになり 1週間目のきょうは まるで 天使の羽根のような まろやかさ。
天使の羽根を ずるずると いただいて 赤ワインをのむ
しあわせ。
うまい。
麹のオッサン ええ仕事 してますなあ。
堅いつぼみだった 桃の花が咲いた。
酋長も春の気配で うれしそうだ。
冬の間は 上半身裸の酋長は さぞかし寒いだろうにと 白黒模様の布をかけている。
この白黒模様 バリのお寺で よくみかけるので
日本の雑貨さやんで 見つけた時に
あ、バリの布だ!
とおもって かってしまった。
この布には
世界は 白と黒 陰と陽で 織りなされて 成り立っている
という意味がある。
バリでは 善なるバロンという神様と 悪なるランダという魔女が 永遠に戦い続ける 決着がつかない というストーリーがある。
善も悪もなく 対極のふたつのものが からみあったり ぶつかったりして すべてが なりたっている というイメージとして
わたしは うけとる。
先日参加した スウェットロッジセレモニーでは、 アメリカンインディアンは 二股の木を いろんな儀式につかうと きいた。
それは 陰と陽ふたつで 世界のバランスが 成り立っている という意味があるそうだ。
どこも 智恵は 同じだ。
日本の現代の 生活の中にいると
陰は悪いように 扱われがちのように 感じる。
陽ばかりをみて 陰をおさえこんで 封じ込んで しまうから
なにかの バランスがくずれたり みえないところで 陰が肥大化してしまったり するのではないか。
ダメだといわれているもの 汚いもの 弱さ 不安 怖さ 不細工なもの 臭いもの ヘンなもの
ぜんぶ ひっくるめて 美しいということに おもいをはせて
酋長と桃の花に 祈る朝です。
きょうは 新月だ。
スエットロッジセレモニーに 参加した。
人生で2回目だったが 1回目と同様 強烈だった。
セレモニーのはじまりは やさしい雪模様だった。
大地の子宮を象徴した 半円球のドームの中。
その真ん中に 富士山の石を あっつあつに焼いたものを いれる。
それが 大地の胎盤になる。
そのあつあつの石に 水をかけて その水蒸気にみちた 大地の子宮の中で
うたい 祈り 泣き 笑い
スピリットを身近に感じ おもいを伝え メッセージをうけとり
そうして 一夜があけて
朝 太陽がのぼる頃 東向きの出口から わたしたちは オギャーと うまれる。
それはそれは とても 強烈な 生まれ変わりの 儀式だ。
ラコタ族に伝わる儀式 2000年前と同じやり方で やっているそうな。
わたしにとって みえないものは とても たいせつ。
みえるものよりも たいせつ。
あらためて それを感じ つながり
なにかが あたらしく はじまっている 気配がする。
祈ること 笑うこと つながること。
もちかえったものを ことばにすると これかな。
汗小屋からでて ひと休みした後の ぴかぴかの朝日!
久しぶりに 楽しく おいしく お酒を飲む。
朝おきて スケジュール帳をみたら
謎のメモが。
もんごいか あばれる どうもう まるくてあしみじか がらわるい さいごまで 足で
あおりいか ピシュ!!
なんとなく 釣りの話をしていた記憶は あるのだが。
気になって いかのことを しらべてみたりして
すこし 新しい世界が ひろがった。
いかの世界。
もんごいかhttp://www.pref.kagawa.jp/suisan/html/suisan/kagawanosakana/ika/mongouika/mongouika.htm
あおりいか http://aopara.just-size.net/sub2-1.htm
味噌を仕込んだ。
大豆の粒がのこっている味噌が 好きなので 大豆の粒を たくさんのこしてみた。
できあがるのは 夏のおわりぐらいかしら?
