仙台駅で四時間足止めを食う、の巻

 踏切事故で電車ストップ。
 仙台駅で四時間足止めを食う。
 死に方を選ぶとしたら電車はやめよう。めいわくだから。
 電車は好きだしね。
 怪我人はいなかったようで、なにより。
 でもめいわく。


 疲れたけれど、待つのは苦痛ではない。
 家路を急ぐ理由もなし(早く帰宅したところで酒が飲みたくなるだけなのだ)、白石や福島までは新幹線を使えたらしいけれど、そこまで行かない私は待つほかなく。四時間本を読んで過ごしました。


 高井信「ショートショートの世界」(集英社新書)。
 そういえば、まだ黒く長い民族衣装を着ていた遠い過去、好んで読んだ。
 阿刀田高、眉村卓、あとはブラッドベリなんかをね。
 熱心な読者ではありませんでしたが、好きでした。面白かった、といういい印象が残っている。
 仕事を辞めて長編をよむ気力がなくなったとき、モト氏(結婚おめでとう!)が星新一を薦めてくれたけど、ずっとあとになって、それが子供の頃面白く読んだ「ボッコちゃん」の作家だと気付いた。遅いよ、気付くのが。「ショートショートの神様」とまで呼ばれるひとだそうじゃないか。


 備忘録のようなメモに、読みたいと思った本の書名と作家、出版社までは書くのだけれど、読まずに放置していたら膨大になってしまい、いまではなにから手をつけてよいやら。とりあえず図書館にあるものから、と思っていますが。
 そうそう、モーパッサンの短い小説をいつか読んだことがあった。好きだと思った。いま読んだなら、どう感じるだろうか。

 この本のおかげで読みたい本リストがまた増えた。
2007年09月20日(木)

とにかくちょっと眠ろう

 暫くお芝居を観ていないなァ、と思いつき、11月に契約期間が満了した暁には、なにか、スペシャルに思えるものを観るなり聴くなりし(に上京し)たいなァ、或いは仙台でも(誰か誘ってクダサイ)…と考えていたところ、課長から契約更新をほのめかされた。
 よほどマンパワーが不足していると見た。気の毒に。
 私がツカえる社会人だということにしてもいいけれど。

 まいにち、私は割と必死で、そして多分、その必死さや、或いはただ単に必死に費やした時間を惜しみ、それに見合う手応えだとか、なんだかそこらへんの見返りを欲しはじめた。迷いはしないが惑う。
 仕事って、他人に求められて初めて仕事たりえると思うのね。ゼニカネの問題ではなく。いやー、まァ、ゼニカネは重要だ。手応えとかそこらへんの見返りに含まれる。ゼニカネじゃねえが、ゼニカネじゃなくもねえな。自分がゼニカネをそんなに重要視していないのは前回の経験で自覚したはずだけど、どうにも惑う。お断りする方向で考えていますが。




 私の前を紗幕越しにものごとが通り過ぎる。
 あらゆるものは等しく価値がなく意味がない。
 なにより私自身が。
 私でなければ、きっと、価値や意味を見出せてもらえたのに。だれかにね。
 だから私は「もったいない」と思う。だれかが「もったいない」と云う想像をして。
 たぶん心底もったいなく思っているのではない。よく口にすると指摘されるけれど。
 そんな想像や感傷すらどうでもいい。
 価値も意味もなく、留まらず霧散する。

 私こそが。要らない。
 世界の紗幕越し、留まらず通り、朽ちて霧散するように消滅…しよう、したい、するべきだ…うーん…。
 マ、それほどのものでもないな。
 己の身をいかにか処する気もおきないほど倦んでいるのか、と考えてみるけれど、その考えもまたどうでもいい。
 要らないけど、捨てられないわけではないけど、わざわざ捨てるために心をかけるほどのものでもない。要するにめんどくさい。

 とにかくちょっと、そう、ちょっと、眠ろう。眠れていない。眠りたい。
2007年09月19日(水)

私は私を取り戻したい

 薬を飲んだ?
 うん、飲んだよ。指示どおり、三種類、二錠ずつ。
 くちが苦くなってきたらお布団に入ろうね。苦くなってきた?
 ン〜?まだだなあ。
 あれ?おかしいな、飲み忘れたかな?
 飲んだと思ったけど…そうかも。

