へそおもい

2004年11月30日(火) とんかつ

夜は京都で月ネコの練習。

練習のあと、
がしがしととんかつを食べた。

すごくおなか一杯になって
珈琲をがぶがぶのんで
すごくたくさんおしゃべりして
楽しかった。

しゃべりながら、
これから
いろいろなことが
いい風にいくような気がした。
現実的ではない夢のような話も
すこし現実に近付いたような感じ。

テスト前とか受験の前夜とか
必ずとんかつを食べていたけれど、
とんかつってやっぱり
元気がでるものなのかもしれない。

そういえば
ハ−ビスエントをのぞいてみたのだけれど、
あそここそ、高級感があふれていて、
全身タイツでうろうろするべき場所だとおもった。



2004年11月28日(日) 神在月

土日は前の職場の友と3人で
幸せ祈願の出雲の旅。
非常に濃厚な二日間であった。

旧暦の10月は
日本全国の神が
出雲に集まるので神無月という。
逆に出雲は神在月となるのだ。

今回は出雲大社参拝と
出雲の人を笑わせる企画のふたつが
メインイベントである。

今年も祈願をしてもらった。

昨年いけなかった
御神体である裏の山の
岩肌がでているところにもいった。

沖縄のセイファウタキととても
似た感じの場所であった。
おもわず無口になるような
神聖な気持ちになるような。

笑わせる企画では、
百貨店で
かわいらしい着ぐるみをきて
難しい顔をして店内のテレビをみたり。
おもむろに着ぐるみをぬぎだして、
その中にはまた黄色の全身タイツをきておいて
そのままうろうろしたりした。

通行人を
大爆笑させる難しさを痛感。

でも
うまれて初めて全身タイツを着られたので
うれしかった。

ああ。
本日はへろへろ。

昨夜は
土木関係の仕事をしてそうな人たちが
長期滞在している宿で
なんとなく落ち着かなかったので
今夜ははやめに休むことにします。

みんな
幸せになれますように。



2004年11月25日(木) 間違い電話

仕事の後、南風で送別会。

真夜中の帰り道、
少しだけ酔っぱらって
相棒に電話をしようと
なれた手つきで
番号をおした。

もしもしー!

でたのは
相棒ではない。

○○さんのお宅ですかー?

ちがいますー!

すみませんまちがえましたー。

少しだけ酔っぱらった口調で
かえして切る。

あれれ?とおもって
番号をみてみると、
実家の番号であった。

そういえば
電話にでたのは
父親の声であった。
こんな真夜中に電話にでたのだ…。

相棒と一緒にいることを
大反対された親に
相棒の名字宛に
間違え電話をかけてしまった。
だけど
娘だと気がつかなかった。

なんか変な気持ち。

帰り道
可笑しいような
悲しいような。

人生いろいろ。


話は全くかわるが。

最近寒くなったので
鼻歌が
知床旅情になっていて
びっくり。

また話は変わるが。

職場の人に
島根の
ダイコンとかチンゲンサイとか
もらって感謝。

自分がうれしいことを
される経験というのは、
誰かがうれしいことを
自分がしたくなることと
つながるような
感じがする。

ああ
今日の話の展開からして、
今日は多少酔い気味。

実家に間違え電話をかけた
動揺がみられる。
複雑な気分。

まあいっか。



2004年11月24日(水) 漢方薬局

めまぐるしいイチニチ。

仕事のあとに
10分ほど友だちに会って
約束していたものを渡す。
すこしだけ
近況を報告しあって、
その足で相棒と漢方薬局へ。

わたしの大好きな
漢方薬局。

御夫婦でやっていて
お茶をのみながら
お客さんのペースで
きちんと話をきいてくれるのである。

時々子どもが
お店の床にころがってくるが
すぐにお母さんに
中にひきずられていく。
その雰囲気も好き。

なにより、
心も身体もつながっている
という東洋医学の考え方が
とてもしっくりくる。

わたしの場合は
漢方を初めて2週めくらいから
調子がよくなり、
今は大学生の頃くらいに
戻ったような感じである。

お酒をのんでも
目が赤く痒くなるのもなくなったし、
生理前もすごく楽になった。

なんというか軽いというか
自由というか
楽しいというか。

今日は相棒が
1ヶ月ほど前から
熱やら鼻炎やら下痢やらいろいろひどかったのに
内科や耳鼻科をたらいまわしで
なんにもよくならないので
漢方を紹介することにしたのだ。

今日もやっぱりすごかった。

相棒が夜勤だということとか
ぽーんとあててしまうし。

とてもやわらかい物腰で
話をじっくりきいて
日常生活や食べ物のことや
血や気のながれのこととか
いまどんな身体の状態になっているかとか
とてもしっくりくる説明をしてくれる。

