ウェア規定に物申す。

 全米オープンテニス開催中です。
 試合が見たいよう…
 我が家はWOWOWに加入していないので、スクランブル放送を細眼で見ていたりする。
 ばかですか?ハイ、ご尤も…。

 浅越選手敗退。あう〜。
 杉山選手は初戦突破。嬉しいな。
 ウィリアムズ姉妹、サフィン、ヒューイットなどシード選手は順当に勝っている模様。
 しかしすごいですね、セレナのウェア。
 黒です、ピチピチです。
 スタイルに自信がないと着れない系。
 なんかもぉ…「女豹」って表現がピッタシ。つーか、「水着」とか言われてますけど、いいんですか?アレ。

 女子のハデハーデでピチピーチなウェアは前々から話題になっていたけど、男子でも何やら論争を巻き起こしそう。
  
 1回戦のコートにノースリーブのウェアを来て入場したドイツのトミー・ハース選手が、「慣例的に受け入れ可能な服装」というグランドスラム大会の規定にそぐわず、事前に許可の申請もしていなかったとして、その場で着替えを命じられたとのこと。

 どんなウェアなのか見ていないけど、男子では珍しいですね、こういうこと。
 一昔前にアガシがデニムのウェアを着て話題になったけど、確か大会前に許可とったんじゃなかったかな。

 ていうかさ。慣例的というなら、女子も男子も白の襟付きでなければいけないンじゃないだろうか。
 女子はだいぶ前からノースリーブのウェア着てンじゃん。
 女子はよくて、男子はダメという方がおかしい。
 大体ウィンブルドンは厳しくして、ほかのグランドスラムはOKというのもおかしい。
 女子を認めるなら男子も認めるべき!
 ま、今回は事前に許可をとらなかったハースも悪いんだけど。
 いちいち申請しなきゃいけないなんて、テニス会もまだまだ保守的だわね。

 や、個人的には白いウェア、すげー好きなんですけどね。
 でもカラーのウェアもめんこくって好きなんだよね。
 要するにどっちでもいいんだけどね。たはは。
2002年08月29日(木)

なぜ日記を書くんだろう?

 こないだ日立のヒットプラザに行ってきた。
 缶ジュースしか置いていないインターネットカフェみたいなところ(違う?)。1000円カードで一時間30分くらいかな?安いのか高いのかよくわからんが。一時期すごく混むようになって足が遠のいていたんだけど、久々に行ったら結構空いていた。


 別に急いで調べたいことなんてないんだけど、こういうところに来て何をするかというと。
 前に使った人の履歴を見て楽しんでいるのです。ふふふ。
 新しい世界を開拓できたりして、結構楽しい。
 ワタシのような人間がいるから、別にイカガワシイものを見ていたわけでもないのに、自分の履歴は消して帰ることにしているのさ。

 ま、そんなことしつつ、いつもの癖でエンピツ(この日記のレンタルサーバ)へ。
 Myエンピツ(ユーザー同士で使えるブックマークみたいなもん)を開いたら、全然身に覚えのない日記ばかり。
 アレ?
 と思ったら、なんと前に使った方が、エンピツユーザーだったのでした。
 そんで環境設定いじってそのままだったみたいね。
 パスワードとかは記憶されてなかったけど、危険ですよー。気をつけましょう(勿論消しときました)。


 考えてみればさ、IDを見ればお分かりのとおり、ワタシが登録したときは300前後しかいなかったユーザーが、今じゃID9万台ですよ、すごいなあ。
 ワタシが登録したときはMy機能なんかなかったし、デザインもあまりなかったもんなー。
 web日記が流行っているって聞いてたし、「ダ・ヴィンチ」誌にもそういう記事が載ってたけど、すごいですねえ。


 なぜワタシ日記を書くんだろね?
 ワタシは高校出るまで、日記なんて書いたことなかった。
 他人の目を気にしない文章というか、読む対象のない文章が書けなかった。
 いま現在他人に見せられるよーな文章が書けているかというと、ハナハダ疑問なんだが。

 なぜみんな日記を公開するんだろね?
 みんな誰かに理解して欲しいのかな。
 みんな寂しいのかな。
 ワタシは?
 別に寂しくはないけど。
 でも理解してもらいたいのかも。
 怒っていることや、嬉しいことを知ってもらいたいのかも。
 それってやっぱり寂しいってことなのかな。
 それとも変なところで露出狂なのかな。

 自分でも理由がよくわからんことをやっている。
 理由なんてイチイチ必要ないのかも知れないけど。
2002年08月27日(火)

言い訳

 夕方頃書いた日記を夜に読み返したら、あまりに感情的で気恥ずかしくなってきた。
 一端削除します。どうもスミマセン。
 もう少し冷静になって整理してから書きなおそうと思います。





