あまりに いろいろなことが同時進行で 続いていたので またしゃべれなくなった。
幸い休日でよかった。
しゃべれないというのは ほんとうにどうにもこうにも 言葉を発したくなくなるのだ。
言葉を発してしまうと 自分のまわりの空間が せまくなっていくような気がして 言葉がでてこないのだ。
言葉のない空間にいると 自分の衝動が直接よくみえて 自由な感じになる。
走りたい! なきたい! 踊りたい! など というのがダイレクトに やってくる。
だから 言葉をしゃべっている時と比べて 意味不明で脈絡のない行動が たくさんになる。
次は自分がどこにいくのか なにをするのか その時にならないと わからない。
今回は 突発的に走りたくなったり 知らない人の家の前の 石の上でねころびたくなったり 金網を無意味に あっちへこっちへ 飛び越えたくなったりした。
それをしないこともできるのだけど せっかくなので 行動にうつしてみると とてもおもしろく 自分でも楽しめる。
さらに 今回は うで人間くんで 相棒とコミュニケーションをとることを あみだした。
それがとってもいい感じだった。 うで人間は 表情豊かだから わたしはとても好きになった。
もしかしたら 言葉をつかわない方が ケンカも少なくなるし わかりあえるのかもしれないな。
でも いったん言葉をしゃべりだすと しゃべらないモードに きりかえる方法が わからなくなるから うで人間にあえるのは 今度はいつになるのか。
またあえるのが楽しみ。
ここの所 連日のんだくれで 今朝もはやくまで 日本酒ちびちび ぐでぐでぽよんと やっていたというのに。
楽しいこととなると ぜんぜん しんどさを感じない。
二日酔いで苦しむ友をおいて 火のエレメントを学びに 私は家をでる。
空、風に次いで 三つ目の火は、 今までの中で 一番好きなエレメントになった。
全身全感覚を使って さまざまな種類の 火を表現し 一日中 自分の中の 他人の中の 火とたわむれているのは とても楽しい体験だった。
言葉にしばられることもない ほんとうのことの中で 自由にオドル気持ち。
それをあたたかな太陽に じんわりと包んでもらっている感じ。
それは一方で ゆるぎない強い刀になって 自分を守ってくれる感じ。
火ともっと仲良くなりたいし 上手に扱えるようになりたい。
3月のペルーの旅。
ぼんやりしていたテーマが 急にはっきりした。 ペルーに向かう 自分の中のパッションがみえた感じ。
こういう情熱の火を 感じ続けられる生活に 少しずつ少しずつ 近づいてゆこう。
そうしよう。
* * *
朝顔の種を収穫して おわった朝顔のつるを 処分しようかな とおもったら 枯れ朝顔のつるに すんでるやつがいた。
結構おおきいやつだ。
しばらくは さわらないことにした。
前から痛かった 左後頭部がまだ痛い。
痛い上に 肩がぴりぴりしたり 顎の関節がおかしかったり 左手の先がしびれたりしてきたので ちょっとびびって整骨院へいったら 腰が相当悪いといわれた。
腰が悪いと それとバランスをとるために 首が悪くなるんだそう。
先生が ゴキゴキゴキ!とやると いたたたたた!となる。
それでたってみると あら不思議 あんなに長い事 つきまとわれていた 頭痛がかなり軽くなっている。
わたしの姿勢が 腰をいためる姿勢だから へその下に力をいれて 足のゆびで大地をつかむように 癖をつけていかないと いくらでもくりかえすんだそうだ。
ああわたしとしたことが とうとう へその下に力をいれる 人生がはじまってしまった。
空手のイメージで 腹の底から はっ!とりゃー! はっ!はっ! と声をだして 気合い満タンで 生きてゆけるように なるのかしら。
2007年01月18日(木) |
ブンラップ族のテレビをみた |
バヌアツ共和国の ブンラップ族のテレビをみた。
そんな国があることすら 知らなくて 高校時代の地図帳をみたら エロマンガ島の近くだった。
エロマンガ島は 印象的な名前だったので よく覚えていたのだ。
ブンラップ族は 南太平洋の島の ジャングルの中で 昔ながらの伝統のまんま 生活をしている人たち。