よこにいて
話をきいているだけで
数学のもんだいをすらすら解くように
身体の状態のことが解明されていくので
気持ちがよかった。

部分だけでなく
全体も大事だ。



2004年11月23日(火) 寝坊

相棒はよく金縛りにあう。

女の人に首絞められたから締め返したとか、
九州のカタチがおそってきたとか、
部屋の中にUFOがいたとか。
身体から抜け出してとなりの部屋にいったとか。
そういう話をよくきくのだが。

同じ家にくらして
金縛りにあわれると
どうも気持ちが悪い。

先日は
夜中に白い服の女がベットの横にきて
相棒のお腹に手をあてて
「みつからなかった…」とかなんとか
言うたらしい。
相棒は腹がたって
喰ってやる!
とおもって
その女をイメージでバラバラにして
噛み付いたらしい。

その話しをきいたときは
そうかそうか
またそんなのみて
いろいろたいへんやなあ…。
くらいにおもっていたのだが。

昨夜はこわかった。

家には相棒はおらず、
ひとりで夜更かししていたら、
相棒の話をおもいだしてしまったのだ。

夜るにおもいだすと
結構こわい。

相棒の部屋に
なにかいるのでは…
と考えてはじめてしまって
その考えがとりついてはなれない。

おまけに
相棒の部屋はトイレに行く時に
ぜったい通るので
トイレにいくのが億劫だ。

ちょんすけを引き連れて
ばばばっと
トイレにいく。

怖いと血行がわるくなるのか。
布団についてからも
足が冷たくて眠れない。

眠れないと怖い。

結局3時か4時ごろまで
おきていたとおもう。

そして
今朝おきたら
1時だった。

ショック。

目覚ましもかけていたのに
まったく起きれなかった。

せっかくの自由な休日が!!

相棒には
オリジナル魔よけカレンダーセットを
誕生日にあげることに決めた。

がんばって
今日中につくらねば。



2004年11月22日(月) 注射と長電話

久々の友だちと147分の長電話。
ああ
笑った。

携帯の電池がきれて
話が途切れて電話がおわってしまう感触は
ひさしぶり。

つきあって間もない
恋人同士の電話か、
あるいは、
永年つきあった恋人との
別れ話の電話か、
そんな感じの長さだった。

あと、
インフルエンザの予防接種をうけた。

注射は小さいころから大嫌いで
いまでも心臓がどきどきする。

ちょっとまって
もうちょっとまって
はい。
がんばります。

やっぱり
ちょっとまって。

とかやっていたら、

お子さんでも
泣かずにうけてますよ。

といわれてしまった。

別に泣きはしないよ。

手の甲をつねると痛くないですよー。

そうアドバイスをうけて
やっとできた。
実際うけてみると
案外いたくないものなのだな。

はい!
よくがんばりましたねー。

と、
猫なで声で、
おもいきり
子ども扱いだった。

もう
三十路なのに。



2004年11月21日(日) 休日

朝から
とりつかれたように、
瓶詰めをつくる。

あまっていたのりで
のりの佃煮。
だしをとったあとの昆布で
昆布の佃煮。
季節はずれのバジルで
バジルペースト。

まだ瓶があまっていたので
他に瓶詰めになりそうなものは…と
さがしたところ
みかんがたくさんあったので
これは!とおもったのだが。

わたしには
やらねばいけないいことがあるのだ。
それを先にやらなければいけないのだ。

そうおもって
無理矢理一区切りつけた。

やらなければいけないことというのは、
友人に約束した絵をかくことと、
相棒の誕生祝いアイディアを練ること。

やらなければいけない期限があると
普段は喜んで自分からやることも
やりたくなくなってくるのは
なぜなのだろうか。

先にそうじしようかな
洗濯物もたたまなくてはな、
うーんうーん
などとうなっているうちに、
ソラネコ練習の時間になってしまった。

おまけに
蛍光灯の器具自体がこわれてしまって
大家さんに連絡したりしているうちに
遅刻。

今日も4時間びっちり、
ぷーらライブ準備。
妙に気合いがはいっている。

家にかえると
大家さんが一昔前の和室用の蛍光灯を
もってきてくれた。
サザエさんの家みたいな蛍光灯。

蛍光灯のくせにオレンジ色の光で
それがなかなかよい。

それでは、また。

ズルズルアチョー!



