へんな夢。
知らない家でわたしは とてもかっこいい兄と一緒にすんでいた。 わたしの仕事は グレーの服をきた幼児を1時間あずかって山にのぼる仕事。 1時間たつと同じくグレーの服をきた母親が 迎えにくるのだが、 何人もグレーの服を着た人がいるので、 どれがホンモノの母親かみわけることも仕事のひとつ。 毎回とてもどきどきする。
兄も時々わたしの仕事を手伝ってくれるが、 ほとんど自分の部屋で何か大事なことをしている。 兄が部屋にいる雰囲気を感じるだけでも 幸せになるくらい、 わたしは兄のことが好きなのだ。
あるひわたしはおならをした。 おならをして階段をおりたら、 兄が部屋からでてきて階段をおりてきたのだ。
まずいまずいまずいまずい!
大好きなお兄ちゃんにおならくさいって いわれたらどうしよう!
あせったわたしは クンクンとわざと鼻をならし、 「なんかさあ…おいもとリンゴを砂糖で炊いたやつの匂いしない? いい匂い。となりかなあ…」 とうまいことごまかしたのでした。
兄もクンクンやって何かいいだそうとした時に 目が覚めた。 ばれたかなあ。
そういえば もうそんな季節だ。 さつま芋とリンゴを砂糖で炊いたやつ、 あれ大好きだ。
いっておくがわたしには兄はいない。 女きょうだいだからね。
自分で考えて よいとおもったら これでよい。
辛い選択をした。
以前のわたしなら 違う方向にすすんでいたろうに。
自分で考えて 自分できめて 誰にもいわずに 心を鬼にした。
だれかにほめてほしいけど、 だれにもいわない。
わたしにとって たいせつなことは ぽっちりと かかえる。
えらいぞ わたし。 女前。
今夜は雷雨になるらしい。
仕事が重要な時期であったり、 映画をみにいったり、 おちゃがおいしかったり、 隙間の時間でゆっくり話をしたり、 アルバムの録音が佳境だったり、 会いたい人がいたり、 誰にもあいたくなかったり、 次のライブのことを考えたり たまった洗濯物をかたづけたり、 鼻うがいをかかさなかったり、 ゆっくり鍋でもしたいなあとおもったり 何が大切かわからなくなったり。
いろいろなレベルに、 いろいろなことがあって いろいろなことを考えすぎで。
もう なにも発信できないくらいに からっぽで ぺしゃんこです。
流れにさからわず サナギにモードになるつもり。
きょうねむって あしたおきたら いろんなものが 少しでも ちょうどよくなっていますように。
明日を迎えるのに 気合いが必要な日は、 人生の中で少ない方がいいとおもう。
ゆったりと 時間をなぞるみたいにして 生活できたらいいのにな。
そんな生活がいつかできるように、 気合いをいれて明日を迎える なんと矛盾した わたしの生活。
わたしは、 バンドをしているので、 音楽に詳しい人間がまわりにいる。
わたしにとっては 新鮮な音楽でも、 身近な人が、 “ああこれかあ…” というと、 新鮮さがうすれてしまう。
わたしは、 なににもとらわれずに、 自分のアンテナで、 自分の好きな音楽に出会えたらいいなあ。
やっとやっと そうおもったのだ。
情報として 音楽やミュージシャンのことを知るよりも、 自分のアンテナでひっかかった順番に 音楽にであっていきたい。
そうおもったら とても楽に自然な感じに なった気がする。
きのう買った2枚のCDのことは、 誰にも秘密にするつもり。
石垣島から小包みがきていた。 スタンプは八重山。 わたしのいったことのない しらないところからの小包み。
差出人の名前はしっているけれど、 おもいだせない。
ナンダロウ? ダレダロウ?
