沖縄に一緒にいったひとたちに ひさしぶりに会えた。
仕事絡みのあつまりだったのだけれど、 会が終わったとたんに 沖縄の話でもちきりになって うれしい花柄模様。
やわらかい風と ゆったりしたリズムと カラフルな世界を 自由な歩幅であるく感触を おもいだす。
夜わたしの部屋に でかいゴキブリがでたのだけれど、 南国みたいで ちょっと雰囲気あるじゃないか とおもった。
でかゴキブリは ちょっとたたいて気絶させて 窓の外にとばしてやった。
相棒が ゴキブリには ずっとへっぴり腰であることが わかった。
仕事帰り。 職場の人に家の近くまで送ってもらったのだが。 車の中で流れていた曲がなんとも なつかしい曲だった。
中学生時代に好きだった人が カラオケで歌っていた曲だったのだ。
せつない恋のおもひでが 蘇ってしまったではないか!
わたしは中学生の頃、 とてもシャイで奥手な奴だったので、 好きな人がいても 誰にもいわなかった。
もちろん 好きな人とは まともに話しもできないタチである。
3年間ずーっと 好きだった人がいたのだけれど、 中学時代は 誰にも秘密にしていた。
高校生になって、 彼と高校がはなれて、 やっと、 親しい女友達に うちあけることができたのだ。
ある時、 彼が入院しているらしいという情報を 友だちが仕入れてきて、 お見舞いしたら?とすすめられた。
わたしも高校生だし、 女の子らしいこともまともにしたことないし、 いっちょ勇気だしてやってみるか! と決心した。
お見舞いの前夜は闘いだ。
一晩かけて、 手作りのクッキーを大量に作った。 大量の中からいいカタチの いい焼け色のものを厳選し、 大切に梱包した。
どきどきして眠れなかった。
お見舞い当日である。 病院にはふたり友だちがついてきてくれたのだが、 病室の前でわたしの足が前にすすまなくなったのだ。
30分くらいだろうか。 ともだちに勇気づけられ、 やっとやっと!病室に入った。
するとなんと 彼だけならまだしも、 彼のお母さんがいるではないか。
もうそれでわたしの緊張は 最高潮に達し、 わけのわからないまま、 「これ、残り物ですが…」と手渡して 「じゃあ…」と病室を去ったのだ。
一瞬の出来事だったように 記憶している。
以来彼とはあっていない。
あれからクッキーたべたのだろうか。 残り物なんていらねーよ!と 壁にたたきつけられたのだろうか。 など…いろいろ おもっても仕方ないのですが。
今でも悔しい。
心をこめて作ったんだよ、 ということを ちゃんと伝えられたらよかったな…とおもう。
気持ちを伝えることは 大切な気持ちほど 難しいような気がする。
相棒が月見カレーうどんを 作ってくれた。
わたしは だんごを買ってきて、 すすきを作った。
だんご屋のおばちゃんは ちょっと感じが悪くて、 おつりに1円玉20枚だった。
わたしの財布は つかう気になれないほどの 一円玉だらけだ。
弱気なわたしは、 おばちゃんには 文句をいえなかったので、 相棒に文句をいった。
こんなことばかりして まいにちくらせたら 楽しいのになあ、 とおもった。
いつか そうしよう。
なにかがゆがんでいる。
バターがシンク下に収納してあったり、 水が3時間くらいだしっぱなしであったり、 絶対間違えるはずのない道を間違えたり。
オカシイ。
こういう時に パソコンがこわれたり、 皿をわったりするのだ。
きょうは、 何人かの人にあったのだけれど、 水の中で話をしているようであった。 膜があってとどかない。
家では 床にごろごろころがって 奇声を発していると 少し落ち着く。
奴隷が10人くらいと、 かわいらしい赤ん坊がひとりと くそじじいが数人いるような設定で 妄想的にごろごろする。
怒ったり やさしくしたり 命令したり するのだ。
誰にもみられたくない ひとコマだったのだが、 相棒にばれてしまい さっきから怖がられている。
遠巻きにはれもののように 扱われるのだ。
あまりにも ブルーなので、 トイレに盛り塩してやった。
ただでさえ あやしいトイレを ますますあやしくしてやるのだ。
盛り塩容器は Dr.コパのいうとおり ラベンダー色である。
