そうだ、宣伝しよう。 そうおもいつきました。
わたしがやっているバンド“ラ・ソラネコ”の ニューアルバムがでるのです。 4/1エイプリルフール発売だけど、 うそじゃないよ。
タイトルは『かみさま』っていいます。
『かみさま』は 春夏秋冬そして春。 1年以上かけてやっとやっとできあがりました。
途中で機材トラブルでひやひやしたり、 気に入らなくって何回もとりなおしたり、 うまくいかなくて泣きながら録音したり、 いいことおもいついてわくわくしたり、 慣れぬ営業活動で一喜一憂したり、 それはもう、 感情の深いところにふれる いろんなことがありました。
アルバムというよりも、生まれたての生きものみたいで、 愛らしくてきゅっと抱きしめたくなる親心です。
休日の午後にお茶をのみながら。 失恋の夜に雨の音をききながら。 試験の前日にふとんの中で。 パリの街角で恋人をまちながら。 オーロラの下で白熊をなでながら。 …絵本をながめるように聴いてほしい。
ゲストには、サキタハヂメさん(はじめにきよし)に のこぎりで参加していただきました。
ハヂメさんの音楽に対する姿勢は、 透き通ってずっしりとまっすぐで、 それでいて、あたたかくしなやかなのです。 とても音楽を大切に愛している人なのだなあと おもいました。
『かみさま』は、タワーレコ−ドなど、 おっきなレコード屋さんでゲットできるとおもいます。 店頭になくても、ラ・ソラネコの『かみさま』(POYA-0003)で 注文できます。13曲入りで¥2415(税込み)。
初回限定版には、『ギヤマン』紙芝居の絵本カードがつきます。 それがまた素敵なの。 メンバーがひとつひとつ印刷してカットして袋にいれています。
ジャケットにはさねよしいさこさんがコトバをかいてくださいました。 メルマガでも、素敵な紹介文をかいてくださいました。 http://www.recosell.com/rc/00/12/001210.html (レコメンドアイテム一覧のところから紹介文がみられます)
これを読んだとき、 まず、ちょっぴりなきそうな感じになって それから、うれしいのがひろがりました。
さらによくばりなことに、 チラシには尊敬するだいすきな人たちに コメントをよせてもらったのです。 それぞれの方々の魅力な個性がでているコメントで チラシ自体が作品だとおもいました。
このアルバムを世に出すにあたって 尊敬するひとや 大好きなおともだちや、 応援してくれる人たち、 たくさんの方々に 心より感謝です。
どうか、 たくさんの人のお手元に 『かみさま』がとどきますように。
ジャケットは 幼馴染みのアーティスト“三盃いく子”さんが 描いています。
裏ジャケはうちのめいっこを メンバーに変装させました。
★ニューアルバム かみさま 発売記念ライブ
5/16(日)梅田 ハードレイン 06-6363-5557 adv.¥2000/door.¥2300 6:30open/7:30start w/ふちがみとふなと *『とびだすラ・ソラネコ(CD付)』をプレゼント。
6/6(日)京都 ネガポジ 075-252-8856 adv.¥1500/door.¥1800 6:30open/7:30start w/リトルハヤタ * オマケ『ラ・ソラネコ特製カレーキット(CD付)』をプレゼント。
5/29は、神宮前Rekioでライブ予定。
おお。 日記で宣伝したの、初めて。 すこし照れくさい。
桜がほころんできています。 あっけなくすぎゆく春を たのしみましょう。
今は今しかないのですね。
侵入されているような 気がする。
なにか しらないうちに わたしの たいせつなものを 壊されていくような。
世の中をいきていくための 力とか価値観とか そういうものは 自分の ものさしでしか はかれない。
それ以外のものさしで 自分をはかろうとすれば 自分をけずって ものさしにあわせるしかない。
簡単にそう やってしまう人も たくさんいるかもしれない。
でも わたしはそうしたくない。
わたしは 自分のために 自分のものさしがあるので それを両方 無駄にはしたくないとおもう。
自分のことは 絶対に削りたくない。
ここんところ ふんばりどころ。
ちょっぴりなんだか つかれてしまって どこか 遠くにいきたいかんじ。
ようするにですね。 結婚とは いったいナンナノダ! ということです。
いったい なんなのですか?
