相変わらずのテイタラク

 「勝ち逃げ」を宣言した舌の根も乾かぬうちに、日曜は妹に付き合って某パチンコ屋へ。
 またもやCR大ヤマト2で7連荘+16連荘。またチャンスボタン連打しちゃったヨ…。またオズマに「まだまだあっ」と云われてしまったヨ…。またセピア色の哀愁漂うエンディングを見てしまったヨ…。そしてまた周囲の視線が痛かったヨ…(特に2000回は回していた両脇)。というわけで100K勝ち(換金率って店によってだいぶ違うのネ)。
 ボーガはなかなか楽しかったように思いますが(ボーガ中のことはあまり覚えとらん)、二日でほぼ給料一ヶ月分に相当する収入を得たというのに買いたいもののひとつも思い浮かばないというヘナチョコなおいらでした。
 一生の運をこんなところで浪費しているような気がして、やはり虚しかったりもします。失業中の妹(この日惨敗)にお小遣いをあげて、あとは取り敢えず貯金しておこう…。



 また月曜です。
 一週間は早い。長いが早い。月末、そして年末。あわわわ。
 特に日曜は睡眠薬を規定量以上に飲んでも(アルコホルなし)一睡もできないという相変わらずのテイタラク。割と効くような気がしていたアモバン錠はもうない(元々処方が少なかった)。次の通院まであと一週間。眠れずに過ごす時間に苦痛はないけれど、ただ社会生活(なによりも仕事)を営むにあたって、昼間に眠いのは困るわけで(でも眠いとその分憂鬱は和らぐような気もします)、土曜とまでは云わないからせめて日曜は休みたい。そのためにも平日は頑張りたい。ならば眠るべき。眠りたい。
 でも眠れない。
 眠る努力って、ほかにどうしたらいいのだろう。
 最終手段は高校時代義務的に読まされていたとはいえ授業中でも7割の確率で眠れた「金日成回顧録」(オールナイトニッポンが原因の一端を担っていたことは疑い様がないけれど)。コレがまだうちの書庫(物置)にあったこと事態驚きなのですが…問題はあの本の持つ独特のスメル、それ以上に朝鮮語(内容はどうでもいい)。使わない知識はやはり溶暗してゆくだけで、ハンマルはともかくハングルの解読は苦痛になりつつあります。
 ま、読むこと事態が目的じゃないからいっか。
2004年11月29日(月)

勝ち逃げ

 平日のおいらは今のところ、「できる」でも「したい」でも「しよう」でもなく「しなきゃ」だけに突き動かされている、とそんな感じ。目がグルグル回るのは病気の所為か薬の副作用なのか、それとも単なる忙しさからくるものなのだろうか。そんな知識も私にはありません。もう少し病気についてオベンキョするべきなのだろうか…。でもヤダ。大変な病気であるとか、治りづらいとか、長期療養が必要とか書かれていたらヘコみます。ヘコむ要素には事欠かなく、そうでなくてもヘロヘロなのに、もそっと私をポジティブシンキングに追いやるベクトルを得たいものです。そのためには逃避もケッコウ、と思うわけでして。


 「も、限界」と云って無理矢理得た休日だというのに、折り良く通りかかった某パチンコ店の新台入れ替えに並んで(整理券をもらうのは初めて)、別に「したい」わけでもなく、「しなきゃ」ではないことを求めての衝動的、というよりは単なる思いつきからの行動なのですが、新台でもないCR大ヤマト2で16連荘。てなわけで三時間強で100K勝ち。
 全然関係ないけど私は松本零士先生から「キャプテンハーロック」コミックス一巻にサインもらったことアリ。しかもハーロックのイラスト付きダ!ありがとう松本先生。
 ま、これはいわゆるビギナーズラックというやつですね。しかしパチンコ…虚しいな。球が落ちるのを見守るのは虚しい。といったら同時に並んで隣に座りながら60Kは軽く負けていたオニイサンに失礼ですか。それにしても周囲の視線が痛かった…。それでも5連荘あたりからはもうボーガというよりはムガに近い感覚で、それはそれで楽しかったように思います。
 しかしいま私が欲しいのは、自分や家族の健康とか、時間的、精神的な余裕とか、ナカナカ降りてこない「しよう」であるとか、ま、あとは昼間に共有PCでアダルトサイトを見ない上司とか、ま、そういったものだったりするわけなのですが、それらは斯様なハシタ金で買えるものではなく、やはり虚しいものですね。
 とはいえ、負けていたら更なる虚無に苛まれるだろうことは必至、というわけでもうしません。勝ち逃げ。
 サテ、明日は仕事です。眠れるだろうか。
2004年11月27日(土)

