アーリーと煙草の匂いを纏い

 どうにも劣等感からくる自己嫌悪が強いようです。
 この場に、この人に、自分はふさわしくないような気がして、何処にいても、誰といても、引け目を感じます。
 困ったな。
 自分を好きになれないのは困ります。
 自分だけは、死ぬまで付き合わなくてはならない、たったひとりの存在だから。困る。困ります。
 うおっ泣きそう。
 なかなか泣かない(泣けない)ンですけどね。


 忘年会でした。
 職場の忘年会はフケたけど、帰省してきた旧友たちと。
 「やせたねー」
 そうなの、6Kg落ちたの。
 いまは酒と煙(と薬)で生きてンの、ナー(私)。
 一年に一度しか会わなくても、付き合いの長い彼らはいつ会っても高校時代のような気がする。懐かしい感じはなく、高校時代の延長のような気がする。全体でも既婚者一割くらいだからなーうちの班。
 居心地のよさも悪さも相変わらず。
 楽しかったけれど、その場にふさわしくないような気がして、早々に引き上げてしまいました。毎年なら朝まで飲んでいるのにネ。私がいてもいなくても、宴に支障はないでしょう。
 アーリーと煙草の匂いを纏ったまま、PCに向かっています。


 母上が莫久来と一ノ蔵を買ってきてくれた。
 「祭祀が終わってからね」
 うー待てねー(アル中かよ)。
 いろいろなひとに、気を使わせているなあ。
2004年12月30日(木)

なにを書けばいい?

 自己嫌悪と吐瀉物にまみれた私。
 なにもできない、する気がおきない時間のシークエンスがずっと続いている。
 なにをすればいいのか。なにを書けばいいのか。
 私はこれまでどんな文章を書いてきた?
 仕事をしない私、映画を観ることができない私、本を読むことができない私、なにもすることができない停滞するばかりの私、私の日記に存在価値はあるか。
 この日常に存在価値はあるか。意義はあるか。
 なにがおもしろい?
 なにがおもしろくて読んでいるの?みなさん。
 コリアンが珍しい?ぐだぐだと犬相手にくだをまく私が哀れ?それともこのテイタラクが滑稽?
 ふしぎですヨ、ほんとうに。ふしぎ。

 「無や死にも意味がある」と言ったのはだれだったか。漫画で読んだうような気がするけれど。
 そのことばにすがりたい。
 ベルを止めた目覚まし時計の刻む秒針の音に焦る。
 この時間の積み重ね、なにもない空洞の私、日常、雪が降り積もり、日が落ちてはまた昇るのを無為に眺める私がひとり。
 無為な時間。無為な感情、無為な私。
 それらに意味があると信じたい。
 それでも意味がなくても、たぶん、死ぬまでは生きるのだろうけれど。
 死ぬ価値より生きる価値が見出せない。
 この空虚。虚無。
 どうしたらいいのか。なにをしたらいいのか。なにを書けばいいのか。
 自己投企になっている?
 投企したとして、それがなんになる?
 在日コリアンのそれに限らずコミュニティは苦手だけれど、
 ひとりはいやだと思う。それはわがままかな?
 それでも不甲斐ないこの身を晒すのが嫌だから、ひとりでいたい。
 心配かけたくないから、会わない。
 対等じゃないまま、他人には会えない。
 寄りかかりたい、かかれない。
 ひとり、自律して自立するまでは。

 したいことがなにもない。
 そうして一番容易な手段に出る。
 インターネット。エンピツ。
 そうしうて自己嫌悪と吐瀉物を成文化してみる。 

 なにがおもしろい?
 なにがおもしろくて読んでいるの?みなさん。
 ふしぎだよ、ほんとうに、ふしぎ。
 いまの私は、こんなことしか書けないのです。 



 睡眠薬がにがくて、最近は煙草の量が増えてきた。
 喫むのは自分の部屋だけだけれどね。
2004年12月29日(水)

昨日の今日ですが

 モト氏の協力を得て、晴れてネットの海に舞い戻って参りました。
 といってもAir-H゛対応のPCカードリーダの購入を相談しただけなンですが。機械に限らずあらゆる分野での音痴を自覚する私には得難い友人です。ありがとう。メッセで会うたびに質問責めにしてごめんヨ。