嵐でした。
ともだちのライブが いたくよかった。 ちょっと なきそうな かんじに なってしまうほど。
それで、 だけど、 きょうも 嵐のようです。
*カレー研究第3弾* カボチャとじゃがいものカレー
クミンシード ターメリック 太陽の味がして82点。
南風のパキスタンカレーが たべられなくて 残念。
しょんぼりしている。 しょんぼりしすぎて 頭がにょろにょろだ。
にょろにょろ走っていて まわりの景色を眺める余裕もない。
なんだか ちょっと欠けているところとか ちょっとすりむいているところとか そういうところがずきずきする。
なにも吸収できないし なにも表現できない。 にょろにょろと すべてだしつくして ぺしゃんこになるまでは ずっとにょろにょろが とまらない。
あんまり目をむけたくなかった 自分のカタチを ちゃんと確認しないといけない状況に たたされていて それで カタチをかくにんして よし! としなければならないのだけれど、 それが結構むずかしい。
わたしはいつも 先のことを考えない。 その時は、 衝動的だといわれても、 それしかできなくて、 それで やっぱり 衝動的すぎて しょんぼりにょろにょろする。
今回はすごいことだ。 にょろにょろ度合いも尋常じゃない。
それでも 話をきいてくれたことに 感謝。
そうだ。 ただひたすら 感謝しよう。
そして にょろにょろしたまま 走っていこう。
この年の春は 一生おぼえているに違いない。 にょろにょろの春。
*カレー研究第2弾* にんじんのカレー それと一緒に瓶の牛乳
クミンホール コリアンダーパウダー ターメリック レッドペッパーパウダー シナモン カルダモン クローブ
馬の気分で67点。
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上の字はちょんすけが 15分くらいの間にかいた文字である。 ちょんすけはパソコン好き文鳥なのだ。
どうだ。 かわいいだろう。
でも、キーボードがふんだらけ。 なんでこんなに羞恥心がないのだろうかとおもう。 どこでもかしこでも垂れ流し。
ちょんすけの世界は わたしとはまったく違うのだろうな。
ちょんすけの世界は、 どんなふうにみえるんだろう? ちょんすけの時間は どんな流れ方をしているのだろう?
最近、わたしの時間は、 すごい勢いでながれているよ。 しっかりふんばらないと。
きょうのちょんすけは みずあび直後だから ポテトチップスみたいなにおいがして ぱくっとしたくなる。
いろいろな人から 正しく生きていく上で 衝動的すぎると 御指摘をうけた一日。
正しくいきるとはどういうことなのか わからなくなってしまった一日。
わたしは感覚的に これだっ!とおもったら そうする、という生き方をしてきて 結構それで よかったなあーと自分でおもっている。
だから 衝動的すぎるといわれると 若干反抗心がおこり、 その後に、 不安になる。
わたしは今まではこれでよかったけれど、 大人の女としては おかしいのではないだろうか?
だけど、 わたしはわたしの形でしか やっていけませんので。
動くことにします。 よし やってやる。
ライブでちょんすけ自慢。
おやばかぶりまきちらし大作戦第一弾を決行。 くびにちょんすけの写真を ぶらさげてうたった。
気分は最高。 よかったねちょんすけ。
きょうはもう ダウンでござる。
おやすみ。
わたしはバンドをやっているのである。 近々ニューアルバムをだすのである。 今は、宣伝活動とか、 納品作業だとか、 レコ発ライブの企画だとか、 バタバタした毎日をおくっているのだが。
それで、 6月にあるレコ発記念ライブのオマケを 『特製カレーキット(CD付)』にきめた。
わたしはカレーがだいすきなんである。
6月にむけて 本格的にカレー研究開始なのだ。 オリジナルのうまいスパイスの調合を みつけるのだ!
