眠れても眠れなくても

 「無駄なことなんてない」って言われて。
 そのことばにどれだけ慰められて、励まされたか。
 あなたは知っているだろうか。
 いつも布団のなかで反芻しては、眠れても眠れなくても、朝がきたらがんばろうと思える。




 私がダメなのは私自身が一番よく知っているし、最も自己嫌悪するところ。
 卑屈にへらへら笑ってみせるけど、ほんとうはこんな自分にうんざりしている。

 「ガムシャラ」とはこのこと、とばかりに働いていた9年を、そしてこの1年を、なかったことにするような、無駄だったみたいな、そんな言い方をされることがある。
 すごく悔しくて、悲しい。
 どんな思いをしたかなんて、不幸自慢の如く語るつもりもないし。
 わかってもらおう、なんて思わない。
 本人にしかやっぱりわからない。
 「他人の痛みがわかる」なんてことば、嘘だ。
 やっぱり、わからない。
 私にも他人の痛みなんて、わからない。
 わかるはずがない。
 わかるはずがないと知った上で、想像してみることしかできない。
 きっとみんな、そうなんだと思うんだけれど。
 なのに、どうしてあんなにやさしいことばを言えるんだろう。
 欲しかったことば、どうしてわかるの?

 私、やっぱりちょっと、あなたみたいになりたいなあ。


 今夜もきっと反芻する。
 眠れても眠れなくても、朝がきたらがんばろうと思う。
2006年05月03日(水)

へなちょこコミュニケーション

 もともとことばを多く持つほうじゃないし。
 その上それをアウトプットする効率も悪い。
 だけれど。
 のどまで出かけたことばを飲み込むことが、このごろ増えたように思う。
 というか。
 これも特技である「諦め」の行動パターンかも知れない、などと。
 齟齬があったり理不尽(と自分には思える)ことばを投げつけられても、「言っても無駄だな」とか、「収拾つけるの面倒だな」とか。
 だったら自分が黙っときゃいいか、と諦めてしまうのかも知れない。


 ワタシは電話もメールも苦手で、コミュニケーション能力に乏しいと自覚していますが、まだマシなのは直接会って話すとき。
 それでもやっぱり多くことばを持たないし、アウトプットする効率が悪いから、沈黙してしまうことが多いのです。
 だから沈黙を誤解しない人間の傍は落ち着く。
 でもだね。
 飲み込んでいることも、多少はあるです。
 相手を慮ってそうすることもあれば、面倒だからそうすることもあるわけですが。
 ちょっとは気づけよ、とか思ってしまったりも、まあ、時には。
 勝手なもんです。イヤになる。


 あー。
 ビジネスの場では別ですよ、もちろん。
 言うべきことは言うし、怒るべきときは(腹を立ててなくても)怒るし。
 とことん話し合います。というか話し合うべきときは譲りません。
 でもなして私生活ではこんなにへなちょこなんだべか。
 覇気が足りんのか。んーむ。
2006年05月02日(火)

メイテイノテイ / チドリアシ

My追加 エンピツユニオン
本棚