停滞するそのはざまで

 今日はお仕事でした。
 明日から研修です。プレゼンテーションのお勉強らしい。
 ワタシいちおう経理なんだけど…ま、いいや。頑張るべっちゃ。

 帰宅後は『クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ!アッパレ戦国大合戦』のビデオを。
 公開中の「ヤキニクロード」はどうしようか、と悩みながら。
 確か脚本家が前に戻ったのよネ…。
 と、悩んでいるうちにいつも見逃してしまうのですが。



 日記を書こうとすると、つい仕事の愚痴になってしまいそうなのですが、かといって何を書いたものやら。去年の今頃もこんなに忙しかっただろうか。
 勤め始めて丸六年。七年目に突入。あわわ。
 この数年、脇目を振りつつそれなりに頑張ってきたつもりだけれど、何がモノになったかと問われれば、うーむ。
 パスカル曰く「人間の本質は移動にある。完全な平穏は死だ」そうであるけれど、忙しなく過ごしながらも停滞し続ける、この状態は何としよう。
 長い目で見れば、これも成長の一過程なのだろうか、ていうかそう思いでもしなくてはやってゆけぬ。

 まあ、それでも、これまでは頑張って「それなり」の「おとな」になることだけが目標で、というより、(取り敢えず何もしなくても身体的且つ社会的には)それは一応果たせたように思うので、無駄ではないのかと。
 しかし問題はどう在りたいか。どういう人間になりたいか。
 それが見えれば自ずと、自分がなにをすべきかが見える、はず。

 つーか、ヨワイ25にして、まだこんなことを悩んでいるなんて、まだまだ勉強が足りぬのだ。悟りが足りぬのだ。
 自分の在るべき姿、在りたい姿すら見えない。

 いつも目の前のことたちに翻弄されてしまいます。
 しかしそれを片付けねば、何もできない、動けない。
 でも放り出したくはない。
 まず片付けよう…。それから考えよう。

 取り敢えず5月中旬までは、(特に私的な分野に於いて)忙しくなりそうです。
 メールの返信が遅れていますが、別に怒っているわけではありません。
 気長に待っていておくれ。忘れた頃に来るかと。
2003年04月29日(火)

蜘蛛と葉桜

 金曜はクローネンバーグ監督の『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』(2002年/フランス・カナダ・イギリス)をMOVIX仙台で。
 首尾良く観れましたヨ〜。しかしいつものことながら、もっと早くに行動を興せないものか。もう一度観たい、と思ったところで後悔先立たず。

 『スパイダー』はファンが期待する(と思われる)「ヌルヌルグチョグチョ」こそなかったものの、意外なまでにドライな空気がこれまた秀逸。オープニングは特にシビシビにシビレル(欲を云えば歌詞を翻訳した字幕スーパーがジャマ)。ステキだ。

 クローネンバーグの描く、現実と虚構との曖昧な境界線は、けれどいつもしっかりとコントロールされている。「オチがわかってしまう」と云われてしまうのもそのはず。レイフ・ファインズ演じる主人公はその境界で右往左往していたとしても、映画そのものや視線、スタンスは始終キチンとコントロールされているのです。ワタシはまたもやクローネンバーグの掌の上で踊らされている。そして踊らされ続けたい…。


 ルコント監督の新作『歓楽通り』の予告を観ました。楽しみ!
 最近は予告編に目をそらすことをやめました。
 どうせワタシの記憶力や想像力なんてタカが知れているのダ。
 それにどうせ実際劇場の席に座れば、いつだってあっという間にスクリーンに取り込まれてしまうのダ。先入観なんてあったってなくなって一緒なのダ。




 土曜は爆睡、日曜は出勤。
 新卒ボクチャンは相変わらず。
 GWの出勤決定。

 満開の桜より、葉桜が好きだ。
 新緑と薄紅が美しい。
2003年04月21日(月)

そんな感じ

 昨夜のサッカー国際親善試合日本対韓国戦について、同僚T野氏に、「こういうとき、韓国と日本、どっち応援するの?」と聞かれました。
 んー、私はなんというかナショナリズムの発露する場所は相変わらずニガテでなのですが。
 やはり山下クンは目で追ってしまいますね。
 考えてみると、あの熱烈な応援も、ベガルタ仙台を応援するような、地元頑張れ〜な感情の延長なのかなと。そう思えば得心がいく感じで。ま、私が薄気味悪く思うほどそんなワルイもんじゃないのかも知れない。などと考えてみたり。