本日は朝から フェネルとターメリックベースの野菜カレー。 おばあちゃんのしわしわ肌の味がして6点。
まだまだである。
インドのお母さんみたいに ちゃっちゃっとスパイスを調合して その日家にある材料で うまいカレーをつくれるようになるのが 憧れなのである。
すばらしいカレーをおとどけできるように がんばるぞ。
結局は 市販のカレールーにならぬよう 努力するぞ。
ちなみに、 最近はアボガド研究にもこっている。
アボガドはわさび醤油が基本なのだが 納豆にまぜるとうまいという情報をゲットしたので 早速ためしてみた。
わたしの大好きな納豆と 大好きなアボガドの融合は さぞかし美しい味がするだろう と期待していたのだが。
まぜると アボガドが納豆の奴隷になってしまって、 アボガド本来のうまさがでてこない。 そのもの自体はうまいのだが、 なんとなくそれぞれの良さを 最大限に発揮できていない感じなのだ。 納豆が前にですぎている。 大好きだったはずの納豆のことをこにくらしいと さえおもってしまった。
食べ物もバンドとおなじだ。
わたしは、 メンバーそれぞれの個性が光るバンドが好きなのだ。
ひとごみの中で、 あたたかな手にさわっていたら すこしだけ安心する。
とおくから 自分のことを おもちゃみたいだとおもった。
情熱的な恋をしたり 子どもがうまれたり そういうことがあるのなら もっとよっぱらえるのだとおもう。
宇宙の上から おおきないきものが 適当に 人間をあやつっていることなんか 考えなくてすむのだとおもう。
ケーキをたべたり 談笑したり ビールをのんだり 音楽を聴いたり そういうことが とてもすばらしいことなのだと 自分をおもいこませるのが 一苦労。
マーガレットズロースの 自己偏愛家のうたがとても聴きたい気分なのだが、 そういう時に限って だれかにCDをかしている。
いったい 誰にかしたのだっけ?
ああ自分はかわいいな。
どぶすにはまった。
次のライブの練習のために、 ともだちの家にいっていたのだ。 彼女の家にいくととても心地よくて いつも長居をしてしまう。
今日も練習をおえて、 犬ちゃんのお散歩と スーパーにお買い物。
その帰り道だ。
左足がつくはずの地面が 急になくなった。 視界がさっと低くなり、 ビチョンと冷たい感触がきた。
ぎゃ!っと短い悲鳴がでて 頭の中がぱっと冴えた。
からだがピンチになったときって 人間の頭は冴えるようにできているのだとおもう。
慢性的にどこかにあるもやもやとか なんとなく気掛かりなこととか ちょっと疲れた気分とか そういうものが一気に晴れた。
ズボンと靴下はビチョビチョで、 手足を派手にすりむいた。
買ったばかりの卵は割れて それを慎重に平らに手にもって ともだちの家にかえる。
彼女はくつしたともんぺをかしてくれ、 それから わたしたちは、 われた卵で スクランブルエッグをつくって パンにはさんでたべた。
すりむいたところには 派手にアカチンをつけてみたら、 すごい大怪我したみたいな雰囲気になって いい気分。
どぶすにはまるのも たまにはいいかもしれない。 仕上げにはアカチンがいい。
なんとなくもやもやしている時に 夜不安で眠れないあなたに どぶすアカチン療法。
意気揚々と 相棒に傷をみせたら、 「こんあなアカチンのつけかたする人おらんで、 小学生みたいや」 興味無さそうにいわれてがっかり。
バンドのホームページを 作ってくれている人とメンバーと3人、 京都で飲む。
ホームページをつくってもらっているというのに、 ゆっくりと話をしたのは 初めてだったのだ。
前々から ダンディーな人だとおもっていたのだが、 話をしてみてもやはりダンディーだったので、 こんなダンディーな方に ホームページをつくってもらっているなんて、 まるでドラマみたいだ!とおもった。
それで、 わたしもオシャレなドラマみたいに 花柄模様の素敵な生活をおくらなくては、 などとおもってしまった。
