空色の明日
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2010年09月30日(木) You may dream

夫はよくでたらめな歌を歌う。
歌詞がとにかくむちゃくちゃだ。

自分独自の語呂やリズムで
言葉を当てはめて歌詞をつけるので
意味はどっちでもよいらしく
ポニョの歌などはお風呂で大声で
「ポ〜ニョポ〜ニョポニョ裸の子!」
と歌うものだから恥ずかしくて仕方ない。
ポニョは赤い服を着ているぞ。
裸じゃないっつーの。

そんな調子でとにかくよく歌を歌う。
正直ちょっと音痴だ。
そんなのお構いなしで歌う。
その拍子が抜けそうな感じが
ゆるくて笑えてしまって好きなのである。

彼は決して音楽に詳しくない。
むしろ疎いほうだ。
名前なんて決して覚えない。
「いきものがかり」を「もののけひめ」と
呼んでしまうぐらいいいかげんだ。
(「もの」と文字数しか合ってないし)

そんな彼が、昨夜突如
「あ・さ・も〜やの〜」と歌いだした。
なんでだ。
なんでシーナ&ロケッツが
彼の口から出てくるんだ。
またでたらめに別の歌をたまたま歌ったのかと
思ったら「朝もや」の次はいきなり
「ゆめ〜・ゆめ〜・ゆめ〜」と歌った。
相変わらず音程はかなりぼんやりである。

私の頭の中からもすっかりご無沙汰していた曲なのに
なんで夜中に突然その曲が出てくるんだ。

まったくもって不可思議な人である。
だから油断ならないのだ、私の夫は。


2010年09月27日(月) 文庫

滋賀の帰りに京都へ。

ずいぶんひさしぶりのふろうえんさんで
美味しいカツオの定食。
お刺身のカツオにたまねぎやセロリや
トマトのイタリアン風ドレッシング。
初めてきたときに食べたのもこれだったな。


それから、一乗寺駅近くの
恵文社という最近話題の本屋さんへ。
非常に偏ったセレクトで面白い品揃え。
ヴィレッジ・ヴァンガードを
大人向けで京都風にしたような感じ。
雑貨やアクセサリーもあって魅力的なお店でした。

一緒に行った旦那さんは
「お客さんがみんな頭良さそうに見える」
と言ってた。
京都ってなんかそういうイメージがあるな。

「すてきなさんにんぐみ」の愛蔵版ミニサイズ本を
みつけたので購入。
大人になってから集めたお気に入りの絵本も
本棚にずいぶん増えたのですが
ざらっと見る限り子供の頃にこれらが
好きだった私ってかなりひねくれ者な子供だなと
思うのは、どの作品も主人公が性格悪くて
途中で改心するパターンのものがほとんどだから。

「きみなんて大嫌いさ」とか
「キスなんて大嫌い」とか
「さむがりやのサンタ」とか
みんな主人公の眉間にしわがよってる(笑)

「やっぱりおおかみ」なんか
ものすごく孤独に満ち溢れてるし
「ぶたぶたくんのおかいもの」は
ストーリーはかわいいのに
絵がなんとなくへんてこで怪しげだし。

こんな本ばかり好んで読んでたことに気づかず
母は「はなのすきな牛」とか「小さなおうち」を
大切に保管してたりする。
正直この2冊は、私には非常に退屈な絵本だったのに。

だから本当に好きだった本を今買い集めている。
名前をつけるとすれば「へそまがり文庫」なんて
いかがでしょうか。


2010年09月26日(日) お墓参り

1年ぶりに近江八幡へダンナさん一家のほうのお墓参りに。

春のお彼岸にお参りに行こうと決めていた朝に
私の父が入院したので義父には申し訳ないけれど
ずいぶん久しぶりのお参り。

山と海の隙間の狭い町で生まれ育った私には
金色の稲穂が一面に揺れる広い広い近江平野の
この季節の風景はどこまでも広大で
じんわり湿った心の中を涼しい秋風がカラリと吹き抜ける
心地よさに深呼吸ばかりしてしまう。
彼岸花が咲き始め、稲刈りに忙しく働く人たちの
活気にあふれた姿に夏の疲れを忘れる。