「語られるべき物語はたくさんある。僕らの物語は本当の意味ではまだ語られていない」

 アフリカン・アメリカンの映画を撮りつづけるスパイク・リーの言葉です。
 もちろん「僕ら」とは、アフリカン・アメリカンを指すのだと思う。

 在日コリアンについても、まだまだ語られるべき物語がたくさんある。

 けれど私は、私達在日コリアンが感情的になり、日本人を差別し返すことを止めなくてはならないと感じている。



 私の感傷は、差別されたことのない人間の甘っちょろいロマンシズムなのかも知れない。単なる奇麗事なのかも知れないけど。

 お盆休みや祭祀で色々な人と話したせいか、思うことが多かった一週間でした。
2002年08月22日(木)

日曜から仕事だ・・・

 実は、昨日の日記は半分酔っ払いながら書きました。
 スミマセン。
 でも、ま、いっか。たまには。
 


 昨日のようなことを書いていこうとすると、いつも壁に突き当たる。
 自分の不勉強による壁。
 ワタシはまだまだ、まだまだまだまだまだ、色々なことを知らない。
 わからなくて書けなくなる。

 でもまあ、昨日の日記は、ワタシの事情ですんで。
 「在日朝鮮人」と「在日韓国人」は別だという考えの方が一般的です。
 それは否定しない。
 けれどワタシは、どちらでもない。
 帰属すべき「国家」がわからないから、どちらでもないとしか、云いようがない。
 
 だから「在日コリアンである」と名乗る。今のところは。


 結局のところ、国家や国籍は関係ないといいながら、ワタシ自身が一番こだわっているのかも知れないな。
2002年08月16日(金)

終戦記念日です。

 終戦記念日です。
 ワタシたちは「祖国開放記念日」といいます。
 しかし、どうしてお盆休みって、こう飲む機会が多いンでしょーね?
 相変わらず飲んだくれております。




 さて。
 在日コリアンのことを「在日朝鮮人」と「在日韓国人」と分けたりしますね。
 で、大抵「在日朝鮮人」だと北朝鮮系のひとだと思われがちですな。
 「在日韓国人」だと韓国系のひとだと思われがちですな。

 でもさ、大韓民国も朝鮮民主主義人民共和国も、50年ほど前に出来たばっかの国なのよね。
 そんでさ、その前に日本に来たおいらのじじばば達は、50年前に

 きみらはもう日本人にあらず。さあ、どっち?

 てことになったとき、2つに別れた国のどちらかを選ばざるを得なく、ワタシの父方のじじばばは、そこで北朝鮮を選んだわけですな。
 ま、そこらへんの事情は、じじばばはもう生きていないので聞けないンですが。


 なんでこういうことを書くかというと
 「朝鮮人?」って聞かれたときに困っちゃうわけで。
 「韓国人?」って聞かれたときも困っちゃうわけで。

 そう聞かれたとき、50年前のじじばばの選択によって、ワタシは「どちらか」にならなくてはいけないのかな、と思っちゃうわけで。
 でもワタシはどちらの国にも親戚がいる。
 どちらの国の人とも言葉が通じる。
 どちらの国の歌も歌える。

 そんなこと言い出したら
 ワタシは日本生まれの日本育ち。
 日本人と苦もなく会話できるし。
 日本語の歌も歌えるし。


 結局ワタシは「在日コリアン」なのだ、としか云えないんだな。

 「ナニナニ国人」の定義ってなんだろう?


 秦河勝はナニ人か?
 小泉八雲はナニ人か?
 ラモス瑠偉はナニ人か?
 辻占スティーブンはナニ人か?

 うん、日本人ですね。日本国籍を持っているもの。
 で、もしワタシが日本国籍を取得したら、日本人になるわけね。
 でもワタシの朝鮮料理好きは変わらないし、朝鮮音楽好きも変わらないし、民族学校時代の友人と縁を切るつもりもないし。
 もし祖国に永住することになったとしても、ワタシの日本料理好きは変わらないし、日本音楽好きも変わらないし、日本人の友人と縁を切るつもりもないし。
 だったらワタシの何が変わるというのだろう。


 ワタシは確かに「在日コリアン」だけど、
 国籍というカテゴリはあんまりカンケーないなあ、と思っちゃうわけです。


 でも国家はあるから
 民族はあるから
 宗教はあるから
 ヨノナカは大変だ。


 なんか酒飲みながら、そんなことを考えてしまいました。
2002年08月15日(木)

友達と飲む2

 昨日に引き続き、友達と飲んできました。
 帰省して来た友達や、普段忙しくて会えないけど、お盆休みになった友達12人くらい。
 みんな民族学校時代の友達。

 パパになった人がいたりして。
 今度結婚するという話しを聞いたりして。
 国分町の店を3軒ほどハシゴした。


 あまり人間の好き嫌いはないのだけど、苦手な人というのはいまして。

 彼のソーレンに属する人間特有の頑なさが苦手だと思っていたのですが。
 そんで、それはそれで別にかまわなかったンですが(思想的に相容れなくても友達は友達)。

 その人と酔っ払いながら色々なことを話しました。
 ソーレンの在り方とか、民族教育の在り方とか、チュチェ主義のこととか。
 果ては恋愛相談やセックスのことまで。
 少しは理解できたかも知れない。