 毎晩自問自答し、指差し確認。
 でもそれが、今夜のことだったか昨夜だったか、思い出せないことも多い。


 私の話すことの二割は、目覚まし時計やパジャマのことだと小浜が云った。
 それは私が毎日の三割くらい、眠れるようにと願う時間に費やすから。
 実際眠れなくてもいいんだけれど、眠い、というのがつらいし危険だから、やはり夜、眠るべき時間に眠りたい。できれば健やかに。
 パジャマを替えてみて、アラームの音も変えてみて、やわらかいけど適度な抵抗のある枕、それから小浜からもらった柔軟材の匂いのするくまの抱き枕――私はそれに「クマンタレブー」と名付けた――があれば、眠った記憶はなくても、覚醒したときにに少しは気分がいいような気がして、せいぜい整える。




 もっと多くを望んでいい、とか、もっと欲張っていい、と、ほんとうによく言われます。
 やさしいことばを云うひとが、常に応えてくれるかはまた別問題だし、望んだとおりに応えてもらうこと、或いは大いに欲張っては叶えられなくて勝手に落胆したりすることを自らが由とするかも、また別問題。
 だけどねー。
 なにも望まないふりをして、おこぼれを期待する自分がいちばん浅ましいと思う。



 私は変わった、だろうか。
 だとしたいつから、どこからが本来の私だろうか。変わる前の私だろうか。
 戻ったほうがいいのか。もっと変わっていけばいいのか。
 ただいづくて、抜け出したいとは思う。
 でも、いづいと感じなかったことなんて、かつてなかったじゃないか。
 過去は、いまよりはもっとずっと楽だったとは思うけれど、いづくなくは決してなかった(きみの傍でうとうとと眠るあの時間は別にしてネ)。
 いづかった。いつも。
 それでも。
 それでもだ。
 それでも私は私を取り戻したい。
 取り戻すべき自分のかたちすらわからないけれど。
 いづくない自分へ。




 平泳ぎをしていると、時折右股関節がひどく痛む。
 図書館で読んだ岩崎恭子の本には、クロールなどと違いプルよりキックで得る推進力がより大きい平泳ぎでは、蹴りそこなうと亜脱臼することもあると書いてあった。
 どうだ。図書館で水泳の本を探す私のまじめさったら。
2007年09月10日(月)

フィートウ来たりて

 台風9号フィートウ来たりて早寝早起き。
 ゆっくりと北上してきたので二日も早起きするはめになったのでした。
 思ったより宮城県の被害が大きくなかったことに安堵する。


 このところ酒量が増えて、とこれまで書いてきた以上に、このところ酒量が増えている。
 アルコホル中毒まっしぐら。
 パスカル曰く、あらゆる人間にとっての不幸は、部屋にひとりでいられないことだとかなんとか(例によってうろ覚え)。
 ひとりならひとりなりに楽しめる。
 ひとりも、自室も、夜も、そういづいものではない。
 ただ、そうして過ごすひとりの夜にアルコホルがなく、またアルコホルがないと気付き、アルコホルなしにひとり、夜を過ごすことは怖い。
 それを怖いと感じる自分が、怖い。
 アルコホル中毒まっしぐら。
 うん…自覚しています。

 減らす!
 だれかに云われても云われなくても、意志を確り持って、飲まない、買わない、と選択し、それを実行する。




 

 ルチアーノ・パヴァロッティ死去。
 私の如き似非クラヲタ…にもなりきれぬただのファン(声楽ちんぷんかんぷん)をしてその名を知るくらいだから、大変な活躍をなさった方だったのでしょう。
 きっれーな高い声、もそうだけど、抑揚というかカツゼツというか、声の芝居?それって要は表現力というやつなのかなあ。そういうのが印象的だったように思います。
 まあ、よくわかんないですけどね。似非だし。
 いろいろ、たくさん、よく、聴いていきたい。
 まあ、音楽に限ったことではないけれど。


 さて、音源については各CD屋さんの追悼コーナーに期待するとして、パヴァロッティ関連書籍。

 「王様と私―友人、時には敵そしてマネージャーだった私が栄光の王座に就いたパヴァロッティの私生活を修正なしで公開する」(ハーバート・ブレスリン、アン・ミジェット/集英社)

が、面白かった。
 オビにつけられたコピーの如き長い長い副題から得られる印象は「暴露本」という感じだけれど、それほどではない。寧ろ敏腕マネージャーの奮闘記、といった感じですね。
 クラシックショービズ界(?)が垣間見えてたのし。
2007年09月07日(金)

メイテイノテイ / チドリアシ

My追加 エンピツユニオン
本棚