2004年11月19日(金) ダチョウのいる村

普通列車で実家に帰る途中、
琵琶湖をすぎて少しいくと
余呉湖という美しい湖がある。

その湖のある余呉駅に列車がとまると、
いつも列車からおりて
その風景にとけこんでしまいたい
衝動にかられるのだ。

その話しを幼馴染みにすると、
そこは天女の羽衣伝説の湖だと
教えてくれた。

知れば知るほどいきたくなる場所。

その衝動を満たすために、
本日は相棒と余呉日帰りの旅。

のんびりと湖を眺めて散歩しよう、
…くらいにおもっていたのだが、
とんでもない、
体力勝負の激しい旅になってしまった。




今回は下調べをする時間もなかったので、
旅のコンセプトを、
“おすすめスポット採点めぐり”
というものにしたのだ。

相棒とわたしが交互に
地元の人におすすめスポットをきいて
その人にすすめられた場所にいく。
そしてそのスポットを採点。

点数の高いスポットを
ききだした方が勝ちというものだ。

移動はレンタサイクル。

レンタサイクルやのおばさんの
お勧めスポットからはじまり、
湖は一周した。
賎ヶ岳(片道40分くらい)にも登った。
湖畔のレストランでウナギをたべたし、
湖から10キロほどはなれた喫茶にも行った。
(すごい登り坂を慣れぬ自転車ではあはあ登った。)
御神木に手をあわせたし、
龍の目玉があたって欠けた石にも手をあわせた。
ダチョウのいる村にもいった。

今日イチニチで
ちょっとした余呉博士気分である。

一番の高得点はダチョウであった。

ダチョウの村にいく道のりは
川と田んぼばかりで人気がなく
高い山はせまりくるし、
こんな遠くまできてしまって
帰れなくなったらどうしよう…などと、
途中で心細くなるほど。

やっと村をみつけ、
ゲートボールをしている
ひとりのおじいさんに道をきくと
わらわらと他のおじいさんたちがよってきて
口々に道を教えてくれた。

しかし
それぞれ言ってる道順が微妙に違い、
しまいには我々そっちのけで
おじいさん同士で言い合いになってしまう。
あっちが近いとか
そこは工事してるからまわったほうがいいとか、
工事の人は自転車くらい通してくれるとか
いやそんなことないよ、とか。

この光景どこかで経験したことが…とおもったら、
インドだった。
インドのリクシャー(人力車みたいの)のおじさんたちも
客のとりあいで、客そっちのけで
いい争いをはじめていたっけ。

まあ
なんとかダチョウ牧場にたどりつき
ダチョウと談笑。




ダチョウはろくろ首宇宙人だった。
あと数cmでふれるところまで
顔に顔を近付けられた。

帰りにまたゲートボール場を通ったら
おじいさんたちが手をふって
いけたかー?とか
気をつけてなー!とか
とおくからでっかい声で叫んでいる。

いけましたー!!
ありがとうー!!

と大きく叫んで手をふってお別れをした。

村の小学生はすれ違うと挨拶をする。
みんな鞄に熊避けの鈴をつけていた。

小学校の校舎はピンクのペンキの木でできていて
昔ながら典型的なカタチでとても気に入った。

ここには不登校の子どもはいるのだろうか?
みんなどんな遊びをしているのだろうか?

日暮れ前にやっと湖のところにもどって
電車の時間ぎりぎりまでゆっくりする。

空と山が湖にうつっていて不思議な色だった。
聞こえる音は
風や鳥など自然の雑音ばかり。
頭はピンと覚醒しているけれど
心はとろけるような感覚。

雲とゆうやけがからまって
羽衣がとんでいるみたいな空で
ドキリとした。

天女が水浴びをしたり
龍がすんでいたり
ほんとにそうでもおかしくない。

後ろ髪ひかれながら
がらがらの電車にのると
どっと疲れがでた。

相棒も電車にのってから
ひどくしんどそうになり、
帰ったとたんに熱をだしてダウン。

体力的には過酷な旅だったが
かなりエキサイティングであった。
こういうのまたやろう。

本日の結果は
ダチョウをききだした私が優勝。

おめでとう。
おやすみ。




2004年11月18日(木) 明日は余呉湖

いってきまーすと
家をでたら
どて!とこけてしまった。

派手にこけたのは
ひさしぶり。

19日に余呉湖にいく約束をしていたのだが、
明日を12日だとおもいこんで
この一週間すごしてきたので、
いきなり明日が余呉湖だと知って
ショック。

計画をたてながら
わくわくする時間が
ぜんぜんなくなってしまったではないか!