けっ。 くそくらえだ。
おやすみ。
ライブでした。
泡盛をたくさんのんで 最高の気分の帰り道に 冷しラーメンを買いました。
電車が古いカタチの 4人がけのところに座れて、 隣に貨物列車がはしっていたのです。
その雰囲気がうれしくて 冷ラーメンをたべようとしたら、 汁をこぼしてしまいました。
こぼすから気をつけろ! とみんなにいわれていたのに、 見事にこぼしてしまった自分に ショックをうけました。
でも よごれたのは自分の鞄と ジーパンだけだったので 洗濯すれば大丈夫。
汁が少なくても 冷やしラーメンは おいしかったです。
電車の中でものをたべると 旅のようでうれしいです。
声がでかすぎると 文句もいわれたけど 別にいいではないですか。
しあわせな気分なのです。 人生で幸せな時間がふえるというのは いいことなので、 お酒をのむということは とてもすばらしいことだとおもいます。
ラーメンをこぼしても そうだとおもいます。
それではまた。 おやすみなさい。
残った泡盛は まみちゃんに、 500円でうりました。
うった後もすこし のんでしまったのだけれど。
まみちゃんは 得したのかな。
2004年09月25日(土) |
いいにおいをかぎまくる |
“アロマテラピーなんて洒落た流行りものは、 ひらひらしたお嬢様がやることだわ”
以前は、 こんな偏見をもっていたわたしが、 今、アロマテラピーにはまりつつある。
奥が深いのだ。
まず、 植物から抽出した 純粋な精油をつかうという時点で 自然とのつながりがある。
それぞれの精油がもつ性質や気など個性があって、 それが人間のカラダにどのように作用していくのか、 というところがまた面白い。
心と身体は切り離しては考えられないという ホリスティックな立場で、 人間をとらえているところなんかは わたしにはしっくりくる。
さらに、陰陽説や五行説など 東洋医学からみたアロマテラピーの本を みつけてしまって、 コーフンは高まるばかり。
旧暦と似たような感じで、 スピリチュアルなものについて 考えさせられるのだ。
金はないながらも、 地道に精油購入計画をたてて、 一つずつ集めては、 わくわくしている。
この数週間で、 ほんのちょっとした アロマ博士(趣味程度)になったつもりである。
最近 わたしって記憶力わりーよなあ… 頭わりーよなあ…と 落ち込むこともあったりしたのだが、 アロマテラピーとなると こんなに覚えがはやいではないか。
頭が悪いわけではなくて、 要は興味がなかったから、 記憶力が悪かっただけなのだ。 (ちょっと安心。)
覚えられないもの=興味ないもの ということですな。
さて 今夜も アロマバスだぜ。
★旧暦カレンダー情報入手! 沖縄の新聞社がだしている釣りの手帳に 旧暦と月齢と潮と沖縄の行事などがかいてあるものが あるときき、早速問い合わせてみた。 11月末に来年の分ができるらしいので 送ってもらうことに! ありがとうございます。
2004年09月23日(木) |
旧暦のカレンダーが欲しい |
沖縄に興味をもちはじめてから、 旧暦(太陰暦)が気になる。 沖縄では旧暦が大切にされているのだ。
新暦(太陽暦)よりも 旧暦の方が人間の生活に合っているらしく、 旧暦を知っておく方が 日々を順調に過ごせるのだという。
それで、 今日はなんとなく 旧暦のことを調べてみた。
新暦でいう9/14から 旧暦8月がはじまっているらしい。
なるほど、 9/28は満月なのだが、 それは旧暦でいう8/15。 十五夜である。
で、いろいろみていくと、 旧暦の8/8(新暦9/21)は 沖縄ではヨーカビーといって、 霊や妖怪やいろいろなエネルギーが活発に動く日なのだそうだ。
その前後になると、 頭痛や耳鳴りがしたり、 熱のでない風邪をひいたり、 きつい匂いがしたり、 子どもは夜泣きがでたり、 なんとなく真夜中におきてしまったり、 火の玉がでたり、 するらしいのだ。
それをみてドキリとした。
9/17あたりから続いていた 悪夢で夜中に目がさめて 冷や汗がでて どうも調子がわるい…とかいうのは、 このせいだったのかもしれない!