その頃 なにやっているのかな
みんな楽しく 心穏やかに くらしていれたら いいなあ…と
おもいながら みそをまるめて ぱんぱんと 樽につめていった。
麹があまったので 米麹で塩麹を 麦麹で納豆の麹漬を つくってみた。
みそといい 麹たちといい いきものが おうちの中に ふえたようで
にぎやかな 気配だ。
妹が単体でいる状態で 会うのは おそらく10年ぶりくらい。
彼女は3人の子どもがいるから 彼女と会うときは いつもおいっこや めいっこが一緒だったから。
単体の 妹と会って
夜は、中崎町を散策し タイ料理をつまみながら ふたりでワインを一本あける。
両親の話や 昔の話 それぞれの家族の話 友だちの話 ときめく話 これからの話…
いろいろ 話したかったことを はなせてよかった。
朝は 起きたら いつもより ちょっと凝った 朝ごはんを一緒にたべて
サンキャッチャーを 一緒につくる。
妹は最近宇宙がブームらしく サンキャッチャーのきらきらをみて
太陽みたい!といって
太陽系をイメージした シンプルでカラフルで やさしいものを つくっていた。
それが とっても わくわくと 楽しそうで
そうそう この人は 楽しい感じを いつもふんわりもっている 人やったわ…と いうのを おもいだした。
お昼は わたしたちが 学生の頃よく行った 心斎橋の リーズナブルな フランス料理の店にいく。
あの頃とかわらず お店はあって
あの頃とかわらず きゅうきゅうの 食堂みたいだけど 味はおいしくて
そういえば ここで サングリアの作り方を おそわったんだっけ
とか
あの頃は カレーをつくるのに凝ってて 台所をスパイスで黄色くして 妹に怒られていたなあ
とか
あの頃の感触を すこしずつおもいだした。
午後からは ふらりと 草間彌生展にいって
びっくりした。
なんにも 心構えを しないで 行ったので
こんな人が いたなんて
びっくりした。
そうして コーフンして 歩いて 大阪に戻ってきて
妹は友だちとライブに。 私は練習に。
それぞれの 生活に 戻っていったのだった。
みんな それぞれいろいろあるけど みんな げんきでたのしく まいにちがおくれると いいなあとおもった。
わたしから つながっている たくさんの 人たちのことを
おもって 胸がきゅうっと なった。
きょうは とても 美しい 大阪の夕暮れを みました。
きょうは
金沢から妹が あそびにくる。
最近 よふかしが つづいていた。
仕事から帰って ごはんをつくって 食べ終わったら22時頃で
それから 片付けたり 風呂はいったり なんやかんやして ふとんをしいて
それから 自分の好きなことを する時間を すごしていたら
たいてい 夜中の2時をまわる。
朝は 仕事があるので7時から8時頃に 目覚ましをかけて でかけるので
なんとなく にぶい 寝不足が つづく。
まいにち きょうは はやくねむろう!と おもうのだが
ねるまえの よふかしの時間に なんだか やみつきなのだ。
何冊かのよみかけの本から きょうの気分の本をえらんで ゆるゆるよんだり 小さなノートに絵日記かいたり めちゃくちゃオドリで カラダを動かしたり けん玉の練習したり バリで教えてもらった 瞑想みたいなのを してみたり。
わたしが わたしをたしかめる
たいせつな 時間だ。
だから きょうのような 休日は
ふだんたりないぶんを ねてしまうので
朝が ぼんやりしているうちに 消えてしまう。
いま、お昼過ぎ やっと うごきだしたところ。
*
仕事が続くと 厚さ1.5センチくらいのゴムでできた おおきな袋の中に 濃厚などろっとしたどす黒い液体が たまっていくような気がする。
袋の口をしっかりしばっているので わたしにはすぐには影響はないけれど
液体がたまってくると その袋が重くなって
だんだん 動きが鈍くなってしまう。
その袋を 神聖なものとして 大切に扱って 天にかえしてあげるのも
わたしの仕事の 一環なのだが
まだ それが 上手にできない。
ちゃんと 儀式を してあげないと
と思うのだが
長い夜の間に
なんとなく 悲しい夢をみたり ふしぎな夢をみたり して
たくさん泣いたりすると いつのまにか 袋の中身は きれいに 天にかえっている。
今朝は その悲しい感触が 胸にのこっていて
カラダが 泣いていた。
にんじんとリンゴと バナナの豆乳ジュースをつくって 一気飲みをしたら
すこし 元気になった。
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そろそろ よふかし期から はやおき期に 移行しようかな。
もうすぐ 春だし。
さて
洗濯して 掃除機かけて 妹を むかえにいこう!
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