へそおもい

2004年02月29日(日) にわとり屋敷

近所ににわとりを飼っている家があった。

飲み明かした朝、
白みはじめた空をみながら
とぼとぼと
帰り道。

コッケコッコー!

朝をつげるその一声で
気分がさらに滅入ったものだ。

しかし。
ここ数日。
空が白みはじめていようが、
太陽の光がさそうが、
にわとりがなかなくなったのだ。

なかなかったら
なかなかったで
なんだか淋しい。
朝帰りのわたしを
自己嫌悪に陥れるあの声は
実はなくてはならなかったもののように
感じてくる。

気になって気になって、
どうしたものかとみにいったら、
家が売りにだされているではないか!

いつもはげ頭のおっちゃんが
玄関で煙草をすっていた。

上半身はだかで煙草をすう
ぽてぽての白い腹が
もうみられないではないか!

なにか大切なものを失ったような
やるせない気持ちになったのでした。

時はながれるし、
歳はとるし、
わたしのまわりは
容赦なく
変化しつづけているのだなあ。

それで早速。

きょうから
ちょんすけに
コッケコッコーを
インプット中。

性能の悪い録音再生機のような
ちょんすけ。

ごめんね
ちょんすけ。

ちょんすけは
人間の都合でいいようにかわれているペットで、
わたしは自己中に愛情をおしつけている人間。

でも
ちょんすけは結構
しあわせだとおもうよ。



2004年02月28日(土) マイ名言

今日わたしは名言をはいた。

ビールをおかわりしていたら、
相棒に、
“あてもないのにようビールのめんなあ”
といわれたのである。

そこで、
わたしの名言。

 あてはいらん。
 ビールと語るのだ。

うわー。
かっこいい。

わたしは一瞬にしてわすれていたのですが、
マスターが、
いまのは名言だ!といったので
すぐに日記帳にかきとめたのでした。

今おもえば名言である。
酔った時の記憶の大切さを実感した夜。

相棒はしらふでも
よっぱらいのわたしに
朝までつきあってくれる。

わたしには絶対にできないこと。
他人がのんでるのに、
自分がのまないことは
よっぽどのことがない限り
不可能なのだ。

相棒に感謝。

こんなんでも
たのしいのか?
相棒よ。

ありがとう。



2004年02月27日(金) バロムワン

バロムワンというヒーローもんの
ビデオがみたい。
すげーおもしろそうだときいたので。
ぜんぜん知らないのですが。

タケシとケンタロウの友情度があがらないと
変身できないらしい。
それで
怪物が近くにきてるのに、
ケンカをしていて
ぎりぎりになって
突然仲直りして
変身するらしい。

マッハロッドで
ブロロロロン
ブロロロローン
ブロロロローン
ジャジャジャーン
まじーんゾルゲを
るるるるー
ぶっとばすー
だるるるるーん

って感じだそうだ。

すげー。すげー。
おもしろそう。

そういう実写ヒーローもんみてみたい。

酔っぱらうと
その時にしゃべったことを
わすれるような年頃になったので
最近日記帳にメモをするのです。

朝方かえってきて
日記帳をみたら

バロムワン
アクマイザースリー
イナズマン

とかかれていたので
おもいだしたのでした。

酔っぱらった時の記憶の
大切さを
おもいしらされた朝。

これからも
ちゃんとメモをとることにします。



2004年02月25日(水) 水曜日の憂鬱

この日はいつも容量を超える。

朝から晩まで次から次へと。
突発的に予期せぬものが侵入してきたりする。

それは
笑ったり淋しくなったり
腹が立ったりするレベルを超えて
わたしは交通事故のカエルみたいになる。

ばきゅんばきゅーん!と叫びながら
人さし指でひとりひとりをつついて
この煮詰まった緊張感を
なんとかしたいという衝動にかられる。

うんこ、とつぶやいて
このバラバラ方向の緊張感を
ぶちこわしたいという衝動にかられる。

なんでみんなそんなまじめに
ちょっと攻撃的なため息で
そこにいるのだろうか?

一日中衝動をおさえて、
どろどろひゅるるんの中から
小さくなっている我が子をみつけだし、
“おつかれさんっす”と部屋をでる。

トンネルをくぐって。

小さな明りの中で
アイラのウイスキー。

今日イチニチ
出会った人のことをおもいだして
自由な時間のなかで
感じなおす。

わたしは
ウイスキーがなければ
生きていけないかもしれない
とおもう。

ウイスキーラブ。

ちょんすけ、ラブ。



2004年02月24日(火) 親心

ちょんすけのなき方が、

ほへほへほへきょ

になってきた。
ほへきょほへきょの
連発よりちょっとましだけど、
まだまだ意味不明。

電話をしていても、
相手にきこえるらしく、
友だちからも
『あほっぽい』
と笑われている。

たのむよちょんすけ。
もっとましななき方をしてくれ。

わが子をジャニーズにいれようとする
親の気持ちがすこしだけわかるような。

そんな気がした。



2004年02月23日(月) 鳥取砂丘にいきたい!