In my room

 このところマメに更新しているのは、単に他にすることが見つからないからです。
 楽しかった私の部屋。大好きなものたちで(足の踏み場もないほどに)埋め尽くされた、どこよりも安心できるはずのこの混沌とした空間で、すべきことはもとより、したいことすら見出せずにいます。
 現在の私を形成してきたすべてのものたち。物質。物質。物質。それらに対してかつて持っていた愛憎半ばの執着が、いまは薄れてきているように思います。ああ、その執着は、物質そのものに対するものではなかったかも知れなかったけれど。
 否、「できる」と「したい」に加えて「しよう」がなければ、「する」にはやはり至らないと、単にそれだけの話なのかも知れません。いまはその「しよう」がナカナカこの身に降りこないというだけで(エ?単なるものぐさ?)。

 無為に時間を過ごすことに焦り、ダラダラ飲んだくれながらダラダラ文章を書き殴り、「外」仕様に多少変換したそれをWEB日記として公開する、と。ヒトサマにお見せするにはエンターテイメント性に欠けたものですが、しかしこの作業はナカナカ楽しいような気がしますヨ。とりあえずは「しよう」という気になっているもの。


 最近思うのは、私が真に欲しているのは「ボーガ」ではなく「ムガ」なのかも知れないということ。そうでなくてどうして自ら望んで得た「ボーガ」、その果てに訪れる虚無を恐怖するというのだろう。
 しかし「ムガ」…「ボーガ」よりはるかに、そこに至る道は険しそうだ。


 サテ、栓のない現実逃避(というより自己逃避か)は終了。明日はゴトウ日です。
 ほどよく薬も効いてきた感じだし、ほい、寝っぺし。
2004年11月24日(水)

夢を見た

 お気に入りの白いパンツスーツを、経血で穢す夢を見た。
 たまに見るとこんな夢ばかり。
 泣きながら覚醒すると、アモバンの苦い味が口中に広がっている。
 夢で見たスーツ、あれは18のときに買ったやつだ。いまはもうない。


 他人の見た夢の話ほどツマランものはないですネ。
 けれど何かを暗示しているようで、一日中気にかかっていたのです。
 今年見たシティボーイズライブの、「私の中の私」を思い出しました。
 表層意識の「私」と自律神経と潜在意識がグルグルまわっている話。




 弱音を吐きたくない。
 愚痴も泣き言も云いたくはない。
 そういう自分をたぶん、自分は許せない。自己嫌悪、するだろう。

 しかし斯様な自己嫌悪は実は矜持からくるもので、私は単にプライドが高いだけなのかも知れません。
 本来の自分はそうじゃないと信じたいのに、書いたらそれが確定しそうな気がして怖いのかも知れません。
 それでもグダグダでメロメロでヘナヘナな自分はやっぱりイヤだよ。
2004年11月23日(火)

がんばろう。

 伊丹十三DVDコレクション発売だそうな。やっべえ。
 一作ずつ買うよりずっとお徳だし、全部欲しいなァ。
 伊丹十三フォーエバー(先日の日記はいずこへ)。




 金曜は早退して病院へ。
 とりあえずヘナチョコ自律神経の悪口を云ってみる。前回増やした薬は、一日二回に分けて飲むことになった。めんどくせえ。睡眠薬強化に伴いアルコホルとのバランスも相談。大量に飲まなければ心配はいらないそうです。や、まあ、弱いから飲もうと思ってもそんなに飲めないンだけど。アルコホルは当分やめられそうにないしなあ。スパッとやめられそうな気もするけれど(事実半年前までは断酒していたし)、やめたほうがいいのかそうでないのか、やめたいのかやめたくないのか自分でももうよくわからん。…たぶんやめたくないのだ。
 快方に向かっているのかいないのか。
 治したい。がんばる。うん。がんばろう。