2004年11月17日(水) 釘付け事件

やたら色気のある
小学生の男の子に
目が釘付けになってしまった。

ずっとずっと
みつづけたい感じ。

最近の小学生は
すごいな。

このところ
ハードワークで食欲旺盛。
睡眠第一。

おやすみ。



2004年11月16日(火) ぷーら

仕事のあと京都西陣へ大移動し、
ぷーらで12月のライブの下見&うちあわせ。

今回は大がかりな仕掛けを
いくつか考えているのだ。

実際いろいろやってみたり
イメージをふくらませてみたり。

じっくりと下見にくるほど
ライブにこったのは久しぶりだ。
ソラネコの気合いがうかがわれる。

うちあわせの後、
豆腐のサラダと豚足の煮物と
具沢山の粕汁とクリやむかごの炊き込み御飯と
生きた酒むすひをいただく。
贅沢な幸せに感謝。

ぷーらのみかるさんともとやんさん、
ソラネコは木村、野村、私と五人で
尿酸値とかコレステロールとか漢方とか
夜更かしは免疫力をさげるとか…
健康の話をしながら
夜る遅くまで
むしゃむしゃ食べて
がぶがぶ飲んだ。
やってることと言ってることが
矛盾している集団だった。

かえりに
跋扈妖怪伝“牙吉”のDVDを借りる。
おもしろそうなうえ、
もとやんさんが出演しているのだ。

では。
本日はさっさとねむります。


*12/12のライブは
「ラをとってソラネコに戻ります記念
 〜パンツ100枚カレー100杯まつり〜」。
たくさんの人にみにきてほしい。



2004年11月15日(月) こどもが欲しい感覚

前の職場の友と
自宅で勉強会&飲む。

わたしは普段
家でのむことは少ないので
ひさしぶりに
家でのむっていいなーとおもった。

おかわりするのに
金のことを考えなくてもいいし
ごろごろしてもいい。
材料さえあれば
食い物もなんとかなる。

これから
しっぽり家のみブームがおきそう。

「負け犬の遠吠え」を
その友だちに貸していたのだが
彼女も途中で先にすすまなくなったらしい。

わたしとおんなじだ。

わたしももうよまないので、
古本屋さんに売ってもらうことにした。

負け犬というコトバは
世間一般の
いくつになったら結婚して
いくつになったら子どもができて…
などという数字的なものさしから
でてきたものではない。

もっともっと
個人的な感覚からでたものだよなぁ…と、
先日考えていたことを
おもいだした。

もっともっと
本能的なものだよなあ…。



2004年11月14日(日) プロレスと探偵

職場で
「昔、まじで探偵になりたかったんですよ…」と告白したら、
「あら、わたしの知り合いにも
 探偵になりたいって言い張ってた人がいて
 …そう言えば、あなたに似てるワ!
 その彼、プロレスやってるんだけど一緒にみにいこーよ!」
ということになり、
今日
職場の方に案内されて
みにいってきました。
大阪プロレス。

プロレスは
まったく未知の世界だったのだが、
すげーおもしろかった。
格好いいエンターテイメントなのだ。
なんとも奥深い。

その昔
探偵になりたかったという彼もまた
格好いいワルモノ役であった。

あっという間に時間がすぎて
おわったあと
とても元気になっていた。

これはいいかもしれない。

終了後には
全然ワルモノにはみえない
素顔の彼と挨拶できたりして、
ケータイで一緒に写真なんかとっちゃったりして、
サインもらっちゃったりして
ひさしぶりにひそやかなミーハー気分を
味わったのでした。

うきうき。

そのあと
ソラネコ練習もうきうきして
とうとう貴重な週末が
おわってしまうのでした。

明日からの平日も
気合い入れて
楽しまねば。



2004年11月13日(土) 泡盛と篭と圧力鍋

南風楽天の日。

ここには
素敵なおもしろい人たちが
たくさん集まるよなあーとおもう。

“縁が交錯する場所”というのが
世の中にはあるとおもうのだが、
ここもそのうちのひとつだ。

帰り際、
人魚のような甘い色気のある泡盛と
漁師のような男気の泡盛を飲んだ。

ほろ酔いになって、
玄米と圧力鍋を衝動買い。
さらに
上海ガニのはいっていた篭をいただく。

“上海ガニ
 母メス70”

