あなたが云うのか

 プールに入るとき、当然ながら私は裸眼なので、ほとんどものが見えません。
 おぼろげなシルエットを頼りにしています。普段眠る直前までコンタクトや眼鏡を手放さないので、本来の視力が如何に覚束ないかということ改めて思い知らされずにはいられない。
 それでなくてもみなさんラに近い姿ですよね。私もですけれど。
 どこを注視していいものやら、いつも困る。なにも注視できるわけがないのだけれど。
 普段から「どこを見ているのか」「なにを見ているのか」とよく聞かれる。なにかを見ているように見えたとしても、ジッサイなにかが見えているとは限らないのにね。



 たまに私がぐだぐだと考えていたことを一笑に付す言い方をされることがあります。
 「あんた、ほとんど日本人じゃん」
 だれよりも自分自身が囚われていたと知ると同時に無性に腹がたつ。
 逃れたいと、なんでもないのだと、祈るように思っていたものに、私自身こそが最も囚われている。知っていた。けれど知られたくなくて、いつも私はなんでもないふりをしていたのだ。
 どうしようもない不信、それと憐憫に近い愛情、愛着。
 なんでもないのだと、自らに言い聞かせていた。捨てられないのなら捨てられないと諦めるほかないのだと。
 あなたが云うのか、それを。不信と思慕と、そのはざまで揺らいできた長い時間を知らずに、日本人であるあなたが、私が「日本人と変わらない」と。
 「そうね」と私はこみ上げる怒りをこらえて応える。
 わかるわけがないのだ。私に日本人がわからないように。
 「日本人」。
 私は羨ましく、好ましく、憧れながら心底ねたましいと思う。

 が、まあ。
 逡巡すらしない一部の「同胞」や、私自身への憎悪と殺意に比べれば、のんきでかわいいぐだぐだだと、最近は思ったりもする。
2007年10月30日(火)

私は私を殺したい、けれど

 酒を飲んで私は、指が動かなくなる。
 腕が動かなくなる。
 歩みが歪な曲線を描く。
 へらへらと、常ならば口にしないことばを言ってみようか、といういたずら心が首をもたげる(そしてたいてい失敗する)。
 それでも八割がた、心に納める。
 ゆらゆらと左右に揺らぎながら、或る人間を殺すことを考える。
 知られてもいい。罰せられてもいい。なぜなら殺したい人間はただひとり、私だからだ。
 どう殺そうか。最も痛く、生きていたと思える方法。
 でも他人に迷惑をかけない方法。
 できることなら、痛みの後に骨まで溶けて跡形もなく消えてしまいたいけれどね。



 こどものころ、休みの日には父親の病室を尋ねた。
 父はなにも言わず、眼だけを動かし私たちを見た。
 洗面器が常備されていた。吐血するときのためのものだ。
 母は何度も、「楽に死なせてください」と医者に懇願した。「これ以上生きられないのなら、せめて痛みのない死を」と。拒否した医師を、彼女はいまでも強く恨んでいる。
 彼は、生きたかっただろうか。父は。
 「もう長くないから覚悟して」と言われたときから、三年、生きた。
 そのはなしを級友H氏に話したら、「ばかやろう、おれの親父は三年といわれて三ヶ月で死んだ」と言われた。
 その差がなんだというのだろう。
 「どっちも大変だよね、オモニがさ」と私は言った。
 「そうだよな」と彼は言った。
 苦しみぬいた、父親の姿。
 黄疸。こけた頬。いまも思い出す。
 それを見たくなくて、私は口実を見つけてはM氏の病室を尋ねなかった。
 彼の死を確信しながら、遠い過去のことだった父の死を重ね合わせ、怖れた。
 死ではなく、痛みを。
 彼が感じているだろう恐怖を。

 私は恐怖を感じて死にたい。これ以上ないという痛みを経験して。
 父に母が、H氏の父上にそのアネ(奥さん)が、M氏に両親がいたように、私は誰にも「かわいそうに」と、「痛かろうに」と思われず、痛みを、恐怖を甘受して、それで誰の記憶にも残らないで。
 私は私を殺したい、けれど。


 「あっちにいったら瞬時に忘れてやる」と云われ、少し嬉しかった。
 忘れられることこそ望み。
 けれど私はあなたに忘れられたくないと思ったのだ。
2007年10月29日(月)

耐え難くおしょしい。

 許さないとか許せない、とか、具体的にはどういう行動をとることをいうのだろう。
 許す、は多分現状維持だろうし。

 わたしは自分が耐え難い。
 耐えられない、といつも思うけれど。
 具体的にどういう行動をとれば「耐えない」ことになるのか。

 わたしがわたし自身を「耐えられない」と思うのは、無駄に高いプライドからくるのかも知れない。
 プライド…誇り?
 誇れるものなどなにひとつない。逆さに振っても出てきやしない。
 なのになにゆえ耐え難い。
 わたしはわたし自身が心底耐え難くおしょしい。
 忸怩たる思いを抱えて生きていくことが「耐える」→現状維持、ならば、「耐え難い」は、どうしたらいいのだろう。現状維持がいやなら。

 殺したいくらい、わたしは自分が嫌いだ。
 「生きていたくない」とか「疲れた」のでなく、自分を殺したい。いなくしてしまいたい。こんな人間。いらない。


 わたしは、あなたがわたしを世界につなぎとめているのだと思っていた。
 違う。
 わたしはまだ、少しあなたを見ていたいような気がして、それを口実にまだここにいる。
 あなたや、わたしをつなぎとめていると思うものたちはすべてわたしの妄想で、いつもわたしはフリーで。いつもどこへでも行ける。いつでもどこへでも行こう。憎悪するわたし自身を見なくて済むところへ。
 けど、その先が怖くて。
 いまよりましだとは思うけれど、やはり少し怖くて。
 世界に不満は(あまり)なく、ただわたしはわたし自身が耐えがたく苦手だし嫌いだし、わたし自身だからこそ逃れられなくて憎いと思う。
2007年10月24日(水)

メイテイノテイ / チドリアシ

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