きょうは一歩も外にでず、
六畳一間で
ほへきょほへきょほへきょとなく
あほ文鳥の声をききながら
たまっていた仕事を片付ける。

片付けていたつもりなのに、
どんどんちらかっていくのは
なぜなのだろうか。
わたしがいるところ以外
足の踏み場なし。

食事はちゃんとしようと、
タイ風焼きビーフンなぞを作ってみたのだが、
たべすぎて胃がおもい。

ああ、気が滅入ってくる。

インドいきてーなあ。
でも金がないから
鳥取砂丘でもいいかなあ。
それも金かかるか。

なんか
ばかばかしいことしたいなあ。

ばかばかしいこと求む。

ほへきょほへきょほへきょ。



2004年02月22日(日) ほへきょブーム

ちょんすけが、
ピイピイとわたしの口笛をまねていたので、
今度はうぐいすを覚えさせようとおもいたち、
昨夜は一時間程、
“ほーほけきょ”
という口笛をきかせてみた。

もともとわたしは口笛が苦手で、
“ほーほへきょ”
という感じになってしまうのだが。
唇がしびれるくらいずっと
“ほーほへきょほーほへきょ”とやっていたので、
すこし上達したかもしれない。

それで、今朝おきたら、だ。
ちょんすけは、
“ほへきょ”ができるようになっていたのだ。
わたしのへたくそな“ほへきょ”を
一夜にして完全コピーしている。
ちょんすけ天才!

しかし、“ほへきょ”だけ連発で、
“ほー”がないのがおかしい。
今もけなげにほへきょ連発だ。

このままでは
天才どころか意味不明文鳥になってしまう。
なんとかしなければ。

夜はバンドの練習で、
新曲の口笛の部分にはちゃんと
ほへきょをいれました。


さてさて
今日で7歳。
おめでとう。
ありがとう。

ほへきょほへきょほへきょ。



2004年02月21日(土) 胸がいっぱい

金沢にいっていたのです。

父が32年間つづけてきた仕事、
最後の記念日の姿を
こっそりとみにいってきたのです。

あたたかい小春日和で、
公園にはかちかちになった
きたない雪が
残っていました。

リンゴ園のリンゴの枝は
雪の重みでぼきぼきと
おれていて、
昔の小学生坊主みたいでした。

父は正直で自信のある人だとおもいました。
それでちょっとおちゃめな人だとおもいました。

こういうふうに客観的に
父のことをみるようになった自分が
不思議な感じでした。

ちょっとだけ
レコード屋さんによったり。
アルバムジャケットを描いてくれた
いくちゃんちに
できたてほやほやのアルバムを届けたり。
母と御飯をたべたり。
しました。

かえりの雷鳥のなかで、
なにかがすこしはっきりしたような
気がしました。
それで
胸がいっぱいになりました。


※ちょんすけの目の周りのゾンビ度が高くなっている。
 わたしの口笛のまねもうまくなっている。
 一瞬人間がいるのかとおもって
 びっくりするくらい人間っぽい口笛。
 



2004年02月19日(木) 母の電話

実家の母が電話で
「おれおれのコピーから電話があった」
とはしゃいでいた。
おれおれのコピーって何かとおもえば、
オレオレ詐欺風の電話があったのだという。

母が電話にでると、
もごもごと何か言ったので
一瞬自分の兄かとおもったらしいのだが、
「どちらさまですか?」
ときき続けたらしい。

そしたらもごもごと戸惑いがみられ、
小さな声で「おばあちゃん?」といわれたらしい。

その時、アドリブがきかず、
「ちがいますけれど?」
といってしまったのだという。
それで電話はきれてしまったのだと。

そこで、
「そうよ、おばあちゃんよ。タカシ、大丈夫かい?
すぐに100万振り込んどいてあげるからね。口座番号は?」
といえばよかった!!悔しい!!
と悔しがっているのだ。