 いずれ退職する身にはどうでもいいことなンですが、大ボス氏が降格&謹慎になりました。
 詳しくは書けませんが、そうされても仕方のないことを彼はやってきました。ま、なんというか、処断が遅いな、という気がしないでもありません。
 私は偽善者ですから、他人に対してあまり恨みつらみや好き嫌いという感情を持ちません。職場の同僚は尚のこと(持っても仕方ないもん) 。しかし彼に対してだけは、いないほうがマシ、とか、彼の葬式では泣かないな、とか、どうでもいいけど仮払い早く精算しろヨ、と思ったりします。今日の納会では彼の目から水が出ましたが、それもどうにも芝居がかっているように見えたりもし。
 斯様にツメタイ感情が、自分のなかにあることに気づかせ、驚かせてくれた人物です。すごく憎いというわけではないのですが。
 しかしこういうのはあるよりはないほうがいい。こんな感情も。
 どちらにせよ、これからいい方向に転べばいいけれど。へんな感じ。
 とにかくボクチャンが混乱しなければいいと、そればかりを願います。
 もう知らん。



 明日からお休み。寝るぞ〜!
 映画は…まだ観れないなあ。余計なこと考えずにだらだらするぞ〜!
 え?年賀状?ナニソレ。
2004年12月28日(火)

のんびりと。

 ネットカフェより、おそらく年内最後の更新です。
 実感が伴いませんが、今年も残すところもうあと数日。
 はー、いろいろありましたね、2004年は(ほんとにな)。
 進歩といえるものがなにひとつ思い浮かばないのが悲しいところです。後退或いは停滞するばかりの一年でした。
 そうそう、髪を切りました。バッサリ。
 はらはらと落ちてゆく髪を見ていたら、鬱積していたこの一年も切り落とされていくような気持ちがしました。ま、気のせいでしょうけれど。
 斯様な鬱積した2004年もプラスに変えるべく、来年はがんばりたいと思います。思っているだけですが。
 春には晴れて(?)無職になります。新しい手帳は真っ白(うわー)。ま、焦らずに精神的&経済的に許される限り、のんびりと過ごしてみたいと思います。
 相変わらず映画は観れていないのですが(自分が映画を観ることを許せないというか…自覚するより映画に対する執着が強いようです)、ま、そこらへんものんびりと。相変わらず自律神経&情緒がヘロヘロですが、そこらへんものんびりと。

 こんなヘナチョコリーナですが、気が向いたら来年も仲良くしてあげてください。
 それではまた。みなさま、よいお年を。
2004年12月26日(日)

泣きませんけれども。

 自分の部屋が大好きだった。休みの日はほとんど一日中家にいた。
 ぬくくて、楽しくて面白くて、自分の部屋にいて飽きることがなかった。
 ずっと部屋にいたかった。
 だのにいまは、どう時間を過ごしていたか思い出せない。
 部屋にひとりいると色々なことを考えては泣きそうになる。
 でも泣きません。
 泣いたって何も変わらないし。
 泣いている暇があったら何かしろって思う(することがなくて考えてしまうわけですが)。
 ましてや涙を武器になんてできそうもない。私はやっぱりプライドが高いのかも知れない。多分泣いて解決することが本来の自分の実力じゃないとでも思っているのだろう。
 でも泣いてもやっぱり何も変わらないし、やっぱり解決しそうにない。
 と、ひとりシミュレートしては結論づけて。
 泣きません。
 泣かない。


 「人ごみは避けたほうがいい」とあなたが言った意味がわかりました。
 クリスマスイブ、お給料日、週末の三重苦。仙台駅は大変な人だかり。
 おめーら、ヨドバシか定禅寺通りしか行くとこねーのかよ。
 泣くかと思いました。
 泣きませんけれども。


 ゴトウ日は相変わらず怖くて、胃の腑が震える思いがします。震えています。
 怖い。なにがそんなに怖いのか、自分でもわからないのだけれども。
 怖くて泣きそう。
 泣きませんけれども。


 Dynabookちゃんの入院は思ったより長く(そして高く)かかりそうです。
 泣きません。
2004年12月24日(金)