お墓参りを済ませ、いつもいく八幡堀あたりへ。
予想通り観光客で大賑わいのクラブハリエとたねや。
ダンナさんの弟が好きな昔からある瓦せんべいの
お店を探しているとみつからない。
瓦せんべいや丁稚羊羹よりバウムクーヘンのほうが
お土産としてはいまどき喜ばれるのもわかるけれど
それで町並みが変わってしまうのも悲しい現実。

織源さんで稚鮎の佃煮を買う。
佃煮だけど塩分が控えめで美味しいので必ず寄る。
あと、清寿家さんのういろうも。
甘みが優しくてついつい食べちゃうこちらのういろう。
名古屋のとはちょっと違う素朴さがまた美味しい。


父が子供の頃この八幡堀に数年、間借りしていて
その時の思い出がとても楽しかったとよく話していました。
当時住んでいた家がずっと閉鎖されたままになっていたが
ここ数年ギャラリーのようにして開放されていて
今回行ったら、家の中をほとんど全部見ることができて
「お父さん、帰ってきましたよ」とばかりに
ゆったり見せていただきました。
天籟宮という名前でカフェもやっていらっしゃるそう。
お堀を眺められる二階の窓から、まだ小さな彼が60数年前にみた
景色とほぼ変わらず今も見られるその景色に
なんとなく不思議な気持ちになるのでした。

そんな縁のある近江八幡出身の人と
こうして夫婦となって、時々訪れるようになるということも
なんだかまた不思議なものです。


2010年09月21日(火) 映画と餃子と読書

映画「トイレット」を母と見に行く。

もたいさんの無言の演技がさすが。
途中、おばあちゃんっ子の私としては
感動するところもあるけれど
あの映画が5つ星にならない理由もなんとなくわかる。
見終わった後の満足感がちょっと何か足りない。

母曰く「若い人の撮る映画は
人を簡単に死なせるけど
人はそう簡単には死ねないのに。」と。
最近、痴呆がますます進んでいる祖母に
みんな気持ちが少し重たい。
私は子供の頃から祖母は祖母であったけど
母にとっては若い頃から見知ったその人が
変化していくことは、見ていてとてもつらいだろう。

私が行くと祖母は少ししゃんとして
笑顔になるのでなるべく顔を見に行くようにしている。
そのへんのところがいつまで続くのかもわからないけど。

映画は三ノ宮で見たので
その後、元町の大丸4階のダニエルでお茶を飲む。
ダニエルのケーキは大好き。

そして南京町でそれぞれに餃子の皮を買って帰った。
映画の途中で餃子が出てきたので
買わずには帰れない状況。

帰って餃子を作ったら皮が少し残ってしまって
翌日の晩御飯に中華スープを作り
もやしと干ししいたけと一緒に
この皮を半分に切ったものを浮かべる。
1枚づつ入れないとあっというまに引っ付いて
かたまりになってしまうけど
ツルリとした食感が美味しかった。


川上弘美さんの「パスタマシーンの幽霊」を読む。
雑誌「クウネル」で連載されていた短編を
1冊にまとめたもの。
川上さんの短編は短い中にとても起伏があって
それでもいつもの柔らかい空気感があって
とても心地よく最後まで読む。


2010年09月10日(金)

検査とはいえ入院の手続きに
連絡先を3人書かないといけなかったので
ダンナさんと母と弟の連絡先を書き
一応状況を報告していました。

昨日、弟に
「検査は大丈夫でした。ご心配おかけしました。」
とメールしたら夜にメールが返ってきました。

「よかった。よかった。ほんとによかった。
今度チャボのDVD貸したげるわ」

とはじめて涙顔の絵文字付きで。
普段は返事も返ってこないのに。

生まれて初めて姉弟愛を感じたね。
ま、私も弟が癌だったら猛烈に悲しい。

弟の奥さんが言うとおり
ほんとに会っても一言二言しか喋らないけど
やっぱり仲いいな、私たち。

それにしてもチャボのDVDって。
彼なりの最大の愛情表現だな。これ。


2010年09月09日(木) 憧れと乳癌

ポッキーのCMにYMOが。

たぶんこのCMを作ってる人は
まさにYMOで育った世代なのだろうなぁ。
育ったものをこうして自分の手で
再び作品にするのって夢だよなぁ。。
と感じさせられるCM。