ゆめ日記をみてみると、 きもちのわるい恐怖の夢は17日から はじまっている。
17日は、みしらぬキモチ悪いおばあさんと しらないビルの階段をのぼっていくのだが、 階段がぐらぐらして不安になる夢をみた。
18日は、病院のような建物の2階の部屋の扉を あけたら、男の死体が倒れてきて、 その部屋の奥から呪いがでてきて わたしの背中を襲おうとする夢をみた。 わたしは叫び声をあげて 背中をゆかにすりつけてその恐怖で目が覚めた。 それからこわくて眠れなかったほどである。
20日は、呪いの人形(2歳児くらいのリアルな女の子)を 誰かの香典返しでもらう夢をみた。 香典返しでもらったために、捨てるのも縁起が悪そうだし、 でもいらないし…と迷っているうちに、 その人形が動きだしたりして きもちのわるいものを 抱え込んでしまった恐怖で目が覚めている。
余りに恐かったので、 21日からは、 お守り(友だちがくれたブレスレットと 看護モノというぬいぐるみ)を まくらもとに眠ったくらいだ。
その後、 強烈な印象的な夢はみていないが、 眠りは浅く、鼻炎がはじまっている。
23日の今日あたりから調子は上向きである。
あまりに印象的な夢の連続だったので、 なんの意味があるのだろうかと 頭をなやませていたのだ。
旧暦とてらしあわせてみると、 調子のわるさは、 ヨーカビーの前後だったから、 その影響があったのかなあ…とも 考えられる。
そう考えると すっと落ち着いた。 すっきりさわやか 晴れ晴れ気分である。
もしかしたら実際は、 旧暦のことは関係ないかもしれないが、 その意味付けが気に入ったので 採用することにした。
明日妹に電話して めいの夜泣きが激しくなかったか きいてみることにしよう。
旧暦の枠組みで 生活を捉えてみることも なかなかおもしろいではないか。
宇宙の動きに人間は影響はされていて 自然と人間はつながっているということを 意識するような感覚になる。
ちなみに旧暦の8月23日(二十三夜)も 8日と同じような現象がおこりやすいらしい。 新暦でいう10月6日。
それにしても どういうわけで この日がこうだということになったのだろうか。 ますます興味がそそられる。 奥が深そうだ。 旧暦おそるべし。
急に涼しくなり、 何かの花粉がとびだしたようだ。
鼻はむずむずするわ くしゃみがでるわ、 目がかゆいかゆわ。
職場でティッシュを肌身はなさず ずるずるやっていたら、 上司に「アルコール性鼻炎やわ」 といわれてしまった。
くやしさあまり帰ってビール。 アルコール性鼻炎にはアルコールで対抗だ。
そうこうしていたら、 チャイムがなって、 以前信楽でつくった器たちが届いたのだ。 ウレシイウレシイ。
なぜハバネロの箱?