平気ですったら平気です

 予ねてから瀕死状態だったDynabookちゃんが危篤状態に。
 いただいたメールが全部消えました。
 シュババッ!痛恨の一撃!
 でもいただいたのは、文字だけじゃないと確信していますので、平気です。
 一字一句覚えていますので平気です。
 平気ですったら平気です。うわーん。


 Dynabookちゃんとの付き合いは5年。そろそろ寿命のような気もしますが、それなりに愛着はありますので修理に出してみたいと思います。
 仕事はデスクトップPCがあるので問題はないけれど、私のインターネット環境はDynabookちゃん+Air-H゛という手段だけなので、暫くネットには上がれないかも知れません。メールは完全に見れません。一応エンピツのメールフォームはHotmailに設定しておきますが。
 それではまた。
2004年12月22日(水)

Thanks a lot!

 映画は怖くて観れず、活字や音楽は上滑りするばかり。そうしてDynabookちゃんから容易く繋がる世界に、この頃は妙に感傷的な文章ばかり発信してしまいました。反省。
 それでも昨日からいくつかメールをいただきました。
 私の如きヘソマガリの根性マガリの根性ナシにアドバイスをくれ、がんばって、お疲れさまと云ってくれる。
 見ず知らずのみなさんのことばに、私が如何に喜んでいるか、励まされているか、乏しい文章力では表現しきれないのが悔やまれます。
 ありがとう。ことばでは云い尽くせない。
 すみません。ありがとう。
 改めて、インターネットってすごいな。
 昨夜は泣きすぎて吐きました(汚ねえ)。
 泣いたのは久しぶり。
 思えばずっと、泣きたかったのかも知れません。
 みんな優しいなあ。ありがとう。


 これは終わりではなく、始まりへの助走なのだと自分に言い聞かせています。今日も誰もいない職場からの更新です。自分や家族の将来、そして病気への不安はある。残していく後輩たちへの心配もある。
 けれど、まあ、前向きに。
 気を抜かず、適当に。
 「適当」って、手を抜くという意味ではないンですよね。
 そんな感じで適当に。



 いまは退職したらやりたいことをピックアップしています。

 ・新しい仙台市天文台に行く。
 ・仙台文学館に行く。
 ・禅寺の宿坊に行く。
 ・ボートピアに行く。
 ・旅行する。
 ・髪を金髪にする(うそ)。


 文章力どころか想像力も貧困なのでした。
2004年12月18日(土)

ほい、リミットです。

 泣き出したいような、笑い出したいような。
 がっかりしたような、さっぱりしたような。
 絶望したような、希望に溢れているような。
 自分でももうよくわからん。
 とりあえず旨い酒をゆっくり飲みたい気分だよ。
 たまごの内側を暗闇のなか手探りで這ってきたけれど、指先が少し殻に触れた。
 自分という小さな世界のかたちが、すこしわかった。
 それだけでも踊り出したいような、泣き出したいような、叫びたいような。
 とりあえず、旨い酒をグビグビと飲みたい。
 とにかくしばらく前後不覚に酩酊したい気分だぜ。
 しないけれど。


 ほい、リミットです。
 仕事を辞めることにしました、というか、なりました、というか。
 辞めます。
 引き継ぎの折りを見て退職日を決めたいと思います。
 3月末がいいかな、と思ってはいますけれども。

 「盛大に歓送会やるから」
 いらん(笑)。その予算でなんかくれ。


 「(笑)」と書けるからには、やっぱり笑い出したい気分なのだナ。
 まだまだやるべきことは山積している。
 暫時ボクチャンに仕事を引き継いで、あとはできるだけ環境を整えてあげたい。
 中ボスの緊急入院から死亡退職、その間、その後、ほんとうにゼロから手探りで、やるべきこともわからなく、なにがわからないのかもわからないまま、ほんとうに手探りでやってきたけれど、ボクチャンにそんな思いはさせない。させたくない。
 きちんと引継ぎして、環境を整えて、それから。それまで。
 がんばりたいと思います。
 やっぱりさっぱりしているかな。
 ぐるぐるもげろげろもなくなったし。