なかなかテープがはがれなくて もどかしい。
箱をあけると 黒糖のアンダギーと 貝殻とお手紙。
箱の中の遠くの島の空気が、 こちらの街の空気に 一瞬でとけてしまった。
そうだ。 春に東京でライブしたとき、 お話をした人だった。
その人は、 沖縄にすみたいとおもってる…。 といっていた。
そして、 実際に住みはじめたのだという うれしそうな文だった。
なんだかしらないけれど、 うれしいきもちになって、 きょうは、 髪をきりにいったり、 市役所でいろいろ手続きをしたり、 竹でできたCDラックを衝動買いしたり、 引っ越そうかな…なんて考えたり、 いろんなことを した。
きょうはイチニチ 遠くの島の音が 頭のなかでずっとなっていたよ。
ありがとう。
自分がつかっているプールのことは 肌で感じてしっている。
他人がつかっているプールのことは 想像しかできない。
実際に、 他人のプールにつかってみると、 想像していたのとまったく違ったりして、 びっくりするかもしれない。
あたたかそうにみえた水が とてもつめたかったり。 深そうにみえたのに、 案外浅かったり。
だけど、 他人のプールのことを いっぱい想像してしまう。 じっくり時間をかけて。
水の冷たさ、 感触、 深さ、 そこから見える景色、 プールの仲間。
所詮想像しかできないけれど、 自分がいるプール以外のプールがあることを 知っているのは いいことかもしれないねえ。 きっと、 もっともっとあるはずだ。 プールコレクション。
…そんな話を、 していたのでした。 あんかけものを食べながら。 紹興酒をのみながら。 鼻炎を気にしながら。 便秘も気にしながら。
さて、 今夜は冷え込むらしい。 ピリっとしている朝は好きだ。
最近はいつも 夜おなかいっぱいで、 朝はねむい。
早起きは2日で挫折。
きょうのこころの食物は、 アナゴの煮たやつ。 舌にとろけてのどの奥でくっと香るうまさ。
職場の上のひとたちとの飲み会で、 絶対絶対絶対ひとりではいかないような、 高そうなお寿司やさんに つれていってもらったのだ。
もううまくてうまくて仕方がなかった。 だからおなかいっぱい。
ねるまえは 今日の寿司ネタをおもいうかべつつ ねむるつもり。
明日はいやでも早起き。 仕事だからね。
おやすみ。
きのうは早起きして山にのぼった。 青空とすすきの原に、 感嘆のため息をつきつつ、 この勢いで、 きょうも早起きに挑戦。
朝好きへ向かって邁進中なのだ。
早起きして、 近所の河原までお散歩。
ここに住んでもう2年だが、 生まれてはじめて 朝の河原にきたことに気づく。
散歩中の犬。 水の音。 鴨としらさぎ。 朝露にぬれたはっぱ。 川面にはねかえる陽光。 バケツもって立ち話するおやじさん。 日常の色にまだそまっていない空気。
朝の妖怪はどこにいるのか。
秋の野の花をたくさんみつけたので、 ねぐら用につんでかえってきた。
青、うす紫、白、うすピンク、きいろ。 ガラス瓶にさして 洗濯物を干す。
今日はテーブルの上に瓶をおいて、 おいしいもん作ってたべよう。
きもちいいねえ!
わたしは夜好きだ。
夜ねるまえのふとんの中とか。 真夜中に何かに熱中してしまって あっというまに時間がすぎてしまう感覚とか。 ゆっくりお酒をのんでいる時間とか。 自転車ではしるひんやりした空気とか。 夜が好きだ。
最近、朝がきらいなのだ。 もっとねむっていたいのに、 夢のつづきが気になるのに、 起きなければならない朝の なんと不快なことよ。
朝好きな感覚はわかる。 オハヨウ!と大きな声がでる感覚。 山登りの日や旅の中の朝。 めがさめてわくわくする。 あの感覚。
あの感覚の朝が毎日つづいたら わたしは幸せなのではないだろうかと考えた。 日常生活の中で 夜より朝がすきになりたい。
さしあたっての目標は、 朝好き。
そのためには、 おそらく、 好奇心を刺激する 楽しいまいにちが必要なのだ。
めざせ朝好き。
2003年10月14日(火) |
我々の世界はちっちゃい |
あめふり。 仕事がいそがしくて、 頭の中がカエルの合唱みたいだ。
おそい夕飯をたべに、 大好きなカレーやさんにいった。 すこしほっとして 大切なともだちに手紙をかいた。
そう。 きのうだったかな。 相棒と夢の話をしていたのだ。 そうしたら、 相棒が 夢と夢の間のぼんやりの中で気がついたことを話しだした。
“死ぬということは、無限の可能性にかえること。 生きるっていうのは、 無限の可能性の中から、 たったひとつを選択して生きているということ。 夢っていうのは、 無限の可能性の一部を みせてくれるものなのかもしれない!”
