へそおもい

2006年12月31日(日) おおみそかです

台所で
食器をならべたり
野菜をさわったり
お湯をわかしたり
しているのが
幸せです。

おせちはあと
たたき牛蒡だけ作って
つめるだけだし
年賀状もできたし
あとは大掃除。

毎年
外で飲んだりうたったり
ふわふわしているこの時期。
今年は
しっかりと根づく準備のような
家の中でしっかりと
自分のことに向き合えているような。

2006年振り返ると
おおきな出来事がふたつ。

ひとつは春のメキシコの旅。
シャーマンの儀式は強烈で
人生観がかわるような体験だった。
陽気でテキトーで力がぬける
ばかばかしさが漂うメキシコの雰囲気。
一緒に旅した仲間との繋がりは
とても大切なものになった。

ふたつめは
ニューアルバム「ちょっぴりさま」の録音。
何気なくやってみた一発録りが
いつのまにか大きなアルバムに。
ジャケットを手掛けて下さった
山口マオさんとの出会い。

他にも
写真をとってくれる赤木さんや
グッズを作ってくれるはつこえ屋さん
いろいろな素敵な人たちとの出会いが
重なった。

これは来年までもっていく
楽しみなおみやげで
これからどんどん
おもしろいことを
やっていきたいなぁ。

ちょっぴりさまは
来年2月あたりに発売で
3月10日に発売記念ライブの予定だよ。

今年はどうも
ありがとう。

来年は
ウヒヒヒ。

みなさん
どうぞよいお年を!



うちのボンぞうさん(マオさん作)が
我が家の時を刻みます。
残り少ない2006年
そうじガンバロウ!



2006年12月24日(日) やみあがりハイかもしれません

忘年会が楽しかったからといって
浮かれポンチになりすぎてはいけません!

油断したすきに
内臓を宇宙生命体に
乗っ取られてしまいました。

お腹をくだすのは
飲み過ぎのせいかもしれないと思ったけれど
どうもどうも
異様に身体が重かったのです。

家から駅に向かう道の空気が
水の中みたいに重いのです。
電車にのっても
内臓がじょわじょわするのです。

その日は
京都タワーズという
即席ユニットで
あたまに京都タワーをかぶって
演奏をするお仕事でした。

京都タワーズがおわってから
お茶とクリスマスケーキをいただいて
ああほっとしあわせだ…と
おもってはいたのだけれど
やはりなにかがおかしくて。

今おもえばその頃から
内臓のじょわじょわが
わたしの身体全体を
侵しはじめていたのです。

一旦帰宅して
仕事を片付けていたのだけれど
仕事の合間にも
便のでるはずのところから
尿がでるし
あれ?おかしいなあ?とおもいきや
さっきのクリスマスケーキも
すぐさま排出されてしまうし
内臓が私の内臓ではなくなっていて
もう知らない宇宙生命体の
基地と化しいたのです。

それでもまだ
わたしは浮かれポンチの鈍感女で
きっと忘年会の後遺症で
仕事も忙しかったし
ちょっと食べ過ぎ飲み過ぎ不眠なだけだわ
とおもいこんでなんとか仕事をかたづけて
夜の約束にでかけたのでした。

外にでたら
もう外の空気はゼリー状の液体のように重くて
いよいよ地球の気候がおかしくなってきたのか
はたまたわたしの身体がおかしいのか
わけがわからないけど
とにかく地球滅亡の危機を感じながら
待ち合わせにむかったのでした。

ともだちに異変を訴えると
ともだちは
「涙目だよ大丈夫?
 のろかもしれないよ
 帰った方がいいよ」
とすすめるのでようやく
この異変は地球ではなくて
わたしの体調だということがはっきりし
すぐさま帰宅したのでした。

帰宅してからは
もう布団とトイレだけの世界。

熱のせいで頭もおかしくなって
へんてこな映像がみえて
世の中のみんなはひとりぼっちで
だけど魂の世界ではみんなと
ひとつにつながっているのかもしれない
だけど結局はなにも確かなものがなくて
渾沌としていてさみしくてひとりぼっちて
いったいなにを探して
わたしは生きているのかしら?
こんな事考えるのも
わたしだけで
みんなはなにか確かなものが
みえているのかしら?
ああこの毛布だけが
わたしのそばにいてくれる
毛布さんありがとう
お腹が金魚のどろみずでいっぱいなのは
わたしの生き方がゆがんでいたからなのかしら?
毛布さんごめんなさい
ごめんなさいありがとう
ありがとうごめんなさい
というような
どろどろした思考が
夢うつつで
ずっとつづいていたのでした。