と手書きでかいたプレートが
針金でくくりつけてある。
かなりイカシタ篭だ。

わたしからすると
食材のはいっていた篭だが、
上海ガニの世界からすると、
妊娠中の母親を集めてしばりつけて
つめこんだ箱といったところか…。

ありがたく
使わせてもらおう。

水あらいすると
竹と海の匂いがまじったような
あまい匂いがした。

なにをいれようかな。

CDとか冬の帽子とか…。
いろいろはいりそうだ。



2004年11月12日(金) 音楽のことを考えた

相棒とスタジオにはいって練習。

相棒のつくる曲は、
とても好きなので、
曲のカタチをととのえて
色をつけていく作業は
わくわくする。

帰りに
スパゲティ−を食べながら
12月のライブのアイディアを
出し合う。

馬鹿馬鹿しい案が
たくさんでた。
かきたくて仕方がないが
ネタバレするので
我慢。

12/12京都西陣のぷーらという
カレー屋さんにみに来てください。
町家での生音ワンマンライブ。
馬鹿馬鹿しく美しい時間を
すごせるはず。



2004年11月10日(水) へんな夜

帰りのバスのなかで
自分のまわりに
いるひとたちのことを考えていた。

あらためて
自分は
いい人たちに
出会えているなぁとおもう。

バスにゆられながら
突然
ぶわーっと
ぶわーっと
感謝の気持ちが
あふれてきた。

とくに、
生活をともにしている
相棒とちょんすけとイモミとイモオのことは
大切に大切に感謝しようと
神聖な気持ちになった。

人間にはいろいろな人がいるし、
ひとりの人間でも
いろいろな色がまじってできているけれど、
どんな人でも
基本的には
プラスのチカラがあるのだとおもう。

家に帰ったら
家の鍵がなくて
はいれなかった。

仕方がないので
相棒の夜勤の職場まで
2時間かけていって
鍵をかりて帰る。

途中の田舎のたんぼの匂いが
すごくよかった。

やっとこさ
10時半ごろ
腹ぺこで帰宅。

家の中に
わたしの鍵がおいてあった。

朝私が家に鍵をおいて
でかけて、
その後
相棒が鍵をかけて
でかけたのだろう。

へんな夜だった。



2004年11月09日(火) ここのところ忙しそうな自分

目をぎらつかせながら
すっぽん酒に酔いどれたり、
ばりばり働く人風になってみたり、
アロマテラピーの試験をうけたり、
色雄ちょんすけといちゃついたり、
酔っぱらってもいないのに
終電にのりおくれ、
京都から高槻まで
タクシー3500円に値切ったり、
キムチ鍋したり、
うたをうたったり、
おみくじをひいたり、
いろいろわたしなりに
バタバタしく
生息中。

鴨志田穣の“最後のラブレター”が
最近で一番の衝撃。

酒浸りで
黒いうんこや珈琲色の尿がでて、
最終的には
ビアジョッキ1杯くらいの血を吐いて
トイレを血だらけにしてしまうシーンのせいで
終電をのりすごしてしまったのだ。

あと、
タケシの怖い病気のテレビは
音がすごく恐怖をあおるので
耳をふさいでみるしかない。

ああ
おやすみ。



2004年11月04日(木) 地球交響曲

昨日の朝のこと。
地球交響曲題5番を
みにいった。

早起きした朝の空が
あまりに気持ちがよいもので、
ふらりとみにいこうと決めたのだ。

ひさびさの
シネヌーヴォ。

なぜだか
とくに感動シーンでもないのに、
映画のあいだじゅう
激しく涙がでた。

左に首をかしげてみていたので、
右目からでた涙は口のなかへ。
左目からでた涙は
ぽたぽたおちて
胸のあたりにシミができるほど。

自分はひどく情緒不安定か!
とおもったのだが、
となりの女の子も
うしろの男の人も
ずるずるとやっていて
映画がおわってからまわりをみると
涙目人間が結構いて安心した。

映画がおわって
トイレにいったら
涙目の昔の職場の人にばったり。
3年ぶりだ。

その人は
わたしが今ほしい情報(仕事のこと)を
いきなり話してきたので
びっくりした。

その人もその話をする人を探していて
わたしの顔をみたとたん
話したくなったそうである。

この映画をみにきたのは、
この人に会うためだったのか
と妙に納得した。

何がどうつながるか
わからないものだ。

あたまで考えない方が
いろいろなことが
うまくいくような
気がする。



2004年11月02日(火) simple is best

いらないものを捨てる。
チューニングする。
ほどける。
ふたをあける。
必要最小限。
浄化する。
流れる。
自由になる。
心の向く方向に
ついてゆくだけ。

相棒と話しをしていて、
ラをすてて
ソラネコに戻るのは
とても
よいアイディアだとおもった。

うん。
そうしよう。



2004年11月01日(月) 休息日

睡眠。
睡眠。
グウグウ。
インドネシアのカレー。
グウグウ。
漢方をはじめて
黒い粒粒でホカホカ。
グウグウ。
まっしろで
グウグウ。
グウグウ。
睡眠。
おやすみ。


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