夜明けまでうだうだと、ひとり |
冷たい汗と共に飛び起きて 死ぬこと、その方法 生きること、その方法 死ぬとしたら、残してゆくもの 生きるとしたら、やるべきこと それらを天秤にかけては、夜明けまでうだうだと、ひとり。
スミマセン、またもやガス欠です。 こんな状態でヒトサマに目にふれるものを書くべきではないのかも知れません。 それでも書くと、少し落ち着いたりまとまったりもするのです。 例えばこれが…エート…一般的に人気があるひとって誰だろう?わからんので自分の好みで書くと、岸部一徳サンとか、寺田農サンとか斉木しげるサンとか…日本人はもう思いつかん。フィリップ・シーモア・ホフマンとか、アラン・リックマンとかウィリアム・H・メイシーとか?とにかくそのライフスタイルに興味があるひとの日記なら、どんなツマランできごとの羅列も面白く思えます。極端なハナシ、「ごはんを食べた。おいしかった」だけでも行間を匂わせて愛しいし、直截な言葉による内面の吐露なら尚愛しい。 しかし私は、自分が斯様にヒトサマの興味を得る存在ではあり得ないと自認していますので、できごとの羅列だけを書くというハズカシイことは出来かねます。同時に心情の吐瀉物を書き殴るということも出来ません。 いや、斯様なことも割と書いていますけれども。そればかりというのは、どうにも、ネ。 だれも強制しないのに、わざわざ自ら進んで書いているのだ。義務感を以ってクダラン文章を書きたくはない。他人に見せるなら尚のこと。そんな理由で、毎日更新することをとうの昔に放棄した「日記」です。
しかしなかなか難しい。 こうも代わり映えのない毎日を送っていると、新しいことなどなにもなく、新しく書くべきことなどなにも思いつかん。元来想像力というものが欠如し、大抵のことに気付かない鈍感人間なのだ。 今回にしても、トリガーになったものがあったのか、知らぬ間に蓄積されたたものが私の容量を越えたのかまるでわからない。 とにかく私は眠れずに秒針の音を聴きながら、死を考えたり生を考えたり、冷静に天秤に量ってみたり、そうして吐瀉物を成文化する作業をしてみたり…否、それでも多少は制御する働きがあるらしく、実は少し恥ずかしかったりも。その点では軽症なのかも知れません。 ソモソモ、WEB上に日記書いている人間なんて、多かれ少なかれ「外」に発信できる程度の暇と体力と能動性は持ちあわせている人間なのだ。明るいよナ、ジツに。明るすぎて笑っちまうゼ。
ま、ともかく、書いている以上は元気です、と。 やはり落ち着きます。混沌としていた考えも、気分も。 や、チョット待てヨ…無理やり「外」に発信しながら、自分のなかに能動性が残っていることを信じたいだったりして…。ん〜、そこまでヨワッてはいないダロ、そこまでナイーブじゃないダロと笑ってしまう私は、やはり楽観人間なのですかネ。 ウーン…ウン、だいじょぶ。 だいじょぶ、です。
念のため書きますが、なにも私はヒトサマが「日常の羅列」や「心情の吐瀉物」を公開することを非難しているわけではなく、前述したように自分の事情で斯様な文章はあまり書き得ないだけで、ヒトサマの文章は楽しんでいるますので、そこンとこ宜しくお願いします。どうにも私の血液型の人間は感情的になることを恥じる傾向があるらしいですヨ(もう血液型の所為ということにしてしまおう)。 ヨノナカが動いているのだと知るのは楽しい。 私がいなくても、ヨノナカが回るというのは嬉しい。 救いだ。
|
2004年10月24日(日)
|
|