子どもは5歳になったら すごい高い所から 土の上にバンジージャンプの儀式をする。
村には警察がなくて 問題がおきれば 話し合って儀式をして解決する。
最近は 村に1つ電話がやってきて 村のミュージシャンが 電話のうたをつくって唄う。
「電話は便利〜!」 みたいなうただった。
あまりにも 日本の生活から かけはなれすぎていて わたしたちの文化からしたら みてるだけで コントになってしまう。
カレンダーがないので 地面に日付けをかいて 男達がけわしい顔をして 隣村とのサッカーの試合の日が いつだったかを話し合っているのだが。
「確か土曜日だよ」 「来週か?再来週か?」 「第3土曜日だったんじゃないか?」
いろいろ話した末結局 「明日じゃないか?」 ということに。
なんと流暢な。
隣村とのサッカーの試合でも 相手は服をきて靴をはいているのに こちらは急所を守るケース一丁の 伝統普段着だけで足は裸足だ。
試合の後のインタビューでは 「相手は2点いれたのに、1点しかいれられなかったよ だから相手の勝ちだ!」 といっている。
そんなの試合みてたらわかるよー
おもわずひとりごとを言って にやにやしてしまう私。
村の子どもたちが 蝉みたいなミンミン鳴く虫を 一度に何匹食べれるかを言い争っている。
「ぼくは15匹たべれるよ。甘くておいしいんだ」 「ぼくの方がいっぱい食べれるよ。10匹以上だよ」 「ぼくの方がおおいよ」
その言い争いは とっても高いところの木の枝の上で ぴょんぴょん飛び跳ねながらの会話だ。
そんな光景は 日本じゃみたことがない。
わたしが現実だとおもっている 生活はなんと狭い世界なんだろう。
「職業人として○○するのが当たり前でしょう!」 「それぐらいはできてあたりまえです!」
という言葉がたくさんあって その言葉が話される世界では その言葉はとても正しいことで それによって自分とか他人とかを しばっている人がたくさんいるけど。
その当たり前っていうのも ほんとうに小さな世界での あたりまえなんだよなあー。
ブンラップ族の村にいって そんな発言したら きっと意味不明だ。
たくさんの世界をみたいとおもう。
いろいろな世界を みて感じて その間を自由に いったりきたり踊れるように なりたいなあーとおもう。
この春は ペルーに行く。
ポラリティーでは 地球上の現実世界の すべてのものや状況を 空、風、火、水、地の 5つのエレメントで理解する。
今日は空のエレメントについて いちにちかけて学ぶ日だった。
じわじわふくらむスペース。 ブルーの繊細な空間。 昔夢にでてきた場所。 関節と関節の間のゆとり。 自由に鳥がとべる宇宙につながる空。
帰り道は ぽわんとした感じのまま。 駅まであるきながら 現実モードにきりかえる。
せっかく三宮にきたのだからと ちょっと足をのばして 久しぶりにインド人のスパイス屋さんへ。
普通のマンションの3階。 ひと部屋が全部スパイスのお店兼倉庫で その向かいのひと部屋が レストランになっている。
夕食時だったので ふらりとレストランに入ってみる。
レストランといっても おおきな表札もなく 本当に普通のマンションだし おそるおそる。
インド女がふたりと インド男がふたり。 ダイニングでテレビをみながら 大きな声のしらない言葉で 話している。
6畳くらいの一間が レストランで12席。 天井ぎりぎりの所に 備え付けてあるテレビでは インドのドラマがやっていた。
お客はだれもいなくって わたしひとり ふらりとインドのご家庭に 迷いこんでしまったような。
インドの男がテレビをみながら 無表情で 水とマンゴジュースを運んでくる。
わたしは テレビを眺めてみる。
サモサふたつと 自家製のピクルスがくる。
テレビでは すごい魔術的な力をもった赤ん坊が 普通の夫婦の間に生まれ その赤ん坊が 別の魔術をつかうような人たちに 狙われる…といった ストーリーのドラマが やっているみたいだった。
なにせ 言葉がわからないので 映像をみながらの想像だ。