ああ感謝だなあ。 こういう出会いのある 自分の人生に感謝だ。
話しはかわるが。 相棒が夢で 性格をつかさどる神様に会ったといいだした。
人間の性格は2枚のCDと楽器の音で できているのだという。
相棒の性格はスネアのチューニングが ちょっとあってないので 神様にあわせてもらったのだという。
へえー。おもしろい。
「じゃあわたしの性格はどうだとおもう?」 わたしはなんとなくギターな感じがした。
相棒はしばらく考えて 「ギターのキレがないかも。ぽろーんって感じだから。」
ああやっぱりギターだ。 ギターは全然だめなのだけれど、 妙におもいいれがあるのだ。
「じゃあどうしたらいいの?どうしたらキレがでるの?」 「うーん。弦をかえたらいい」 「どうやったら弦をかえられるの?」 「わっからん…」
どうやったら キレがでるのでしょう。 弦をかえなくてもキレをだす方法が あるような気がするのだが。
もっとキレがだせるよう 日々精進するぞ。
まずは その神様に夢であえるように がんばって よくねむることにしよう。
ときどき わたしはどこかで とまりっぱなしなのではないかと おもうことがある。
みんなが 難無くとおりすぎるところで よりみちして みちくさくって ぼんやりのろのろしているのではないかと。
小さいころから そうだったような気がするのだ。
保育園のころは 御飯をたべるのが遅くて みほちゃんという女の子とふたり いつも工作室にいれられた。 毎回毎回はやくたべようとするのだが、 いつのまにかみんな食べ終わっているのである。
小学校にはいって 夏休みには工作の宿題があった。 2学期がはじまるとみんなそれぞれが 自分の工作を体育館にならべにいった。 わたしはその時はじめて 工作の宿題があったことを知ったのだ。 みんなに「さとみちゃん工作は?」ときかれるので、 とっさに「なくなっちゃった」と嘘をついた。 これがわたしの最初の嘘の記憶。
なんでみんなは工作の宿題のことを 知っていたのだろう? 不思議におもったものである。
登校日もしらなかった。 公園でいつものようにせみとりをして 家にかえったら ともだちがやってきて なんで今日学校にこなかったのかという。
いつも膜があるような気がした。 自分の世界と外の世界の間に。
時間の流れがばらばらで、 学校にいくと 外の世界の時間に ひょいっとのっからなければならない。
ひょいっとのっかる瞬間が 結構こわくて毎回びびった。 自分の世界とのギャップがあるときは、 うまくのっかれなくて おっこちた。
気がついたら わたしはとりのこされて、 工作室で御飯をたべているんじゃないだろうか。
ここ数日、 小さいころによく味わった あのこわさみしい感じがよみがえる。
深いところに沈み過ぎていて あっぷあっぷしている。
深いところもおもしろいのだが、 ずっといると息苦しくなる。 明るい太陽のあたるところで へろへろ笑っているのも好きなのだが、 そればかりしてると 世の中がうそっぽく感じてくる。
じゃあどうしたらいいのだろう。
いまだにわたしはその調節がへたくそだ。 かみひとえのことなんだけどな。
かみの裏側をあるくのと 表側をあるくのでは ずいぶんと違うものだ。
さてさてねるとするか。 ちょんすけや。
さっきから ちょんすけめが、 キーボードの上で わたしの指のじゃまをする。
手も肩もふんだらけ。
ダウンです。
ぽしょ。 ずろろーん。
ダウンです。
ぐにゃ ぽよよーん。
1年ぶりくらいに 岩のぼりをした。
ここ最近は 内にこもり気味の生活に馴染んでいたので、 青空の下で 身体を動かしたりなんかしたら わたしはどうなってしまうのだろうかと 心配だったのだが。
いってみると 結構たのしく 無事にかえって来れたので よかった。
のぼりにくい所で
ふえー! くうー! ひいー!