宇宙生命体は内臓だけでなく
精神までも侵してゆくのです。

ほんと浮かれポンチはいけませんね。

昨夜からやっと
わたしの内臓も精神も
わたしのもとに戻ってきました。

健康ってすてきです。
世の中は太陽がさんさんと輝いて
みんなの笑顔がやさしく
空気も澄んであたたかです。

今日は我が家で
クリスマスまつりをするので
あんまり病気の話をしちゃいけないなあ
とおもったけど
病気の話って
話したくなってしまうのは
なんでだろうね。

話したいのを
我慢するのもよくないから
結局は話してしまうし
こんなに長々と
へそおもいにも
かいてしまったよ。

布団は輝く太陽に干して
ドアとかトイレはハイターでふいて
部屋には殺菌作用のあるラベンダーを焚いて
みんなで楽しくすごしたら
きっと大丈夫。

昨日はずっと布団の中で
中谷美紀の『インド旅行記』を読んだ。
アーユルヴェーダとヨガの魅力に
ますますはまっている。

今日は身体にやさしそうな
豆のカレーをつくるよ。



地球の危機を感じながらも
頭にかぶった
手作り立体京都タワー。
ボタンをおすと
発光ダイオードがピカピカひかる。

我ながら良い出来。



2006年12月20日(水) 忘年会

年だけじゃなくて
2軒めの2本目のボトルあたりから
ほとんどのことを忘れている。

愉快で笑いがとまらなくて
わたしたちのテーブルのまわりには
蝶たちやカラフルな花びらが
舞っていたのでしょう。

こんな平日に
朝から仕事があるというのに
6人そろって
2時近くまで深酒しているとは
わたしはなんとまあ
よい仲間に出会えたものだ。

タクシーでも帰れない二人は
いつものごとく我が家に宿泊し
わたしは帰宅したとたんに気絶。

朝おきたら
枕元には
相棒が用意してくれたらしい
水とお茶とゲロ袋がおいてあり
ふたりは帰り支度をしている所だった。

まだ外は暗くて
ふたりにリンゴをあげた。

ふたりは黒っぽいコートをきていて
リンゴはつめたくて赤くて
その黒に赤の感じが
なんだかいいなあ…と
ぼんやりとおもった。

そのぼんやりは
ほわほわした
森の匂いと
霧の中の感触で
とてもリアルだった。

気がつくと
ここ一ヶ月ほど続いていた
どんよりしたものが
すっと軽くなっていた。

みんな
ありがとう。
よい忘年会でした。
ほんとうの忘年会でした。

これからもまた
遠くへいこうね。



2006年12月16日(土) こたつのなか

こたつがやってきた。

板の感触とか
重さとか
かたちとか
好きなこたつだ。

こたつぶとんは
うすい緑の無地にして
上からインドの花柄の布を
かけることにした。

わたしは結構気に入ったのだけど
ちょんすけがこわがって
花柄に近づかない。

こたつに入っている
わたしにとまれず
こたつの上を
くるくるとびまわる
ちょんすけ。

冬だね。
冬だよ。

いつもしっかりしている人から
意味不明なメールがおくられてきて
これはきっと
よっぱらってメールうってるな…と
こたつのなかで
わらっている。

“2文目の主語が謎です”
と送り返したが
返事はこない。

これはきっと
やっぱり
よっぱらっているな。
いいな。

外の
にぎやかで
笑い声の
お酒の空気を
おもいだす。

でも
ただなんにもしないで
しらふでぼーっと
こたつも
いいよ。

冬だからね。

あしたはソラネコ
今年最後のライブ。

お知らせが直前になっちゃいましたが
オープンチャージ(投げ銭のようなもの??たぶん?)なので
当日でも大丈夫です。

必ず楽しいライブにするよ。
ぜひいらしてね。

12月17日(日) SOUNBAR 吟遊詩人
with 呆平
OPEN 19:00 START 19:30
¥ オープンチャージ



2006年12月10日(日) こうもりのねがえり

どうやら
しらないうちに
酔っ払っただれかが
先日の日記をかいていたみたいで
今みてびっくりした。

ちょっと苦しそうにみえるね。

夜中にかいた手紙を
朝読みかえしたら
だせたもんじゃない…という
そんな感じと
ちょっとにてる。

***

日曜日の朝は
曇っていたけれど
夜にはすっきりと
きりかわっていた。

胸のなかに
キラキラしたもんが
すいこまれていくような
たいせつな日曜日だった。

それでだ。

うちの玄関をでたところの壁で
こうもりが冬眠している。

もう2週間程同じ格好で
棒でまわりをつついても
息をふきかけても
あまりにも動かないので
ぶら下がったまま
死んじゃってるのかと思ったけど
ちゃんと生きてるみたいだ。

昨日
ねがえりをうったから。

写真じゃわかりにくいかな。
ねがえりをうって
手(羽根?)の場所がかわっているの。



きのうまで。



きょう。

なにかの変わり目には
こうもりもねがえりするのだね。

この子の名は
“べんすけ”になりました。
あんまり意味はなくて
直感で。



2006年12月07日(木) ひゃあ

世の中の流れがはやくて
びっくりする。

こんなに
ながれが早いのに
みんな
平気なふうにしていて
みていたら
かなしくて
なきたくなってくる。

みんなそれぞれ
いろんな事情があって
そのなかで
たたかっていて
いろいろなワルモノも
登場するわけだけど
結局は
みんな
なんにも
わるくないのだとおもう。
しかたがないのだとおもう。

生きて行くのって
ほうとうに
苦しいのだと思う。

苦しいなかだけど
しあわせなこととか
へんてこでおかしみのあることとか
そういうことに
支えられて
笑って
いきているのだとおもう。

なんだか
きょうは
激しい勢いがある。


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はたさとみ [MAIL]

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