大きな鳥が 篭の中の赤ん坊を 連れ去ろうとしたり サドゥーが瞑想中に 赤ん坊の頭から光が でているビジョンをみたりしている。
無表情のインド男が カレー3種とごはんとチャパティ−を もってくる。 素朴でおいしい。 レンズ豆のカレーと 野菜カレーと チーズといんげんのカレー。
いつしか 4人のインド人たちも 無言になってテレビに見入る。
インド男がわたしの皿をみて チャパティーいるか? と無表情にきくので ひとつもらうことにする。
テレビでは 例の赤ん坊を 顔に笑みをたたえた父親が 高い高いをして あやしている場面。
突然赤ん坊が 父親の顔に 放尿したのだ。
そのとたん チャパティ−を運んできた 無表情なインド男が 大爆笑したのだった。
ダイニングの 女たちも笑う。
放尿の映像もいかにも合成で 顔(しかも口の中)に 放尿されたというのに 画面の中の父親はあいかわらず 満面の笑みをたたえている。
インド男は わたしの皿にチャパティ−をおきながら はじめての笑顔でわたしと目があった。
ああよかった わたしはインド家庭に迷いこんだ 透明人間ではなかったんだ。 ちゃんと感情がつながった。
最後にアイスクリームがくる。 全部で1200円だった。
スパイスを買いたいと伝えると インド男が鍵をもって 向かいのスパイス部屋に つれていってくれた。
すべてのスパイスがバカ安い。 コリアンダー100g150円。 フェヌグリークも200円。 バスマティ米やレンズ豆も 近所で買うのと同じ値段で 5倍くらいの量が入っている。
夢がふくらみ コーフン状態のまま 2000円分の スパイスやら豆やらを買い込む。
インド男が 「これはミドルおいしい」 「これはすこしおいしい」など 英語と日本語のまじった言葉で たくさんの種類の豆の おいしさを説明してくれるのだが 聴く度に言うことが違うので なんだかもうどうでもよくなって すきな色の豆をかった。
おなかがいっぱい にもついっぱい。
帰ってきたら コウモリのべんすけが いつもの場所からいなくなっていた。 そこらじゅうさがしたけど どこにもいなくなっていた。
あたたかかったからかな。 冬眠からさめたのかな。
おもったよりも 自分の胸が悲しいことに 気がついて びっくりした。
もうべんすけに あえないのかなあ。 まださむいのになあ。
明日は風の日です。
最近は飲んだ2日後が いちばんしんどい。
飲んだ次の日は まだ酔っているので その勢いで るんるんと御機嫌に過ごせるのだ。
2日後になると その間にためこんでいた疲れが 一気にカラダを襲ってきて 何をするにも 倍以上の時間がかかる。
きょうの帰り道だって いつもは45分で帰宅できるのに 2時間もかかってしまったし 夜ごはんをたべるのだって 1時間半もかかってしまった。
耳かきも なんやかんや20分くらい していたような気がする。
そしてたぶん2時間くらい前に 「お風呂をいれよう」と決心したのに 今まだたちあがれないでいるんだよ。
おまけに 右足の裏のかかとと 左の後頭部が 昨日からどんどん痛み出して なぐられたような痛みなのだけど わたしは 酔っぱらって なにかを蹴ったり 踏み付けたり なぐり返されたりと 激しいバイオレンスが あったのだろうかと 心配にもなる。
おまけのおまけに こういう時にこそ 食べたい納豆が スーパーで品切れ状態ではないか! いつものように納豆のストックを買いにいったら なにやらはり紙がしてあって テレビ番組で納豆が ダイエットによいと紹介されたので 品切れなのだとか。
まさかまさか そんなはずはないと マンガのように目をこすって 納豆コーナーをみてみたが やっぱり納豆がないではないか! もう1軒のスーパーにも 足をのばしてみたのだが ここでも品切れなのだとか! なんてことよ。
テレビをみてすぐに影響されて 納豆を買うような うすっぺらな付け焼き刃の 納豆ファンに納豆をかすめとられ わたしのような 毎日納豆をかかさなかった 本物の納豆愛食者が 泣き寝入りしなくてはならないなんて なんて国なんだ日本は。 そんなテレビの情報に洗脳されて 沢山の人間が行動を左右されるなんて なんとおそろしいことよ!