思えばきっと私がこれまで見てきた
いろんな物事もそんな思いで作られた
ものがたくさんあるのだろうなと思う。
「モテキ」しかり。

堤さんの作品はかっこいいけど
やっぱり私よりお兄さん世代で
わからない部分もたくさんある。
でも大根さんだったりクドカンだったり
同世代の人の作品はちりばめられてる
いろんなパーツすべてがわかっちゃうから
作品から受け止める重さがぎっしりと重い。

きっと20代の人たちは
今私が感じてる「ちょっとわからない部分」を
私のぎっちり世代の作品に感じているのだろうな。
そしてそれはずっとずっと先まで憧れのまま。
追いつくことはできないでいつも見上げているのです。



夏のはじめにマンモグラフィ検診でひっかかり
細胞をとって検査するマンモトーム生検というやつを
この前やってきました。
ようは、マンモグラフィを撮ってる状態で
2ミリほどの注射針の太いようなやつを
怪しい部分に刺して、細胞を吸い込んでカットし
それを検査するというもの。

針をさす場所を3〜4ミリ切開してから刺すため
多少血が出たりするので一泊入院しましたが
局部麻酔したのでまったく痛みもなし。
麻酔が切れてからも1日は切り傷のような
軽い痛みはあったけど普通にお風呂にも入れました。
2日目には普通に仕事もできるほどです。

乳腺の中に石灰化した小さな砂のようなものが
天の川のように繋がっていたり、密集している様子が
乳癌の初期症状にみられることがあるそうで
そういう部分をカットして検査するのですが
そんな症状がある人でも実際に乳癌なのは25%ほどだそう。

そんなこんなでこの夏はなんとなく憂鬱な気持ちで
検査待ち、結果待ちしていましたが
今日、結果を聞きに行ったら
癌ではなかったのでほっと胸をなでおろしました。
症状からしても0期程度だったので
たとえ癌だとしても治るといわれていましたが
やっぱり気持ちは優れなかったようで
検査が終わって会社に行って
おせんべいをパンチで割ったりしてたら
「安藤さん、やっと元気が戻った」といわれました。


2010年09月07日(火) モテキ

「モテキ」すごいわ。
あ〜、ほんとすごいわ。

前週は深キョンの「スイミング」に
カウンターパンチくらいましたが
この前はなんと小泉ねえさんの
「この涙の谷間」がっ!!!

え!!このベースの前奏はもしかして!!!
TVにむかって「なんですとっ!」と
つっこんだ途端にCMに入りましたが
またCM明けにもう一度スタート。
すごいです、「モテキ」。


2010年09月05日(日) はさみ

愛用しているヘンケルの文具用はさみが
少しさびてきたので、おもむろに砥石を出す。
普段職場で刃物やヤスリを毎日売っているくせに
自分の所有する刃物はずいぶんと手入れを怠っている。
せっかく砥石を出したのだからと
包丁やらぺティナイフやら片っ端から研ぐ。

私の包丁は結婚するときに父が持たせてくれたもので
刃物で有名な三木市で名前まで入れて
調達してきてくれたもの。
今となってはこれが一番の形見になってしまった。


この前、父の持ち物を整理していたら
はさみが二つ出てきた。
ひとつは私が社会人になってはじめてのお給料で
父にプレゼントしたヘンケルの剪定ばさみ。
もうひとつは、母が父にはじめてプレゼントした
糸きりはさみサイズの小さな鶴の形をした
これもまたヘンケルのはさみ。
親子でなぜか同じ人へのプレゼントはヘンケルのはさみ
なんておかしいねといいながらそれぞれに
送り主の元へ帰っていった。

刃物は一生もの。
研いで大切に扱えば本当に一生助けてくれる。
刃物を送るのは縁起が悪いとも言うけれど
いつかは別れる親子ならばそれもよかろうと
お互いに送りあったもの。

私がお客さんに売っているはさみは
ドイツ製で刃や部品が全部交換できるようになっていて
1丁買うとこれもまた一生もの。
私が昨日売ったはさみが誰かのところで
一生大切に愛されればいいのに。