箱をあけると 陶芸師さんにおそわりながら作った器に 指定した色がついていて なんともうれしいい感じだ。
特に なんでもがぶ飲みできる でかいカップが満足。
ビールは500ミリ。 このでかいカップで たっぷりのカフェオーレなんかを のみたいのだ。
どうだ。オシャレだろう。
しかし、 このカップを裏に向けると しっかりとわたしの名前がかかれていた。
この達筆なでかい漢字が カップに絶妙にミスマッチ。
すべてのカップやソーサーが このように でかでかと名前入りになっていた。
いいねえ。この感性。 ハバネロの箱といい この漢字の大きさといい、 みればみるほど コーフン状態だ。
綺麗で完璧なものよりも ちょっとヘンなもののほうが 美しいと わたしはおもう。
きょうは美しいものに出会った。
またこんど あの陶芸師さんの窯元にいこう。
雨がふっている。
自分の図をかいてみた。
やらねばならぬことと やりたいことと やりたい順番と チカラ加減の図。
仕事(3種類)と 音楽(つくることと演奏すること)と 生活(大切な人たちやお金のことや楽しみのこと)
それぞれにもっとやりたいことや もっと修行したいこと。
わたしは中1の頃の大好きだった担任に、 「地に足がついていません」といわれたことがある。 親は「うまいこというわねえ!」と感心し、 今でもなにかあれば 「地に足がついてない」といわれる。
やりたいことは こんなにいっぱいあるのに。 自分ひとりじゃ やりきれないのである。 あれもこれもやりたくて 欲張りなのだ。
自分には容量があるのである。 しかも 時期によって容量も変化するのである。
そうだね。
まず 雨があがったら 山のぼりにいきたいな。
ちょっと高めの山にのぼりたいな。 山小屋の朝に 南極の地平線みたいな ずっとひろがる雲海をみたいな。
それで あたたかい珈琲をのみたいな。
2004年09月19日(日) |
漬けものになっている |
相変わらず 変な匂いの液体に漬かっている。
2004年の春あたりから 仕事や音楽やわたしの芯や 人生とか生活とか わたしのすべての 骨組みがゆるんでいて ぐらぐらしているのである。
そのぐらぐらの疲れが 最近表面化してきているようなのだ。
わたしが人間にうまれてきたことには どういう意味があるのだろうか、とか。 わたしはなにを しあわせだと感じるのだろうか、とか。 自分がおばあちゃんになったときに まわりには誰がいるのだろうか、とか。
そういうことを考えていたら やたら大量の夢をみて それが悪夢ばかりなのである。
ドアをあけたら 死体が倒れてきたり、 階段がぐらぐらして 登れなかったり。 わたしの人生の 終わりのはしっこをみたり。
酒ものんでないのに、 夢の中では 二日酔いで気分がわるくて、 スーパーで醤油をさがしまわっていたり。 (最近は、現実では二日酔いにならずに済んでいるというのに!)
そして、 ホントにちょっとしたことに すぐにボロボロ涙してしまうのである。
今日など、 近所の喫茶店でオムライスを頼んだら、 奥で卵を溶く音がして ジュワーっとフライパンの音がして おばちゃんが オムライスを持ってきたその時に、 涙がでてしまったのである。
おばちゃんがつくった 手作りオムライスだ! なんてあたたかいんだろう! なんてやさしいオムライスなんだろう! と感動してしまうのである。
オムライス味噌汁付き700円に涙する 三十路の女。
まったく困ったものである。 ちょっとしたことに 感じやすすぎだ。
変な匂いの液体の中にいると それでもいいのである。 変な匂いの液体の中にいると なんでもゆるされるのである。 どうせ変な匂いだから わたしが結構変でも 大丈夫なのである。
変な匂いの液体につかっていると 社会生活は無理そうなので、 この休みの間 思う存分漬かっておこうとおもう。
変な液体を体中にしみこませて 週のはじめには 変な匂いをぷんぷんさせて 街を闊歩する勢いで。
要するに 見失っているのである。 わかっているのだけれど わたしは軟弱なので、 ひろうつもりがないのである。
というか、 無理にひろうよりも ひろうタイミングがくるのを まっている方がいいとおもうのである。