 通院のことを、いつまでも母上に黙っているわけにはいかないのですが、伝え方を間違うと会社に妙なクレームとか入れかねないから恐ろしい(そういうヒトなンです)。とにかくそういう事態だけは避けたい。
 私もう27ヨ?ビョーキになったのが仕事の「ストレス」の所為だというのなら、即チ「ストレス」になり得る要因を排除したり、決壊する前に解消する努力を怠った私の責任にほかなりません。ガキじゃないンだから。努力してもどうにもならないことはあるけれど、努力を怠ったことは本人が一番よく知っているのです。マ、そーいうのも含めた自己嫌悪のドツボに現在居るわけなンですがネ、エヘ。
 通院は三回目ですが、医師と話す度にそういう結論に達するわけです。医師や薬は症状の緩和や治癒を助けるものでしかなく、もっと根源的な原因になり得るものがあるとしたら、それを変えるのは自分しかいないのです。誰かが見てくれる、いつか助けてくれる、なんて甘いよナ。治療を続ける一方で、もう少し能動的に働きかけなくてはいけないのかも知れません(オッ!どうした、前向きだゾ)。
 サテ、具体的にどうしようかナ。考えつくまで母上にはもう少し内緒に。
 治したい。がんばろう。
2004年11月20日(土)

映画を観てもいいのだろうか

 映画館の前で足が竦んだ。
 映画が私に齎すものは常に圧倒的な「ボーガ」とこれまた圧倒的な虚脱感に無力感。「ボーガ」に至る手段としては何よりも強力な媒体なのだけれども、それが心地よいときもあればそうでないときもあり、或るひとつの映画を初めて観る一生に一度きりの機会を尊重するのならタイミングが難しい。自分のタイミングで映画を損ないたくない。
 否、映画は損なわれない。いつも変わらない。映画のなかの役者はいつも同じタイミングで同じ台詞を云う。なにかが損なわれるとしたら、それは自分、なのか。映画が損なわれるような気がして損なわれるのは自分か。タイミングは常に自分のものか。私はいま、映画を観ることができるだろうか。映画を観てもいいのだろうか。
 映画を観ないと飢えるンだ。映画で得る「ボーガ」に飢える。アレがないとどうしようもない飢餓感に襲われる。映画で得る「ボーガ」はたぶん、アルコホルで得る「ボーガ」より中毒性が高いような気がします。少なくとも私には。
 映画が好きなわけではない。映画を好きだと思ったことは一度もない。
 ただ「ボーガ」が欲しいのかも知れない。数時間の濃密な「ボーガ」が。
 けれどあとに訪れる虚無が怖い。「ボーガ後」が怖い。
 …映画を観てもいいのだろうか。

 一方、旨いアルコホルで得る「ボーガ」はとにかくただただ心地よく、ふわふわとした浮遊感、ときには恰もスターを得た某マリオ氏の如き昂揚を味わえます。そのまま眠ってしまえば楽なのです。眠ってしまえたなら。
 そういえばスターマリオも落ちたらやっぱり死ぬのよナ。眠れぬまま朝を迎え、浮力を失ったときの哀しさといったらない。他人と飲むと、ひとりの部屋に戻ったときにそれが襲う。だったらハナからひとり自室で飲んだほうがいくらかマシだ。


 ああ、違う。「ボーガ後」を恐れるなら「ボーガ」などないほうがいい。
 けれど永遠に続くかのような「ボーガ後」の虚無には堪えられない。
 畢竟逃避なのか。
 それでもアルコホルを飲んでもいいものだろうか。
 映画を観てもいいのだろうか。
 映画は私が観ることを許すだろうか。
 私は映画を観ることを許せるだろうか。
 …私は映画を観てもいいのだろうか。
2004年11月18日(木)

もうちょっとだけ

 いまなにより欲しいものはまともな自律神経。
 ヘナチョコな彼奴の所為で金曜はさすがの楽観人間ももうこれは死ぬかと思ったのですが、人間っちゅーのはしぶといものです。いまはただ腹がたって仕方がなく、「ぜってー負けねえ、ぜってー治してやる」と自分に言い聞かせています。それでも夜になると嘔吐と冷や汗と眩暈がとまらないというのは、それほどに月曜が怖いか。
 頼むヨ、自律神経。もうちょっと、もうちょっとだけ頑張りたいンだ。
 それにしてもどうせ苦しむなら体重くらい落ちてもよさそうなものなのに、落ちるのは気分だけとはこれ如何に。ギャボー。