モノは買い替えればいいように
安価で短命に作られるこのごろ。
いつかは形見になると思えば
こんなふうに大事に使えるものを送ることって
とても意義のあることなのにな。


2010年09月04日(土) ふと気づいたことあれこれ

この前の「モテキ」で深キョンの「スイミング」が流れて
うわぁ〜、また大根さん私の好きな曲入れてるわぁと
思いつつ、そういえば深キョンの曲は
好きな曲が多いなと思いながら振り返っていて
あることに気がついた。

デビュー曲の「最後の果実」という曲が
結構好きで久しぶりに聞いてみたら
ん?これどっかで聞いたことあるぞと思うと
aikoのデビュー曲「あした」と
アレンジまでそっくりだなと思い調べてみると
どうも作曲家が同じでしかもリメイクとのこと。

とはいえ、どちらの曲も私の耳にはがっつり残って
しっかり購入しているのですから
私的にはメガヒットなのですが。


ふと気づいたといえば
本当におとつい気づいたことなのですが
リンゴ・スターという名前の
リンゴ=appleだというイメージを
物心ついたときからずっと思っていて
ふと、あれ?リンゴって日本語だよね。
なんでイギリス人なのにリンゴ?親日家?

いや、私が生まれたときから
リンゴ・スターは存在するのですよ。
appleという言葉を知る前から
リンゴ・スターなのですよ。

思い込みってすごいよね。
40年違和感なく林檎好きな人なんだと思ってたのね。
そしてしかも日本語で。

本当は全然そういうネーミングじゃないらしいんだけど
40年も不思議に思わなかった自分が怖い。

ある意味ケンミンショーで当たり前のようにしていることを
他県の人がしてないことに気づいてびっくりするのと
近い気がする。
当たり前に思ってることって怖い。

ケンミンショーといえばこの前の長浜の鯖そうめん!
私が長浜に行くと必ずいくお店が出てました。
美味しいんだよねー、鯖そうめん。
私は関西人でありながらお好み焼き定食などの
炭水化物で炭水化物を食べることが苦手なのですが
鯖そうめんだけは別格だね。
味付けがずいぶんと濃い目なので
むしろあれだけを食べると辛くて食べられないの。
だから絶対ご飯。
このところあのお店が頻繁にTVに登場するので
ものすごく食べたい気持ち。


2010年09月01日(水) 手紙

西宮阪急の文具売り場が魅力的。
便箋などの紙物が大人セレクトで
和風のものも洋風のものも
みんな上品で、でもかわいらしくて
おもわず誰かにお手紙を書きたくなる
そんな商品が揃っています。
あれこれと見比べていると
1時間ぐらいあっという間に過ぎてしまう。

実は最近、時々手紙を書いています。

父が亡くなって、母1人では
祖母を病院に連れて行ったり
ちょっとどこかに連れ出してあげたり
そんなふうに面倒を見続けることが難しくなり
母の兄弟で何度も話し合いをして
祖母にしばらく家の近くの施設で
暮らしてもらうことにしたのです。

新しくてとても綺麗な施設ですが
やっぱり慣れるまで寂しいようで
だからといって私もそうそう行ってあげられず
実家にいるときは電話ができたのですが
90歳になって携帯電話もなかなか
覚えることが難しいので
何かいい方法はないかと考えて
「手紙」という懐かしい伝達手段を思い出しました。

記憶が持続しない彼女には
何度も読み返せる手紙がとてもよかったらしく
何度も何度も繰り返し読んでいるとのこと。

メールが主流になって、プライベートで
手紙を書く機会なんて本当になくなっていたので
なんだかとても新鮮です。
書き損じしないように丁寧に言葉を選びながら
書く緊張感も楽しい。
そして祖母を少しでも楽しませようと
便箋やハガキを選ぶのも、また楽しみのひとつ。

宛名を書いて、切手を貼って
気持ちが届きますようにと思いをこめて
ポストに投函する。

なんだかメールの送信ボタンを押すのが
ちょっと味気なく感じるほど
こんな風に手間をかける手紙って
素敵なものだなとあらためて思うのです。


安藤みかげ