などと 相棒に熱弁していたら 「それはただ単にあなたが 納豆にありつけなかったのが 悔しいんでしょ」 とあっさり言われてしまった。
納豆工場の人たちが 風邪もひかないで たくさんの 納豆をつくれるように 祈りながら ねむります。
なっとうさま おねがいします。 納豆工場のみなさん がんばって!
おやすみ。
流動食なのである。
乳ばなれしていなかったわけでもなく 胃腸を悪くしたわけでもない。
アーユルヴェーダの 1日浄化プログラムに 挑戦中なのである。
朝は6時に起きて ヨガをやったり マッサージをしたり 舌苔を掃除したり。
食事の30分前には 漬けておいた しょうがのピクルスを食べる。 こうすると 消化吸収が良くなるらしい。
めったやたらと 白湯やハーブティーをのみまくり 食べるものといえば レンズ豆とジャスミン米と スパイスで煮込んだ スープのみなのである。
ああ 納豆卵御飯がたべたい。 から揚げとビールがほしい。 豚汁がたべたい ニンニクの効いたペペロンチーノが食べたい。 なんでもいいから 固形物がたべたい。
だけど 自分で決めたのだから 仕方がないのである。
今日1日だけは 浄化のために がんばるのである。 (3日間のプログラムに しなくてよかったー)
それでも 目の前で 炒めものとか 御飯とか お菓子とか パクパク食べられたら 心も揺れる。
相棒は ぱくぱく ぱくぱく おいしそうに 食べやがるのである。
わたしも 心が揺れて とうとう 一口だけ お饅頭をたべてしまいました。
禁断のお饅頭は 甘くて 濃厚で お饅頭をくれた人に 恋してしまいそうなくらい 素敵な味でした。
窓辺でお饅頭を くれる王子さまがいたら わたしは 毎日その窓辺に通って 王子さまに 結婚を申し込むかもと 夢がふくらみました。
普段だったら 何気なく ぺろりと たべてしまう お饅頭なのに。
禁断のものって なんでこんなに おいしいんだろうね。
それでは 今夜は 10時までに就寝です。
これからわたしを ストイックガールと よんでくれても いいわよ。
2007年01月04日(木) |
あけましておめでとう |
金沢の実家では わたし以外が 全員風邪ひきで 風邪の巣窟に ひとりサバイバル気分のお正月。
昨日は 近所の友だち宅で 正月宴会。
ダンナ様が ビールの天使さまのようで グラスが空になった先から 絶妙のタイミングで キラキラと 輝くビールが コップに注がれ 昼間っぱらから 世の中が花柄になった。
花柄の中の ビールの天使さまの映像が とてもめでたく 頭の中に残っている。
コタツを囲んで 手作りのあたたか料理を いただきながら 子どもの頃からの馴染みのリズムの 仲間たちの中にいると 大阪での生活が とても遠くのようだった。
でも もう今は大阪の家で パソコンを触っているんだよな。
この差が どんどん少なくなっていくといいな。
めいのつくった ゆきだるま。
道路の上で横になっていて なんというか うーん なんともいえない。
今年も よろしくおねがいします。
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