佐藤賢一著「王妃の離婚」読了。 映画などでは所謂「裁判モノ」は好きなジャンルのひとつでしたが、小説は初めて。大変面白く読みました。
ワタシ自身は男女の間にどうしようもない考え方の違いがあるとは、あまり思わないのだけれど、女性の描写や性描写、結婚観などがいかにも男性の文章という感じを受けた。 優劣ではなく、普遍的な、埋まらない差異というものを感じてしまったわ。 理解できなくはないけど、共感はできない部分がある。 それは仕方ない。
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裁判といえば、日本でも裁判員制度の導入がほぼ決定とのこと。 アメリカなどの陪審員制度とは違い、一般から選ばれた裁判員が、裁判官と協力して審理に参加し、判決を下すという制度(法律方面はゼンゼン明るくないので間違ってたらゴメン)。 これはもうほぼ決定で、いま細かい部分、裁判員の選出方法とか拘束時間とか、報道規制の問題ですね、それを決めようというところらしい。
裁判員制度が導入されれば、裁判員として出廷し、他人を裁かなくてはならない。 まあ、ワタシのような外国人にはお呼びはかからないだろうけど。 ワタシにひとりの人間を裁くことができるだろうか。
それを確かめるため5月に仙台市弁護士会で、この裁判員制度を入れた模擬裁判があったので見にいってきた。 模擬裁判だし、簡単に裁決が下せるとツマランので、わざと複雑な「おはなし」にしたらしく、審理はかなりモメました。無罪にも有罪にも決定的な決め手がなく、評決も割れましたが、結局は無罪に。 河北新報に、一般人が有罪判決を下すことの重みに耐えかね、また冤罪を恐れるあまり公正な裁判ができないのではないか、つまりヌルい判決が下されるのではないか、という記事が載ったけど、ワタシはこれでいいと思う。 無罪推定てんですか?決定的に「有罪」でなければ「有罪」になってはいけないのだ。 逆に絶対に有罪だという判断ができれば、容赦してはいけない。
実際にはこんな裁判はあまりないらしいけど、現実に仙台で起こった準看護士による筋弛緩剤投与事件の裁判は、まさに主張が真っ二つに割れているわけだし、あながちフィクションの世界だけの話というわけではない。
ワタシに他人の人生を左右する勇気があるか。 ワタシに人間を裁くことができるか。
あなたは人間を裁くことができますか?
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