 うんにゃ。
 理解できなくても、話し合うことは大切だ。

 話し合いもせずに排除したり敬遠するのは
 話し合う労を惜しんでいるだけ。身勝手で愚かなことだ。


 ワタシはそうなるまいと思っていたのに、いつのまにか、話し合いもせずに彼を敬遠していた。

 反省。



 もっと話し合おう。
 理解しあう努力をしよう。
 酒を飲みながらでも。
2002年08月14日(水)

友達と飲む

 友達のSちゃんと飲んできました。
 長町南駅近くに今日オープンした串揚げ屋の店。
 沖縄のお土産にハム太郎(笑)のちんすこうを渡す。
 Sちゃんは今ウォンビンに夢中らしく、彼の出演するドラマについて熱烈に語ってくれた。


 Sちゃんとは民族学校の幼稚班からの付き合い。
 数えてみると20年近くになる。まじかよ、すごいな…。
 地方の民族学校だと1学年1クラス編成で高3まで一緒というケースが珍しくないのだ。


 彼女とは気が合うとか合わないとかじゃなくて
 そういうのを超えた友人だな、と思ったりする。

 Sちゃんがどんなことをしようが
 ワタシがどんなことをしようが
 ワタシたちは、ずっとこんな感じで、たまに会っては飲んだりするんだろうと思う。

 単なる慣れかもしれないけど。

 彼女もそう思ってくれるといい。
2002年08月13日(火)

夏の名残

 帰宅したら、沖縄から送った宅急便が届いていた。
 沖縄で買ったシーサーちゃんです。
 玉に乗ってます。
 阿吽です。1万円したんです。かわいい…ウットリ。

 上機嫌でビール飲みながら、社員旅行の写真をプリントアウトしていたら、飲んでいる写真しかなかった。
 泡盛飲みに行くというのは、あながちウソじゃなかった。有言実行。ふふふ。
 一日目、二日目、三日目と、同僚が日々ビミョーに日焼けしていっているのがおかしい。
 ん?日焼けじゃなくて酔ってンのか?



 さて、地元民は親子連れとカップル以外はほとんど行かないというもっぱらの噂の仙台七夕祭りだけど、今年は結構盛り上がったらしいですね?
 ワタシは見てないんで、わからんのですが。今年は珍しく晴れましたね。
 駅周辺は人が多くて辟易してたのサ。

 そういや仙台の祭りが参加型じゃなくて見物型なのは、伊達政宗公の意向だと、いつかタクの運ちゃんに聞いたことがあった。
 本当かどうかは知らん。



 七夕が終わったし、仙台西高負けたし…もう夏も終わりね…まだ暑いけど…。
 ってことは、次はジャズフェスですね!
 あんまりジャズじゃないけど、そんなこと気にしない。
 街が音楽に包まれる。すごい好き。すごい楽しい。
 早く秋にならないかなあ。
2002年08月09日(金)

ただいま

 社員旅行から無事帰仙いたしました。
 よかった…無事に着いて。帰りの飛行機、すっごい揺れたんだよぅ〜!

 とても楽しかったです。
 沖縄料理や泡盛はおいしいし。
 シーサーは可愛いし。
 タクシー安いし(初乗り400円台!)、交渉次第で更に安くなるし。
 思ってたより暑くなかったし。


 困ったことと云えば、米がまずいことですかね。
 だめなの…お米がないと。
 トニィ〜力が出ないよう〜〜みたいな感じで。
 いやはや。


 今回酔っ払って色々な人に迷惑をかけました。
 ごめんなさい。って読んでないか、テヘ。
 まあ、でも倒れたり吐いたりしてないから、まだいいじゃん?
 倒したり殴ったりしたけどさ…。
 猛省します!
2002年08月06日(火)

「Run for your Wife」を観る

 せんだい演劇工房10-BOXで、リタラリー・ギルド・シアターの「Run for your Wife」を観てきました。
 地元劇団の演劇を観るのは、実は初めて。
 所謂セミプロ劇団の演劇というのは、妙に才気走って「わからん厨房は逝ってよし!」みたいなノリかな、というイメージがありまして。
 脚本を書いたレイ・クーニーさんは、私ですら名前を知っているシチュエーションコメディでは有名な劇作家さんだったので、興味を持ったんですが。
 反省。
 先入観はイカンね。
 エンターテイメントな感じで大変楽しゅうございました。腹抱えて笑ったよ。
 今度からは地元劇団の舞台もチェックしてみようかな。



 10-BOXは今年春に出来たばかりの演劇専門の練習施設で、大道具を作るところもあったりして、値段も安いらしくて、質実剛健な感じ。
 しかし暗い。恐い。道がわかりづらい。
 
 でも帰りに無料バスがあるのはいいわね。
2002年08月02日(金)

メイテイノテイ / チドリアシ

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