この悔しがりかた。
母は相変わらずである。

で、電話を切る前に、

そうそう、
お父さんがね、
「ちょんすけが突然死したら
保健所にすぐに届けるように言うとけぇ」
って言ってたわー
と。

はいはい。
父も相変わらずである。

ちょんすけ、
インフルエンザにかからないように
気をつけようね。




2004年02月18日(水) 自慢バナシ

かっわいい!といわれた。
しかもかっわいい!小学生たちに。

でかうまの伊予柑をもらった。
はるの香りで手から腕からべとべと。

ぎりぎりまであとまわしにしていた億劫電話を
やっつけやっつけ数本かけた。
非常にエライ。

一番良く使っているお気にいりの
揃いのコップをふたつも割ってしまって、
食器棚のスペースが少しだけひろくなった。

あと、
ヤンシュヴァンクマイエル(だっけ?)の映画みたいな夢をみた。

それがすごく変な夢で。

ふと話しかけた見知らぬ男に突然、
「心を強姦されるような気分になる」
といわれたのだ。

その言葉に衝撃をうけたとたんに、
その男の人がマネキンみたいに凍って、
突然痩せた人間の皮をはいだみたいなかさぶた色の
人形がやってくる。

そして、その人形は、
「おまえはこうしているのだよ」といって、
男の人の心臓のあたりに
手の指先をぐさりとつきさして、
つきさしたまま指をぎゅっとまげて、
指をまげたままつきさした手をぬいて、
血がだらだらたれてきた。

「おまえはこうしてるのだよ」とまたいって、
その人形は自分の頭をボーリングみたいに
コロコロころがして、
次の瞬間にまた
コロコロと頭がまき戻って
うでをくいっとまげた滑稽な格好をして
にやっとわらった。

その愛らしい皮はぎ人形は
つかまえようとおもっても
金魚みたいにするっと逃げる。

その時、
自分の足毛が金髪のロングで
両足がからまってしまっていることに
気がついた。

そして、
ドラマでうなされた人くらいの
大量の寝汗をかいてめざめたのだ。

こんな寝汗は久しぶり。

ああああ
よいいちにちでした。
じゃあね。
おやすみ。

バタン
キュウゥゥゥ。



2004年02月17日(火) オカルティックナイト

夜スタジオで
6年ぶりの友だちにバッタリ。
シャンソンバーバイトのころの友だちで、
当時わたしがバンドをはじめたころ、
彼女も演劇をはじめて
いまでもお互いつづけているということが判明。

あれから6年もたっているのかと、
不思議な気持ちになった。

なにもかわっていないような
すごくかわったような。

今、
ちょんすけが
顎とか唇をつついて
皮をむくので、
唇が血だらけだ。
いたいよう。

唇が血だらけで、
オカルティックな夜になっちまった。

ときどきちょんすけが
王子様だったらどうしようかとおもう。

家でだらだらしている姿とか
せんたくものをためまくりとか
生ゴミだし忘れとか
まるみえだ。

しかも唇とか顎とかかみちぎられたら
たまらないよ。

どうかちょんすけが王子様ではなくて
ただの文鳥でありますように。



2004年02月16日(月) これであってるよね

友人宅で宿泊だったのだ。
うまいものがどっさり。

屋内バーベキュー風に
山芋とかしいたけたちが焼きあがる傍らで、
カッテージチーズをつくる。
ビールをのみながら、
とてもいいにおいがしてくる。
鶏のマーマレード焼きとか
庭でできた自家製濃厚梅酒とか
キムチとか。
ワインとか焼酎とか。

カラダは心についてくるものだなあ。
こんだけすてきなセッティングの中では
もう昨日の二日酔いなどふきとぶ勢い。

そこでみたビデオがすばらしかった。
滝マニアの友人の彼自身がとって編集した
滝ビデオなのだ!

ビデオ片手にひとりで滝をめぐり、
ビデオにむかって実況中継なのだ。
その滝に対する真摯な愛情とコーフンが
伝わってきて、
感動して笑いころげてしまった。

おもしろいなあ。

今朝は比叡山をながめながら
犬とお散歩をした。
視界がひろくて
雨あがりの空気がとてもいいにおいだった。

自分のやりたいことをしていくというのが
基本にあって、
それができる生活のスタイルを
とても微妙なところで調節して
実現しているひとたちに会ったとおもった。

自分の今の状況は
とてもちゅうぶらりんでもあり、
可能性にみちているようにもおもう。

心にそわない方向にはいきたくないけれど、
心にそうのがどういうカタチなのかわからない。
ただただ
いまここで、全身の感覚を鋭くして
いいにおいのする方向へ。

これであってるよね。
これであってるよね。

不安になったら、
空の方向にむかって
確認している。

ああ、そうだ。
次のアルバムは「かみさま」という
タイトルにしたんだよ。



2004年02月14日(土) 二日酔とココナッツミルクと猪肉

先日インド人のお店で入手した
大量のココナッツパウダーで、
ココナッツミルクプリンをつくってみた。
二日酔いのわりには上出来。

それからおひるねをして、
夜は職場の人にいただいた
猪の肉でボタン鍋。
二日酔なのでみその汁がうまい。

相棒はテレビに夢中。
わたしはずっと逃げていた仕事に
とうとうおいつめられて袋小路。

結局人間はひとつぶひとつぶであって、
どんなことがあろうとも
朝と夜は規則正しくやってきて
太陽のひかりはまぶしいものだ。

この日常生活のそらの上に
ゆるぎない宇宙があって
人間はこわれやすい
あいまいな存在で、
だけどわたしはわたしなのだと、
あらためて確認した
雨の夜だったのでした。