 救いは母上が喜んでくれたこと。
 快く、「ゆっくり休んで」と云ってくれたこと。
 腐っても大黒柱だし、たぶんそれもプレッシャーになったと思ったンじゃないかな。そこらへんは、やっぱり泣き出したいような気持ちなのです。
 すまぬ。ありがとう。
 心配してくれたみなさんも、ありがとうございました。
 元気です。
 元気になりたいと思います。

 さて。
 あともう少し、がんばろう。
2004年12月17日(金)

ヤだけどネ

 目がまわる。
 がんばりたい。
 がんばりたいのだ。昔のように。
 昔がんばっていたかはさておいてー。
 歓びを感じたい。充実したい。
 もう虚無はうんざりだ。
 食べることも飲むことも、眠ることも遊ぶことも働くことも、
 ボーガすらも、この頃は虚しい。
 虚しさを忘れたくて、またぞろボーガを乞う。


 後輩ボクチャンと話した。相談、というか、ま、愚痴聞きですね。
 だいぶストレスがたまっているようで、かわいそうだ。
 なんとかしてあげたい。
 テメエの面倒も見れない自分になにができるだろうか。
 でも自分の心配は虚しい。
 せめてボクチャンたちに迷惑がいかないように、ボクチャンたちが迷わないように、心配しないように、振舞わなければ。
 自分だけのためじゃなく。
 がんばりたい。



 ゴトウ日が恐いのか夢ウツツを行き来していましたが、とうとう変な時間に起きてしまいました。
 眠れそうにないなあ。

 最近、あるひとに自分が「ザイニチ」であることを告白しました。
 ま、日本人だと云ったこともなかったけれど。
 自分では隠すようなことでもないと思う。「告白」するようなことでも。
 サイードのことばを借りれば「欺瞞や瑕疵だらけの他者が混在する」混沌としたアイデンティティは、私にとっては至極当然で、至極日常的なことなのだけれど。それでもだからこそ、それを他者に、日本人であることを疑いもしない他者に伝えるのはムズカシイ。
 私がムズカシク感じるだけで、実際は大したことはないのかも知れないけれど。
 本名で暮らし、コミュニティで暮らすほうが如何に楽かと思うよ。
 本名で暮らすのは、初めからそのアイデンティティを公表するということで、難しい反面やはり楽だろうと思う。
 名乗るのはともかく、コミュニティはヤだけどネ。
 伝えた相手の態度が変わらないことを願う、自分もイヤ。

 あー。
 また自己嫌悪だ。
 どうしてこう自己嫌悪ばかりしているのだろう。
2004年12月14日(火)

眠りにおちるまで

 眠るためのお薬を飲んだら眠りにおちるまで、ベッドでノートにくだらないことを書き殴る作業をしています。これ以外のことをするとウッカリ眠れなくなってしまうことがあるので。
 元来の悪筆の上メイテイノテイで書いた字はやはり本人も解読し難いのですが、それ以上に内容が…ひどい。
 普段、自分を俯瞰する自分を自覚するというか。「ツッコミ役」とでも云うべき、傍観者が私のなかに常に存在します。ぐるぐると目が回りでろでろにメイテイしながら、「おお〜ぐるぐるででろでろだなあ、どうしよう、ハハ〜」とどこか冷静に(?)分析しようとする者。ちなみに大抵の場合は其奴がこの日記を書いていますが、この眠る前の文章とも云えない単語の羅列は、恐らく其奴がいないときのもの。けれどこれこそがまごうことなき本来の姿なのだろうか。醜悪で幼稚であほな奴。あーあ。それでも面白くそれを読み返します。
 俯瞰する余裕もないとき、それが「ボーガ」なのかナ。冷静にコントロールしたいと思う反面、「ボーガ」を渇望する矛盾。
 ま、「ボーガ」もたまにはいいけどネ。
 コントロールしたいわナ。というかコントロールしなくちゃネ。

 さて、眠りとは「落ちる」のか「堕ちる」のか「墜ちる」のか。
 覚醒時こそ逆にこの身に「落ちる」ような間隔を味わったりもするのですが。どちらにせよ最近は悪夢を見たり見なかったり、それでも波打ち際でうろうろするよりはまし。健やかな快眠生活、とまではいかなくてもそれなりに眠れているようです。
 ちなみに昨夜は左胸から母乳が噴出して(なんかマヨネーズみたいだった)、「あわわ、どうしよう」と私、「どうしよう、でも面白いなー」と俯瞰する私。そのまま絞っていたら乳房がへこんで乳首がとれた、という夢を見ました。
 どなたか夢分析できるひとはいませんか?
2004年12月10日(金)