と声をだすと、 チカラがくっとはいって もうどうにでもなってしまえ! と腹からエネルギーがわいてくる感じが 気持ちよかった。
ヤモリの気分だ。
帰ったら ちょんすけが せまい籠の中で ちょんちょんないていた。
ちょんすけは 山の中にはなされるか うちにかわれるのか どっちが幸せなのかしら。
史上最泥の二日酔。 もう一生酒などのみたくない。
昨夜は仕事がらみの飲み会だったのだが、 途中から記憶喪失で、 帰り道は、 全く関係のない相棒をよびだして 介抱してもらったようだ。
相棒もとんだ迷惑だ。
しかも、 飲み会の時、沖縄のシャーマンの話で わたしの気分はえらくもりあがっていたので、 口調がシャーマンだったというのである。
『みえる!みえる!』 『排水溝がみえる!』 『みえる!みえる!』 『あなたのお父さんの気持ちがみえる!』 『みえる!みえる!』 『お寺ののろいなの。山にお寺があってね…』 など、目をつぶったまま みえる!を連発して 脈絡ないことを話していたのだという。 さぞかしあやしかったことだろう。
しかしながら、 沖縄の話はおもしろかった。
わたしは、1年ちょっと前、 沖縄のシャーマンや神様の世界に興味をもって、 セーファウタキや久高島を旅したのである。
ちょうど昨日隣にすわっていた人が そのような分野を研究している人だったのだ。
沖縄の知らない小さな島のお祭りの話しとか すごいシャーマンの話しとか 実際に体験した話しをきいて わくわくした。
そして、あしたは、 わたしが沖縄に興味をもつきっかけになった人に 初めて出会った場所でライブ。
これもシンクロしてる。
今年は絶対沖縄にいこう。 そうきめた。
朝、家をでる時には まったく想像もしていなかった。 そんな場所に、 夜には行っていることがある。
今日もそれだった。
普通に仕事にでかけて 普通に家に帰って ちょっと遅めの夕食をとるはずだったのだ。
しかし。 ふと気がつくと、 わたしは大阪城ホールで デビッドボウイをみていたのだ。
ああびっくりした。
デビッドボウイのアルバムだって 一枚ももってないクセに。 しかも年度末金無し貧乏で 仕事宿題山積みのクセに。
わたしは なんでなんでこんな 優雅なところにいるのだ。
狐は 動物園と北海道でしか みたことがないけれど。 狐につままれたような気分とは きっとこういう感じをいうのだろう。
そう。 きっかけは昼間。
デビッド・ボウイのライブに いくかいかぬか迷っている人の話をきいたのだ。
その後、 だんだん落ち着かない気持ちになってきて、 頭ぐるぐるデビッドボウイだらけで、 勤務時間が終わったとたんに、 足は城ホールにむいていた。
自分の意志というよりも、 宇宙の指令のようだった。
そして 生デビッドボウイは オトコマエだった。 文字どおり、 声に痺れたぜ。
びりびりぞぞぞだ。
とおくにつれていかれて いろいろなことが頭をよぎって、 宇宙から自分をみてるみたいな 思春期の頃のあおい感覚をおもいだした。
いったいぜんたい わたしは どこにいきたいのだろうな。 どこにいくのだろうな。
さあ あしたは、 卒業式です。
岩倉の友人宅で3/23ライブの練習。
ちょんすけの曲をつくってもらって それがとても気に入った。 名曲だよ、ちょんすけ。 アレンジも素敵にできて うれしい。
ちょんすけの写真ももらった。 わたしは使えるカメラをもっていないので とってもらったのだ。 ちょんすけが実物大よりも でかくうつってるのがあって うれしい。
親ばかロードまっしぐら。 こうなったら まわりからみて吐き気をもよおすくらいの 完璧な親ばかを目指そうとおもう。 なかなか道は険しい。
アイスクリームとかワッフルをたべて おいしいスパゲティ−をつくってもらって いちご大福をたべて 窓をあけて 犬の気配がして 干してあるふとんが気持ちよさそうにみえて うたったりしゃべったりして わたしは小学生からやってることが かわっていないなあとおもった。
ああ、たのしかった。
ちょんすけのおみやげに ホーホケキョ笛までいただく。 でもそれもホーホヘキョだ。
空気が沈丁花のかおり。
ちょんすけや これがはるというのだよ。
真夜中。
仕事がえりの相棒のために ペペロンチーノをつくって 200円で提供。 アンチョビいりなのに格安。 もうちょっと値をあげればよかった。
お店やさん気分で楽し。
ちょんすけにも 酒をのませたい衝動に かられたが なんとか抑えた。
酒のみのペットがいたら きっとうれるのではないか。
泡盛のむとオドル亀とか。 ソルティードッグ好き犬(ドッグ)とか。 ビールでおよぐイモリとか。 かっわいーい!