 そういえば昨年のW杯では熱烈に安貞桓選手を応援していた妹が、やけに大人しいので聞いてみたところ。

「安貞桓のあの髪ってホームパーマなんだって」
「ふーん」
「ホームパーマだよ?」
「それが?」
「それ聞いてもうダメ。サイアク。キモイ〜!」

 それまでは安貞桓選手の何が好きだったというのだろう(髪型か?髪型なのか?)。年頃の娘さんはワカラン。

 そんな妹も大韓民国をとりわけ応援しているわけじゃなく、「森岡〜」とか「楢崎〜」とか「なべやかん〜」とかイロイロ叫んでいました。母はわかっているのかいないのか、妹と一緒に「なべやかん〜」と叫んでいました。
 ま、うちはそんな感じで。



 クローネンバーグ監督の新作「スパイダー」は、今日も観に行くことが叶いませんでした。
 ラストチャンスは明日ですが、取り敢えず私の中では今のところ
 疲労<飲み会<仕事<「スパイダー」
 とまあ、こんな感じになっているので、まあ、大丈夫かと。
2003年04月17日(木)

頼む

 ダレなんでしょね、一体。
 今週は余裕が持てそうだなんてテキトーなこと云ったのは…。
 クローネンバーグの新作が終わっちゃうよう〜。
 明日!こそは!行きたい!!

 飲んだくれが教育係になってしまった不幸な契約社員ちゃんは明るく人懐こい子で助かってるけど、その分新卒ボクチャンに振り回されっぱなしでしゅ。
 あの〜…敬語って義務教育でやらんのですか?義務教育すら受けてない私には、どう教えていいかわかりませぬ。頼むよ…。
2003年04月16日(水)

怒る

 久々に怒っちゃった、テヘ。
 や、自分ではサ、割と大らかというか、寛容なほうだと思ってたんだけどサ。
 感情の起伏は激しくないし(情緒の起伏は激しいが)、怒ったり嘆いたりという、どちらかといえば高めのテンションに感情を揺るがすのは苦手な方だし。

 実際怒るときも、その場で「怒り」の感情を出すことが必要だったりすることもあるから怒るわけで、本当に心底頭にきて怒ることは少ないのです。
 わざわざ怒らないように努力しているわけではなく、なーんかあまりそういう方向に感情が働かないンですよね。勿論職場だからということもあるのですが。


 だから今日も逆に「怒りを覚えた自分」を知覚して、自分はこうも了見の狭い人間だったのか、という驚きと失望の方が先んじてしまい、表情や態度に出すのを忘れてしまったくらいで(←鈍い)。

 それというのも、怒った原因というのが、これまた本当にクダラナイことだったからなんですけどね。いま思えば表情や態度に表して怒らんでヨカッタ、と安堵します。
 「冗談ヌキに普段は温厚なんだって!」と云ったところで、誰も信じないだろうなあ、久々に自覚した怒りの原因が、新卒ボクチャンのタメ口だと云えば…。




 まあ、確かに腹が立ったことは腹が立ったのですが。
 何より、高校を出るまで先輩後輩たちと「オッパ」「オンニ(ヌナ)」(「兄さん」「姉さん」の意)と呼び合う環境にいた所為か、そうと意識せず自分にもコリアン特有の儒教的精神とでもいうのか、上下関係を重んじる感覚が染み込んでいるのかも知れない、などという考えに至り、なんだか愕然となってしまったのです。勿論それを日本人に強要するつもりなど毛頭ないし、自分自身も縛られるつもりはありませんけどね。
 それでもある程度知り合うまでは、例えたった一歳の差でも年上に敬意を表してしまうし、年下にも一方的にトンセン(弟妹)のように思ってしまう妙な癖はあるのかも知れません。まあ、誰にも信じてもらえないが実は割とヒトミシラーなので、思っているだけで態度には表しませんが。


 ま、プライベートでの友人やネット上の友人だとなんとも思わないのだけど。
 知り合って1週間なるかという職場の先輩に、いきなりタメ語って有り得るのかなあ…。それともやっぱりちょっと了見が狭いのかしら…。
2003年04月15日(火)