 気がつけばカウンタが一万を越えていました。
 オン/オフ問わず、お世辞にも人間関係に能動的とは云えないので積極的宣伝活動をしたこともなく、マメに更新しているとも云い難いのに、イッタイ如何なる御仁が奇特にも読み続けていらっしゃるのやら。特にこのところ自分でも嫌になるくらい卑屈な根暗ッ子なので不思議です。
 マ、誰に認められようが認められまいが、私として生きていくほかなく。自分を好きになれなければ、どんな世も生き難いと思う。
 世界がどんなに美しく愛しいものたちで囲まれていようが、やはり生き難い。
 しかしもうちょっとだけ頑張ってみたいと思うので。
 精進します。今後とも何卒宜しく。
2004年11月14日(日)

Champagne Super BOGA

 オイオイ、今月の「オーイ、メメントモリ」は凄いゼ。なぜ私がアルコホルを辞められないのかが2ページで説明されてしまったヨ。
 確かにアルコホルで得る忘我はキモチイイ。ンもうウットリ
 しかしダ、忘却する我という存在あっての「ボーガ」だし(Cogito, ergo sum、だナ)、その一瞬の積み重ねこそがキモチイイのだと思うのですよネ。つまり「ボーガ中」か「ボーガ後」なら「ボーガ中」がキモチイイ、と思うのです(ベツに酒席での失態に恥じ入ることが多いからじゃありませんヨ)。死や死後に時間という概念があるのか死んだことがないので知りませんが、「ボーガ中」を自覚する我なくして「ボーガ」の快楽はあり得ない、と。
 「ボーガ」進行中であることを自覚するなんて、それを真実「ボーガ中」と呼べるのかはサテオキ(←もうわけわからんらしい)、安らかな、夢も見ない睡眠を得られたなら、それは果たして「ボーガ」だろうか。眠っている間、私はキモチイイ、だろうか。どう眠っていたのか思い出せないのですが、覚醒があるからには確かに眠っているのでしょう。けれどちっともキモチよくない覚醒後の気分を鑑みれば、もし「スーパーボーガ」があったとしても効果は期待できないかも知れません。


 映画も小説もゲームも音楽すらも、私にとっては「ボーガ」に至る手段なのかも知れません。
 だからとっかえひっかえ新しいものを探し出す、と。
 いまはアルコホルが一番手っ取り早いというだけで、しかし、ま、ほどほどに。
2004年11月07日(日)

眠くないわけではないのです。

 薬が効いているのか、効いているような気がしているだけなのか、ハタマタ「ビョーキじゃしょーがねーナ」という開き直りなのか、この頃は多少楽な気分でいます。
 相変わらず眠れないのですが、問題は「眠れない」ことではなく、必ずといっていいほどの確率で見るひどい夢と、その末に冷や汗と共に飛び起きたあとの最悪としか形容できないその気分。
 「眠い」と「眠りたい」が同義でないのならば、やはり「眠りたい」わけではなく、そんなことを考えていたのではやはり「眠れない」と。不眠症は物心ついたときからのものですが(母上曰く保育園の頃から昼寝もしないし夜もなかなか寝つかない子だったとのこと)、諦めもあってか眠る努力もしたことがない。
 しかし日中眠いンじゃ仕事にならんし、眠るべきなのは理解しているのです。
 アルコホルを摂取することを辞められずにいるので、(医師の指導で)処方された睡眠薬は少し控えめにしています。アルコホルも酩酊状態に至らしめることを目的としたものではなく、その味を楽しむ程度の量とペースに徐々に減らしつつ(でも弱いのですぐ酩酊状態に)。
 前向きですヨ〜。早く治したいもんネ。
 眠ることが治癒に結びつくのならば、やはり眠った方がいいのでしょう。
 さて、眠る努力をしてみるか。



