これもまた自己愛

 今年一月から始まった仕事は所謂テレオペというやつで、まいにちしゃべり通しです。
 繁忙期は過ぎたので最近は残業が減りましたが、ほんとうにまいにち疲労困憊です。
 ひとたび仕事を離れると、ひどく厭世的な気持ちになります。
 まー大変じゃないお仕事なんてないし、覚悟して受けたお仕事なのでそれはいいけれど。
 精神的な疲労より、忙しい日は舌が回らなくなることも多いわけで、できればしゃべりたくないというか、できれば誰にも会いたくないというか、とにかく億劫になりますが、しかしそうはいっていられない。

 がんばって話します。
 でも億劫で。
 意見の対立や齟齬を埋めるための説明や説得が心底億劫で。
 うんうん、と頷いてしまうんですよね。
 そしてとりわけ話したくもない当たり障りのない話しをしてみる。
 それすらも結構必死で。
 疲労を理由に、角が立たないように、うんうん頷いて丸く治めようとするのは、相手に失礼な気がするというか、フェアなんだろうかと悩みます。
 ワタシが自分の感情を隠して、疲れていることを疲れているとも言わず、違うと思っても否定せず、ただ緩衝材のおしゃべりを結構必死で話している、それ自体は悪いとは思わない。
 取り繕うのに飽きてきたとか疲れたとか、そういうんでもないです。
 我慢も努力も必要だし厭わないけど、別にその報いがほしいわけじゃないけど、そればかりではフェアじゃない、小手先でごまかしているような気がして。

 毎回ではないけれど、だから話す。或いは話さない。
 それでだめになる関係なら、相手はワタシ自身のことばを求めているわけではなく、ただうんうん頷いて耳に優しいことばだけを話す存在がほしいだけなのかと思って。
 したっけ別にワタシでなくていーんじゃん?と思います。
 ワタシにとってはそうでなくても、なんというか、仕方ない。
 ワタシはワタシでしかいられないし、相手にはいつも真摯でありたい。
 まー真摯でありたいってのはエゴだけどさ。
 でも変えられないので相手がノンメルシーなら仕方ない。うざいなら仕方ない。
 悲しいけれど、しかたない。
 それでも真摯でありたい、ごまかしたくないと思ってしまう。
 つまり、そうでないとワタシこそがしんどいという、これもまた自己愛。
2008年11月10日(月)

おでんにマヨネーズ

 おでんを食す際にマヨネーズをつけるのは、ワタシと妹にとってはスタンダードなのですが、よく考えてみると周囲にそういった人間はいない。母親ですらキモチワルイという。
 ならばこの習慣はどこからだろうと考え、思い至ったのは民族学校の食堂。
 思い出す限り、学生が勝手に使える調味料といえば、しょうゆ、ソース、マヨネーズ、ケチャップ、おろしにんにくとコチュジャン、ヤンニョンジャン。
 ハンバーグすらなにもかかっていなかったので、ある調味料をさまざまな取り合わせで混ぜたりしながら各自作成していました。
 おでんにマヨネーズというのも、たぶんそこで身についた風習だったように思うのですが、どうだろう。いつかだれかに聞いてみたい。
 ゴマ油とにんにくとゴマと、たぶんコチュジャンが入った納豆を、懐かしく思い出す。あれ食べたいなァ。うちで作ってもなんか味違うんだよなァ。



 サテ、お久しぶりです。生きています。
 病院はぼちぼち。
 水泳は股関節痛が深刻化したので、病院通いの間はお休みです。せっかくかなりゆっくりとはいえ25mを四泳法で泳げるようになったので残念ですが、少し張り切るとほんとうに歩けない、というより、運転の際にアクセルすら踏めないくらい痛むので。
 お仕事は…これもぼちぼち。
 ほんとうに深刻に大変な職場ですが、ワタシの属するチームは大変であるがユエの連帯感がヒジョーに強いので、なんとかがんばれています。
 あと、まー変わったことといえば、いまだかつてないくらい日々の酒量が増えています。1週間程度やめたみたところ、日中も酒のことばかり考えるというキケンな状態に陥りましたので、キッパリ辞めるよりは徐々に減らす方向で。
 もともと強いほうではないので、着実に減っています。ほんとだよ。
 生きています。
 なんで生きているんだろうなァ、ワタシは。
2008年11月02日(日)

メイテイノテイ / チドリアシ

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