そう気づいたらしい。
ナルホド。
そうおもったら、 ちっちゃいよな。 わたしの生きている世界。
それを忘れないように まいにちをおくらないと いかんなあ…。
などとおもっている 肌寒い秋の夜でした。
おやすみ。
最近たくさん夢をみる。
印象的な夢を見る時は、 人生において ちょっと変化の時期だったり、 なやましげな時期だったり。
白い犬がでてくる夢をみた。 ふわふわしていて、 目がきれいでやさしくて、 まあまあおおきな犬。
その犬と一緒にいたら、 わたしは幸せになれると感じる。
明るい4人家族が、その犬と一緒に 雪の斜面をソリですべって遊んでいるのを、 うらやましいなあとおもいながら ながめていた。
ただそれだけ。
愛情とか幸せとか人生だとか、 ナンダロウナンダロウ と考える。 なんにもわかんないまま 毎日がすすんでいる。
その中で 何にも逆らわず あせらず 無理せず、 自然の流れに身を任せて、 わたしは いきていけたらいいなあとおもう。
そして ふと 道ばたであの白い犬に 出会えたらいいのになあ。
幼馴染みの結婚式。
父も母も留守中の 誰もいない実家に帰っていたのだ。 でもつつじヶ丘ともだちが あそびにきてくれたり とまってくれたりしたので 淋しくなかった。
わたしは、 つつじか丘という小さなエリアで育った。 小学校も中学校も わたしたちだけがバス通学という山の上。 同学年が7人くらいいて、 独特の文化があった。
今わたしが うたをつくったり うたったりしているのに、 その文化の影響は おおきかったのだろうなとおもう。
とってもとっても 久々に みんなにあったのだけれど。 一緒にいる感覚は かわっていなくて。 みんな濃くて おかしくてやさしくて いっぱい笑った。
結婚する彼女は わたしたちのアルバムジャケットを かいてくれている 絵かきのともだち。
さみしいような うれしいような 昔となにもかわらないような ずいぶんと変わってしまっているような。 なんだか不思議な感じ。
式はアットホームなあたたかな式で、 つつじ仲間では トイレットペーパーの芯とかで作った カズーで演奏したり うたをうたったりした。
二次会はメロメロポッチという濃いお店で、 たくさんたべたりのんだり うたったりはしゃいだり すこしさみしくなったり 大笑いしたり した。
夢のような夜。 竜宮城はきっとあんな感じなんだろう。
いいなあ あんな竜宮城みたいな結婚式なら、 わたしも結婚式してーなあ。 毎日毎日結婚式してーなあ。 毎日毎日毎日毎日 結婚式。
そんな人生はちょっとつかれるかも。
近所の公園で おとうさんが娘に さかあがりをおしえていた。
ひざをまげて ひざをまげて くるっと!
なかなかうまくいかない。
わたしは 小学生の頃は 鉄棒得意少女だったのだけれど。 今も さかあがり できるだろうか?
手とか足とか お腹とか脳みそとか からだのすみずみ いたるところが 訛っているような気がする。
あの頃と同じことを 同じ鋭さで感じることが できるだろうか?
生きていくのに 楽なもののみかたを 身につけていくにつれて なにか大切なものを 表面にでてこないように 奥の方に おいやってしまった気がする。
それが いいのか わるいのか 気のせいなのか 考える必要がないのか
きょうは はながじゅるじゅるつまるし 耳がきこえにくい。
はやくねましょう。
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