流れには逆らわない方が いいとおもうのである。
相棒と映画をみにいった。 ヴィレッジというやつ。
相棒と映画をみにいくのは とてもとてもひさしぶりで、 以前は何をみにいったっけ…と しばらく考えていたら 印象的だったことを おもいだした。
「ブレアウィッチプロジェクト」をみたときも、 石井輝夫の「恐怖奇形人間」をみたときも、 映画の後、 相棒の顔は真っ白くなって、 嘔吐したのだ。
ブレアウィッチプロジェクトの方は 映像が揺れるので酔うのもわかるが、 恐怖奇形人間の方は 別に酔う映画ではなかったのに。
その嘔吐事件で、 相棒は結構デリケートな奴なのだ ということを知った。
相棒が長くトイレにこもっているのを 夜風に吹かれながら ぽつんとまっていたのを よく覚えている。
きょうの映画は 吐く映画ではなかったみたいで 機嫌がよかったので 少しほっとした。
夜は実家の両親がきて 妹家族たちとともに スキヤキ。
ほのぼのしていた。
2004年09月16日(木) |
変な匂いの液につかる夜 |
どろどろした変な匂いの液体に つかっているみたいだ。
変な匂いというのは 人によってちがうのだろうけれど、 とにかく いいにおいでも悪いにおいでもなく 変な匂いなのだ。
よく笑う女の人と一緒に 珈琲をのんだ時だけ その液体は少し溶けた。
はやく 液体を漉して漉して とうめいな液体につかりたい。
毎日の生活は不透明。
音楽をつくりたいのだけれど 液体が重すぎて なかなかそこまでたどりつけないよ。
何から手をつけてよいのかわからないので 何も考えないことにした。
誰かに話をしたいのだけれど 言葉にすると 楽になると同時に なにかを失ってしまうような気がして、 結局はひとりんぼう。
変な匂いを 思う存分楽しむことにしよう。
昨日はへろへろで 東京から新幹線にのり、 大阪でそのまま夜まで バンド練習。
長いこと 日常からはなれていたので ソラネコの仲間と会えてほっとした。
新しい曲をアレンジして その曲のはしばしが キラキラ光っている感じがした。
わたしのいる場所はここだ。
家にかえると ちょんすけもちょんちょんと イモミもイモオもモワーンと 元気にしていた。
ベランダのバジルと三つ葉は 異様にでかくなっていて、 ジャスミンとおじぎ草は花盛り。 愛すべきわがねぐら。
そして、 今日からなぜだか 抽選であたったので、 英会話教室にいきはじめた。 刺激的だ。
東京の最後の日の夜は 大学の同窓会だったのだけれど。 当時同じ水槽の中にいた仲間が いまはそれぞれ違う河を泳いでいて 不思議な気がした。
みんなそれぞれ しあわせになったらいいね。
台風のおかげで 仕事がはやくおわり、 夕方に帰宅。 ラッキー!
なんだか普段とちがうと どきどきしてしまう。
こういうときこそあたるかも!と、 手作り神棚にまつってあった サマージャンボを換金しにいってみたのだが、 残念300円。 神棚の方角をかえた方がよいのだろうか。
この夏から、 なんだかぼんやりしていて どうも調子がでない。
顔にぶつぶつが次々とでるし、 健康診断で再検査とかになるし (結局オオゴトではなかったのだが) ねむくて仕方がないし。
地震はくるし。 台風はきまくるし。 噴火もするし。
おまけに 居間のじゅうたんには なにやらかゆい虫がいるらしく、 のんびりテレビをみていたりすると たくさん足がかゆくなるのだ。
うわー。 きもちわるいよう。
おかげで キンカンが大好きです。
あしたから 仕事がらみで東京です。 飲みすぎた日に寝るくらいの時間に 起きないといけないので きょうはがんばって早寝をします。
そういえば、 沖縄にいってから 酒に強くなってきた気がする。
20代後半から下降気味だったのだが、 30になったとたんに上昇してきたのだ。
ウコンパワーかバイオリズムか。
それにしても、 台風で関空に閉じ込められるのって とてもいやだな。 密室系の推理小説ができそう。
あああああああ それではおやすみ。
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