 それにしても、こうなってみて初めて、自分は他人から指摘されるほど合理的な考えの持ち主ではなく、ただ自分が合理的に考えたくて斯様な選択をしてきたのかも知れないなどと思うのです。あ、や、もー今更ですし、だからどうこうってわけではないのですが。
 鈍感な自分を嫌悪する一方で、気付かないまま冷徹に切り捨てることも望んでいたりもするのです。それが一番楽な方法だからナ。

 「人間は(中略)堕ちぬくためには弱すぎる」とは坂口安吾のことば(「堕落論」より)。
 強くあり続けるためにも弱すぎる、人間は。私は。
2004年11月06日(土)

ちぎれそうなんだ

 チネ・ラヴィータで「CODE46」(マイケル・ウィンターボトム監督/2003年アメリカ)を。
 脱がないな〜サマンサ・モートンは。アレだけ頑なに脱がないのに、ボディダブルを用いてまで「下半身」を見せる必要があったのか疑問なのですが(頑なに脱がないからこそ、ですかネ?) 、ま、いーや、ティム・ロビンスが脱いでいるから (ォィ)。それにしても面白い映画でした。清水玲子さんやF.K.ディック、一昔前の石原理さんの大好きな世界を想起させて楽しかったです。斯様なのにヨワいんだ、おいら。
 ファンタジーやSFを面白く感じさせるのは、特殊な状況設定ではなく、それらの状況に置かれた人間の思考や選択に共感できたときです。読みもせず(或いは観もせず)「つくりごとだ」「つまらない」とノタマウ人間は少なくありませんが、単に共感する力に欠けているだけなのだと思うのです。どうでもいいけど。





 エート、母上に云われたから、というわけではないのですが、病院に行ってきました。
 結論から云えば、「うつ病」という診断。抗うつ剤と睡眠薬を処方されました。
 ショージキ、メンタルヘルスなんて自分とは一生関わり合いのない世界で、心根のヨワいひとがかかるものだと思っていました。しかし精神科医に聞いた話によると、胃に穴が空いたり(=胃潰瘍)、髪が円形に抜けたり(=円形脱毛症)と、ストレスの出方は人それぞれで、私の場合は脳内のセロトニンとやらが減る病気(=うつ病)として出たと、単にそういうことらしいです。この際胃潰瘍や脱毛症と同じ「ビョーキ」と割り切って根気よく治療していきたいと思うのです。
 サテ、原因と考えられるのは、ひとことでいえば、「会社に行きたくないよう!」と、ま、そういうことなんですが、斯様な感傷を理由に仕事を辞めたり休んだりすることは何よりも自分に許せそうにない。やはり「がんばる」しかないのだと、諦めではなく割と前向き且つ合理的に考えています。
 や、だいじょぶ。思ったより元気です。軽症なのかもね。
 ときどき職場の前で足がすくんで動けなくなったり、職場で泣き叫びそうになったりするだけで、そんなのって「うつ病」という名前がなくても、誰にでも起こりうることなのではないだろうか、と。アレ?違う?他人になったことないからわかんねーや。

 母上には病院に行ったことも内緒にしています。心配をかけたくないし、云っても解決するものではないし。そんなことを云い出せばここに書くという行為も解決に直結するものではないのだけれど、日記を書くという作業は良い方向へような気がしています。
 それにしても、かつて私は仕事が好きだったはずなのに、生活のためと妥協していやいや働くような人にだけはなりたくなかったはずなのに、一体どこでどう道を違えたのだろうか、ネ?


 イロイロと、イロイロなものがちぎれそうなんだ。




十月の乱読覚書

・「生存者、一名」(歌野晶午/祥伝社文庫)
・「イン・ザ・プール」(奥田英朗/文藝春秋)
・「空中ブランコ」(奥田英朗/文藝春秋)

 そうそう、思い出した。八月の乱読覚書、忘れていた一冊は「空中ブランコ」でした。祝・映画化!というわけで再読。しかも脚本&監督が三木聡さんだというから否が応にも期待が高まるというものです。
 シティボーイズの面々がカメオでも出演してくれたら楽しいなァ。或いは生瀬勝久サンとか。ちなみにDr.イラブは松尾スズキさんだそーですヨ。
 と、まだ観ぬ映画のことばかり書いてしまいましたが、小説は非常に面白いです。
 
2004年11月01日(月)

メイテイノテイ / チドリアシ

My追加 エンピツユニオン
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