うりうりうりうり、うぃーうぃーあわー

 「日本人社会」で暮らす私は、慶事か弔事でもなければめったに在日コリアンと接することはありません。
 本日は前者で、久々に多くの在日コリアンと会いました。
 斯様なとき、いつも強く感じるのは在日コリアンコミュニティの居心地の良さと悪さ。
 居心地がいい。
 日本語と朝鮮語のちゃんぽんで話し、笑い、歌う(そういえば私は日本人の多くが知っている唱歌や童謡をほとんど知らない)ことの気楽さ。
 ここが私の生まれ育った場所だと知る。
 けれど同時にひどく居心地が悪い。
 呼吸が止まりそうになるほどの閉塞感。
 ウリナラ、ウリミンジョック、ウリチバン、ウリチッ、ウリ、ウリ、ウリ、ウリ…なんなんだよ、なんでそんなに同類項で囲みたがるンだヨ。
 「I Me Mine」より性質の悪い「We We Our」。
 思い出した。これが私はダイキライだった。
 ティーンエイジの頃ならちゃぶ台ひっくり返したものですが(トラウマであり逆鱗でもあるのです)、慶事だものネ、我慢しました。オトナになったネ。
 否、それはそうと披露宴の祝辞に、なんのヒユでもなく身も心も捧げて心底から信じ愛したものに裏切られ取り残された二世の孤独と悲哀を感じて、今日はひどく哀れに感じてしまいました。カワイソーだね、二世は。キノドクだね。
 でも彼らに憐憫なんて感じたくなかったのだヨ。
 彼らの「ウリ」とは相容れないと知ったときから。
 そしてそのことをコッピドク非難されたときから。
 ですから後始末もしません。
 私に憐憫などさせず、その孤独と悲哀を個々で乗り越えてクダサイ。
 この上、未練がましく「ウリ」を連呼しないでクダサイ。
 やはり私は「ウリ」には入れません。
 こうして場を交えても、やはりそこは私の居場所ではない。
 心地よくても悪くても、そこにいたくはない。いないことを、私は決めた。
 だからといって彼らの不幸を願うわけではありません。
 やはりみんな幸せになって欲しいヨ。
 お互いがんばろう。
 それじゃあまたね。
2004年12月08日(水)

水溜りに入りたい

 月曜は怖い。
 月曜を恐れて眠れない日曜は怖い。
 前回増やした睡眠薬に、更に日本酒を約半升飲んでも眠れないとなると、もーお手上げ。体と頭に鉛を埋めこんだよう、それでもまるで眠れないので明け方頃、近所の自動販売機に煙草を買いに出かけた。
 ひんやりした空気が心地いい。そういえば冬の朝が嫌いではなかった。
 帰宅すると犬が目を覚まして出迎えてくれた。ぴんと立ったベルベットのような毛並みの耳をつまむと、目を細めて見上げてくる。寝起きでぬくい背を撫でると濡れていた。犬を見下ろす私の前髪から雫が額に頬にと伝っていった。
 雨が降っていたのだと、そのときはじめて気付いた。
 水溜りに入ったのか、靴と足が濡れている。
 「ダメだコリャ」
 声を出しておどけて云ってみると、犬が尾を振った。笑えた。
 「ダメだコリャ」
 明け方に、濡れそぼりながら犬を相手にひくひくと笑った。

 玄関で濡れた足を拭い、煙草に火をつけた。
 もういちど、水溜りに入りたいと思った。
 大竹まことさんのエッセイに、そんな話があったっけ。
 「取り返しのつかないことしちゃおっかなー」
 シティボーイズライブ「Not Found」の大竹さんの台詞を思い出す。
 私もしたい。取り返しのつかないこと。
 考えてみよう。