ああ。 もしもちょんすけが酒飲みだったら。
ひとりぐらしの6畳間で 文鳥とふたりで晩酌なんて なんて乙なものなのだろうか。
どうかなあ…。
淋しいか…。
本日もダウン。
朝おきて ふとんの中にいる時間が けがれなきシアワセというかんじで なかなかよろしい。
おふとんワールド ラブ。
本日はダウン。 おふとんワールドが恋しいので、 もうねます。
本日はラクガキで。
ラクガキって かいてはいけない時間に かきたくなる。
音楽とお酒は似ている。
ひさしぶりに 好きな音楽を聴くと、 その音楽をよく聴いていた頃の 情景が鮮やかによみがえる。
昔よく一緒にあそんだ仲間だとか。 ふとんにもぐりこんで感じた西陽の感触とか。 どうしようもなく奥手の情けない自分とか。 旅先の空気の匂いとか。
おんがくは 人生の記憶とともに 人の心にのこるものである。
お酒も同じ。
心の奥にひびくような 大切な時間をすごした時にのんだお酒は、 また飲みたいとおもう。
お酒をつくることと 音楽をつくることは とても似ているのでは ないかなあ。
人生のひとコマの中に しゅわーっととけこんで、 くらっとくるような。 お酒みたいな音楽をつくっていきたいなあと。 そんなことを思っていたのでした。
わたしは ちょっと匂いにクセがある でものめばやみつきになるような 奥深い味わいの お酒が好き。
今日は CDを2枚とスコッチウイスキーを1本買ったのだ。
瓶の牛乳の話をきいた。
朝の3時半ごろ 牛乳配達のおにいさんが とどけにきてくれるのだという。
まだ暗いうちに バイクの音が家の前でとまって コトンと瓶の音がするなんて。
なんてすてきなのかしら!
わたしは あの牛乳箱が好きなのだ。
最近はみかけなくなったが、 牛乳箱は木製がとくにいい。 商品名がペンキでかいてあるやつ。
学生時代に住んでいた ボロアパートの牛乳箱は 私と一緒に関西にきてしまったほどだ。
おもいたったが吉日。
早速電話をかけて申し込んだ。 わたしも瓶の牛乳人になるのだ!
瓶の牛乳人のわたしの生活を おもいうかべては、 わくわくしている。
でも 油断ならない。 酔っぱらって帰った時 牛乳屋さんに会わないように 気をつけなければ。
陰と陽のかさなる瞬間。
もし会ってしまったら 気が滅入ること請け合い。
ホモの字がいかしてるでしょう。
どうしようも 落ち着かない気持ちで。
ぼんやり考えごとをしているうちに 涙もろもろモードに突入してしまった。
教育テレビのくさいドラマで涙があふれ、 ニュースをみてはキューンとせつなくなり。 うろこ雲をみたら命がいとおしいと感じる。
ちょっとしたことで 涙腺が刺激されるのだ。
こういうときは何かに没頭するのがいい。
本日は、 カクテイ申告とカクトウ。
6時間ほど レシートや電卓相手に奮闘した揚げ句、 やはりわからないところがあったので、 税務署へ出向く。
時間ぎりぎりだったので 急いでタクシーを走らせ、 税務署前でおりると、 ガードマンみたいな人がつかつかと寄ってきた。
『確定申告の相談ですか?』 彼は無表情だ。
“はい…” 『本日の相談はもうおわりました』 “え?…何時までなんですか?” 『日によって違うんです』 “え?今日はもうだめなんですか?” 『はい。もうおわりました』 “今日だめだったらもう仕事でこれないんですけど”←ウソだけど 『納入ですか。還付ですか』 “還付です” 『還付なら別に遅れてもいいですよ』 “…”
同情のかけらもない無愛想な声で 事務的につっぱねられた。
ショックだ。
急いで電車にのってタクシー走らせて。 集中力のないわたしが 珈琲のんでがんばって 何時間もがんばって、 あんなにがんばって がんばってがんばって やったのに!