難しい

 「髪、襟足だけ黒くしてみたんだけど、どう?」
 と妹に聞かれて返答に窮してしまった土曜の朝。
 云われてみれば、確かに長い髪の内側だけ黒いような気もする。
 …なんだか滑稽だ。しかしここで馬鹿正直に「なんか滑稽」と答えようものならむつけられるのは必至。メンドい。とはいえ妹にコビを売って「うん、いいよ。かわいいよ」などと心にもないことを云ったところで、おいらを知り尽くしている彼女のこと、すぐに察してしまうのだろう。
 暫くぼんやりと悩んでいたら案の定怒りだし、挙句に「酒くさいよ!」と至極尤もな事実を以って糾弾された。
 なんで朝っぱらからこんなことで困惑しなきゃならんのだ。
 年頃の娘さんはムズカシイ。



 生涯に一度くらいは宿酔いで苦しんでみたい、さすれば記憶が失われる前に多少理性が働くのではなかろうか、などとバチアタリなことを思ってみたりもするのですが、やはり今回もサワヤカに起床してしまいました。ま、今日も出勤でしたから、そうとは知らず無意識にセーブが効いたのかも知れませぬ。それとも体質なのでしょうかね。
 出勤するや昨夜の面子から「別人のようでした」と笑われたりもし。ま、歓迎会も兼ねた花見でしたから、それなりにおいらのヒトトナリもご理解いただけただろうことだけはカクジツなのでよしとしますか。
 記憶の欠落した部分をたずねると、カラオケでは某蹴球漫画の主人公の如きサワヤカさで「お酒はトモダチだよ!!」と叫んでいたそうな。
 嗚呼、穴があったら入りたい…。


 今日を以って漸く仕事が一段落ついたので、来週からは少し余裕が持てそうです。が、退職社員の補充として入社する契約社員の教育係という任務を仰せつかりまして。
 まあ、先日辞めた同僚も、お金かけて研修やらナニヤラさせて、サテこれから頑張ってもらおうという矢先に「ニンゲンカンケイ」を理由に辞められたわけですから、さすがの上司も考えた模様。それはわかりますが、おいらに何を教えられるっつーんだ、アキラカに部署違いなのによう…。
 ひとに教えるのはムズカシイ。
 けど、ま、頑張りまふ。やるからには。
 こんな飲んだくれの先輩ですが、宜しくネ。
2003年04月12日(土)

手探る

 なんだか突然岡田あーみんが読みたくなり、本棚を漁る。
 「お父さんは心配性」
 「こいつら100%伝説」
 「ルナティック雑技団」
 類稀なる感性の迸り。どれも素晴らしい。傑作。
 「りぼん」誌にいないことだけは確かだが、岡田あーみんは、もう漫画を描いていないのだろうか。だとしたら惜しいことだ。
 




 目のウロコがない。
 目に入っていないということは、はずしたのだと思うのだけど。
 昨夜は当然ながら眠れず、台所から失敬したワインが禍した。記憶がナイ。
 家の中にあることは間違いないが、裸眼では探せない。
 現在モニターとの距離は約10cm。
 日頃如何にウロコに頼っていたのかを痛感する。
 
 予備の眼鏡があった筈だが、作った高校在学当時に比べ視力低下著しい今では殆ど用を足さないだろう。しかしないよりはマシだ。
 探してみますかね。まず眼鏡を、それからウロコを…。
2003年04月07日(月)

過ぎる

 F1ブラジルGP決勝を観ながら書いているンですけど。
 セーフティーカー5回出動、レッドフラッグで終了。
 いくらなんでも、ちょっと…荒れ過ぎ…。
 こんなに多くのマシンが大破したレースを見るのは初めてで、少しショックです。死者が出なかったのが不思議なくらい。アロンソの怪我は大丈夫でしょうか。前2戦、それにクラッシュ前まではいい走りを見せていただけに心配です。

 F1のレギュレーションって、ちょ〜っと解りにくい、ていうか納得しにくいところがある。FIAの判断も、ビミョーなところをバッサバッサと切っていくところは頼もしく思うし(97年のシュー兄全ポイント剥奪とか)、おかげでドライバーの死に繋がるような事故も少なくなってるんだろうけど。
 こういうレースになる前に、止められないものだろうか、と思ってしまいます。
 んー結果論かなあ…。




 昨夜は同僚の退職を聞き、さすがに落ち込みました。
 そして飲み過ぎました。
 そして寝過ごしました。
 久々の休日だというのに、起きたら夕方だった…。
 丸半日寝ていました。いくら何でも寝過ぎです。
 勿体なさ過ぎです。
 ていうか、これから眠れるンだろうか?
2003年04月06日(日)

鈍い

 仙台フィルの定期演奏会にオーレ・エドワルド・アントンセンがゲストでいらっさるとか。
 ワオ!ナマでアントンセンのプレイが聴ける日が来ようとは。
 コンチェルトだというから楽しみだ。