・プラン其之壱
 大ボスの職場内W不倫を証拠をそろえて互いの家族に送りつける。

・プラン其之弐
 半年前まで重役出勤だった大ボスが最近やけに早いのは、早く家を出て職場近くの公園で一杯ひっかけているからだとエライ人にチクる。

・プラン其之参
 会社に火を付ける(※大ボスのハイライトから出火したように見せかける)。


 …あーダメだ。もう思いつかない。想像力が貧困で困るゼ。
 大ボス絡みばかりですが、実は書いているほど彼を嫌いでも憎んでいるわけでもなく、ただ自分のこのテイタラクを誰かの所為にしてしまいたく、手っ取り早いのが「彼」という存在だと、単にそれだけ。私の他人より物足りないシナプスも負のイメージとしかリンクされていないことは事実でありますが。仕事に好き嫌い云々を持ちこんでもナ。
 マ、なんというか。楽なンだよネ。ワルモノがひとりいるとサ。現実でも現実的ではないロジックの上でも。別にそれがこの際「創造主」でも構わないのですが、やり場のない感情を云々するのはやはりメンドイし、シンドイ。
 あー私はもっと「取り返しのつかないこと」をするなり、ダレかを思いきり怒ったり憎んだりするくらいのバイタリティーが欲しいゼ。
 メイテイノテイで犬相手にへらへら笑ってないでサ。
 さて、寝るぜ。明日は火曜だぜ!あばよ!
2004年12月06日(月)

覚悟したゾ

 通院四回目。
 薬が増えました。休職を薦められました。
 でもいまの仕事はする人間が(人員的にも経験知識でも家計の上でも)自分しかいないという現実が、辛うじて私を職場、ひいては社会に繋ぎとめているようにも思うのです。それでも可能な限り負担を軽減すべく少しずつ働きかけてはいますが、そういった働きかけも治療も、今回長期戦を覚悟しました。
 ヨシ、覚悟したゾ、うりゃ!!
 そんなわけで、意を決して母上にカムアウト。
 「やっぱりね」ってどういうことだ。そう見えるのか。
 …心配かけていたのか。自己嫌悪ぉうぅぅ(アゲイン)。
 協力を頼みました。
 フラフラしたとき、睡眠薬で起きれなくなったとき、自己嫌悪にどっぷり浸かって動けないとき、煩くガミガミ云わず、大げさに騒ぎ立てず、お見合いを勧めたりせず(笑)、けれど決して甘やかさず、静かに見守って欲しいと。
 我ながら我侭だと思いますが。
 だって治したいンだ。
 薬は怖い。山積した仕事も怖い。家計も怖い。不安は尽きない。
 でも、治したい。心からそう思う。だいじょうぶ。がんばろう。



 最近は最早闘病記のようになっていて、自己暗示の如く(自己暗示そのものか)「がんばろう」と「だいじょうぶ」を繰り返していますが、もうやめましょう。
 長期戦を覚悟しましたから、焦らずじっくりゆっくり、できることからやっていこうと思うのです。映画を観たり、本を読んだり、たまには体を動かしたり、楽しいこと、面白いこと、好きなことを考えましょう。
 ヨシ、覚悟したゾ、どりゃあ!!
2004年12月04日(土)

二十歳の日記

 昨夜の誓いも虚しく、今日は仕事を休んでしまいました。
 自己嫌悪ぉうぅぅ(またか)。
 いいさ、明日はがんばるさ。
 甘えるナ。がんばれ。動け、足、手、頭。
 今週は休日返上だ。がんばろう。


 薬の量やタイミングの調整がうまくいかないのか、どうにも思考も身体もフラフラしてしまいます。なんなんだ、こんなの私の体じゃねえぞ。眠っている間にダレか改造した?薬を減らすと辛いし眠れないし、どう対処していいかわからない。処方通りに服用しているンだけどな。飯食わない(正確には食えない)からかな。アルコホルはだいぶ減らしているのだけれど。合わないのかな。薬ってテリブル…。今度の通院時に相談してみよう、とはいえ次の予約日はどうしても抜けられない仕事がある。土曜の午前中でもいいけど、混むしなあ。苦手なンだよネ、待合室。狭い椅子でほかの患者さんと隙間なく座るのも。斯様な場所で否応なく聴かされるモーツァルトやENYAなんてこの場合ウンコかっつーくらいにサイアクだと思うわけで。否、どれも好きだった、以前は。でもいまは嚥下する力がないせいか、どうにも息苦しいのです。やはり私自身の問題なのだな。