そのときだ。
サイボーグガードマンの目の前で わたしは うるうるの涙目になっていたのだ。
おお、 なんとはずかしい。 なんでこんなこんなことで サイボーグガードマン相手に いい歳した女が、 涙目にならなくちゃいけないのだ!
うちひしがれたわたしは、 駅前の陰気な喫茶店で 450円の具無しカレーを食べたのでした。
ひからびた福神漬が 哀れなわたしを なぐさめてくれたのでした。
こんなひなまつりをすごしているから いけないのでしょうか。
阪急の地下の洋菓子売り場を物色。
ちょっと試食したら、 試食販売員のおねえさんが 偽スマイルで話しかけてきて まいった。
彼女の目は、 結婚記者会見の 若村真由美の目と同じだった。
それでおもいだしたのだ。
小学生のころ、 私がすんでいた街に 北海道珍味の 訪問販売のおねえさんが来たことがある。
言葉はなまっていて 地元の人ではないことは すぐにわかる。
彼女は玄関先で、 まずおじぎからおかしかった。 10秒くらい頭をさげているのだ。
それから、 珍味のサンプルをだしたかとおもえば “一曲うたわせていただきます”といって 珍味のうたを 一曲朗々とうたいだした。 童謡みたいなおさかな珍味のうた。 なんのまよいもなく マジでうたうのだ。
小学生ながら おかしくておかしくて。 もちろん 近所のともだちの間では、 その話題で大盛り上がり。
近所には 上品なやさしいおばさんがいた。
おばさんは彼女の唄をきいたあと、 “あなた…まだ若いんでしょう?” とやさしくいったらしい。 そしたら 彼女は泣き出したのだという。
彼女はどんな気持ちで あのうたをうたっていたのだろうか。 ねえ。
なんだかすこし かなしいかんじの イチニチでした。
かなしいかんじのときは おかしなことが 頭にいっぱい おもいうかんでくる。
今日の縁起物。
ちょんすけのふんが 茶柱のようにたちました。
ここ数日のわたしは、 酔っ払いのダメダメ人間だったので、 今夜は優雅なお食事にした。
優雅なお食事にありつくには こえねばならぬ険しい山がある。
部屋の掃除だ。
優雅なお食事なぞ できっこない異常なちらかり具合なのだ。
まず 床の上にあるものを 選り分けていらないものをすてる。
1年前の写真とか 返事をだそうとおもっていた手紙とか、 そういうものに 見入って ものおもいに耽りはじめたら、 優雅なお食事は遠のいてしまう。
その葛藤をのりこえる。 よし上等だ。
確定申告のために ためてあるレシートの山。 払わねばならない請求書。 うわー。 明後日締めきりの 来年度の仕事の書類がでてきた。 ああよかった。
わたしはいつも 人生つなわたりだ。
だいたい 足の踏み場ができると いらないものは ゴミ袋1つ分にもなった。
それから ちょんすけの部屋の新聞も きれいにかえてやる。
最後に掃除機。 ひさしぶりだね 掃除機どの。
それからやっと 食事づくりだ。
昨日、 お肉はたべないという人と話しをしたので 今夜はわたしも菜食なのだ。
エチオピア風キャベツとにんじんの春炒め という料理を発明してみた。 ただ野菜をスパイシーにいためただけなのだが。 しかもエチオピアに行ったこともないのだが。 まあ優雅なイメージで。 それから具沢山味噌汁とオクラと御飯。
どうだ。 優雅だろう! まいったか!
勝ち誇った気分で 優雅な食事にありつけたのは 夜10時近くになってからでした。
ちゃんとワンピースなぞに着替えて、 鳥インフルエンザの鶏の死体の映像をみながら 優雅に夜をすごしたのでした。
愛すべきノンアルコール人生! 脱ダメ人間!
めでたしめでたし。
そういや 今日から3月だな。
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