さて
ティッシュと戯れる
きょうのちょんすけ。



ゾンビ文鳥のわりには活発。



2004年02月09日(月) 東京にいっていたのです

ちょんすけをペットホテルにあずけて
東京にいってきた。

次のアルバムの営業で、
レコード屋さんまわりをして、
その合間に探していたマンガをかって、
つかれたーつかれたーといいながら、
珈琲をのんで、
夜は深く大切な人にすこしだけ会った。

宿は四千円で
いかにも四千円の感じがでていてよかった。
2畳ほどの個室で、
洗面所で歯をみがいていたら
知らないおじさんがドライヤーをかけながら
世間話をしてきたりする。

次の日はライブだった。
朝から競馬新聞を読む人だらけの
喫茶店にはいって、
モーニングをたべて
ライブのことばかり考えていた。
すっぱいグレープフルーツジュースもおかわりした。

ライブはたのしかった。
新しい人や古い人に
いっぱい会えて、
うれしかったのだけれど、
喋りたい言葉がありすぎて
結局なにもしゃべれなかったような気がする。

でも
自分の気持ちに正直にうごくことと、
あと、
おもしろいこととかたのしいことを
みんなと一緒に感じることは
いいことだとおもった。

いろんな気持ちをひきずりながら
深夜バスにのって、
今朝京都から家までの電車の窓から
朝日をみた。

たぶん今年はじめてみた朝日。
濃厚にとろけていて、
夕陽みたいな朝日だった。

ひとねむりとひとしごとのあと、
やっとちょんすけを迎えにいった。

ちょんすけにひさしぶりに会えて
わたしはうれしかったのだけれど、
ちょんすけは案外なんでもない風だった。

ちょんちょんいいながら
餌をたべたり水をのんだりしている。

よろこぶのがテレ臭い年頃なのだろうか?

毛がはえ変わる時期なので、
この数日で顔まわりの毛模様が変化して
すこし人相が悪くなっていた。

相棒がそれをみて
ゾンビ文鳥という。

ちょんすけは
ゾンビ文鳥なんだって。
ちょんすけ、
どうおもう?



2004年02月06日(金) 運転手さんと妻

タクシーにのって
きょうは寒いですねえ、といったら
運転手さんは、
洗濯物がかわかなかったという。

御自分で洗濯されるんですか?ときいたら、
妻が亡くなったもんで、
息子ふたりと家事をしているのだという。

たいへんですねえ、といったら、
妻がなくなったのは7年前だから、
もうなれたのだという。

2、3年はたいへんだったが、
今は息子ふたりを責任持って
成人させることなのだという。
手の焼ける息子だったが
今は家のことを
一緒にしてくれるのだという。

そのとき
亡くなった妻の気持ちに
おもいをはせた。
もしかしたら
妻は幸せだったのではないか。

自分がいなくなるよりも、
大切な人が自分の生活からいなくなるほうが
辛いような気がする。
どうなんだろう。

うーん。
こんなことを考えていたら
悲しくなってくるので
考えるのはやめることにする。

考えても考えなくても
生きていたら必ず
そういうことに
出会う時がくるだろうからね。

さてさて、
本秀康のマンガだが、
かなりツボだ。
なんどもよみかえして
大絶賛している。



2004年02月04日(水) サディスティック節分

ちょんすけとふたりの節分。

ちょんすけのつぶやきに
返事をしないように気をつけながら
東北東にむかって
太巻きをたべた。

ちょんすけは最近
堂々となくようになってきて
なんともたのもしい。

それから
なんとなく
レトルトのタイ汁ビーフンに
小松菜をいれたのをたべて、
お茶をがぶがぶのんだ。

それから
おなかパンパンになって
胃薬をのんだ。

隣の人がいたので
小声でまめまきをして
ちょんすけの籠にも
一緒にまめまきをしてあげた。

ちょんすけは
とんでくるまめに
驚いて
バタバタと
逃げまどっていた。

なんだか

すこしサディスティックな気分に
なってしまった。


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はたさとみ [MAIL]

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