 フラフラ時にぶつけたらしい散らばっていた本を片付けていると、二十歳から二十二歳までオフラインで書いていた日記帳(といってもやはり一ヶ月に一度くらいしか書いていない)を見つけました、というか見つけてしまいました。
 湯船に浸かりながら読み返す。ン〜…なんというか。
 字が汚い。誤字脱字多し。やけに尊大。あほ丸出し(要するにいまとあまり変わらんらしい)。こんなものが残っているなんてウカウカ死ねません。

 18歳まで民族学校という閉鎖的なコミュニティに属していたおいらは、「日本人社会」とのあまりのギャップに相当のカルチャーショックを受けたようです。在学時は「反動的」な言動(といっても小心者なので微々たるものですが)によって、どちらかといえば劣等生扱いを受けていた私ですが(まあ確かに革命史とか朝鮮歴史とか朝鮮地理とか社会とか国語とか数学とか体育とか家庭科とかダイキライだったが)、それでも12年という歳月に失望する程度には影響があったようで、って当たり前か、12年だもんナ。とにかく七年前の私は修飾語のない自分を確立するのに精一杯のようでした。
 と、他人事のように書いていますが、だってもう、どちらかといえばあそこでの生活のほうが遠い異世界のことのように思えるのだもの。二十歳の頃のモヤモヤも完全に晴れたわけではないけれど、当時よりは希薄になってきたかな。それを進歩と云えるのかはナゾですが。
 蝸牛の如き歩みでも、取り敢えず歩んではいたみたいなのでよしする。


 それにしても、若いってやっぱり多感だが罪なまでに鈍感だな。
 面白かったのでここにアップしようかとも思ったのですが、朝鮮語と日本語がチャンポンで書かれた文章を整えるのに時間がかかりそうですし、面倒なのでやめました。ま、気が向けば。
2004年12月02日(木)

12月です

 12月です。
 うつ病という診断をうけて一ヶ月。
 医師との対話や薬の効果に逐一困惑しながら過ごした一ヶ月でした。
 いまは少し落ち着きを取り戻しつつあるように思います。
 やはり愚痴や泣き言を、公共の場であるここに書けそうにありませんし(間接的に書いていることになりますか)、友人や同僚に云うこともできそうにありません。それは矜持に因るものなのかも知れませんし、羞恥に因るものなのかも知れません。恐怖に因るものなのかも知れません。しかしとにかく、それって進歩がないと思うわけで。愚痴って気持ちが晴れるならそうするヨ。環境が変わるならそうする。そうでないなら、そんなメンドイ作業は御免ダ。
 別に憐憫を買いたいわけではありません。理解を得たいわけでも。畢竟人間はひとり生きていくものです。自分の感覚は自分にしかわかりません。
 だからやはり行動がすべてのような気もします。
 動こう。変えていこう。自分を。環境を。


 この頃思うのは、病気であるということを免罪符にしてダラダラしているのではないだろうか、ということ。イヤだなあ、それは。
 自己憐憫の無限ループだけはやめようぜ。
 自ら望んで生を受けたわけではなく、望んで不本意な自分に甘んじているわけではありませんが、望んで生きています。生き続けることを選択して、いまここにいます。まあ、かなり、イロイロと天秤にはかけてきましたが。それでもこうしていまここにいます、
 だいじょうぶ。がんばります。がんばれます。だいじょうぶ。
 それにしても、もうちょっとこう…なんていうの?パリッといかないもんかね。


 さて12月です。
 仕事やっばいなあ。がんばろう。


 十一月の乱読覚書

 なし。
 ティーンエイジの頃に好きだったイエイツや中原中也をダラダラと眺めたりはしましたが、活字は上滑りするばかり。詩というやつは、読者の腹にあるウツワを選ぶような気がしていました。しかしそれ以前に嚥下する力を必要とするようです。詩に限らず、音楽も小説も、映画も。いまの私にはそれがない。それらはやはり私の上をツルツルと滑り落ちるばかり。
 …ま、こういうときもあるってことで。
2004年12月01日(水)

メイテイノテイ / チドリアシ

My追加 エンピツユニオン
本棚