 去年入社した同僚が辞めた。
 無断欠勤1週間の果ての、労いも、別れの言葉も何もない、突然の退職だった。
 いつも、明るく笑っていたから気付かなかった。
 ほんとうに突然だった。

 直接聞いたわけではないが、一番の理由は人的環境だと思う。
 かつて彼女と同じポストにいた人たちは、皆コトゴトク同じ理由で辞めている。そしてその去り際も、まったくよく似ていた。

 「ニンゲンカンケイ」のグダグダというやつは、長くこの職場にいた所為か、経理という職種の為か、多くに「ドライだ」と評される性質の所以か、私自身は割とヘーキだ(但し、業務自体が良心に問わなくてはならないよーなものじゃない限り、という条件ツキで)。
 しかし、それは彼女への配慮を怠った理由にはならない。
 他人が、自分と同じ考え方や感じ方をするわけではないということは重々承知しているはずなのに、去年彼女と入れ違いに辞めた人の話(愚痴とも云う)を一番聞いて、その辛さを一番理解していたのは、他でもない、私だったはずなのに。


 また、傍観者だ。
 鈍い。
 生来鈍感だが、こんなに己の鈍さを呪ったことはない。

 私が動いても、何も動かなかったかもしれない。
 彼女の気持ちや、環境を変えることはできなかったかも知れない。
 けれどこんな形で辞める前に、なにかできたのではないかと呪う。
2003年04月05日(土)


 昨日は色々な人にコッピドク騙された。
 極め付けが河北新報の夕刊。
 エイプリルフールの表記が小さいんだよっ!!こんちくしょい〜!


 そんなこともありまして。
 レスリー・チャン(張國榮)さんの訃報を聞いても、俄かに信じることはできませんでした。



 彼が自死を選んだことについて、語る言葉を持たない。

 しかしレスリー・チャンという役者は好きだ。
 過去形では云うまい。今もとても好きだ。
 彼の持つあの名状しがたい空気が好きだ。
 どこかナルシスティックな弱々しさが、時に退廃的な影を帯びたり、時に暴発するかのように、エネルギーに還元されたりする様を見るのが好きだ。
 スクリーンで会うことが、とても楽しみな役者のひとりだった。



「最後に見るものが何か知りたい。だから目は閉じない。」


 『欲望の翼』(王家偉監督/1990年香港)での、彼の台詞を思い出す。
 彼は最後に何を見たのだろうか。


 ただただ惜しまれる。
2003年04月02日(水)

新年度

 昨夜は東北一周。
 といっても日本酒で。

 時期的に体調管理には気を遣っていたのですが、つい花見まで待てず。
 日曜のミルコ・クロコップvsボブ・サップ戦がトリガーになったことも否定できませんけれど。サップの怪我は大丈夫だったンでしょうかネ。

 じょっぱり(青森)から始まって、飛良泉(秋田)、初孫(山形)、最後に浦霞(宮城)で〆。飛良泉は特にアタリでおいしゅうございました。
 岩手と福島の旨い酒はなんだろう?情報求ム。
 久々にヘベレケに飲んだくれ。



 巳年の夏生まれの所為か、シツコク同じ話題を蒸し返しますが。

 ヒトサマの貴重だったり貴重じゃなかったりするお時間を、兎も角も拝借し、己の文章を晒し、己を晒す。
 「日記」の在るべき姿などあるはずもないけれど、取り敢えず自分は、ヒトサマはどうあれ自分は、この場が自己の発現欲を満たすためだけではなく、少しでも、ちょび〜〜っとでも、自己投企の場でありたいと思うわけだ。アンガージュマンを気取るわけじゃないし、それこそガラじゃないのだけどサ。

 というか、もそっと、こう…なんていうの?色々なことに能動的でありたいと思うんだなあ。子供の頃から積極性が足りないと言われつづけているし、本人も自覚してもいるけど。
 今の自分に満足しているわけでは決してないけれど、なんだか諦めばかりよい気がする。そんでそれで別に不都合もないのだけど。あ、違うな。不都合がないし、諦めることがイヤじゃないから困るんだ。
 特に不都合はないし、諦めれば済むことですけれど。
 心のどこかにはあるのかも知れない。諦めたくない、という気持ちが。


 2003年度はあせらずゆっくり。頑張っていこうと思います。
2003年04月01日(火)

メイテイノテイ / チドリアシ

My追加 エンピツユニオン
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